◆Windstoβ-後編-◆









デインノン基地に収容されているシャルドールは基本的に軍用モビルスーツではない。だが、その民生用のシャルドールは基地を見学しに来た士官学生にもパイロットの気分を知って貰おうと格納庫の片隅に置かれていたものだ。

誰かが搭乗する予定があるなら数日前から手入れやメンテナンスがされるが、目の前のシャルドールは少し薄汚れているような印象を受ける。
そんなモビルスーツに自ら乗ってしまうような人物をウルフは一人だけ思い当たる。

『フリット、何の真似だ?』
『模擬戦の決着、まだ着いてなかったですよね』

模擬戦に介入したのはウルフが独り善がりな戦況を作っていたからだが、フリットは三年前のガンダムを賭けた模擬戦の話を持ち出す。これならウルフも勝負をする気になるだろうと踏んでのことだ。

『そりゃそうだが…お前、ノーマルスーツはどうした』
『女性用の予備でサイズが合うの無かったんですよ』

Gエグゼスのコクピット内のディスプレイに表示されるウィンドウに映し出されるフリットは学生服のままだった。

『このシャルドールはちゃんと許可を取って貸して貰ってますからご心配なく』
『そうかい。で、話戻すが、その制服のスカート短かったよな』
『…見えなければ問題ないです』

通信をしていても互いの上半身しか見ることは出来ない。自分でもはしたないと自覚してはいるが、誰かに指摘されると途端に居心地が悪くなるものだ。
更に言えばスパッツを着用し忘れてきていた。着替えが入ったバッグには一緒に入れてきたはずなので、部屋に戻ったら確認しなければならないとフリットは下半身の心許無さを感じながら考える。

『それで、僕と模擬戦してくれるんですか?』
『ま、上からも許可取ってるなら良いだろ。やってやるぜ』

それから、

『俺は自分の愛機だ。ハンデになるか微妙だが、そこの三人はお前の味方にしていい』
『いいですか?』

オープンチャンネルでウルフとフリットの声は模擬戦場の外野にまで届いているが、二人の会話が自分達に向けられたことにジェノアスに乗る三人は互いに回線を開く。全員が頷くのを確認すれば『了解』と、皆を代表してササバルがオープンチャンネルで告げた。







Gエグゼスを真正面に見据え、ジェノアス三機とシャルドールが立ち並ぶ。

『フリット』
『何ですか?』
『怪我とかするなよ。ノーマルスーツ着てないんだしな』
『ぁ、えっと…』

こんな時に気遣われてフリットは戸惑うが、次の言葉に固まることになる。

『痣の一つでも作ってたら治るまで撫でまわすぞ』

オープンチャンネルでの会話なのでシャルドールの周囲に立つジェノアスのパイロット達にも筒抜けだ。ジェノアスのコクピットに座る彼らの視線がモビルスーツ越しに刺さるのをフリットは感じる。
更にウルフ隊の模擬戦で乱入者が割り込んでいるらしいと聞き付けた軍人達がイベントでも見物するように基地の建物の窓から顔を出していたり、他の模擬戦場で訓練を終えたパイロット達もモビルスーツから降りてGエグゼスらがいるこの模擬戦場から少し離れた場所で観戦に徹していた。

『…そうならないよう気をつけます』

ここで逆上したり焦っては訓練にもならない。フリットは一呼吸置いて冷静にそう返す。
やはり戦いの場ではクールダウンが早いとウルフはフリットを評価する。三年前の模擬戦でもそうだったと思い返して俄然やる気が出てくる。

『じゃあ、始めるとするか!』

Gエグゼスが手首を捻って長さ十メートルほどのマーカーサーベル二刀を回し、逆手に持ち替えた。
最初から近接戦闘に特化し、防御しやすい逆手に持ち替えたのは此方の作戦を根本から覆すためだ。流石だと称賛すれど、此方の作戦が一つだとは限らない。

『ゴードンさんと僕はプランAのまま、ササバルさんとダニエルさんはプランBに変更お願いします。データを送りますから確認してもらえますか?』
『了解』
『俺はあっちからだな』
『確認しました』

自分達よりも子供の指示を受け入れてくれて有り難いとフリットは思い、ウルフのおかげなのだろうかと思考してみたりもする。
何にしても、今はGエグゼスを倒すことに専念しなければとフリットは頭を切り換えた。

シャルドールが正面からホヴァリングして突っ込み、間合いが近づいたところで背部のバーニアを一気に吹き上げる。Gエグゼスは速度の乗ったシャルドールの斬撃を受け止めては払い一歩を下がり、呼吸を置かずに続く次の斬撃も受け止めては払う。
そして、次の、次の、次のと続く。

シャルドールはモビルスポーツでも使用者が多い高起動型の機体であり、ウルフもレーサー時代にシャルドールを愛機とし、その愛機をこのGエグゼスに改良したのだ。
レーサーとして現役だった頃にこれ程速く無駄な動きを削ぎ落とした相手はいなかった。当時の自分はどうだったろうかと自問する時間さえ目の前のシャルドールはくれはしない。

三年前の模擬戦よりも腕が上がっているのは確かだった。が、反撃の隙を与えない攻めの攻撃は動きが単調になりやすい。フリットも例に漏れず、そうだ。

左からの横一線、それを弾かれたら一歩を下がる。一歩を踏み出して右斜め下からの下段斬り、それを弾かれたらその場に踏みとどまる。右上から振り下ろす上段斬り、それを弾かれたら二歩下がる。二歩前に出て右からの横一線、それを弾かれたら一度身を引いてから強引に一歩前に。そして左からの横一線に戻る。
パターンが読めた。

そろそろ此方のパターン化された攻撃を見抜く頃合いだろうとフリットが身構えた直後、右からの横一線を終えて左からの攻撃に移行する転瞬を突かれた。

サーベルを左側に構えて強引に前に出ようとしたところで、サーベルを振れないようにGエグゼスの右手にあるサーベルが此方の動きを封じる。と、左手のサーベルは刃を上に柄を下にして拳でシャルドールの右手を打撃した。
碌(ろく)なメンテナンスもしていないシャルドールは一度の攻撃で指関節が緩み、サーベルを地面に落とす。

無防備になったシャルドールに容赦なく右手のサーベルで斬り付けようとした。だが、刃の軌道上にシャルドールはおらず、空振った。
何故と問うものは目の前の少し下にある。

シャルドールは自らの姿勢制御プログラムを下半身だけ解除したのだ。それによって膝を落とす動作を操縦で担うよりも早く落ちるような速度でしゃがみ込むような動きを生める。
プログラムを書き換えながらあの斬撃を押してきたのだ。パターン化した単調な動きだったとはいえ、同時にやってのけていたフリットに面白いと思う。

互角かそれ以上の相手は高みを見せてくれる。だから戦うことを自分はやめられない。
そう。そして、これで終わるはずがない。

シャルドールを飛び越えてサーベルを振るうジェノアスが目前に迫って、Gエグゼスは後方に飛び退く。ジェノアスの剣が空振りながらも迷うことなく次の斬撃を嗾(けしか)ける。
先程のシャルドールの動きから学んだのだろう。一撃だけに集中して仕留めようとすることから頭を切り換えられるようになったらしい。

「やれば出来るじゃねぇか」

ウルフは口端を上に笑みを浮かべる。だが、その視線は獲物を狩る獣だ。
Gエグゼスが前に飛び込んでいく。いつもの訓練ではウルフは攻撃を嗾けられるのを待っていた。いつもと違うからこそゴードンは戸惑ってしまう。
ジェノアスはGエグゼスの体当たりに反応出来ず、地面に叩き付けられた。

残りの二機は…と、ウルフはGエグゼスの索敵レーダーに視線を奔らせる。後ろだと、左から振り返ったところでサーベルを水平に構えて撞球(どうきゅう)のような鋭い突きが防御の構えを取ったGエグゼスのサーベルの隙間を通り抜けて左肩に一撃が当たった。
マーカーサーベルの刃部には電流が流れている。モビルスーツそのものに対して何の脅威にもならない電流だが、Gエグゼスのコクピット内部にあるゲージは疑似ダメージを告げる。

「当たった!」

ダニエルが喜びの声をあげ、Gエグゼスの左半身が右半身より下がる。だが、蹌踉(よろ)けはしなかった。

今度は右肩を狙うが、Gエグゼスは肩を上げて脇の下にサーベルを通らせると二の腕と肘関節を利用して敵のサーベルを挟み込む。サーベルを引き抜くことが出来ず、手放すという判断を遅らせればどうなるか。
ジェノアスはGエグゼスの左拳をその顔面に受けた。

脇のサーベルを地面に落とせば、先程倒したダニエル機を飛び越えて最後の一機であるササバルのジェノアスがバーニアを使って高く跳躍する。コロニーの反対側にある遠くの街並みを背景に両手で一本のサーベルの柄を掴み、刃を下に向けて上からGエグゼスに飛び込んでくる。Gエグゼスは後方に飛び退き、ジェノアスの攻撃を避けた。

固い地面に切っ先が突き刺さったサーベルをジェノアスが引き抜こうとしている間にGエグゼスは逆手に持っていたサーベルを器用に回して順手に持ち替える。
ジェノアスがやっとサーベルを引き抜いた頃にはGエグゼスはササバル機に飛び掛かろうとしていた。
だが、右からの衝撃にウルフは頭蓋を揺らす。

右脇にタックルしてきた機体があるのだ。ゴードンか、ダニエルか。と予測したものは外れ、シャルドールがGエグゼスの上に覆い被さるように押し倒してきた。両手のサーベルも衝撃でGエグゼスの手から放れた。

姿勢制御プログラムの修復を終えたのだろう。ジェノアス三機を相手にしていたとはいえ、ほんの数分だ。
更に言えば、以前の姿勢制御プラグラムを上回るものをシャルドールに上書きしているのはシャルドールが二足歩行で走っていたのを見れば一目瞭然だ。
正し、姿勢制御プラグラムだけではなく、走行にはパイロットの技術も必要不可欠である。

そして、押し倒されたGエグゼスの顔面に向けられる三本のサーベルの切っ先。
勝負あったと思われたが、Gエグゼスはシャルドールの右腕を自らの左腕と肘で捕らえると、シャルドールの左手首を右手で掴み上に挙げさせるようにしながら左足の踵でシャルドールの右膝を内側に蹴る。そしてシャルドールを掬い上げるように右足の脛から甲を使って上下を入れ替えた。

脇取り返しを決めたウルフは思いの外シャルドールを強く叩き返してしまったことに我に返ると、オープンチャンネルではなくシャルドールのみに回線を繋げる。

『すまん。お前、ノーマルスーツ着てなかったよな。大丈夫か?』
『大丈夫です…それより、これはウルフさんの勝ちですね』

ジェノアス達を見れば、彼らはGエグゼスがシャルドールを押さえ込むために動いたがために狙いを定めていたサーベルを地面に突き立ててしまっていた。勢いを付けすぎて思ったよりも深く地面を抉ってしまったらしく、三人は地面の修復について心配げな言葉を交わし合うほどだ。

『俺の勝ちとかよりも、彼奴らには集中力が欠けてる』

隊長とか先輩というのは大変なんだなとフリットはウルフの言葉を受け止めた。







模擬戦を終えて早々、フリットはシャルドールの指関節の甘さを直すために工具などを借りてシャルドールに掛かりきりになっていた。
お前は便利屋じゃないんだからそんなことしなくても良いだろというウルフの言葉にフリットは自分が乗った責任があると返して聞く耳を持たず状態だった。

念のために膝関節や足首も点検を終えれば、格納庫にウルフの姿はなかった。模擬戦の戦績結果を報告しに行っているのだろうと見当を付けてハロを伴って格納庫を出て行く。

携帯端末のあれを削除した手前、此処に来るのは間違っていると思う。何もかもウルフの思う壺のような気がして癪に障ったフリットはその場で立ち往生していた。
そんな所でじっとしているものだから、後ろを通り過ぎる何人かに不審な視線を向けられている気がしては早く入らなければとも思う。この区画は尉官用の部屋が並んでいるので人通りがないわけではないのだ。

パスワードを覚えてしまっているフリットはいっそのこと記憶から消してしまって、自分に割り当てて貰った部屋に帰ればいいのではないかとも考える。それでも、ウルフの部屋の前に来てしまったのは、最初に見た模擬戦がやはり彼らしくないと感じたからだった。

フリットは散々悩んだあげく、扉の横に設置されているタッチパネルを開いてパスワードを打ち込んだ。
扉がスライドして開かれ、パスワードが合っていたことに安堵してしまったフリットは複雑な感情を飲み込んで部屋の中に足を進める。ハロもフリットに続いて転がりながら彼女の足下を追いかける。

ウルフが部屋に戻ってくるまでどのようにして待っているべきなのか今更ながら悩んでしまい、フリットは唯一の出入り口である扉の近くに立ち止まったまま思案する。
そういえばと、エミリーがクラスメイトの女子生徒と交わした会話を無理矢理聞かせられた時を思い出す。

『彼氏の部屋のベッドの下は確認するのが常識だって言うのよ』

それで相手が正常な性癖の持ち主か判断するらしい。時には大喧嘩も厭わないと言う。
そのような理由でウルフと大喧嘩する日は来ないだろうなとぼんやりと確信しつつ、寝室に入ってしまったフリットは彼のベッドに腰掛ける。
暫く背筋を伸ばしてじっとしたまま見るか見ないかの押し問答を脳内で繰り返した。

このベッドの下に隙間は無いが、引き出しが備え付けられている。その中に胸の大きな金髪美女がパッケージに起用されている映像ディスクなり雑誌があったとしても別に構わない。ただ、胸は大きい方が良いのかと思うだけだ。そう思うだけだと、フリットは引き出しを開けて直ぐさま閉めた。

「あれって…」

避妊具だよな、とフリットは言葉を飲み込む。
そこで寝室に入ってきた影にフリットは身を強張らせた。

「何やってんだ?」

ウルフはベッドに腰掛けたまま下を見るように前屈みになっているフリットの不自然な姿勢に首を傾げていた。

「い、いえ、別に」

何でもないと言うフリットに何かあるように感じはするが、構うことのほどでもないだろうとウルフは足下のハロを踏まないように避けてフリットの横に腰掛ける。
視線を感じてフリットがウルフを見上げれば、案の定視線がかち合う。

「脱げ」
「は?」

唐突なのと言葉が短すぎて聞き間違えただろうかとフリットは思う。

「脱げと言ったんだ」
「なッ!?何で、そんなことっ」

フリットはベッドから立ち上がってウルフから距離を取る。
ベッド下の存在を思い出してフリットは焦るが、自分の言った言葉を理解していないかのように大真面目な表情でウルフはフリットを見上げた。

「痣が出来てないか見るだけだ」
「怪我なんかしてませんよ?」

やっとウルフがしようとしていることにフリットはそう言いながら気付く。模擬戦でシャルドールを叩き伏せた時の衝撃で痣を作っていないか確認したいのだろう。

「背中は自分で見られんだろ」
「特に痛みとかはないんですけど」
「脱がないなら脱がせるまでだ」

ウルフの右手に腕を掴まれてフリットは待ってくれと自分の左腕を掴むウルフの手首を右手で押さえるように掴む。

「待ってください。脱ぐのはちょっと」

そんなの恥ずかしいではないか。心の準備も何もしていないのにと、フリットはウルフの目をまともに見ていられなくて視線を逸らす。
ウルフは力を抜いてフリットから手を放した。分かってくれたのかと思いきや、ウルフはハロを持ち上げる。

「こいつがどうなっても良いのか?」
『助ケテ、助ケテ』

この状況に乗っているハロもハロだが、ウルフも本気でハロをどうにかするつもりなど全くないだろう。

「ハロが人質になるわけないでしょう」
『ハロ…』

大事なデータやハロがいなければ解析出来ないこともある。ハロは道具でしかないはずだ。けれど、丸みのあるフォルムは安心感を与え、昔から共にいるハロに愛着がないわけではなかった。
突き放したような此方の言葉にどことなく傷ついたようなハロの様子にフリットは眉を下げる。

「………分かりました」

お前も役に立つじゃないかとウルフはハロを膝の上に乗せて撫でてやる。

「でも、ウルフさんの手は借りませんから」

そう言って、フリットはウルフに背中を向ける。更衣室は無いし、シャワールームを使うにしても途中で無理矢理入ってこられても困る。そう考えながらフリットが制服のスカーフに手を添えたまま動かないでいると。

「どうした?」
「脱ぎます!脱ぎますよ!」

やけになっている自覚はあるが、下着まで脱ぐ必要は無いだろうとフリットはスカーフを抜き取る。靴は先に脱いでおかないとスカートが汚れるなとスカーフの次に靴に手を伸ばした。

制服の上着をベルトを緩めて脱ぐとスカーフを置いた目の前のデスクに二つに折るように手軽に畳んで置く。綺麗に畳もうとすると時間が掛かってウルフの視線に耐えられないからだ。
スカートのジッパーを下ろし、足をスカートから引き抜いて上着の上にスカートを重ねる。黒のインナーをたくし上げて頭を通り抜かしたところで、もう下着だけになってしまったとフリットは自分の身体を見下ろして自信を無くす。

リボンで肩のあたりが見えないだろうかと、ピンクのリボンを解いて三つ編みをほぐし、髪をかき上げるように持ち上げて、右肩の前に流せば首後ろが少し冷えた。

ウルフは少女の華奢な背中から一度視線を外す。
色気よりも動きやすさを重視したスポーツ下着だろうと高をくくっていたが、スタンダードな小ぶりのレースがあしらわれた乳白色の下着だったこと。次に、顕わになった項から肩胛骨のライン、そこから下に至る丸みを描く線と視覚から得る質感に内側から来る衝動を抑え込むために彼女から目を離したのだ。

けれど、この程度でこんな餓鬼みたいな行動をしている自分に情けないというよりも不可思議な思いを抱く。今更だろと言い聞かせて視線をフリットに戻した直後に鼻腔を擽(くすぐ)られた。

フリットはこれで良いのだろうかと思ったところで、靴下も脱ぐべかと指をニーソの内側に引っかけていると突然身体が引っ張られて背中が柔らかいものに押しつけられる。
その感触にベッドの上であることを理解し、覆い被さるウルフにフリットは身体全部が火照ったような感覚を得る。

ウルフはいつも通り服を着込んでいて、自分は下着のみであることに羞恥が込み上げた。

「なん、で」
「そんな匂いをさせてるお前が悪い」

見た感じよりも声が焦っているウルフにフリットは目を瞠る。
それでも、ウルフの言い分には理解しかねた。

「匂いなんか」
「お前に自覚が無くても、俺の鼻は利く」
「そうだとしても、退いてください」

フリットはウルフの肩を押し返したがびくともしなかった。本気では無かったが、ウルフなら退いてくれるだろうという力で押し返したつもりのフリットは困惑の表情を浮かべる。
少し怖いと感じる。けれど、ウルフが毛繕いをするように身を寄せてきたことに狼というより犬みたいだなと恐怖心を薄まらせた。

「ウルフさん?」
「そういう意味で手は出さないから大人しくしてろ」
「…はい」

そういう意味とは肌を重ね合わせるということだと推測出来るが、手を出さないのは此方に魅力が無いからかとも思う。けれど、少し呼吸が乱れているウルフにそれは違うと否定して欲しい気持ちも芽生える。

「お前は俺のものだ」

確認するように訊ねてはこない。そう断言されて否定の言葉を口に出来なくなっている自分自身にフリットは驚きはしなかった。

白さ以上に執着したものなんて今まで無かったはずなのにとウルフは少しだけ距離をとって、グローブをしていない素手でフリットの左頬を包む。

「だから、他の奴にお前のことをどうこう言われるのも癪に障る」

独占欲が強すぎると言われようが構わない。人生欲張らずに生きていけるほど狼は小食ではないのだから。

フリットは此方に言葉を向けるというよりも、自分の中の唸りを零したウルフの言葉にそういうことかと思い至る。
模擬戦で見た目の割に面倒見の良いウルフがウルフらしくない戦い方をしていた理由。

食堂で遠巻きな視線をいくつか感じていたが、フリットは自分達が座っていた席の近くからあからさまに伺うような視線にも気付いていた。
その視線の対象がウルフなのか自分なのかは判断の決め手はなかったし、ウルフもその視線には気付いていたはずだが、平常通りだったので彼も自分と同じで放置しているのだと思っていたのだけれど。

今思えば模擬戦でチームになったジェノアスのパイロット達の顔を食堂で見たような気もする。はっきりと覚えているわけではないので、確信の持てないことではあるが。

「僕は別に、誰が何を言っても構わないんですけど」

そうは言っても、少しも気にしていないわけではなかった。けれど、フリットにとっては干渉に踏み込むほどのことでもないのだ。

「俺はそういうわけにはいかない。現に苛立ってる」
「だからって、人のこと脱がすんですか?」
「確証が欲しい、だけなのかもな」

言葉の前者はフリットに視線を向けて言うが、後者は顔を背けた。
ウルフの言う確証とは何だろうかと問わずにフリットが自分の思考で答えを出そうとしたのは、ウルフが再び身体をすり寄せてきたからだ。

長めの銀髪が素肌を撫でてくるくすぐったさに身をよじり、掛かる息の熱さに身を震わせる。
そんなフリットの反応に疼くものが衝動と成りそうだったが、ウルフは理性を持つ人間であり、フリットのことを思えば確証が欲しくとも不用意に事は進められなかった。

「背中向けろ」
「せなか?」
「そうだ」

少し逡巡の素振りを見せるフリットであったが、ウルフが身体を離したのでフリットは言われた通りに俯せになる。近くにあった枕を引き寄せて顎を乗せた。
枕からウルフの匂いが伝わってきたことにこの行動は不味かったかもしれないとフリットは枕に耳を当てる。と、背中に掛かった髪を掻き分けられて顕わになった素肌にウルフの指が触れてきて肩を跳ねさせる。

「ッな、何です?」
「ここ、青くなってるぞ」
「え?」

首を捻ってみるが流石にそこまで見えなかった。だが、ウルフに軽くマッサージするような力でそこを押されただけで痛みが走った。

「――ッ」

模擬戦の時にコクピットのシートに背中を強(したた)かに打ち付けたが、怪我をするほどだとは思っていなかった。

「他にはなさそうだな」

ウルフはそう言った後にベッド下の引き出しに手を伸ばした。

「あの…ウルフさん、その中、って」

引き出しの奥側に収納されていた白いシートを取り出したウルフは歯切れの悪いフリットの言葉に首を傾げながらもそれに答える。

「支給された治療セットだが、それがどうかしたか?」
「いや、そうですか。それなら良いんです」

フリットは納得した。軍からの支給物に避妊具も含まれているのだろう。冷静に考えれば、人口増加に悩むこの時代、軍というストレスが溜まる環境で不要な問題を増やさないように対策が成されるのは当たり前のことだ。

自分は何を焦っていたんだとフリットは独りごちる。
が、ウルフが此方の下着のホックを了承も得ずに外したことに再び焦った。

「ウルフさん!?」
「ブラが邪魔で湿布が貼れないだけだ。自分で貼りたいなら止めはしないが、やりずらいぞ」
「まぁ、確かにそうですけど」

枕に顔を埋(うず)めたフリットがあまり納得がいっていない空気を漂わせるが、拒否の反応も無かったのでウルフは透明フィルムを剥がした湿布をフリットの背中に貼り付ける。冷たさにフリットがくぐもった声を漏らした。
このままでは本格的にやばいとウルフはフリットの下着のホックを戻そうと手を伸ばしたが、フリットにそれを止められる。

「自分でやります」
「はいはい、分かったよ」

我が儘な餓鬼の相手をしているように振る舞わなければどうしようもないと、ウルフはフリットの上から退いた。
フリットは腕を使って起き上がったが、慌てて下着ごと胸を両腕で押さえる。シーツの上に座ったまま胸を押さえ、ウルフを振り返った。

「後ろ、向いててください」
「後ろ向くだけで良いのか?」
「………」

ウルフは吐息してベッドから腰を上げると寝室から出て行き、フリットとハロがその場に残された。







デスク横の椅子に腰掛けずにウルフはグラスの中のミネラルウォーターを呷(あお)る。アルコールに手を出したい気分だったが、箍(たが)が外れやすくなるのは避けたかった。

他の奴に獲られたくないなら、さっさと既成事実を作ればいいという打算が浮かばないほど自分は清らかな性格ではない。
けれど、自分の中にあるエゴをいずれフリットに押しつけることになることも分かっていた。

デスクの引き出しに視線を落とす。そこに、アンバットの要塞でヴェイガンの兵士が命を引き取る間際に託されたペンダントが仕舞われている。母なる地球の夕焼けを夢見ていた青年の恋人か家族のものであったであろうそのペンダントを葬る場所をウルフはまだ自身でも降りたことのない地球という地に決めていた。
自分が地球に降りる日が来るかは分からないが、それが己に出来ることならしてやりたいと思う。

あの時、同時に決意したことがある。それをフリットに悟られたり知られたりしたらどうなるだろうかと考えて。

「ウルフさん」

当の本人に後ろから声を掛けられてウルフはグラスをデスクに置いて振り返る。ハロを足下に伴って学生服を着込んだフリットがそこにいる。

「お前、髪はそれでいいのか?」

三つ編みをしていないことを指摘する。フリットは自分でやれないこともないのだが、ウルフが寝室を出て行く時の様子が少し引っかかっていた。それで三つ編みをする時間が惜しくてリボンを結うだけにしてきたのだ。
けれど、それを言うのは気恥ずかしくてフリットは言葉を濁す。

三つ編みをしていないのはビックリングでのあの時と一緒だなと思い至り、ウルフは椅子を引き寄せてフリットの腕を取るとそこに座らせた。

「リボン、取るぞ」
「え?あの、」
「まとめておいた方が動きやすいだろ」

ウルフが編んでくれるらしいと分かり、フリットは大人しくなるが、ラーガンやバルガスの前例があるのでいまいちウルフのことを信用出来ない気持ちも生まれる。
こういう時に動くとエミリーには叱られるのでフリットはじっとしたまま大丈夫だろうかと不安を持ちながらもウルフに任せることにした。後の事は後で考えれば良いだろう。
暫くして、最後に元の位置にリボンが結われた。

「出来たぞ」
「…どうも」
「少しきつく編みすぎたかもな」
「いえ、大丈夫です」

男性の握力で結えば編み込みがきつくなることは不思議ではない。頭を引っ張られる感覚も何度かあったし、時間も掛かっている。ウルフも不慣れなことであっただろうに、丁寧に編み込んでくれた証明が自分の髪にある。
慣れないことでもこなしてしまうのだから、やはりウルフは面倒見が良いのだと実感する。

寝る前には解くことになるので、勿体ないと思ったところでフリットは頬を熱くした。ウルフが自分の後ろに立っていて良かったと頬の温度を確かめるように右手を左頬に添える。

そろそろ夕食時だなとウルフに促されてフリットは椅子から腰を上げて彼の背中を追った。







Gエグゼスの装甲のメンテナンスを終えたラグとヨハンはウルフに報告も兼ねて食堂に誘おうと尉官用の居住区画に足を進めていた。

歩いていると目先の左側の通路から隊長を除くウルフ隊の三人が此方と鉢合わせ、彼らも同じような理由でウルフの部屋へ向かっている最中だった。
若干大人数になるが、ウルフの性格からして迷惑がられることはないだろうと彼らは合流して通路を進んでいく。

「そういやさ、ウルフ隊長の好みってああいった感じの子じゃないよな」
「だよなー。俺らがエロ本広げてたりそういう話してるときあの人ノリ悪くないし、胸の大きさとか拘(こだわ)ってなかったか?」
「俺も覚えてるっすよ。谷間は良いよなとか何とかって」

女性が周囲に見当たらないと結構えげつない会話になったりもするが、そこでウルフ自身から聞き及んだタイプは今日の模擬戦でチームを組んだフリットという少女とは噛み合わない。

「中尉は女性関係のアレな噂多いけどな」
「でもこの基地で女に声かけてるのは見たことあるけど、何かあったって話は聞いてないな」

彼女のことが本命なのはウルフの行動からして明白だが、彼らは詮索の会話を続けた。
居住区画に入り、ウルフの部屋の入り口が視覚で確認出来る距離まで近づいたところで目的の部屋の扉が開かれ、部屋の主が通路に出てくる。
彼も今から食堂に向かうならタイミングは良かったと思ったのも束の間。
ウルフがエンジニア二人と部下三人に気付いたと同時に彼に続いて部屋から出てきたのは少女と丸いペットロボットだ。

フリットは顔見知りの五人に気付いて目を瞠るが、それは向こうの彼らも同じだ。
ウルフの部屋から彼と共に出てきてしまったことをフリットはこういうのは不味いのではないかと思うと同時に首筋から上がってくる熱を感じる。その場から逃げだそうとしたがウルフに拘束されてそれは適わなかった。

このような状況が何度も目撃されてビックリング基地に帰れる日までフリットは頭を悩ませ、恥ずかしい思いをし続けることとなる。





























◆後書き◆

デスペラードを出したいと思ったんですが、流石にモビルスタンダードで模擬戦の許可は下りなさそうだなぁということで、次に気になるシャルドールをば。
ウルフリの仲が進展しているのか微妙ですが、二人の空気にあてられている周囲の反応とか考えると私生活が楽しいです。

Windstoβ=突風

更新日:2012/05/04








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