明るめ(ハッピーエンド)ですが、フリットの死後(寿命)からの話になりますので『死にネタ要素』含みます。































◆Weiβ Hochzeit◆










窓から差し込む日溜まりと緩やかな風を肌と髪に感じる。
ロッキングチェアに腰を下ろした年老いた姿に英雄と謳われた面影は薄れていた。

彼女の視力はかなり落ち、自分の手でさえ輪郭がかろうじて捉えられる程度だった。その手を膝上で重ね合わせるように触れれば、皺の感触が多い。
手の内で皮膚と違う質感が二つ、しっかりと存在していることを感じ取って。いつもより体温が低いことに目を閉じる。

もう二度と、救世主がその強い瞳を開くことはなかった。












右手を誰かの両手に包まれている。小さな温もりは身を委ねてしまいそうに優しく、柔らかい。
流れてくる香りは温かさと同じ甘さを運んでくる。この香りを自分は知っている気がした。

「起きて」

あの子の声がして、フリットは目醒める。

「ユリン」

少女の姿に微笑み返す。向こう側に別れを告げたのだ、自分は。そして、ユリンは迎えに来てくれたのだろう。

頷いた彼女は此方を引っ張り、立ち上がらせる。
身体が軽いことを不思議に思いもしたが、魂だけならばそういうものなのかもしれない。そう片付けたのだけれど。
ユリンがとても、とても楽しそうに、とても嬉しそうに、とっても優しい顔をした。

「綺麗よ、フリット」

後ろ風に揺れた薄い布が視界で舞い上がり、ユリンの手の上から自分の手を持ち上げた。
皺も染みもない皮膚に疑問ばかりが浮かんだ。
次いで、自分の姿を見下ろして瞬きを繰り返す。

真っ白のドレスを身に纏っていた。それもただ、着飾っただけのものとは違い、特別なときに一度だけ着る、純白。
先程、自分の視界に踊ったのはベールだったのだ。

「行こう。待ってる人がいるから」

内に芽生えたのは困惑ではなかった。彼女が言う待っている人に心臓が強く鼓動を打って、少女に手を取られながらゆっくりと、それでも、気持ちは急いで駆けた。
この先にいる。彼に――逢える。

無色透明な空間ばかりの先に、背中を見つけた。心は急いでいるのに、急に足が震えだした。もう、逢えないと覚悟して、泣いて、納得して。内なる未練はもう何もないと精算した彼の匂い。

そんな此方に合わせて立ち止まったユリンは相も変わらず優しい顔だった。
臆病になっているフリットの背に周り、ユリンはそっと彼女の背を押し出した。精算したって、彼はフリットの中にずっといたのだから。

「言ったでしょ?幸せになっていいんだよ」

とん、と。背中を通った声は、あの時に視た夢と重なった。彼女はいつだって優しく見守ってくれていて、願っていてくれた。
うんと頷いて、フリットはたった一人の彼だけに向かって駆けだした。スカートを両手で持ち上げて、転ばないように。

足音に気付いたのか、彼の銀髪がぴくりと揺れた。振り向かれ、彼の身体が正面を向いたと同時に飛びつくようにしがみついた。

「ウルフ!」
「……フリット」

知っている強さで抱きしめ返されるが、彼の様子には愕きが含まれていた。突然現れた自分にではなく、行動にだろう。
それくらいの自覚はあったけれど、足を先に踏み出すごとに、さっきまでの震えを忘れて。ウルフに近づくごとに、どうしようもなく掻き乱されて抑えられなくなってしまった。勢い余って呼び捨てにまでして。

そこまでやらかしてしまってから、自分の行動を振り返ったフリットの頬と首筋に朱が差した。
けれど、戸惑いを拭うように、ぐいっと抱き寄せられる。すんすんと鼻も寄せてくるウルフにフリットはほっと息を吐いた。
叶うならば、ずっとこのままでいたいと瞼を落としていくが。

「悪いけどな、お二人さん」

遠慮がちの咳払いにフリットはぱっとウルフから離れて、視線があったことに遅れて気付く。
其方を振り向けば、ラーガンをはじめとした戦友達、ディーヴァクルーが勢揃いしていた。ボヤージやブルーザーの姿もあり、顔ぶれを一人一人確かめたフリットは込み上げに目頭を熱くする。零さないように手に力を込めて握りしめる。
そこに触れてくる手があり、フリットは顔をあげた。

「よく見せろ、お前の姿」

いきなり抱きつかれたから、フリットの花嫁姿をまだ目に焼き付けていないとウルフは彼女を自分の方に振り向かせる。
じっと見つめられてフリットは伏せ目がちになって、視線だけ横に逸らす。けれど、自分もウルフの花婿姿を見たくておずおずと視線を戻した。

此方の年齢に合わせて、もしくは自分が彼に合わせたのか、ウルフの外見は三十前後と見受けられた。
纏う色に真新しさはないのに、色鮮やかに白(まお)すタキシードはウルフの褐色の肌と蒼い瞳を際立たせている。
彼本人の存在の重みはそのままに、凛とした姿に目を奪われる。
見つめ合っていれば、先に表情を崩したのはウルフだ。

「見惚れちまったか?」
「!」

顔を真っ赤にしたフリットはすぐにウルフに背を向けた。

「そんなわけありません」
「素直じゃねぇな」

そこが可愛いけれどと、ウルフはベールから淡く透ける背中に近づいて抱きしめる。
二人の様子に瞬きを繰り返すブルーザーの肩に手を置いたラーガンは、もう片方の手で空中を仰いだ。周囲も涼む場所を探している。

体重はかけてこないが、覆い被さるように後ろから抱きしめられたフリットは名を呼ばれ、耳元に彼の息を感じた。

「最高に綺麗だ」

心臓を掻き揺らす声に、何もかもが取り繕えなくなる。不相応なのではと、そんな思いがあったのに、彼の言葉一つで受け入れてしまえた。
ウルフの隣に立ち並んで大丈夫なのだと。

抱きしめてきているウルフの腕を撫でて、フリットは解放してもらうと、もう一度ウルフと向き合う。

「僕と結婚してください」
「俺の役目だろうが、それは」

咎められるが、その表情は笑んでいて、フリットは苦笑を返す。
そっと、二人の間に小さな光が差し出される。ユリンの掌にあるのは、プラチナに輝く二つの指輪だ。
これは、自分が目覚める前に握っていたものだとフリットは気付いて目を丸くする。

「結婚式では指輪の交換をするものでしょ」

小首を傾げたユリンにフリットとウルフは互いを見合わせ、同時に頷く。
ユリンの手から小さい方を手に取ったウルフは、フリットの左手を引き寄せる。指輪が薬指に通された。

「あの時はサイズ合わなかったのにな」
「同じものだって気付いてたんですか?」
「俺がお前にやったもんだ。忘れるわけないだろ」

微笑んだフリットは今度は自分の番だと、ユリンからもう一つを受け取る。
視線を落として懐かしさに目を細める。

「キオが、僕と貴方の孫が、同じブランドのものを探してきてくれたんですよ」

祖父がどんな人なのかひっきりなしに聞きたがった時期がキオにはあった。自分が持つペンダントはかつて祖父が手にしていたものだと知ってから。
孫の頼みでは断り切れず、色々話してしまった。アセムとユノアにも話していないことまで言ってしまった記憶がある。話している途中でキオが質問を重ねてきたからでもあるが、恥ずかしいことまで喋ってしまった。

そんな懐かしい思い出に、ウルフから貰った指輪の話も含まれる。誕生日にペンダントをプレゼントとして渡せなかったからと、それから何回目かの誕生日に「やっと見つけたんだ」とこの指輪をプレゼントしてくれた。
別のブランド会社と統合していて名前が変わっていたり、同じデザインのものは生産が終了もしていた。アセムやユノア、ロマリーにも手伝ってもらい、各コロニーに在庫の問い合わせを何度もしたと後で聞いて、更にはメーカーに直接出向いて掛け合ってくれた事実にフリットはキオ達を抱きしめた。
自分のことを想ってくれたこともだけれど、ウルフのことを想ってくれたことがそれ以上に掛け替えなく響いた。

「だから、これは僕からでもあって。家族からでもあります」

ウルフの左手を取り、その薬指に指輪を。思った通り、サイズはぴったりだった。
キオのXラウンダー能力はここまでお見通しだったのかもしれない。これで結婚式が出来るねと、空を見上げて言ったのだ。
今になって真相に気付いたのだから、自分は相当鈍かったのだなとフリットは自分の薬指に光る指輪に視線を落とした。
子供達の話もウルフに伝えたい。そう思う。

「アセムとユノア……キオの話も聞きてぇな」

突然顔を上げた此方にウルフは愕いていた。

「どうした?」
「僕も、話したいと思ったので」

消え入りそうな声でフリットは言い、ウルフは表情を改めると頷き返す。
これからの時間は永遠だ。だから、ゆっくりとたくさん話そう。

どちらともなく、互いの手を握り合った。指と指を絡め合う繋ぎ方で、ぎゅっと。

「おめでとう」

仲睦まじい様子にユリンは心に芽生えた言葉を贈った。受け取ったフリットは感極まるように頷いて、何時でも後押ししてくれたユリンに感謝する。

「行ってこいよ、フリット」
「え?」
「エミリー達とも久し振りに話したいだろ?」

でもと迷うフリットにウルフは笑いかけると。

「とっておきは後でな」

疑問ばかりの顔にウルフはユリンに視線を向けてから、フリットに戻す。

「出迎えを初恋の相手に譲った意味がないだろ」
「ユリンはそういうのじゃ……えっと」

女の子だからと続けようとしたフリットであるが、ウルフは肩を竦め。二人の会話を聞いていたユリンが口を開く。

「私の初恋はフリットだよ」

そんなことを告白され、フリットは顔を赤くした。
その反応を間近にしてウルフはそっぽを向いて頭を掻く。その様子を見て、言い訳しても説得力がないだろうなと、フリットは縮こまる。

「ほら、行けよ」

見かねて、ウルフはフリットの背を叩いた。結構強めにやったので、フリットが踏鞴を踏みそうになるが、ぎりぎりでバランスは崩さなかった。

「……行ってきます」

文句と困惑が混ざった複雑な表情だったが、フリットは彼の言う通りに馴染みの顔ぶれの中にユリンと並んで向かう。

「ねぇ、ユリン」
「なに?」
「此処にいる間、ウルフさんと何か話したの?」
「うん。フリットのどこが好きかとか教え合いっこしたよ、たくさん」

悪戯っぽく微笑んだユリンは可愛らしかったが、解答にフリットの表情は固まった。詳しく訊くのは怖くて、その話題にはそれ以上触れなかった。







タイを外して無造作に仕舞い込む姿にラーガンは苦笑しながら肩を竦める。

「もう少しシャキッとしてて欲しいもんですね」
「フリットは気にしないだろ」

それもそうだが、ウルフにとっても大事な結婚式だろうに。けれど、フリットとウルフ以外は私服や軍服姿ばかりなのもあるかもしれない。そう考えると微笑ましい域だ。

興味を持たせようとして、ラーガンは式は挙げないのかとフリットに持ち掛けたことがあったが、当時は寂しい顔で首を難色に振っていた。だからこそと、ラーガンはウルフの横に並び立つようにして、賑やかさに目を向けて眩しそうにする。

エミリーとユリンを両脇に置いてフリットは花冠の作り方を教えてもらっているようだった。慣れないことに戸惑っている様子だが、器用に手先を動かしている。
上手く出来上がりそうなのか、微笑みを交わし合う顔は嫋(たお)やかだ。

「譲ってしまって良かったんですか?」
「独占欲はある。けどな、笑ってる顔を眺めるのは悪くない」

自分にはどうしても強がったり意地を張ったり、生意気な甘え方をしてくる。それを存分に気に入ってもいるが、フリットは孤独ではない。

「あの子の、リボンだったんですね」
「ああ」

フリットが常に肌身離さずにいたピンクのリボン。今も、フリットの襟足を彩っている。
どれ程大事なものなのか、フリット本人からウルフはかつてに聞いた。こちら側で贈り主と直接、フリットについてあれこれ話すことになるとは当時は思いもしていなかったのに。

思いもしていなかったことと言えば、両親が既にフリットと面識があったこともだ。適当な家の出方をしてしまった自業自得を考えれば反感は持てないが、妙な面はゆさを得たのは両親がフリットに対して好意的だったからに他ならない。母は兎も角、父は角の多い人だったはずだ。
しかし、そんな二人は自分に含んだ視線だけを寄越して滞在時間も僅かに去っていった。遠目から見ているだけで良かったのだろうかと疑問は残るが、あの二人にも思うところがあるのだろう。

頷いたのはラーガンへの返答でもあり、自分の思考纏めでもあった。

「がっつきに行かなかったので、意外だと」
「俺はケダモノか……」
「自覚済みだと思ってましたけど」

反論しようかとも思ったが、やめた。
言葉を止めたウルフに図星だと見当をつけたラーガンの横に新たな人影が加わり、彼と顔を見合わせたラーガンは相手をすぐに認識したが、向こうはやや出遅れて気付く。

「ドレイス団長……?」
「覚えててくれたか」
「それは此方の台詞です」

前線復帰後ラーガンは退役時期を見定めていたが、周囲の勧めもあって教導団へと出戻り、数年間は教官として新人指導を続けた。

「ご教授頂いたのは一年にも満ていません」
「ホームズの噂は前々から耳にしてたからな」

その後に『戦場の』と通り名の前に付くようになったことも知り合いから聞いた。セリックは自分が六十半ばの時の教え子だ。今の姿ではすぐにどころか、全く気付かなくても不思議ではない。

「それ似合ってるな」
「団長ほどではありません」

持ち上げる口が上手いのも懐かしいとラーガンは感じる。バイザーは自分が彼に勧めたものなのだが、愛用してくれていることを初めて知った。

何となく纏う雰囲気が似ているなとウルフが二人を見遣っていれば、セリックの方から視線を寄越される。

「白い狼の尊名は兼々(かねがね)聞いています」

口振りから、セリックが自分を目当てにしていたことが窺えた。ラーガンに最初気付いていなかった様子ではあり、突然話し掛けられたことにウルフは身構えない。

「若手にはそうそう面白い話なんか伝わってないだろ」

エースだと言われた時期もあったが、歳を重ねるごとに全体の一部という感覚が強くなる。それに、真新しいのは最初ばかりでそれ以降の味付けは薄い。

「そうでもありません。戦績もですが、提督を射止めた相手となれば分析したくもなります」

成る程、ラーガンがホームズがどうたらこうたらと言っていたが、この性格か。だが、それ以上に聞き慣れない提督に引っ掛かってから、フリットのことだと結びつく。

「あいつは俺の女だ」

言えば、面食らった顔が二つ。ウルフはラーガンの方にお前まで同じ反応をするなと目線に含ませる。
戦友同士の間で何か始まりそうな空気を割るように、セリックは自分の額を打った。あの提督が好きな人というのは想像しがたいものがあったが、納得が強まる。

「失礼、あまりにも」

想像以上に剛胆な人だと思い、融通の利かない性格の相手とは相性が悪いのではないかと結びつくも。彼のことを話すときのフリットは寂しそうに穏やかだった印象が強く残っている。息子が手にしていたデータ画像を漏洩された件では珍しい反応も見た。
彼女自身では制御しきれないものが存在する。その上で、忌避感のある相手ではないかと憶測はあったが、上回れた。

「凄い人だったもので」

遠ざかったり、距離を置く隙を与えなさそうな眼光は満更でもない輝きを差し込ます。けれど、閉じた後。

「その言葉はフリットにやってくれ。俺は、何度も置いていったからな」
「それは」

置いていったというのは先立ったことを指しているのかと思うが、何度もと彼は前置いた。どういうことなのか、セリックが意味を尋ねようとした直後。
ウルフに花を差し出す姿があった。

「気にしていたんですね。けど、フリットは置いていかれたなんて思ってないわ」

花を、花冠を受け取りながら、ウルフはそれを差し出してきたエミリーと静かな表情で向き合う。

アセムとユノアの父親であることを自ら剥奪してフリットの処から出て行ったウルフに、一対一で話があるとエミリーは向かった。あの日のやり取りは互いに苦い記憶として残留している。

大人な振る舞いで引き止めるつもりが、フリットの気持ちを知っておきながら、その気持ちを蔑ろにするウルフにエミリーは憤ってしまった。
この懸念はずっと自分の中にあったものだとあの瞬間に気付いたら、どうしようもなくなっていた。自分が諦めたものをウルフは持っているというのに。

フリットの好物さえ知らなかったことを指摘され、ウルフは頭が上がらないどころではなかった。口答え出来ずにいれば、そうやって大事なことを言わないところが似ているのだとエミリーは続け。泣きそうな悔し顔で睨まれた。

関係が悪くなったわけではないが、その件については決別となった。ウルフとしては気不味くもあったが、エミリーはけろりとしていたのだ。彼女のほうでフリットと何かしらあっただろうことは想像に難くない。

「置いてってないなら、何だって言うんだ」

あれを咎めてきたのはエミリーだけではなかった。だが、誰も咎め続けることはしてこなかった。それぞれの性格に基づいての部分も大きいだろうけれど。

「何でしょうね」

不透明な返答は投げ出したように聞こえかねないが、そうでないことはエミリーの表情が物語っていた。
本人は自覚を持っていなさそうだが、フリットには人と人を繋ぐ才能もあるのだろう。

目の届くところでは、ムクレドがララパーリーに摘んだ花を差し出して抱きしめ返されている。そのすぐ近くで、頭を掻いて俯いているオブライトにレミが寄り添ってもいた。
ユリンとブーケの仕上げに取り掛かっているフリットにブルーザーが声を掛け、傍らでバルガスが花占いを始めてディケがげんなりした顔で付き合わされている。その横では、グアバランがチョコを飛ばしながら騒がしくしているのをアダムスら男性陣が鎮めようと賑やかにやっている。

「その花冠、ウルフさんからフリットに飾ってあげて下さい」
「いいのか?」

少しだけエミリーは瞠った。この人もこの人なりに周囲を気に掛けているのだ。認めていたのに忘れかけていた。

「譲りたくなかったら最初から渡してませんよ。勝ち負けじゃないもの」

決意の声でエミリーは宣告した。
花冠のことだけでは無さそうで、雑な扱いは出来ないと、ウルフが花冠を扱う手に意識を向ければ。ミレースまでもが此方に加わり、懐かしい顔ぶれが揃ってきた。

「エミリーに話があるの」
「私にですか?」
「貴女の願い、守れなかったから。無理を、させてしまったわ」

途中でフリットの方に視線を投げかけたミレースが伝えようとしていることを知り、エミリーはゆるりと首を左右にする。

「そんなことありませんよ。ミレースさんが見守ってくれていること、フリットも頼りにしていました」

それから、ウルフに視線を向けて戻し。

「どうしようもない人を好きになったフリットが悪いです」
「そうね。スーパーパイロットとか何だかとか自負してるなら、もっと上手くやって欲しかったわ」

言葉で攻撃されているが、直接面と向かって言ってこないのはわざとだ。面倒なことになったと半目になりかけていたところ。

「ウルフさん!」

慣れないドレスだろうに、駆け寄りにもたつきは無く。着こなしていることに良い女だと認める。
急いているところをユリンに引き止められ、彼女からブーケを少し慌てて受け取ったフリットがようやく此方の傍らまで辿り着く。
今すぐにも抱きついてきそうな様子ではあったが、周りの目があるためか傍らより距離を縮めようとしない。しかし、エミリー達の含む視線を痒く感じたのか此方におずおずと近づいて隠れようとする。

ウルフの腕に指を絡めるフリットを視認して、エミリーとラーガンは頷き合うとミレースとセリックを引き連れて立ち位置を改める。
主役が隣り合ったことで、皆が二人を囲むように集い直していく。
全員が場を落ち着けたところで、空気の変化を察した白い二人は互いに向き合った。

三人で編み込み作ったという花冠をウルフはフリットに飾ってやる。華やかさが増した姿に満足げに花婿が頷けば、花嫁はいじらしく胸を焦がした。
彼女の手にある花冠と同じ花達で揃えたブーケも彩りを拡げている。

「最高の花嫁だ」

生意気な口答えをしそうになるが、今はそういう時間ではない。否定しなくてもいいと、フリットは素直になれた。

「ウルフさんも」

彼のように明け透けのない言葉はなかなか言えないが、ウルフ本人にそれだけで充分伝わっていることを表情から知る。
幸せだと想う。
けれど、それが同時にフリット自身を苦しめる。

正しくあろうと、救世主になろうと、そう進んできたけれど。自分がああしていなければ、いなければ、戦争はもっと早く終結を迎えていたのではないか。
ガンダムから降りて、更に年老いてからずっと抱えていた。いや、もっと前から、無自覚に抱えていた。

翳りを落としたフリットに気付いたのはウルフだけでなく。

「そんな顔しないで」

振り返る先にいるのはエミリーだった。彼女はユリンの肩にそっと手を添え、フリットと視線を合わす。

「此処にいる人達は貴女のことを信じてきた」

緩やかにエミリーが交互を振り返れば、各々に頷きと声が上がる。フリット、アスノ、隊長、司令、提督、総てが自分の呼び名だった。
そして、エミリーとユリンが大きく頷くと。

「正しいことも間違ったことも、フリットはしてきたわ」

それは、善悪を分けるより難しく、批難する人も反感を持つ人も間近にした。それらに反論を向けるより、使命ばかりを推し進めるフリットは強かったけれど、意志とは関係無しに見限りも重ねていた。
きっとそれは、フリット自身が一番よく知っていたし、理解していたと、エミリーは側で感じ取ってきた。

「それでも……ううん、だからこそ、貴女がきり拓く道に手を差し伸べたのよ」

決断してきたのはフリットだけれど、彼女は独り善がりで行動していたわけではない。孤独であればそうであったかもしれない。だが、自分達はフリットの存在を認めて、一人にしてこなかった。一人にはさせなかった。
そういう人達だ。

真面目で、決めたことを曲げず、ただひたすらな眼差しと姿勢に感化されてしまう。放っておけないのは、そこにフリットの可能性があるからだ。

「でも、僕は復讐心を持ってた。否定さえせず、血縁の、アスノ家の呪いを僕自身が生み出した」

あの日。故郷の屋敷が燃えさかる中、怯えて後ずさった自分をUEは子供だからと見逃していった。それから年月が経ち、ガンダムで戦果を初めてあげた、倒した機体に搭乗していたのは……あの日、自分を見逃したパイロットだった。
あれが、始まりだったのだ。苦いという感情の味覚が分からなくなり、子供達に呪いを背負わせ続けてしまった。
その思いに背丈の低い男が前に出る。葉巻の煙が空に広がった。

「ワシが言ったことを覚えているか、フリット」
「覚えています」

言いながらも、ボヤージの声にフリットは顔を背けるしかなかった。憎悪と血縁、それらに囚われるのが老人の性だ。過去が未来を遺すように、新たな世代を導くのが年老いた者のあるべき役目。
託された願いをフリットは叶えられなかった。見限ってしまった。

「時間がなくて全て伝えきれなかったことが、ワシの心残りだった」

疑問に顔を上げたフリットに、大きな傷が残る顔にボヤージは皺を増やして笑みを浮かべる。

「成したことを子に繋げ、世代を重ねるのが我々の役目。だが、終えるべき節目など不要だ」

為すべきことを成せではない、成せることを続けてくれと未熟なフリットに伝えたかった。未熟故に重すぎただろうともボヤージは確信していたが、悔やむことをしなかったのは本心だったからだ。
しかしだ。伝えきれず、余計な後悔を増やしてしまっていた。そのことでフリットがこちら側に来てまで自分を責める必要はない。

「ワシは年老いてから考えるようになったが、お前はずっと考え続けてきた。それは誰もが出来ることではない。誇っていい」
「何をごちゃごちゃ言っているのやら。年寄りは自分は悪くないと言い訳ばかり重ねる。簡単に一言、ごめんなさいで片付く話だというのに」

一歩前に出てきたラクトがボヤージに向けて言い放てば、二人の間で睨み合いが始まった。ザラムとエウバの因縁は今も尚、終わっていないらしい。それをイワークとリリアが宥めに入るがあまり効果はないようだった。

置き去り感に呆けているフリットを此方に向かせ、ウルフはボヤージの言葉を引き継ぐ。

「お前の強さは、お前自身が選んで、出来ることを遂げ続けたことだ」

あのじいさんはそう言いたかったのだろう。どうして欲しかったなどは希望の域を出ない。そういうものだとウルフは思う。

「俺も言っただろ、お前はすげぇ奴だって」

実際にフリットは多くを救ってきたのだ。自分がいなければと、そうやって追い込むのは良い女のすることじゃない。
人類が繰り返し続ける中の瞬間に過ぎずとも、輝きを未来に託した確かな証は目の前にいるのだ。

「……駄目、ですね」

自分に向けてそう言ったフリットの声は穏やかだった。

「こんなに支えてくれてた人達がいるのに、みんなの優しさに気付いていなかった」

それが悔しくて、嬉しくて、フリットは身を震わせる。止められず、頬を流れ、ブーケの花びらに雫が跳ねる。

やはり、思い返せば後悔は少なくなくて、歳を重ねるごとに融通が利かない性格に拍車が掛かっていった。アセムとキオがいなければ、自分はあの時、大きな間違いの引き金を引いていた。
それを思い留まれたのは、周りに集まってくれたみんなの想いの声もあったのだと、気付いて。

「もっと、早く気付いていれば良かった」
「遅くなんかねぇよ」

知ることも、やり遂げることも、始めようとすることにも。遅いことなど、何一つない。
時期というのは自分自身で決められることばかりでなく、けれど、自分の意思がそちらを向いたことで動き出す。その瞬間自体が大事なのだ。
そう言葉の中に含め、ウルフはフリットの頬を包むように掌で触れる。

「笑え、フリット。幸せを感じたら、笑顔で応えるのが良い花嫁の条件だ」

泣き顔も綺麗で抱きしめたくなる。けれど、乾かない涙はないのだから、純白の笑顔を引き出したい。

「白い狼のこの俺が、最高だって認めた女だぞ」

横暴なその言い草は相変わらずで、言葉以上に温もりを伝えてくる声もウルフらしくて、フリットはふわりと花のように咲(わら)う。
綻びる表情に、最後の涙が流れ星のように頬を輝き通っていく。悪い感情も良い感情も総てを一つにしているからこそ、繕っていない光があった。

「やっぱり、貴方には敵わないな」

この人の前では素直になりきるのが難しい。性格の不一致もあって、気恥ずかしさが強く出てしまうのだ。けれど、優しい眇に促されると頷いてしまう。
それがどういう訳なのか、何度調べても答えは何処にも記されておらず、解らなくて。理由のないものに翻弄させられてばかりいた。それなのに、自分は得体の知れないこのざわめきが好きだった。
何年振りだろうか。今も好きだと、ベールを開かれながら、フリットは気持ちを強くした。

「僕は、ウルフさんが―――」

好きです。
想いを誓いのベーゼで交わし合う。

ん、と踵を下ろそうとしたフリットだが、ウルフに熱く抱き寄せられて、互いの唇が深く重なり合い続けた。
混乱を解くのに時間は掛からなかったけれど、フリットは距離を置くことはせずにウルフに任せた。 解放されるころには、身体を支えきれなくて、ウルフの腕を支えにする。

「……もうおばあちゃんなんで、手加減してください」

もう一度踵を上げたフリットはすぐに下ろした。その一瞬にだけ、自分からウルフに触れる。

ことりと首を傾けたフリットにウルフは笑みを深くした。その様子にもう一回あれは無理だと、フリットはだってと続け。気になっていた周囲の方に視線を迷った末に投げかけた。
ユリンの目を手で塞いでいるエミリーがまず目に入り、その奥も似たようなことになっている。

「手加減なんかするかよ」

また抱き寄せられた。けれど、抱きしめだけだ。ぎゅうっと、離したくないとそのように。彼の肩口に頬を寄せる感じで。
自分も抱きしめ返したいと彼の背に腕をまわした。そこで、フリットはウルフの背の向こうにいる人物に目を瞬かせた。

ウルフは、彼に気付いているのだろう。抱きしめ返すでなく、フリットはウルフの背を撫でた。
彼の姿だけどこにもなく、自分が不意に探そうとしているのをウルフには見透かされていたのだ。もしかしなくとも、彼だけは、ここではないのだろう。

同じ処に行かせないとするウルフの腕の強さに、フリットは目元を緩める。
彼は同志であるが、自分が居たいのはこの人の側だ。
同志であるが故、本来ならば自分も彼の側に行くべき宿命だったのを、ウルフの存在一つで自分はこうも頑なになれる。
大丈夫だと、フリットはウルフを抱きしめ返した。

彼が遠くから微笑んだ。それでいいのだと。声は届かないが、言葉は贈られてくる。

『おめでとう』

祝福は別れだった。引き止めることは、できない。
自分と彼は境遇が似ていた。家族を奪われ、故郷を奪われたことに身の内を支配され続けていたことが。握手を求められた時、自分は返せなかった。握り返すべきだったと思い返したこともあったけれど、同じ道ではなかったのだと、今、はっきりした。

ごめんなさいと有り難う御座いましたを消えていく彼に、グルーデックに届くようにと、フリットはありったけの笑顔で応えた。
誰よりも復讐の悲しみを知っていたのはグルーデックのはずだ。彼に迷いなどなかったが、それは自分のことを自分でよく分かっていたからに他ならない。
自分には迷いがあった。それは数え切れないくらいの、多くの人達の想いに触れてきたからだろう。迷いは弱さだと、そう強く思いすぎて消し去ることに執着もした。取り憑かれていたのだ。

けれど、迷って良かった。迷いを受け入れたからこそ、自分はウルフの腕の中にいられる。
姿が見えなくなり、彼が行ってしまったと、フリットはウルフにしがみついた。今度は、ウルフが此方の背を撫でてくれた。







葉の茂みの奥に行く兄を振り返り、銀髪の彼は引き止めようとする。

「兄さん」
「うっせーな。白けるんだよ、こういうの」

では、何故今まで留まっていたのか。駆け回っているディーンとルウをあしらって奥に行く特徴的な赤毛が見えなくなり、兄であるデシルがいなくなっては、自分達も此処には居づらい。

「フラム、我々も戻ろう」
「…………ゼハート様」

ゆっくりと振り返った彼女の二つに結われた髪が揺れる。それに目を奪われた後で、ゼハートはフラムの穏やかな顔に瞬く。

「結婚式とは、良いものですね」
「したかったのか?」

女の子は結婚式に憧れるものだと、ロマリーに熱弁された記憶があるゼハートはフラムもそうなのだろうかと、素直な疑問を口にした。しかし、フラムは顔を横に振って否定した。

「いいえ。笑顔が溢れていて、あの空間にエデンが生まれていると、そう感じたからです」

ヴェイガンの民とは違い、彼らのはとても華やかだ。その違いに恨みもしたが、自分達の故郷の結婚式にもエデンはあったはずだ。絶対に。
対抗意識や羨ましいというものではない。

日溜まりの向こうにもう一度視線を投げかけたフラムは眩しそうに目を細めた。
その横顔につられてゼハートも同じ方向を見つめる。

「彼らは地球種の人間だ」
「分かっています。ゼハート様にとっては親友のお父様とお母様でしょう」
「アセムとは……友人と言える関係だったかもしれないが、親友では」
「信頼出来て、何事でも言い分かり合えるのを親友と正しく呼ぶのかもしれません。けれど、親しいと感じる友人を親友と呼んでも良いのではないですか」

多くの言葉を交わす時間がなかったとしても、互いを知っている。それは認め合っていることに繋がり、親しいと呼べるものだとフラムは言いたい。

何を持って関係を位置づけるか。野暮なことではあるが、言葉にすることで安堵と気持ちの整理を人は得る。
それは何も間違ったことではなく。相手との関係をより深く理解することに繋がるものではないだろうか。

「そうだな」

柔らかい声音と共に、手を握られる感触にフラムは顔を少し上げる。けれど、ゼハートを見るでなく、手を握り返すのみ。
二人をレイルとドールを伴ってダズが探しに来るまで、ゼハートとフラムは同じいつかを眺めていた。






とある方向に視線を投げかけていたフリットは近くに視線を落ち着かせた。そこまで来ていたらしい。ユリンも同じ方を未だに見つめている。
彼女は彼に対して憎しみがあるわけではないだろうことは感じ取れる。自分は、少しあるかもしれない。でも、個人的にどうかしたいと、そういうものを向ける気持ちはない。かつてからずっと。
立場というものがない場所でなら言葉を交わしてみたかったと、少しだけ残念を思う。
留まり続けている二人とは、いつか、アセム達と一緒に話せるだろうか。そうだといい。

目を閉じたフリットは風を感じて目を開けた。粒が舞い上がり、光吹雪が周囲を奔る。さあっと一際強くなった後で、風が緩やかになって静まっていく。

「フリット」

懐かしい声に幼い頃の記憶が甦り、フリットは慌てる素振りで後ろを振り返った。
栗色の髪を揺らす女性は紛れもなく。

「母さん……!」
「駄目よ、こっちに来ては」

駆け寄ろうとしたフリットをマリナは強い声で嗜めた。
違うのか。どうしてと、フリットは混乱を覚える。グルーデックとはまた別の処にいる母は何故、こちら側でもないのか。
彼女もまた何か業があったのだろうか。分からない。知るのも怖くて、フリットは尋ねられなかった。

「綺麗ね。娘の花嫁姿を見られるなんて、お母さんは幸せ者よ」

柔らかく微笑んだマリナは本当に幸せそうで、自分のことのように喜んでくれている。母親とはそういうものなのだと、フリットは思考とは別の部分で理解していた。きっと、自分もそうだから。

何か伝えなければとフリットはマリナに呼びかけるが、彼女は顔を横に小さく振る。向こうで口を開いて、何事かを言っているマリナの声はもう聞こえてこなかった。
何で……と、頽(くずお)れそうになる身体を支えてくれる手があった。ウルフだった。

「立て。母親がくれた足で、しっかり立て」

口を引き結び、弱音を封じ込めた。フリットはもうウルフの手を借りることなく、真っ直ぐに姿勢を正して、母親と向き合う。
彼女の横にも誰かの姿があった。

「父さん」

彼の都合もあり、あまり一緒に居た記憶は少ない。けれど、父親の顔を忘れるはずがない。二人は寄り添うようにして微笑みを交わし合って、娘に温かなものを向けてくれた。

マリナはウルフに会釈を送ってから、フリットに何かを言っていた。
聞こえないけれど、母親の表情と温もりから言葉以上の想いが届く。頷いて、何度も頷いたフリットは、両親の姿が見えなくなっても自分の足で立ち続けた。

肩をウルフに抱き寄せられ、自分は頑張れただろうかと彼に頬を寄せれば、身体を全部抱き込まれた。
いつの間にか、皆の姿はなく、自分とウルフだけになっていた。グルーデックや両親のように消えたわけではない。







浮遊感にフリットはウルフの顔を間近にして地面と交互に視線を送る。彼が立てと言ったのに、抱き上げられてどうするのだと。

「頑張ったご褒美に、お姫様抱っこくれてやる」

片目を瞑るウルフに一呼吸置いてから、フリットは苦笑を零す。何だかんだで甘やかされてばかりだと。

「ウルフさんは甘えてきたりとか、そういうのしませんよね」

弱っているところを見たことがない、ということもないけれど。自意識がしっかりしている人だから持ち直しが早いのだ。

「……………ある」
「え?あの、今、なんて」
「あるって言ってるだろ」

顔を背けたウルフの耳に、拗ねの色を見てフリットは瞬く。
気付けていなかった自分を情けないと思うのに、ウルフも同じようにそういうのを求めて預けてきてくれていた。それが、この上なく愛おしいと内側に広がっていく。

此方の頬と肩に手を伸ばして抱きついてきたフリットにウルフは愕きを隠せない。

「僕、そういうの鈍感なんで、もっと分かりやすく甘えてください」
「お前、いっつも困ってたじゃねぇか」

ウルフがそうしたいと思って行動したら、自分はそういう反応を返していたらしい。思い返せば、そんなこともあったかなと思考もするが。

「ウルフさんの倍近くは歳を重ねてます」

だから遠慮はいらないと宣言するフリットに自信家なところは相変わらずだと、ウルフは彼女の頬に自分のそれをすり寄せた。
戯れのような触れ合いをしていれば、目下に階段が敷かれていた。それをウルフが降りて行き、眼下に広がる景色にフリットは優しげに目を細めた。
降りて行くなかで、ウルフの腕のなかで、フリットは口を開いた。

「思ったんですけど」
「ん」

聞いているという促しに、嬉しさを温めて、フリットは続ける。

「生きてきた誰もが、必ず、出来ることを持っているんだと思うんです」

だから、自分が特別だったわけじゃない。自分の周りを見渡せば、それぞれで、時には助け合って、みんなが出来ることを進んでしていた。中には、踏み出し切れない人もいただろう。けれど、可能性は生と固く結びついている。
それはヴェイガンも、彼らも変わることなく。彼らは彼らで出来ることをしていた。
立場が違うから、違うからこそ、憎みもした。それが払拭されたわけでもないが、救えるはずの力で争いを続けたのも自分だ。何よりも、それが憎かったのだと、今なら分かる。

「憎むことも、誰でも出来ることなんですよね」
「赦すこともな」

打てば響く、その声にフリットは泣きそうになったが、泣き出さなかった。困った幸せに胸を熱くするに留める。

「お前の赦す部分、全部俺に向けちまってたんじゃないか?」
「そう、なんでしょうか?」

ウルフなら仕様がないか。ウルフならいいか。ウルフなら大丈夫か。そうしてきたのは意識も無意識も含まれていて、フリット自身曖昧だった。
けれど、それでいい気がして。

「そうかもしれませんね」

力を抜いたフリットに満足して、ウルフは表情を緩めた。
階段の途中で居場所を落ち着けると、二人で座り込む。抱き上げられた姿勢をそのまましゃがみ込ませたことで、フリットはウルフの膝上に乗せられたままだ。

不意にウルフが身を寄せてきて、開いた胸元に頬と髪が触れてくる。何も言わずにきゅっと抱きしめられて、落ち着かないとフリットは視線を彷徨わせる。

「やっぱり困ってるだろ」
「もしかして」

甘えられていたのかとフリットは引き結んだ口元を歪め、頬を染めた。けれど、此方の反応にウルフは満足そうでフリットは首を捻る。

「とっておき、まだだったな」

捻った首を更に捻るような展開になり、フリットは階段に直接座るように促され、数段降りたウルフが自分の足下に移動するのをじっと見守った。
ブライダルシューズに触れていた指がドレスのスカート裾を辿る。突然たくし上げられたかと思えば、その中に潜り込まれてフリットは焦る。

「ちょっ、う、ウルフさん……!」

浅く足を開かされ、その間に割り入られる。際どいところを触られて、フリットはそこは駄目と両手でスカートを押さえる。
押さえたところより少しだけ下がウルフの狙いだったようで、彼の行動への遮りにはならなかった。

左腿にウルフの歯があたる感触があり、ふるふるとフリットは身を震わせ続ける。肌を噛んでくるわけではないが、時折、唇や舌が意図せずというタイミングで素肌をつつくのに瞳が潤んでくる。
それ以上進んでくることのなかったウルフはするりと下がり、スカートから出ていくと此方の左足からあるものを噛み剥がした。
彼が咥えているものがはっきりと何か分かって、フリットは顔を真っ赤にした。変な勘違いをしていたこともだが、されたことそのものの羞恥も大きい。

花柄のレースがあしらわれた輪っかを指に引っかけて二度回したウルフはフリットの傍らに腰を落とす。

「ブーケと同じで未婚者に投げるものだけどな、ガーター・トスも」

投げたくないと言外に含んでいる空気が横から刺さり、フリットは盛大に溜息を吐いてウルフの方を見ずに言う。

「ウルフさんが持ってればいいじゃないですか」

婚姻はしていないのだしと理由をくっつけるも、取って付けた言い訳に過ぎず意味をなしていなかった。フリットはウルフの視線から逃げようとするけれど。
腕を引かれて、ほぼ強制的にウルフと視線を交わすことになる。その引かれる勢いのままに、を彼の胸板に手を添えることで止める。

「我が儘、言ってもいいですか?」

首を傾げたウルフだったが、言ってみろと彼女を促した。フリットは……んと、自分の中で整理してからウルフに眼差しを向けた。
心残りはないと決着は着けていたけれど、自分はずっと。

「ウルフさんからの、消えない疵(キズ)が欲しいです」

強い表情を保ったままなのに、返事に時間を取れば、身を縮ませようとする。その変化が愛おしいとウルフはフリットの頤下を指で捕らえる。
そういった主張をするのはフリットにしては珍しい。

「たっぷり疵付けてやる」

奪うように、疵を刻み込むように、唇を食み合わせた。

啄むようにしてから一息。
ぼうっとしていた熱顔をふわりと緩ませるフリットに、どうにも気恥ずかしい思いが膨らんでウルフは視線を横に流した。
大人の空気には届かない雰囲気への触れ方がいまいち測りづらい。だから襲い喰ってしまう方向に行きがちなのは充分、自覚している。
今ばかりはフリットに譲るのは、彼女がまだ何か伝えたげだからだ。

「この疵に誓って、貴方を赦しません」

意味を捉えかねているウルフの顔を優しく見つめてから、フリットは左手の薬指に視線を落とす。指輪を唇に触れさせて。
今し方、赦してきたかどうかの話をしたばかりで。それで思いついた真剣な悪戯の種明かし。

「赦せないものがたくさんありました。やっと受け入れて、一つ一つ赦していくのに、こんなに時間が掛かってしまいました」

でも、やっと。全てと向き合えた。終えることが出来た。
そんな今だからこそ。

貴方だけは、

「赦しません」

誓います。

同じ指輪を触れ合わせるように彼の左手に自分の左手を重ね合わせる。
自分の胸元に寄せて、右手でもウルフの手を包む。

「いいぜ、その誓い乗っかってやろうじゃねぇか」

言葉にしていないフリットの想いに重ねるように、右手を彼女に近づけて、両手でフリットの手を包み込む。互いの両手を真ん中に温め合う。

「俺達が別たれることはもうない」
「……はい」

涙声に、目尻に唇を寄せた。それから、耳元に唇を触れさせて。

「もう一回、疵付けてやろうか」

見つめ合う。
恥ずかしさに困ったフリットだが、次には眉を立てて強く頷く。それから、解した表情を白狼に見せる。

「お願いします」

重なり合って、宇宙(そら)に花束が舞い降りた。
二筋の流星が、星吹雪となって流れ行くのを翠の瞳が見上げている。その眼差しは未来(あす)へ。





























◆後書き◆

永久に幸いでありますように。

Weiβ Hochzeit=White Wedding

更新日:2014/06/21
















































ぽつりと佇むその姿に声を。

「いいのかい?会わなくて」

老齢の女性の声にマリナは表情を困らせた。その顔があの娘にそっくりで、切っても切れない絆を感じる。

「資格、ありませんから。それに、ここからでは」

会いたいかと訊かれれば、会いたい。それが正直な想いだ。
けれど、それは叶わぬ願い、叶えてはならない願い。こちらから声を掛ければ、向こう側に娘はいられなくなる。
そんなマリナに、彼女は大丈夫と微笑む。

「それなら私達が何とかする。喜ぶよ、きっと」
「………」

決断したいけれど頷けない様子のマリナに、それまで無言を貫いていた老爺が口を開く。

「会ってきてくれないか。うちの倅(せがれ)が良い女つかまえてさ」

妬けるほどだ。
今隣にいる自分の妻も負けていないが、息子も良い女を見つけたものだ。
その娘の母親なら尚のこと。
出来ることをしてやりたい。

だから、だからこそ。

逢いにいきなさい。

































◆後書き2◆

ここまでweiβシリーズにお付き合いくださったことに感謝です。有り難う御座います。
ラーガンから結婚式だけ形だけでもしないかと提案されたり、エミリーがウルフさんにつっかかる(?)話など書きたいけれど書き上がっていないものがあったりするので完結的な終わりというわけでもなかったりですが。ウルフさんとフリットの終着点はこの話になります。

シリーズ名にドイツ語で「白」という意味の言葉を用いてきましたが。行き当たりばったりに続けて、結婚式に繋がったりで。ちょっとした摩訶不思議を体感しています。
白といえば、「白(まお)す」と文中にありますが、「申(もう)す」の古形なので使い方は正しくない塩梅かと思います。祝詞の「かしこみ かしこみも まほす」の「まほす」が正しく。
ただ、告白や白状という大事なことを言う言葉に「白」が含まれているために申すの代用になったとかだそうで。専門外なので、変に間違ったこと言うと大ダメージですからそのあたりを詳しくは別のウェブで!(逃)

フリットとしてはウルフさんと一緒にしわくちゃに歳をとっていくという、口に出すことでもないくらいに小さな願いがあったんじゃないかと。
救世主になるより簡単で簡単ではなかった願いをお空で叶えてあげたかった。

何のために生きているんだろう?と疑問を持つのは自分が思っているよりも多く、誰もが通る道だったりするんじゃないかと考えていたりなんですが。
生きていることそのものに意味があるさと。出来る何かが必ずあるものさと。そうしていけられたらと思います。

ジラードさんはこちら側でフラムちゃんつつきながらいたら賑やかだと思ったんですが、彼女はこちら側ではなさそうで。シャナルアさんはそういう運命だったより、自らあちら側へ行ったんじゃないかと。
グルーデックさんも向こう側で。フリットのお母さんも何かあったかもしれないとあちら側です。苦しいです。

最後の一文にある翠の瞳はアセムとキオですかな。漢字違いますが、主題歌の「明日へ」を最後に。
もういっちょ最後の最後にありますが、ウルフさんのご両親とマリナさん。そそくさと二人が姿消したのはマリナさんを呼びに行っていたからでした。タイトルバーでやろうと思ったんですが、思ったより長めになってしまったので二段構成に。

長々と後書きしてしまいましたが、誰ものなかに出来る未来(あす)があることを願いまして、幕閉じです。









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