◆Zukunft◆









ヴェイガンと繋がりのある政治家、連邦軍人、企業、下請けと地球圏に蔓延る人材を排除する粛正委員会を立ち上げたフリットは執務机に肘を突いて座り慣れた椅子に腰掛けていた。

粛正委員会を正義だと賛同する声は多かったが、批判する声もフリットの耳には入ってきている。声に出して言わない者達も含めれば、賛同する声と同等かそれ以上の人間がやりすぎだと感じていることだろう。
それでも、フリットは世間の声を聞き入れるようなことはせずに粛正の続行を命じて委員会の統制をまとめあげた。

『すまないな、何も見つけられなくて』
「捜索はもう打ち切ってるんだ。だから」

ラーガンがそんな顔をする必要はないとフリットは執務机の上に備え付けられたディスプレイに映る現役に復帰した彼に向かって首を横に振った。
ノートラム攻防戦終結後、近傍宙域に捜索隊を派遣して二週間作業にあたらせていた。身元は検査しなければ判明しない者が多いので敵味方関係無く遺体を回収し、再利用出来るモビルスーツや艦隊の部品の回収も隅々まで行った。
その中にGバウンサーの脚部だけが片方あった。それだけだった。

私情はもう挟まないと決めたフリットはそれ以上の任務続行は命じなかった。
ラーガンにウルフのことを知らせたのは退役する決意を固めたミレースであった。訃報を知ったラーガンの憂虞(ゆうぐ)は目の前の彼女へと向けられている。

『…フリット』
「心配しなくていい。もう、受け入れているから」

ウルフと同じ時間を共にすることはもう無いということを。
今までも会えないことは多かった。それでも、側にいなくても同じ時を過ごしているという事実は実感出来ていた。
噛み痕が完全に消えてしまってから何も実感出来なくなってしまった。こんなことならもっと深く傷つけてくれたら良かったのに、一生消えない痕が欲しかったのに。
殻にこもるような思考だった。けれど、殻に閉じこもらなかったのはフリットには譲れないものが先にあるからだ。

皮肉なものだと思う。ヴェイガンとの戦いがあれで終わっていたならフリットは廃人の道を選んでいただろうが、戦いは終わっていない。だからこそ、しっかりと己の足裏で地面を実感して立っていられた。未来へ向かって歩けた。

そのように振る舞うフリットにラーガンは何も見つけてやれなかった自分を情けないと画面に映らない拳に力を入れる。
現役に復帰してすぐにフリットと連絡を取ったラーガンは普段と変わらない様子のフリットに安堵したが、粛正委員会の話を持ち出された時にその安堵が間違いだと気付いた。
粛正自体が問題ではなく、その考案に至るまでフリットが何を考えてきたのか。切っ掛けとなったのは。

考え直せとラーガンには言えなかった。言える権限もなければ、ウルフの役割を自分に求めているわけではないフリットを止めたところで心を抉ってしまう結果になるような気がしていた。
あまり乗り気ではないと苦い顔で協力すると頷いた自分にフリットはどんな顔をしていただろうかとラーガンは過去を振り返るばかりで、思い出せなかった。

『無理はしないで下さい』

敬礼を添えて丁寧に言えば、私情通話なのだから畏(かしこ)まらなくても良いのにとフリットは苦笑を返してラーガンも微笑した。
そこで画面が閉じられて通話が終了する。

“ノートラム”の近くまで赴くことになっていたラーガンが勤務時間外に捜索してくれたのは有り難いとフリットは思う。けれど、やはり彼は何処にもいないのだという現実はフリットを蝕んでいた。
その一つとしてフリットは総司令官に任命されたときに正式なものとして渡されていた当初の軍服に身を包んでいた。スカートよりズボンの方が動きやすいなとフリットは思ったが、心のどこかには穴が空いたような感覚もあった。

「僕は……どうしたいんだろう」

独り言を呟いた後に司令室の扉をノックする音が聞こえてフリットは入室を許可する。地球に設けられたこの連邦基地はセキュリティーに特化したデジタル式の扉よりも旧式の手動扉の部屋が多い。

ドアノブを回して入ってきたのはフレデリックと彼に案内されてきたアセムだった。フレデリックはフリットの斜め後ろの定位置に立ち、アセムは執務机を挟んでフリットと向き合う位置で立ち止まり、敬礼する。
ノートラム攻防戦で大きな戦果を上げたアセムは今では自分の隊を率いるまでになっていた。隊長と呼ばれるようになり、アセムは自身の機体であるAGE-2の全身を白色にコーティングし、自らの軍服を白で統一し始めた。
フリットはそれについて何も言わなかった。

ただ、淡々と次の任務をアセムに告げて彼が了解の返事を返して部屋を退室していく。その一連の動作をフリットとアセムはどちらも疑問には感じない。だが、フレデリックだけが眉を歪ませた。

「司令、良いのですか?」

アセムがいなくなったタイミングでフレデリックがそう口にする。フリットはフレデリックの言いたい意図は分かった上で「何がだ」と口にした。

「息子さんのことです。彼があの色を着ていても構わないのですか?」
「エースパイロットなら自分のカラーを持つのは珍しいことではないだろう」

前々から用意していた台詞であるかのように事も無げに言うフリットは話はもう終わりだと席を立ち、フレデリックに着いてこなくていいと振り返ったところで机の上に縫い止められた。












「あれ?ユノア、どうして」
「お兄ちゃん!」

そろそろお兄ちゃんではなく兄さんと呼んで欲しいと思うアセムだが、そこはユノアの好きにさせれば良いかと以前一度そう呼んでくれないかと口にしてみただけに留まっている。

「医療班の研修で来たの。お母さんに報告もしないといけないでしょ?」

前者は明るい声で言ったが、後者は少し声のトーンが落ちていた。彼女の手の中にはハロがあり、来る途中で拾われたのだろう。

駆け寄ってきたユノアの後ろからはミレースがゆっくりと近づいてきていたが、アセムは私服姿だったミレースが一瞬誰だか分からなかった。
軍服ではないミレースを見るのは初めてで、その出で立ちはどこか柔和でアセムは彼女が間近に来るまでぼんやりしてしまっていた。

「私が道案内してたんだけど、ユノアさんのことはお兄さんに任せようかしら」

先程より緊張が抜けているユノアにミレースはそうした方が良いだろうとアセムに目配せすれば、アセムも構わないと頷く。

「艦長…ミレースさんは本当に軍を辞めるんですか?」
「ええ。私物はもう住まいに持っていったし、今日は細かい引き継ぎの手続きで来たからもう此処へ来ることもないでしょうね」
「そうですか。今まで、有り難う御座いました」

頭を下げるアセムにミレースは少し驚く。ディーヴァから飛び出して行ったり生意気なところもあったが、アセムも素直な子であることはミレースも分かっていたことで、表情を笑みに変える。

「貴方に任せれば、大丈夫かもしれないわね」
「え?」

疑問と同時に顔を上げたアセムに何でもないと緩く首を左右に振ったミレースは思い出したようにジャケット裏からチップを取り出してアセムに手渡した。

「これは?」
「フリットに渡して頂戴。彼女の思い出がその中にあるから」

思い出とは何かの暗号だろうかとアセムとユノアはそのチップに視線を落とした。
ミレースは元気でと二人に残してその場から去っていった。

アセムはチップを手にしたままユノアを連れて来た道を戻って行くが、ユノアの足取りが重いように感じた。

「ユノア、母さんに会うの嫌なのか?」
「嫌じゃないよ。嫌じゃないけど…」

フリットが執り行った粛正委員会で首を切られた者の親族や関係者は数知れない。あれを正義の行いだと言う者もいたが、悪魔の行いだと言う者もいた。フリットの子供であるユノアに負の感情を向ける者もいたのだ。
母親のことを嫌いになりたくないとユノアは思う。それでも、些細なことでも繰り返し続けばユノアの心は傷つくばかりだった。
それでも暗い考えに陥らなかったのはユノアのメンタルにあたる部分をフリットが養ってきてくれたから。それと、アセムがいたからだ。

兄であるアセムが粛正に狩り出された時、彼は誰の命も奪わずに全てを終わらせた。その評価を下げる声など一つもなかった。
兄は見て見ぬ振りを出来ない人だった。母と違って。
正確に言えば、母は見ぬ振りをするのではなく気に掛けようとしないというのが正しいのだろうとユノアは思う。だから、自分が気に掛けてもらえていないのは興味が無いからだと自己完結していた。

「私はお母さんにとっての何だろうって」
「……母さんは言えないだけだよ、ユノア」

言いたいことを感情のまま表に出すのは子供である。しかし、幼いという意味ではない。世間を、世界を知らない子供は知らないことが多くて不安になるから安堵を求めて言葉を使い、相手にも言葉を求めるのだ。

大人になれば成長と共に抱えるものが増える。自分だけで解決しなくてはならないと意固地にもなる。そして何気ない一言が相手を意図せず追い込むのではないかと身を引くようにもなる。だから、数ある言葉の中から選別してしまう。

「お父さんのことも言わなかったんだよ。それは何でなの」

ユノアもアセムがそのことを知った後で暫くしてからフリットから連絡を受け取ったエミリーから父親のことを聞かされて、知ったと同時に死んだことも伝えられた。
何も理解出来ないままユノアの頬を涙が伝った。

父親がどんな人だったのかは兄から聞いたものが全てだった。母からは何も教えて貰っていない。

「それはウルフ隊長に思うところがあって」
「それでも、知っていたかった」

とうとうユノアの足はその場から動こうとしなくなった。立ち止まったユノアを振り返り、アセムは妹の不安も理解出来るとユノアの震える手を握った。

母が自分に対して何も期待していないのではないか。だから認めてくれもしないのだとアセムはずっと思っていた。けれど、それは違うのだ。今のユノアは少し前の自分だった。
顔を上げたユノアにアセムは微笑みを向ける。

「なら、今から一緒に訊きに行けば良いだろ?」

今更だと思う必要はない。遅くなんかない。
母が言葉を口にするのを拒むのなら困り果てるまで尋ねるまでのことだ。どんな言葉が返ってきても、自分達は立ち止まらない。後ろにも下がらない。ユノアが立ち竦んでも、自分が手を取って歩き出させてみせるとアセムは揺るがない決意を持つ。

ユノアはまだ不安の残る顔をしていたが、アセムの言葉に勇気をもらって頷く。アセムがほっと息を吐こうと思った矢先にユノアはアセムの手を引っ張って先に行こうとする。

「待てよ、ユノア!お前場所知らないだろ!?」
「取りあえず真っ直ぐ行けば良いんでしょ?」

それはそうだけどとアセムはユノアに手を引かれるままに身を任せながら、いつもの妹の様子に笑った。こういう切り替えの早さや行動力はウルフに似ていると感じながら。












フリットはフレデリックを引き剥がし、彼から距離を取る。追いかけてくる足音にフリットはやめろと言うために振り返ったが、近くに来客用のソファがあるのがいけなかった。
フレデリックの今までにない行動に動揺してソファに押し倒されたフリットは両手首を自分の頭上で男の手に拘束されることを見逃してしまう。

「何を考えている、アルグレアス」

忠誠を誓ってくれていたはずの補佐官が今更反旗を翻すというのか。
フレデリックの動向では怪しいと思う節は今まで一度も見られなかったはずだった。自分が見抜けなかったことにフリットが奥歯を噛みしめれば、フレデリックは苦笑した。

「貴女は完璧ですよ、司令」

何も失敗はしていないと込めた苦笑をフレデリックは次には引っ込めて無表情になる。
触れてみればやはりか細い身体である。けれど、そんなことを微塵も感じさせない才能に憧れ、恐怖した。この人にだけは絶対に敵わないと確信すらした。

「完璧だからこそ、そのような振る舞いだけが浮いて見えるんです」

反逆を起こすつもりではないようだったが、フレデリックの真意は計り知れなくてフリットは眉を歪めたまま口を閉ざし続ける。

「軍服を変えたのは何故ですか?」
「それは…」

ウルフがいないから。いや、本当にそうだろうかと今一度フリットは自分に問いかけた。
彼が自分の側にいることがもうないのなら、彼が好むようにしている必要はないと思う。けれど、それは余計にウルフのことを意識しているようでもあり、早く過去にしなくてはならないという焦りだった。

依存し過ぎるということを二人とも互いに歯止めしてきた。どうしようもなく好きだという気持ちは揺るぎないものだったが、譲れない「戦い」をフリットもウルフも持っていたからだ。
その「戦い」以上の存在にウルフがなってしまったら、自分はもう戦えない。だから、彼を意識しないように自分は努めなければならない。

歪んだ表情でも強く保っていたフリットの瞳が僅かに揺れてフレデリックは憤りを覚える。

「息子さんに指摘しないのも同じ理由ですか」

尋ねるというより、確認するように訊くフレデリックにフリットはそうかもしれないと顔ごと視線を横に逸らした。

アセムの自由にしてやりたいと思ったまでのことだが、何も言わなかったのは自分勝手でしかない。アセムが着用している軍服はウルフの物とは違う。体格が違うのだから当たり前であるが、彼がもう少し成長したら遺品として自分の手元にあるウルフの軍服をアセムに託そうとフリットは考えていた。
ウルフの軍服をすぐに手放さないのは自分の我が儘だ。時が動かない記憶にしなければならないのにどうしても側に置いておきたくて。彼の香りが感じられなくなってもまだ抱きしめていたかった。温もりが欲しかった。

ふいにフレデリックの手がフリットの頤を捉えて互いの視線を合わしてくる。

「私では駄目ですか?」

目を見開くフリットに意味は理解して戴けたようだとフレデリックは顔を近づけた。フリットが身じろいで抵抗を見せたのでフレデリックは触れ合わない距離で止める。
今のフリットは自分が憧れてきた彼女とは違う。人情を一切感じさせず、敵への無情な制裁が鼻に付くほど露骨になったと今のフリットから感じる。
ただ、それ自体はフレデリックにはさして問題ではない。そうさせた引き金を引いた男の為にフリットが自分自身を投げ出しているようにしか見えないのが癪に障って仕様がなかった。

「今の貴女は、貴女じゃない」

ぴたりと動きを止めたフリットは静かにフレデリックのことを見上げた。「お前が私の何を知っているというんだ」と口にしようとしてフリットはああこれは違うと別のことを口にした。

「身体だけで良いのか?」

感情を読み取られないように詰まらなそうな口調で言ってやれば、フレデリックはフリットを拘束している手に力を込めて痛みに怯んでいる彼女の胸元をはだけさせた。

もう手段は選ばない。だから、他の男に組み敷かれればあの人のことは過去に出来るのではないかとフリットは決断した。
自分が今震えてもいないことにフリットはどこか他人事のように気付いて、今まで自分がこういう手段を取ろうとしなかったのは昔のことが原因だと思っていたが、それは間違いだと今更知った。
本当は、愛しい人が側にいたから。彼以外と繋がることに抵抗と恐怖があったのだ。愛し合っていない繋がりほど怖いものはないと頑なに。

けれど、あの人はいなくて。自分の身体がまだ使い物になるならそれでもいいかと、フレデリックで試そうとした。
それでも、フリットの目元から一筋零れる涙があり、心だけは渡せないと抵抗した結果がこれだった。

目を閉じて心の中であの人の名を呼んだ。そのあとに人を殴りつける音が耳を打ってフリットは目を開けた。自分を押し倒していたフレデリックの姿は目の前にはなく、背中を起こしたフリットの目の前には白い背中があった。

「……ウルフさん」

小さく口にしてからしまったとフリットは口元を手で覆った。一瞬見間違えた。アセムの後ろ姿をウルフだと錯覚して。
此方を振り返るアセムの顔がウルフとだぶってフリットは視線を背けた。その反応にアセムは表情を歪ませる。

「何やってるんだよ!」

こんなに母親の行動が分からなかったことはないというくらいにアセムは怒りを顕わにしていた。
フリットは一方的に組み敷かれることを許す人じゃない。そのはずなのに何故だと、同意の上なのかとアセムがフリットとの距離を詰めていく。

けれど、アセムに殴られた頬を押さえながらフレデリックが立ち上がり、彼を呼び止める。

「私が無理強いをしたんだ。君の母君は何もしていない」
「アルグレアス、それは」

一般論で言う同意とは違うが、フレデリックが言っていることも真実ではないとフリットは顔を上げた。
けれど、フリットにそれ以上を言わせるのはフレデリックにとって男の恥だった。アセムから一発喰らったことで彼の中で凝り固まっていた何かが解けていた。だから、彼女が言う前に先手を打って言葉を放つ。

「同意であったなら涙を流すこともないだろう。君が目にしているものが全てだ」

フリットを責める要因は何一つ無いと断言するフレデリックにフリットはすまないと胸の内で言葉にすると、少しの沈黙の後にフレデリックに退出していくように指示を出す。
敬礼をした後に扉の近くで立ち竦んでいるユノアの横を通って、フレデリックの姿が無くなるとアセムはフリットに背を向ける。

「目のやり場に困るんだけど」
「…すまない」

親の乱れた格好など子供からしたら恥辱でしかない。そう思ってフリットは涙の痕を拭って身なりを整える。
ソファに普通に座り直せば、その布擦れの音にアセムは振り返り眉尻を下げてフリットを見下ろす。

「アルグレアス中佐が言ったことは本当なの?母さん」

此処で否定すればフレデリックの誠意を無下にすることになりかねない。けれど、偽る言葉をアセムに言いたくなかった。

「半分はそうだ」

だから、どっちつかずの答えを口にした。アセムはフリットの真意を探ろうと真っ直ぐに見つめ返せば、フリットは後ろめたさにソファから立ち上がって執務机のほうに向かう。
けれど、アセムは逃げないでくれと横を通り過ぎようとしたフリットの腕を掴む。
立ち止まったフリットは静かにアセムの手を引き剥がして、息子と顔を合わせずに力無く首を横に振った。

母らしくないとアセムは思う。自分を決して曲げないこの人は何事にも己の信じる誠実さを持って真っ直ぐ向き合うはずだ。
この一年間、母を見てきてアセムが感じたことだった。

今のフリットはノートラム攻防戦後の時の姿とどこか似通っているようにも見えてアセムは心苦しさを覚える。あの時からフリットの口から「ウルフ」の名は聞いていなかった。いつもフリットは「あの人」と言うからだ。
けれど、フリットからフレデリックを引き剥がすように割って入った時にウルフの名を思わず口にしたフリットの声を確かにアセムは耳にした。
母が自分を見てくれていないようで慨嘆(がいたん)したが、やっとその名を母の口から聞けたことにアセムは安堵もした。名を呼んだということが、あれは本意での行為ではなかったという証明にもなった。

一番大事な「こと」と一番大切な「人」を当事者が同列に扱うべきではない。それは別にしても良いとアセムは思う。比べられるものではないから。
それが出来ないのがフリットという人だったが、何度も重ねて言えば伝わるものであるとアセムは信じた。

「ウルフ隊長のことはもういいってこと?」
「そうじゃない。そうじゃ……ないんだ」

今だってウルフが良いに決まっている。それがフリットの本心だった。けれど、求めてはいけない、求めてもあの無骨な優しい手は帰って来ない。
それが分かっているから余計に虚しさが広がりをみせて、手段を選ばないという非情さとすり替えようとした。

「あの人はいないんだ。だから、もう」

ウルフが好きだと言ったフリット・アスノはもういらない。
だから必要無いのだとフリットは言う。

「母さんはここにまだいるじゃないか!」

フリットが好きだと言ったウルフ・エニアクルはまだフリットの中にいる。
だから必要だとアセムは言う。

そして、母は自分の身体などどうでもいいと、道具として見ていることに気付いてアセムは再びフリットの左腕を掴む。フリットはそれをまた引き剥がそうとしたが、右手を握る温もりに其方を見遣った。

「ユノア?」

医療班の制服を着ていることから研修で来たのだろうことは伺えた。けれど、今はそれの確認をするような言葉はフリットから出てこない。
ユノアは泣きそうな顔でフリットのことを見上げた。

「今のお母さんのこと、私、好きじゃないッ」

自分を大事にしないのは、自分に厳しいのとは意味が違う。自分を大事に出来ない人が他の誰かを大事に出来るはずがないとユノアは感情のままに首を横に振った。

「もっと、自分のこと大事にしてよッ、お父さんのこと好きなら嘘つかないで!お願いだから!」

その言葉で自分は自分に嘘をついていたのかと、フリットは妙に納得した。
嘘で自分を固めようとしてウルフのことから逃げていたのだ。どうしたいのか分からなかったのも本当がそこに無かったから。
娘に気付かされたことに驚くと同時にユノアも一人の大人として立派に立っていることをフリットは嬉しく思った。

「ごめん、ユノア。私は、嘘を…言っていたんだな」

愛おしむように微笑みをかけてくれる母にユノアは泣いた。
兄の手を引いてノックもせずに扉を開けた瞬間に目にした光景にユノアは言葉をなくしてしまった。アセムが自分の目の前を通り過ぎたのも気付かずに動けなくなったユノアは事の収束をただ見ているしか出来なかった。
けれど、どこか苦しい様子のフリットの姿は放っておけるようなものではなかった。そうした慈しみが医療という道をユノアに選ばせたのだろう。

止まらない涙を両手で拭うユノアの頭をフリットは優しく梳くように撫でて、ウルフのことは自分だけの問題ではなかったと思い直す。
アセムとユノアはウルフの子なのだ。ウルフが言ったではないか、守った人達にはその先の未来があることを。子供は未来そのものだと。ウルフの未来は正しくこの二人だ。
ウルフが守った未来を抱きしめて、フリットはもう一度「ごめん」と言った。







泣き止んだユノアはソファに腰を下ろし、その隣にアセムは座る。テーブルを挟んだ向かいのソファにフリットは座っており、それぞれの目の前にはコーヒーカップが置かれていた。
フリットが自らコーヒーを入れるのは珍しいことであったが、ユノアは自分の好きな分量で注がれたミルク入りのコーヒーを口に運んでほっとする。これだけは母の入れてくれたものが一番だった。

医療班の研修で来たことを伝えれば、母は頑張りなさいと優しく声を掛けてくれてユノアは頷く。
母は自分のことをちゃんと見てくれていた。そうでなければ、手の中にある温もりは苦みしか伝えてこなかっただろう。
先程まで胸に重くこびり付いていた不安は舌に広がるまろやかさが溶かしてくれた。だから、ユノアは父親のことを訊きたくなった。

「ねぇ、お母さん。お父さんってどんな人だったの?」

フリットはすぐに答えをくれなかったが、言いたくないという素振りは見られず、考える素振りも無かった。
懐かしそうだけれど顧みるようなものではない表情をして自分の目の前に置かれている宇宙に似た黒さのコーヒーに視線を落としたフリットは待ってくれているユノアにゆっくりと口を開いた。

「優しかったよ。周りはそう言っても首を傾げる人ばかりだったけど」

自分も最初は優しい人だと感じていなかった。自分らしさが確立しているような人だったから余計気付きにくい部分だったが、側に居ればいつも優しさを強く感じた。
色褪せることなくはっきりとそれはフリットに刻み込まれている。

フリットの、母親としてではない儚さを含んだはにかんだ表情はユノアにとってまだ経験したことがなく、知らなかったもので胸がぎゅっとした。
母にこんな顔をさせる人なんだともう一度コーヒーカップに口を付けてユノアは自分を落ち着かせる。兄から聞き及んで自分なりに想像した父親はすごく大人だけれど気さくなところもあって。モビルスーツに乗れば伝説と言われるほどの強さを発揮する人。そんな姿ばかりだ。
けれど、またもう一つ知った。今を受け入れるためにユノアはもっと知りたいと思う。

何を訊こうかなと考えているユノアの横でそういえばとアセムはミレースから手渡されたチップを取り出してフリットの目の前に差し出した。

「これ、ミレースさんが母さんに渡して欲しいって」

アセムの手からそのチップを受け取ったフリットはミレースとデータの受け取りについて何も言葉を交わしていないけれどと首を傾げつつ、軍から離れることで渡しておかなければならない何かなのだろうと思った。

アセムの近くに場所を落ち着かせていたハロを呼んでフリットはコーヒーカップを退かして代わりにPCモードになったハロをそこに置く。チップを差し込んで中身を読み取らせて適当なフォルダを開いたフリットは動きを止めた。

「何か重要なもの?」

固まっているフリットにアセムは仕事関係のものだろうかと尋ねた。

「い、いや、そうじゃないが」
「じゃあ、私も見ていい?」

仕事に関わるものではないなら、ミレースが言った言葉の通り思い出たる何かなのだろう。ならば自分が見ても構わないはずだとユノアは思い出というものに興味もあってハロを持ち上げる。

「あ、」

あまりにも自然にすっと目の前のものを取り上げられて、待ってとフリットは手を伸ばしたが既に遅く。
ハロを膝の上に乗せて画面を自分の方に向けたユノアは目に入ったものに顔を赤くした。横から覗き込んだアセムも同じく。
フリットはすぐに立ち上がってユノアの横まで来るとハロをばっと取り上げた。

「お前達は見なくていいッ」

チップの中身は以前ミレースから指摘を受けた時に目にしたものと軍に身を置いてきた今までのウルフとフリットの記録だった。主に他人に見られたら恥ずかしい類のものばかりで、自分の子供達には更に恥ずかしくて見せられない代物である。

「狡いよ、お母さん!私も見たいッ」
「それ、どうするの?」

ユノアが正当な我が儘を言い、アセムはデータの行く末を尋ねる。

「狡いも何も。これは処分するに決まっているだろう」

削除するという行為は出来ないかも知れないが、厳重にロックを掛けて誰にも触れられなくすれば事実上の処分とは変わりないはずだ。
けれど、処分という言葉にアセムとユノアは互いに頷き合って処分させてなるものかと立ち上がってフリットに近づいた。
その後、チップはフリットの手元には残らなかった。

結果だけを言えば、そのデータがどういう経路を辿ってしまったのか流出してしまい、メディアが食い付いてしまう。今まで正確な情報が出回っていなかった連邦軍総司令官の子供二人の父親が判明したことでニュースやネットでは始終話題になった。
フリット本人のところにまで仕事中だろうが休暇中だろうがマスコミが何時間も何日も張り込むので、いい加減にしろとばかりに腹を割ったフリットは顔を赤くしながらも一通り全てを話してしまった。

そのフィクションドラマを超える劇的な事実に世間が騒がないはずがなかった。一通り話したのだからこれ以上は関わってくれるなと言ったフリット自身にそれ以上の言及や関与はなかったが、一時期地球圏の人々の間ではその話で持ちきりだった。
それは粛正委員会で付きまとったフリット・アスノのイメージを少なからず覆(くつがえ)して、ユノアへの風当たりも弱まった。

負の連鎖が続かなくて良い結果となったが、アセムは部下からフリットに求婚の申し込みをする男が何人もいたらしいと聞いて目を丸くした。
半信半疑で母にそのことを訊ねればフリットは無言で睨み返してきた。本当なんだと思うと同時にアセムは母からあんな視線をもらったのは初めてで背筋が凍ったという余談もある。

最後に、自分の処分を待っていたフレデリックはチップの居所を突き止めろとフリットから命を受けていた。無礼を働いた自分への処分がないことに納得しきれない部分はあったが、チップの行方を調べている途中で此処までメディアを通して広がってしまったのなら意味がないと暫くしてから命を取り下げられた。

本当は何処にあるのか存じ上げているんですけどねと、自分が知っている司令に戻ったフリットの背中を見てフレデリックは胸の内で言葉にした。データの半分は彼女の娘であるユノアが手にしており、もう半分は。

















「此処にあるわけだが」

海賊艦の船長席に深く座した男は人差し指と中指で一つのチップを挟んでいた。
もう二十年以上前に自分が手に入れたそれを見る度に彼は懐かしさを覚える。

「キャプテン、それは何です?」

独り言を何やら呟いていた男の声に顔を上げた仲間の一人が男が手にしているものを見て訊いた。
キャプテンと呼ばれた男は前髪で右側を隠し、顕わになっている左側の顔を不敵に動かした。

「お宝に決まっているだろう」

懐に仕舞うのを見てそれ以上は詮索するなという合図を心得て、尋ねた男は自分の仕事に戻った。この艦に乗っている者達は全員が訳ありだ。
互いに深入りしないが、皆が情に厚い。今ではそれがすっかり心地良いと感じていることを昔の自分が知ったら驚くことだろう。父親は結構すぐに受け入れてくれそうだがと思い、母親はそうではないだろうとも想像が付く。そのための切り札がお宝だ。

「略奪してる連邦を見つけましたぜ、キャプテン!」

男は先程声を掛けてきた仲間とは別の者からの報告を聞くと、髑髏の椅子から立ち上がる。芝居がかったようにその右手を前に突き出してこれもまた芝居がかった口調で叫んだ。

「さぁ、野郎共!悪事を働く連邦の狗をぶっ潰しに行くぞ!俺たち海賊ビシディアンの力を見せてやれ!!」












自分を一度だけ抱き上げてからいなくなってしまった父親のことを少年は考えていた。
芝生の坂に身体を預けて青空をずっと見上げていれば目に沁みた。コロニーの空ではそんなことはないというのを母親から聞いた少年は祖母にもそのことを訊ねればそうだよと難しい言葉を交えて教えてくれた。理解出来ていないところで首を傾げれば祖母は難しい言葉を噛み砕いてもう一度説明してくれる。

今日はその父方の祖母の誕生日であり、少年は一年とちょっと前に幼なじみや友人達数人で遊びに行った海で見つけたペンダントを空に翳すように腕を上に突き出す。
母親に無理を言って錆を取ってもらったペンダントは綺麗な銀色をしていた。少年は綺麗になったペンダントを母から受け取って言った。

「ばあちゃんにプレゼントしたいな」

言ってみたものの拾い物じゃ嫌がるかなと思い至って母親にそのまま言葉を重ねれば、母は「そんなことないわ」と優しく頭を撫でてくれた。孫のことを大事にしてくれている義母は受け取る受け取らないを別にして孫の好意を無下にする人ではない。
だから安心しなさいと少年の母であるロマリーは微笑んだ。

去年の祖母の誕生日のことだった。この時ばかりは女性らしい格好をしてくれる祖母の見立ては全てロマリーが用意したもので、祖母自身は毎年恥ずかしそうにしている。けれど、少年が無垢な瞳で褒めれば笑ってくれた。
そして、その笑顔を見て少年はペンダントを差し出した。目を丸くして驚く祖母にやっぱりこのペンダントは「ばあちゃんのために僕のところに来たんだ」と、少年は悟った。

けれど、祖母はそれは受け取れないと首を横に振っておめでとうの言葉だけで十分だと言った。どうしてと少年が元気をなくせば、祖母は眩しそうに優しい顔をして少年の柔らかいブラウンの髪を撫でた。

「それはキオのお守りだよ。私にはこれがあるから」

祖母は首元を彩るペンダントのトップにある指輪を指先でなぞる。自分に向けてくれるものとは違う感情がそこには込められていて少年、キオは初めて祖母に見とれた。

そのことを思い出したキオはペンダントを父の形見であるデバイスと一緒に仕舞って、携帯用ゲーム機を取り出した。スタートボタンを押してゲームに熱中していれば、突然画面が暗くなった。実際には画面が暗くなったのではなく、キオに影がかかったのだ。

「今日もゲーム?本当に飽きないのね」
「ウェンディ」

一端ゲームを停止させてキオは幼なじみを見上げた。

「たまには身体動かしたら?キオ」

自分もゲームは好きだが、キオほどのめり込まないウェンディはそんなに面白いの?といった顔でキオの横に座る。

「ばあちゃんの新作なんだ。バグが無いか確認したいからって出回る前に遊ばせてもらってる」

ちょっと得意げな顔にウェンディは本当にキオはおばあちゃんのこと大好きよねと苦笑する。
キオの祖母は還暦を過ぎたとは思えない容姿で、ウェンディは顔を合わせると少しどぎまぎしてしまう。キオの母親であるロマリーも美人だが、それとはまた違った綺麗さを感じる人だった。男物の服を好んで着用しているのをいつも勿体ないと思うくらいに。

ゲームに戻るキオにやれやれと思いつつ、ウェンディはその横顔が嫌いではなくてクリアを願って頑張りなさいよと一つ年上のお姉さんらしく微笑んで見守った。

けれど、その平穏な時間は長くは続かない。

ヴェイガンとの戦争は環境破壊が改善されて人々が不自由なく地球に住めるようになっても終わっていなかった。
祖母や父が乗っていたという伝説のモビルスーツにキオは憧れ、いつか自分もと胸を高鳴らせていた。子供らしい夢だった。残酷なほどに。

地球各地、宇宙各地でヴェイガンが一斉に同時刻での攻撃を地球圏に向けた。地球の都市“オリバノーツ”も例外ではなく、避難し損ねた子供達とウェンディが安全な場所に向かうことに同行しなかったキオは淀みゆく空を見上げた。

キオの祖母はヴェイガンとの戦闘で大きな戦果を上げたモビルスーツを創り上げた人物であり、そのパイロットでもあった。父の機体も祖母の手によるものだと言う。
その後も連邦軍で実権を握って数々の実績を上げてきた祖母は現在では軍を退役していたが、この街で新たなモビルスーツを開発していることをキオは知っていた。

この時点で祖母が軍への復帰の手続きを済ませていることを今のキオは知らず、自分の住んでいる故郷で祖母がモビルスーツ開発をしていることからその危険性の対価として恩恵を得て活気のある地域になっているということをも知らなかった。
だから、キオは手にしているAGEデバイスを使って伝説のモビルスーツ、ガンダムを起動させることに疑問は無かった。

敵の攻撃を受けている最中のコアファイターとGセプターの合体には少なからず焦ったが、期待は拭えなかった。ただのモビルスーツではなく、ガンダムという英雄に乗っているという事実がキオを熱くさせる。
複座式のコクピットの後ろで祖母が何を考えているのかも知らずにキオは操縦桿で引き金を引いた。












引き金を引いたダークハウンドはクランシェを一機撃破した。
ヴェイガンが一斉制圧に腰を上げている最中だというのに、お気楽にも利己主義に略奪をしている馬鹿共には呆れると黒いモビルスーツに乗る海賊の長は両肩のバインダーから先端に鋭利なフックが付いたアンカーショットを残りのジェノアス�尭鶺,妨�けた。二機の獲物をまとめてワイヤーで捕らえ、仕留める。

「最後の仕上げといこうか!」

ワイヤーに高圧電流を流してパイロットごと獲物に地獄を味わわせてやった。
黒いモビルスーツに乗るこの漢もかつては連邦のエースと呼ばれた男だった。そして、そう呼ばれていた時に乗っていたモビルスーツは全身が白く輝いていた。ある日を境にその自機は全身を白とは真逆の黒に染め上げられた。
それに関して男はプライドを踏みにじられたとは感じていない。自分は塗りつぶされたのではない、染めたのだ。白は白のまま黒を纏った。

昔の自分は連邦という組織を信じていた。信じるに足る仲間達がいたからである。けれど、世界は自分の目に見えているものばかりが全てではなかった。
今なら分かる。権力を持つ母があそこまで身内と言える同胞に容赦ない制裁を下した真意が。それでもあの人のやり方は正しいと自分は断言しきれない。

互いのワイヤーを絡ませることなく、バインダーに巧みに戻しながら黒いモビルスーツ、ダークハウンドはストライダー形態に可変すると海賊艦に踵を返した。
仲間が慌てて通信を開いてきたが、興醒めしたとだけ返して適当にジャンク品を掻き集めたらお前達もさっさと帰って来いと言わんばかりの態度で男は減速すらしなかった。

仲間を置いて一番乗りで帰艦した男はコートのような仰々しい黒い出で立ちの服に着替えると、ノーマルスーツの横に掛けてある白いジャケットを視界に入れた。
ダークハウンドへと搭乗する前と後にこれを目にすることが彼にとってのアイデンティティだった。

「俺は、隊長が求めた高みを目指すさ」

それがスーパーパイロットの在り方だと信じている。限界など無い。永遠に高みを追いかけ続けて、手を伸ばし続けて、手に入れ続ける。最後の壁がないとはなんと贅沢の極みだろう。

自分の師であり、実の父親であるウルフが袖を通していたジャケットに自分が袖を通したのは一度だけだった。
ウルフの戦場に好敵手となる敵はいなかった。それに一番近い存在と言ったら自分の母親だったのだろうと思う。だから、ウルフは息子である俺を庇うことに迷いなど一つもなかったのではないかと彼は考えるようになっていた。

罪滅ぼしとして自分は白を十字架として着ていたわけではない。父親の存在を確かめたかったのと、スーパーパイロットを見極めるためだった。そんな自分を見ても母は何も言わず、ロマリーとの新居にゼハートと共に撮った写真を飾っていることにも何も言わなかった。
ゼハート・ガレットの名はヴェイガンの指揮官として連邦には知れ渡っている上に、スージー・マスコビー・ハイで自分のクラスメイトとして潜入していたことも連邦の総司令官であった母が知らないはずがなった。
敵を憎んでいるはずなのに。

憎み、復讐しようと考えるのは優しさだった。大切な誰かを傷つけられて失ってしまったことに対して憎いと思うことは誰かを想う優しさからくる感情であろう。
だが、憎しみの中に優しさはあっても、憎しみから優しさは生まれないことを男は知っていた。
それが、ゼハートが優しいと称したアセムの業である。

しかし、アセムという名を男は捨てたも同然であった。今の彼の名はキャプテン・アッシュ。
本名を名乗って海賊をやっている人間などいない。もともと名前が無いという輩もいたが、アッシュの場合は名が有名すぎることもあった。大人になりきれなかった自分を家族から隠したいという思いもあって、アセム・アスノを奥に隠した。

父親をやれていない。ウルフもこんな思いを抱いていたのだろうかとアッシュは白いジャケットをその手に取った。
今だけはアセムとして、一人の父親として、このジャケットと同じように一度だけしか抱き上げてあげられなかった息子のことに思い馳せる。












フリットはキオの後ろでサポートする声を放ちながら手元のキーを操作し続けていた。AGE-3はまだ完成しきっておらず、パイロットに合わせての調整もままなっていない状態である。だから、細かいプログラムの書き換えをリアルタイムでしなくてはならなかった。そのように複数のことをこなしているにも関わらず、フリットは冷静に心の中で懺悔していた。

あの時の自分と殆ど歳の違いがない子供である孫をモビルスーツに乗せて敵を撃たせるということがどれだけ罪深いことか分かるくらいには歳を重ねてきた。
アスノの血筋が残してしまうものを洗い流してしまいたくて、フリットはキオにモビルスーツ開発のノウハウを教えることは一切しなかった。アセムには間違ったことを教えてしまったと自分の失敗を二度と繰り返さないために。

アセムが生きていたならAGE-3の専属パイロットにしていたがとフリットは奥歯を噛みしめながらも手は止めない。
キオが類い稀なるXラウンダーの能力を持っていなければ、知ることがなければこうはなっていなかっただろうと思う。キオの能力に気付いたとき、フリットはロマリーにキオを連れて彼女の両親のところに帰るように言った。

アセムがMIA認定されて以降、再婚もせずに“オリバノーツ”にアスノ家の名で建てた新居に留まるロマリーを彼女の両親は連れ戻したがっていた。そこに関してはフリットが口出しするようなものではなく、フリットもロマリーの決断に任せた。
けれど、ロマリーは頑なにこの家を離れようとはせず、アセムのことを愛し続けてくれた。何度も泣いているところを見たフリットはロマリーとキオに不自由のない生活をさせてやることしか出来ない自分を責めた。

だから、キオのXラウンダーとしての力や、父親や母親から受け継いだ才能をシュミレーターを通じて知った時に帰りなさいと何度も言った。このままキオが此処にいれば、自分はアセムの時と同じようにアスノ家を受け継がせてしまうからと。
その言葉を聞いたロマリーはいいえと家を出て行くようなことはしなかった。

「お義母さんをこの家に一人にさせるなんてこと出来ません。それに、キオはお義母さんのこと大好きなんですよ。離ればなれになるって知ったら泣いてしまうわ」

アセムとの別れを突然言い渡されたロマリーにとってそれだけは駄目だと譲れないものだった。同じ気持ちを目の前のフリットは自分などよりも多く経験してきたことも知っていた。それに、キオは自分で自分の運命を決められる子であると信じていた。
だから不安にならないで下さいとロマリーはフリットの手を自分の両手で包んだ。
優しくも強い笑顔を思い出してフリットは何度も、何度も謝罪した。

引き返せなくなったからにはもう後戻りは出来なくて。フリットはキオを守ることだけを考えた。戦って勝つことも大事だが、生きるということも大事だった。アセムを失ったときにフリットが誓ったことでもある。
生存率を上げるために合体と分離を可能にし、単機での大気圏突破を確実に可能のものとした。重量の重さも機動性でカバー出来るように仕上げた。最終決着兵器という異名を持つシグマシスライフルをも完成させた。

AGEシステムとフリットが新たに創り出したガンダムがそれだった。
そして、キオを守るもう一つの存在が今、キオの側にある。一年前、自分にプレゼントしてくれようとしていたキオが手にしていたペンダント。
あれはフリットが海に投げて眠らせたもの。ウルフがヴェイガンの兵士から託されて捨てることもせずにずっと所持していたもの。

そのペンダントが再び自分の目の前に現れたとき、何という巡り合わせだろうと思った。これがゲームの脚本だったならば安い演出だとフリットは思っただろう。けれど、これは現実で、どうしようもなく心が揺れた。

フリットはペンダントを受け取ることは出来なかった。自分は既に守ってもらっているから。だから、きっと。ウルフがキオを守るためにその手にペンダントを握らせたのだとしか考えられなかった。

祖父のことをキオには話したことはないが、近いうちに話すこともあるだろう。キオは自分を守ってくれているのは祖父だと思ってくれるだろうか。
フリットは落ちた視力を補うためのゴーグルを外して、首元にある指輪を確かめる。敵を追い込み撤退していく彼らを逃したくない気持ちも少なからずあったが、キオが無事でいる姿にウルフの想いが近くにあると感じて。

「共にいてくれますか…ウルフさん」

そして、キオのペンダントは未来で地球圏と火星圏を繋ぐ掛け橋となるように彼を誘い導く。
そして、アセムのジャケットは未来で魂は違えど同じ人類は力を合わせることが出来るのだと彼に教え導く。
そして、フリットの指輪は長きに渡る憎しみを慈しみへと転じさせて敵同士だった者達が共に歩める道を彼女に示し導く。

フリット、アセム、キオ。三つの世代が重なり、運命を切り開いた。
同時に、ガンダムは未来永劫その名を歴史に刻む。

救世主、と。





























◆後書き◆

番外編はこれで一区切りだと思います。ここまでお付き合いしてくださった方々へ感謝を。
今まで「救世主」という言葉は使わないという自分ルールを強いていたのですが、Weiβシリーズの最後の最後という形になる最終話なので解禁しようかな、と。
ウルフがフリットの手を取ったから、フリットは救世主になれたんだという思いを込めて。

続きは現在考えていませんが、キオ編、三世代編でこのシーンならこうなるかもという小ネタは想像したりしています。アッシュ(アセム)が持っているチップでフリットを脅すとか色々。
キオを助けに行くくだりで「この画像を全ての連邦基地に流されたくなかったら、俺にキオを助けに行かせろ」と海賊が脅し、フリットが「この裏切り者!」って言うんだろうと。
若かりし頃のフリットとウルフのチューを見たナトーラ艦長が顔真っ赤にして、艦長にはまだ早いとセリックさんが目隠しして、ララパーリーさんがあんたも大胆だねとフリットをつつくという。
適当な機体(動けばいいという理由で)で海賊艦に一人で乗り込むんでしょうね、フリットさんは。

Zukunft=未来

更新日:2012/10/04








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