◆Quest:マンドレイクの採取◆
ギルドは大きく分けると二種類ある。魔物を討伐する冒険者ギルドと、武器や薬を作る職人ギルドだ。
前者の依頼を引き受ける者は勇者を目指し、後者の依頼を引き受ける者は練達の士を目指す。
それがこの世界の常道だ。
だが此処に、勇者を目指しながらも職人ギルドの依頼を引き受ける者がいた。
複数の依頼書が貼られた掲示板から一枚を剥がし、あどけなさが残る少年は受付に差し出す。
年頃からして、十五。成人とみなされるので、手続きさえしていれば、ギルドの依頼を受ける権利が与えられる。
彼は青銅色の小さなプレートを首からさげていた。つまり、職人登録済みだ。
職人の等級は青銅、銅、赤鉄、鉄、銀、金、白金と七段階ある。少年は青銅のプレートをさげているため、最下級の青銅等級。ギルドデビューしたばかりなら妥当な等級である。
緑の髪は強くうねっていた。頬にはそばかすがあり、お世辞にも整った容姿とは言い難い。けれど、大きな瞳は希望に溢れて輝いていた。
少年がギルド協会に顔を出すのは七度目だ。だから、受付嬢は軽く挨拶をした。すでに顔見知りと言っても良いのに、少年はあわあわとした後にようやく小さな声で挨拶を返す。女性に免疫がない様子に二十代半ばの受付嬢は微苦笑して、依頼書に目を落とした。が、愕きに目を丸くする。
「すみません。確認なんですが、本当にこちらの依頼書で間違いありませんか？」
「はい。マンドレイクの採取で間違いないです」
「そうですか……」
受付嬢は言い淀む。マンドレイクはマンドラゴラとも呼ばれる植物だ。だが、普通の植物ではない。根には幻覚や幻聴を引き起こす神経毒が含まれており、最悪の場合は死に至るほどの危険植物だ。土から引き抜けば悲鳴をあげ、聞いた者を発狂させてしまう。更には、人間のように動くこともある。
薬草は勿論のこと、魔術や錬金術にも用いることが出来る万能植物だが、取り扱いは要注意の植物。それがマンドレイクだ。
通常は金等級以上の職人が引き受けるのが妥当だ。例外として、その人が生まれ持った能力、ユニークスキルが依頼をこなす上で最適解とされれば受付嬢も気兼ねなく判子を押すことが出来るのだが。依頼書と共に出された少年の職人証にはユニークスキル無しの表記がされていた。
受付嬢は人でなしではなかった。送り出した職人が還らぬ人となることは避けたい。
「申し訳御座いませんが、」
「オイ！ おっせーぞ！」
受付嬢の言葉を掻き消すほどの大声に建物の中にいた冒険者達が一斉に其方を凝視した。
彼らの視線を独り占めしている男は緑の少年と年恰好はあまり変わらない。だが、出で立ちが真逆と言っていい程だろう。
黒のズボンに上半身裸だ。最低限の身なりだが、肩に上等な紅いマントを羽織っているので、見すぼらしさは全くなかった。むしろ、彼の出で立ちを際立たせている。
灰がかった金色の髪に、紅い瞳が映える。
「ナニ、ちんたらしとんだ！ クソデク！」
「いま受諾してもらってるところだよ」
「だったら、早よ判子もらえや！」
「分かってるって、かっちゃん」
緑の少年は受付嬢に向き直り、改めてお願いする。
「えと、判子もらえますか？」
「も、申し訳御座いませんが、此方の依頼は通常、金等級以上の職人さんにお願いしているものでして」
「え！？ そうなんですか？」
「はい。職人さん向けの依頼書には基本的に該当等級の記載がされないんです」
冒険者向けの依頼は命の危険が付きもののため、死者を多く出さないように各自のレベルに合った依頼を選択出来るよう全ての依頼書に該当等級が記載されている。
職人の場合は各自の得意分野が異なりすぎるために経験値を基準としていない。武器職人は武器の製作依頼を引き受け、薬師は薬草の採取依頼を引き受ける。だから、等級の記載が必要とされていなかった。
「等級によって引き受けられない依頼はないのですが、マンドレイクは命に関わる危険植物です。ワタクシ達ギルド連盟は銀等級以下の方には推奨しておりません」
「うう……そうなんですか。しょうがないですね。じゃあ、諦めま」
「待てや」
引きさがろうとした緑の少年を紅目の少年が押しのける。
「金等級以上ってことはゴールドならいんだろーが」
「え！？ え、いや」
勾玉の首飾りが幾重にも重なる中にゴールドのプレートが紛れていた。
受付嬢は大きく驚愕を露わにする。この紅目の少年は緑の少年が前回、ギルドを訪れた際に連れてきた。その時に冒険者登録している。
冒険者の等級はブロンズ、カッパー、ヘマタイト、アイアン、シルバー、ゴールド、プラチナの七段階。プラチナを超える勇者等級も存在するが、冒険者の基本等級は職人の等級と段階数が同じだ。つまり、金とゴールドは同等。
世間的にもそう受け取られている。けれど、冒険者と職人の技量は区別すべきだ。必要なスキルが全く別物なのだから。
そもそも、それ以前の疑問もある。
「貴方はこの間、冒険者登録したばかりのはずです。ブロンズのプレートをお渡ししませんでしたか？」
「別のギルドに出てた依頼やり殺した」
「別のギルドって」
受付嬢は混乱する。ギルド協会は首都ごとに一つだ。この街は辺境にあるため、一番近い隣の首都まででも馬車で二週間は掛かる。往復すればひと月必要だ。
紅目の少年が冒険者登録したのは一週間前だったのに。
「つべこべ言わずに判子押せや！」
「かっちゃん、無理言ったら駄目だよ。僕、別の依頼にするから」
「あア？ マンドレイクなら前に仕留めたって抜かしとったのはてめェだろ！」
「せめて採取って言ってよ。それと、ギルドの決まりは破れないよ」
「職人のやつは等級記載が無ェんだから、やりてェ奴がやりゃあいいだろが！」
言い合いになる二人に受付嬢は困惑していたが、会話の内容を頭に入れて暫く、ガタッと椅子から立ち上がった。
「マンドレイク採取したことあるんですか！？」
「へ？ あ、はい。あります」
緑の少年は目をパチパチさせて受け答える。
緑の少年の証言が正しいならば、依頼受諾しても良いのではないかと受付嬢の考えが働く。横にいるゴールド等級の冒険者が同行してくれるならば、危険も減るだろう。
この依頼は金等級以上の職人でなければ達成は難しいとされ、報酬額も相場以下でなかなか引受人が出てこなかった。
「それでしたら」
受付嬢は頷き、依頼書に判子を押した。
「お二人で行かれるならパーティーで登録し直しましょうか？」
冒険者と職人の組み合わせは珍しいが、手続き上は可能だ。二人から五人程度の人数で同じ依頼を引き受ける場合はパーティー登録をしてから、正式受諾となる。
「なんで俺がクソデクなんかとパーティー組まねェといけねーんだよ」
「かっちゃんこう言ってるので、ソロでお願いします」
「わ、分かりました」
受付嬢は冷や汗を額に浮かべながら、緑の少年に契約書の紙を差し出す。
この契約書には、ギルド連盟の決まりに従うことと、依頼引受人の保証について記述されている。緑の少年が初めてギルドを訪れた際に細かい説明はしているため、最低限の常套句のみで済ませ、スムーズに手続きを進める。
「では、こちらにサインをお願いします」
「はい」
受付机に備えてあるペンを手に取り、緑の少年はミドリヤ=イズクと書き記した。
受付嬢から出された朱肉で指に色を付け、イズクは自分の名前の横に押印する。
「有り難う御座います」
受付嬢は依頼書と承諾書を確認し、職人証をイズクに返却した。それから、一礼する。
「依頼達成を心より願っております」
依頼は達成しなければ報酬が出ない。
指名依頼ならば、引き受けた時点で依頼金が支払われ、依頼達成に応じて成功報酬が加算される仕組みだ。
だが、一般的には、民間から不特定多数へ依頼が出される。
今回、イズクが引き受けたマンドレイクの採取は、一介の魔術師が不特定多数に向けて出した依頼というわけだ。
魔術の心得があるものならば、自らマンドレイクを採取することも可能だが、やはり何度も先述している通り、マンドレイクは危険植物である。薬草取りに長けている者に代わりに取ってきてもらえるならば、金銭で取り引きしたいと考える魔術師も多い。
だから、マンドレイクの採取依頼は然程珍しいものではなかった。しかし、金等級以上の職人は殆ど自分の工房や店を構えているため、自ら出向かなくても仕事が入ってくる。匠の域に達した職人はギルド協会にまで足を運ぶ必要がなく、ギルドに出された難易度の高い職人向けの依頼は埋もれやすいのが現状だった。
ギルド協会としてもこの点の改善対策をしなければいけないと考えているが、甚だ難航していた。
工房や店構えしている職人を紹介する窓口を設けようにも、金等級以上の職人はすでに抱えている顧客の依頼をこなすので手一杯で、見ず知らずの者からの依頼を引き受ける余裕がない。金銭を積めば引受手も出てくるが、大金を報酬に出せる者は限りなく少ない。
それに、職人は堅物が多く、金銭以上に腕を認めてもらいたがる者ばかりだった。だから、信頼の置ける知人以外の話には聞く耳を持たず、ギルド協会からの要請に従わない職人はごまんといた。
最近では工房に弟子入りする若手の職人も出てきている。ギルドには職人登録だけしにきて、それ以降は一度も顔を出さない者もいるくらいだ。国で開催される等級試験に合格すれば、プレートの格上げは可能であるため、必ずしもギルドの依頼を受けなければならない理由もない。
だから、二ヶ月前に職人登録をして、頻繁に依頼を受けてくれる駆け出しの職人は珍しい。
緑のベストに引っ掛けていた革の手袋を両手にはめて、大きな黄色い鞄を背負ったイズクは「よし！」と気合いを入れる。
早速、山奥にまで足を踏み入れるイズクに紅目の少年は疑念を口にする。
「こっちであっとんのか？」
「うん。依頼書にはこの山に生息してるって情報があったし、街の人達からもそれらしい情報聞いただろ？ それにさ、このノートにマンドレイクのこと書いてあるから」
イズクは手に持っていた分厚い本を紅目の少年に見せた。表紙には将来の為の薬草分析ノートと書かれている。
ノートは手作りで、新しいページを増やしては糊で重ねてあった。
紅目の少年はそれをイズクの手から抜き取り、中をパラパラと見て、眉間に皺を寄せた。自分が知らない間にイズクが書き溜めてきたものだと。
手に力を込める。
「か！ 返して！」
イズクは紅目の少年の手からノートを咄嗟に自分の手元に戻した。
「いま爆破しようとしただろ！ ユニークスキル使わないでよ！ 大事なものなんだから！」
ノートを抱きかかえるイズクに紅目の少年は苛立ちを露わにする。
「ア！？」
「ッ」
ビクッとイズクは萎縮する。
その怯える様子に紅目の少年は奥歯を噛み締めた。
「そんなに大事かよ」
そう、静かに落として、紅目の少年は出久の横を通り過ぎて先へ行ってしまう。
森の奥に進む紅目の少年をイズクは慌てて追い掛ける。
「待ってよ！ かっちゃん！」
赤いマントの一歩後ろまで追いついてから、イズクは紅目の少年と歩く速度を同じにする。
前を歩く姿を見つめるイズクだが、何も感慨が浮かばなかった。
イズクが紅目の少年と出会ったのは、十日前だ。だが、紅目の少年は子供の頃にイズクと会っていると言う。イズクには、紅目の少年との記憶は全くないのに。
ここより遠い山に出向いた際、いきなり目の前に現れて「見つけた」と彼に腕を掴まれた。
見知らぬ少年に狼狽していたイズクだが、突然の嵐に襲われてしまい、洞窟で共に一夜を過ごした。それから目覚めたイズクは、紅目の少年に向かって口を開き、「かっちゃん」と呼んだ。彼の名前を知らないのに、だ。
思い出したのかと尋ねてくる紅目の少年にイズクはかぶりを振った。その時の落胆した紅目の少年の表情を思い返すと、胸が痛んだ。彼を傷つけてしまったから。
去ろうとした紅目の少年をイズクは咄嗟に引き止めていた。彼がこのまま去ったら、もう二度と会えないような気がしたからだ。
あれから十日。イズクが家の外に出るときは常に行動を共にしている。
「あのさ、今日は�猗爿瓩い覆い痢�」
「アイツは洞窟が気に入って居座ってる」
イズクが�猗爿瓩噺討屬里蓮�紅目の少年が連れている紅いドラゴンのことだった。あのときの山にある洞窟を寝床にしていると知り、紅目の少年も同じようにあの場所を寝床にしているらしいとイズクは知る。
彼らの元の住居は遠い場所にあり、岩山ばかりだと聞いている。
これはまだ紅目の少年本人の口から聞いたわけではないからイズクの予想であるが、紅目の少年は竜の血を引いている。普通の人間はドラゴンを使役出来ないからだ。ドラゴンは畏怖の対象であり、冒険者に討伐される魔物の類いだった。
だから、ドラゴン達は住み処を奪われ、遥か遠くで群れを成している。街では最近、ドラゴン達が新たな王を迎えたと噂になっているのだが、誰一人としてドラゴンを見た者はいない。
大昔の話なのだ。ドラゴンがいた時代は。
勇者が登場する歌語りなどでしかドラゴンの名は耳にしたことがなく、イズクも遥か遠くにいるドラゴンのことをずっと御伽噺だと思っていたくらいだ。
「かっちゃんってさ、人なの？」
足を止めた紅目の少年はイズクを振り返り、睨み付けた。
「んで、そんなこと訊きやがる」
「なんでって……かっちゃん、魔物には見えないから」
紅目の少年の見た目はどこからどう見ても人間だ。街を一緒に歩いていても村人達から変な目で見られることはなかった。彼特有の派手な出で立ちに目を奪われる者はいても、異形の目は向けられなかった。
それに。
「魔物は人間の言葉を喋らないだろ？」
人語を話す魔物など聞いたことがない。精霊ならまだしも、ゴブリンもコボルトもオークも、人間の言葉を喋らないのだ。高位の存在なら人語を解するのもいるかもしれないが、イズクはまだそこまで魔物への造詣が深くない。
「覚えた」
紅目の少年の返事にイズクは瞬く。
紅いマントを翻し、紅目の少年は歩みを再開させた。
「あ、待ってよ。覚えたって、最初から喋れたわけじゃないってこと？」
「覚えたってのはそういうこったろ」
意味のない質問をするなとばかりに、紅目の少年は呆れた口調でイズクの顔も見ずに吐き捨てた。
「じゃあ、なんで覚えようと思ったの？」
「……」
紅目の少年は歩みはそのままに、首を捻ってイズクを一瞥した後、顔を前に戻した。
「てめェだろが」
「？」
ザクザクと歩みを強め、どんどん先に行ってしまう紅目の少年をイズクは首を傾げたまま追いかけ続けた。
草木を掻き分けて更にずっと奥に進めば、崖に差し掛かった。
紅目の少年が下を覗き込めば、窪地が広がっている。山の一部を抉られているようにも見えるが、大昔に何か巨大なものでも落ちてきてこのような地形になったのだろう。
イズクは崖に及び腰になり、立ったまま下を見ている紅目の少年の隣でしゃがむ。両手を地面につけて下を覗き込んだ。
「あ！ あれだよ！ ほら！ あそこ！ 一箇所枯れてるとこあるだろ？」
窪地には大きな葉の植物が一面に生えていた。緑色に染まる中、中央だけが黄色から茶色になっている。そこを指差しながら、イズクは水を得た魚のように元気にべらべらと喋り出した。
「マンドレイクは人前に出るのを嫌がるから他の植物に擬態するんだ。でも生態系が違うから光合成で栄養は得られなくて、根から周りの栄養を摂取してて。だから、近くの植物から栄養を奪ってしまうんだ」
聞いているのか聞いていないのか、紅目の少年はイズクの説明に構わず、崖から跳んだ。
「かっちゃん！？」
イズクが呼んだときには既に、紅目の少年は崖の下、窪地に足をつけていた。ばさりと紅いマントが縦に靡く。着地のしゃがみ込みの姿勢から背を伸ばした彼は上にいるイズクを見上げる。
「てめェも早よ下りて来いや！」
「そそ、そんなこと言われてもっ。十メートルぐらいあるじゃないか！ 何処かから下りられる場所ないか探してくるから待ってて！」
そう言って慌てて立ち上がるイズクに紅目の少年は舌打ちをした。
「んなクソ面倒待ってられっか！ てめェも飛び降りろ！」
「えええ！？ む、無茶言わないでよ！ そんなスキル持ってないし、強化系のポーションも持って来てないんだからさ！」
「ったく、使えねェな」
紅目の少年は怠そうに両手を拡げた。
「受け止めたるわ！」
「え」
イズクはぽかんと口を開けたまま紅目の少年を上から見つめる。
紅目の少年の瞳は冗談を言っている目ではなさそうだった。口をぐにゃぐにゃさせてイズクは鞄の肩紐を握り締める。
「う、嘘じゃないよね！？」
問い掛けに、紅目の少年は目を見開いた。拡げた手を下ろしかけたが、先程よりも大きく拡げてやった。
「嘘じゃねエ！！」
睨み付けられたが、それが紅目の少年なりの決意だと、イズクは信じられた。
「君ってやつは」
イズクにとっては出会ったばかりの少年だが、どうしてか信用出来てしまった。紅目の少年と昔会ったことがある件についてはまだ半信半疑だが、もしかしたらと思ってしまうくらいには。
飛び降りる決心がついた出久は崖の端から下を見る。足がすくむ高さに唾をごくりと呑み込む。
少し、後ろに下がってから深呼吸をした。
「行くよ！」
宣告し、走り出した。
崖から跳び、身体が宙に浮いたと思うのはたった一瞬。落下する勢いにイズクは大粒の涙を上に流す。
「目も口も閉じやがれ！」
紅目の少年から言われ、イズクは悲鳴を閉じ、目も閉じた。
全身の表面が空気を切っていき、落ちていく感覚を伝えてくる。地面まで後どれくらいなのか。
とすっ。と、身体が何かに受け止められ、イズクは目を開けた。紅い目とかち合う。
紅目の少年はイズクを鞄ごと横抱きに受け止めていた。
「てめェに」
顔を近づけてきた紅目の少年にイズクは目を丸くする。
「嘘はつかねェっつったろうが」
鼓動が煩くて、イズクは衣服の胸元を握りしめた。
何も言わないイズクの反応に紅目の少年は眉間に皺を寄せ、両手をパッと離した。
「いて！」
イズクは紅目の少年の腕から地面に落ち、臀部をしたたかに打った。
背中の荷物を踏ん張って持ち上げ、イズクは立ち上がりながら紅目の少年に文句を言う。
「何すんだよ！」
「ア？ それが受け止めてやった俺に言う台詞かよ！」
「ごっ……そ、それはそうかもだけど、台無しっていうかさ」
それからごにょごにょとあーだこーだと口籠もるイズクに紅目の少年は苛つき始める。
「何わけわかんねーこと言っとんだ。さっさとクソ草仕留めて来やがれ！」
目を吊り上げて紅目の少年はイズクが崖の上で指し示した場所を親指で指しながら怒鳴った。
かなり横暴な言い方にイズクはげんなりした顔をしながら、渋々といった様子で大きな葉の植物の群れに足を踏み入れる。
少し首を捻ってイズクが後ろを窺えば、紅目の少年も後からついてきていた。
顔を正面にもどしたイズクは小さく溜め息をつく。
紅目の少年が何を目的に行動しているのか、見当がつかないからだ。一緒に出掛ければ手助けしてくれないこともないのだが、大概舌打ち付きでおっかない。それに、先程のように悪びれた様子なく此方を雑に扱う。本当に何をしに来ているのだろうか。
それに、いつも機嫌が悪そうな雰囲気で、イズクは辟易しっぱなしだった。
程なくして、窪地の中央に辿り着く。枯れた葉の中に一本だけ青々とした葉がある。イズクは背負い鞄を下ろし、必要な道具を取り出す。
青い液体が入った細い小瓶を手にすれば、紅目の少年が首を傾げた。口で疑問は言われていないが、イズクは自分の専門分野のため勝手に喋り出す。
「眠り薬だよ。数種類の薬草を調合して煮汁から取ったんだ。さっき、マンドレイクは人を避けるって言っただろ？ マンドレイクの悲鳴を耳にしたら僕たちは死んじゃうけど、それはマンドレイクもなんだ。最期の断末魔なんだよ。だから軽率に土から引き抜くわけにはいかないんだ。先に眠らせてから、静かに掘り起こさないと」
相変わらず、紅目の少年は聞いているのか聞いていないのか判断出来ない様子でイズクの側に立っていた。マンドレイクの根元に眠り薬を注ぐためにしゃがんでいるイズクの手元をずっと見ている。
眠り薬の効果が出る時間を砂時計で測っている間に、イズクは鞄から紙の塊を取り出した。紅目の少年が訝しんでいたが、イズクが何重にも巻かれている紙を剥ぎ取っていくと、陶器の鉢が出てきた。
「なんか重ェと思ったら、そんなん仕込んでたんかよ」
「あはは、ごめん。マンドレイクは歩くって言われてるけど、あんまり外に出てたら駄目なんだよ。弱っちゃうからね。人里に連れていくなら植木鉢とかに植え替えないと」
へらへらと笑って説明するイズクに紅目の少年は口をへの字に曲げる。何がそんなに楽しいのか判らないからだ。
「君は仕留めたって言うけど、たまたま育ててた植物がマンドレイクだったって後々判明しただけなんだよ。僕は毎日マンドレイクの観察日記つけてさ。それで詳しい生態を知れたんだ。扱いを間違えなければ、危険な植物じゃないってことも分かったよ」
「まだ飼っとんのか？」
「ううん。一年くらいでいなくなっちゃった」
「あ？」
「ある朝、突然いなくなってたんだ。鉢には土だけだった」
「……」
「そういえば、お母さんが不思議なこと言ってたなぁ。またいなくなっちゃったねって」
「ッ」
「かっちゃん？」
「なんでもねェわ」
砂時計の砂が落ちきった。
イズクは念のためにと耳栓をして、紅目の少年にも耳栓を渡した。それから手際よく、マンドレイクを根っこの先まで引き抜く。
マンドレイクは鼻ちょうちんを作って眠りこけていた。二人は耳栓を抜く。
「それ、てめェん家にいたのじゃねェんか？」
「違うね。形が全然違うから」
「そうかよ」
複雑な表情をする紅目の少年にイズクは首を傾げるものの、彼は先に植物群から出て行ってしまった。
イズクは急いでマンドレイクを鉢に植えて、栄養分である肥料を添える。鞄を背負って鉢を抱え、紅目の少年を追いかける。
紅目の少年の背中まで追いつき、崖壁まで来てイズクは青褪めた。
「どうしよう。上にあがるものないんだった」
まだ明るい時間帯だが、一時間もすれば暮れてしまう。山に住む動物も活発になる。肉食系の動物は人間を襲うこともあるのだ。
困り果てているイズクを紅目の少年は肩に担いだ。
「うわっ、かっちゃん！？」
鉢から一瞬手を離してしまったイズクは慌てて鉢を両手で掴む。紅目の少年に足を掴まれている不安定さに狼狽してしまう。
「暴れんな！」
紅目の少年はイズクを落とさないように担ぎ直し、数歩走って跳躍した。一跳びで軽々と崖の上にまで到着し、イズクは瞬きを繰り返した。
「すごいね、かっちゃん」
「ア？ てめェが出来ねェだけだろ」
紅目の少年はイズクを肩から落とした。イズクは鉢だけは落とさないようにして、尻餅をつく。
「身体能力が高い冒険者はたくさんいるけど、かっちゃんみたいに能力向上させずにあの高さ跳ぶような人はいないよ。勇者だったらいると思うけどさ」
「その勇者になりてェって巫山戯てたのはデクだろが」
「巫山戯てないよ。僕は本気なんだ！」
「ハッ、そーかよ」
紅目の少年は鼻で嗤い飛ばし、下山のために来た道を戻っていく。
その背中にイズクは嗤わなくてもいいじゃないかと睨み付け、次第に眉を下げていく。彼がああ言うのも無理のない話だからだ。
イズクが得ているのは薬師に必要な知識と技術ばかりだ。だから冒険者登録は出来なかった。職人登録したのは必然だ。
それでも、諦めきれないのだと、腰に携えた短剣の柄を掴む。憧れの勇者に託されたものだった。君は勇者になれると言ってもらった。その恩義を裏切る真似だけは絶対にしたくないのだ。
日が暮れる前に山から下りられたことにイズクはほっと大きな溜め息をつく。
ぽつぽつと明かりが灯り始める街中を歩いて、二人は今朝と同じようにギルド協会の扉を開いた。
眠そうにしていた受付嬢が気付いて、明るい声で出迎えてくれる。
「お疲れ様です！ 依頼の方はどうでしたか？」
「はい。なんとか」
イズクはマンドレイクを植えた鉢を差し出した。
「これがマンドレイクですか？ 実は、恥ずかしながら、マンドレイクは実物を見たことがなくて。このあたりの地域は多い方だとは聞いているんですけど」
「葉は近くの植物を真似ていたので、見た目は雑草と変わらないんですよ。根っこを見れば分かりますけど、それは危険ですから」
「そうなんですね。では、此方で預かります。依頼主の魔術師には鑑定後にマンドレイクを渡すことになるので、報酬は明日の正午以降の支払いとなります」
「分かりました。あ、ギルドの部屋は空いてますか？」
外も暗くなってしまったので、報酬の受取が明日ならばギルド協会に併設されている宿に泊まれないかと、イズクは受付嬢に相談する。
「空き部屋があるか、お調べしますね」
受付嬢は今日の宿泊歴を確認する。丁度、一部屋空いていた。
「空いておりますね。今から手続きしますか？」
「はい！ お願いしま……あ」
イズクは横の紅目の少年を見遣った。
「かっちゃんはどうする？」
「此方に泊まるんか？」
「うん。ギルドに登録していれば金銭は必要ないんだ。食事代は出さないといけないけど」
「ふぅん」
生返事をした紅目の少年は逡巡し、頷いた。
「すみません。二人で」
「申し訳御座いません。二人部屋は埋まっていまして。空いているのは一人部屋が一室となっております」
困った顔をした受付嬢にイズクは固まる。
一人部屋に二人入れないこともないが、ベッドは一つしかない。
紅目の少年は訴えかけるイズクの顔に真顔のまま言う。
「てめェが床で寝ろ」
「だよね」
言うと思ったと、イズクは嘆息した。
「一人部屋に二人で」
「あの、大丈夫ですか？」
「多分……」
自信のないイズクの発言に受付嬢は戸惑ってしまうが、紅目の少年が苛立ち始めている様子に急かされ、二人の宿泊手続きを済ませた。
同時に受諾の判を押した依頼書に達成の判を押して、イズクに手渡す。これを明日、受付に提出してもらい、報酬を支払うのだ。
「では、お部屋の鍵もお渡ししますね」
鍵を受け取り、イズクは受付嬢に頭を下げた。
室内の階段を上がり、三階にまで行く。二階の一部と三階の全てが宿泊用の部屋になっていた。
三階の一番奥の部屋が今日の二人の宿だ。
イズクは荷物を下ろして、伸びをした。毎日大きな荷物を背負っているイズクは見た目ほど筋肉がないわけではなかった。けれど、肩にずっと背負っていれば、身体も硬くなる。
一通りストレッチで身体を解し終えたイズクは、ギルド協会の食堂に行こうと立ち上がる。
「寝る」
紅目の少年を誘おうと口を開いた瞬間に、向こうに言われ、イズクは頭を抱える。すでに紅目の少年はベッドに横になっていた。
「僕はご飯食べてくるよ。かっちゃんは何かいる？ スープやパンなら持ってこれるけど」
「いらねェ」
「そっか」
イズクは一階の食堂で一人、夕食を済ませた。紅目の少年はああ言っていたが、パンくらいは持っていこうと、注文したコッペパンを包んで三階の部屋に持ち込む。
出て行くときは点いていた明かりまで消されていて、イズクは本当に我が強いなと呆れながらパンをテーブルに置いた。幸いなことに今日は満月で、夜でも窓から差し込む月明かりで明るかった。
「さてと」
イズクは床にどう寝るか下唇を指で摘みながら思案する。鞄を枕代わりにすれば、マシになるだろうか。早速、部屋の隅に置いた鞄を取り行ことしたイズクだが、腕を掴まれた。
「かっちゃん？ 起きてたの？ それとも、僕が起こしちゃったかな？」
振り返れば、紅目の少年がベッドに横になったまま、イズクを見上げていた。どうかしたのかと尋ねるイズクに彼は何も答えなかった。ただ、イズクの腕を引き、ベッドに引きずり込んだ。
「わっ、なに！？」
紅目の少年の腕の中に収まり、イズクは混乱した。
寝ぼけているのかと思ったが、確かな強さで抱きしめられている。起きている気配も感じた。
「かっちゃん」
「うるせェ」
本当に目的が判らない。
判らないが、イズクは紅目の少年の額に自分のそれを引っ付けた。
「ちゃんとここにいるよ」
「黙れ」
より抱きしめてくる腕にイズクは苦笑し、ゆっくりと眠りについた。
翌朝、一階の食堂で二人は同じテーブルについて食事を済ませた。イズクが昨夜残しておいたコッペパンは少し固くなっていたので、厨房で揚げてもらい、砂糖で味付けしてもらった。紅目の少年は甘過ぎると言いつつも完食していた。残したりするのは嫌なんだなと、イズクは頭のメモに書き記した。
正午になり、イズクは荷物をまとめて受付まで行き、部屋の鍵を先に渡した。
「では、チェックアウトのサインをお願いします」
受付嬢が差し出した紙にイズクは自分の名前を記入する。
紙を受付嬢に渡すと、彼女は何か言いたげで、我慢出来ずに口を開いた。
「昨夜は大丈夫だったんですか？」
手を添えて小声で尋ねてくる受付嬢にイズクは肩を跳ねさせた。
「本当に床で寝られていたのではないかと」
「あ！ だ、大丈夫です！」
大声を出してしまい、紅目の少年が此方を訝しんだ目で見てきた。イズクは何でもないと首を横に振って彼に伝えておく。
イズクは受付嬢に向き直り、小声で言った。
「かっちゃんとベッドで寝たので」
「え」
「いや、そのっ、大丈夫です！ 大丈夫！」
イズクは焦り出す。話を逸らすため、判子を二つ押された依頼書を受付嬢に渡した。
慌てふためいているイズクに受付嬢はあまり聞き込まない方がいいだろうと咳払い一つで仕事に集中する。
「有り難う御座います。報酬をお渡ししますので、少々お待ちください」
受付嬢は奥の部屋に行き、換金担当者と業務上の会話を交わして、報酬棚からイズクに渡す分を取り出した。
「では、こちらが報酬の銀貨三枚になります。それから、こちらはマンドレイクの根の一部になります」
「マンドレイクの根ですか？」
「はい。依頼主に薬師の方が引き受けてくださったとお伝えしたら、毒素を抜いたものを分けてくださったんです。貴方でしたら、使い道があるのではないかと」
「いいんですか？ 貰ってしまって」
「はい。依頼主からのご厚意ですから」
「じゃあ、有り難くいただきます」
報酬を受け取り、イズクは受付嬢に頭を下げてギルド協会を後にした。
「今日は依頼見てかないんか？」
「うん。マンドレイクの根を分けてもらったから、薬作ろうかなって。かっちゃん、何がいい？」
「俺に聞いてどうすんだ」
「かっちゃんも手伝ってくれたから、お礼にって思ったんだけど。僕一人だったらもっと時間掛かってただろうし」
「つーか、それ、なんの薬ができんだ？」
「ええと、割となんでも作れるよ。万能薬って言われるほどだからね。あとは……」
イズクが口籠もり、紅目の少年は彼の頭を叩く。
「はっきり言えや」
「や、そのさ、珍しいのだと、媚薬とかも作れる、よ」
媚薬になる薬草は滅多にない。けれど、媚薬を作り出す植物として、一番有名なのがマンドレイクだった。
恥ずかしそうに顔を真っ赤にしているイズクの頭を紅目の少年は鷲掴み、強制的に自分と顔を合わせさせた。
「媚薬作れ」
「ええ！？ なんで！？」
「作れねェんかア？」
「作り方さえ分かれば大丈夫だけど、初めて作るから……」
「だったら作ってみりゃいーだろ。失敗したらブッ殺すだけだ」
それ困るんだけどと、イズクはみるみる青褪める。
しかし、それよりも。
「かっちゃん、誰に媚薬使うの？」
一番気になってしまう。
イズクがおずおずと紅目の少年を窺えば、彼はイズクに顔を見られる前にイズクを突き飛ばした。
「さあな」
歩き去る紅目の少年の紅いマントが靡き、遠退いていくのをイズクは尻餅をついた状態で見送る形になった。
◆後書き◆
十傑はじめました。
ファンタジーものは殆ど書いたことがないので、設定とか最初に全て作っておくのは難儀やなぁ無理やなぁと思いましたので、一話完結型のオムニバス形式にしました。
一個一個話を書きながら、設定を出して決めていく感じに連載予定です。
お金の価値は検索したら金貨１枚＝200000円、銀貨１枚＝2000円、銅貨１枚＝20円がスタンダードなようなので、それくらいで。
イズク君が受けた依頼の依頼主はオチャコなので、きっと高額は支払えないだろうと思いまして。銀貨３枚が限界かなと。
イズク君の持ってる短剣はオールマイトから授かりました。ワン・フォー・オールの個性の代わりに。
オールマイトが持つと大剣になります。イズク君はまだそこまで仕上がってないので、アニメのEDで持ってた短剣で。
勇者等級になると、ヒーロー名みたいに固有名が授けられたり。
かっちゃんは竜族系のなんか偉いところの生まれ。
昔、イズク君と幼馴染だった。かっちゃんが竜族かなんかじゃないかって周りの住民にバレはじめて引き離されました。
そのときの記憶は魔法か別の何かでイズク君は忘れております。
そんな感じの馴れ初めベースに十傑勝デクを書いていこうと思います！
更新日：２０１９／０１／２２
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