◆染姫◆









民間軍事プロパイダーS.M.Sに一風変わった順序で入隊した新人パイロットはVF-25Fの整備中に固まった。

常ならば整備班のみであれやこれやと可変戦闘機のバルキリー全ての手入れをするのだが、不備がないかパイロットにチェックしてもらわなければならない部分も確かに存在する。
今し方、学園では同級生だが、職場では上司のミハエルに言われて一人で自分の専用機となった赤いラインの入ったVF-25Fに群がっている整備士達の中に紛れ込んでいた。

コクピットでいつくか操作し、整備班のうちの一人に試しに何か動かしてくれと言われたのだが、その言葉の中にアルトにとって聞き捨てならない単語が含まれていたおかげで何を注文されたかも飛んでいく。
そして己の中に沸き上がるのは疑問とそれ以上の怒りだ。

「誰が姫だ!」

眉を吊り上げ、眉間に皺を寄せて呻れば、整備士はヒッと悲鳴をあげた。
VF-25Fの機体チェックが記してあるファイルを盾にして整備士は梯子を降りていこうとするが、盾にしていたファイルをアルトに掴まれて逃げられなかった。

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」

「・・・いや、そんなに謝られても・・・」

姫と呼ばれて機嫌は悪いが、アルトは下に出られると強く言い出せない性分であり、相手が控えめだと自分も控えめになってしまう。
しかも相手は年上で、S.M.Sに入隊したばかりのアルトにとって周りは先輩だらけだ。
平謝りさせるのは流石に気が引ける。

「もういい・・・」

アルトはファイルから手を離し、整備の続きを催促した。
整備士はファイルとアルトの顔を暫く交互に見やった後に安心した溜息を吐いて、整備を再開する。

ただ、先程まで整備士はタメ口だったのに今は敬語だった。
そこに疑問を抱きつつ、そのうちまた元に戻るだろうとアルトは気にせずに整備士の言葉に耳を貸した。
一通り機体のチェックが終わるとアルトの出番も無くなり、後は宜しくと手を挙げて去っていく背中に大打撃の一言。

「「「お疲れ、お姫様ー!」」」

転けそうになったアルトであったが、踏鞴を踏むだけに止めて大きな動作で後ろに振り返ったことで高い位置で結い上げた青みがかった黒髪と赤い紐が跳ね上がる。

「姫って呼ぶんじゃねぇ!」

顔を真っ赤にして叫ぶが、周りの他の整備士達にまで笑われて済まされてしまったことでアルトの勢いは殺(そ)がれてしまう。
一人で喚きちらしても無駄だと珍しく悟ってしまい、アルトは大きな溜息を吐き出しながら肩と頭を下げてその場から離れた。







まだトレーニングを始めるには少し早いが、特に行くあてもないのでそのままトレーニングルームへと続く通路を歩いていると、向かい側から三人の女性が歩いてくるのが視認できた。
クォーターブリッジのオペレーターである彼女たちは顔見知りではあるが、会話をするほどの仲までにはなっていないので、アルトは頭を軽く下げて通り過ぎれば良いかと考えていた。

だが、彼女たちの方はそうでもなかったらしく、アルトを見つけて三人で顔を見合わせて何事かを話し合ってアルト目掛けて少しばかり早足で近付いてくる。
それにぎょっとして壁に背中を貼り付かせたアルトは彼女たちが自分を取り囲むようにして足を止めたことで更に驚いた。
見られるという視線には育ってきた環境が環境だっただけに慣れているつもりだが、役に入らずに素でいるところをこんなに間近でまじまじと見られることにはあまり慣れておらず、「ヒッ」と情けない声が自らの口から漏れてしまった。

「怯えちゃって可愛いー」

個性的な髪飾りを桃色の髪に飾るラムがアルトの頬を突っつくが、突然のことにアルトは固まったままで微動だに動けずにいた。

「ラム、虐めたら駄目よ」

「・・・はいはい」

彼女らの中ではまとめ役であるショートヘアのモニカがラムを窘(たしな)め、ラムは名残惜しそうな顔をしているものの素直に従ってアルトの頬を突っつくのを止める。

「それでね、早乙女准尉!」

助けてもらえたと思ったのも束の間、モニカは一歩アルトに迫る。反射的に一歩下がろうとしたアルトであったが一歩下がるスペースもない壁に右足がカツンと当たっただけで距離は取れなかった。

「訊きたいことがあるんだけど・・・そのー」

「な、何です、か?」

咄嗟のことで途切れ途切れな敬語が口から出てきたが、相手はそれを気にしている余裕がないのか、どうでもいいのか分からないが言おうか言わまいか悩んでいるようで「あー」とか「うー」やら言葉にならない声をあげている。
それに見かねた毛先に癖がある髪のミーナが眼鏡を直す仕草をしてからモニカの肩に手を置いて自らも身を乗り出してきた。

「どうして姫なんですか?」

「はあ!?」

それを訊きたかったのかと脱力半分、怒り半分の声をアルトは吐き出した。
素っ頓狂なアルトの声を耳に入れても身を退かない彼女たちは相当肝が据わっているらしく、答えを聞きたいと更に顔を近づけてくる始末。

「なんでと訊かれても・・・」

アルト自身も由来は知らないし、そもそも勝手に美星学園の高等部に入ったと同時期にミハエルが勝手にアルトのことを「姫」と呼び始めたのがきっかけでいつの間にか学園中に広まっていたのだ。
いちいち反応を返してくるアルトが面白くて皆が彼を「姫」と呼ぶのだが、それを知らぬは本人だけ。
それ故に本人の知らぬ所で広まってしまったというわけだ。

学園だけならまだしも・・・いや、アルト自身にとっては許せないことだが、S.M.S.にまでどうやら広まってきているらしい。
アルトは原因の発端者であるミハエルを思い浮かべてしまい、胸くそ悪くなった気分を吐き出すように叫んだ。

「俺は姫だなんて認めてねぇ!ミハエルが勝手に言ってやがることを真に受けるな!!」

流石に口悪く大声で叫ばれれば彼女たちも勢いに押されて後ずさってしまい、アルトは彼女たちの横を足音大きく通り過ぎていく。
彼の後ろ姿を見送りながらオペーレーターの三人は口々に言う。

「お肌綺麗だったなー、若いって良いよねぇ」

「姫の謎は解けないままですね」

「外見じゃない?」

噛み合っていないようで噛み合っている会話を続けながら彼女たちは自分達の目的地へと足を運んでいった。












トレーニングルームに足を踏み入れると既に先客がいた。
アルトはこれ見よがしに先客の胸ぐらを掴んで険しい顔を向る。

「何だ?そんな顔してると美人が台無しだぜ、アルト姫」

「いけしゃあしゃあとしやがって!」

ミハエルは心底分かりませんと装って両手を挙げた。

「何がだよ」

「てめぇが姫って言いやがるから此処でも周りの奴らが姫って呼びやがるんだよ!責任とりやがれ!」

「責任ねぇ・・・」

くすりと笑ったミハエルに何かを感じ取ったアルトは彼の胸ぐらを掴んでいた手を離してしまい、後ずさる。
ミハエルがアルトに近付いていくとアルトもその分下がっていくが、踵が何かの段差に引っかかり視界がぐらついた。
倒れても衝撃はあまり無く、背中に感じる感触からマットレスだと分かる。

見上げたミハエルは照明の逆光で表情が上手く読み取れなかったが、アルトに覆い被さってきたことで表情がよく見え、ゼントラーディの血を受け継いでいると分かる尖った耳の形までもよく見えた。

「アルトはどう責任とって欲しいわけ?」

いつもより幾分か低い声色で問われて息を飲む。
咄嗟に勢いで言ってしまった言葉だ。そこをつつかれると分が悪い。

「いや、それは意味があったわけじゃなくてだな」

「軽はずみで言ったってことか」

溜息と共にそんな言い方をされてアルトはミハエルを睨んだ。

「誰も軽はずみだなんて言ってねぇだろ!」

アルトがマットレスから少しばかり背を離したことでミハエルとの顔の距離が近くなる。
それにはミハエルも少しばかり狼狽えるが表には出さない。

これ以上は本気になってしまいそうだから。

「はいはい。分かってますよ、お姫様」

「てんめぇッ・・・ミハエル!」

終わったとばかりにアルトから離れようとしたミハエルだったが、アルトに胸ぐらと肩を掴まれて驚く。
このまま背負い投げされるかなと思いつつ、まぁいいかと受け身の準備をしようと少しばかり力を抜いたらそれに驚いたらしいアルトの力の重心が狂った。

「・・・・・・」

「!!!???」

そのせいでアルトの唇にミハエルのそれが覆い被さってしまった。
お互いに予想外だったらしく暫く固まっていたが先に我に返ったミハエルがアルトの上から離れて彼の横に座り込む。

「アルト姫ー、おーい」

未だに呆然としているアルトの顔に手を振って意識を確かめる。
効果はあったらしくハッとしたアルトはがばりと上体を起こした。
ミハエルの顔を確かめると嫌そうに顔を歪めて「おえぇ」と吐くマネをしてしてみせるアルトにミハエルの口元が引きつる。

「それは酷いんじゃないか?この色男の唇を奪っておいて」

「・・・・・・・・・・・・」

「それに不可抗力というより、自業自得だ」

「・・・・・・・・・・・・」

「俺だってキスなら女の子と・・・姫?」

「・・・・・・・・・・・・」

「おい、どうした?」

俯いて吐きマネをしてそのままずっと俯いたままで軽口に付き合わない友人にそんなに嫌だったかとショックを受けつつもアルトの背中を軽く叩いた。
しかし、アルトは大げさなくらいに肩をびくつかせて、ミハエルが驚いてしまう。

「本当にどうしたんだよ」

ミハエルはがっちりとアルトの顔を掴み少し苦戦したがどうにか此方を向かせることに成功したのは良いが、絶句した。
アルトの顔が真っ赤だったからだ。彼は恥ずかしがり屋なところがあるが、今のこの場面でそんな顔をしているとは思わずにミハエルは言葉が出なかった。

何だよこれは、と嘆きたくもなる。
目尻の涙を発見して更にその想いは強くなった。
ああ、一体どうしてくれるんだ。
















歯の浮く台詞一つ出てこない




























◆後書き◆

初まくろすF小説。
最初に書こうと思ったのはコレではない(え)
コレが続いたら「姫シリーズ」と命名予定。

更新日:2008/07/19



整備員じゃなくて整備士のほうが自然かと思ったので、「整備員」→「整備士」に変更しました。(2008/07/25)




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