◆振りかぶし◆
開封された封筒に目を落としたアルトはS.M.Sの宿舎に割り当てられた部屋の下段ベットに腰を下ろしている。
大統領の愛娘であるキャサリン・グラスからの経由で自分の手元に来た手紙に悩まされること数時間。
手紙を差し出してきたグラスの顔は申し訳なさそうで、裏ルートに近いコネを伝ってきたことが伺えた。
学園の方には一切そういった物が届かないようになっている為、直接学園に来るか、住んでいる場所を特定しなければ文の一つ手元に届くことはない。
相手もかなり試行錯誤した上での文には違いのだが、乗り気になれる現状には程遠くて身体が重くなる。
しかし、だからと言って無視出来る内容でも無い・・・というより、無視したくない。
「何しけた面してるんだ?アルト姫」
隊長であるオズマに今後の調整やらで呼び出されていたミハエルはアルトと同室であり、もともとこの部屋を使っていたミハエルのところにアルトは放り込まれた形なのだが、お互いに異論も無かったのでこの現状が存在する。
彼が突然部屋に入ってくることなんて毎日だ。
しかし、今日ばかりは無防備に構えすぎていたアルトは慌てて手紙を後ろ手に隠したがゼントラーディの血を僅かに引き継いでいるミハエルの視力は眼鏡で全力の力を抑えていてもかなり良好である。
物質的な隠し物をするには相手が悪すぎた。
「お前、今何か隠しただろ」
「いや、別に・・・」
「ああ、分かった。エロ本だろ」
「お前と一緒にするな!」
可愛くない速さで枕がミハエルの顔面めがけてアルトの手から投げ飛ばされるが、ミハエルはいとも容易く枕を片手で受け止めた。
枕に一度視線を向けてからアルトを見やれば、彼は顔を真っ赤にしているものの、それは後ろめたさからくるものではなくてミハエルの発言そのものに怒っている様子だ。
「分かってるよ。姫にはまだ早いもんな」
「・・・癪に触る」
内容が内容なだけに肯定も否定の言葉も出ず、アルトはミハエルから視線を外した。
ミハエルが近付いてくる気配に耳は傾けるものの、頑なに自分の方に顔を向けないアルトにミハエルは微苦笑を浮かべる。
少し虐めすぎたかなと思いつつ、無防備に顔を覗かせている封筒をアルトの手から奪い取った。
「ッ、ミハエル!」
「おっと、ラブレターかな?」
反射神経並みの動きでアルトがミハエルに奪われた封筒に手を伸ばすが、ミハエルはそれを上回る素早さで避けて封筒から手紙を取り出した。
ベットから腰を浮かしたアルトは別にいいかと再びベットに腰を下ろす。
見られたからといって不味いものではないと判断し、ミハエルなら見ても書いてあることに従えと言わないとも付き合いから知っている。
手紙の内容に目を通していたであろうミハエルはベットに座っているアルトを無表情に見下ろした。
「達筆すぎて読めん」
「返せ」
ミハエルが辛うじて読めたのは最初の『早乙女有人様へ』ぐらいだ。
実際はそれも読める字ではなく、半分予想でもある。封筒に宛名が無いので手紙の冒頭は送られる相手の名前を初めに書くであろうという。
「何が書いてあるんだ?」
手紙を折り畳んだだけで封筒に戻さないままアルトに返せば、アルトは一度読んだ手紙を確かめるように開く。
「立女形から茶席の出席願いだよ」
「立女形ってお前の親父さんじゃないのか?」
「あの人は早乙女の立女形。この手紙送ってきたのは別の一座の立女形だ」
自分の父親を「あの人」呼ばわりのアルトに苦笑しつつ、ミハエルは他の一座にもアルトの知り合いがいたことに少しばかり驚く。
それほど歌舞伎に詳しいわけではない、と言うより、役者だったころのアルトの交流関係を知らなくても当たり前なのだろうが、暗い顔をしているアルトを目の前に胸の奥が降下していくような気がした。
「その茶席に出るのか?」
「・・・・・・迷ってる」
「お前らしくないぜ。歌舞伎はもう辞めたんだろ」
「上下関係がどうのこうのならもう割り切ってるよ。ただ、この人三年前から殆ど床でふせってる状態でさ」
「お見舞いか?」
「まあ、そんなとこ。手紙送って来るくらいだから最近は調子良いのかもしれないけど」
縁起が悪いかもしれないが、もしその人が亡くなりでもしたら今のアルトは葬式にも出られない可能性は高い。
ばったり父親と鉢合わせようものなら最悪な結果しか残らないだろう。
勿論アルト本人も行くつもりは無いだろうが、気持ちの問題だ。
「なら、様子だけ見るつもりで顔ぐらい覗かせて来ればいいだろ?」
「意外、だな」
きつい一言でも来るかと思いきや、ミハエルが案外あっさりと行ってもいいんじゃないかと言ったことにアルトは金目を僅かに見開いて驚く。
そんな視線を受けてミハエルは両手を肩ぐらいの高さに挙げて肩を竦めた。
「俺だって鬼じゃないさ。世話になった人の様子を見に行くのは人として当たり前だぜ」
「そっか」
何か吹っ切れた様子のアルトにミハエルは微笑した。
しかし、行くことを決めたら忙しいのは当日だけかと思いきや、アルトは携帯であるところに電話を掛け始める。
何やら話し込み、以前美星学園に来た矢三郎の名にミハエルの眉がピクリと動いたが、電話に集中しているアルトは彼の様子に気付かないままだ。
電話を終えてからアルトは一息吐く。必要なことだけで話を済ますつもりが何かと矢三郎が引き留めようとするので少しばかり強引に通話を切った。
「何の電話?」
少しばかり硬い声にアルトは首を捻りながらミハエルを見返した。
「茶会の正装は着物だから、兄さんに持ってきてもらうように頼んだだけだけど」
「ふーん」
「ミハエル?どうしたんだよ」
「いや、何でもない」
ミハエルはそう言うと自分の定位置である二段ベットの上に上がり、両手を頭の後ろに組んで仰向けになる。
胸に渦巻く影が霧を作っていた。自然に消えていくのを待つしかないかと瞼を閉じたが、ギッという音にゆっくりと目を開けば、二段ベットに膝をついて乗り上げてきたアルトが視界に入る。
何も言わずにアルトの出方を瞳で問い掛ければ、アルトは金色の瞳を一度彷徨わせた。
だが、決心が付いたのか、両手をミハエルを挟むように枕元の横につかせて顔を覗き込む形をとる。
眉尻を下げたアルトの表情にミハエルは息を飲んだ。
ただ音も無く近付いてくる唇にハッとなったミハエルはアルトの両肩を掴んで止めさせた。
肩を掴んだまま上半身だけを起き上がらせれば、アルトはミハエルの側に座り込むしかない。
「アルト、違うんだ」
「何が?」
平然と言ってのけたアルトにミハエルの背中を冷たいものが這い回った。
胸の影も濃くなり、腹の底に沈んでいくような感覚が錯覚とも現実とも判断出来ない。
「違う。欲しいわけじゃない」
こんな形で。
真っ直ぐに翡翠の瞳で金目を見据えれば、アルトは俯く。もともと長い前髪が邪魔をしてアルトの表情はミハエルから見えなくなった。
しかし、アルトの手がミハエルのS.M.Sのジャケットの袖を弱々しく、それでも力強く掴む。
「言ってくれねぇと、判らないだろうが」
「その言葉そのままお前にそっくり返す」
「テメェッ」
いつものように睨んできたアルトにくすりと笑うとミハエルは掴んできていないアルトの手を取りそのまま引き寄せて抱き締めた。
アルトは肩を震わせて驚く態度を見せたが、拒むか受け入れるか悩んでいるらしく身体に力を入れたり無くしたりを繰り返す。
その時間を有効に使うことにしたミハエルは視界に映る自分のものとは形の違うアルトの耳にターゲットを決めた。
更に抱き寄せれば、アルトの耳に自分の口元が引っ付くほどの距離になり、小さな息を吹きかければアルトの身体が面白いほど跳ね上がる。
「次は上手く誘えよ」
「うなッおまッ!!??」
低く呟くと、アルトは意味不明な声を発して自分の耳を片手で押さえながらミハエルを突き放した。
顔を真っ赤にして天敵を威嚇するような鋭い目つきをするアルトにミハエルは口元を自分の手で覆って笑う。
元に戻ったことに安堵し、まだ踏みだして変わってしまうことが恐い。
今のままで変わること、自分のままで変わることがこんなにも難しいだなんて思いもしなかった。
君のままで変われば良い
◆後書き◆
多分前編。後編は「振り落とし」というタイトルになる予定です。
一気に書こうかと思っていたのですが、なんか区切りが良かったので。
最後の大きい一文は仮/面/ラ/イ/ダ/ー/アギトのOPのワンフレーズから。
良い曲です。
こういう考え方もあるんだなと救われた記憶があったりなかったり。
更新日:2008/08/04
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