◆Urgewalt◆









戦いに備えてモビルスーツの整備を行っている格納庫と通路を繋ぐ牽引式タラップの上でフリットは小さな息を吐いた。
大規模の戦闘になることは必然であることからAGE-2はダブルバレットの装備で出撃予定だった。そのための微調整に自分も少し関わって、ブリッジに戻る前にもう一度だけAGE-2を見上げた。

「辛気くさい顔してると、良い女が台無しだぞ」

通路側から顔を出したウルフがフリットの背後から彼女を覗き込むように言えば、フリットはちらりと視線をあげる。

「そんな顔してるつもりありませんよ」

自分が劣勢だと素直ではないフリットにウルフは肩を竦めて返事とすれば、フリットは眉を少し歪ませて視線をウルフから外す。

指摘されたことが図星で隠し通しきれなかったことに拗ねているのは見て取れて、ウルフはフリットに手を伸ばそうとしたが、一度躊躇する。
そういえばこの間ミレースにお灸を据えられたんだったと思い出したからだ。けれど、衝動に従わない狼がどこにいるだろうか。
躊躇いを捨てたウルフはその手でフリットの腰を捉えて自分に引き寄せ、背中から閉じ込めるように抱き込む。

「ッ、」

案の定、共にお灸を据えられていたフリットは抗議の視線をウルフに向けて抵抗を試みる。だが、大事なパイロットであるウルフに怪我をさせるわけにもいかず本気で引き剥がすのは無理だった。
苦肉の末、タラップの柵を掴んで身を前に引っ張れば、ウルフはそこまで嫌がらなくてもいいだろうと眉間に皺を寄せた。

「フリット、危ないから大人しくしてろ」
「放してくれるなら考えてあげます」
「相変わらずたまに可愛げ無いこと言うよな、お前」

フリットは力を込めるのを一度止めてウルフを無表情な視線で振り返る。

「放せ」

上官として命令し出したフリットにそう来たかとウルフは左腕で彼女を捕らえたまま、もう片方のグローブをしたままの手をスカートの中に忍ばせた。
黒いタイツ越しに内腿を撫でられてフリットの身体が硬直する。

「少佐ッ、私は放せと言ったはずだ」
「前に下剋上プレイしたの何時だったっけかなぁ」

恥ずかしい過去の話を持ち出されてフリットの体温が上がる。
ウルフは前線から外されることを良しとせず、階級を上げられそうになると上官を殴っては少佐の位置から動かずに維持を保っていた。別に上官を殴らなくとも昇進しない手続きを踏めば何も問題ないのだが、殴ったほうが手っ取り早いと結論づけている荒っぽさはウルフらしいと言えた。

そうであるから、積み上げた経験からウルフは将官になっていても不思議は無いのだが、いつの間にかフリットの方が階級が上になっていたのだ。
年下が上の立場になることに含むものがあるのではないかとフリットが思っていたのは束の間で、むしろ互いの立場を利用してきたウルフの行動にフリットは最初戸惑った。

「変なことを思い出させるな」
「お前だっていつも以上に興奮してたくせに」

タイミングが悪いことに格納庫という場所だったにも関わらず、数秒だけ整備の音が止んで無音になったと同時にウルフの声が周囲に響いた。
誰かが「今日もいつも通りだ」と言い、作業の音が再開された。いつも通りとは何に対してだとフリットが内心で勘ぐった叫びを放つ。

「周りも免疫出来てきてるし、今更体面気にする必要無いだろ」
「私は体面を気にしているんじゃない。お前の理性に語りかけているんだ」
「前よりは理性的だろ。焦らすことは覚えたんだから」

言いながらすりすりとフリットの内腿を撫で続ければ、駄目だと柵を掴んだままフリットは前屈みになる。
編んだ髪の位置がずれて、顕わになった項にウルフは無意識に一口味見するような気軽さで口を寄せて舐めた。ひくりと震えたフリットはこれ以上は本当に駄目だと、幼く嫌々とするように首を横に振る。

「場所、変えて…変えて下さい」

縋るような視線をフリットから向けられ、ウルフの喉が嚥下(えんか)する動きをした。仕向けたのは自分からだったが、本人には自覚は無いだろうに煽ってくる反応に年甲斐もなく心臓が跳ねる。
性急なものより徐々に息が上がっていくような愛撫に弱いことを知ってからは、今までしてきたやり方を変えるようにもなった。

フリットを薄暗い通路の奥に引き連れて、ウルフはその壁に自分と向き合うように彼女の背中を押しつける。自分よりも薄い肌の首筋に舌を這わせれば、フリットの瞼が震える。

「待って下さい、誰か来たら」
「今は誰もいない」

不安の声を漏らす口を自分のそれで塞ぎ啄み、滑る中を舌で探っていく。同時にフリットの胸の片方を下から押し上げるように揉み、スカートの中に右手を入れながらたくし上げた。そのまま隠された大事な場所に触れていく。
余裕がなくなると「ウルフ」と呼び捨てになるフリットの声を耳にしてウルフは噛み付いた。







服の乱れを直したつもりだが、どこか心許なさがあってフリットは通路で何度も立ち止まってはスカートを気にする仕草を繰り返していた。
大丈夫だろうとまた歩き始めようと顔を上げたところでアセムの姿を見つけてどうしようと何かを探すように辺りを見回した。

「司令、どうかしたんですか?」

けれど、フリットの行動は声を掛けたほうが良いのだろうと思わせるもので、アセムはフリットの近くまで来て部下という立場を忘れずにそう尋ねた。

「いや、何でもないんだ」
「顔、赤いですけど。大丈夫なんですか?」

指摘すれば、フリットは慌てたような素振りを見せて大丈夫だと言いながら自分の頬に手を当てる。アセムはフリットがウルフと一緒に居たのだろうと勘づいていたが、それを口にはしなかった。
自分が今まで見てきた母親はこんな顔をするようなことはなかった。ウルフの前では自分の知らないフリットがいるということにアセムは焦るような感情を得る。

弟や妹を優先して構ったり、もしくは同年代の友達に優しく接する自分の親を見て得るものと似ている感情だ。
アセムにも妹が一人いるが、フリットの扱い方が上手かったのかアセムはユノアに対してそういった感情を抱いたり向けたりしたことはなかった。

けれど、アセムが幼い頃に同い歳の少年が言ったのだ。フリットに「女の人が自分のことを「僕」と言うのは変だ」と。
少年は疑問を口にしただけだったが、アセムは母親を馬鹿にされたと感じて少年に掴み掛かった。

手を上げる前にフリットがアセムを止めたことで相手は怪我をしなかったし、少年の母親はフリットがどのような地位にいる人間か良く理解していたから何度も此方に頭を下げていた。
暴力を振るおうとした自分を止めた母親の行動はまだ理解出来たが、その後のフリットの行動にアセムは納得がいかなかったことを今でも覚えている。
フリットは少年に自分が「僕」と言うのは変だということを認めて、少年の母親にはその子は素直な良い子だから叱らないで欲しいと言って頭を下げたのだ。

それからだ。アセムやユノアの前でフリットが自分のことを「私」と言うようになったのは。
仕事場ではそうであったとしても、家族だから本当の姿でいてくれていたことを幼いながらにアセムは分かっていた。だからこそ余計にフリットの変化を認めたくなかったし、あの親子に対して自分はどんな感情を得たか。
今、ウルフに向けている感情と似ていると思い、子供の嫉妬だと気付いた。だが、世間的には成人しているアセムはそれを口にしたくなくて、ウルフについてフリットに何か訊こうとはしなかった。
だから、アセムはそれとは別のことを口にしていた。

「ミューセルを使ったのは、すみませんでした」

フリットは頬から手を放し、アセムと真っ直ぐに向き合う。身長がまた伸びたなと感じて、フリットはアセムが心身共に成長していることに目を細める。

「反省しているならいい。過ちは次に活かせ」

間違ったことを認めて理解することが出来たなら、同じ過ちを繰り返す前にどうすれば回避出来るのか学ぶだろう。
それは人類が繰り返してきた歴史にも通ずるものだ。

「はい」
「パイロットは待機命令が出ている時間のはずだ。お前も早く行きなさい」

自分もノーマルスーツに着替えてブリッジに向かわなければならない時間であり、頼んだぞとアセムの肩を軽く叩いてその場を後にするために一歩を踏み出す。
アセムはフリットを振り返り見て、思っていたより小さい背中に母親も女なんだと今更気付いた。







スペースコロニー“ノートラム”にはモビルスーツやそれらが使用する各武装、各兵器である軍需品の開発から兵器のアフターケアまでをも担う連邦軍直属の工廠(こうしょう)施設がある。そのため、“ノートラム”は連邦軍にとって重要かつ死守すべき場所だ。
だからこそ、ヴェイガンが狙う理由は大いにあった。

戦闘配備につくウルフ隊はモビルスーツハンガーに並ぶ自分の機体にそれぞれ乗り込もうとしていた。
アリーサはオブライトがおさげの可愛らしいエンジニアと仲睦まじくしているのをやれやれといった顔で通り過ぎる。
次にアセムがウルフに何か話し掛けているのを見て隊長はまだ言えていないのだろうとアリーサは思う。待機室に来て激励を飛ばしていたウルフとアセムの様子からは変化は見て取れなかったからだ。

二人から視線を外してアリーサは緊張した面持ちのマックスの尻をきつい勢いで叩き、抗議するマックスの声に「無防備なのが悪いんですよ」と軽い調子で返した。
これで尻を叩けていないのは隊長のウルフだけだった。オブライトもなかなか手強かったが、ウルフは隙が無いのだ。鼻で何かを見極めては野生の気配を漂わすのでアリーサは意図を持って近づくことが出来ずにいた。
何かに気付かなくとも常に隙が見えない相手なのでどうしたものかと思うが、司令が一緒の時はそれが少し緩んでいたような気がすると思い至って今度試してみる価値はあるかもと心の中で呟いた。

アリーサはアデルを見上げて頼んだぞと、相棒と自分自身に言った。先程まではリラックスすることを心掛けていたが、戦いが近づくとやはり緊張がこの身を襲ってくる。
アデルのコクピットの中でアリーサは思う。死ぬかもしれない、と。お国のためとかそんな大それた考えを持ち合わせてなどいない。

父親には他の道を進められたが、どうして自分は軍人を選んだのか。
それは、父親であるディケの背中を幼い頃から見ていたからだと思う。家庭ではぐーたらしているが、仕事となると一生懸命で緊張感を漂わせるその背中が格好良いとアリーサは幼い頃から感じていた。
娘の初恋は父親だと言うけれど、強(あなが)ち間違ってないよなとアリーサはヘルメットのバイザーを下ろした。







Gバウンサーのコクピットに乗り込んだウルフは先程アセムと交わした言葉を思い出しながらコンソールの操作を行う。
タラップまで来てXラウンダーではなくても良いと言ってくれたウルフにアセムはちゃんと言葉にして礼を言いたかった。

「隊長、さっきは有り難う御座いました」
「いいさ、そういうのは」

真っ正面から礼を言われるのは正直苦手であり、そういう態度に素で対応出来る人間ではない。柄じゃないよなとウルフは視線を横に流した。

「俺、強くなります」

そう宣言したアセムに肩を揺らしてウルフはアセムを真正面に見据えた。子供が男になろうとしている目だった。
表情に危うさは残っていたが、アセムは突き詰められるものを見つけられたのだとフリットと同じ瞳の色を見て思う。

「なら、スーパーパイロットになれ」
「………」

視線を逸らしたアセムに此奴今馬鹿にしたなと正しくアセムの内面を読み取ったウルフはまぁいいかと思いつつも、もう少し捻ったネーミングの方が良いのかと考えてもみる。
しかし、何も思いつかずにいるうちにアセムが遠慮がちに「あの、隊長」と声を掛けてきたので「何だ?」とウルフは考えるのを止めて問い返した。

「すごく言いにくいんですけど…」

自分の子供じみた嫉妬が、眠りにつく前にウルフが父親だったならと口に出させたのだとアセムは先程フリットと会話を交わしている時に気付いた。家族ならばこんな感情を抱かなかったかもしれないと思って。

もしかしたら自分の父親はもうこの世にはいないのではないかともアセムは感じていた。
フリットが浅はかな行動をするような人間ではないことをアセムは良く知っていたから、頼りに出来る相手としてウルフを選んだのだろうと自分でも受け止められそうな背中を見送りながら思ったのだ。

「遠慮なんかしなくていい。パイロットなら思い残す生き方はしないほうが賢明だ」

言われ、アセムは意を決してウルフを見上げると、無表情を殊更意識して作ると静かに口を開いた。

「ウルフ隊長は司令…いえ、俺の母さんのこと、好きなんですか?」

一瞬だったが、目を瞠ったウルフにアセムは気付く。直ぐにいつもの表情に戻ったウルフはやはりもう潮時かもしれないと胸の内に呟いた。
けれど、ウルフが口を開いたと同時にパイロットはモビルスーツに乗り込むよう急かす警報が鳴る。

「お前もガンダムに早く乗り込め」
「ッ、隊長」

此方の背中を叩くウルフにアセムは答えを聞いていないと抗議を含ませた。すれば、ウルフは苦笑を滲ませる。

「これが終わったらな」

この戦場を切り抜けたらアセムに話そうとウルフは決めた。あのように男の顔が出来るようになったのなら、殴られる価値はある。

「だから、生きて戻って来い、アセム!」
「…はい!」

最初はぐらかされたと思ったが、ウルフの次の言葉に思い直したアセムは眉を浅く立てて返事を返した。
その時の威勢の良いアセムの声をコクピットの中で思い返し、もう一度アセムに問われた言葉をウルフは思い出していた。

「フリットのことを好きなのか?」

ああ、好きに決まっているとウルフは口にせず、胸の内で答えを言葉にした。
自分も両親に何で二人は一緒になったのかと訊いたことがあったなと随分昔のことを振り返る。どんな答えだったかはっきり覚えていないことに薄情だと感じる一方で、そんなもんだよなと割り切る自分もいた。
だが、自分が親の立場になってみると歯痒い感情を抱く質問だったのだと知り、過去の自分に拳骨を一つ喰らわしたいとも思った。

「正直なこと言えば、息子にだってフリットの奴をくれてやるつもりはないからな!」

そう言ったらアセムはどんな顔をするだろうかとウルフはこれからのことを思い、宇宙を駆けた。

















庇われた。
アセムが最初に浮かび上がらせた言葉はそれだった。

『隊長!早く脱出をッ』

Gバウンサーの左脇には風穴が空いていた。だが、反応炉が誘爆するにはまだ少なからず時間が残っているようにアセムには思えた。

『無理だ。俺用に改良したらピーキーな代物になっちまったからな』
『なら、俺が!』

無理矢理コクピットをこじ開けてウルフを取り出せばいいはずだとAGE-2は手を伸ばした。
けれど、それを「アセム」と名を呼ぶウルフが止めた。コンマ数秒後には爆砕しても可笑しくない状態にある機体に近づくなと。

巻き込んでしまったら、それこそ死にきれないとウルフは脇の血を押さえる。痛みに耐えようとしているのはまだ生きようとしている証だった。それに苦笑を滲ませ、どうせ艦に戻れたとしても生き延びることが出来ない程の負傷であることはウルフ自身が良く分かっていた。
それに、フリットの目の前で死ぬのだけはどうしても避けたかった。

『俺を超えて行け、アセム。お前はお前のままで良いから』
『隊長!今はそんなことを言っている場合じゃ、』
『いいから聞け。お前は十分に強くなった、最初の頃に比べればだがな。フリットだってそれは分かってる、お前の成長をずっと見てたからだ。だから、お前もアイツのこと気付いてやってくれ』

こんな状況の時に言うことではないとアセムは悔しさと己の愚かさが招いた目の前の結果にヘルメットの内側を湿らせた。

『それと…父親らしいことしてやれなくて、すまなかった』

突然のことに何を言われているのか分からなかった。アセムは操縦桿を握り直してモニターに映るGバウンサーを視界に入れた。
ウルフの顔を見たいとこれほどまでに願ったことは今までなかった。
けれど、混乱し過ぎていてアセムの口からは安定感のない呼吸しか紡がれない。

『AGE-2と繋がってるなら、ブリッジにも声届いてるよな?』

ディーヴァのブリッジで後方の席に座るロマリーはAGEシステム専門のオペレーターを勤めており、AGE-2に繋がる回線の声はブリッジにも届くようにしている。
ロマリーもアセムとウルフの会話に混乱していたが、音量を上げる操作を即座に判断出来たのは大切な話をしているのだと感じたからだ。

『フリット、聞こえてるか?』

フリットは艦長席に座るミレースの隣で僅かに頷いた。
返事をしたところでウルフには届かない。ロマリーが代わりに返事をしたところでアセムにしかその声は届かないのだから、フリットは無言でいるしかなかった。

『謝らないぞ』

先に行くがすまないなどと言うつもりはなかった。そして、フリットもこの人は自分に「すまない」なんて口にして最期を迎えるつもりがないことを理解していた。

『お前を好きになったのは人生最大の誤算だった』

台詞に反してその声色は愛しさが込められていた。
無性にあの柔らかい髪を撫でたくなり、ウルフは一度瞼を落とす。機体も限界だが、自分自身もかなり限界のようだと他人事のように思う。

『二度目があった女はお前が初めてだったな、抱くの』

こんな時に言う台詞じゃなかったかもしれないと僅かに自嘲したことでウルフは意識に余裕が出来てくる。

『アセムもユノアのことも愛してる。それでも、お前だけは…特別なんだろうな…』

命が削られるように声が削られていくウルフの言葉にフリットは前を見据えることが出来ずに俯く。横に立つフレデリックにも、隣に座るミレースにも彼女の表情は見えなかった。

『フリット、俺はお前が好きだ。他の男には触れさせやしない、アセムにもくれてやるつもりないぞ』

昔にも似たようなことを言っていたように思う。しかし、実の息子にまで牽制の言葉を向けるのはウルフらしいのか何なのか分からなくなる。
顔を上げようとしたフリットだが、次の言葉が繋がれるまでの空白に息を呑んで動けなくなった。

その先を言ってしまえば。

『一流の俺に見合う最高に良い女はお前だけだ』







「WMS-GB5 エニアクル機、ロスト」

ウィルナの固い声が告げる現実にその場に沈黙が訪れるが、機器を操作する音だけは絶え間なく続く。
フリットの表情は見えないが、彼女が泣いていないならば自分が涙を流すべきではないとミレースは戦況を尋ね、応えに対して指示を飛ばす。
けれど、ふと立ち上がったフリットにミレースの声が止まり、ブリッジクルー全ての視線がフリットに向けられた。

「AGE-1で出る」
「お待ち下さい、司令!」

背中を向けたフリットにフレデリックが静止の声をかける。
律儀に立ち止まったフリットに安堵するが、次の言葉にフレデリックは言葉を詰まらせることになる。

「指示はコクピットからでも出来る」
「そ、そうは言っても」

フリットの実力ならば戦いながらディーヴァ周辺の状態や戦況も把握して指示を出すことは可能だろうとフレデリックは思う。だが、それではフリットの負担が多すぎる。

「アルグレアス、お前は私の席に座れ」
「司令!今は冷静な判断を…ッ!」

振り返るフリットの形相にフレデリックはたじろいだ。泣きたいのを堪え、怒り、不甲斐なさ、愛しさとが綯い交ぜになった複雑な表情に。
けれど、それは見間違いだったかと思うほど一瞬でいつもの淡々とした表情に様変わりしていた。

それでも、表情を無くした裏でフリットは思い出していた。ウルフは自分が死ぬのはお前の隣ではないと言ったことを。
パイロットとして、戦士として最期を迎えたいと思っていることなんて最初から知っていた。

自分が目の前で死んだらフリットにまた重荷を背負わせてしまうだろうからという想いも込められていたが、フリットがそれを知る術はもうなくなっていた。
だから、フリットはウルフがXラウンダーだったならば、もう少しだけ想いを通わせられたのではないかとも何処かで悲願もしていた。

「司令…」

意気消沈したフレデリックの声にフリットは「すまない」と口にしてブリッジから出て行こうとする。
ただ、扉に差し掛かる前で一度立ち止まる。

「私情を挟むのはこれが最後だ」

ブリッジを出て行ったフリットにフレデリックは尚も引き留めようと自分もブリッジを出て行こうとしたが、その腕をミレースに掴まれた。

「行かせてあげて下さい」
「艦長」
「彼女はああすることでしか、繋ぎ止められないんです」







ディケは予定よりも早くAGE-1に乗り込もうとするフリットに気付いて慌てて彼女を追いかける。

「待てフリット、ゼフルドランチャーの換装はまだ」
「このまま出る。装備は輸送機を使えばいい」
「だがなぁ」

こうだと決めたらテコでも動かない性格なのは嫌というほど知ってはいるが、周囲の整備士達の不安な顔にどうしたものかと頭を掻く。

一体どうしたんだとフリットにもう一度声を掛けようとしたところで、ブリッジからの通信でインカムを通してディケの耳にミレースの声が届いた。
ディケは息を飲み込むことよりも咄嗟にフリットの腕を力強く掴んでいた。触れて、初めて強張っていることが分かる。

「フリット、お前…」
「行かせてくれ」

ブリッジから此処まで来る間は気丈に振る舞っていたつもりだった。だが、友人という間柄であるディケには緩みが漏れてしまった。
僅かに震えるフリットの声にディケは小さく悪態を吐いて彼女の腕から手を放してその背中を押し出すように叩いた。
何も言わないディケにフリットもまた何も言わずにAGE-1に乗り込んだ。

コクピットに収まり、彼女の姿が見えなくなったところでディケは独り言を呟く。

「女を泣かす男は最低だって親に教わらなかったのかよ」





AGE-1のコクピットの中でフリットは呼吸を整えていた。
夢は叶えられないから夢なのだと。夢は目指すからこそ夢なのだと。そういう認識の違いがウルフとフリットの間にはあった。
互いの存在も目標も分かり合えていたからこそ見落としていた見解の差だった。

だから、何時からか胸の奥に抱える言葉を交わすことが次第に少なくなっていた。言葉自体はよく交わしていた方であったが、根の深い部分は仕草などで分かってもらえていると感じてはそれに甘んじていた。
そのことをフリットもウルフも薄々気付いていながら放置したのは時代故なのかもしれない。

ヘルメットのバイザーを下ろす。内側にユリンの香りを感じたが、フリットは「ごめん」と呟く。

「今だけは、ウルフさんのことしか考えられないんだ」

香りが消えて、フリットはAGE-1を起動させると操縦桿を強く握りしめた。
ウルフを好きだと確信したのは夢の中で彼女に後押しされた時だった。けれど、好きという感情が芽生えたのは出会って間もない頃。
ガンダムのパイロットはお前だと認められた時からなのだと、本人に言えないままずっと秘めてきてしまった。

自分でも気付いたのはウルフと関係を持ってから暫く後だったが、それを伝えたらウルフが調子に乗るだろうと言い訳を作って羞恥から目を逸らしていた。
言って何が変わるわけでもない事柄だ。そう思うのに、言えば良かったかもしれないとフリットは瞼を落とした。

一度深呼吸して、瞼を持ち上げる。生きる意志を持って。

「行こう、ガンダム」

ガンダムの双眸が命の光りを放った。







『ハートウェイ少尉、ガンヘイル伍長は私の指揮下に入れ』

マックスとアリーサは隊長を失ったことに辟易していたが、フリットの有無を言わせない声に疑問を抱かずに了承の返答を口にしていた。
副隊長のオブライトが離れた宙域にいるのでは、指示を仰ぐのは得策ではないことくらいは理解している。
けれど、アセムとウルフの通信会話を聞いていなくとも、アリーサはフリットが今何を思っているのかと考えてしまう。

『AGE-2は後退させる。援護しろ!』

戦場にいるにも関わらず宙をただ慣性のまま流されているAGE-2ダブルバレットの楯になるようにAGE-1フラットがシールドで敵の攻撃を防ぎ、ドッズライフルを構える。

『アセム!艦に戻れ!』

母親の声にアセムは何も答えられなかった。戦えないお前はいらないと言われているような気がした。

『戦場で呆けているのがお前の役割か!?お前はウルフから何を教わった!!』

けれど、続く叱咤する声はそうではなかった。ウルフという名に対してアセムの中で何かが弾けるような感覚があった。
ウルフによる地獄のような訓練には憎しみの感情さえ芽生えた。しかし、同時に事あるごとに自分を庇うような言動をしてくれていたことも思い出す。

アリーサやマックスよりも手の掛かる部下だとアセム自身分かっていたが、それだけが理由ではなかったのかもしれない。真実を知った今は。
母を、フリットのことを理解するのは容易いことではないが、フリットはウルフを信じ、そのウルフから学んできた自分を信じていることをアセムは言葉の端から感じた。

「やっと出てきたか、フリット!」

あの男のプレッシャーをデシルは忘れていなかった。フリットの息子をまず先に仕留めるつもりだったが、間抜けにしゃしゃり出てきたウルフに此奴が先でも良い余興になると狙いをGバウンサーに定めた。
フリットを戦場に引きずり出すには良い餌になってくれたことに感謝してやってもいいとデシルは舌なめずりする。

「デシル…ッ!」

彼を今まで仕留められなかったことが自分の罪なのだろうかとフリットは考える。フリットは自分自身では気付いていないが、情が移りやすい面を持ち合わせていた。
デシルと出会った時にユリンと似た感覚を得たことも起因していたのだろう。そして、デシルが思い直せばいつか分かり合えるのではないかと、あの時のフリットはあまりにも幼く甘い考えを持っていた。
お前のその甘さはいずれ自分を傷つけるとウルフの言葉が今更思い出され、フリットはやはりこれは自分が引き起こした罪だと奥歯を強く噛みしめる。

デシルにお前のせいだと言うつもりはフリットにはなかった。ミューセルの仕組みを解析した今は尚更。
Xラウンダーだとしてもあれを使い続ければ脳に弊害(へいがい)が蓄積される可能性は十分にある。当時、自分よりも幼かったデシルがミューセルをあの時から今までずっと使い続けていたのだとしたら正気の沙汰ではない。
その危険な代物を生み出すヴェイガンをフリットは許せるはずがなかった。

激しい鍔迫り合いを続けながらフリットはAGE-2の異変に気付く。

「アセム!」

その声に応えるようにAGE-2は産声をあげてクロノスに飛び掛かり、その脇腹に蹴り入れる。
二機のガンダムが戦場の宇宙に立ち並んだ。

フリットはアセムに再び通信を入れようとしたが切断された。強制的に繋げることも可能だったが、そうはしなかった。
アセムが今何を思い、何を感じているのかフリットには計り知る材料が無かったから。

「この高コスト野郎共が!」

クロノスが体勢を立て直して再びガンダムに向かい来る。先に出るAGE-1の背中を見つめてAGE-2はビームサーベルを両手に構えた。

アセムはフリットに認められたかった。ミューセルに手を出したのも戦果をあげれば自分の力を認めてもらえると思ったからだ。自慢の息子だと言われたことは一度もなかった。
ゼハートにもフリットにも追いつけない自分がもどかしく、みっともなく足掻いた結果があれでは見捨てられても当然だった。
けれど、フリットは切り捨てる言葉を投げかけたことはなかったのだ。

そうだ。あの幼い日に母は自分に何と言ったか思い出した。
少年に掴み掛かったことを叱らず、ただ、嫌な思いをさせてごめんと謝り抱きしめて。

『アセムのこの手は誰かを傷つけるためにあるんじゃない。誰かを守るためにあるんだ』

ずっと前からこの手には力があったのだ。

変わりたいと思っていた。何者にもなれないまま、誰にも認められないまま自分は何も成し遂げられずにいずれ消えていくことを待っているだけなのだと思ったら怖くなって。
でも、変わるということの意味を履き違えていた。

ウルフはお前はお前のままで良いと言った。自分で在れと固執するわけではなく、そのままでも良いと。そのまま前に進めば、そのまま手を伸ばせば、自分は自分のままでその先にあるものを掴めたのだ。最初から。

アセムという自分以上にならなくともいい。この手があるから。
フリット・アスノの息子でもあるけれど、そうではなく。ガンダムのパイロットでもあるけれど、そうではなく。
自分はアセム・アスノという名の…、唯一無二の…、

「――スーパーパイロットだ!」

二刀のビームサーベルがGバウンサーを駆るウルフを追いかけた。同じになる必要もないし、同じものを求める必要もない。だから、ウルフと比べれば身のこなしにブレがあった。
けれど、それはアセムだけにある持ち味だった。

身体の中心から手足の爪先まで粟立つ感覚がアセムを突き動かす。細胞の一つ一つが沸騰し、破裂するごとに動きが洗練されていく。
その感覚を身体に覚え込ませて自分のものとして得るために、アセムは魂の底から吠えた。





























◆後書き◆

夫婦って何だろうと思い続けながら書いてきました。
向かい合わせなのか、背中合わせなのか、隣に並び合っているのかはそれぞれなのではと考えてみたり。
ウルフとフリットは分かり合いながらも生きて目指すものが同じではなくて、少し距離があったんじゃないかと。
それでも手を伸ばせば触れられる位置にいたかな。

ユリンの時よりフリットが怒りを顕わにしていないのは大人になる時間があったのもありますが、ウルフが戦いの中で命を落とすだろうという覚悟はずっと持っていたからかと。
アセム編が始まるまでの間も仲間を何人も失っているはずですし。
それと、死ぬ覚悟がなければ相手に銃なんか向けられないという考えをウルフは持っていそうです。

フリットは「殺されない」ことを選んで、
アセムは「殺させない」ことを選び、
キオは「殺さない」ことを選んだんだと、
最近読み終えた小説からこうなのかもと思ってみたり。

Urgewalt=根源的な力、自然の猛威

更新日:2012/08/14








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