◆Tunenmen◆









連邦基地のモビルスーツ部隊に所属する彼らは度重なる不満を持て余らせていた。
それぞれの志願理由や志願時の年齢は別にしても、彼ら七人の顔ぶれは変わることなくチームを組んでいた。だが、コロニー“トルージンベース”へと赴任移動してから彼らに異物が混入されたのだ。

今まで彼らの隊長を務めていたのはベテランと言える歳の屈強な肉体を持った軍人であったが、この基地に来て彼らの隊長を務めることになると面通しされたのは自分達の誰よりも小柄な人物だった。
しかも歳を聞けば二十二だと言うではないか。年下に隊長を任せるとは上の人間は何を考えているのだと思えば、彼女は蝙蝠退治戦役で功績を残したガンダムの開発者にしてパイロットだった。
それならばと納得出来ない気持ちを抑え込んだ彼らであったが、“トルージンベース”からこの“トルディア”に来てから、他の部隊の奴らからは女が隊長だなんて災難だななどと言われる始末だ。それも哀れみを込めた言葉ではなく、此方を見下して馬鹿にした言葉だった。
自分達とて好きで女の下に就いているわけではないと言いたくて堪らなかった。それでも、隊長であるフリット・アスノの実力はアーシュランス戦役で既に実証済みだった。馬鹿にしてくる奴らに弁解して隊長を庇っていると思われるのも癪でずっと何も言えずにいる。

確かにフリット・アスノという人物は数年前に蝙蝠退治戦役を乗り切ってきた実力者であり、以前は「二筋の流星」の片割れとしてもその名が連邦内に知れ渡っていた。
作戦時の高慢な態度や言葉遣いも隊長ならば仕方ないと我慢出来る。けれど、自分達が意見を発言しても「そうか」の一言だけで片付けてしまうのは釈然としなかった。
そのような不満が日々積み重なれば人は我慢が出来なくなる生き物であろう。

「誰も異論は無いな」
「異論ってわけじゃないけど、本当にやるのか?」
「マラット、お前はその臆病癖治すためにも強制参加だ」
「別にちょっと脅かすだけなんだからさ」
「そうそう。色気なんか全く無いし」
「それは言い過ぎだろ、ラヴロフ。でもまぁ、俺らの中で気がある奴もいないわけだが」
「一人になったところを狙うぞ」

頷く彼らを見回して、この中での年長者となるブライアンは立案した計画を実行することを宣言した。







連邦軍第八艦隊からコロニー“トルージンベース”に赴任して自分の隊を持ち始めたフリットは今、“トルディア”というコロニーに設けられた連邦基地にいる。

前の基地では、自分の部隊しか配備されておらず、フリットは不信感を抱いていた。その不信感の矛先は連邦である。辺境のコロニーであったはずの“トルージンベース”にヴェイガンの艦隊が襲撃しに来たことが起因だ。此方の配備が手薄だと敵は知っていたのではないかとフリットは思っている。
上層部にヴェイガンと繋がっている人間がいるのではないかとフリットは特務士官に直接詰め寄って問い質そうとしたが、自分に三階級特進を言いつけて話を有耶無耶にされた。
それならば、連邦を中から変えるしかないとフリットは昇進を無言で受け取り、更に上を目指すことを決めた。

アーシュランス戦役後は“トルージンベース”に配備されるモビルスーツ部隊も増えたが、上から何か含まれたのであろう特務士官はフリットとその部下に目を付けるようになった。それ故、あの基地に居続けるのは得策ではないとフリットは自分の部隊員を全員引き連れて“トルディア”に赴任したのである。

基地内の格納庫でフリットは携帯端末が振動したのに気が付いてそれを取り出す。送られてきたメッセージを確認したフリットは近くにいるエンジニアに声を掛ける。

「アルフィさん、少し外します」
「了解です。ガンダムの整備はしっかりやっときますよ」
「お願いします」

ヴェイガンの襲撃回数が増したこともあるが、グアバランの手配でガンダムとAGEシステムの運用が認められ、コストも掛けられるようになっていた。
最近は近接戦闘型のレイザーウェアを使用することが多く、今もガンダムは蟷螂(カマキリ)のようなブレードを携えてモビルスーツハンガーに収まっている。
スパローの発展型であるレイザーを一瞥してからフリットは格納庫を後にした。

トレーニングルームに足を運んだフリットはまだ来てないのかと吐息して部屋の隅にある女性用更衣室に入る。トレーニング用のラフな格好で更衣室を出てきたフリットは携帯端末を耳に当てて連絡を取る。

「先に着いたので、勝手にやってますから」

相手が待てとでも言ったのか、フリットは眉を歪める。そのまま相手の言い分を黙って聞いていれば溜息が零れる。

「待たせるほうが悪いんじゃないですか」

期待して早く来すぎた自分を棚に上げるようなことを言うのはそのことを知られまいとする照れ隠しでもあった。

「ですから、」

と言ったところでトレーニングルームの出入り口が開かれ、フリットは其方に目を向ける。けれど、予想とは違い、入ってきたのは自分の部下七名だった。ここで何かを削がれたような顔をしてはいけないとフリットは目を閉じて言葉の続きを相手に言おうとした。

「ですから、時間を無駄に、ッ…!」

携帯端末がフリットの手から離れ、硬い音を数度跳ねさせてゴムタイルの床を転がる。

「お前達、何をッ!?」

突然床に押し倒されたかと思えば、四肢の所々を五人に押さえつけられてフリットは身動きが取れず、唯一自由だと言える口で諫(いさ)めるように彼らに言葉を放つ。

「おい、口押さえろ。マラット」
「……分かった」

掌が口を塞ぎにかかり、フリットは言葉にならないこもった声を漏らす。

「隊長だったら、部下の堪ったものの捌け口になってくれますよね?」

言われ、ブライアンの手がスリーブトップを遠慮の欠片も無く胸の所まで脱がしにかかったことでフリットの身体が硬直する。
何も出来ないが故に身に力を込めるだけで精一杯だった。

反応が薄いなと感じたブライアンはもう少しやるかとフリットの下着に手を掛け、女性特有の膨らみをさらけ出させた。
あまり最初から乗り気ではなかったマラットは耐えきれずに顔ごと視線を逸らす。けれど、手にある感触が伝わって疑問と共にフリットの顔を恐る恐る見た。
泣いていた。

ぼろぼろと止めどなく溢れる涙はフリットの目尻の横と頬を流れ、床とマラットの手を濡らしている。
驚いているのはマラットだけではない。その場にいる全員が今の状態から動けずに驚愕に固まっていた。
フリットの日頃の態度を思えば、これくらいはしようとも睨み返してくると思っていたのだ。冗談を好む人ではないが、通じない人ではない。だから、お咎めはあるだろうが、深刻な事態にはならないと誰もが高をくくっていた。

「なぁ、ちょっと」
「あ、ああ…」

どうしようと戸惑いの顔を互い互いに交わし合い、七人がそろりとフリットから離れようとした直後、トレーニングルームの扉が横にスライドした。
彼らは不味いという表情のまま其方を見遣れば、息を切らして肩で呼吸する男がいた。誰かが「白い狼」と呟く。

ウルフは眉間の皺を深くして彼らに近づくと、邪魔だと二人ほど突き飛ばした。他の者は数歩下がり、ウルフは彼らを睨んだ後にフリットの側にしゃがみ込む。

「フリット」

声にフリットは反応したが、視界がぼやけていた。けれど、此方の頬に触れてくる手の感触と温もりは自分が良く知っているものだと引きつっていた呼吸が元に戻る。

「………!」

安堵と同時に身体が動くようになってフリットはウルフの胸に自ら飛び込んだ。
ウルフの匂いだとフリットは彼にしがみつく。そんなフリットの様子にウルフは彼女を抱きしめ、その背中をさすってやる。

突き飛ばされた一人がその部屋から出て行こうとしたが、騒ぎに駆けつけてきたラーガン・ドレイスが扉の前で立っていたことで彼らは尋問を受けることになった。







「お前達、その顔は……」

部下七人の顔を見渡して軍服姿のフリットは呆気にとられる。

「男前が上がっただろ」

そう言うのはウルフだ。フリットはウルフを見遣り、貴方の仕業だとは思っていたという顔をして再び部下達を見渡した。
全員の顔は所々に青痣が出来ていたり、赤く腫れ上がったりしていた。一応の手当ては施されており、元の顔は分かるが、検問などで身分証明を差し出した際には引っかかりそうなほどの違いだ。

「すみませんでした!」

ブライアンが始めに謝罪し頭を下げる。他の六人も続いて謝罪を口にして頭を同時に下げた。

「本気じゃなかったことは分かっている。顔を上げろ」

フリットはむず痒い気持ちでそう言った。突然のことで混乱していたが、彼らが途中で戸惑っていたのは感じていた。それに、彼らの尋問を終えたラーガンから細かなことを聞かされて辻褄も得ている。

「私に不満があったんだろ?」

フリットは自分にも落ち度があったから彼らはあんなことを企てたこともラーガンから聞いている。
だから、許しているのに未だに頭を下げたままの部下達にそう訊ねれば、彼らはやっと顔を上げてフリットを見てから左右にいる互いの顔を伺う。
それぞれが有耶無耶とした言葉しか言わないのでフリットは小さく肩をすくめる。

「まずは、ブライアン。お前の不満は何だ」
「え、あの。俺ですか?」
「全員に訊くつもりだ。最初に問い詰められるのも不満か?」
「いえッ、滅相もない!」

背筋を伸ばしたブライアンにフリットが先を施せば、彼は以前の作戦時に提案したことを却下されたことを口にした。それが一度や二度ではないことも補足すれば、フリットは暫く考える素振りを見せる。

「その提案は取り入れたんだが」
「え?」
「実戦中にフォーメーションを変えただろ」

言われ、ブライアンは思考をフル回転させて出撃してからのことを思い返して「あぁ」と声を漏らした。
後方支援の戦力が薄いのではないかとブライアンが指摘したのをフリットは聞き入れて敵の動きによってはフォーメーションを変えなければならないと思案していた。それを自前に部下達に伝えなかったのはフリットもまだ若く、最適なフォーメーションを選別するのに時間が掛かっていたからだ。
彼らの腕なら、その場の対応も瞬時に正しく反応してくれるという信頼あってのことでもある。
けれど、戦闘中という神経質になっている時に自分の意見が通っていたと認識出来る者は数少ないだろう。

「私も配慮が足りなかった。そのことは認める」

フリットはまだ自分が経験不足であることを自覚し、これからは部下が意見を言ってきた時はその場で対応出来るように努めようと決意する。

「次は。そうだな、マラット」
「え?あのー、そうですね」
「無いのか?」
「いえ、その、他の隊からの嫌味が多くて」
「私についてか?」
「は、はい」
「いつものことだ。気にするな」

「良し、次だ」と言おうとしたフリットの肩をラーガンが叩く。僅かにびくりと反応を返したフリットにラーガンは暫くは気をつけないといけないと胸中に呟き、フリットは何故止めるんですかと疑問を乗せてラーガンを振り仰いだ。

「フリットがそうなのは分かってるけどな、此奴らはそうじゃないんだよ」

自分のやりたいことが目の前にあるフリットは周りに何と言われようが足を止めないし意識を向けない。ラーガンもフリットについてどのようなことが言われているか知っているが、縦社会ではよくあることだった。だから、噂話や陰口の矛先になっている本人が負担を感じていない以上自分がしゃしゃり出るのはお門違いというものだろう。

「お前は自分が周りから何て言われてるか知ってるか?」
「女に隊長が勤まるわけがないとか、コスモ・ノーブルの阿婆擦れとかですね」

そんな言葉痛くも痒くもないと言わんばかりの顔にラーガンはこういう所だけは本当に見習いたいと思う。だが、今はそこが観点ではない。

「良いか。此奴らはお前のことで陰口や嫌味の類を言われるのが嫌だって言ってるんだ。それは分かるな?」

まだ納得のいっていないフリットの表情にラーガンは苦笑を滲ませる。フリットの部下達からそれぞれの言い分を尋問で聞き知ったラーガンは彼らが本気でフリットのことを嫌っているわけではないことに気付いていた。

今回の件は酒の入った席で彼ら以外の周りにいた者達が煽り、勢いで言ってしまったことを引き摺って実行してしまったらしい。
それでも許せないことの方が大きいが、彼らが全てを冗談にするつもりだったことは彼らのフリットに対する敬意が物語っていた。
認めているのだ、彼らは。フリットの実力も采配も。

「お前のこと心配してるんだぞ、此奴らは」
「え?」

そうなのか?とフリットが部下達を見渡せば、彼らは一斉に回れ右をして背中を向けた。
癪に感じるところもあったが、彼らとて本当は嫌味に反論したかった。けれど、隊長であるフリットを庇うようなことを言って悪化の原因にでもなったら、それこそ取り返しの付かないことになるのではないかと我慢してきたのだ。

ラーガンの言っていることが彼らにとって違うなら反論の声があるはずだった。けれど、それはなく、彼らの背中から感じるものにフリットは小さく頷いた。

「…有り難う」

聞き間違いかと振り返った部下らであったが、フリットはもう言わないと下を向いて表情を隠していた。
気を取り直して「次は」と顔を上げたフリットは残りの者達からも不満を聞き、それに答えていく。
全員の不満と正面から向き合った後にフリットはウルフの側に近寄る。

「ウルフさん、耳、貸して下さい」

言いたいことがあるからと付け足せば、ウルフはフリットの口元に耳元を寄せた。何の疑問も持たずに。
フリットはウルフの視界に入っていない、つまり、後頭部を掴んだかと思うと勢いよく壁に叩き付けた。ウルフの額を。

ガッと鈍い音がし、ラーガンは本気でやったなとフリットとウルフを交互に見遣る。
部下達も隊長の突然のご乱心な行動に固まっている。

「ッ、何しやがる」

ウルフが額を押さえてフリットを振り返れば、フリットはそれは此方の台詞だと言わんばかりに仁王立ちしていた。

「彼らは私の部下だ。勝手な手出しはしないで頂きたい」

フリットは既にウルフの階級を超えていた。だから異論は言わせないとばかりに言い放ち、次に部下らに向き直る。

「お前達も、次は無いからな」

今回はウルフが制裁したが、次があれば容赦しないと目が据わっているフリットに言われれば彼らは引きつった声で返事を返した。

「では、各自持ち場に戻れ」

フリットは真っ先に格納庫から出て行く。その背中を見送った後、ラーガンはウルフを振り返った。

「結構目立ちますね、それ」

自分の額を指さして言うラーガンはウルフの赤くなった額に視線を向けていた。
ウルフがドジを踏むような人間ではないという認識を周囲は持っているだろうから、暫くは話の種にされるのだろうと他人事のように思う。事実、他人事ではあるが。

「釈然としないんだがな」
「フリットの可愛い部下を傷物にした報いでしょう」

そこが納得いかないんだとウルフがその場からまだ持ち場に戻る様子がない彼ら七人に野生の如き眼差しをじとりと向ける。すれば、手酷い仕打ちを受けた記憶を鮮明に蘇らせた彼らは氷山で遭難でもしたかのようにカタカタと膝を震わせた。

彼らにとってウルフは畏怖の存在になったが、一つだけ気になっていることがあった。制裁の拳が振る舞われる前に「人の女に手を出したんだ。覚悟は出来てるよな」と言ったのだ。正直思い出しただけで失禁ものの記憶だったが、そこだけが引っ掛かっていた。

「あの、ウルフ隊長様とアスノ隊長はどういったご関係で?」

同僚からは臆病者と評価されているマラットが意を決して疑問を口にしたことに同じ部隊員の者は感心すると同時についに踏み込んでしまったと血の気が引く思いをしながら答えを待った。

「そういや、フリットの奴が言うわけないか」
「そうでしょうね。相手が貴方じゃ特に」

無言の視線をウルフから向けられたが、ラーガンは後の説明も自分がするから休んでて下さいとばかりにウルフを制した。

「既に勘づいているとは思うが、そこの白い狼ことウルフとお前達の隊長であるフリットは男女のお付き合いをしていらっしゃる」

何処かでイメージが崩壊する音が聞こえた。







医務室で薬の整理をしていたエミリーは扉が開かれる音に今日は患者が多いわねと振り返れば、フリットの姿を見て目を丸くする。

「やぁ、エミリー」
「フリットが怪我するなんて珍しいわね」
「いや、僕じゃなくて。……それで、氷か何か冷やすもの貰えないかな?」

途中で言葉を濁したフリットをエミリーは問い詰めることはせずに「ちょっと待ってて」と言って室内の奥に姿を一端引っ込めた。
すぐに戻ってきたエミリーは氷水を入れたビニールを手にしてこれで良いかと少し掲げてみせる。

「うん。有り難う」
「痴話喧嘩は程々にしてよ」
「えッ、な、何で!?」

氷水が入り巾着状になったビニールをエミリーから受け取ったフリットは彼女からの指摘に肩を跳ねさせる。
痴話喧嘩というわけではないが、そこからエミリーが暗にウルフのことを指していることは明白であり、フリットもそれが分からないほど鈍いというわけでもなかった。
だから気付かれたことにフリットは身をすくませたのである。

「フリットがそわそわしてるからでしょ?」

そんなに態度に出ているだろうかとフリットは内心首を傾げたが、そうでなくてもエミリーにはお見通しだった。
ウルフに関わることだとフリットは少し戸惑いがちになる。完璧主義で迷いが無く、あの行動力のあるフリットが、だ。ウルフと関係を持っていても、付き合っているという認識が朧気なのも戸惑いの一つだろう。

「傷の手当ては早いほうが良いわ。さっさと行ってらっしゃい」
「えっと、そうだね。行ってきます」

何か弁解をする暇を与えずにエミリーはフリットの背中を押した。彼女を医務室から退出させた後、エミリーは途中やりだった薬の整理に再び取り掛かる。
連邦軍の医療班に入ったエミリーはフリットが今も尚戦いの場に身を投じていることを知っていて彼女を追いかけてきたようなものだった。

“トルージンベース”での一件はエミリーも知るところであり、その後、フリットが少し変わったと思う節が見られた。
けれど、“トルディア”に来て再びウルフと時間を共に出来るのはフリットにとって良いことであると、エミリーは先程のフリットの様子を思い出して目元を綻ばせた。







格納庫を覗きに来たフリットは目当ての人物が見当たらず、何処に行ったのだろうかと首を傾げる。
一端格納庫を後にしようと思った矢先にラーガンが掃除道具を持ってフリットの部下達を引き連れていた。その一団をフリットは引き留める。

「ラーガン、彼らは十分に反省したと思いますが」

いくらラーガンでも、これ以上部下に罰を与えるのは如何ともし難くてフリットは言う。

「分かってる、手は出さないさ。それに、きっちりとペナルティを果たしたいって言ってきたのは此奴らだ」

ラーガンの言に後ろに続く彼らは頷く。フリットは納得しかねたが、彼らの意思を尊重すべきかとそれ以上言うのはやめて、ラーガンにきついことだけはさせないでくれと視線で訴えかけた。それにラーガンは頷き返して最初の清掃場所に向かおうとしたが、フリットが手にしているものに気付く。

「ウルフなぁ、さっきまでその辺に居たんだが」
「ッ……!」

慌てて手にしていたものを後ろに隠したフリットは先程エミリーに指摘されたこともあって、そんなに分かりやすく見えるのだろうかと俯きがちになる。

「何処に行ったか心当たりがないわけじゃないので」

耳が赤くなっているフリットにラーガンは真面目なんだよなと一つ頷いて「また後でな」と声を掛けて彼女の目の前から立ち去る。

目的の場所まで来たお掃除隊一行は手始めにレストルームの清掃に取り掛かるようにラーガンに指示を出されるが、彼らの動きは若干鈍い。
彼らが“トルディア”に来てから日が浅いわけではないが、ウルフとフリットの勤務時間が異なっていて今まで知らずに済んでいたのだ。だから、先程のフリットの様子は彼らが知っているそれではない。

「もう少しきびきび動けるだろ?狼に目を付けられたんだ、堪え性身に付けないと明日から保たないぞ」

叱咤半分心配半分で言えば、彼らの動きは少し洗練されたが、不安は増長したようだった。正確に言えば不安というより当惑と言ったほうが正しいかもしれない。







トレーニングルームに足を踏み入れれば、フリットはやはり此処だったと吐息した。来訪者がフリットであったことにウルフはしゃがみ込んでいた姿勢から立ち上がる。

「落としたままだっただろ」
「はい、すみません」

携帯端末を受け取って服の中に仕舞ったフリットはウルフの顔を見られなくて手にしているものの冷たさを一番に意識する。
何の前触れもなく頭に大きな手が触れてくる感覚にフリットは子供扱いをするなと反射的に払う動作をして顔を上げた。視界に入ってきたのは威勢が良いなと微笑するウルフだ。いつも通りのフリットの反応にウルフが満足して持ち場に戻ろうとするのをフリットは彼の腕を掴んで止める。
振り向き様此方を見下ろしてくるウルフの額はまだ赤い。フリットは「冷やしませんか?」と表面に水蒸気から水に変わった水滴が張り付き始めている氷水の入ったビニールを前に差し出した。

ウルフの額の怪我はフリットが負わせたものだが、ウルフが自分のために彼らを制裁してくれたことをフリットは十分すぎるほど理解していた。
部下に手を出されたくないというのも本心だが、ウルフに怪我をさせれば良いというものではなかったと彼の額を見て今一度反省する。それでも、やってしまったこと事態には後悔がなく、だから埋め合わせとして医務室に行ったのではないか。そのようにフリットは自分自身に言い聞かせる。

フリットの複雑な内情を読み取ったようにウルフは差し出されたものを受け取ろうとしたが、フリットはその手を引っ込めた。
流石にその行動の内側は読み取れなくてウルフが首を傾げようとすれば、フリットはウルフの腕を掴んだまま近くの休憩用の背もたれのない長椅子まで連れてくる。彼の腕を放してフリットは椅子の端に腰を下ろしてウルフを見上げると、自分の膝を控えめに叩いた。
言わなくても分かる。膝枕だ。

「い、嫌ならいいんですッ、別に!」
「…まだ何も言ってないだろうが」

自分がしでかそうとしていることに理性より羞恥が勝りそうになって椅子から腰を上げようとしたフリットを元に戻すように彼女の肩を押さえ込んだウルフだったが、思案せずにはいられない。
自分の肩をフリットに提供したことはあったが。と、思い出しながら彼女の線が細いが形の良い肉質の太腿を見下ろす。湧き上がってくるものに、何故こうも自分はこの歳になってまでフリット相手に思春期の餓鬼のような感情をまたも得てしまうのかとそこから視線を逸らした。
自分らしくもないし、性に合ってもいないとウルフはフリットの横に腰を下ろして少し間を置いてから彼女に顔を向けた。フリットは小首を傾げてウルフを見つめ返してくる。

勤務時間のせいですれ違っていたが、久々に時間が合ったので日課のトレーニングでも一緒にやるかという話になった。
けれど、会うのが久し振りだというのにあんな場面に出会したのだ。ウルフは何事も無かったと振る舞っているフリットに対して苛つきが燻り始めた。
知らず眉間に皺を寄せれば、そこに冷たいものが押しつけられた。

痛いのだろうと勘違いしたフリットは手当ては早いほうが良いとエミリーも言っていたことだしと手にしていた氷水入りのビニールをウルフの額に押し当てた。
ウルフは燻っていたものを放棄せざるを得なくなって、額に押しつけられているものから一度身を引くと、ウルフは遠慮など見せずにフリットの膝を枕して長椅子に寝そべった。
俯いて此方の顔を伺ってくるフリットが困ったような顔をしていることにウルフは苦笑して言う。

「お前はこうしたかったんじゃないのか?」
「したいとかそうじゃ……」

なくもなかったわけであり、フリットは言葉を続けるようなことはせずにウルフの額に表面の水滴をハンカチで拭ったビニールを添える。
冷たさに目を閉じたウルフに今は見てないからとフリットは感情のままに目元を緩ませた。

ウルフに守られるのは嫌ではないけれど、それは背中を追い続けているようでもあったから、側に寄り添っていられる時に彼から寄りかかってきてくれるのがフリットにとっては嬉しかった。
太腿にかかる重みが痒みに似たものを伝えてきて気恥ずかしさを招いてくるのが困りものだったが、それを含めてウルフが今ここにいてくれることが実感としてある。それで良いと思うし、それが良かった。

ふいにウルフが目を開けたことにフリットは慌てる仕草は見せなかった。ただ、彼に微笑み返した。
ウルフの手が此方の頬へと伸ばされ、捕らわれることを良しとする。
時間がゆっくりと流れているようであった。

「良し、次はここの掃除に取り掛か……邪魔したな」

失礼しましたと一度開け放たれた扉が閉じられた。

フリットは自分の部下達に見られてしまったことにフリーズする。ラーガンが彼らを引き連れて清掃作業をしているのは知っていたが、まさか此処に来るとは思わなかった。
ラーガンは慣れたもので眉一つ動かしていなかったが、後ろに控えていた彼らは一様に信じられないものを見たかのようにぎょっとしていた。

次に顔を合わす時どうすればいいんだとフリットが困惑すれば、スチャッと中身の氷が溶けて水が八割ほどになったビニールの袋が床に落ちる音が耳に入ってくる。同時に、自分が長椅子に横たわるように動かされていたことを認識したフリットは上に被さってくるウルフを見上げた。額の赤みは幾分か消えているようだった。

「俺以外の男のことを考えるな」

所有権を主張する独占欲にも程があるが、そんなことを真正面から言われたらフリットとて冷静でいられるわけがない。

「何を、言ってるんですか」

それだけを動揺混じりに言うのが精一杯で、フリットは暴れ出しそうになる心臓を静めようと自分の胸を両手で押さえる。

放棄したはずの燻りがまた頭をもたげてきたことにウルフは目を瞑らない。自分がとうに手に入れた獲物だ。フリットは。
誰にもやらないと貪る勢いで情緒の欠片もなく彼女の柔らかなそこに口付ける。身勝手な唇の触れ合いにも拘らず、フリットは応えようとしてきた。
頭にのぼっていた血が物理的な物ではないものに冷やされ、ウルフは一端フリットを解放する。

馬鹿なことをやってしまったとフリットの表情が分かるところまで距離を取れば、フリットは名残惜しそうな眼差しを此方の口元に向けていた。彼女が顔を横に向けたのでその視線は無くなるが、ウルフはそっとフリットの頬を捉えて自分と視線を合わせてやる。
物欲しそうな顔をしているのはお互い様だった。
次の口付けは殊更優しくして、フリットはウルフだけを感じていようと目を閉じて、瞼を震わせた。





























◆後書き◆

私が書くフリットちゃん落とし物が多いですね。この落とし物スキルは一体…いつもウルフさんが拾ってくれるというオチも相変わらず。
しかし、アセムを授かる時期がここかと思うとワクワクします。

第八宇宙艦隊に居たんですけれども、グアバランさんがチョコ以外の糖分に耐えきれなくなって「お前ら出てけ」って追い出されたんだと思います。
その後、ウルフとラーガンはトルディアへ。フリットはトルージンベースへ。

Tunenmen=増す、強まる

更新日:2012/09/11








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