◆具象≠抽象+MARGINAL◆










夜中の東京を俺は走り回っていた。

最近怠っていた自警活動を毎日やっているのは、爆豪君からの指示だ。
まあ、一連の事件で和歩が現場に居合わせたのを切っ掛けに再開したけど、この時間の何処でって明確なパトロール場所は爆豪君の采配である。彼から直接ではなく、飯田君を仲介して俺に指示が来ている。

俺は爆豪君のスマホ番号を知らないし、爆豪君も俺の番号を知らない。飯田君とは、この件を機に番号交換した。飯田君に爆豪君の番号を聞けば話は早いが、爆豪君の方が飯田君に俺の番号を聞いていないのなら、俺が出しゃばる行動はしない方がいいかなって思う。

しかし。
俺は何だかヤバそうな気配を背後に感じて、滑走の速度をバイクぐらいに速める。
速めた直後、キン!と音がして、俺は後ろを確認した。すれば、俺がさっきいた辺りの道路に針が刺さっていた。太さを見た俺は青褪める。身体に刺さったら絶対痛いやつだ!
慌てて更に速度を上げた俺の背後でキン!キン!と音が追い掛けてくる。

迫る音に背筋を凍らせながら、俺は汗を撒き散らして全速力で逃げる。気合いでジャンプして回避したりかなり焦る。仮にも自警団を名乗っているのなら立ち向かえと思うかもしれないが、俺は平和主義だ。
ヴィランを止めなければって意識はあるけど、ヴィランと戦う考えは一切ない。それは師匠の役目だったし。てかあの人、俺にパトロール怠ってるとか言っておきながら、自分だって大事な時にいないシッ、うわ、危な!足!足に針掠った!ズボン破れた!

反撃の術を持ち合わせてないわけじゃないんだけど……。
俺は針が飛んできた向こう、犯人の顔を見ようと振り返る。しかし、脳天に向かって針が飛んで来た。

「ッ!?」

避けきれない。俺はグッと目を閉じた。
俺の頭に穴が……開くことはなかった。予想していた痛みはなく、針が肉を貫通する音もない。代わりに、空気を切るような音が俺の鼓膜を震わせた。

キン!と遠くで音がしたのは、俺に向かっていた針が誰かによって塞がれたからだろう。誰が助けてくれたのか。
目を開けた俺が見たのは、緑の背中。パリ……と、発光する筋を纏っている。

「緑谷、君?」
「すみません、話は後で。自力で走れますか?」
「あ、うん!走れるよ!」
「こっちへ!」

緑谷君は俺の頭上、ビルからビルへと跳躍する。緑谷君の活躍はテレビでしか見たことがなかった俺は「うわあ」と思わず感嘆の声を洩らしてしまう。俊敏な動きに見惚れていた俺は慌てて緑谷君を追い掛ける。

並走する俺に緑谷君がちょっと愕いた顔をした。
跳躍しながら、ビルの二階あたりの壁面まで徐々に下がって来た緑谷君が俺に尋ねる。

「灰廻さん!あの、もっとスピード出せるなら、僕追い越してもらってもいいので!」
「え!でも、何処まで行けばいいの?」
「真っ直ぐ行けば飯田くんと轟くんが」

そこまで言った緑谷君は急に顔を険しくした。後ろへと跳躍した緑谷君は足を振り抜く。右足が強く発光しているように見えるのは、そこに力を集中させているからだろう。

緑谷君の足に弾き飛ばされるのは、あの針だ。道路のアスファルトやビルのコンクリートに刺さるほどの針を弾き飛ばす緑谷君の威力に俺は目を見開く。

「灰廻さん!行って」

くださいの声が掻き消える。マシンガンのように針が何本も連続で飛んで来たからだ。

緑谷君も俺も避けきれない。そう思った瞬間、俺の身体は浮いていた。
気付くと、俺はビルの屋上にいた。緑谷君も。そしてもう一人。俺と緑谷君を長い布で助けてくれたらしい黒い人物。この小汚い人、見たことある。プロヒーローだ。

「ったく、お前は毎回詰めが甘いな」
「あ、相澤先生……」
「イレイザーヘッドだ。デク」
「そ、そうでした。すみません、イレイザーヘッド」

そう。イレイザーヘッド。

雄英の教師になったのは、緑谷君達が雄英生だった時の記者会見を観てたから知ってる。
その前は東京で犯罪対策専門ヒーローに専念してたから、俺も何度か出くわしているんだ。やり合ったのは師匠だし、俺のことは……ちょっと関わり合いになったこともあったけど、昔の話だから向こうだって覚えてないはずだけど。

「お前は……」

え!?覚えてる!?と、俺はギクリと肩を跳ねさせる。
イレイザーヘッドが俺を指さす。

「マルカネのなるフェスに出てた芸人」
「芸人じゃないです!」

無理やりステージに立たされたから、十八番の乙女坂55のスキスキとまらないを歌っただけで、芸人ではない。

「思い出した。ポップ☆ステップのマネージャーだったな、そういえば」
「相澤先生!ポップ☆ステップ知ってるんですか!?」
「何、意外そうな顔してるんだ。あと、また先生って言いやがったな」
「あ!すみません!」

ポップのマネージャーはしてたし、否定する余地はないけど、なんか複雑。
俺が複雑な気分になっている間もイレイザーヘッドと緑谷君の会話は続く。

「それより、なんで一般人がデクといる?」
「ああー、えと」
「デク、無免許の奴が個性で他人に危害を加えたら立派な規則違反だ。相手がヴィランであっても同様だってのは分かってるよな?大人になったなら法律は守れ」

これ、俺が緑谷君と一緒にいたのが不味いんだよな……俺はイレイザーヘッドが言うように無免許の人間だ。正しいのは、イレイザーヘッドだって判る。判ってるけど。

「あの!すみません!俺が勝手にパトロールしていたのは爆豪君からの指示で!」
「爆豪?」

イレイザーヘッドは瞬き、緑谷君に確認を取るように目配せした。緑谷君はこくりと頷く。

「は、灰廻さんを巻き込むのはやめようって言ったんですけど、かっちゃんは本人もやる気だからって僕の話聞いてくれなくて」

な、なんか、俺のせいで緑谷君と爆豪君は揉めていたらしい。申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

「まあ、爆豪に考えがあるなら説教は後にする」
「……不完全燃焼」
「そう思うなら、信頼されるように努力しろ。俺は問題児を簡単に信じられるほど甘くないぞ」

イレイザーヘッドは爆豪君贔屓なのかな?緑谷君のことを嫌っている感じはないけど……学生の時に緑谷君は何かやらかしたんだろうか?問題児と言われてたし。

「ところで、イレイザーヘッドはどうして東京に?」
「要請されて来たんだよ。十年前のトリガー事件を締めてたからな」
「え!?そうなんですか!?」

学校がどうのこうのと話し始める緑谷君とイレイザーヘッドの間に入れず、蚊帳の外になってしまった俺は所在無げに身体を小さくするしかない。

そうこうしているうちに、人影が飛んで来た。

「かっちゃん!」

爆豪君に向かって緑谷君は手を挙げる。爆豪君は迷わずに緑谷君に近付き、右拳で殴った。

「てッめェ!指示と違うことしてんじゃねェ!!」
「ご、ごめん。でも、途中までは誘導出来ただろ?」
「チッ」

舌打ちしたけれど、針を飛ばしていた犯人は飯田君が確保したらしく、爆豪君はそれ以上は緑谷君を責めなかった。
それを見ていたイレイザーヘッドが肩を竦める。

「相変わらずだな、お前ら」
「……イレイザーヘッド」

緑谷君ほど愕いていないけれど、爆豪君も何でイレイザーヘッドがいるのか疑問の目でいる。
爆豪君にもイレイザーヘッドは要請で来たのだと口伝えた。

「そんな話聞いてねェ」
「夕方に連絡が来てすぐに新幹線乗って来たからな。まだ、全員に伝達が行き渡ってないんだろう」
「そうかよ」
「明日中には他のヒーローにも情報が行く筈だが、解決したのか?」
「いや、なんかしっくりこねェ。検分次第じゃあ、作戦続行だ」
「そうか」

頷いたイレイザーヘッドが俺を見る。ギク!と俺は固まる。

「爆心地。この一般人を巻き込んだのは、お前の案だと聞いたが、本当か?」
「ああ、囮用だ」

オトリ!?
ば、爆豪君、ちょっとくらい申し訳なさそうに言ってよ!なんでドヤ顔なのさ!俺が囮って話も初耳だし!
てか、俺も昔のこと思い出してきた!イレイザーヘッドに囮役にされたんだった俺!デジャブ!

「お前のことだから何か策があるんだろうが、軽率すぎないか?」
「メガネ……インゲニウムの兄貴からの推薦でもか?」
「兄の方のインゲニウムか。アンタ、知り合いなのか?」
「え、ええ、はい。昔、事務所に誘われて。事情があって断ってしまったんですけど」

インゲニウムの事務所に誘われたって言ったらイレイザーヘッドは愕いていた。勧誘ってそんなに珍しいのかな?

「実力はあるってことか。しかし、不躾なことを言います。プロの現場にしゃしゃるなら、免許取得をお勧めしますよ」
「あー、はい」

いやあ、でも今は仕事にしたいわけじゃないんだよな。ヒーローにはなりたかったけど、趣味を仕事にすると身に入らないっていうか。それに、免許取るのも簡単じゃないし、お金もいるし。
駄々捏ねてる自覚はあるんだけどさ。
それにしても、イレイザーヘッドはヴィジランテとしての俺のことは覚えてないような感じだ。シラを切ってこのまま乗り切るのが得策かな。

「犯行の動機が最終的にヒーローなら、その前段階のヴィジランテが餌にほしい。免許取られんのは困る」
「永遠にって話じゃないだろ。この件が終わったらって話だ」

爆豪君とイレイザーヘッドの間にも入れず、俺は心の中で免許は取りませんと誓った。

針を飛ばしていた犯人は捕まったとのことで、俺は事情聴取もなく解放された。爆豪君が上手くやっといてくれるらしい。俺は正式な協力者じゃないからね。
イレイザーヘッドも黙っててくれるみたいだ。ただ、問題は未然に防ぎたいから、何かあればそれ相応の対策はするし、最悪、俺に罰が下る可能性も示唆された。爆豪君にももっと詳しく俺を起用する理由を聞くって言ってた。やっぱ、先生だけあって厳しいな。少し肝が冷えた。まぁ、あの人、昔からコワい雰囲気あって俺もビビってた。

「灰廻さん、あの、一つお聞きしたくて」

さて帰ろ。って、四つん這いになった俺の真横に緑谷君がしゃがみ込んだ。
緑谷君は視線をきょろきょろさせていたから、俺は緑谷君が話しやすいように促す相づちを打った。

「何かな?」
「その。トリガーで暴走した人達は、戦意を喪失すれば薬の効力がなくなって抵抗しなくなると説明されたんですけど、本当なのかなって」
「うん。本当だよ」
「それは、倒す以外でもいいんですか?」
「え?あー、どうだろ。和歩のファンでトリガー摂取しちゃった人がいたけど、和歩との握手で逆に興奮しちゃってたからね」

ウナギの個性を持ってて、和歩と握手した後にも強力なトリガーを摂取してしまったんだ。大暴れしていたときのことは知らないけど、次に会ったら人だった見た目が殆ど異形型になってて最初誰だか気付かなかった。和歩から東京に戻ってきて再開させた路上ライブによく来てくれていると聞いているし、俺が緑谷君と爆豪君を連れてポップのライブに案内したときも彼の後ろ姿を見掛けた。
トリガーを摂取したのは彼の意志ではなく、強制的にだったから彼も被害者だ。自分自身に劣等感を持っていた彼も今では楽しく毎日を過ごしているようで、俺は微笑ましく思っている。

「そうなんですね」

緑谷君は何か考え込んでいたけど、俺が待っているのに気付いて慌てて立ち上がった。

「すみません、お引止めして。気を付けて帰ってくださいね」
「うん。緑谷君も気を付けて」

俺はビルを滑走で降りて行った。



翌日、飯田君からスマホに連絡が来た。俺はコンビニで仕事中だったからメールで。
昨夜、確保したヴィランは外れだった。
ただ、一連の事件とは無関係ではない可能性が明記されていた。

爆豪君と飯田君は共に春のなんとか大運動会で共演したヒーローが怪しいと踏んでいた。
警察で決定的な証拠を掴める機会があったものの、駄目だったらしい。事件現場にあった証拠品に付着していた唾液を元にDNA鑑定をしたが、そのヒーローとは不一致だったからだ。

しかし、昨夜に確保したヴィランと、ヒーローから採取したDNAが一致した。
つまり。DNA鑑定のためにヒーローが唾液を提供したとき、昨夜のヴィランと入れ替わっていたのだ。

それが可能だったのは、そのヒーローには双子の弟がいたからだ。一卵性双生児だから瓜二つの顔だったことで、警察も入れ替わっていると気付かなかった。
今、確保されている弟のヴィランは全てにおいて黙秘を続けているとのことだ。兄のヒーロー事務所を警察が押さえに行った時には、既にもぬけの殻だったらしい。

事務所から押収した証拠品から、次の決行日が判明した。ターゲットのヒーローも何人かピックアップされていたらしく、その候補には、飯田君、緑谷君の名前もあったらしい。そして、俺、ザ・クロウラーの名前も。
流石にゾッとした。誰かに狙われているって確かなものを突きつけられたらそりゃ怖いし。

飯田君からのメールには、予想される犯行時刻と場所の地図が添付されていた。
最後の一文には、俺を心配する言葉があった。確実に危険な現場になるから、無理はしないでくださいって。
カクカクしている飯田君を思い出して、俺はふき出してしまったんだけど。それで、恐怖が和らいだんだ。

だから、俺はメールに添付されていた場所にいる。
オールマイトパーカーは昼間だとすごい目立つけど、行き交う人々はあまり俺を気にしていない。何度か「あ!苦労マンだ!」って指差されたけど、夜な夜なゴミ拾いをしているのはこの近辺では知られているから、物珍しさを感じないのだろう。

それにしても。一般人がたくさんいる。道路規制とかしなくて大丈夫なんだろうか?
あ、そういえば、犯人の目的ってヒーローの見せしめだっけ?ギャラリーがいなかったら、事件は起こさないから、警察もヒーローも犯人を炙り出してるんだ。……そういうのを未然に防ぐのが優先なんじゃないかと、俺は眉を潜ませる。もし、一般人に怪我人が出てしまったら大変なのに。

俺はスマホを取り出して、和歩に電話した。

『何か用?コーイチ』
「避難誘導をお願いしたくてさ」
『最近そういう現場にいなかったから、私自信ないんだけど』
「得意だっただろ?一生のお願い!」
『……プリン、奢ってくれる?普通のプリンじゃなくて、プリンアラモード。コンビニのやつじゃないわよ、ちゃんとしたスイーツ店の』

うわ、すっごい我が儘。って思ったけど、和歩の好物でお願いを聞いてもらえるなら安いものだ。

「奢る!プリンアラモード絶対奢る!」
『べ、別にそこまで必死にならなくても』
「へ?」
『なんでもないわよ!で?何処に行けばいいのよ』

俺は和歩に場所を伝えて、スマホを閉じた。

怪しい人物も見当たらないし、俺は街中を歩き出す。一般人に紛れるけど、出来るだけ他人と距離を開けて歩いた。
そうしたら、前方にソーガさんの姿が見えた。友人の二人も一緒だ。スマホを見ながら何か話し合っている。
俺は呑気に三人に近付いた。

「何してるんすか?」

突然話し掛けられてソーガさんは吃驚した顔で俺を振り返った。

「おま、何でこんなとこに」
「え?パトロールですけど」
「今日何があるか知ってるのか?」

ソーガさんが睨め付けるように俺を訝しぶ。何でソーガさんが俺を警戒しているのかサッパリ判らなかった。けれど、何があるか知っているのかって言葉に、ソーガさん達も一連の事件が今日ここで起こるって情報を掴んでいるのかもって思った。
本当に探偵さんなんだなー。

「知り合いに頼まれて、この辺りパトロールしてるだけですけど」
「知り合い?あのジジイじゃなくか?」
「そういえば、師匠あれから見てないや。ソーガさんは最近会いました?」
「事務所に来たけどな」
「あ。やっぱり、探偵事務所のボスって師匠なんですか」
「ああ?違ぇぞ」
「あれ!?」

ソーガさんがお前も知ってる奴だって言ってたから、てっきり師匠なのかと思い込んでいた。

「じゃあ、ボスって誰なんですか?」

そう俺が尋ねた矢先に、上空に浮かぶ何かで俺達に影が落ちる。俺はフワリと浮かんでいる人影を見上げた。逆光で顔はよく見えないけど、見知った人だった。

「あ。セレブリティ」
「ボスかよ」

え!?って、俺はソーガさんを振り返り、浮かんでいるセレブリティを指差した。

「探偵事務所のボスってこの人!?」
「ボーイ、人のことを指差すのは感心しないヨ」
「あー、すみません」

マコトさんに躾けられているセレブリティは人当たりが柔らかくなった。そこはいいけど。
女性スキャンダルは盛り返している。そこは駄目だよな。

「まあ、いいけど。ボクからの忠告。君達はここから離れた方が良いヨ」

そう言ってセレブリティは俺を持ち上げた。

「YOUは爆心地が呼んでるから連れて行くネ」

爆豪君からお呼びがかかっているらしい。
彼は今どの辺にいるんだろう?警察側は爆豪君に指揮も頼んでいるみたいなのはちょっと聞いたんだけど。ヒーローとしての実力も、事件の推理力も認められてるってことだ。

「テメェ、まだ爆心地とつるんでるのか?」
「つるんでるって言い方やめてくださいよー」

俺は良き友人だと思っているのだから。爆豪君は否定したけどさ……思い出したら辛くなってきた。

「もういい?長話されるとボクが爆心地にどやされるんだけど……」

セレブリティは爆豪君が苦手のようだ。春のなんたら運動会でそんな兆しはあったけどね。

「爆豪君のこと苦手なんですね」
「それ掘り下げないでくれないかな。まあ、苦手だけど」
「路線を前のに戻したらいいのに。爆豪君、インテリ系は好かないみたいですよ」
「あれ結構無理してたからやめたんだヨ。それに、若手の烈怒頼雄斗と方向性が被ったからネ。良い機会だと思ったのさ。男受けより女性受けしたいんだよ、ボクは」

プレイボーイを売りにしていたセレブリティはマコトさんの進言で男気溢れる兄貴キャラ路線に変更した。下っ端願望を持つ男子達が理想の兄貴を求めてセレブリティのファンとなったり、男受けは良かっただけに俺は勿体ないと思っている。あの時のこの人は俺も嫌いじゃなかったし。でも、無理してたなら仕方ないか。

「後輩が出来たのは嬉しいことだけどネ」

事務所で雇っている二人のことだろうなと過ぎる。見るからに昭和のヤンキー風情の二人はポップのフォロワーでもあったから、昔はよく鳴羽田区の怪しい情報について彼らに聞き込んでいた。懐かしい思い出だ。

「と、本当に長話し過ぎだヨ。行くヨ」
「あ、待ってもらえます?ポップと合流したいんですよ」
「あのガール?彼女、一般人だよネ?」
「いやー、なんか避難誘導してくれる人がいたらいいなって思って」
「避難経路は警察が確保してくれてるヨ」
「え!?そうなんですか!?」
「プロの仕事舐めてもらっちゃ困るネ。あと、大きな声じゃ言えないけど」

セレブリティは俺の耳元で「ここ歩いてる人の半分は私服捜査官だヨ」と教えてくれた。もう半分は本当に一般人だが、犯人を誘き寄せるためのギャラリー確保と一般人の避難と保護を兼ねている。
それを知って、俺はプロの仕事を疑った自分が心底恥ずかしくなった。

「まあ、ガールの声は良く通るしネ。この辺りに住んでる人なら、彼女の誘導の方が信用してくれそうだ。避難経路はボクから伝えておくヨ」
「何から何まで」

至れり尽くせり。使う場所違うか。

セレブリティは俺をヒーロー達が待機している中枢近くに送り届けてから、ポップと合流してくれるそうだ。俺もそれで納得して、ソーガさん達に手を振った。
直後。俺の頬を針が掠っていった。

「痛ッ、たあーー!」

手で触ったらベトリと血が付いた。思った以上に切っていて、俺は青褪める。
次に銃声が響き渡り、悲鳴が青空に劈いた。

「ヘイ!YOU!身体に異変は!?」

セレブリティが俺を抱えたまま、ソーガさん達も引っ掴んで上空にあがる。

「あ、いや!?特に何も!」

ビルの屋上に着地したセレブリティは俺達を下ろした。それから耳のインカムを通して、下の騒ぎの様子を見ながら警察の誰かに状況報告している。塚内って名前が聞こえて来た。

「大丈夫か?お前」
「うわ、ザックリ切れてんべ」

燃さんとラプトさんが俺の怪我を心配してくれる。血の量にしては激痛はないし、俺は大丈夫だと返事した。ソーガさんは少し離れたところから何か俺を睨んでるけど。

「灰廻さん!」

声がした方を見上げれば、この間と同じように緑のスーツを纏った緑谷君が此方に跳んでくる。しかし。屋上の塀に着地してもうひとジャンプするはずだった緑谷が足を滑らせる。
ベタン!と、屋上のコンクリートと緑谷君が引っ付いた。緑谷君は顔面から落ちたのだ。

「み、緑谷君!?」
「いてて、焦ってて調整間違えた」

緑谷君の個性って自分で何か調整しないといけないのかな?学生の時は個性に振り回されてた時もあったけれど。
上手く出来なかったことに緑谷君が悔しそうな顔をしていて、やはり俺は彼に自分と近いものを感じてしまう。

「あ!灰廻さん!?血が!!」
「緑谷君も顔擦りむいてるよ」

血まで出ていないけど、緑谷君もさっきので顔が傷だらけだ。

「デクってあんなんだっけ?」
「コンビニで見たときはあんなんだったろ?」

ヒーローデクと緑谷君の素はやっぱり客観的に見ると結び付かないようだ。
二人の声に緑谷君が振り返り、ソーガさんもいることに気付いてびゃ!って感じで俺の影に隠れた。

「ほんとにソーガさん苦手なんだね」
「す、すみません」

謝らなくてもいいよと返しつつ、俺は頭を掻く。
ソーガさんは緑谷君の怯えを失礼とでも感じた様子でケッと悪態づいている。

「話してるとこ悪いけど、デクもお仕事してヨ?」
「あ!はい!」

セレブリティに手招きされた緑谷君は俺から離れて二人で話し始める。そっか。緑谷君からしたらセレブリティはプロヒーローの先輩だもんな。
緑谷君はセレブリティの言葉を真剣に聞きながら手元にメモを取っている。紙もペンも無いからエアメモ……。

「あ。そういえば」

俺が質問したいと手を挙げれば、セレブリティは続きをどうぞと手を差し出してくれた。

「ビルの屋上って目立ちませんかね?路地裏とかの方がいいんじゃ?」
「ノンノン。細い路地裏ってのは、複数の敵を誘き寄せて一人一人退治するものだよ。それにヴィランが使う常套手段だし、ヒーローらしくないよ。ヒーローは協力するものだからね、応援要請しておいて分かりづらいところにいたら元も子もないカラ」

あのセレブリティでも、ちゃんと考えがあったのだ。会った頃は見せ場を独り占めするタイプだったのに。
俺は感心しながら何度も頷く。しかし、その横で緑谷君が暗い顔をしていた。

「あれ。どうしたの?緑谷君」
「あ、いや、ちょっと古傷が」

苦しそうに胸を押さえる緑谷君の背中を俺は撫でる。これで和らぐ気はしないけど、そうしたかった。

「屋上からなら、全体を俯瞰出来るんだヨ。警察に状況報告して指示を仰ぐなら最適だ。敵に飛行系の個性を持ったヴィランがいなければの話だけど。まあ、今回の事件で飛行能力のあるヴィランがいた報告はないから大丈夫じゃないかな。他に質問は?」
「ありません」

屋上へ避難したメリットをセレブリティから説明され、反論の余地は無かった。
セレブリティに諭されたのは納得がいかないけれど、成る程と頷くしかない。

その時、緑谷君が付けているインカムに通信が入ったみたいだ。耳を手で押さえて、音漏れを塞いでいる緑谷君は相手と会話を始める。

「うん。灰廻さんと合流してる。他にはセレブリティと灰廻さんの友達が……え、うん」

向こうの話を聞いている緑谷君の表情がどんどん暗くなっていく。
大丈夫かな?

「う、ん。だけどさ……ッ」

ビクッてした緑谷君が眉を寄せる。崩れていく表情に俺は心配になってくる。

「だから!それは嫌だって言っただろ!」

突然怒鳴りだした緑谷君に今度は俺達がビクッてした。緑谷君が怒るのは珍しいことだ。だから、俺は通信相手の顔が判った。

「この間からかっちゃんはそうじゃないか!」

やっぱり爆豪君だ。
しかし、爆豪君が怒鳴ればインカムの外まで響きそうなのに、全く彼の声は此方まで聞こえてこない。爆豪君は静かに緑谷君に言葉を送っているのだろう。

緑谷君は涙を溜め始める。激昂しているところに爆豪君の言葉が重なって、感情が涙に変換されているのかも。

「……わかってる。分かってるよ。うん、じゃあ」

通信を終えた緑谷君は腕で目元を拭う。
はあ、と溜息をつく緑谷君を俺は見つめる。視線に気付いた緑谷君が頭を掻く。

「えと、お見苦しいところを」
「いや、それは構わないんだけど。さっきの、爆豪君?」
「はい。ちょっと喧嘩……じゃないか。僕が一方的に怒ってるだけなんで」
「もしかして、俺が原因かな?」
「ええ!?あ、違うんです!灰廻さんのことでちょっと意見が合わないことはありましたけど、原因はプライベートのことで!」

顔を赤くする緑谷君に俺は首を傾げてしまう。爆豪君のことを思い出して怒りに染まっている感じではなかったからだ。怒っているんじゃないのか?

「と!」

新たな声が聞こえて俺達はそっちに顔を向けた。ポップ☆ステップの姿にそういえば連絡したんだったと俺は手を打つ。

「コーイチ!電話に出なさいよ!探したじゃない!」

登場と同時に指をさされた。

「え?鳴ってないよ?」

俺はポケットを探った。あれ?ない……。

「スマホ落とした!」

どうしよう!?パソコンにデータのバックアップ取ってない!早く見つけないと!

「ちょっと俺、下に行って来ます!」
「灰廻さん!?」
「ヘイ、ボーイ!待ちたまえ!」

緑谷君とセレブリティの制止の声が聞こえたけれど、スマホがないと困るんだ。実際、生死には関わらないからこの世の終わりというほど困るわけじゃないけど、スマホは便利だ。失くしてしまうよりは見つけたい。

俺は個性の滑走でビルの壁を降りていく。サッと地面にまで来ると、一般市民は私服捜査官が安全な場所に誘導していた。
彼らの目を盗んで、俺は低い姿勢のまま辺りをキョロキョロ見渡す。

「あった!」

車道に落ちているスマホを見つけた俺は喜んだ。

「おや?」

しかし、俺のスマホの近くに三歳くらいの小さな男の子がいた。その子はしゃがみ込んでいて、周りの状況を理解していない顔をしていた。親とはぐれて、どうしたらいいのか判らない様子だ。

スマホの回収とあの子を保護して、ビルの屋上に戻ろう。俺は目先にのんびり近付いていくが、背筋に嫌な予感が奔った。

視界の右端に光るものを捉えた俺は咄嗟に加速して男の子を腕に抱く。足だけでは個性の発動条件を満たさない。俺は走れと自身に命令した。右足が何か固いものを踏んだけど構わずに。今はあれを避けなきゃ。でも、駄目だ。
スローモーションのように俺の感覚が研ぎ澄まされるけど、それは間に合わないからだ。針が俺達に目と鼻の先まで迫っていて、回避なんて出来ない。せめて、この子だけでも!と、俺が男の子に覆いかぶさる。

もう駄目だ!って目を閉じていた俺に痛みはなかった。

「へ?」

目を開ければ暗い。建物と建物の間にある路地裏だ。

「灰廻さん達はここに隠れていてください」

緑谷君が俺達を助けてくれたみたいだ。また助けられてしまった。
彼はそれだけ言うと、車道の方に飛び出していく。

「緑谷君には隠れてろって言われたけど」

腕の中の男の子がぐずり出してしまった。状況は未だに理解していないみたいだけど、何か怖いことが起こっているって直感しちゃったんだろう。

セレブリティが言っていたように路地裏は攻めに入るなら、都合が良い場所だが、守りには向いていない。隠れる場所としては有りだけど、何かあった場合、俺はこの子を守り切る自信がいまいち無い。俺って、いつまで経っても残念なエセヒーローだ。
でも、だからこそ、自分に出来ることだけはしたい。俺は警察のところまで、男の子を送り届ける決意をする。

俺は男の子を背中に乗せて、路地裏の奥に進んだ。途中で行き止まりになってしまったが、なんのその。俺の滑走は壁も走れるんだから問題は無い。

「すごーい!」
「子供に喜ばれる男!ザ・クロウラー!」

背中に乗っている男の子は泣きそうだったが、乗り物である俺が壁を走ったことで笑顔になった。「くろーらー、くろーらー」と男の子が俺を呼んでくれて感動してしまう。舌ったらずなのは仕方ないから、いいんだ!大人になったらちゃんと呼んでね!
この子が大人になっている頃まで俺は自警活動しているのかなって、ふいに疑問になったけど、四十五十のおっさんになっても俺は続けているだろうなって漠然と思った。緑谷君達もずっとヒーローを続けるだろうし。

俺は警察の人がたくさんいるところに男の子を預けた。既にお母さんが警察に駆け込んでいたらしく、親子の再会を俺は見送った。

「君、もしかして」
「え!?」

突然、肩を掴まれて俺は振り返る。
防弾チョッキ姿の見知った顔。

「あ。前に家にいらっしゃった警部さん」

俺が住んでるペイントハウスが建ってる古ビルに爆豪君が大穴を開けた件で訪ねに来た警部さんだった。つまり、塚内さんだ。マコト先輩のお兄さんの。
その節は有り難う御座いましたと頭を下げると、彼は一瞬面食らった顔をした。

「あ、ああ。君だったんだね。そのパーカーを着ていたからポップ☆ステップのマネージャーだと気が付いたんだが、そうか。君が苦労マンだったのか」

なんでみんなして、ポップのマネージャーってイメージ付いてるんだろ……。
俺がマコト先輩と知り合いだってこと、塚内さんは知らないから仕方ない……にしても複雑だけど。あと苦労マンじゃありません!

「塚内警部!」

丁度、猫っぽい部下らしき人がやって来た。ええっと、三茶って呼ばれてたっけ。
って、そんな暢気にしてる暇ないよ。これ以上長居をすると不味い。
俺は逃げた。

「あ!ちょっと!待ってくれないか!」

待てと言われて待つヴィジランテはいない。俺は急いでその場を走り去った。
俺に追いついてくる警察はいなかった。そもそも、追い掛けられていないかもしれないけど。

緑谷君達が心配だし、俺は元の場所に戻って来た。
すごい色んな音がする。激しく交戦している音だ。路地裏の影から、こっそりと路上を窺う。

知っているヒーローが何人もいて、敵と戦っている。飯田君やイレイザーヘッドの姿もある。針を飛ばすヒーローもいたが、彼は敵側にいた。爆豪君から聞いていた通り、彼が実行犯で間違いない。
何でヒーローがヴィランになるんだと、俺は自分の拳を握り締めていた。

針のヒーローと戦っているのは、緑谷君だった。緑谷君も敵のターゲットにされていた。彼のことだから、囮を買って出たに違いない。俺が囮役をすべきだったのに。

それに。何がヤバいって、他のヒーローが相手をしている奴らだ。
人の型からはみ出ている奴らは総じて脳が剥き出しになっている。数年前に、東京にも現れたことがある。敵連合が操っていた脳無って呼ばれる改造生命体。何をどう改造したのかは詳しく知らないけれど、奴らがヤバイってことは知ってる。もうずっと現れていなかったから、脳無はいなくなったって思っていたのに。

「きゃああ!」
「くそっ!こっちくんな!」

俺は悲鳴が聞こえた向こうを振り返る。ポップとソーガさん達、四人が複数の脳無に囲まれていた。
敵の数に対してヒーローの数が圧倒的に少ない。応援要請がまだ間に合っていないのだ。

「ヒッ!」

一番後ろに下がっていたポップの肩を脳無が掴んだ。カッとなった俺は足がガタガタ震えているのにも構わず、全速力で滑走した。
ドガ!と、全身で脳無に体当たりする。俺にタックルされた脳無はその場に倒れ込む。

「いてて」
「コーイチ!?」

尻餅をついてしまった俺をポップが支えてくれた。

「ア、アンタ!何やってんのよ!」
「いやあ、良いとこ見せたくて」
「ッ、なによ……。バッカじゃないの!」
「ヒド……」

和歩の減らず口はポップの時も変わらないんだよなぁ。裏表がないのは和歩の良いところだけどさ。

「おい!漫才してる場合じゃねーぞ!」

ソーガさんが起き上がる脳無を指差し、俺はポップの手を引いて体当たりした脳無から離れる。

俺達の中だと、ソーガさんが一番攻撃に特化した個性持ちだけど、ソーガさんの手から伸びている鋭い爪は既にボロボロだ。彼でも歯が立たないほど、脳無は強靭なんだ。
勝てる気がしない状況に俺達は身を寄せ合う。

すると、目の前で炎が舞った。
この光景見たことあるなと感じた瞬間、一人のヒーローが飛び降りてきた。彼は立ち上がりながら、俺らを振り返る。
オッドアイの瞳に、赤と白のツートンカラーの髪。ショートだ。

「ここは危ねえぞ。早く避難しろ」

つっても逃げ場がねぇか。と、見た目のクールさに反して荒めの言葉遣いをするショートに瞬く。テレビとかで見るときはだいたい敬語で喋っていたからだ。あ、でも、雄英の体育祭だとこんな喋り方だった気がする。こっちが素なんだ。

「爆豪君に囮役任されてるんだけど、俺」
「爆豪?ああ、アンタか。飯田とジョギング仲間ってのは」
「そ、そうです」
「個性も聞いてる。結構速ぇらしいな」
「まあ……」
「俺が氷でジャンプ台を作る。そいつらと一緒に飛んでくれ」
「え!えええ!?」
「爆豪に囮役頼まれてんだろうけど、緑谷が相手してるからな。救助優先だ」

待ってくれ。ショートは俺の愕きに全く無反応で話を進めてしまう。声も淡々としていて、マイペース。もしかして、ちょっと天然?

ショートは右手で道路の横幅を全て覆ってしまえるほどの氷を一瞬で出した。高さは二十階建てのビル以上もある。坂になっているので、下から走ればジャンプ台になるだろう。
しかし、あまりの急勾配に俺は青褪める。これを全速力で走って跳べとおっしゃるのか。しかも、ポップ達を背負って。無理でしょ。

「いやいやいやいや、無理ですって!」
「そうか?」

首を傾げるショートにやっぱり天然だ!と俺は目頭を押さえた。
イケメンで顔の火傷の痕もミステリアスで素敵と女性人気が高いショートはファンからスマートにエスコートしてくれそうと思われている。だが、俺は今確信した。そんな芸当、彼には出来ないと。

「緑谷がアンタの個性と俺の個性は相性が良いって言ってたぞ」
「組み合わせるのにも、上限というものがありまして」
「そういうもんか?」

ショートが疑問を口にした直後、氷台の上の方で爆破音がした。上から氷を滑り降りてくるのは爆豪君だった。うわ、あんな急なの立ったまま滑ってくるんだ!すげぇ!
下に爆破を放ち、爆豪君は一回転すると、綺麗に着地した。俺だったら、みっともなく転けてただろうに……。

「これは救助用だ」
「あア?敵が逃げないように囲ったんじゃねェんか」

淡々としているショートに爆豪君は軽く悪態吐いている。
氷の巨大な壁にしか見えないジャンプ台を一瞥しながら、爆豪君はショートに不満を重ねた。

「つーか、半分野郎がこんなもん出したせいで、応援の奴ら半数以上こっちに入れねェんだぞ。どーすんだ」
「悪ぃ」

やってしまったって感じだけど、相変わらずショートは淡々としている。炎を出そうとするショートを爆豪君が手振りで制する。
全体の戦況を見て、氷の壁を溶かすのは惜しいって判断したみたい。

「Mt.レディが来るまでは囲ってろ。ヒーローの運送はケツアゴに任せる。一番の誤算は脳みそ野郎が出てきたことだかんな。あれ相手じゃ警察が立ち回れねェ。先に敵の数を減らす」
「一般人がいてもか?」

ショートが俺達を指差した。爆豪君が俺を見る。俺は「やあ」と右手を挙げてみた。爆豪君がギン!と目を吊り上げる。怖!

「てっめェ!ナード顔!言われたことも出来ねェんか!!マジでクソデクと似てやがるな!クソが!!」

ズンズンと近付いてくる爆豪君に、俺は直立して背を真っ直ぐにした。ごめん!ごめんなさい!
い、言われたことって囮になれってあれだよな?

「死ねえええええ!!」

死ね!?
俺は爆豪君に首根っこを掴まれ、投げ飛ばされた。

「きゃああ!コーイチ!?」

ポップの悲鳴が遠退く。俺は何かにぶつかった。
落ちる!って思って、俺は手に触れたものにしがみついた。

「は、灰廻さん!?」

緑谷君が相手をしていた針を飛ばす奴に俺はぶつかってた。
俺は針男の背中に乗っていたわけである。それを理解した俺は、顔を蒼白にして悲鳴を上げる。

「うわあああ!?」

離れようと思ったけれど、傷だらけの緑谷君が目に入って、俺は逃げちゃ駄目だって思った。
ヒーローを助けたいって自警団が思ったら駄目かよ。

俺は、ヒーローに憧れてた。オールマイトの最期の戦いを、見てた。
仕事の帰り道、生中継をスマホで観ていた俺の足は止まってた。あんなラスボスみたいなヴィラン、オールマイトにしか倒せなかっただろう。けど、俺は今すぐ助けに行きたい気持ちでいっぱいだったんだ。
あの時は手を伸ばして届く場所じゃなかった。でも、今は手を伸ばせば届くじゃないか!

針男のスーツはアーマーを纏っていた。これならイケると、俺は個性で吸着する。

「俺が、来た!」

引っ付く俺を針男は振り落とそうとブンブン身体を振るが、その程度で俺は剥がれ落ちない。
口から針を飛ばさせないように、俺は針男の首を腕で締め上げる。

「灰廻さん!離れて!」

緑谷君が瞬発して目の前に飛び込んできた。蹴りを放つ動作を見て、俺は手のひらに滑走の反発力を集中させてエネルギーを気合いでギュッとさせてドーンした。ザ・クロウラーKGDだ。昔色々試して編み出した技だけど、体当たり程度の威力しかないヘボ技。でも、俺が弾かれるようにして針男から咄嗟に離れることが出来た。
俺は後ろ向きにでんぐり返りを繰り返し、何処かの建物に背中をぶつけて止まった。逆さ向きのまま、よし!と、顔をあげる。光が見えた。
緑の発光は緑谷君自身が放っているものだが、俺には辺り一面を照らすように見えていた。

「スマアアアアアアッシュ!!」

針男に緑谷君の蹴りがめり込むと、針男は一瞬にしてその場から消えていた。ドゴッと音がしたのは蹴りの起動先で、針男は何百メートルも向こうのビルに叩き付けられていた。
い、意外と緑谷君もえげつないよね……。

でも、主犯格が倒れたことで、脳無も動きを止めた。これで一安心だ。
俺はそう思った。けれど、違ったんだ。
ヴィランが警察に確保されるまで、気を抜いちゃいけなかったんだ。

俺は暢気にやったね!と緑谷君に近付いた。
そのとき、針男が身じろぎし、残りの力を振り絞って針を飛ばした。
それに気付いた俺は回避するどころか、倒れていた脳無に足を引っかけて転んだ。体制を立て直す暇もなかった。

「危ない!」

緑谷君が覆いかぶさったことに頭が真っ白になったけれど、緑谷君は不思議な顔をしていた。

「え?」

と緑谷君が振り返る先を、俺も見る。
爆豪君の背中があった。彼は右肩を押さえて、膝をついた。

「かっちゃん!?なんで!」
「クソがッ、だから言う通りに動けっつったろーが!!」

爆豪君は緑谷君に怒っている。緑谷君を庇ったんだ、爆豪君は。
俺と緑谷君が爆豪君に近寄るけれど、爆豪君に突き飛ばされてしまう。

トリガーと同様以上の効果を発揮するそれを打たれた爆豪君は、身体の異変を抑え込もうと手で腕を掴んでいる。けれど、それで収まるものじゃない。
身体中の血管が浮き出て、爆豪君は吼える。掌の爆破を彼方此方に当たり散らす。俺は吃驚したけれど、爆豪君は人のいない場所に向かって爆破を放っていた。
爆豪君は直情型に見えて理性的なんだ。だから、薬物にも抗っている。

「灰廻さん……もう一度、確認させてください」
「緑谷君?」

横の緑谷君は俺を見ずに、爆豪君を見据えたままだ。
彼の横顔は決意を固めているもので、それしかないと腹を括っているヒーローの面持ちだった。

「戦意を喪失すれば、薬の効果もなくなるんでしたよね」
「そうだけど、今の爆豪君を倒すなんて出来るの?」
「倒すのは無理だと思います」

俺を振り返った緑谷君は困ったように笑っていた。ヒーローの顔から変わった。どう変わったかは俺には説明出来ないけれど、強いて言えば慈悲に近いのかな。
緑谷君のその目尻には涙が溜まっていて、自身の不甲斐なさを責めているように感じられた。

「ちょっと、かっちゃん止めてきます」

そう言って、緑谷君は涙を腕で拭い、立ち上がった。
俺はただ、彼の背中を見送ることしか出来ない。

爆豪君は未だに自分に抗っている。他のヒーロー達も爆豪君の異変にはもう気付いていた。
針男は既に気を失っている。彼のターゲットに爆豪君は含まれていなかったけれど、これでヒーローの暴動を世間に知らしめる針男の悪巧みが成功してしまう。上空のヘリから撮影されている映像が全てを伝えてしまう。悔しすぎる。

他のヒーロー達が近付けない中、緑谷君だけが爆豪君に歩み寄る。

「かっちゃん」

緑谷君を振り返った爆豪君は手を持ち上げる。

「僕を見たら、かっちゃんはそうなるよね」

爆破の中を緑谷君は突っ込んでいった。
爆煙で一瞬何も見えなくなったけど、煙が風に攫われると、緑谷君が爆豪君を押し倒していた。緑谷君は個性をかなり強く出しているんだと思う。かなり必死な形相で光の迸りを纏っている。

動けないでいる俺に近寄る影があった。ポップとソーガさん達だ。ソーガさんが俺を背負ってくれる。

「あ、有り難う御座います」
「いいから、離れるぞ」

俺達は緑谷君と爆豪君を迂回するように移動する。俺はソーガさんに負ぶさったまま、二人から目を離さずにいた。

二人の横顔を確認出来る位置で、それは起こった。

「君は僕からされるの嫌だろうけど……ごめん」

緑谷君は爆豪君になんでか謝った。
俺は成り行きをただ眺めていたわけだけど、緑谷君は顔を近づけ、彼に口付けた。

へ?

俺がぽかんとすると、ソーガさん達の足もいつのまにか止まっていた。
暫く、静かな時が流れた。

爆豪君の腕が持ち上げられる。まだ薬物の効果が!って俺は焦ったけれど、爆破は起こらなかった。
爆豪君の拳が緑谷君の左頬に入った。殴り倒された緑谷君は爆豪君にすぐさま胸倉を掴まれる。

「てっめェ!いい度胸してんなア!マジでブッ殺すぞ!!」
「よ、良かった、かっちゃん。正気に戻ってくれて」
「あアン!?」

ガクガクされながら緑谷君は喜んでいるけれど顔は真っ青だ。
その時、ヘリに乗っているリポーターの声が響き渡る。

『ご、ご覧ください!デクが何をしたのか上空からでは確認出来ませんでしたが、爆心地の暴走は食い止められたようです!また爆心地がデクを罵っています!あれは暴走ではなくシラフだと思われます!』

緑谷君が爆豪君に覆いかぶさっていたから、真上からは見えなかったんだ。良かったと俺はほっとする。何が一安心から判らないけれど、セーフだ。

「死ねえええええ!!」

今度は緑谷君が爆豪君に死ねと言われながら投げ飛ばされた。ショートが出した巨大氷の上まで飛び越えていってしまった。爆豪君、飛ばしすぎだよ。緑谷君どっか行っちゃったよ。

もうその頃にはたくさんいた脳無も一体残らず倒され、拘束が完了していた。気絶していた針男もイレイザーヘッドに捕縛されていたし、他の協力者達もプロヒーロー達が拘束し終えていた。

事件は収束されつつある。Mt.レディが氷を砕く音を背中に俺達は路地裏に駆け込んだ。移動している最中、俺は見覚えのあるスマホが落ちているのを発見した。

「あ!俺のスマホ!」

俺が指差した先にあるスマホをポップが拾ってくれた。手渡してくれたけど、スマホの画面はバッキバキに割れていて、本体も曲がっている。電源も入らない。男の子を助けたあの時、何かを踏んだ感触があったけど、俺のスマホだった。さよなら、俺のスマホ。
とほほ……。悲しむ俺の背中をポップが優しく撫でてくれた。ありがと。

路地裏に入り、奥に進むと、脳無がいた。うわ!って息を呑む俺達だったけど、その脳無は再起不能だった。ナックルダスターである師匠に引き摺られていたからだ。

「し、師匠!?その脳無素手で倒したんすか!?」
「それがどうかしたか?」

うわー、やっぱこのおじさんヤバイよー。

師匠は懐から小鳥を取り出して飛ばした。あ、シマエナガ。目が赤いけど、俺はそのシマエナガが家に遊びに来る子と同じだって直感した。何となくだけど。
シマエナガが師匠の手から離れると、大通りの方に飛んでいった。師匠はシマエナガを追い掛け、大通りに出て行こうとする。

「あ!師匠!そっちにはプロヒーローがたくさんいるんですよ!」
「ちょっと確かめてくるだけだ」

師匠は俺の制止を聞かずに行ってしまった。
心配だなぁ。師匠じゃなくて、師匠に巻き込まれる人達が。

「私も行ってくるわ」
「ポップも?」
「避難誘導はまだ必要でしょ?私は自警団じゃないから捕まる心配はないし。ついでにオッサンが何かやらかさないか見張っといてあげる」

わあ!助かる!
ポップは跳躍の個性でポンポン跳びながら大通りへ飛び出した。

「お前なんかボロボロだし、今日は俺ん家に泊まれ。こっから近いしな」
「うわ!ソーガさんの家初めてだ!」

喜ぶ俺にソーガさんは微妙な顔をしつつも、俺を背負い直して運んでくれた。
俺とソーガさんの友情は深まった、かな?



それから数日。
ニュースは一連の事件解決報道で連日賑わっている。

針男はヒーロー殺しの信者だった。この事件を起こすためにヒーローの資格を取得し、何年も前から弟と計画していたと供述している。

緑谷君や飯田君を最終ターゲットにしていたのは、ヒーロー殺し事件に関わっていたかららしい。ショートもターゲットにされていたようだ。
三人は雄英生の時に職場体験で保須にたまたま居合わせて巻き込まれてしまったらしい。ニュースキャスターがそう言ってた。まだ学生の時だったらめっちゃ怖かっただろうなぁ。でも、なんで俺の名前まであったんだろう?変だよな。俺はそのとき、静岡に住んでいたんだし。

脳裏にスタンダールさんの姿が過ぎったけど、俺は顔をブンブン横に振った。ヒーロー殺しのことを思い出すといつも影が見える。なんなんだろ、これ。

事件の話に戻ろう。
針男のヒーロー事務所に所属していたサイドキック達も同じくヒーロー殺しの信者であり、事務所ぐるみでの犯行だった。
事務員達だけは派遣会社からの雇用だったみたいで、いつも通り出勤したらヒーロー達がいない代わりに警察がたくさんいて愕いたという。
あ、でも、一人の事務員女性とセレブリティが親しくしていたことから、その彼女だけは動向を把握していたけど。そもそも、その事務員女性が情報提供してくれてたって。

トリガーに似た薬物はヤクザ御用達の裏ルートから仕入れたものであり、脳無も同様らしい。警察は裏ルートを探るためにまだまだ仕事中で、パトカーをよく見掛ける。

俺はというと、事件解決で一段落して今日はパトロールをお休み。久しぶりにジョギングに励んでいた。

「は・い・ま・わ・り・さーん!」

後ろから聞き覚えのある声がして、俺は前に進まず、その場で走る動きだけする。待つこともなく、ズダダダダと飯田君が横に並ぶ。

「ご一緒してもよろしいですか!」
「いいよ」

俺達は並んで走った。

「ケータイが繋がらないので、心配していました」
「ごめんごめん。スマホ壊れちゃってさ。明日新しいの受け取りに行くんだよ。また連絡先教えてくれる?」
「それは勿論!」

俺は自分の不注意でスマホを壊してしまった。飯田君の連絡先も消えてしまったから、新しいスマホが来たらまた登録したい。飯田君が笑顔で答えてくれたのが、すごく嬉しかった。

「先日は大丈夫でしたか?」
「ああ、うん。平気だよ。ヒーローが頑張ってくれてたし。ショートも凄かったよ」
「轟くんは学生の時から優秀でしたから」

同級生を褒められ、飯田君も誇らしげだ。

「しかし、すみません。灰廻さんと一緒に戦えず……」
「いや!気にしないでよ!」

飯田君は避難誘導と遠くで右往左往していた脳無の確保に向かっていた。彼には彼の役目があったのだから、気に病む必要なんてない。

「緑谷君から聞いているんです。灰廻さんの素晴らしい活躍を!」
「お、俺は何も出来てないよ?」

緑谷君は何か話盛ってるんじゃないかな?針男を倒したのは緑谷君で、俺は本当に役立たずだったし……。

「警察の方からも、灰廻さんが小さな男の子を保護してくれたとお聞きしています!」
「あ、ああ、うん。それはそうなんだけど」

飯田君がキラキラした目で褒めてくれるからすごい恥ずかしいぞ。滅茶苦茶照れる!

「ところで、一つお聞きしたいんです」
「何かな?」
「爆豪君が敵の針にやられたそうですが、どのようにして薬物を克服したのでしょうか?」
「え!?」

その場に居合わせなかった飯田君は、その時の状況を他のヒーローに尋ねたそうだが、皆一様に口を噤んでしまったらしい。爆豪君に直接訊いても怒鳴られるだけで、一向に教えてくれないのだと。

「灰廻さんはご存知ですか?」
「ご……ご存知ですねー」

飯田君から期待の視線があり、俺はどうしようかと一考する。まあ、緑谷君も爆豪君を止めるって意図でああしたんだろうし。いいかな?

「緑谷君が爆豪君にキスしたんだよ」
「…………」

あれ?飯田君が消えたと思ったら、後ろで立ち止まってしまっていた。彼は何故か上を見上げている。
あ。日の出が出てきたね。

「すみません。灰廻さんは、どのように感じていらっしゃるのでしょうか……」
「感じるって別に何もだよ」
「緑谷君が何故そのようにしたのか、灰廻さんは気付いておられるのでしょうか?」
「え?爆豪君の暴走止めるためだよね?緑谷君、俺にトリガーは戦意がなくなれば薬物の効果がなくなるって話聞いてたから、爆豪君の気を逸らせるためにそうしたんだと思うよ」

と口にしながらも、俺も疑問はちょっとだけ残ってるんだよね。爆豪君って緑谷君に気に入らないことされると凄い怒るからさ、緑谷君も嫌だろうけどって言ってたし、それなら爆豪君の頭に血が上って逆効果になるのが普通だよなって思うんだ。
でも、俺は爆豪君じゃない。彼のことを知ってはいても、幼馴染でずっと近くにいた緑谷君ほど知ってるわけでもないってことだ。二人の性格は把握しているつもりだけど、緑谷君と爆豪君の関係は今も不思議だなって感じてる。

飯田君はじっと、空を見上げていたが、顔を正面に戻して眼鏡を整えた。
空は明るく色づいてきて、飯田君の眼鏡のレンズをキラリと光らせる。

「なるほど」

何か深く考え込んでいる様子だったが、飯田君は走り出し、俺も並んで走る。

「あの」
「ん?」
「これからも!緑谷君と友好を深めていただけますか!」
「うん!任せてよ!」

俺はにっこりと笑った。





























◆後書き◆

事件解決しました。この間配信されたヴイジランテでポップちゃんを助けにいく灰廻さんが格好良かったので、「俺が来た!」な灰廻さんを書いてみたかった。
ヴィジランテ本編でイレイザーヘッドや塚内警部と灰廻さんが直接話すことあったら、これ書いたの下げたくなるだろうなと思うんですが、絡み書いてて楽しかったです。轟君も。
(※本編でイレイザーヘッドと灰廻さんの絡みがあったので一部書き直しました)

勝デクのちゅーを灰廻さん目撃してしまいましたが、まるっと疑っておりません。書いてる私が吃驚するほど鈍いお人。
ナックルダスターはあの場に突進した時には出久君はかっちゃんに投げ飛ばされた後なので目的は達成出来ていません。イレイザーヘッドと再び相まみえてその後逃走。

次回が最終回になりそうです。





更新日:2018/08/08
書き直し更新日:2018/11/20








ブラウザバックお願いします