◆Hoffnung◆









射出されたゼフルドランチャーを宙で接続し装備したAGE-1はダウネスに向かう。
ダンベルを縦にしたような形状をしているヴェイガンの移動要塞ダウネス。戦艦から見ても十倍はあろうかという大きさのそれは、城塞そのものだった。

ゼフルドランチャーをトンファーのように両手に持ち、二つの砲口をダウネスの推進システムに向け、照準を合わせる。
戦艦ディーヴァが赤白い光りを放つフォトンブラスターを穿てば、ダウネスはその巨大な面積を全て覆い尽くすシールドを展開した。フォトンブラスターは要塞に届かず、要塞の目の前で押しつぶされたように広がり続ける。
透明な楯はダウネスの防護システムであり、ギガンテスの盾と呼ばれている。どんな矛をも突き通さぬ強靱な壁として、目に見えぬのに確かに楯は存在していた。だが、それは正しく楯であり、要塞を全て包み込むわけではない。

フリットは狙う場所が楯に妨害されていないことを今一度確認し、敵が手薄になっていることも分かった上でゼフルドランチャーを咆哮させた。その咆哮がダウネスの推進システムを要塞の外壁ごと破壊する。
傾き始めた要塞からシールドも消え、フォトンブラスターの残り火が要塞に達した。
それで十分だった。ダウネスが地球に降下するには。
だが、それはこの戦場にいる誰もが望んでいたものではない。

“ノートラム”にダウネスが直撃する軌道であったことからフリットはフォトンリングレイを発射するようにディーヴァに指示を出した。
フリットの指示を遂行したディーヴァによって要塞の軌道は“ノートラム”から外れた。だが、ダウネスが地球へ降下することが免れたわけではない。更には落ちていくダウネスにディーヴァが巻き込まれる。

ヴェイガンのモビルスーツ達が一斉にダウネスを立て直そうと外壁に張り付いてバーニアを噴かす。しかし、それは何の効果も発揮せず、ダウネスは降下し続ける。
このままでは大気圏に突入してしまうとフリットはダウネスにAGE-1を近づけるが、彼らと協力するなど出来ないとビームサーベルを引き抜こうとした。
けれど、敵機の接近を知らせる音に我に返り、近くを通り過ぎた赤いモビルスーツ、ゼイドラの後を追うAGE-2を視界に入れる。

戦闘中にダブルバレットからノーマルに換装し終えたAGE-2は今、戦おうとしているのではなかった。

『アセム、何をする気だ!?』
『要塞を中から破壊します。そうすれば地球に被害はない』

不可能では無い。だが、成功率は低いとフリットは直ぐに割り出す。それに、中から破壊するというのなら、アセムはどうなる。
最悪の結果を思い浮かべ、フリットは、AGE-1の手はAGE-2に、アセムに手を伸ばした。

『ゃだ…嫌だ、お前まで』

失いたくないと、今まで聞いたこともなかった母親の切ない声音にアセムは後ろ髪を引かれ、フリットも本気でウルフのことが好きだったのだと理解した。

『私が行く。だから、お前は艦に、』

ディーヴァはダウネスからの脱出に成功し無事でいる。だが、要塞を失おうとしている捨て身の敵がディーヴァに張り付いていた。
其方も安全とは言い難かったが、アセムの実力ならば乗り切れる。援護に向かえとフリットは震えそうになる声を必死に抑えてアセムに指示を出した。

『駄目だよ、母さん。これは俺がやるべきことだから』

自分が守らなければならない人達をアセムは思い浮かべ、ウルフの姿を最後に瞼の裏に見る。
ウルフはフリットを守ろうとしていたのかはアセムには分からない。自分の母は誰かに守ってもらうほど弱い人ではなく、むしろ誰よりも強かった。
けれど、儚いと感じるようになった背中は受け止める誰かがいなければならないのだと知ったから。
アセムにとってはフリットも守りたい人には違いなかった。

『こんなのは、嫌だ…アセム』

母と子という結びつきは上司と部下という立場が引き裂けるものではない。司令官としてではなく母親としての言葉にアセムの胸が締め付けられた。
それと同時に「なんだ、こんなにも自分は愛されていたんじゃないか」と今更気付いたかのようにほっと息を吐いた。
だから、自分には今しなければならないことを、成し遂げられる手があることを母に知って欲しいと思う。

『俺のこの手は誰かを傷つけるためにあるんじゃない。誰かを守るためにあるから』

その言葉にフリットは覚えていたのかと目を瞠る。アセムがかなり小さいときに一度言っただけだったが、フリットは自分の意志をアセムに押しつけてしまったかもしれないと悔やみ思い続けてきた言葉でもある。
誰かを守るのは自分が成すべきことであって、アセムに引き継がせるものではない。それなのに、自分は再びガンダムを創り出してしまった。
搭乗者はアセムでなければいけないという理由はないのに、プチモビなどメカニックに関わるものに触れさせてアセムを育てた自分をいつの間にかフリットは責めるようになっていた。

自分は親として正しいことを出来ていたわけではない。けれど、アセムは自分自身の内なるものに気付き、それを手にした。
アセムの成長を頼もしく感じる一方で、フリットはAGE-2の背中を不安と恐怖が残る気持ちのまま見送るしか出来なかった。

ウルフならばこんな時どうするかなんて簡単に想像がつくのにフリットは考えたくなくて頭を横に振った。さっきまで、艦の中で、格納庫で抱きしめてきた温もりも覚えている。噛まれた痕もまだ身体に残っているのにと、フリットは自分を抱きしめるようにノーマルスーツの上から痕をなぞる。
ウルフの存在を記憶に出来るはずがない。自分の中に彼はいるのだと実感したくなくて、AGE-1はAGE-2を追いかけることが出来なかった。







ダウネスの中枢部。AGEシステムにより解析された要塞の構造図をもとにロマリーから指示されたルートを駆け抜けたAGE-2とゼイドラはエネルギーコアの破壊に成功する。
しかし、要塞の各部が爆砕して大きく揺れる中、脱出しようとしたところで巨大な破片に押しつぶされる可能性の方が高いとアセムとゼハートは同じ意見だった。
だから、彼らは自分の機体から降りて、互いに背を向けあって座り込み、互いの背にもたれ合う。

ゼハートが今まで戦い続けてきた理由を聞き知ったアセムは、最後の最後でやっと自分が成すべき事を手に掴んで、彼と並べるところまでギリギリで追いつけたのだろうかと思う。もしかしたら、足下ぐらいにしか届いていないのかもしれないが、それでも構わなかった。

「少し変なこと言っても良いか?」
「こうなったのも運命だ。言ってみろ」

この死ぬのを待っている状態で学園でたわいない話をする時のような言葉を投げかけてくるアセムにゼハートは首を傾げるが、先を施した。

「隊長が俺の父親だったんだ」

その言葉をゼハートは直ぐには理解出来なかったが、ゆっくりと思考を巡らし続ける。ヴェイガンでは若干違いがあるが、連邦にはモビルスーツ部隊というものが存在していることはゼハートも知っている。アセムが所属する部隊の隊長が彼の父親だったということなのだろう。
そう考え、隊長機らしきモビルスーツはあの白い機体しかないと行き着く。自分の兄が墜とした機体だとゼハートは記憶している。
戦争をしているのだから謝るつもりなどゼハートにはないが、何か言わなければと渇いた口を開こうとしたところで先にアセムが口を開いていた。

「誰もそのこと教えてくれなくて。俺、隊長のこと父さんって一度も呼べなかった」

声音から悔やんでいるのか、そうでないのか、ゼハートには分からなかった。
アセムはまだウルフのことを父親だとはっきり実感出来ずにいた。だから、本当にあの人が自分の父親なのか整理したくて、気が付いたらゼハートに話し掛けていた。急にこんな話されても迷惑だよなと今になって思ったが、ゼハートなら聞いてくれる。自分勝手だが、聞いて欲しいとも思った。

「フリット・アスノもあの艦に乗っているはずだろ」
「うん。でも、母さんも教えてくれなかった。だからさ、俺、母さんと隊長が……」

その先を濁すアセムにゼハートがどうしたと問い質せば、アセムはごにょごにょと小さく囁くように呟いた。聞き取りにくいそれでも、背中合わせに隣り合っているゼハートには十分に届く声である。
だから、ゼハートは災難だったなと返しつつも自分も年頃の少年には変わりなくて顔を熱くした。アセムも似たようなことになっているはずだと思えば恥ずかしさは引いていく。

「そ、それでさ、二人がお互いに想い合ってるのは分かったんだ」

火星圏の人々からは消え失せている感情だなとゼハートは遠くの爆音を耳に人の手を覆う異形のノーマルスーツの手袋に視線を落とす。
けれど、自分は、“トルディア”でアセムやロマリー達と過ごす中でそういった感情を呼び覚まされてしまったのかもしれない。

「分かったんだ。分かった、のに。父親だって分かったら、なんで、俺のこと庇って、いなくなって」

次第に言葉が支離滅裂になり、アセムの声が震えた。涙だけはどうにか抑える。好敵手と認め合った男の前で泣きたくなかったから。

俺のせいだとアセムが苦しそうに言葉にしたことでゼハートは身体の向きを変え、アセムの身体の向きを自らの手で向かい合うように変える。アセムの胸ぐらを掴んでゼハートは言葉をぶつけた。

「アセム、お前が自分のせいでと責めたところで何も変わりはしない!お前の父親はそれを望んでいると思うか!?違うだろ!今、此処で!俺と共に守ったものは何なんだ!!」

自分のせいだと思い込むのはアセムが優しいからだ。自分を責めて痛みを受けようとするアセムは間違っていないとゼハートは思う。だが、それはアセムのためになるものではないと強く込めて言った。

「父親が死んだのは自分のせいだと言うのか!母親は傷つくだけだぞ!」
「…ゼハート」

気圧されるアセムの顔にゼハートは我に返って静かにすまないと言って、掴んでいたアセムの胸ぐらを放した。

ヴェイガンにとってフリット・アスノという人間は最優先で排除しなければならない相手だ。だからこそ、フリットの息子であるアセムにゼハートは接触した。彼の母親についてたまに言葉を交わしたこともある。情報収集の目的もあったからだ。
けれど、アセムから聞き及ぶフリットという人間は特殊な身の上を除けばただの母親だった。親に近い存在しかいないゼハートからしても、少し正しいことを強要しすぎる節があると思うくらいのものだった。

彼の母親を擁護するつもりなど全くないのに、ゼハートは自分の口から出た言葉に自分自身でも説明がつかない。

「そうだな。ごめん」

アセムは自分のためにゼハートは言ってくれたのだと、小さく頷く。
直ぐには考えを変えられないが、自分のせいだと思うことをウルフは望まないというのはすんなりと胸に降りてきた。

謝罪と共に浮かべられたアセムの笑顔に、ゼハートはこの顔を見て最期を迎えたかったから自分は声を荒らげたのだとやっと腑に落ちた。
同時に、両親というものへの羨望の表れだったのかもしれないとも思う。

「俺達もいつか、誰かと一緒になる日が来るのかな」
「そうだな…」

生きて帰れない状況であることをゼハートは口にせず、まるで自分達には明日があるかのようにアセムの言葉に同調して言葉を返した。
出来るだけのことはしたとゼハートが目を閉じれば、頭に響く声があった。はっと顔を上げたゼハートにアセムは急にどうしたんだと彼の肩を掴む。

「アセム、早く機体に乗れ!」
「何を、」
「いいから!脱出口がある!」

嘘を言っている目ではない。ゼハートの指示通りにアセムはAGE-2に乗り込んだ。







ジェノアス�兇�作業用ポットを抱えてディーヴァに着艦したのを見てアデル二機もそれに続く。だが、マックスの後方を飛んでいたアリーサはダウネスから離れようとしないAGE-1に気付く。

『司令?……ッ…!?』

回線を繋げたことでAGE-1とディーヴァのブリッジの通話を受信してしまったアリーサは驚きに目を瞠る。

『アスノ司令、艦に戻って下さい!』
『艦長らはそのまま大気圏突入への準備を進めてくれ』
『司令!たとえガンダムといっても大気圏突破は危険なんです』
『分かっている』

いや、貴女は分かっていないとミレースは眉を歪める。彼女があのタイミングで戦場に向かうことを許したのは間違いだったのかもしれない。けれど、フリットが自分の感情のままに動こうとするのは余程のことだった。
自分が三十を過ぎたあたりだったはずだから、彼女達が二十前後だろうか。彼女の、エミリーの願いを聞いたのは。

フリットは自分の進むべき道しか見ようとしないし、他に足を踏み入れることがない。だから、周囲の誰も彼もが着いていけなくなる日が来るとエミリーは気に掛けていた。
周りの反感を障害と受け止めることもせず、道端に生えている雑草と同じように当たり前にそこにあるものとしか認識しない。そういう節があったからこそ、自分が側にいられない時、エミリーは不安を覚えながらも自分だけはずっとフリットの味方でいようと決めていた。

そんなエミリーの決意が込められた願いは、フリットが間違ったことをしようとしていたら止めて欲しいということ。それと、フリットに譲れないものがあった時は肯定して欲しいということだった。
とても単純なことであった。それなのに、彼女は分かってくれない。

『時間が無いんです!司令!』
『私のことは気に掛けなくていい』
『そんなことを出来るはず、』
『いいんだ。私は、待つと決めた』

ダウネスは既に半壊していた。中からの破壊に成功したのだと見て取れる。だが、この状態にある要塞の中から脱出するのも不可能であるとしか言いようがない。AGE-2はロストしていないが、それも時間の問題だった。
戦争とは必ず犠牲者が出るものだ。そう割り切らなければやっていけないとミレースは今まで軍に身を置いてきた。だからこそ、犠牲者を最小限に抑えることが自分の使命だと。

『司令!』
『お願いだ。放っておいてくれッ』
『放っておくって、そんな…』
『もう…失いたくない』

言葉に詰まるミレースにブリッジクルーの視線が注がれるが、視線の先はフリットの声だったのかもしれない。

『失いたくないから、守ると決めたんだ。なのに、』

そこから続く名達はミレース以外の者には誰一人として知らないものばかりだったが、聞く者誰もが息を詰める声だった。
そして、グルーデックの名にミレースはやはりそうかと目を閉じた。
あの日のフリットの様子を見て何もしないでいられるミレースではない。“ソロンシティ”で起こった事件については直ぐに情報を得られたが、死傷者がいたということしか判らなかった。既にフリットが手を回した後では詳細を探るのは難しいと一端手を引いた。
それでも、憶測はあった。それが的中してしまっただけのことだと思うのに、ミレースは瞼の裏が熱くなってくるのを止められなかった。

『あの人まで失ったのにッ』

フリットはまた大切な人を失う。思い出になる時間さえ与えられずに。

『あの子は、僕とあの人の……ッ』

代わりなんてものが存在しない、一つの命だった。神様がいるかいないかは判らない。だが、確かに二人が授かった命なのだ。

アリーサはアデルをディーヴァに着艦させてからもずっとフリットとミレースの通話に耳を傾けていた。
隊長であるウルフはもういないのだと実感し、やり残したことがあるのにと両の手を音がしそうな程握りしめた。

視線を拳に落としたことでアリーサはあることに気付く。
近郊宙域を示すモニターの中でダウネスから飛び立つモビルスーツが二機。片方はAGE-2であることを示す表記が出ていることにアリーサは手に込めた力を緩めた。

ゼイドラの後に続き、AGE-2は深淵の宇宙に出た。
けれど、間もなくして大気圏に吸い込まれるようにして機体が赤く染まっていく。

『アセム!』

母の声にアセムは意識を跳ねさせた。
AGE-1はAGE-2に近づき、抱きとめる。それは、母親が我が子を大切に抱きしめる姿であった。

ガンダムの装甲は大気圏突破を可能としているが、それは理論上であって実際にやったことなど今までにない。
だから、ディーヴァに帰艦せずに希望を待っていたフリットはダウネスから飛び立つAGE-2の姿に駆け出さずにはいられなかった。
アセムだけは絶対に無事に大気圏を脱して欲しいと、優しく抱きしめる。
彼らと離れた場所まで飛ばされたゼハートであったが、二機のガンダムの姿は見て取れた。

「…良い母親じゃないか」

そう自然に口に出来たことは嫌ではなかった。
失うとは、それと同時に悲しみを生んでいくものだった。この戦いの中でどれだけの悲しみが積み重ねられたのだろうとゼハートは思い、自分もこの大気圏の中で失われる運命かと息を吐き出した直後。
ゼイドラを支える機体があった。ゼダスMだ。

ドールからの通信にゼハートは言葉を失う。ゼハートは今までにもたくさんの部下を失ってきた。司令官として自分は力不足だった。
そして、また、それを実感させられる。

失うのだ。

楽園のために再び目覚めるまで、ゼハートはその思いを忘れることなく胸に散った者達の名を刻み続ける。







ディーヴァの現在位置を確認したアセムはコクピットから降りて、近くの岩肌に足を付けるとヘルメットを外した。これが地球の重力であることを実感するよりも先に燃え上がるような金と赤の夕日に目を奪われる。
自分の側に立った母親を振り仰げば、フリットもまたヘルメットを腕に抱えて朱の空を静かに見つめ続けていた。

水平線に太陽が飲み込まれていく情景の中、アセムの視線に気付いたフリットは息子と真っ直ぐに向かい合う。
フリットはアセムの頬を片手で包み、小さく撫でる。子供の頃はさほどそうでもなかったのに、最近になって目元がウルフに似てきたと感じていた。
やはり似てきていると思って、フリットの瞳が海面に映り込む太陽のように揺れる。

生きている。

「アセム、ここにいるんだな」
「いるよ、母さん。俺、ここにいる」

頬に触れている母の手の上に自分の手を重ねてアセムは生きていると微笑んだ。フリットも微笑み返したが、表情を変えたことで太陽の色と混じるコバルトグリーンの瞳から零れるものがあった。
うれし涙でないことぐらい、アセムにも分かった。
自分を見つめる母の瞳が自分ではなく、別の誰かを見ていることも。

フリットに訊きたいことがアセムにはたくさんあった。けれど、今、それを訊くことは出来なかった。何から話せばいいのか分からなかったからではない。
ウルフの名を何度も呼びながら涙を流し続け、此方の身を震える両手で抱きしめてくるフリットにアセムは何も言えなくなったのだ。
痛くて、切なくて、初めて見る涙だった。

泣くということに全てを注ぎ、立っていることも出来なくなったフリットは地面にゆっくりと座り込んでしまう。アセムを抱きしめる瞬間に零れ落としたヘルメットが足にあたろうが構いはしなかった。
膝をついてアセムはフリットの涙を自分の胸で受け止める。
若草色の髪を撫でるべきかとも思ったが、それは自分がしていいものではないと母の肩を抱くに留めた。

日が沈み、宇宙の中で見る星空とはまた違う空にだけ浮かぶ星の下。
水面に落ちた損傷の激しいガンダムと戦闘で得た傷以外に目立った損傷のないガンダムが互いを受け止め支え合っていた。












手の中のペンダントに視線を落とし、フリットはそれを大切なものを扱うように両手で握る。願うように胸に置いて、真っ直ぐに蒼い海と空の境目を見た。
胸からペンダントを放して、それを投げた。綺麗な放物線を描いて空を舞った銀色は海底に飲み込まれていく。
暫く海を眺めていたフリットの背後に人影が立った。

「良かったんですか?」

投げ捨てた瞬間を見ていたミレースがそう尋ねれば、フリットは僅かに振り返り、頷く。

あのペンダントはウルフが今まで所持していたものだった。
地球に降りたら埋めてやりたいと言っていた。彼は言葉を濁していたが、そのペンダントをアンバットの要塞での戦闘の後、手にしていたのをフリットは記憶している。だから、元々はヴェイガンの人間が持っていたものだということにも勘づいていた。

正直なところ自分はまだ割り切れていないが、物に罪はないのだと言い聞かせて彼の願いを引き継いだ。はっきりと言われたわけではないが、もしもの時はお前に託したいとそのようなことを言っていたから。
初めて見た地球の中で一番に綺麗だと思った海ならば、あのペンダントも安らかに眠れるだろう。

視線をまた海に戻すフリットを見遣り、ミレースは海風で乱れる髪を押さえる。

「少佐の遺品。手続きしないと処分されますよ」

軍のデータ上ではウルフに近親者はいないことになっている。
フリットと婚姻は結んでいないからであること。それと、彼は両親の反対を押し切って連邦軍に身を置いたことから親子の縁を切られていた。

ウルフが“トルディア”の家を出て行ってから、フリットは彼に気付かれないようにアセムとユノアを連れてウルフの両親を訪ねたことがある。一度だけしか行っていないが、話を聞いて貰えずに追い出されたわけではない。
ウルフの父親は少し頑固であったが、二人ともアセムとユノアのことを抱き上げてくれた。優しい祖父母の顔をしていたとはっきり記憶している。
もう一度訪ねに行っても良いだろうかとフリットは誰に訊くでもなく、胸にその気持ちを湧き上がらせた。

ミレースの言に分かっていると海を見つめたまま頷くフリットに、ミレースは表情を歪める。
それだけでは既に手続きを済ませたのか、これから手続きをしようとしているのか判断がつかない。投げ捨てた物がウルフのものであったならば前者ではあるものの、ミレースにはそこまで分かる材料が無い。
遺品管理は自分の仕事ではないからと、ミレースは先の戦闘で失った人員を数えようとして、やめた。

生き延びても精神的に参っている者が多く、艦から出ようとしない者ばかりだった。
ミレースも外に出たい気分ではなかったが、フリットの姿を見掛けて追いかけてきたのだ。地球に降りてから、まだ彼女が言葉を口にしているところを見ていないからだった。
案の定、彼女は何も喋らない。

距離を詰めようとするミレースにフリットは海を背にして心配いらないと微笑みかけて、彼女の横を通り過ぎて艦に戻っていった。







遺品整理の途中でペンダントを見つけたフリットは、もう一度ウルフの部屋を訪れるために通路を進んでいた。
だが、ウルフの部屋の前に背を預けているアセムに気付けば、アセムもフリットに気付く。踵を返そうと立ち止まったフリットだが、そうではいけないのだろうとそのまま前に進んだ。

何をしているんだと視線で問いかけてくるフリットにアセムは威圧を感じるが、何か変だとも思う。

「此処にいれば、母さ…司令が来ると思ったんです」

いつか、こういう日が来ることはフリットも覚悟していた。ただ、ウルフがいない状況で迎えることになるとは思っていなかったけれど。
フリットは着いてきなさいと仕草で示して歩き出す。アセムは少し戸惑いながらもフリットの後を追い、彼の足下にいたハロも二人を追いかけてくる。

展望室の腰掛けられる場所に並んで座った二人は、目に映る青を眺めていたが、やはり何か変だとアセムは再び感じて恐る恐るフリットに尋ねる。

「もしかして、声、出ないんですか?」

気付かれたなと静かに頷くフリットにアセムは昨日あんなに泣き叫んでいたのだから無理もないかと納得する。
ならば、今色々訊くのはフリットにとって辛いのではないかと思えば、それが表情に出てしまっていたのかフリットはアセムの手を握り大丈夫だと伝える。
母の手を握り返したアセムは分かったと訊きたいことを口にしていく。

「ウルフ隊長が、俺とユノアの父親なの?」

フリットは膝の上のPCモードになっているハロに文字を打ち込んでいく。

『そうだよ』

受け止め、アセムは真実なんだとフリットの手を握っていない方の手を強く握りしめた。

「どうして…直ぐに教えてくれなったの?」
『あの人が自分で言いたいって言ってたから。私も、怖くて言い出せなかった』
「怖いって、何が」
『アセムは優しいから、お前にとって重荷になると思った』
「そんなこと…ッ」

フリットはアセムがどのように育ってきたかちゃんと見てきた。自分の気持ちをあまり言葉にしないことも知っているし、それを自分の中だけで抱え込もうとすることも。

『ごめんなさい』

その言葉にアセムの胸がぎゅっと締め付けられた。
謝って欲しかったわけじゃない。そうじゃないんだとアセムは視線を落とす。
だって、謝らなければいけないのは。

「俺のせいだ。俺があの時前に出なければ、隊長は」

ゼハートにああ言われはしたが、アセムは自分を責めることしか出来なかった。ウルフはそう望まないとしても。
自分のせいだと思うのは逃げるということと同意なのではないかとアセムは思う。だから、教会で罪を懺悔するようなものだった。

自分のせいだと自らを責めて、受け入れられない事実を正当化しようとしているのではないか。そうであるから、自己犠牲に酔っている自分は罪深いのだと。
だから、アセムは叩(はた)かれた頬の熱を受け入れた。
立ち上がったフリットの表情は怒っていたが、悲しそうだった。それだけがアセムには良く分からなかった。

「お前の命はお前だけのものじゃない!」

立ち上がった拍子にハロは通常モードに戻り、床を転がる。
フリットは声が出たことに気付くが、それに構うことなくアセムに言葉を重ねていた。

「あの人が守ったのはお前だけじゃないんだぞ!お前に救われる人、お前がこれから守っていく者達全てだ!」

そこまで言い切ったところでフリットは自分の声を取り戻すのはやはりウルフなのだと思った。

フリットは言葉が出にくくなっていることを自覚していた。前はどうやったら声が出るようになったのかを思い返してみれば、切っ掛けはウルフのことだった。
気付かせてくれたのはユリンだが、あの日以来、夢の中でユリンと出会うことはなかった。過去の残留を見ることはあっても、今の自分と言葉を交わすことはない。
きっと、ウルフもそうなるのだろう。

声が出ないのは一時的なものであろうとフリットは感じていたが、ウルフがいない今、どうなるか判らないという不安もあった。けれど、ウルフが声を出させてくれたのだ。
ウルフの言葉は今もフリットを支えている。彼を記憶にするにはまだ色んな事が明瞭に残っていたけれど。

母の言葉にアセムは自分の周囲と後ろにも誰かがいるのだろうかと考える。
ウルフの背中しか見えていなかったアセムには気づけなかったことだった。だから、アセムはまた客観的に自分自身を見つめ直すことを求められた。

「アセム、お前が自分のせいだと責めることを私は否定しない。けれど、大事なことを見落とすようなら、そんな考えは認めない」

有無を言わせない声ではなかったが、静かに諭すように語りかけてくるフリットにアセムは素直に頷けない。
それでも、フリットはそれ以上は言わずにもう一度アセムの隣に腰を下ろした。ゆっくり考えてくれればいい。アセムに失うことの悲しみを知って欲しくなかったのに、そう出来なかった自分が与えられるのはそれだけだからと。

「母さん、声」
「うん」
「…ちょっと嗄れてるね」
「そうだな」
「………」

アセムはどうやって言葉を続けようかと訊きたいことを頭の中に並べるが、ウルフが父親だとはっきりすれば他のことはそれほど重要ではないように思えてきた。
少し掠れているが、会話を交わすことに支障はない様子のフリットに訊ねるのを億劫にする必要はないはずなのに。

母親相手に何を話せば良いのか分からないっておかしいだろうとアセムが悶々と頭を悩ませていれば、右肩にぽすんと寄りかかる小さな重みにそちらを見遣る。
思った通りだが、フリットは目を閉じて夢の世界に旅立っていた。
あまり寝ていないのだろうかと思いつつも、アセムはフリットを起こそうとした。だが、右腕を抱き枕のようにして抱きしめてくる手に言葉を失う。
寝ぼけているのか、それとも癖なのか。いずれにしても、寝言を耳元で聞いてしまえば、ウルフ相手にフリットがこうしていたのは明白だった。

この居たたまれない気持ちは何だろうとアセムが視線をフリットから外せば、展望室のドアが横にスライドして来客を知らせる。
ばったりとアセムと目を合わしたロマリーとアリーサは固まるも、ロマリーが先に口を開いた。

「あっ、ごめんなさいッ。お邪魔しちゃって」
「母さんだから!ロマリー、この人俺の母さんだから!」

飛び出していこうとするロマリーの首根っこを捕まえたアリーサはああもうややこしいなぁと頭を掻く。ロマリーを引っ張りながら展望室に足を踏み入れたアリーサはロマリーをアセムの隣、彼にとって左側となる場所に座らせた。
戸惑うロマリーと目の前に立つアリーサを交互に見てアセムは口を開く。

「二人が一緒って珍しいよな」
「たまたま出会してさ。外の空気吸いたいけど地球に降りるのもあれだろ」

重力とかコロニーと違うだろうしとアリーサは続け、それで外の気分が味わえる展望室に来たというわけだった。
アセムへの説明はこれで十分だったが、アリーサはそれにしてもとアセムの肩に寄りかかって眠っているフリットに視線をちらりと移す。

「で、アセムは何で母ちゃんといちゃついてんだ?」
「だから違うって!」

違う、断じて違うと首を横に振るアセムの表情は必死でアリーサはお前焦りすぎだろと肩を震わせて笑う。
けれど、フリットが目元の赤みを化粧で誤魔化していることにアリーサは気付き、アセムはそれに気付いていないのだろうな、とも。自分が目聡いだけなんだろうとアリーサは胸の内で言って、そこには触れずにアセムを弄っているにすぎない。

「隊長のこと、訊いてただけで」

言葉尻が小さくなっていくアセムにアリーサは自分もまたウルフのことを思い出す。女の自分にもアセムやマックスと変わりない訓練を強要する風狂であったが、他の部下達と同列に扱ってくれたことは嫌ではなく、むしろ有り難かった。

その隊長がアセムの父親だったのだ。自分はアセムより少しだけ早くその事実を知ったが、オブライトにアセムには言うんじゃないぞと念を押されたので素知らぬふりをしてきた。
どちらかというと口が軽い方に分類される自分が口を閉ざし続けてきたのは奇跡だが、今になってその事実を言わずにきたことは正しくなかったのではと思う。

「ごめん、アセム」
「え?」

何で突然謝られるのか見当が付かず、アセムはどうしたんだよと戸惑いながら口にした。

「あたしさ、隊長がアセムの父親だって知ってたんだ」

アセムだけでなく、ロマリーもアリーサのことを見上げた。何時からとアセムが視線で訴えてきているように感じてアリーサは言葉を続ける。

「ビッグリングに着いてすぐ。あたしも偶然知ったというか、見ちまったっつーか」

言葉を濁し気味に視線を誰も居ないところに向けて頬を掻くアリーサに、アセムは彼女も自分と一緒で二人のそういう場面を見てしまったのだろうことは想像に難くなかった。

「俺も心当たりがあるから、いいよ」

ロマリーだけが首を傾げていたが、アセムとアリーサは彼女には言わないでおこうと互いに視線で会話して頷きあった。
少し疎外感を感じてしまったロマリーは視線を落とし、アセムを見上げようとしたところでフリットの姿を視界に入れて、思った。大気圏突入前の思いの丈が司令の本心なのだと。

アセムと同じ学園に通っていたとしても、同じブリッジに身を置いていたとしても、フリット本人と話す機会は全く無かった。
指示を出す姿も軍人らしく口答えさせない強さがあって、ロマリーはその声が自分に向かっていなくても肩が跳ねるほどだった。
ずっとそんな人なのだと思っていたけれど、司令もアセムと同じように優しいのだと知り始めた。

「私、アセムのお母さんみたいに歳をとりたいな」

ぽつりと漏らしたその言葉にアセムとアリーサがまじまじとロマリーに目を向けた。そんな二人にロマリーは何か変なこと言ったかなと目を瞬かせる。

「まぁ、あたしも分からなくはないかな」
「そうなのか?」

ロマリーに同意するアリーサにアセムは首を傾げる。

「だって格好良いだろ?軍に志願したって女はやっぱり家を守ることが第一になっちまうのに、連邦軍の総司令までいったのお前の母親だけだぞ」
「それに、綺麗だよね。アセムのお母さんは」

更に年齢を感じさせないこの容姿ときたものだ。実績共々憧れている女性は多いはずだとアリーサは思う。

そういうものなのかとアセムが傍らのフリットを見遣れば、何事かを呟いて瞼を震わせたフリットはうっすらと目を開けて「ん?」と此処は何処だったかと思考を巡らす。が、三人分の視線が自分に集中していることに何なんだと辺りを見回す。すれば、自分がアセムに抱きつくようにして身を寄せていたことに気付いて驚く。
ぱっとアセムから手を放して立ち上がったフリットは平常心とは心理状態を揺るがせないことであるとやや説明的に自分に言い聞かせて「今は何時だ?」と問いかける。
足下に転がっていたハロが時刻を発したが、それはグリニッジ標準時刻である。地球上の今此処にいる地帯の時刻とは違ったが、フリットはハロが発した時刻から実際の時刻を割り出す。

時間そのものよりも、ディーヴァを収容出来る連邦基地との連絡や、“ノートラム”周辺に残る艦隊らへの指示もフレデリックに任せきりになっていることが重要だった。彼に任せておけば間違いはないだろうが、それでは示しが付かないとフリットはあの人の部屋の整理は後でゆっくりやろうと決める。
そこで寝ている間の夢の内容を思い出して、「寝言とか言ってないよな」とぼそりと言いそうになってフリットは何でもないと取り繕う。アセムにそう尋ねて返ってくる答えが身に覚えのあるものであったら自分は引きこもりかねないからだ。

「私はブリッジに戻る。伍長らは身体を休めておくように」

分かったなと訴えかければ、アセム達はぎこちなく頷く。フリットは三人の様子にやはりばつが悪いと赤くなってくる顔を見られまいと足早に展望室を後にした。

「隊長が司令のこと好きなの何だか分かった気がする」
「私も。なんか、可愛かった」

二人の発言にアセムはどういうことなんだと聞き返したかったが、男としてそれは間違っていると誰かに言われたような気がして口を開かなかった。
ただ、母親の先程の様子には首を傾げたけれど。





























◆後書き◆

家族ってこういうものでしょうかと思いつつ書いてみました。
フリットがお母さんというよりヒロイン枠すぎて若干アレな感じになってしまったようにも思いますが(汗)
まあ、フリットはウルフのものなので、アセムにはあげません!

Hoffnung=希望

更新日:2012/09/02








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