◆Windstoβ-前編-◆









デインノン基地の敷地内を走っていたモビルスーツ隊員の三人は、ランニング時間を終えて一息吐くために更衣室の椅子に腰掛けてスポーツドリンクで喉を潤していた。

「ウルフ隊長はまだアレン中佐に引き留められてるのか?」
「何か話があるからって連れてっちゃいましたけど、何の話っすかね」
「流石に温厚な中佐もウルフ隊長にはお手上げってことか?」

ウルフの破天荒な戦い振りや私生活はデインノン基地でも有名になりつつあった。それでなのかは定かではないが、ウルフ隊のメンバーはこの年若い三人が組まれていた。
ウルフよりもデインノン基地に勤務している期間が長い三人は、突然隊長として面通しされた彼に不安を抱いたものの白い狼という名が伊達じゃないことを直ぐさま思い知ることとなった。

そんな矢先、ウォルドルフェザーホテル襲撃事件が起こり、彼らも駆り出されていた。基地に戻ってきたウルフの尋常でない雰囲気に彼らは一歩引いてしまったくらいで、あの時のウルフに声を掛けられるのはアレン中佐しかいなかったであろう。

ウルフとミレースがビッグリング基地に軍用シャトルで向かい帰ってきた後、Gエグゼスのメンテナンスの為に同行していたエンジニア二名から聞いた話によればあの襲撃事件にウルフの想い人が巻き込まれていたらしい。彼にそんな相手がいたことにも驚いたが、その女性の身に起きたことを聞けば眉を顰めざるを得なかった。

けれど、戻ってきたウルフの表情は何かすっきりとしていてその理由も尋ねれば、エンジニアの二人は勿体付けながらもこっそりと教えてくれた。
恋人やパートナーのいない三人からすれば「そうですか」と羨ましい話であり、負けた気分になる話だった。
そんな相手がいながら、よく女性に声を掛けているウルフを見掛けるのだが、いつかその相手にチクってやろうと決意を固める。

「昼が終わったら模擬戦だよな」
「隊長がいないと話にならないぜ?」
「腹ごしらえしてから考えればいいんじゃないか?」
「それもそうだな」

時間が掛かりそうなら模擬戦の時間になる前に端末に連絡が入るだろう。もし無ければ適当に訓練を始めるなり、他の隊に混じらせてもらえば良いだけだ。
彼らは汗を拭いてパイロット用のジャケットを羽織ると更衣室を出て行く。

三人が食堂に足を踏み入れる。さて、どのメニューにしようかとこの中では年長のササバルがランチメニューを視界に捉えていると、一つ下のゴードンに肩を叩かれる。何だとササバルが振り返り、ゴードンと同い年のダニエルも彼と一緒になって指が指し示す方角に視線を動かす。
そこでやっとササバルは小さく「あ」と声を漏らした。

彼ら三人は円陣を組んで顔を見合わせるとアイコンタクトで相談を終える。
新聞やらコーヒーカップを手に目当ての席に座る人物の死角になり、尚且つ近いテーブルの席に腰を下ろして三人は目当ての席へと視線をちらりと向ける。

「お。結構可愛い」
「俺、女子高生見るの初めてかも。男子校だったし」
「軍基地周辺に学生はあんま近づかないしな」

三人の視線の先にはウルフと三つ編みを揺らす学生服姿の少女がテーブルを挟んで向かい合わせに座っていた。お互いのトレーの上は殆ど片付けられているので、食後の談笑でもしているのだろうかと三人は今一度顔を見合わせる。
けれど、あの少女が何者なのか三人には見当が付かなかった。ウルフの妹にしては似ていない。

「何でウルフさんが案内役なんですか…」
「俺が決めたわけじゃないぞ。ってか、お前さっきは何も言わなかっただろ」

中佐であるアレンがデインノン基地の案内役としてウルフを指名し、そう伝えられたフリットは大人しく頷いていたはずだ。

「ミレースさんもいるじゃないですか」
「お前は何のために此処に来たんだ」
「ビッグリングで収集した戦闘データの引き渡し、それに追随する各モビルスーツのチューンアップです」

ヴェイガンが小規模ながらまた行動を開始し始めたらしく、それを利用して宇宙海賊も増えていた。“トルディア”や“ヴェルデ”の連邦基地ではまだ海賊対策部隊は作られていなかったが、他のコロニーにはそのような部隊が存在する基地もある。

“ヴェルデ”のデインノン基地も宇宙海賊の増幅に伴い、宇宙海賊討伐部隊を設けることとなった。そのために宇宙海賊との戦闘データを保有するAGEシステムの責任者であるフリットがこの場に赴いたというわけだった。

「なら、モビルスーツ部隊に所属する俺が案内役なのは妥当だろ」
「…そうなんですけどね」

ただでさえ軍服を着ていない自分は浮いているのに、ウルフのように派手な人間が側に居たら悪目立ちしすぎだ。そう思うからこそのフリットの反応にウルフは納得がいかなかった。

「で、お前は他に何か言うことないのか?」
「え?」

ウルフは二人分のトレーをテーブルの隅に寄せて邪魔なものを退けると、そこに手をついて身を乗り出してフリットに顔を近づける。

「な、何かって」
「俺のこと好きなんだろ」

フリットが頬を赤らめ、二人の近くを横切っていった軍人が驚いて後ろを振り返ってしまったのはほぼ同時だ。
白い狼はあんな子供まで口説き落とすのかと好奇な視線が増える。

「それで、あの、何か言わないといけないんですか?」

フリットの生真面目な性格からして甘い空気を自分から作り出すことなど想像すらしないだろう。
けれど、嬉しそうな顔ぐらい見せて欲しいと思うのは高望みしすぎだろうか。

ウルフはフリットの疑問に答えるより先に彼女の顎に手を添えて僅かに上を向かせる。
こんな場所で何をされるのかと内心焦っているだろうに此方の行動を邪魔しないフリットにお前はそういう奴だよなと受け止めてしまい、ウルフはフリットの顎を捕らえていた手を彼女の頭に乗せる。わしゃわしゃと柔らかい髪の感触を存分に味わってから手を放した。

「ちょっと、何を」
「餓鬼にはまだ分かんないよな。気長に待ってやる」

子供扱いだと受け取ったフリットは眉を寄せて元の位置に腰掛けたウルフを顎を引いて睨むように見やった。

「分からないとは言ってません」
「何か言わないといけないのかって訊いてきたのはお前だろ」
「そうですけどッ、大脳生理学的に言えば今の僕の状況はフェニール・コチル・アミン、つまりPEAという脳内物質の濃度が上がって」
「待て待て。何を訳の分からないこと言ってるんだ」

大脳生理学がどうのこうのという話はウルフからしてみればさっぱり分からない分野だ。
プログラムを組み上げること以外でフリットが自らやっていることと言えば書物を読んで知識を蓄えることであり、ウルフが想像も付かないほどの膨大な情報量をフリットはその脳にため込んでいる。それをウルフも知ってはいるが、何故今になって専門知識をひけらかすのかと考えた瞬間、引っかかりを覚えた。

フリットがMS工学のみならず、ナノテクノロジーやらインフォマティクスやらと小難しい会話をエンジニアらとしているのは日常茶飯事だ。その内容は専(もっぱ)ら技術重視の学問である。
違和感は生理学についてフリットが口にしたことだった。

「なあ、フリット。お前、緊張してるのか?」
「ッ…そんな、ことは無いです」

ふい、と顔を背けたフリットにウルフは合点がいったと頬杖をつく。
疑問を抱いたら徹底的に分析して学習しなければ気が済まないフリットならばやりかねないことだ。

フリットはウルフとのことについて説明付けられるものなのかと心理学や生理学の書物を熟読していた。
そこまでしておいて何か違うなと感じつつも知識は残ったままだ。それを活用しようとしてもウルフが相手ではなかなか素直に会話に相槌をうつことも出来ず、文句を返す始末だった。

知識があっても実行出来なければ意味がないことを重々承知しているにも関わらず、この体たらくは何なのだろうとフリットは内心肩を落とす。
しかも、口を滑らしたせいでウルフに勘づかれてしまったことに居たたまれなくなる。

自分の気持ちを言ってしまった日から別々の生活が続いていた。けれど、お互いに多忙の身であり、連絡を取り合うということさえしていなかった。
久し振りに再会の場を設けられたところで、どのように反応を返せば良いのか分からず、フリットは戸惑うしかなかった。

背けられたフリットの横顔を眺めながら、ウルフはこういうのも悪くないなと思う。

「お二人共、お揃いですか」

ウルフが首を巡らせた先にGエグゼスの整備を担っているエンジニアが二人、食事の載ったトレーを手に此方を通り過ぎ、隙間を空けた隣の席に腰掛けた。

エンジニアのラグとヨハンに会釈を返すフリットはどこかぎこちない。それもそのはず、この二人はこの間の事件がきっかけでGエグゼスのメンテナンスの為にウルフらと共にビッグリングに赴いていた。
あの格納庫にも彼らは居たわけであり、一部始終をしっかりと見られていた。ラーガンもあの場に居合わせていたことを知った時はデスペラードが掘った穴に入りたいと本気で思ったフリットである。

「そうだ。さっき、手の空いているエンジニア達で戦闘データ拝見させて頂きました」
「あの宇宙船艦の構造が職業柄気になりますけど、Gエグゼスとガンダムのコンビネーションが凄かったってその場で盛り上がりましたよ」

墨色のジェノアスのシールドを粉々にしたあれかとフリットとウルフはほぼ同時に思い至る。

「それで、通信記録も入ってたんで戦闘データと同時再生してしまったんですけど」

申し訳なさそうにそう口にしたヨハンに何か不味いことを言ったような覚えはないがとウルフは振り返る。けれど、フリットは全回線を開いてウルフが宣った台詞を思い出して青ざめた。

「あの、もしかして…」

口を開いたフリットに対してヨハンとラグは顔を見合わせてから手を合わせて顔の前に掲げた。

「アスノちゃんはウルフ中尉の女って広まってるかも」
「口の軽い奴が何人かいたしなぁ」

ビッグリングでも時たまからかわれたりしているフリットはデインノン基地ならばそういうのは無いだろうと高をくくっていた節はある。けれど、これでは当てが外れてしまった。

通信記録もデータとして残しておかなければならないものだが、今回の作業で通信記録は必要の無いものだ。通信記録だけ省くのを忘れた自分の落ち度なのだとフリットは自分自身に言い聞かせる。だが、納得は追いついてこない。

「俺としては都合良いけどな」

そう宣ったウルフにフリットは胸の内で「僕は良くない」と反論する。けれど、彼が口にしたことは言葉通りの意味なのだとフリットはウルフを一度見やってから視線を逸らした。

抗議の一つでも飛んでくるだろうなと予想していたウルフはフリットの様子に自分が思っているよりも彼女が意識していることに気付く。

ウルフとフリットから漂う淡くもどかしい空気にどちらも独り身であるラグとヨハンは少し敗北感を覚えるも、この後二人がどんなやり取りをするのかと好奇心が勝って邪魔をせぬように聞き耳を立てながら食事に手を付ける。

「僕、もう行きます」

食事の済んだトレーを手に立ち上がったフリットにウルフも身を動かしたが、フリットはそれを制する。

「ウルフさんはこの後模擬戦の訓練があるって言ってたじゃないですか」

本格的な作業は明日からになるので、今日一日は基地内の施設を把握しておくことがアレン中佐の指示であった。ウルフがその案内役だが、彼が空いている時間のみという制約もアレンは付け加えている。

「お前、この基地の中まだそんなに把握してないだろ」
「その通りです。けど、見取り図はハロにインストールしてありますから、迷ったりはしませんよ」

足下のハロに視線を送れば、ハロは会話の内容が分かっているかのように前後に数回揺れて頷いているようだった。
フリットにとってウルフの気遣いは嫌なものではなかったが、二人でいるところを見られるのは先程のエンジニア二人から聞かされた話もあって恥ずかしいと思うのだ。

「可愛げねぇな。じゃあ、端末貸せ」

何がじゃあなのかよく分からないが、ここで押し問答を始めるのも周りに迷惑だろうとフリットは渋々っといった様子で携帯端末をウルフに差し出す。
ウルフは携帯端末のメモ帳を開いて文字を打ち込むとフリットに返した。フリットは打ち込まれた文字と英数字を見て首を傾げる。

「何ですか?これ」
「部屋の場所とパスワード」
「削除します」

誰のと問わなくとも、ウルフの部屋の場所とその部屋の解除パスワードなのが分かり、フリットは携帯端末のボタンを二回押す。
携帯端末を仕舞うとフリットはウルフの顔を一度も見ずにトレーを厨房近くの返却口に置いてハロを連れて食堂を出て行った。

「残念でしたね、中尉」
「そうでもないさ」

ラグはウルフの返答に首をひねる。
ウルフはフリットの耳が赤くなっていたことにも気付いているし、あのフリットが一度だけでも目を通したものを簡単に忘れるはずがないことを知っている。

天才は器用すぎて時に不器用になる。捕食対象としてここまで心惹かれるのはフリットだけだ。

「それにしても、さっきからお前ら後ろでこそこそ何してやがる」

ウルフが背中側の曇りガラスを裏拳で軽く叩けばウルフの背後側の席に座っていた三人は勢いよく立ち上がった。
ラグとヨハンもウルフ隊の三人が居たことに若干驚く。

「隊長、気付いていたんですか?」
「それならそうと言ってくれれば…」
「丁度俺達も昼にしようかなって」

口々にそんなことを言うが、座ったまま三人を振り返って見上げるウルフの視線はどこか怖かった。

部下三人が基地で見慣れない学生に興味を持つのは致し方のないことだ。だが、フリットのこととなると自分は心が狭くなるなとウルフは胸の片隅で呟く。

「模擬戦、覚悟しとけよ」
「「「…はい」」」







フリットはデインノン基地の中をハロを連れて歩いていた。
今日は士官学生の見学予定の話は聞いていないのにと首を傾げながらフリットを一瞥する視線が幾つかあり、親切に声を掛けてくれた人達は会話を数度交わすと最後に謝罪の言葉を口にして去っていく。

「あら、ごめんなさいね。迷子にならないよう気をつけて」
「はい。有り難う御座います」

そんなやり取りを何度か繰り返してフリットはこれならウルフが一緒にいてくれた方が余計な手間が省けたかもしれないと独りごちる。けれど、それはそれで別の詮索がありそうで困るとも思った。
そこで建物の中にも関わらず工事現場並みの音が外からしてくることにフリットは通路の窓に身を寄せた。

「模擬戦始まってたのか」

基地の敷地内に設けられた模擬戦場は一面がコンクリートで楯になるような外壁や岩は一切無い。あれでは実力勝負のドッグファイトになり、立地条件によって機転が利くパイロットは育ちにくいだろう。
けれど、その機転を働かすことが一番難しいのが何も無いが故の現在の模擬戦場だ。

そのようなハイレベルな場で白い機体が松葉色にカラーリングされたジェノアス二機の両側からの挟み打ちの一振りをビームサーベルに見立てたマーカーサーベルの二刀流で受け止める。正面から来た三機目のジェノアスを蹴り飛ばすと同時に自らのサーベルの柄から一度手を放す。敵の意図が判らず両側のジェノアスの動きに戸惑いが生じる。

白い機体、Gエグゼスは右にいるジェノアスの腹部を蹴り倒す。続けざま蹴った足を振りかぶりながらしゃがみ込んで身を回せば、左のジェノアスに足払いを仕掛ける。
サーベルが地面につく前に両手で柄を掴んで仁王立ちするGエグゼスはその場に倒れた左右のジェノアスにそれぞれの切っ先を向ける。
最初に弾き飛ばされたジェノアスが再び立ち向かってくるが、Gエグゼスの巧みな剣捌きに為す術はなかった。

模擬弾を使った銃戦ではなく、ウルフが得意な剣術戦では彼を上回れる者などそうそういない。ウルフの独擅場ではないかと思い至ったフリットはハロに格納庫に行き先を変更することを伝える。







一度休憩を挟んで模擬戦はセカンドラウンドに入った。休憩中に円陣を組んで相談していた部下三人がどう出てくるか楽しみにしていたウルフはジェノアス三機の動きにがっくりと肩を落とす。

「おいおい、三機同時に真正面からだと?馬鹿正直にも程があるだろ」

自分は人に何かを教えるのは向いてないのかもなと思う。過去を振り返れば、自分だって誰かに教わったという記憶はあまりない。教わるくらいなら相手から盗め、そして体得しろ。それがウルフなりの流儀だ。

「此奴らにそれを気付かせられるようにせんとな」

だが、それよりも彼ら三人に対して私情で叩きのめしたい理由がウルフにはあった。

向かってくるジェノアス三機がサーベルを振りかぶったところでGエグゼスはバーニアを二度吹かしてジェノアス達の頭上を跳び超えようとした。だが、目の前に黄蘗(きはだ)色にカラーリングされたモビルスーツが構えていたことに目を瞠る。

突風のように現れた黄蘗色のモビルスーツはGエグゼスと同じようにバーニアを二度吹かしてその右手に握っているサーベルを上段から振りかぶってきた。
サーベルを十字に構えて攻撃を受け止め、Gエグゼスは後方に飛び退く。

自分達の頭上で何か異変があったらしいとジェノアス三機に乗るパイロット達は立ち止まってカメラアイを周囲に奔(はし)らせる。
この場にはGエグゼスとジェノアス三機のみのはずだったが新手が一機いた。
シャルドールである。





























◆後書き◆

ウルフさんの勤務地を飛ばしてしまったので、フリットに出張してもらってこちらの基地の話に。
今回も小説版の設定を拝借しております。前編にもありますが後編に主に盛り込んでいるかと。

更新日:2012/05/04








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