◆gratitude◆


スザクは訓練を終え、アリエスの離宮へと向かう。
長い純白の階段を登れば、見知った顔に目を丸くした。

「ジェレミア卿?」

スザクの声に不機嫌な顔を隠しもせずに振り返った人物は紛れもなく、ジェレミア・ゴットバルト、その人であった。

ジェレミアはスザクを視界で確認しただけに終わり、再び背を向けた。
直ぐ目の前は扉だと言うのに、彼はいっこうにそこから動かない。

「あの、誰かにご用でもあるんですか?」

「・・・ナナリー皇女にな」

ナナリーに?とスザクは首を傾げた。
彼なら、ルルーシュに面会を申し出るのが妥当ではないのかと。
それを気配で感じ取ったのか、ジェレミアはスザクを横目に言葉を繋いだ。

「ナナリー皇女を泣かせてしまった謝罪に来たのだ」

覇気の無い声は彼の心情を表しているようであった。
しかし、ナナリーを泣かしてしまった事についての謝罪に来て、何故こんな所で突っ立っているのであろうか。

「それでしたら、中に入れば宜しいのでは?」

「とっくに入ったが、ナナリー皇女への面会をルルーシュ殿下がお許しにならない」

スザクはその言葉に納得がいった。

ルルーシュはナナリーを溺愛している。
その彼が愛しい妹を泣かせた相手とまともに会話する事などありえないだろう。

「原因を聞いても良いですか?」

「何故、貴様にそこまで言わねばならん」

流石に話してはくれないか、とスザクは苦笑した。
ジェレミアは背を向けたままであるため、スザクの苦笑を見ることはなかった。

原因はもう一人の当事者であるナナリーに聞くのが一番かもしれないと考え、スザクはジェレミアに一礼してから扉を開けて進んだ。
扉が締まる祭に生じた風にジェレミアの左肩掛けのマントが寂しげに靡いた。






時間的には夕食時だ。

食事用のダイニングに足を運べば、目的の彼らがスザクを待っていた。

「お帰り、スザク」

「お帰りなさい、スザクさん」

兄妹の微笑みにスザクも微笑み返す。

見た目の容姿は違えど、ルルーシュとナナリーが持つ雰囲気は何処か似ている。
親しい者にしか知られていないものではあるが。

「ただいま。ルルーシュ、ナナリー」

スザクと一緒に食事をとろうと思っているらしく、兄妹の前に食事は用意されていなかった。

「もしかして、待っててくれたの?」

「当然だろ。それより、今日は遅かったな」

「うん。なんかロイドさんが張り切ってて」

データ収集の為、今日はランスロットでスノーボードとスキーをやらされた。
雪山のセッティングから片付けまでの雑用までさせられれば、帰りも遅くなってしまう。

数日後には、スザクに騎士の称号が与えられる。
それに伴い、ランスロットも実用への道を歩んでいる。

「また変な要求されなかっただろうな?」

椅子に腰を下ろしたスザクにルルーシュは目を細めて睨むようにそんな事を聞くのは、過去の出来事に対してだろう。

「まだあの時の事気にしてるんだね」

ルルーシュの言うロイドからの変な要求とは、どんなコンディションでもランスロットとシンクロ率の数値を最高に維持したままでいられるかというものだった。

別段、変な要求ではないのだが、一度だけ思考回路が正しく働かなかったことがあった。
ランスロットに乗る前に一発かまして来いと。

一発かますとはどういう意味かスザクは直ぐに理解出来ず、首を傾げていたのだが、その様子にロイドはやれやれといった感じに肩をすくめたかと思うと、こう言った。

『殿下とベットインして来てくださいねぇ』

ハートマークが語尾に付いても可笑しくないような声色で言われた事に正直固まった。

『殿下には先程連絡しときましたからぁ』

更に爆弾を落とされ、もう目の前は真っ白だった。

ロイドの命令は第二皇子であるシュナイゼルの命令と同等のものだった。ランスロットに少しでも掠るくらいに関係がある事であれば有効な命令だ。
ルルーシュに拒否権は皆無だった。

その日の就寝時間にはいたたまれない思いをスザクは過ごした。
しかも、ルルーシュはスザクをその気にさせる為に『誘え』と言われていたらしく、風呂上がりにタオル一枚というとんでもない格好でスザクの前に現れたのだ。

その結果、無事に命令通りに事が運び、ランスロットのデータを取ることが出来た。
その時にシンクロ率100%が叩き出されてロイドが大笑いしたのは想像に難(かた)くないであろう。

「当たり前だ!」

過去に思いを馳せていたスザクはルルーシュの怒りを含んだ声に現実に引き戻される。

もう少し遅れていたら、ナナリーが側にいるにも関わらず、彼女の兄のあられもない姿を鮮明に思い出すところであった。

はた、と思い出す。
そういえば、ジェレミアが外で立っていたことに。

「そうだ。さっきジェレミア卿が外に居たんだけど」

それに予想通りルルーシュはしかめっ面をした。
ナナリーは驚いたようにスザクを見上げる。

「ジェレミアさんがこちらに?」

彼女の言葉から察するにジェレミアが此処に来ていることは知らないらしい。
ナナリーは眉を八の字にしてルルーシュを伺うように見上げた。

「お兄様?」

「ナナリーを泣かせるような奴は入れない」

ナナリーのふわふわとした髪をルルーシュは優しく撫でるが、ナナリーは首を左右に振る。

「違うんです。お兄様、ジェレミアさんは私の事を思って励ましてくれたんです」

その言葉にルルーシュは目を丸くする。

ルルーシュが学校から帰るより、ナナリーが帰って来る方が早い。
ルルーシュが離宮に帰って来て始めにする事はナナリーに顔を会わせる事だ。
目の見えない彼女に自分の存在を確認してもらう為というのもある。
その時に目元が少し腫れていたので、どうしたのか聞いたらジェレミアと少し話しただけだと言うので、ルルーシュはジェレミアの名をブラックリストに加えた。

「ナナリー、その時の事詳しく話してくれる?」

スザクが先を施すように言えば、ナナリーは一度顔を俯かせて言い淀む。

「あの、スザクさんにも嫌な思いをさせてしまうかもしれません・・・」

スザクはそれにルルーシュと顔を見合わせた。
ナナリーに視線を移せば、スザクは微笑む。

「良いよ。だから話してごらん」

優しい声色にナナリーは表情を緩めた。息を吸えば、ポツリポツリと言葉を繋ぐ。

「先日、スザクさんが騎士になられる事をニュースでやっていましたよね」

「うん」

スザクの顔は晒されていないが、名前と出身を報道された。
名誉ブリタニア人が騎士になることが今までなかった為に異例の騎士としてニュースに取り上げられたのだ。

「それを良く思わない方々がいて、私、それが嫌で口を挟んだんです。ですが、その方達の考えは変わらなくて、悔しくて、泣いてしまったんです・・・」

スザクはナナリーの側まで行き、小さな手をぎゅっと握る。

「有り難う、ナナリー」

そう言えば、ナナリーはふるふると首を振る。
役に立てなくてごめんなさいと。

「その後、帰る時間になって、ジェレミアさんとヴィレッタさんが迎えに来てくださって、泣いている私を気遣ってくれたんです。だから、お兄様、ジェレミアさんは悪く無いんです。ジェレミアさんが励ましてくれて、嬉し涙を流してしまって、また少し目元が腫れてしまっただけなんです」

だから、ジェレミアは何も悪くないのだと精一杯ルルーシュに伝える。
それにルルーシュは一度曖昧な表情を見せたかと思うと、息を吐き、仕方ないという顔をしてナナリーの頭を先程と同じように柔らかく撫でた。

「分かったよ。彼奴を入れて来る」

既に怒りは無く、ナナリーはルルーシュの言葉に嬉しそうに頬を緩ませた。

席を立ったルルーシュをスザクは追う。
それを顔を振り向かせるだけに留まり、ルルーシュは不思議そうな視線をスザクに寄越した。

「連いてくるのか?」

「うん。ナナリーを励ましてくれたってことは、僕の事を庇ってくれたってことだから」

「・・・そうか」

つくづく人が良いな、と馬鹿にしたわけでもない息を漏らす。







突然扉が開かれ、温かい空気がジェレミアの頬を撫でる。
自分の目前に立つルルーシュにジェレミアは驚きの顔を隠せない。

「まだ居たのか」

第一声から素直な言葉を差し伸べないルルーシュにスザクは彼の一歩後ろで苦笑しながらも、それを咎める。

「ルルーシュ、そんな事言わないで早く」

ルルーシュは後ろを一睨みするが、もう一度ジェレミアを振り返り、渋々っといった感じに呟いた。

「入れ」

ジェレミアが疑問を抱く暇も与えずにルルーシュは背を向け、さっさとナナリーの待つダイニングへと向かう。

ポカンとしているジェレミアの肩をスザクは軽く叩く。
スザクを見下ろしたジェレミアは近づくなと嫌そうな顔を向けるが、次のスザクの一言に絶句した。

「ナナリー皇女への気配りと、私を庇って下さり有り難う御座います」

そうだ。
自分は此奴を庇う言葉を言ってしまったのだと、ジェレミアは今になって気付く。
プライドやら自制心やら良く分からないものが渦巻き、ジェレミアはスザクから視線を外した。

「礼などよい。騎士は女性に優しくする接するのが当たり前だ。貴様を庇いたくて庇ったわけでは無い」

「はい。分かっています」

視線をスザクに戻してしまったジェレミアは微笑むスザクを目の当たりにしてしまい、喉が詰まる感覚に眉を潜める。
そのままヅカヅカとスザクから早く距離を取るように宮殿の中へと足を進める。
それをスザクも早足で追いかけるので、ジェレミアはスザクとの距離を開く事に失敗した。







「こんばんは。ジェレミアさん」

「夜分に失礼致します。ナナリー皇女」

「私に面会したかったそうですが、御用件は何ですか?」

柔らかな微笑みと共に首を傾げるナナリーは可愛らしい。しかし、ジェレミアはこの手の人間が不得意だった。

「はい。帰宅途中で貴女を泣かせてしまったお詫びを申し上げたく参った次第です」

けれど、貴族としての性分か、己の性格からか、彼は女性を泣かせてしまった事に対して許せぬところがあった。
だからこうして悩んだ末に、このアリエスの離宮を訪れたのだった。

「ジェレミアさん、私は貴方の言葉がとても嬉しくて泣いてしまったんです。お詫びの言葉を言わなければならないのは私の方ですよ。ジェレミアさん、貴方を困らせてしまってごめんなさい」

頭を下げたナナリーにジェレミアは咄嗟にカーペットに膝をつき、跪く。
貴族の出身で、一介の騎士にすぎない自分が皇女に頭を下げられるなど以ての外だ。

「いえ、勿体なきお言葉で御座います」

「顔を上げて下さい、ジェレミアさん」

目の見えぬ少女が言う言葉に驚きを隠せず顔を上げると、彼女は無邪気な微笑を口元に携えていた。

「今日は一緒にお食事しましょう?良いですよね、お兄様」

兄が何処にいるのか分かっているようにルルーシュの瞳に顔を向けるナナリーは首をことりと傾げた。

「そうだね。ナナリーの我が侭なんて年に一度あるか無いかだし、良いよ、ナナリーがしたいようにすれば」

「我が侭じゃなくてお願い事ですよ、お兄様」

「ごめんごめん。膨れると可愛い顔が台無しだぞ」

少し咎めるような声色で言えば、ルルーシュはクスクスと笑いながらナナリーの側まで行き、ナナリーの頬を撫でてやる。
微笑ましいやり取りが一段落すれば、皆、席につくがジェレミアは渋面を隠せずにルルーシュを伺った。

「あの、殿下、これは一体・・・」

「何だ?」

普通の皇族ならば大声で喋らなければ声が届かない程の長テーブルで食事をとるのだが、明らかに今自分が座り目の前にあるテーブルは貴族以下の一般家庭用のテーブルであり、貴族は皇族とこんなにも近くに座って良いものではない。
無論、お付きの騎士とて普通食事を共にしないが、今はそちらに頭が回る余裕は無い。
現状からすれば、問題外だからだ。

「近すぎではありませんか?」

「そうか?ナナリーは目が不自由だから」

「いえ、ナナリー皇女はそれで良いのです。私までも近くに居るのは・・・」

「ご不満ですか?ジェレミアさん」

「気に障る事でもありましたか?ジェレミア卿」

ナナリーとスザクの寂しそうな声とルルーシュの睨みにジェレミアは反論など出来るはずも無かった。スザクだけを一度睨むが、ルルーシュからの更なる痛い視線に歯向かう術など無く、ジェレミアは大人しくすることにした。
しかし、小さなテーブルを四人で囲むという始めての貴重な経験にジェレミアは頭を抱えたくなる衝動に追い詰められたのだった。









◆後書き◆

「gratitude」感謝の気持ち(個人的に受けた厚意に対する強い感謝を表す)。

オレンジ再び。

ナナリーたんが書けて大満足ですッ。
ジェレミア卿はスーさんとナナリーたんの人柄は苦手だろうなー、と。嫌いなわけでは無く。


更新日:2007/02/26







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