◆振り落とし◆









大きなスポーツバックをベット脇に重たい音をさせながら置いたアルトは疲れたように二段ベットの下に腰を下ろした。
そんな同居人を見てミハエルはそんなに重いのだろうかとアルトが先程まで手にしていたスポーツバックを一度だけ持ち上げてみる。

「重いな」

「女物の着物だからな」

ミハエルは一度眼鏡の奥の翡翠を瞬きさせてから、アルトを凝視する。
その視線はアルトにとって居心地が悪く、彼は半目でミハエルを見やった。

「なんだよ、何か文句あるのか?」

「姫は女扱いされるの嫌いなんじゃなかったけな?」

疑問に疑問を返せば、アルトは嫌な所をつかれたという顔を示し、ミハエルはにこりと笑う。
女性に間違われることが多々あるアルトにとってそれはもうコンプレックスでもあるのだが、歌舞伎という世界で女形をやってきた分、女扱いされることには慣れていた。本人の意思とは関係なくということを踏まえてだが。

「男物の着物で行っても問題ないが、それを向こうは望んでないから仕方なくだ」

「仕方なく、ねぇ」

ミハエルは呟いてアルトに視線をやったが、彼はこの話はもうお終いだとばかりにベットに横になってしまった。

スポーツバックを見下ろしたミハエルは寮に帰ってくる前、即ち学園で学業に励んでいたときにこのスポーツバックを送り届けに来た矢三郎のことを思い出して眉をぴくりと動かす。
来るなら来るで周りに迷惑が掛からなそうな昼休みに来ればいいものを、矢三郎は航宙科の実技授業中にやってきてアルトに着物の入ったスポーツバックを手渡して、そのまま帰らずに授業を見学。
EX-ギアで飛び立つアルトを眩しそうに眺めていたので、連れ戻すのは諦めたのかと思いきや、矢三郎はアルトの姿が見えなくなった時を見計らったように教師に何事かを話し掛けていた。

空を飛んでいるので彼らとかなりの距離が空いていたが、ゼントラーディのゾラの血を引き継いでいるミハエルの視力は良好ではなさそうな二人の表情をはっきりと確認して溜息を吐く。
おそらく、というより百パーセントの確率でアルトを芸能科に戻してくれだの戻さないだのの話をしているのだろう。
帰り際も何かアルトに一言声を掛けていたのが、ミハエルには面白くない。アルトも微笑していたことから、歌舞伎の話で無いことは歴然だが、アルトが心を許しているという時点で自分の調子が狂う。

「はあ」

溜息を落とせば、それを聞きつけたアルトが顔を上げてミハエルの様子を伺ってくる。

「疲れたんなら寝たらどうだ?今日は非番だろ」

「身体は疲れてないんだけどな」

「・・・・・・」

無言の反応に今度はミハエルがアルトの様子を伺えば、彼はこれまた微妙な表情を作ってミハエルを見返した。

「女の子とヤるほど体力があるって意味で捉えただろ、姫」

また返事は無かったが、そっぽを向いたアルトに正解かと納得したミハエルは口元に笑みを浮かべてアルトのベットに乗り上げた。
突然の乱入者に驚くアルトに先手必勝とばかりに彼の両手首の自由を奪ったミハエルはアルトに馬乗りになって見下ろす。

「否定はしないが、さっきのはそういう意味じゃないことだけは言っておこう」

「この状況だと信じられないな」

「それじゃ、本当にしてみるか?」

「え」

大きく目を見開くアルトに自分が優位に立っていると実感したミハエルはこれから始めますかというところでゴン、という音を響かせる。
下段ベットの天井、つまり上段ベットの下に頭を打ちつけたのだ。
如何せん、二段ベットというのは夜の営みには使いにくい代物である。

「大丈夫か?」

押さえ込まれていた両腕が自由になったアルトは頭を押さえて声にならない声をあげているミハエルに問い掛ける。

「お前の言う通り疲れているのかもしれないな、シャワールーム行ってくる」

「あ、ああ」

アルトの上から退いたミハエルは少しふらふらした足取りで部屋を出ていき、閉められた扉にアルトは溜息を落とした。
ミハエルがベットに乗り上げてきた時に感じた高揚感を隠すように。
何かを期待していた自分の感情さえも隠したかった。

ふと目に入ったスポーツバックの中身を開けたアルトはそれを手に取り、明日はこれを着るのかと、どこか他人事めいたことを思う。
化粧道具は既にボビーからいくつか借りてきているし、必要なものは全て揃っていると確認する。
自分に化粧を手伝わせて欲しいと言って来たボビーを回避するのに苦労したことを思い出してアルトは苛つき、またベットに横になった。

















翌日、休暇願を事前に隊長であるオズマに届けていたアルトは訓練に出ているミハエルやルカ達とは別行動で自室に残ったまま、自ら化粧と着物の着付けを済ませる。
時計に目をやればまだ時間はあるなと確認し、鏡の前で最終確認。

髪型はいつもと同じでは無いほうが良いかと思い、髪紐を解いてどうするか悩んでいるとS.M.Sの携帯が鳴り、開くとまだ出掛けていなかったら格納庫まで来るようにとのメッセージが届いていた。
出掛けていなければとあるのだから緊急ではなさそうだが、時間に余裕はあるアルトはそのまま外に出掛けていけるように和物の手荷物を持ち、そのままの格好で格納庫を目指して部屋を出る。
歩く道すがら、異様なまでに視線を感じていたアルトたが、女物の着物を着ているからだという自覚はあったので視線を気にせずに格納庫まで足を運んだ。

真っ直ぐにスカル小隊が集まっているところまで歩み寄れば、目を瞬かせるオズマと出会し、アルトは口をへの字に曲げた。

「何ですか?その顔は」

「あの、どちら様ですか?」

「あんたが呼びつけたんだろうが!」

アルトはあんまりなオズマの発言に大股で一歩前に出ようとしたが、着物を着ていることで動きに制限があり口だけで大きく怒鳴った。

「隊長、アルトですよ。ほら」

ミハエルがアルトの下ろされた髪をまとめていつもと同じ髪型にしてやれば、オズマは驚いたように目を丸くした。

「ああ、すまん。どこのお嬢さんかと思ってな」

「・・・誰が女だとッ」

「まぁまぁ、姫。隊長は悪気無いんだからさ」

それに、とミハエルはまじまじと上から下までアルトの姿を満遍なく観察する為に彼の黒髪から手を離す。
無造作にだが、さらりと肩に落ちていく髪質に女性には羨まれることだろう。

アルトが着ている着物は深紅で柄は月下美人、彼の黒髪には良く栄える。帯は金色で普通ならば目立ちすぎて出しゃばる色だが、アルトの金目と釣り合って優雅さが全面に出ていた。
何より、下ろされている髪が肩に掛かり、儚げな印象を与える。

「お前、自分で着付けしたのか?」

スカル小隊では唯一女性であるカナリアが興味深げにアルトを見やるので、彼は男より逞しいカナリアでも着物に興味があるのだろうかと失礼なことを思いながらも、頷き返事を返した。

「そうですけど・・・。家が家だったし・・・」

アルトの返答にそういえば彼の実家は梨園の名家だったなとカナリアは納得のいった顔で頷く。
着物に触れるのはアルトも久し振りであったが、身に付いた所作は全て覚えており、着物の着付けの順も迷いなく手早く済ませることが出来た。

「そういや、何の呼び出し何ですか?」

本来の目的を問えば、オズマは歯切れ悪く頷いたかと思うと説明を始める。

「L.A.Iは知ってるな?」

「ああ、ルカの」

「そうだ。そこで新しく開発しているバルキリーのテストパイロットにスカル小隊が選ばれた。お前、今日は何時までに用事が終わらせられるんだ?」

「まぁ、遅くても四時だと思います」

「なら大丈夫だな。六時にL.A.Iの開発部に行くから覚えておいてくれ」

「分かりました」

そう返事を返せば、ルカがおずおずとアルトに歩み寄る。
いつもなら気軽に抱きついたりもしてくるルカにしては態度が控えめであるのは自分の家のことが関わってしまって申し訳ない気持ちとアルトの雰囲気が常日頃と違うからであろう。

「すみません、先輩。今日大事な用事があるのに、時間制限つけてしまって」

「気にするなって。六時には余裕で帰ってくるさ」

「有り難う御座います」

ほっと息を吐いたルカにアルトは苦笑を返し、それじゃあ出掛けるかと踵を返そうとしたところで下ろされた自分の髪が目に入り、そう言えば結っていなかったと思い至る。
どうしようかと右手を一度後ろ手に回し、髪を右首に持っていきながら右肩に流す動作をすれば、周囲の空気が変わったような気がしてアルトは不思議そうな顔をしながら首を傾げた。

「姫、仕草が女になってるぜ」

「マジか?」

ミハエルが指摘してやれば、繊細な動きとは裏腹な言葉が返ってきて、そのギャップに格納庫にいるパイロットや整備士達が肩を落とすやら苦笑するやら。
しかし、いつもならその周囲の目に見せ物じゃないと怒鳴ったり苛立ちを見せるアルトは今回ばかりは周りの反応に全く敵意を見せていなかった。
そこについてはミハエルも疑問を持ち、訝しげに歌舞伎用とは違う薄く化粧をされたアルトの顔を見つめる。

「何だよ」

「いや、大したことじゃない」

「・・・気持ち悪いから言え」

問い掛けるには気が乗らなかったミハエルであったが、催促までされれば自分も気になっていることなので頷き一つで素直に聞いてみることにした。

「視線、気にならないんだなと思ってさ」

「視線?」

「アルト姫は見られるの嫌うだろ?」

「ああ、それは・・・」

ミハエルが此方に視線を送っている周囲を見渡し、釣られるようにアルトもミハエルの視線の先を追えば納得し、その理由を言おうとしたが口を噤(つぐ)む。
素直に答えるかと思っていたミハエルは拍子抜けし、アルトの態度が沈んでいるように感じて疑問に思う。
彼が引け目に感じる何かがあったのだろうか。
その疑問を問い掛ける前にアルトは言う決心がついたようで、いつの間にか俯いてしまっていた顔を上げて口を開いた。

「演じてるんだろうな」

「女形を?」

察しが良いのは有り難いなと、アルトはミハエルに頷いて言葉を続ける。 「着物着ると、何か切り替えちまうみたいで・・・」

言葉尻が小さくなっていくのは、まだ割り切れていないのだと自己嫌悪しているのが分かる。
たが、ミハエルはアルトの言葉の揚げ足を取るようなことはしなかった。
アルトが女らしい雰囲気を醸し出してしまうのはアルトの意志ではないことが大きいことと身体に染みついた習慣と同じように身体が覚えている記憶はどうこう出来るものではないからだ。
だからこそ話題を違う方向へ目を向ける。

「で、姫はさっき何を悩んでたんだ?髪弄ってさ」

「ん?そういや髪型どうしようか決めかねてたんだった」

アルトはまた自分の髪の毛先を摘んで悩み始めると、アルトが手にしていたいつもの赤い髪紐を何気ない動作でミハエルに奪われる。
余りにも自然すぎてアルトは勝手に奪われた文句さえ言えず、ミハエルが一歩此方に詰め寄っても無防備にミハエルの顔を見つめるに留まる。

ミハエルは抵抗のないアルトに無防備すぎて一人で外に出すのは危険だなと思いつつも、これから出掛けるアルトの悩みを解消させるべく彼の艶がかった黒髪に手を触れる。
毛先より十五センチあたり上で髪を束ねて髪紐で結えば、アルトの右肩に流している髪は鎖骨の位置で緩く結われて大人っぽさを醸し出させていた。

















いってらっしゃい




























◆後書き◆

良かった、後編ちゃんと書けて・・・途中危なかったぜ・・・。
前半が当初の予定(妄想)とだいぶ外れてしまいました。

意識していないのに矢三郎→アルトになるミステリー。
二人で嵐蔵さんには茶会のことは秘密でという会話をしていただけだと思います、が。

更新日:2008/08/15





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