◆浅葱幕◆
とある件からアルトがミハエルを「ミシェル」と愛称で呼ぶようになり、美星学園の航宙科のクラス内では彼らに好奇の視線を送っている者がしばしば見受けられた。
誰もが思ったことを内に秘めるタイプというわけでもなく、好奇心旺盛な者はアルトやミハエル本人に直接聞いたり、二人と仲が良く後輩にあたる高等部一年のルカから事情を聞きだそうとした者も一人や二人ではない。
そのうちそんな好奇な目も時間が経つにつれて消えて行くであろうが、その時が訪れるのはもう少し先かもしれない。その証拠に今日も教室の窓際の席から空を眺めていたアルトに声を掛ける者がいた。
「早乙女、洗いざらい吐いちまえよー」
「そうそう、楽になるからさ」
肩に二つの腕が交差してのし掛かり、アルトは眉を嫌そうに潜めた。
声を掛けてきたのはパワーグライダーで同じ班の内の二人であり、クラスメイトでは良く会話をするほうである。
「いい加減にしろ。別に大したことじゃない」
アルトは腕を払いのけて、二人を睨み付ける。しかし、二人は連れないなと少しばかり肩を竦ませただけで再び尋問紛いの問いかけを始めた。
「お前ら結構仲良いほうなのに、ずっとミハエルって呼んでたから気になるわけよ」
「何があったか詳しく知りてぇな」
肩に置かれた手を鬱陶しそうにまた払いのけたアルトは本当にいい加減としてくれと大きく溜息を漏らす。
実際、アルトの中でミハエルの存在意義が変わったところなど殆ど無いのだ。
変わっていない。そう、変わっていないはず。
ミハエルの過去に何があって、彼の姉のことを間接的に聞いただけなのだ。それについて自分なりに思うところがないというわけではないが、口に出来る内容でもない。
だからこうやって周りの声に黙秘を決め込んでいるというのに、当たり前のことだが相手が気付く素振りはない。
「どうだっていいだろ?お前らだってミシェルって呼ぶじゃねぇか」
「それとこれは別だ」
「一緒だ!」
一方的に叫んで席を立ち、会話を終了させるがお決まりのパターンになりつつある。
そして今日もこの話は終わると思っていたのだが、違った。
顔に似合わず口の悪いアルトは少しばかり近付きがたいイメージを女子生徒に持たれており、彼女らはどちらかというとミハエルと話していることが多い。勿論、ミハエルからお近づきになろうとしている節は否めないが。
そんな女子生徒三人に道を塞がれてしまい、アルトは怪訝な顔を露わにした。
「早乙女君!私達も聞きたいの」
真ん中の女子が前に乗り出して瞳をキラキラさせながら一心にアルトを見つめる。
「・・・ミシェルに聞けよ」
誰かが「ミシェルって言った」と言うのが聞こえたが、無視だ。
今まで女子生徒の中でそれについて聞かれたのはナナセだけだったこともあり、アルトは頭を掻く。
ナナセは別にと言っただけでそうかと納得してくれたのでそれ以上は聞いてこなかったし、ランカやシェリルにはそこまで知られていないので聞かれてもいない。
「ミシェル君も何かはぐらかしてる感じするし、気になるのよ」
「減るものじゃないし、教えてくれても損しないでしょ!」
両側の女子生徒も口々に言うが、正直なところもう勘弁願いたい。
アルトにとっては言っても不利益なことにはならないが、馬鹿正直に答えればミハエルに被害が及びかねない。
毎日毎日ミハエルにからかわれている自覚は何となくアルトも持っているが、彼は非人ではないのだ。こんな方法で仕返ししたって意味がないことくらい分かっている。
「俺が彼奴を何と呼ぼうが俺の勝手だろうがッ」
「自分は姫認めてねぇのに?」
未だに後ろにいる男子生徒二人をアルトは振り返って睨み付け、拳を握りしめる。
それを視界に収めた二人は両手を挙げて降参のポーズをして見せた。ミハエルほどの反射神経を持っていない彼らはアルトの拳をもろに顔面に受ける可能性が高いからだ。
「誰が姫だ!」
相手が喧嘩腰に出てこなかったことでアルトは拳を解くが、否定を入れることは忘れない。
そのあだ名はミハエルが勝手に呼び始めたことがきっかけで既に科を通り越して学園中に知れ渡っているのだが、アルトはそれを許容した覚えなど一度もなかった。
ミハエルに対しては少し面倒になってきているので気を抜いている時は特に反感せずに話しを聞く態度をとってしまっていることが多々あるのも広まっている原因であろうが、認めたくないところだ。
アルトは舌打ちして、女子生徒達に向き直ると彼女らを暫く座視して言葉を考え倦(あぐ)ねいていたが面倒臭くなる。
「どけ」
アルトが苛ついていると雰囲気で分かった彼女たちは渋々道を空けてアルトを通す。
今日も駄目だったかと誰かの溜息が漏れては教室の雑音に掻き消された。
もう昼休みの時間も残り少なかったが、直ぐに教室に戻る気にもなれずにアルトは廊下にある掲示板に貼られている幾つかのポスターの中で勝手にどうでも良さそうだと思った「痴漢に気を付けましょう」というポスターを剥がし、近くの壁でポスターを紙飛行機に折る。
廊下で飛ばすには狭すぎるので、アルトは屋上へと向かった。
階段を登り、EX-ギアの保管所を横切り屋上に続くシャッターを空けようと思っていたのだが、既にシャッターが空いていたことに首を捻る。
疑問は残るものの、手間が省けたと思い、アルトは外に出ると同時に紙飛行機を青いはずの空に飛ばした。
そして一定の高さで安定を見せた紙飛行機に満足していると聞き慣れた声が耳に届く。
「アルト?」
声の主は昼休みになってから姿を見ていなかったミハエルであり、アルトはようと手を挙げた。
「こんなとこで何してんだ?ミハエル」
「その言葉そっくりそのまま姫に返すぜ」
「その姫ってのやめろ!」
手摺りに肘をかけているミハエルへとアルトは近づきながら吠える。
「アルト姫はご機嫌がお悪いようで」
「誰のせいだ!」
まさしく機嫌は斜め急降下中だ。
ふてくされたアルトの態度にミハエルは苦笑してアルトが飛ばした紙飛行機が屋上の外へ出る前のギリギリで落ちるのを視界で確認する。
落ちた紙飛行機を見つめたままポツリとミハエルは声を漏らした。
「なあ、アルト姫」
「ぁあ!?」
また姫と呼ばれたことに不機嫌な声を放ったアルトであるが、ミハエルの横顔に何かを感じ取り、その後に言おうとした文句を飲み込んだ。
「お前さ、俺と二人きりになると名前の呼び方違うよな」
「そんなことは・・・」
無いという言葉は出てこなかった。
意識して変えているわけではなかったが、どうしてもミハエルと二人きりになるとアルトは「ミハエル」と彼を呼んでしまっていた。
それは自分が故意に変えているわけではないから原因も自分自身では分からない。
ただ、今この場で「ミシェル」と呼べば何かが変わってしまいそうで恐いという感情が引っかかっている。
それも明確に色濃くあるわけではなく、ぼんやりと薄いから余計に理解出来ずにいた。
「ま、アルトが呼びたいように呼んでくれれば別にいいんだけどな」
「はっきりしない男は嫌われるんじゃなかったのか?」
以前、ミハエルが口にしていた良い男の条件とやらを持ち出せば、ミハエルはそんなことも言ったかなとはぐらかす。
しかし、ミハエルがアルトに姫を付けずに呼ぶのは真面目な話か、何かに気付いて欲しいというサイン。今回は後者に間違いないのはアルトも薄々分かっているが、何に気付けば良いのかが判らずじまい。
「ったく、周りの奴らは俺がお前を愛称で呼ぶのに突っかかるは、お前は何で名前で呼ぶんだと聞きやがって災難だ」
「前半は同意するぜ、姫」
「だから姫はやめろって言ってるだろうが!」
「それじゃ、俺と二人きりの時でも愛称で呼べば考えやるよ」
考えるだけで止めないと言うあたり、ミハエルは策士である。
その微妙な違いにアルトは気付かずにそれに食い付くあたりが学習出来ていない証拠だ。
「言ったな!前言撤回は認めねぇぞ!」
「勿論、男に二言はない」
「分かった・・・・・・・ミハエ」
「ミシェル」
ミハエルはアルトを真正面から見据えて催促するようにお手本とでもいう感じに自ら愛称を言う。
じっと我慢強く待っていると、形の良いアルトの口が開かれる。
「ミ・・・ミシェ・・・・・・・・・・・・ル」
だが、アルトはだんだん俯いてしまい、正確に「ミシェル」と呼ぶことが出来ないまま昼休みは終わりを告げる。
「タイムリミット。残念だったな、姫」
「ぜってーいつか言ってやるッ」
何故そんなにも顔を赤くしてまで「ミシェル」と呼べないのかアルト自身理解出来ないままだったが、そんなアルトの様子にミハエルは満足そうな表情を浮かべていた。
ミハエルは「ミハエル」と呼ばれようが「ミシェル」と呼ばれようが特に気にも留めていないのだ。
ただ、アルトが自分を意識していることが分かればそれでいい。
青いはずの空。友人のはずの・・・。
知らなかったフリも見ないフリも戸惑われる
◆後書き◆
消費期限(賞味期限じゃないよ)が一日前のティラミスを食べました、コンニチハ。
腹の調子が少し変だが、ミハアルに萌えてそのことは忘れてみよう。
「ミハエル」→「ミシェル」呼びは結構由々しき自体なので、自分なりに補完です。
周りに誰かいる時は「ミシェル」と呼べるけれど、二人きりだと呼べなくなる姫に萌えてみよう企画でした。(企画?)
更新日:2008/07/23
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