◆NO÷name¬Typhoon◆
神々や怪物を幽閉した奈落の名を冠する刑務所の前で、出久は肝を冷やしていた。
「緑谷く……いや、デク。大丈夫かい?」
「は!はい!」
青褪めているヒーローの顔に刑事である塚内は本当に大丈夫だろうかと冷や汗を一滴流す。
そもそも、出久を凶悪ヴィランを収容するタルタロス刑務所に呼び出したのはこの塚内だった。
「先日、君に話した通りなんだけど」
「マスキュラーと面会、ですよね」
「ああ」
塚内は頷きながらも、思案顔を深める。上層部からの命令に従わなければならない事態を回避出来なかったのは、自分の力不足だと。
血狂いマスキュラーは三年前、雄英高校の林間合宿先を襲撃した敵連合の一員に含まれていた。その際、出久が倒し、刑務所に入れられた。
林間合宿襲撃と過去の事件への関与について供述を促していたが、警察側が把握していない事件にも関与していると向こうは唐突に口に出し、進展は芳しくない。マスキュラーの逮捕は雄英生徒の襲撃を罪状に捕らえているため、他の犯罪歴も全て洗い出さなければ処分を決定出来ない。
関与した事件の詳細を話すように誘導を続けたものの、マスキュラーは「緑谷を出さなければ話さない」の一点張りで詳しいことは一切口を割らなかったのだ。
出久がまだ学生である間は未成年を犯罪者に会わせるなど言語道断だと、道徳を盾に守ることが出来ていた。しかし、出久がプロヒーローとして社会人に並んだ今、警察からの協力要請に応じてもらう義務を阻止出来ない。
塚内としては、殺人歴のあるヴィランにデビュー間もない新人ヒーローを会わせるのは、危険を伴うのではないかと懸念している。
このタルタロス刑務所に新人の刑務官はいないのだ。人を殺めているヴィランの取り締まりを経験の浅い者に務めさせるわけにはいかないからである。
今、タルタロスに常駐している刑務官達の殆どが出久の倍は生きている。
オールマイトもこのタルタロスへオール・フォー・ワンへの面会に一度来たことがあり、塚内も行きと帰りの送迎をした。だが、その時には感じなかった緊張に塚内は背筋が冷えていた。
出久の緊張が移っている。首元を締めるネクタイを少し緩めて、塚内は出久の肩を軽く叩いた。
「気張ることはないさ。マスキュラーは全身を拘束具に巻かれている。刑務官もベテラン揃いだ。君に危害は及ばせない」
直後、出久から震えは消えていた。
顔をあげた出久に、塚内は愕かされる。
「大丈夫です」
ヒーローの瞳が、塚内を射抜いていた。
ニッ。と、笑った出久は誰もが認めるほどの英雄の顔で、タルタロスの門へと歩み出た。
「何かあったら、僕が全て救います」
その背中は大きく、塚内の緊張を消し去った。
緑のヒーロースーツの背中を見送る。あとは、出久が戻ってくるまで待機だ。出久の案内を刑務官に引き継いで、塚内は一度、タルタロスの天辺を見上げた。
パトカーに戻ろうとしたところ、向こうから歩み寄ってくる影があった。
此処は埋め立てで創り上げた孤島であるし、唯一の一本橋を渡るまでにもいくつかのセキュリティを通らねばならない。だから、塚内は出久と一緒にパトカーに乗せてきた人物だと、すぐに気がつく。
「爆心地は待っているんじゃなかったのかい?」
「ハッ。クソデクの言いなりなんか、なってられっか」
言い方に難癖があるが、車内での勝己と出久の様子をバックミラー越しに見ていた塚内は苦笑を洩らしてしまう。目敏く、勝己から睨まれるが、塚内は「失敬」と掌を見せた。
勝己は塚内から視線を外し、タルタロスの門を遺憾な顔で睨め付ける。
「デクが心配かい?」
「んなもン、してねーわ」
フイッと、顔を背ける勝己に塚内は肩を震わせた。
また勝己から睨まれるものの、塚内は動じなかったし、今度は詫びもしなかった。パトカーから降りて、ここまで足を運んでいる時点で、出久を気に掛けていることには違いないからだ。彼の言う通り心配していないのだとしても、明らかに気になっている。それは隠しようもない事実だ。
事前に、塚内は出久に今回の協力要請についての件を警察署で伝えていた。そのときに、別件の後処理のために警察署に訪れていた勝己が居合わせ、塚内は彼にも経緯を全て話していた。
三年前の林間合宿で、敵からターゲットにされていたのは勝己だった。マスキュラーの件はある意味で勝己にも関係がある話だからと出久の了承も得ずに塚内はその場で口伝えた。後々で出久から勝己には話してほしくなかったと苦言を零されたが、塚内は自分の行動を後悔していなかった。
出久の中で確実に、勝己の存在は拠り所になっていると思うからだ。
「待ってんのは性に合わねェ」
「手続きとか確認の手間が必要だけど、入るかい?」
「任せる」
塚内は苦笑し、勝己に所持ているヒーロー免許証を用意してくれるように言い、門を開いた。
前を歩く案内役の刑務官について行く出久は塚内には笑ってみせていたが、マスキュラーの面会部屋に近付くにつれて悪寒を感じていた。
刑務所というのは独特の空気感がある。すれ違う刑務官達も厳しい顔を一切緩めない。それ程に重圧と責任が課せられる場なのだ。
表世界の裏側ではあるが、ヒーロー業とも接点のある場所だ。ヒーローが検挙したヴィランが収容されるのだから、無関係のはずがなかった。
塚内からマスキュラーとの面会の話が出た際、彼はとても苦慮の表情だった。此方を慮ってのことだと出久は充分に理解していたし、先述の通り、ヒーローが避けられる問題でないことも理解していた。
雄英時代に幾人のヴィランと対峙した。その中の何人かはタルタロス刑務所に収容されている。自分とは一切関係ないと断ずるなど、理不尽な真似を出久は決して出来ない人間だった。
「こちらです」
刑務官が立ち止まり、手を向ける先に出久は身体の正面を向けた。
深呼吸をして、出久は前を見据える。
重い扉がロックを解除され、開かれる。
深淵に引きずり込まれるかのような引力を感じたが、出久はそれに身を任せることなく、意志を持ち、自分の足で進み出た。
室内の真ん中には空間を割るようにして分厚いガラスが貼られていた。真ん中に小さな穴があり、それが唯一、互いの空間を繋いでいる。
出久がいる側には、刑務官が一人角に立っている。出久をここまで案内した刑務官は閉じられた扉の前で待機し、門番を務めているので、別の人物だ。
ガラスの向こうには重厚な鉄椅子に座らされ、白い布で覆われた大男が頑丈なベルトで雁字搦めに椅子と繋がれていた。
その大男はマスキュラーだ。
彼の右の肉眼と左の義眼は出久を捉えてから興奮を抑え切れずに血走り、フーフーと息を荒くしていた。
喋られないのは口に猿轡のようなマスクを装着させられているからだった。
「落ち着け」
マスキュラー側の空間にいる刑務官が彼の首筋に注射器を翳した。
鎮静剤の一種だ。
息が静かになるマスキュラーを前にして、出久は大丈夫なのだろうかと鎮静剤の即効性を懸念する。
注射器を仕舞った刑務官はマスキュラーのマスクを鍵を使って外した。
瞬間。
ガン!とマスキュラーが座ったままで真ん中のガラスに頭突きした。ビクリと出久は一歩引いてしまう。
室内には自分とマスキュラー、刑務官が二人。銃口付きの監視カメラが向こう側に二つ設置されていること。窓は無く、換気扇が一つ。
それらを視認する出久の反応にマスキュラーは口端を上にあげた。
「いいなぁ。いいなあ!緑谷あ!!」
危機感に警戒して対策を講じようと室内の確認を怠らず、此方への意識も忘れていない。
出久が自分を注視している優越感にマスキュラーの口元から唾液が垂れた。闘争心の欲が抑えられない。
「薬……効いてないのか?」
「ア?薬?ああ、さっきのか。効いてるぜ、俺眠いもんなあ、今。あれはいけねぇよ。一時間後にはぐっすり寝ちまう」
どうやら、睡眠を誘発させる成分が多く含まれる鎮静剤らしいと判り、出久は少し安心した。
ヴィランは怪物ではない。人間だ。だから……。
「座れよ、緑谷」
「!」
思考に呑まれていた出久はマスキュラーからの呼びかけにハッとして顔をあげた。ニヤリと嗤う相手の顔に善人のカケラは見当たらない。
出久は此方側と向こう側にいる刑務官二人と顔を見合わせ、どちらからとも頷き返された。そして、出久も頷き返す。
マスキュラーの正面に用意されている、唯一の家具と言っていい簡易椅子に出久は座る。
ガラス越しでも、マスキュラーの迫力は三年前と遜色なかった。
威圧感に出久は怯え始めるが、マスキュラーを睨み付ける。
「僕に会いたいと、聞いた」
どういうつもりなのか。
問い質すようなその目は三年前も見たなと、マスキュラーは唾液を飲み込んだ。
「会いたかったさ。またお前と闘いてぇ。そんで血ぃ見せろよ、緑谷ぁ」
「それだけかよ」
訝しむ出久にマスキュラーはやれやれと首を振る。白ける返しはいらない。
「不満ってツラはやめろよ。ヒーローがヴィランに何を求めてんだ?」
「求めてなんかいない。ここは刑務所だろ。お前がしなきゃいけないのは、罪を償うことだ」
「勘違いしてるぜ、緑谷。ここは牢獄さ。怪物を閉じ込めて死ぬまで見張るための棺桶そのものだ」
「勘違いしてるのはお前じゃないか。怪物なんていないし、ここは更生の場所だ。人として」
「人として?おっかしなこと言うぜえ、ここじゃあ、誰も俺のことなんか人として見てねーんだからよお!」
「僕は!」
「お前もだ、緑谷」
「え」
「俺のことを名前で呼ばない奴が、俺を人として見てる。なんてふざけたこと言うなら、俺はお前の正気を疑うぜ」
どっかの偉い先生だかが言っていたとマスキュラーは続ける。思い出す気などなかったが、刑務所に入ってから暇な時間が無限に出来てしまい、考えることしかやることがなくなった。それで仕方なく思い出した内容だ。
人は死んだら何が遺るのか。それは名前だと、墓碑に刻まれる名前だと、言っていた。
「ッ……」
言い返せずにいる出久をマスキュラーは笑い飛ばす。マスキュラーは名前を大事にしているわけではなかったからだ。死んだ後に遺るのは名前だと教え唱えた奴の顔も名前も覚えていないのだから。自分の本名すらどうでもいい。
暇を持て余して戯れに思い出した戯言だ。意味はない。
「だが、いいぜ。俺は人扱いなんか望んでねえ。むしろその目だ。その目で、怒りで、俺にまた挑んで来いよ!緑谷!」
ガン!と、再び、マスキュラーはガラスに額を叩きつけた。血が出ているのに、自分の血さえ狂おしいとばかりに額から口元に流れ落ちる血を舐めとる。
三年という月日は、マスキュラーを変えはしなかった。彼の後ろに控えている刑務官も、マスキュラーの態度に辟易している。諦めた顔をしている。
けれど、出久はまだ、諦めきれなかった。オールマイトから聞かされたのだ。ナイトアイからの言葉を。
自分には未来を変える力があるかもしれない。
信じきれない気持ちがあるが、勝己にその話をしたら、彼は「俺がお前を気に入らない理由はそれだ」と眉間に皺を刻んで忌々しくそう返してきた。
いまいち、勝己の言いたいことを汲み取れていないが、その場では否定ではなく肯定だと思えた。
今は……少し自信がない。
ガン!と、また大きな音がして出久は面をあげた。
「ッ!」
血に狂うマスキュラーの顔が眼前にあり、ガラスに隔たれているはずなのに、此方に迫り来る幻覚に襲われる。
足が小刻みに震えた。びびっている。よく知っている感覚だ。昔から、そうだった。
逃げたい。出久の目に涙が浮かぶ。
でも、逃げたくない。けれど、逃げたくない理由が見当たらなかった。
マスキュラーの目には自分しか映っていないのだ。守るべき人、救いを求めている人がいない。一番、救いを求めているとしたら、それは――。
ドゴン!と後ろから轟音がして、今度は何だ!?と、出久は自分が入ってきた扉を振り返る。
すれば、間を置いて重厚な扉が左右に開いた。入ってきた幼馴染に出久は目を丸くする。
「かっちゃん!?」
先程の轟音は勝己が扉を蹴破ろうとした音に違いない。扉は左右横にスライドして開くことを外で待機していた刑務官が説明していて、間が出来ていたと思われる。
勝己の行動ならば出久は予想出来た。
しかし何故、ここまで姿を現しに来たのかは、判らなかった。
ずんずんと歩み寄ってくる勝己に出久は怯えるものの、胸の安堵もあった。勝己が来てくれたことで、涙腺が緩んでしまう。
「てめェ!クソデク!何泣かされとんだ!!」
「ち、違うよ!これはかっちゃんのせいだよ!」
「あア?何、ヒトのせいにしとンじゃ!ブッ殺すぞ!コラ!!」
勝己に胸倉を掴まれ、椅子から強制的に立たされた出久は待っていた展開ではなかったことに、何か思ってたのと違う!と内心嘆く。
「誰だ、お前」
首を傾げるマスキュラーに、勝己はガラスに額を押し付けてガンを飛ばす。
「俺はてめェと面識なんかねーよ。けど、てめェの方はあンだろが」
「あ?」
覚えが全くないとマスキュラーは、勝己の後ろから室内に入って来た塚内に視線を向けた。事情を知っていそうな刑事に説明させた方が良さそうだと、それくらいはマスキュラーでも考えが及ぶ。
「彼は爆豪勝己君だ。三年前、君達がターゲットにしていた少年だよ」
今は青年だけどねと塚内が続けている間に、勝己はマイマスクを首まで下げた。素顔を出して、これでも思い出さないようなら、脳味噌の小さいヴィラン確定だと。
勝己の顔を今一度見直し、マスキュラーは長く「あ」の音で声を吐き出した。この餓鬼を狙えと写真を見せられた覚えがあった。
「あーぁ。思い出したぜ。爆豪って餓鬼を捕まえてこいって話だったなぁ。そういえばよぉ」
けどなぁ、と。マスキュラーは欠伸をして、勝己から出久に視線を移す。
「俺が興味あるのは緑谷なんだよ」
マスキュラーの中で出久の血を見たい欲求が膨らみ続けている。今までは自分の目の前に現れた奴は全て再起不能になるまで血塗れにしてきた。
だから、自分を倒した出久への執着が止められないのだ。
「なあ!緑谷!また遊ぼうぜえ!!」
ガン!ガン!ガン!
ガラスに向かって、マスキュラーが頭突きを繰り返す。
狐憑きのように狂乱している様子に出久は目尻に大粒の涙を浮かべた。
ぎゅっ。と、出久からしがみつかれた勝己は僅かに目を見開く。一度倒している相手に必要以上に怯えている出久を変に思ったからだが、すぐに答えは見つかった。出久は助ける誰かのために動く。だから、自分自身が助けを求める発想が皆無だ。
出久は今まで、誰にも、一度も、「助けて」と口にしたことがない。
長い付き合いである勝己にさえ、言わない。
自分が救う側だと疑っていないところが苛つくと、勝己は此方の顔を見ずにマスキュラーを恐る恐る窺っている出久に舌打ちする。
「チッ!」
「!?」
舌打ちにビクリと肩を跳ねさせた出久は、元凶の勝己を見遣った。
「かっちゃん?」
機嫌悪い態度の勝己に出久は怯えた顔を見せる。マスキュラーへの怯えではなく、勝己に向ける怯えだった。
近頃は見なくなった顔だが、久しぶりに見たそれに少しだけ溜飲を下げた勝己はマスキュラーに視線を転じた。
「こいつは俺の獲物だ。てめェにくれてやる気はねェ」
断言し、勝己は再度、出久の胸倉を引き寄せた。そして、噛み付くようにシルエットを重ねた。
タルタロス刑務所に向かう道中のこと。
パトカーを運転する塚内は赤信号でブレーキを掛け、バックミラーをちらりと見上げる。
後部座席に座る出久は少し蒼褪めており、やはりマスキュラーと面会してもらう話は先延ばしにするべきだったと後悔した。
申し訳ない気持ちでいる塚内が言葉を掛けようとしたところ、出久の隣に座っていた勝己が先に口を開いた。
「デク、家来い」
「え?かっちゃんの住んでるマンション?」
「それ以外に何があンだよ」
「実家もあるけど。……。そっか、えー、そっか。うん。行きたい!かっちゃんの新居見たいな!」
プロヒーローデビューし、東京に住み始めてから出久は勝己に家に呼ばれたことはなく、意外に思ったがうんうんと何度も頷いた。
「今日行っていいんだよね!」
「今日じゃねェ」
「じゃあ、いつ?」
「荷物まとめて来い」
「へ?」
出久は笑顔を固まらせた。
「そ、それはどういう……」
「どうもこうもねーわ」
勝己はそれ以上を語らず、ドアに肘を掛けて窓の景色に視線を固定させてしまう。
「あの、塚内さん。どういう意味なんでしょうか?」
青信号になり、アクセルを踏み込む塚内へと出久は尋ねた。尋ねられた塚内は前を向いたまま、くすりと微笑する。
「ハハ、こっちに聞かれてもね。でも、チームを組んでるヒーローでシェアハウスしてる人達は多いよ」
そうなんですかと頷いた出久は暫く悩んでいたが、段々と浮き足立って表情を緩ませる。勝己とは反対側の窓から、刑務所に辿り着くまで流れる景色を眺めていた。
行きの出来事を帰りの車中で思い返していた塚内は、同じように左右の窓から外を見つめたままの二人をバックミラーから窺う。行きと違い、勝己も出久も不機嫌で会話がない。
勝己は元々口数が多い方ではないが、出久に対してはそこそこ口を開く印象を持っていただけに、この空気は塚内にとって気不味いものだった。
他にも気不味い理由はある。
どうやら、勝己が出久にした提案はシェアハウスではないようだ、ということだ。
面会中、マスキュラーの目の前でした一部始終を思い出すと、どんな顔をすればいいのか判らなくなる。
出久からしても勝己の行動は唐突な奇行だったらしく、パニックを起こしていた。それを煩いと勝己が吠え出し、何やかんだで面会は続行出来ないとなり、今に至る。
出久と勝己を外に出した後、眠りに入る直前のマスキュラーから次の面会を要求された。面会は今日の一度きりだと定められたものであり、塚内一人に決定権はない。
ただし、今回の面会をマスキュラーが気に入らず、当初の目論見だった過去の事件について口を割らなければ上から強制的に面会を組まれる。
どちらにしろ、塚内は一つ確認しなければならない。
「デク。一ついいかな?」
「あ。はい!」
「マスキュラーからもう一度、面会を頼まれたんだ。君としてはどうだろう?」
「えと、そうですね……なんか、途中になってしまった感じですし、塚内さん達も困ることありますよね」
「すまないね。警察側の都合もあるから、君の同意が得られるかどうかは関係ないかもしれない」
「僕は大丈夫です。引き受けますよ」
「有り難う。助かるよ」
パトカーを警察署の車庫に入れ、エンジンを止めた塚内はシートベルトを外して勝己を振り返る。
「爆心地はどうかな?」
「ア?なんで俺にまで訊くんだよ」
勝己は眉を顰め、隣の出久も困惑の顔で塚内を見つめた。
塚内は双方に目をやってから、続ける。
「マスキュラーは君達二人との面会を望んでいるんだ。駄目だろうか」
あの瞬間、マスキュラーの出久への興味が、出久と勝己への興味へと変わった。
勝己は黙り込み、その横顔を見つめる出久は固唾を呑む。
「こっちが片付いたらな」
勝己は親指で出久を指して言い、パトカーから降りた。
塚内は出久と顔を見合わせる。
「同居の件かな」
「やっぱ、そうですよね……」
出久は項垂れる。
糠喜びだったと溜息が出る。塚内が言っていたように、チーム同士でシェアハウスするヒーロー達がいるのは出久も耳にしたことがある。だから、勝己は此方をサイドキックなりチームにしてくれるなりの考えがあるのかもしれないと喜んだ。
実際は違ったわけだが。
何というか、外堀を埋めるところから始める彼らしくはある。
流石にあそこまでされれば、出久とて気付かない筈がない。
一緒に住むことが意味する先を想像して顔に熱が溜まる。突然のことだったため、勝己の唇の感触まで気が回らなかったが、食まれた覚えははっきりあった。
「あの、塚内さん」
パトカーから降り、塚内の後ろについて署内を歩いている途中で、出久は呼び掛けた。
歩きながら振り返った塚内は刑事の勘を働かせて出久の表情から言いたいことを読み取った。
「見たことは口外しないし、上司にも報告しないから安心してくれていいよ」
「す、すみませんっ」
顔に出ていたかと、出久は両手で顔を覆って萎縮する。
「それで、塚内さんは……そのぉ」
「ああ。さっきは吃驚したけどね。マイノリティにあれこれ言うほど若くないし、気にしてないよ」
「そうですか」
ホッと出久は吐息する。
塚内は話しやすいように出久の横に並び歩くと、此方も把握しておきたいからと尋ねる。
「君は爆心地と住むつもりってことでいいのかな?警察から連絡がいったりすることもあるし、君達どちらかと連絡がつかない場合に仲介してもらえると助かるんだ」
塚内の話ぶりは仕事優先で、本当に気にしていないのだなと出久は瞬きながら頷く。
「はい。まあ、かっちゃんの意見曲げようとすれば、殴ってでも従わせられそうだし……」
「それは大変だね」
遠い目をする出久に塚内は災難を感じ取る。
けれど、不思議なことに、出久と勝己のコンビネーションはとても良いのだ。側から見ると犬猿の仲にも映るのに。
出久を伴って、上司への簡単な報告を済ませた塚内は警察署の出入り口まで出久を送る。ヒーロースーツを大きなリュックに仕舞い、私服に着替えた出久はぺこりと大きく塚内に頭を下げた。
気を付けて帰ってと、緑の頭に別れの挨拶をした塚内は透明な玄関扉から見える姿にも苦笑する。
ヒーロースーツから私服に着替えた勝己がスポーツバックを肩に掛けたまま、待ちぼうけていたからだ。
出久には仕事として来てもらっているが、勝己は個人的な付き添いの形をとっていたため、報告の義務などがなかった。だから、出久が仕事を終えるまで外で待っていたようだ。
「早く行った方がいいよ」
「え?うっわ!かっちゃんなんで!?」
出久はペコペコと頭を縦に四回振って、外に飛び出した。
二人が何か言い交わすのを見送ることはせず、塚内は署内にある自分のデスクに向かう。
半年後に迎える面会でマスキュラーが二人を面白可笑しく弄り回すとは、この時の塚内は想像もしていなかった。
◆後書き◆
自分が導き出してるヒーローの定義というかラインがあります。それが「敵を救う」こと。
仲間や助けを求めている人達を守ったり救ったりは当たり前だけれど、敵を救うのは生半可じゃないなって思ってます。
と、思っていて、敵を救うまでをゴールにしようとマスキュラーとの面会話書いたのに、そこまで到達できませんでした(無念)。
このあと、面会繰り返して勝デクと触れ合っているうちにマスキュラーが人らしい喜びを得ていきます。投げたね。
いつも通りの設定で幼馴染は同じヒーロー事務所ではなく、かっちゃんジーニスト事務所で出久君フリーです。今回は同棲始める切っ掛けの話と相成りました。
かっちゃんが「俺がお前を気に入らない理由はそれだ」ってところの掘り下げも書き切れてないので、また別の話で新しく練り直したいと思います。
タイトルの「NO÷name¬Typhoon」は「名前のない怪物」とタルタロスとガイアの間に生まれた怪物「Typhoon(テュポーン)」を数記号入れて混ぜ混ぜしました。÷入れたのはNO(無いもの)は割れないって意味で、¬は否定として使われる記号なので怪物はいないとか名前のない人はいないよってことを含めました。今適当に決めたので深い意味はないです。
更新日:2018/12/02
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