◆Zwei anfang◆









宇宙を航行するディーヴァの艦内で、ラーガンはフリットの後ろ姿に気付いて声を掛けた。振り返るフリットから変わった様子はないが、内心では気を落としているのではないかと推測する。

ガンダムを積んだディーヴァの出航前、彼女を見送ることもしなければ姿を見せることもしなかったウルフと、ラーガンは少しばかり言葉を交わしていた。フリットにウルフのことを聞こうとしたら、別の話題に切り替えたり避けようとする素振りを見せたため、ラーガンは直接ウルフの自室に押しかけていったのだ。

「貴方は、ディーヴァに乗らないんですか?」

八年前のこの男なら考える素振りすら見せずに肩を貸すはずだ。けれど、フリットが何も言おうとしないということは、断った以外にない。

「フリットが条件を呑まなかったからだ」

ウルフはラーガンが問い詰めに来たことに驚きはしなかった。むしろ来るだろうと予想していたくらいだ。内容も予想に違わず、故に、後ろめたさを感じさせない声音ではっきりと口にした。

「条件とは?」
「アイツが男のまねごとをやめるなら乗ってやると言ったんだ」

言葉を選んで口にする男ではないとは承知していたが、それをそのままフリットに言ったのかとラーガンは眉を顰める。自分の人間性を特殊な部類だと理解している分、ウルフは他人の決意や価値を蔑(ないがし)ろにしたりはしない。
だから、何か理由があるのではないかとラーガンは表情を一度緩めた。

「距離を取る必要でもあるんですか、フリットと」
「取らなきゃならんだろ」

視線を外したウルフにラーガンはらしくないと感じた。
ラーガンとしてもフリットにこの男を近づけさせるのは避けたいため、利害は一致している。けれど、今のウルフは自分が掴み掛かった時と同じようで、何かが決定的に違っていた。

「俺は、どうしたって男だ。お前だってそうだろ」

互いに奥底に獣が潜んでいると断定し、違うとは言わせないとウルフは目を眇めてラーガンを見遣る。
狼の眼に背中が冷やされた。見透かされているが、自分の中の獣はウルフのものに比べたら忠犬が良いところだ。理性が大半を占めていれば、主人を噛んだりはしないように。

ラーガンは目の前の男が何を考えているのか、一握りだが分かり始める。この狼がフリットに向けている感情は欲望そのものだ。ウルフ自身も手綱を握っていられないほどの。
知らなかったとは言え、傷を負っているフリットから傷口を抉り出すようなことをしてしまったことをこの男は悔やんでいる。
フリットはそのことに関して咎めようとしてこなかったのだろう。だからこそ、離れようとしているのか。

「否定はしませんよ。けど、フリットだってそのくらいのことは承知でしょう」

子供ではないのだ。ウルフは未だに、フリットが十四の子供のままであるかのように接しているのではないかとラーガンは勘ぐる。年の差は埋まらないが、子供はいずれ幼いままでいられなくなる。多感な時期を過ぎて大人になれば、こんなものかと感じるようになるものだ。

唸る代わりに眉間に皺を寄せたウルフに納得していない空気を感じて、ラーガンは肩を下げる。
何をしているんだかなと、ラーガンはこれでは自分が説得しに来たようにしか思えず、息を吐く。ウルフを相手に諭すのは気が向かなくて、ラーガンは沈黙を保った。予想通り、先に痺れを切らしたのはウルフだ。

「あれで身を守っているつもりでか」

そこを突かれると痛いが、だからこその裏返しとも取れるはずだ。ウルフのような男がそこに気が付かないはずがない。
そんなラーガンからウルフは目を離さなかった。今更決めたことをひっくり返すつもりはないのだと。

フリットを間違った方向に導くようなことをウルフはしたくなかった。八年前に、自分達大人が守るべき対象であった子供を戦わせるしかなかった惨事を繰り返さないために。
人として健全な道に進んで欲しいと思っていたからこそ、何もしてこなかった。けれど、事実だと思い込んでいたことが覆された今、ウルフの中で欲が肥大した。
もう一度、フリットに触れたら何をしでかすか分かったものではない。

ラーガンがずっと沈黙を守り続けていれば、ウルフは話は終わっただろと背中を此方に向けた。
部屋の奥に消えようとするウルフに届くか届かないかの声音で、ラーガンは一言だけその場に遺していく。

「俺は自分を信じることが出来ません。けれど、貴方は違うと思っていました」

退出する言葉の代わりに扉が閉まる音が、動きを止めたウルフの耳朶を打つ。
今、この部屋を充満させている自分の匂いは何だ。混濁していると、ウルフは顔の上半分を己の手で覆った。

部屋を出て、扉が閉ざした向こうの男を透して見るような眼差しをラーガンは一度向けてから、その場を遠ざかった。
その時と同じ感覚をラーガンは味わいつつ、ポーカーフェイスを貫いているフリットが此方を振り返ったまま何用かと待っているのを見下ろす。

「あと二時間でトルージンベースに到着だからな。細かい打ち合わせを済ませとこう」
「そうですね。だいたいのことはディケと手を回し合って、内部情報を改竄(かいざん)しましたけど」

ディーヴァ艦内の乗組員の数は誤魔化しようがきく。所属変更後の着任は自己申告制なので、そこに含まれていない者達は艦から出なければ問題無い。 正し、そう長く誤魔化し続けられるものでもない。数日中には別の基地などに欠員が生じる可能性があるからだ。

もう一つの懸念がモビルスーツの数だ。事故やヴェイガンと遭遇した場合のあらかじめの対処としてガンダムの他にジェノアス三機が艦への積み込みが予定されていたが、モビルスーツハンガーに収容されているジェノアスの数は倍だった。
この辺りは裏金の隠蔽工作として、既存の型落ちしたモビルスーツを新しく製造されたモビルスーツと偽って追加配備されたと、整備班の者達と口裏を合わせる手筈だ。
フリットの転属が首相直属だと知っていれば、“トルージンベース”に身を置く高官らも下手な真似はしてこないだろう。その高官らも首相やその背後にいる者達と繋がっている可能性もあるが、“トルージンベース”が襲われる危険性があると知っているのなら、自分達だけでも逃げるのにシェルターやルートを潜るための時間を出来る限り確保したいと考えるはず。

フリットの予想ではヴェイガンは戦艦に巡洋艦を加えた三隻構成の艦隊戦力で叩きに来るとみている。
それらのことでラーガンと言葉を交わし合いながら、フリットは自分達の戦力の少なさは致命的だとも考えていた。一人の男の姿が脳裏を掠めたが、フリットはそれを無視する。
AGEシステムがモビルスーツのスペックを上げる武装を導き出すのを、今は待っているしか出来ない。












フリットが“トルージンベース”の連邦基地に着任し、一日の時間が過ぎた。ディーヴァ艦内のチェックなど、危機感の少ない辺境のコロニーだからか、必要最低限以下の点検で済んでしまった。
気を張っていた分、ディケを始め、乗組員達は肩透かしをくらった気分を味わう。此処の体制はもう少しどうかした方が良いのではないかと、一番身構えていたフリットでさえそう思うほどだ。
部下となる者達とも昨日の内に面通しを済ませたが、ガンダム乗りというのがフリット本人が思っていたよりも噂として拡がっているようだった。好意的な者もいれば、害意的な者もいる。いずれにせよ、彼らの隊長を務められるのはそう長くはないからと、必要以上の接触をフリットは避けていた。

“トルージンベース”の周辺宙域の定期偵察を何事も無く終えて、特務士官に報告へ来たフリットはそこで幼馴染みがこの基地の医療班に研修として所属していることを知る。基地に所属する者達の公開プロファイルを端末で検索すれば、確かに彼女の名前があった。

フリットはディケ達と共に考えている計画を彼女にも話すべきだろうかと考えながら医務室に足を向かわせている。
もう少しで目的の場に辿り着くというところで医務室の扉が開き、麗らかなブロンドが現れた。フリットも現れた女性もお互いの姿を間近にして目を丸くする。

「フリット。今、貴女のことを探しに行こうとしてたんだけど」
「僕……オレもエミリーに会いに来たんだけど」

言い直したことには触れず、互いの状況に変なのとエミリーが子供っぽく笑うのに対して、フリットも苦笑混じりの綻びを浮かべた。

エミリーに施されて医務室に足を踏み入れれば、ドクターらしき白衣の人物が一人、此方に背を向けて椅子に座ったままパソコンに向かい合っていた。
いつもああだから気にしなくて良いと言うエミリーに頷き、フリットはエミリーに背を押されるがままに診察室に押し込まれる。
カーテンを閉めるエミリーにフリットは首を傾げる。

「上だけで良いから、服脱いで」
「どうして?」

益々意味が飲み込めず、フリットは余計に首を傾げた。
要領を得ていないフリットにエミリーは包帯を掲げて見せる。

「胸のところ。きつめのバンドか、サポーターしてるんじゃない?」
「そう、だけど」
「正しい付け方してないでしょ」
「………」
「駄目よ、それじゃ。形が崩れるから」

フリットのことだから、形を崩さないように手間を掛けるはずがないとエミリーは自信を持って決めつけている。目を逸らしたのが良い証拠でもある。
それに針金が入っているものより、サラシを巻いた方が痛くないはずだ。今のフリットを否定する勇気がなくて、せめて負担を和らげてあげたいというエミリーの気持ちの表れでもあった。

エミリーの要望に渋った表情を浮かべるフリットだが、早くしてよと母親か姉のように気丈に急かしてくるエミリーに折れる。
言われた通りに上の服を脱いで、サポーターも外した。同性で幼馴染みだとしても裸を見せるのは少し抵抗があって、フリットは胸を腕で隠す。

「脇上げて」

しかし、問答無用で指示してくるエミリーにフリットは従わざるを得なくなる。脇を上げれば、今度は息を吸って力を入れておくように言われた。フリットがその通りにすれば、エミリーはフリットの背後にまわって彼女の胸部に包帯を巻き付け始める。
何も言わずに此方の胸に手を触れて包帯の内側に押し込むようにされるのでフリットは驚いて口を開こうとしたが、喋ると同時に身に入れている力が一瞬でも抜けそうだと思い留まる。

キュッと仕上げの締め付けが出来上がると、エミリーは一息吐いて「もう良いわよ」と力を抜くことを許可する。
息を吐き出してフリットは自分の胸を見下ろして平ら具合を確かめるように片手で触れた。

「どう?」
「うん。なんか軽い」

サポーターほどの厚みも無く、動きやすくなったかもしれないとフリットは感じる。息苦しさが全く無いわけではないが、以前よりは無理な締め付けではなくなった分、身軽である。
フリットの反応に満足した様子のエミリーは微笑み返して、服を着るように言うとサポーターを手に取ってカーテンの外に出て行ってしまった。

エミリーが本当は男であろうとする自分を止めたいと思っていることをフリットは気付いている。けれど、それを口に出来ずにいて、あまつさえ、負担を減らせるようにと手を貸してくれた。
ありがとう、そう一言口に出来れば良かったのだが、エミリーがそれを喜んでくれるとは思えなかった。きっと、彼女は困ったような笑顔を返すだろうから。

服を着ていると、誰かが医務室に入る足音がカーテンの向こうから聞こえた。フリットは素早く身支度を調えてから、息を吸って深く吐いた。呼吸も整え終えて、軽い動作でカーテンを開け放つ。
エミリーが話の相手をしているのは、フリットが受け持っている隊の部下のうちの一人だった。眼鏡を掛けており、パイロットとしては痩躯な彼は連邦の技術部門からモビルスーツパイロットに転属した経緯がある。フリットが彼と言葉を交わしたのは一度だけだが、細かい経歴のデータには隈無(くまな)く目を通していた。

「コンラート少尉、どうかしたのか?」

既に顔見知りとなったのだからと、フリットは気にもせず彼に話し掛けた。近づいてくるフリットの姿にコンラートは背筋を咄嗟に伸ばすが、眼鏡が僅かにずれて少々決まりの悪い格好で固まる。

「いえ、あの、頭痛薬を貰いに。それより、アスノ隊長はどうして」

医務室に癒しを求めに来たと馬鹿正直には口に出来ず、彼にとって最近の常用句になりつつある言葉をしどろもどろに口にする。その後に、彼は隊長の方こそ何用で此処にいるのかと疑問を抱いて続けた。

「エミリーに話があってな」
「幼馴染みなんです」

フリットの言に間の抜けた顔を晒したコンラートにエミリーが補足を加える。納得したが、落胆した様子のコンラートにフリットは首を傾げる。
伝えたい話があるのは事実なので、フリットはエミリーに場所を移せないか尋ねようとした。けれど、それより一足早く医務室の扉が再び開き、工具で怪我をしたらしい整備士が一人入ってきた。
大怪我ではないが、血が出ていることに気付いたエミリーは早く手当てしないとと、脱脂綿や薬のある棚からてきぱきと必要なものを取り出す。患者の手当てを始めたエミリーに出直した方が良さそうだと苦笑を零したフリットは、忙しそうなエミリーに「また来る」と伝えて医務室を後にした。

次の偵察に向かうまでにまだ時間の猶予があり、フリットはディーヴァの様子を一度見に行こうかと思案して、其方に足を向けようとする。
すれば、背後からの小刻みな足音に気付いて振り返る。小走りでフリットの目前で立ち止まったのは、コンラートだった。

「頭痛のほうはいいのか?」
「あ、はい。今は大丈夫です。とりあえず薬は貰ってきたので、食後に」

飲まないかもしれないがと、コンラートは少し後ろめたい思いを胸中にだけ呟く。自分の想いは見事にへし折られてしまったと思うが、蝙蝠退治戦役の英雄が相手では勝ち目がない。悔しいと言うより、むしろ清々しい気持ちの方が強くある。

技術部門出のコンラートはアスノ家の技術力の高さも聞き知っている。フリット自身がロストテクノロジーを読み解き、現代技術の結晶であるガンダムを創り出したことも連邦軍の間では有名な話だった。
嫉視(しっし)な目でフリットを見ていないと言えば嘘になるが、敬服している感情も確かに同居している。本人の顔を見るのは昨日が初めてであったが、同僚の数人が顕わにしたような訝しむ感情は特に芽生えなかった。

むしろ、イメージしていた印象よりも角のない人だと思ったからこそ、受け入れられた気がする。そう思ってコンラートが顔を上げれば、大事ないなら良いことだと微笑しているフリットと目が合った。

「しかし、体調が悪化したら言えよ。無理をする必要はない」

笑みを引っ込めて真面目な顔でそう言ってくるフリットに、コンラートは先程抱いたどぎまぎした感情を飲み込んで返事を返す。フリットは一つ頷いて歩を進め始め、コンラートもそれに続く。
何か話し掛けていいものだろうかと、コンラートは斜め前のフリットの顔を伺おうとすれば、ふいにフリットが先に口を開いた。

「少尉、ひとつ訊きたいんだが」

歩を緩め、立ち止まったフリットに合わせてコンラートも立ち止まる。此方に肘を向けて僅かに振り返るフリットの表情は言葉の先を続けようか迷っているようにコンラートには見えた。
二呼吸ほどの間が置かれた後。

「オレは君に、敬語を使ったほうが良いだろうか?」
「は?」

予想外の質問にコンラートは気の抜けた声を出してしまった。その声と顔を見たフリットは、やはり言わずに現状を貫けば良かったとばつが悪くなる。

コンラートから見れば、フリットは精悍な顔立ちをしている。それが今、剥がれ落ちるように戸惑いに色を変えた。前に立つ人としての頼もしさを感じていたからこそ、そういった部分があることに驚きは隠せなかったが、何もかもが特別ではないのだとコンラートは妙な安心感を覚える。

「いえ、隊長に敬語を使われたら俺のほうが恐縮してしまいますから」

年齢は自分の方が三つほど上だったなと、コンラートはフリットの意図することを理解してそう返す。きっと自分が今感じたものも、年下の後輩を可愛がることに結びつく感情と同じだとコンラート自身気付かずに知ったかぶった。

「そう、か」

変に思われたのではないかと危惧したフリットであったが、コンラートは此方の言わんとすることを読み取ってくれたらしく、直ぐさま表情を改めて返答をくれた。
周囲の配慮にも長けている人物らしいと、相手を評価することでフリットは自分の羞恥を押し隠した。そうでもしなければ、墓穴を掘り繰り返しかねないと思ったからである。

あまり関わらないようにと距離を取っているつもりであったが、この基地で言葉を交わした相手は誰も彼も、腹に一物を持ってはいないと感じる者達ばかりだった。此方を認めようとしていない者も、その感情以外に何かあるような素振りも態度も何一つなかった。
たった一日だが、それらを振り返り思い出していくフリットは、自分は誠意的ではないと気持ちを冷やす。

ヴェイガンが襲撃しに来ると証明出来る物証も情報さえないにしても、一週間近く警戒態勢を強化するくらいのことはあの特務士官相手であれば申請が通るだろう。けれど、懸念は拭えないのだ。
そのようにフリットを雁字搦(がんじがら)めにしているのは、グルーデックが蝙蝠退治戦役後に残した言葉だった。連邦を信じるな。それが呪いであり、願いであった。












「どう考えてる?」

緊張のある声音にミレースは頷いてラーガンを見遣った。

「全て知っているか、予想通りというところでしょう。こんなままごとのような点検で済ませる連邦基地が他にもあるなら、私はとっくに世捨て人になってます」

同じ見解であることに安堵するが、それが的を射ているのならフリットの懸念は正しかったということだ。
辺境の地といえども、人が住むに値する無くてはならない土地だ。密輸や逢い引きに使われるようなコロニーならば、黙って手を抜くのが仕事だが、それとは違う。意図が無いのだ。作業にあたっている者達にとっては普通であり、異常だと感じていない。
そう指導されている。長年軍に関わっている者なら気付く違和感だった。即ち、この基地の高官らは何もかも知っているという仮定が真実味を増す。

「ガンダムを乗せて、この基地から旅立ったほうが得策だと思わないか?」

ヴェイガンも目的の的がいないならば、引き返してくれるのではないかと考えて口をついて出た言葉だ。ラーガンが本気では言ってないことをミレースも了承して淡い苦笑を浮かべる。

「そんなことをしたら、フリットが黙っていないと思いますよ」
「だろうな」

みすみすこの基地やコロニーの人々を放って逃げるような真似は出来ないと言い張るに決まっている。正義感から来る真っ直ぐな行動はラーガンも臨むところだった。そういう理想を持って軍に志願した時のことが蘇るくらいに、フリットに触発されることは幾度もあった。

「けれど、ウルフ大尉がこの話に乗らなかったのは意外ですね」

ミレースはラーガンに話を持ちかけられて二つ返事とはいかないまでも、自分の中で逡巡し、色々と思うことをまとめてから頷いた。
ノーラでのあの日のように、動き出さねばならない時が来たのかもしれないと感じて。
だから、フリットやラーガンと共に戦場に出ていたウルフは、自分よりもそう強く感じているのではないかと思っていただけに疑問だった。

「それは私も思いました」

あまり誰かの会話に割って入ることをしないアダムスだが、彼も引っ掛かっていたことだった。他の通信補達も頷き合っている。彼らもまた、以前のディーヴァクルーと同じ顔ぶれだ。

「ウルフの奴、フリットと……ちょっと、仲違いしててな」
「何かやらかしたんですか?」

知り合いの見解からすれば、やはりウルフがろくなことをしなかったのだろうと思うらしい。呆れた口振りのミレースにラーガンは頷きかけたが、ウルフばかりを責められるものでもない。フリットの口から言えないのだったら、いっそのこと自分が事前に言っていても良かったことだ。
口を噤(つぐ)んだラーガンにミレースは思い当たることがあって眉を顰める。

「ディーヴァを出航させる前に耳にしたことがあるんですけど。もしかして、あの噂は事実なんですか?」

ウルフがフリットに性交渉を求めたのではないかという噂だ。そんな話を耳に入れてからフリットと一度顔を合わしたミレースは、その時のフリットの様子から信憑性のない噂だと結論付けたのだが。
ウルフがディーヴァに乗らなかった理由などを考えて、全くの嘘ではないのかとラーガンに事実の詳細を求めた。

ミレースが差している噂の内容はラーガンの耳にも入っている。ミレースもそれを前提に話を振っているということは、此処にいるメンバーも一度は聞き入れている内容だということが伝わる。

「まぁ、そんなところだ」
「フリットはまだ……と、言える歳でもないですけど」
「そう言いたくなるのも分かるけどな。男と女じゃそういうこともあるだろ」

後者はミレースだけに聞こえるように言った。が、目を瞠る視線にラーガンはこの反応はもしやと固まる。
いや、そんなはずはと今一度冷静になろうとする。エミリーを通して知っているものだとばかり思っていたし、そもそも“ノーラ”の連邦基地からの付き合いのはずだ。その時はまだ身分証明になるものに手を加えてはいない。

取りあえず落ち着こうという言葉がミレースに届く前に、彼女は良く通るその声でラーガンに詰め寄った。

「女性なんですか?フリットは」

その声はラーガンだけでなく、アダムス達にまで届いてしまった。一斉に集中する視線にラーガンはたじろぐ。

「そんなことは……」

ないと言えば納得してくれるだろうか。否、ここまで滑らしてしまったのだから無理だろう。どうしたらと、ラーガンが逃げ道を求めて扉に視線を向けた矢先、その扉が開いた。

「ミレース中尉。すみませんが、ディーヴァの索敵システムを使わせてもらえませんか」

件の人物であるフリットが姿を現して、ブリッジ内の空気が変わる。入室したばかりで空気の変化に気付いていないフリットはミレースの側に近づく。

「その前に、一つ訊きたいことがあるのだけれど」
「何ですか?」

どこかに不備でもあっただろうかとフリットが先を求めれば、ミレースはフリットをじっと見つめ返す。「あなた」と口を動かしたミレースにラーガンは迷いのある一歩を踏み出す。

「ウルフ大尉と何があったの?」

ラーガンはそのまま動きを止め、フリットは息を深く吸いすぎそうになったのを寸前で食い止める。

「何もありませんよ」

慎重にいつもの自分の声を出した。上擦ってもいないし、変に低くなりすぎてもいないはずだ。
けれど、真実しか映し出しそうにないミレースの眼が瞬きせずに静観を続ける。たじろぎそうになるのをフリットは堪えたが、ミレースは何かに気付いたように目を伏せた。

「困ったものですね、大尉にも」

深く切り込んでくることはしないミレースに安堵と感謝があったが、ウルフの評価を落とされるのはフリットとしては本意ではない。そもそも、バディを組むほど近くにいたのに今まで黙秘を続けてきた自分に非があるのだとフリットは考えていた。
詳しく話せないことを僅かに表情に滲ませ、フリットはウルフのせいではないと首を緩く振った。

「ウルフさんは悪くないです」

少し驚いた様子のミレースの顔を間近にして、フリットは今のは変なふうに感じ取られてしまっただろうかと次には視線を横に落とした。

表情を改めて思案げな様子でミレースはフリットの反応を伺いながら、今までのことを鑑みていた。見た目と話し方で男の子だと認識してしまっていたが、よくよく振り返ってみれば、男にしては顔も仕草も柔らかいと感じられた。物事に注視はするが、心理学者ではないミレースは誰かを考察する機会はないに等しい。
確信までは持てなかったが、性別を隠しているなら何か理由があるのだろう。ミレースは胸中で頷くと、手元のキーを操作して索敵レーダーをディスプレイ画面に立ち上げた。

「気になることでも?」

ミレースが話を切り替えて見遣れば、フリットは屹然とした表情を顕わにする。

「索敵範囲をもう少し広めにお願いしたいんです」
「今の段階で限界値よ?」
「ここ一年のAGEシステムからはアップデートを行っていないはずです」

成る程と、合点がいったミレースは席をフリットに譲る。会釈してからフリットはミレースの席に腰を落ち着けてAGEシステムとディーヴァの管制システムを連動させた。

次々に立ち上がる要求画面をクリアにして閉じていく手際は感嘆するほど正確で早い。これ程の頭脳と技術があるならば、引く手数多だろう。現に技術部門や名の知れた名誉教授から引き抜きの声がフリットに掛けられたのは一度や二度ではなかった。
将来は約束されたも同然である。モビルスーツパイロットとして、戦場に出る必要はないくらいに。

そのようなことを脳裏に置きつつ、ミレースはフリットから視線を外してラーガンに目配せする。気付いたラーガンは後頭部に手をやり、余計なことを言わないでくれたミレースに頭が上がらない思いだった。

アップデートを終えたディーヴァの索敵レーダーに光点が浮き出た頃、狼の鼻腔が胸騒ぎを感じ取って振り返った。





























◆後書き◆

ミレースさん大尉にしとこうかなと思ったのですが、みんな大尉でややこしいってのと、女性ゆえに階級すぐに上げてもらえなかったりするかもしれないと考えて中尉で。AGEの世界観的に、能力で階級決めているようにも見受けられるので大尉でも良かったかもですが。
きっとこれからミレースさんの快進撃が始まる感じ、かもしれないということでおひとつ。

やっとエミリーを登場させることが出来ました。
サポーターとかバンドで胸締め付けるのも良いですが、サラシも好きです。大好きです。
お守りの包帯ももらったので、次回あたりバトルシーンを書けたらいいなと。

zwei=2
anfang=発端

更新日:2012/12/28








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