◆Zwei farbe◆









きつくなったと感じるが、我慢出来ないほどではないとフリットはサポーターを巻き付けた自分の胸に手をつく。
軍服に身を包んで鏡に自分の姿を映す。大丈夫、男に見えると頷いてフリットは部屋を出た。



フリットが“ノーラ”という二つ目の故郷を失ってから八年の月日が流れていた。
UE(アンノウンエネミー)と呼称されていた彼らが、火星移住計画の失敗で隠蔽と共に火星圏に取り遺された人々であることが蝙蝠退治戦役にて明らかとなった。UEはヴェイガンと呼称を変え、神出鬼没な災害からテロリストという扱いをされるようになっている。

未だ、全面戦争をしているとは言い難い状況にフリットはどこか焦っていた。焦っているからこそ、性別を隠すようなことをしていた。
原因はあるのだが、それを押し隠すように焦りの奥に仕舞い込んでいるにすぎない。

先日、上官から“トルージンベース”の連邦基地への配属を言い渡されたフリットは移動の手続きや準備を始めていたが、釈然としないものがあった。
この移動は地球連邦首相が直々に取り決めたものらしく、口の軽い上官はそのことを含めて光栄なことだから胸を張りなさいと激励してくれたものの、首相直々という部分は引っ掛かる。
AGEビルダーが戦艦ディーヴァと一体化しているので、グアバランよりも地位の高い人物でなければ動かせないのだから、辻褄は合っているようにも見える。けれど、首相が軍人一人を動かすためだけに重い腰を上げるのだろうか。

それに、配属先のコロニーが辺境の地と言ってもいいほどだとしても、そこのモビルスーツ部隊に配属されるのはフリットの隊だけだった。隊長を任されることになるのは構わないが、コロニーは地球にある一国と同等に扱われるのが常識のはずである。
以前はどうだったのか自分が調べるには些か足りないものが多く、フリットはグアバランに調べて欲しいことがあると、軍用ではない通信回線を利用して要件を配属先が変わることを伝えられたその日に送信していた。
あと二日以内に返事がなければ自分はもう命令通りに動くしかないが、上官の命令は絶対というのが軍の掟である。一般兵でしかないフリットにはどうにも出来ないことだった。

約一年間この基地にいたことになるのかと、感慨深い思いでモビルスーツ用の格納庫を見渡しているフリットに声を掛ける男がいた。

「よぉ、何物思いにふけってんだ?」
「ウルフさん…」

振り返り見上げれば、いつもの調子を崩さないウルフがそこにいて、フリットは何でもありませんと緩く首を横に振った。
その様子にウルフは胸中で溜息を吐いて、次には意地が悪そうな表情でフリットに詰め寄る。

「俺とコンビ解散するのがそんなに寂しいのか、フリットお坊ちゃんは」
「そうじゃありませんよッ」

頭を撫でてくるウルフから子供扱いとからかいを感じて、フリットはウルフの手を払いのける。威勢良く噛み付いてくるフリットにその調子だと頷いてウルフはフリットの背中を遠慮無く二度叩いた。

「お前も今度から隊長だってな。ま、頑張れよ」
「そうですね。ウルフさんよりはまとも…に……」

フリットは違和感に気付いて言葉を途切らせた。不自然に言葉を切ったフリットにウルフはどうしたとフリットを覗き込もうとする。けれど、フリットは不味いと出来るだけ普通に見えるように片腕で胸を押さえた。
背中をウルフに叩かれた時にサポーターのホックが外れたらしく、フリットは締め付けの無くなった胸をどうするかで頭がいっぱいだった。

「具合でも悪いなら医務室に行くか?」
「あの、いえ、そこまでじゃなくて」
「俺が連れてってやっても」
「大丈夫です。少し部屋で休めば」

心配してくれているウルフには悪いことをしていると思うが、フリットはそう言って誤魔化す。ウルフに背中を向けてフリットは自分の部屋を目指した。







フリットは自室のベッドの上に服を脱ぎ散らかした。
やはりサポーターのホックが外れていたようだ。しかし、ホックの金具が緩くなっていたのを見止めて、新しいのに変える必要があるとフリットは溜息を吐く。
衣装箪笥の中に買い置きがあったはずだとそちらに足を向けようとしたが、此処まで脱いでしまったしと、フリットはズボンとショーツも脱いだ。
下着をベッドの上に脱ぎ捨てたままあからさまにそこにあるのを見ると、何とも言えない感情が湧き出た。ショーツを隠すようにその上にジャケットを被せて、フリットは部屋に備え付けのシャワー室に入った。

温度を調節して蛇口を捻る。暖かいシャワーを頭から被りながらフリットは危なかったと、危機を回避出来た今に安堵する。
ウルフには女であることを言っておいても良いのではないかと、ラーガンには言われていた。それに、ウルフは薄々気付いているのではないか、とも。
その可能性はあるかもしれないとフリットも思っている。どうにもウルフは自分に対するものと他の人に対する扱いが少し違うのだ。知り合った時、自分がまだ十代の半ばだったというのもあるから、そこが関わっているのなら断言は出来ないことではあったが。

それでも、フリットがウルフに言えないのは今の関係が崩れてしまうのではないかという怖さ故だった。
男同士だから背中を預けられる。そんなふうにウルフが思っているのなら、女だと知られたらどうなる。転属したら先程ウルフが言った通りコンビを解散することになるわけだが、いずれまた顔を合わせる機会などはあるはずだ。
それに、今知られてしまったら顔を合わせない間も自分はずっと怯えたままでいるしかなくなる。次に会った時どうしたら良いのかと。

胸の膨らみに視線を落とし、こっちもどうにも出来ないよなとフリットは洗い流してもすっきりしない気持ちを持て余した。







部屋の前でウルフはさてどうするかと頭を掻く。具合が悪いというより焦っていたように見えるフリットが気に掛かって此処まで来たものの、静かに休ませておいた方が良いのかもしれない。
しかし、それはそれで自分らしくない気もする。

呼び鈴でも鳴らして出てこなかったら引き返せば良いかと、タッチパネルに手を伸ばしたウルフは気付く。ロックが解除されたままだった。
ウルフは勝手に部屋の中に入ることを即断して扉を開けた。

「不用心だぞ」

そう言いながら開け放たれた室内に入ったが、返事はない。その後でシャワーの音が耳に入ってきていることを聴覚が認識する。
ベッドの上を確認すれば誰も寝ていないが、服がその上に放り出されていてフリットにしてはがさつな所作だと感じた。が、あまり本調子でないならこうもなるかと納得しておいた。
そこで、足下に転がってきたハロが目になっているライトを点滅させる。

『元気カ?元気カ?』
「それはお前の主人に訊いてやれよ」

適当に返事を返せば、ハロはころころと意味が無さそうな動きをする。狭い場所では飛び跳ねないようにしていることに利口だと思ったが、そういうプログラムがされているのだから当たり前かと、服が散らばるベッドの上に遠慮なく腰を落ち着かせる。

適当に見渡して、ふと目に入ったものに視線を固定させたウルフはアイツは腰でも痛めているのかと疑問を持つ。そういえば背中を叩いた後に異変があったと思い出して、パイロットなら怪我の一つや二つはするもんだよなと行き着く。
しかし、それなら何故自分にそのことを言わないのだろうとウルフは新たに疑問を抱いた。痛い時に痛いと言えないような、そんな遠慮をする間柄ではない。

そう思った瞬間、少し苛立ちを覚えてウルフは立ち上がる。ウルフの動きをその場に留まってセンサーで追いかけるハロは感情を読み取ることなく、じっとしたままウルフを見送った。

狭い脱衣所の先にあるシャワー室の目の前でウルフは立ち止まり、取っ手に手を掛ける。開け放てばシャワーの音が鮮明に耳に届いてくる。

「フリット、怪我をしてるなら何で俺に言わな……」
「え、ウルフさ…ん?」

振り返り唖然とするフリットにウルフは目を瞠る。シャワー室にいたのはフリットに違いない。
けれど、濡れて普段より色彩が濃くなっている若草色の髪から驚いた表情の下にあるのは湯の水滴を弾いて艶と膨らみのある乳房。更にその下にも目を落としていく。

「ッ……!」

上から下まで全身を辿られる視線に気付いて、我に返ったフリットは胸を腕で隠してしゃがみ込んだ。

「出てってください!」

怖くてウルフの顔を見ることが出来なかった。
扉が閉められる音がしてから、フリットは恐る恐る顔を上げる。目の前には誰もいない。

裸体を見られた恥ずかしさに湯を浴びて温まった身体が更に火照っていたが、隠していた事実が知られてしまったことにフリットはぎゅっと自分の身体を抱きしめた。
身体の熱に反して内部にある芯は冷え切っている。そのことを自覚しながら、排水溝に吸い込まれる渦の音がシャワーの雨よりも大きく耳朶を響かせた。

自分はどうするべきなのか何度も繰り返し考えたが、ハードウェア関係ならば次の瞬間に答えが出るものの、それ以外の事柄について答えを導き出す術をフリットはあまり知らない。だから、何も思い浮かばなくて、ウルフが自分の部屋に留まっていないことを請うしかなかった。

シャワーを止めてバスタオルを手にしたフリットは髪と身体の水滴を拭ってから、胸上から下をそのタオルでくるむ。
ベッドに服を放ってきてしまったので、脱衣所に衣服は持ってきていない。そのことを後悔するが、致し方なかった。

先に進むことへの戸惑いと恐怖が顔を出したが、敵を目の前にする時と比べればどうということはないだろうと己に言い聞かせる。そうしてやっと一歩前に出れば、二歩目は追随してくれた。それでも警戒したような動作だけは抜けきらず、フリットは壁伝いに脱ぎ散らかした服があるベッドを目指す。

人の気配があることを感じてフリットは足を止める。自分はさっき出て行って欲しいことを伝えたはずだ。だが、この部屋をと付け加えていなかった。その程度の言葉の綾で意固地に相手を責めるほどフリットも狭量ではない。
部屋のロックを解除したままにしていた自分にも非はあるのだと、フリットは意を決した。

そろりと壁に背をつけながらベッドの上に我が物顔で胡座をかいているウルフを伺えば、さも匂いで近くまで来ていることを知っていたような素振りの彼と目が合った。逃げ場はないなと、観念したフリットはタオルが落ちないように押さえながらウルフの前に出て行く。

「人の服を下敷きにしないで下さいよ」

シーツが踏まれるのは良いとしても、自分が脱ぎ放った軍服まで踏まれているのは少々許容範囲外である。
下敷きにされているのはジャケットの袖だけなので、その下にあるショーツを無造作に掴んでその場で足を通そうとした。だが、深い溜息を吐くウルフにそれを手にしたまま振り返る。

「何ですか」

ウルフが重たく溜息を吐くところをフリットは滅多に見たことはない。どちらかというと、一息吐いた瞬間のものや肩をすくめた時に思わず出る軽めのものが多い気がする。

「あのな、訊きたいのは俺の方だ」

ぎくりと身を揺らしたフリットに、目の前で下着を身につけようとしたのはこのまま誤魔化されろという意図があったことが分かる。
最初はどういうつもり何だと溜息を吐いたが、フリットを責めるはずの台詞は呆れが含まれて言葉ほどきついものにはならなかった。だからか、フリットは眉尻を下げている。いつもなら互いの意見が合致しない時は持論をウルフに叩き付けるくらいの勢いがあるはずだった。

「俺は信用出来ないってことか?」

どう言うべきか迷っている様子のフリットをベッドの上から見上げて尋ねれば、フリットはそうじゃないと首を横に振る。

「信用は、してます。けど、信用してるから」

今の、今までの信頼関係が崩れてしまう。それとも、もう崩れてしまっただろうか。フリットはその先を言えなくなって手にしているものを握りしめる。

「パンツ、皺になるぞ」
「………」

フリットはショーツを広げてベッドの上に置いた。穿くかと思っていたウルフは目に見えるところに置かれたそれを意識しそうになって、眉間の皺を指で揉む仕草をして誤魔化した。
そうしてから顔を上げたウルフは、意志が強く反映されている瞳が不安げに揺れているのを見てしまったことを後悔する。先程誤魔化したはずだったからだ。
誘っている匂いはしない。それでも、フリットの手を引いていた。

自分と入れ替わるようにして、フリットをシーツの上に縫い止めながら覆い被さる。
驚いているフリットに俺だってそうだと言いたくなったが、ウルフは目を細めて顔を近づけて言う。

「俺がタオル一枚の女に何もしないでいられると思うか?」

身体に力を込めたのが掴んでいる手首から伝わってくる。強気な表情で睨もうとしてくるフリットに自分は弱者を押さえつけているのではなく、獲物を目の前にしているのだと狼は実感するが。
ないていると感じたのは何故なのか。

「やめて下さい。オレは貴方に」

組み敷かれる筋合いはないとフリットはもがき、ウルフは表情を歪ませる。
昔から少年のような外見であったし、ウルフもそう思い込んでいた。けれど、何か特別な理由がなければフリットだって自分のことを「オレ」と言うようにはならない気がした。

「それも無理して言ってたんじゃないのか?」
「………別に。これは、ウルフさんのが移っただけです」

何を指して無理をしていると言われているのか直ぐには理解出来なかったが、性別に関わることなら一人称のことかと行き着く。顔ごと視線を逸らしたこちらの言葉に対して、ウルフがどう思ったかは計り知る材料はない。

両腕を手で押さえられ、大腿を脛で押さえつけられたままで。ウルフが顔を胸元に埋めるようにしてきた感触にフリットは小さく震えた。
内側に挟み込んでいたタオルの端を咥えたウルフが顎を横に引く。剥ぎ取られたわけではないが、タオルを本当にただ巻いただけの状態はフリットにとって心許ないだけだ。
身体を僅かに動かしただけでも素肌が更に晒されそうで身動きすることを躊躇う。

「嫌、だ。ウルフさん…僕、出来な……ぃ」

耳を甘噛みされてフリットは声を震わせた。ウルフはフリットが震えていることは気に掛けず、唇を首筋のほうに落として舐めながら、そっちの方がしっくりくるなと思った。
一人称が変わっても違和感は別に無かったのだが、思わず口にしたものほど自然と感じ得るものだった。

滑った舌が鎖骨にまで降りてきて、濡らされ続ける感触にフリットは必死に記憶を閉じ込めようと目を閉じた。けれど、そうすれば、誰が自分に舌を這わせているのか分からなくなった。

何も反応を返してこないフリットにウルフはこのままでは本格的にやばいと感じる。フリットの匂いは相変わらずだが、自分が保たない。
何で女であることを言わなかったのか。理由が何であれ、フリットの口から聞くことが出来ればそれで納得するつもりだった。
そうしたら、部屋を出て行けばいいと思った。その後はいつも通りにしていればいい。
何処から手順が狂ったのか、ウルフは答えを出そうとする。けれど、最初からかと、当初の疑問以前の問題であったことに気付く。

タオルに手を掛けて引き下げる。胸が外気に触れたことを感じたのか、フリットの身体がびくりとわなないた。
シャワー後だからか、必要以上にしっとりした感触が手袋を外した左の素手に伝わってくる。強弱をつけて揉めば、ふにと柔らかい質感が掌にも視覚にも感じられた。

「ん……ぅ、んん」

抑え込んだ嬌声が僅かに聞こえ、抵抗しているつもりなのか身体の位置をずらそうとするフリットの肩をウルフは掴む。すれば、フリットは閉じていた目を更にぎゅっと閉じるようにした。
その仕草に違和感を得たが、シャワー室で見たフリットの丸みを帯びた曲線が自分の下にあるという事実は無性にウルフの理性を掻き乱して本能を引きずり出す。

手を放して顕わになった膨らみの色づく先端を舐め、舌で転がす。身体を震えるように揺らしたのは刺激にたまらなくなっての反応であろう。けれど、ここまでされれば大抵は匂いが特有の濃さを持つはずだった。
ウルフの鼻腔が感じ取ったのは快楽でも何でもない。冷えた匂いだ。

胸を舐められて、フリットは余計に身に力を込めた。それで蓋が硬く閉まるとでも言いたげに。けれど、そんなことはなく。
誰のものか分からない手が自分を押さえつけている。誰のものか分からない舌が自分を舐めている。

自分が引き受ければ守れると思った。事実、守ることが出来た。だから、これで良かったんだと後悔なんて何一つない。それなのに、後悔に似たものを今、フリットは抱いていた。
目を開けてそこにウルフがいたとしても、こんな身体ではと悔恨するだろう。目を開けてそこにウルフがいなかったら、運命は変わらないのだと絶望するだろう。
どちらにしても、フリットに救いはない。そういう生き方を選んだからこそ、性別を隠してきた。

もう、蓋が落ちて押さえきれなくなった記憶がフリットを否応なしに犯した。
何人いたのかさえ、数えることも出来なかった。いくつもの手と舌が身体中を這ってきて、人ではない何かが自分の膣(なか)で蠢いているようだった。
それでも、行為を受け入れるように出来ている身体は熱くなって痙攣を繰り返した。抑えきれない声に悲鳴以外のものが混じっていた。

抵抗するような素振りをしただけで、目の前にいる二人を人質にとられた。もういいと言ってくれる二人の衣服を引き裂き破る音には耐えきれなかった。
だから、目の前に出されたものを舐めもした。気持ちいいと言えと言われれば、血が滲んでいても「気持ちいい」と口にした。
得体の知れない薬もいくつか飲まされた。

「ゃ…だ、怖い。もう、放して……なかは嫌、嫌なのにッ」

あの時、口に出来なかった思いが記憶に震えた唇から漏れた。助けて欲しくて右手を上に伸ばした。でも、意味がないのかと伸ばしていた腕の力が抜ける。
落ちそうになった手を誰かが掴んだ。掴んでくれる手なんてないはずだった。

誰なのかとフリットが硬く閉じていた目を開けて、温もりを分け与えてくれる場所に顔を動かした。
瞳に映るその人の名を呼ぼうとした。けれど、あの記憶の残留を垣間見た後ではこんな身体を見て欲しくなかった。触れて欲しくなかった。だから、求めるように呼べるわけがなかった。

「フリット。……お前」

突然怯えだしたフリットにウルフは眉間に皺を増やしていた。自分はしてはならないことをしでかしたのだと、ウルフは自分自身に悪態を吐く。
何があったかは訊くべきではないし、答えは口に出来ないようなものだろう。
ある程度は今のフリットから読み取れる。匂いが変化しなかった理由もそれで説明が付いた。

放せとばかりに掴まれた手を引っ込めようとしたフリットにウルフはそれを許さない。手をしっかり掴み直して自分の方に引き寄せた。
背中が浮くほど力強く引かれたかと思えば、フリットはウルフの胸に抱き留められていた。
抱きしめようとする腕に、全て見抜かれてしまったのではないかとフリットはウルフを引き剥がして離れようとする。けれど、再び強く引かれて、強く抱きしめられた。

何も言わないウルフは言葉が見つからないのか、それとも敢えて何も言わないのか。それでも、それがこの人の優しさだった。
そんな資格なんてないのにと罪悪感を得ながらも、フリットは縋ってもいいのかとウルフの背中に手を添えて、掴んだ。

「ぁ、」

それから続くのは喚くような悲鳴だった。
今まで、そう泣きたくても出来なかった。悪夢から醒めた後も震えあがる身体を丸めて、歯を食いしばって、鎮まるまで必死に待っていたのだ、何度も。待つだけというのが、こんなにも息苦しいものだったのだと思い知るほどに。

痛いと感じるほどの声にならない声が耳に届く。何もしてやれないどころか、確実にフリットを傷つけただろう。そんな自分がフリットを抱きしめて良い道理はない。それでも、拒まれても、そうせずにはいられなかった。
辛かったことを忘れさせてやりたいが、忘れたところでフリットの為にもならないのだろう。忘れるということをせず、自分が為せることを成すのがフリットの強さでもある。

受け止めきれず忘れることが悪いわけではなく、他人が責める権利を持ち合わせているものでもない。もし、責められる存在があるとするならば、それは自分自身だ。
人が自分で選択したものには責任が付きまとう。けれど、フリットはそれに真正面から立ち向かいすぎているのだ。
間違っても、やり直せることがあることを知らないかのように。
どうにもならなかった過去があるからこそ、頑なにそう思っているのかもしれない。

人間なんてものは間違いだらけに出来ている。世界に産み落とされた瞬間から、全てをこなせる者が何処にいると言うのだろう。
それに気付けば、フリットも少しは楽になるのだろうか。

落ち着きを取り戻したフリットは泣き疲れていたが、眠るほどではなかった。それでも、消耗された身体にはあまり力を入れられないようだったのを見て、フリットをベッドの上に横たわらせてシーツを掛けた。
何か言いたげに見上げてくるフリットが口を開く前にウルフは先に言う。

「少し休んでろ。誰かにお前のこと訊かれたら、顔色が悪かったから追い返したって言っとく」

そのまま背中を向けた。
泣いて潤んだ瞳を見続けていれば、その目元を舐めて薄く開いている唇を塞ぎたくなったからだ。

部屋を出たウルフは片手で顔を覆う。表情を誰から隠しているのか、その口から絞り出すように言った。

「何をしてやがる、俺は」

女だと分かった瞬間、がっついたようにしか見えなかっただろう。けれど、フリットに抱いていたものがウルフの中で確信に変わったからこその行動だった。
不謹慎であるし、フリットに対しても後ろめたくなるが、現実に胸を撫で下ろしている自分がいることも嘘ではない。

それでも、フリットを支えてやれるのは自分のような男ではないと、顔から放した手にウルフは暫く視線を落としていた。





























◆後書き◆

Weiβシリーズでやれなかったことをやろう。つまり、思いっきり趣味に走るということになるわけでして。……未遂じゃなくなるわけです。

こちらの話では、ボヤージさんやユリンが生きている設定です。登場人物が足りなくなる気がしたのと、大人になったユリンちゃんを私が想像したいからという理由で。

目標としましては「フリット編でヴェイガンと決着を着ける」ですが、そこまで書ける気がしないので「ウルフさんとフリットちゃんがくっつくまで」はなんとか書けたらいいなと思います。
ウルフさんの方は自覚ありですが、フリットちゃんの方は気持ちをまだ頭で理解していない段階かと。

zwei=2
farbe=色

更新日:2012/10/23








ブラウザバックお願いします