◆羽織落とし◆









この時間ならばS.M.Sのボビーのバーが設備されているレストルームに居るであろうと予測してミハエルはその室内に続く扉を潜った。

案の定、目的の人物はカウンター席に座っており、その隣には元カノ在住。その二人にカクテルを差し出しているボビーは密かにオズマに思いを寄せているからか、眉の位置が少しばかりいつもと違った。
それに苦笑しつつ、ミハエルは目的の人物である我らがスカル小隊隊長オズマ・リーの目の前に後輩のルカから頼まれたディスクを差し出す。

「隊長、ルカから預かってきました」

「おお、サンキュ」

一瞬だけオズマは顔を歪めたが、直ぐにその顔を引っ込めたのでミハエルは特に気にせずにオズマの隣の席に腰を下ろした。
十七歳であるミハエルは成人だが、まだ夜には早い時間なのでボビーにサイダーを頼む。

「それ、早乙女准尉の?」

「お前が理解しろって言ったんじゃねぇか・・・ちょいと不本意だが」

グラスとオズマの会話にミハエルは首を捻った。

「隊長、そのディスク何なんですか?」

彼らの会話からアルトに関するもののようだが、彼の身体能力やバルキリーとの相性チェックならとっくに済んでいたはずである。

「お前さんルカから何も聞いてないのか?」

「ええ、特に急を要するものじゃないとだけしか聞いてなかったですし、機密に触れているようなものならわざわざ俺に預けないでしょう」

「まぁ、気に掛けるようなものでは無いんだろうがな・・・」

少しばかり遠い目をしたオズマにますます首を捻るミハエルは苦笑を漏らすグラスと目が合い、どういうことかと軽いジェスチャーで問う。
彼女は考える素振りを見せ、オズマの手の中にあるディスクを奪い取った。

「あ、おい」

「今から見たって問題ないでしょ。私も見たいし」

「此処に本人が来たらどうするッ」

「その時はその時」

グラスはディスクをレストルームの壁に埋め込まれているディスプレイと連動しているデッキにディスクを差し込み、今流れているシェリル・ノームの歌が終わるのを見計らってから再生する。
コピー禁止だの違法行為は認めないという注意事項が初めに流れている間にボビーがミハエルにサイダーの入ったグラスを差し出した。

「はい」

「どうも」

一度画面から視線を外してグラスを手に取り、口に含みながら視線をまた元に戻した瞬間にサイダーを吹き出さなかった自分を褒めてやりたい。咽せかえってしまったが。
ボビーが心配そうな表情で気に掛けてくれているが、それに片手を挙げることで大丈夫だと示す。

ディスプレイにはでかでかと籠文字で『桜姫東文章』の文字が浮かび上がっている。
これでオズマが何か乗り気でない態度の原因が分かったが、よもやアルトの当たり役であると謳われた桜姫の映像をルカに頼んでいたとは思いもしなかった。

「隊長、何でまた・・・」

「いやぁ、キャシーに言われてな」

頭を掻きながら何やらブツブツ言い始めたオズマにミハエルは溜息を吐く。
昔の彼女の勢いに押されたというのもあるが、確かにアルトの家は複雑だ。

格式は別に高くないとは本人談ではあるが、歴史ある家柄でもある。それ相当の教育を強いられる環境のはずだ。
ただ、アルトは美星学園の中等部から高等部に上がる直前で父親と激しくもめてそのまま歌舞伎の世界からは退場している。

「でも、あいつはもう引退同然ですよ」

「あんな手間の掛かる部下を持つのは初めてなんでな、理解出来ないもんかと思っただけだ」

「確かにじゃじゃ馬姫ですけど」

隊長のオズマからすれば扱いにくい相手であることは想像に難くない。直ぐ頭に血が上るし、と思い出すが、それは半分以上ミハエルがからかっているのが原因だ。
しかし、それを差し引いてもアルトは危なっかしいところがあるのも事実。
彼が三年前に演じた桜姫から何か得られるかは分からないが、オズマなりに部下を心配しているのだと分かり、ミハエルも映像に集中することにした。

ミハエルがこの桜姫東文章を見るのはこれが二度目だろうか。
経緯は忘れてしまったが、舞台で歌舞伎を見たことがあり、それがこの作品だった。

先程まで銀河の歌姫シェリルがゲストの歌番組を放送していた為か、レストルームには何人かまだ残っており、シェリルの出番はもうなかったはずだが最後まで番組を見たかったとブーイングが絶えなかった。
しかし、いつの間にか誰もが画面に食い入って、既に歌舞伎役者の声しか耳に入ってこない。

ミハエルも桜姫東文章の序章には少なからず驚いていた。
物語は長谷寺の僧・所化自久と相承院の稚児・白菊丸の二人から始まるのだが、この二人が男色関係にあることが普通の感性を持っているなら不思議に思うだろう。
しかし、物語が進むに連れてその疑念は無くなると言ってもいい。

心中しようとした二人であったが、死んだのは白菊丸だけであり、彼は「次に生まれてくるときは女になりたい」と願っていた。
その願い通りにことは進み、白菊丸は吉田家の娘・桜姫として左手が開かないまま十七年間生きてきたところまで場面は変わる。
けれど、この二人が相思相愛だったわけではなかった。

自久は修行を積んで清玄と名を改めた後に桜姫と再会し、彼女の左手から出てきた香箱の蓋は白菊丸が握りしめて死んでいったものであると分かり、彼女が白菊丸の生まれ変わりだと知る。
たがこの時、桜姫は一年前に強盗が入ってきた夜に何者かに犯されたのだが、彼女はその男のことが忘れられずにいて赤子まで生んでいた。
その男は釣鐘権助と言い、彼ともまた桜姫は再会する。

清玄と権助の間で桜姫は揺れ動き、翻弄されるシナリオだ。
後に清玄は死に、権助と赤子を桜姫は自ら殺してしまう。
そして彼女は吉田家を再興する道を選び、物語は終わる。

物語も壮絶だが、この桜姫東文章の見所は他の作品にはあまり見られない濡れ場であろう。
過激なものではなく、独吟(どくぎん)の音色に合わせて舞を彷彿させるさせる動きは清潔故に艶めかしさを出すのは困難とされる。
だが、それをディスプレイに映る桜姫は完璧なまでに表現しきっていた。

まさに山場のシーンでミハエルは背後の出入り口が騒がしいと気付き、何となくこの後の予想がついた。きっと大声で叫ぶだろう。

「だあああああ!?」

予想通りすぎて面白いというか、何というか。
周りもその大声に背後を振り返り、ミハエルもまた微苦笑して椅子の回転を利用して背後に顔を向けた。

「遅かったな、姫」

「お前ら何見て・・・」

「姫の晴れ姿」

「バカヤロー」

いつになく暴言に覇気が無いアルトにこれは地雷だったかと思う反面、捨てたのなら関係ないと振る舞うべきだとも思う。
手厳しい意見かもしれないが、ミハエルは冷静に分析しているだけだ。

「いや、その、すまん。アルト」

項垂れているアルトにオズマは声を掛けるが、彼は聞こえているのかいないのかフラフラとミハエルから一つ空けた席に座り、カウンターのテーブルに突っ伏した。

「水」

「はぁい」

くぐもった声を正確に聞き取ったボビーはミネラルウォーターを氷の入ったグラスに注ぎ、アルトに差し出す。
のろのろとグラスを手に取ったアルトは一気に水を飲み干した。
そして撃沈。今までミハエルが組んだトレーニングメニューをこなしてきたアルトは身体の疲労もあり、お疲れだ。

歌舞伎の音さえ聴きたくないのなら直ぐにこの場から去るか、強制的に止めに入りそうなものだがそれもしない。
舞台が終わり、役者や提供のテロップが流れる中で、ミハエルはアルトを振り返るが彼は未だにテーブルに顔を貼り付かせていた。
起きているのだろうと結われた髪の束を掴んでゆるく引っ張る。

「・・・何しやがる」

ああ、起きてると思いつつ、言葉を投げ掛ける。

「逃げないんだな」

「別に嫌いだったわけじゃないからな」

テーブルから顔を剥がしたアルトはミハエルを見返さずにグラスの中の溶けてしまった氷を見つめてそう言った。

「だろうな」

だったらあんな演技は出来ない。
役者の本質をアルトは持っているのだ。

「でもさ、桜姫はどっちつかずじゃないか」

「清玄と権助か?あれはもともと一人なんだよ、最終的に桜姫は家の再興を選んでる」

「もともと一人って?」

清玄と権助は同じ役者が演じているが、それは二人が昔生き別れた双子の兄弟だったからではなかったであろうか。

「清玄は精神の存在、権助は肉体の存在ってことだ」

「哲学だな」

「舞台ではそこまではっきりさせるものじゃないが、演じる方には必要なんだよ」

「また演じたいとは思わないわけ?」

「今更それ訊くか?俺は空を飛びたいんだ」

「じゃ、俺と空どっちを選ぶ?」

いつもなら此処で拳が飛んでくる。
立ち上がって此方に一歩近付いたアルトからそれを避ける準備をしていたミハエルであるが、アルトの纏う雰囲気が一瞬にして変わったことに目を丸くした。

両頬をアルトの手に包まれ、彼の金に近い黄みがかった瞳にじっと見つめられて振りほどくことさえ忘れる。
ミハエルはこの顔を知っている。言わずもがな、桜姫だ。

普段のアルトからすれば、艶やかな唇が弧を描く瞬間などそうそう拝めない。
吸い込まれそうな感覚に息を飲んだ。

いつの間にか周りも此方を凝視しており、固唾を飲んで何かを待ちわびている。
しかし、予想だにしなかったゴヂッという鈍い音が静寂に響いた。
音の中心にいたアルトは蹲り、ミハエルもテーブルの方に顔を下に向けて痛みに耐えている。

「痛ってー」

「それはこっちの台詞だッ」

頭突きをされたことでズレた眼鏡を直しながらミハエルはアルトを睨むが、アルトもそれどころでは無いらしく蹲ったままミハエルを睨み付けるしか出来ない。
しかし、ミハエルに隙を作らせる手段が分かったことにアルトは満足するが、そうそう使えない手であることに気付きやはり落胆した。
















いずくの誰が手を伸ばす、先にある空を一目なと、

逢うて重なるこの想い、恋しゆかしの、

青空の、顔が目先へ赤い紐。

飛びたい、逢いたい、

天空の神様、彼に、本当の空に、何とぞ、


逢わせて下さりませ。




























◆後書き◆

最初に書きたいと思いつつ、桜姫の話を理解するのに時間が掛かって直ぐに書けなかったお話・・・orz
正直、まだ理解しきれてませんのでかなりあやふやです(汗)
最後の文章は『桜姫東文章』の桜姫と清玄の台詞をいじったものです。

場面外の裏話にルカ君は矢三郎さんに取り引きして映像を入手したということで。
姫の舞台はプレミアものに違いないw

更新日:2008/07/21





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