◆Beweis◆









耳に入ってくる会話の内容は場にそぐわないが、気を抜いておく時間ぐらいはあっても構わない。だから、気にせずにフリットは用件を伝えるために彼らの輪に近づく。その中の一人がフリットの存在に気付いて冷や汗を滲ませ、その隣の男も続いて同様の強張る仕草を見せた。

部下の様子に察しがついたウルフは振り返って確認はせずにその場に留まり、視界に入る傍らまで来たフリットに視線を下げる。
今までの会話が筒抜けだっただろうに、彼女は何食わぬ顔でウルフと視線を合わす。

「次の合同模擬訓練ですが」

そう切り出し、フリットはウルフの部下二人を一瞥してからウルフに向き直って続ける。

「私が総隊長を務めます。総司令からの任命ですが、異論はありますか?」
「いや、任せる」

お前らも別に構わないだろとウルフが部下二人に続けて尋ねれば、了承が返ってくる。他のメンバーは此方の様子に気付いて遠くから手を振っているのが一人。それ以外は自分の作業に専念している状態だ。相異はないだろうとウルフは現時点で固まっている訓練内容をフリットから聞く。







手摺りに肘をかけて近くの整備士と話の区切りが付いたところで、彼女は振り返る。此方に登ってくる足音は耳に届いていたので、目の前に来ていた二人に驚きはしない。

「いいの?そっちは」

目下に視線を落とせば、先程より少し移動した壁際に我らの隊長と三つ編みの別部隊長がいる。

「明日までにまとめるから、その時に頭に叩き込めってさ」
「相変わらずうちの隊長は雑だこと」

視線を動かさずにいれば、彼らの内の一人が同じ方向に視線を落としてぽつりと零した。

「俺、アスノ隊長苦手なんだよな」
「それ分かる」

男達が頷き合っているのを横目にウルフ隊で唯一の女性パイロットであるセレナは手摺りから一度手を離して、手摺りに背を預けるように身体の位置を変える。

「男の子が何言ってんのさ」
「女のお前には分からないだろうけど」

差別的な物言いにセレナは眉一つ動かさない。チームメイトの遠慮の無さは対等であるが故だ。差はあっても、彼らは愚劣に別けていないのだから。

「異性で年下の人間が上の立場ってのはこっちとしては肩身狭いし、アスノ隊長の態度って規律に従順っていうかさぁ」
「イレギュラーとか認められないタイプだろ。ウルフ隊長と違って」

嫌味や愚痴ではなく、分析による評価だ。そうであったことにセレナは胸くそ悪いものを抱かずに済んだことに感謝する。
そして、自分の分析と異なるのはやはり男女差というものかもしれないと独りごちる。フリットと一度も言葉を交わしたことがないわけではなく、本質とまではいかなくても表層部くらいまでなら把握しているつもりだ。
規律は守っているだろうが、それを他の誰かにも強要しようとする素振りはない。あと、イレギュラーを認めないということにも否と言える。自分達の隊長そのものが異質な存在なのだから。

「あの二人、付き合ってるって噂でしょ?」

首で振り返り、話し合うウルフとフリットの姿をもう一度視界に入れる。
話題の転換に一歩遅れて二人は曖昧に頷きつつ、セレナと同じ方向に視線を投げた。

「隊長に確認したことはないけど、そうなのかもしれないってのは、まぁ」

確信が持てないのは、自分達がイメージしているウルフの趣味とは違う気がしているからだ。本音を言えば、二人の性格からして衝突を繰り返しているほうが納得出来ただろう。
それ故に、二人一緒に居るときに円満な流れを作っているのを見掛ければ、噂の信憑性が増すというものだ。

「セレナはどうなんだ?付き合ってると思うのか?」
「お似合いなんじゃない」

即答でそんな言葉が返ってくるとは思わず、男二人は瞬く。
男同士の付き合いでは内面に眼を向けることは少ない。だからサバサバした関係を築きやすいわけだが、観察力に欠けている。

ウルフのことをイレギュラーと評しはしたが、本質的な部分は至極スタンダードな人ではないだろうか。
だからこそ、基本から外れているものばかりが目について根本が見えづらい。周りが異端扱いしているのも助長している。上からは厄介者扱いされているが、本人はそれを面白がっている節があるので同情はしていない。

性格は少し変わり者だと感じるが、掟やルールを踏みにじることを良しとしない人である。色んな物を差し引いたら優等生になるんじゃないかと思うくらいに、最低限を鈍らせることがない。
あの二人が似ているとは思わないが、共有出来るものが根っこにあるのだと思わせる。

「そもそも、知り合ってから結構長いんでしょ?」
「そういえば、そうだったな。蝙蝠退治戦役でも協同してたんだっけ」
「前は同じ部隊で流星って言われてたらしいしな」

流れなのだろう。それに乗ったり身を任せたわけではなく、馴染んでいったのではないか。
正直、端から見ていて互いが互いを必要としていると切迫した感じはないのだ。二人を結んでいるのは少なくとも赤い糸ではないと断言出来る。

必然と呼ぶには確証が足りない。偶然と呼ぶほどあやふやでもない。

本来ならば、引き寄せ合うような運命の相手が何処かにいたのではないだろうか。だが、今更そんな相手が出てきたところで、どちらも心変わりはしないのだろう。時間ではない積み重ねほど崩すのは難しい。

手摺りの向こうで話が一区切り付いた空気があり、それを逃さずにウルフがフリットの頬にかかる毛先に触れた。しかし、フリットは顔を背けて身を引く。
その行動がセレナからは逃げたようには見えず、では何故そのように見えなかったのかと考える。
立ち位置は変わらずとも、量が違うのか。

あのウルフからすれば、捕食対象に遠慮はしないだろう。しかし、相手が同じ分量を求めてこなければセーブしている。けれど、そこに不服や不満といったものは感じ取れない。
フリットのほうは特段、拒否と戸惑いの色があるわけではない。間に置いたのは距離ではなく情調だ。だから、逃避に見えなかったのだと結論付ける。

「なんか嫌がられてるように見えるけど」

オスカーの言に、この男はそういう奴だったなと平均より洞察力が低かったことを改めて確認する。
もう一方の同僚であるハロルドは先祖が名のある貴族の血筋らしく、教養と徳性を幼い頃から叩き込まれていると本人から聞き及んでいる。軍に入ってから荒っぽくなったと周囲から評価されているが、オスカーの意見に賛同の様子は見られず、むしろ否を唱えたい顔つきになっていた。
それでも否定を口にしないのは、そうかもしれないと思っていても納得を得ていないからだろう。

「ぼんくら男は軍属の女には大概あしらわれるものだけど、あれは違うわ」

見てみなさいと、一拍の間が出来ていた二人に動きがあったことを眼下に向けた手で示す。すれば、男二人は手の先を追って視線を落とした。

自らの行動を顧みたフリットは嫌だったわけではないのだと、ウルフの表情を恐る恐る捉えようとした。けれど、彼の口元より上を見ることなく視界が下げられる。
強引に撫でられている。それでも、視界が一瞬だけ捉えたウルフの口元は笑みをたたえていた。甘受されていることに不安は消える。

フリットは力を入れずにウルフの手を押し返した。異を唱えず、此方の行動を阻害しないウルフは強引続きでない。譲れないものがあるときはそうではないが、今の時間は譲歩してくれているのかもしれない……。

相手を理解し切れていないことの方が多い。フリットはウルフに対してそう思っている。
理解とは、他者の考えや意見などを自分のそれに沿わせるように解していけたことを指す。ウルフの言動や行動はフリットにとって眉を顰めるものが少なくない。だが、解り合えずとも、この人はこういう時にはこうするのだと、そう知っている。判らない時もあるが、最終的にはウルフらしいと結論付けてしまうのだ。

初めて顔を合わせた時は疑心暗鬼を生じさせたりもしたが、いつの間にかこんなにも気を許すようになってしまっていた。そんな事実に今更になって気付いて、フリットは途端に気恥ずかしくなる。浅く汗ばんだ熱が全身を覆っていく中、感情が揺れている自覚があった。

ウルフへ抱いている感情の名はとっくに気付いている。でなければ、ビッグリングであんなふうに迫って想いを感情に押されるがままに口走ったりしていなかった。
しかも人前でやってしまった。当時を思い起こせば、失態だとレッテルを貼るしかない。

あの時ほど盲目的に行動を起こすことは今ではなくなったと感じるのは、大人になれた証拠だろうか。けれど、ふと衝動的に抱きつきたいと思うことがあった。いつも手前でそれは甘えだと抑え込んではいるが。
たった今も見上げた先にある蒼い瞳がにわかに細められて、否定のない空気に身を委ねそうになる。だが、自分の足で立って歩けと内なる我が身へと叱咤を送った。

ウルフの手を押し返していた自らの手を引き戻し、そろそろ自分の隊の様子を見に戻らなければならないと伝えてフリットはその場を後にしようとする。
彼の目の前を横切ろうとした瞬間だった。進み始めた身体を背中から叩かれて姿勢を崩しつつも、フリットはバランスをとってウルフを振り返る。前触れが無いと危ないではないかと不満を口にしようとしたが、それよりも先にウルフから言葉が来る。

「最終チェックは俺も混ぜろ」
「――分かってます」

訓練内容のことだ。大筋は先程のウルフとの会話で固まったが、細かい部分を詰める作業はまだ残っている。最終確認もウルフに同席してもらうつもりであったフリットは言おうとしていたことを飲み込んで頷き返す。

ウルフとしてはまだ話は終わっていない、そういうことだったのだと思う。気恥ずかしさに耐えきれなくなってその場を切り上げようとした自覚があり、フリットは次に顔を合わせるときは人目がない場所にしようと思考を巡らせる。

了承を得て満足したのか、フリットの右上腕にウルフは自らの右前腕をトンとぶつけて愛機の方へと去っていく。ウルフが振り返らずに手を振る仕草を見て、機嫌を損ねてしまったわけではなさそうだと、フリットは肩から力を抜いた。

白い機体を大きく仰ぎ見てから、フリットは自分も持ち場に戻ろうと身体を反転させようとした。けれど、百八十度回りきらないところで上からの視線に気付いてしまう。
視界に入ってもそのまま通り過ぎてしまえば良かったのだが、動きを一度止めてしまったがために何事も無かったように振る舞うのは不自然だ。
目が合ったわけではなかったが、フリットは姿勢を正してから視線の先の位置を改めて確かめる。ウルフが隊長を務める隊のメンバーが三人。フリットにとっても顔見知りだ。

“トルディア”の基地に着任早々は滅多にウルフと顔を合わすことはなかったのだが、少し前からウルフが頻繁にアスノ隊が使用している格納庫などに足を運ぶようになった。煩わしくはないのだが、仕事にならないとウルフをこの格納庫まで押し返しに何度かフリットも訪れている。その時に自己紹介程度のことは済ませているし、ガンダムの話を切り出されたりと会話は何度か交わしていた。
けれど、ウルフとの仲については公言したことがない。隠しているわけではないが、フリットとしては気持ちが判然としていても、全てに整理が付いているつもりではないからだ。

実際、自分の部下達は知ってから空気が変わったとフリットは感じている。悪くなったわけではないのだが、妙に身の置き場に困ることがあった。
此処ではそうならないという確証はない。居場所が無くなると胸の内で言葉にしたが、すぐに違うかと零す。

そもそも、本来の居場所など人にはない。だから周囲が此方の居場所を決めつけることによって居心地に不和が生じるのだ。
その居場所の先の人物が限定されていることに気付いているのだから、無意識に自分自身も決めつけていたのかもしれない。否定の気持ちがなかったのだ。その事実をたちまち自覚した瞬間にうわっと熱が募る。それは、ウルフがいいと自分が感じていることと、周囲の見解に何ら違いがなかったということだからだ。

不自然だったとしても立ち止まらなければ良かったと思っても今更遅い。持ち前の思考の速さも今のフリットにとっては不要なものだった。
この距離なら顔の赤さまでは視認は難しいはずだと思い込むしかなく、フリットは小さく会釈を返して直ぐさまその場から立ち去った。

セレナは手を振り返しているが、それを視界に入れることなくフリットは去ってしまっている。余裕のない素振りのフリットを見たのは初めてだ。セレナも横の二人も。

立ち止まっておきながら、足早に消えて行ってしまったことに呆気にとられる。先程のウルフとのやり取りを見られていたのが、そんなにも気まずいものだったのだろうか。
スキンシップが多いウルフの近くにいる身としては、端から見ている分には気に掛かるものはない。頭を撫でられるようなことはないが、ウルフとフリットの歳の差を考えればさして疑問はない気もする。噂の内容を含めれば余計に。

「で、一部始終まで見といて意見変わらないの?」
「言われてもな」

決定的な場面はなかっただろうとオスカーが目配せすれば、受け取ったセレナはそれもそうだけどと頷ながらも続ける。

「隊長にしては慎重にことを運ぼうとしてるように見えるのよね」

セレナとしてはそれがウルフの本気度を表していたが、横の二人は気付いていない。だから、らしくないのではないかと持ちかけた。

「勘ぐりすぎじゃないのか?」

そう言うのはハロルドだ。彼の方からそんな発言をされるとは意外であったが、この男はウルフの手腕を尊崇している部分がある。観察眼はそこそこのはずの彼が納得を見せないのは、フリットに対しての苦手意識が拭われていないからかもしれない。
そこをどうにかしなければこの話は堂々巡りにしかならないと気付き、セレナは会話を終わらせるために「そうね」と出歯亀がすぎたとハロルドの言に表面上だけ同意した。
定期パトロールの時間も迫っており、話題はそちらにすり替わる。












物静かな格納庫に足を踏み入れ、フリットは別に今日中でなくとも明日の早い時間でも構わないかと思い直す。模擬訓練の最終確認をするために来たが、急ぐ必要はあまりない。けれど、ここまで足を運んで置いて引き返すという決断を下す前に足が前に進んでいた。

すれ違う整備士達は一様に疲れ切った様子でぐったりしている。損傷が一番激しいのがウルフ隊の全機体だったのだ。取り替えの利くパーツを他の班から分けて貰ったり、それ以外は発注をしたりと忙しなく動き回っていたのはフリットも知っている。

彼らがここまで疲弊している原因は、パトロールに出ていたウルフ隊がヴェイガンの襲撃に鉢合わせたからだ。フリットやラーガンも援護に加わり、運良く死傷者も出ずに済んだが、その後の整備現場は戦場であった。

一区切り付いたであろう時間帯を見計らって来てみれば、床に伏せって寝ている者が大半だ。機体の修理にパイロットは不要であるが、ウルフ隊のメンバーは自機に対して思い入れの強い人間が多い。整備班も自分達だけでは人手が足りないという自覚もあったのだろう。
階段を登り切ってみれば、雑魚寝している姿が九人分ある。

『カゼ引クゾ、カゼ引クゾ!』
「うるさいよ、ハロ」

こんな場所で寝ていたら翌日には身体を痛めているだろう。しかし、疲れ切って寝込んでいるところを起こすのも気が引ける。フリットは思い悩んだ末にハロを拾い上げて階段を静かに降りていった。

足音を立てないようにそっと足を忍ばせ、手にしているものを落とさないように注意しながらフリットは再び戻ってきていた。
ちらりと寝息を立てているウルフのことを視界に入れるが、直ぐに別へと視線を動かす。一番奥にいる者から順に持ってきた毛布を掛ける。一度に九枚も持って来られないため、四枚ずつで二往復。その前にはまだ起きている整備士に数枚の毛布を預けてもいた。

やけにハロがはしゃいで飛び跳ねるのに冷や汗を掻きながら大人しくさせ、誰も起きる気配がなかったことに安堵したフリットは最後の一枚を取りに階段を降りる際、もう一度ウルフを見遣る。

「もう少し待っててください」

声を潜めて告げるが、相手に言ったというよりも自分に届かせたようなものだった。一番最初にウルフに毛布を掛けるのは特別扱いしているようで気が引けたのだ。そのせいで後回しになってしまったことの小さな罪悪感に対しての言い訳である。
階段を降りていったフリットはウルフが薄目を開けて、階下の方へ視線を横にしたことに気付かなかった。

合成繊維の毛布を広げ、フリットはウルフの肩から膝を覆うように掛ける。合同の模擬訓練は機体が万全になるまで予定を遅らせるしかない。それまでに内容を練り直しても良いし、そこら辺の話も明日以降に相談しようとフリットは立ち上がる為に腰を浮かせた。
けれど、立ち上がりきらずにフリットは後ろで寝ている彼らを確認した後でウルフの方に身を寄せる。
二人きりの場ではないが、少しだけなら平気だろうと毛布の片側を捲り、フリットは左半身をウルフの身体に密着させた。ふと思いついて行動に起こしてみたが、かなり恥ずかしい。

目を閉じているウルフの横顔を見つめ、寝顔をじっくり観察する機会は滅多にないよなと恥ずかしさに煩かった心臓は次第に静かになる。けれど、それに反して熱っぽくなったような気がしてフリットは視線を落とした。
ハロが忙しなく右へ左へと転がり、視界に入ったり消えたりを繰り返しているのだが、何の催促なのか見当が付かない。意味のない行動なのかもしれないが。毛布の中から手を差し出してみれば、ハロは後ろへと転がっていく。誰かの投げ出している足を掠めていきつつも器用に避けていくが、フリットとしては周囲が起きてしまわないかと肝が冷える。
しかし、誰にもぶつからずに奥の方で自分の位置を決めたらしいハロは大人しく動きを停止した。
野次を飛ばして置いて、遠巻きにご自由にと言われているような気がしたが、考えすぎだろう。ハロにそんな機能も思考もない。
けれども、一息吐けるようになり、フリットは頭をウルフの肩に預ける。触れている部分が温かく、その実感に緊張を解いた。

此処へ足を向けたのも、さっき引き返さなかったのも、怖かったからだ。訓練内容の確認は言い訳に過ぎない。そもそも、次は人目のある場所は避けようと自分で決めたのにも拘わらず、これだ。

戦場に身を投じれば命の危険は必ずつきまとう。昨日、数時間前、出撃前に話していた相手がいなくなることも。
それらの覚悟が出来ていても、やはり慣れるものではない。だから、駆けつけたときに目立つその白い機体の首が無かったことにぞっとした。全身が内側の底まで冷える感覚は今も拭い切れておらず、背中を這いずり回っている。
そのせいで身体が硬く緊張していたのだが、少し和らいだ。

このまま目を閉じてしまうと自分まで寝入りそうだとフリットは毛布から抜け出した。誰も起きないうちに去ってしまったほうが良いが、名残惜しさもあって膝立ちのままフリットはウルフに顔を近づけ、色づきを寄せる。けれど、寝込みにこれ以上触れるのは卑怯だと数センチの距離で止めた。
身を引き、ウルフに毛布を掛け直す。そっと手を離して立ち上がろうとした時だ。

手首を掴まれ、引き寄せられたかと思えば押し倒されていた。頭に衝撃がなかったのはウルフの掌が支えていたからである。
けれど、そんな気遣いに気付ける心理状態にないフリットは突然のことに目を白黒させる。作業をしていない格納庫は照明が最小限ではあるが、暗いわけではない。覆い被さるウルフの顔はきちんと確認出来、視線も合わせられる。

「あの、いつから起きていたんですか……」
「さあな」

返答から今さっきでは無さそうだと、フリットは頬を染めながら表情を歪めた。狼が狸寝入りとはタチが悪い。

ウルフはフリットの両腕を彼女の頭上で束ねて押さえ込む。表情に不満の色が出たフリットに内心で笑んだ。押し倒すときに乱暴に扱ったことはない、というよりもそういう時はフリットからの抵抗は少ないから必要がない。どうすればいいのかと窺ってくる視線も仕草もウルフなりに気に入っている。けれど、本質的にフリットもプライドが高い。
素直になりきれず、応じようとしないのを抑え込みたくなるのは独占欲の表れだろう。褒められるもんじゃないなとウルフは自身を判った上でやっている。

「そろそろ退いてくれませんか」
「嫌だと言ったら?」

フリットが横に身を捻ろうとしたので、ウルフは空いている手で彼女の胸を摘むように触れる。こんな場所で何をするんだと口にせずともフリットの表情が物語っていた。
流石にウルフもここで事に及ぶつもりはない。
毛布を掛けるだけだったのなら狸寝入りを決め込むつもりであった。だが、そこからのフリットの行動に我慢しきれるはずもない。

「お前がしようとしていたことを俺がしても構いはせんだろ」

肩に掛かっていた毛布を頭の方まで引き寄せたウルフはフリットに顔を近づける。

「え?あの、待って――」

言葉を唇ごと塞がれ、フリットは強制的に押し黙る。胸を押しつけるようにしているウルフの掌に鼓動が伝わって、嫌がっていないことを知られていたらどうしようと、焦りにぎゅっと目を閉じる。







起き上がるタイミングがないとハロルドは横のオスカーと向かいのセレナを窺えば、二人も同様であった。

毛布で頭から背中にかけては隠れているが、ひとまとめに腕を縫い付けているのと互いの足が絡んでいるのは見て取れる。
無理矢理なら止めに入るくらいの度胸はハロルドにもあるが、フリットがウルフの側からすぐに離れず暫く留まっていたのを知覚していたが故にじっとしているしかない。

意識せずとも眉が歪む。ウルフの素行が良いと言えるものではないことは重々承知している。だから、彼の非常識な行動への非難の表れではなく、手を出している相手がウルフが選ぶような女性ではないことが要因だ。
そんなものは自分の主観にすぎないとは分かっているものの、理屈ではない。しかし、ウルフに理想像を押しつけるわけにもいかない。いっそのこと、フリットが嫌がっていればこの空気を脱して割って入ることも可能だった。だが、違うのだ。

当事者の善し悪しを無視して第三者が持論を翳して口を出すことほど恰好なものはない。
さすがにウルフもこの場でおっぱじめようとは考えていないはずだと信じるしかなく、セレナとオスカーと同じようにハロルドも寝たふりをしながらことが過ぎ去るのを待ち耐える。







場所を弁えてか、舌を使ってこなかったウルフに安堵するが、唇が離れても鼓動は静かにならない。フリットは毛布で薄暗く表情の判別が難しいにも関わらず、ウルフから視線を逸らす。嫌だったわけではないが、納得がいかないのだ。
胸に置かれている手も退けたいが、自分の手が自由じゃない。抵抗してみようかとも思うが、ウルフは最初に掴んだだけで愛撫してくるわけではなかった。だから判断に困っているのだが、このまま好きにさせるのも釈然としない。

しかし、疑心と同時にもしかして本当は機嫌を損ねていたのかもいれないと不安も浮かんだ。両極端の中でフリットが選ぶものは決まっている。

「生意気なこと言って、すみませんでした」

悪かったとは思っていないが、反省はしていた。これだけですぐに伝わらないだろうが、少し考えれば何に対してのことかウルフなら気付くだろう。

先程の戦場でフリットはウルフに下がれと再三指示した。メインカメラが使い物にならなくなっただけだと食ってかかられたが、フリットとてそれは予想の範疇だった。だから彼の言い分を聞き入れず、頑なに自分を押し通した。最終的にウルフが折れたが、決定打はラーガンの一言だった。
二人で押し問答を繰り返していたが、常に即決を迫られている戦場でするべきことではなかった。地位的に自分に命令権があっても、ウルフの性格から別の言い方を選ぶべきであったことは明白だ。血の気が引いたせいで、一方的な言葉でしか言えなかったことは悔やんでいる。
敵に背後を取られたときに的確な援護もしてもらっていたからこそ、余計に。

「いや、すまん」

突如として返ってきた言葉にフリットは面食らう。何故、ウルフが謝る必要があるのだろうかと。

フリットを押さえ込んでいた自らの手を離し、小さく身を引いてからウルフはもう一度触れる。肩を掴んで引き寄せ、くびれの隙間に手を差し入れる。抱き寄せたまま、背を起こす。
毛布が落ち、全て晒すことになるが構わなかった。フリットは構うかもしれないがと胸の内で一言付け加えても、衝動だけは抑え込めない。

背と髪に差し入れた手に力を込めてより一層抱き寄せる。痛がることも嫌がることもしていないフリットにやはりそうだよなと自らのしくじりを恥じる。

「怖がらせたよな」
「―――!」

ひくりと身震いしたフリットは目の奥に熱が溜まる感覚を押し止める。緩んでしまうと零れそうで、奥歯を噛んだ。
正直なところ、どうしてこんなにも感情が不安定に揺れているのかフリット自身困惑していた。確かに怖かった。怖かったのだが、この恐怖は喪失の可能性を眼前に晒されたからだろうか。それとも。と、もう一つの結論が浮かび、両方だとフリットは胸の奥で噛みしめる。

「お前の横で墜とされるほど腕は落ちてねぇよ」

一切の虚言無く当たり前だとばかりにそう断言して、自分を抱きしめてくるこの温もりを引き剥がしたくない。
だから、これ以上手放せなくなるのが、怖い。溢れそうなものを寄せれば寄せるほど、いつか訪れることへの恐怖が増していく。自分の足で前に進めなくなる。それでも、抱いているものをフリットはとっくに受け入れてしまっていた。
ここにいたいという本心と繋がる言葉を、言いたくなった。けれど、まだ素直になりきるには、ほんの少し時間が欲しいとも。

言ってしまえば、言った分だけ吐き出されて消えるだろうか。それとも、何も比例することなく想いだけが強くなるのか。
前者ならば、楽だっただろう。けれど、経験上後者なのだ。だからこそ、自ら恐怖に足を踏み入れることを躊躇う。

最悪の結果を全く想定していないわけではないのだ。覚悟して割り切ってしまえば、常駐する恐怖はなくなるだろうと信じている。それは想い続けることを諦めきれないからこその悲願だ。
複雑な心中をフリットは言葉に出来ない。けれど、もう少しだけ待てば輪郭が見えそうだと感じている。

身体を丸めてウルフは腕の中のフリットに顔を埋(うず)める。首筋近くに銀髪が触れて、そのくすぐったさにフリットは眼を細めた。そのまま閉じようとしたが、匂いを味わえ終えたウルフが動く気配があり、はっきりと開いた。

「あの、」
「分かってる」

此方の要求を遮ってきたウルフに、本当だろうかとフリットは疑いを眉に表す。それにほくそ笑んだウルフはフリットの前髪に触れた。
顕わになった額にウルフのそれがゆっくりとひっつけられる。

「何想像してやがった?」
「………」

額と額が合わせられ、続くウルフの問いにフリットは悟られないように無言を通した。こういう意地の悪さは今も苦手だ。そして、黙り込んでも、それが答えだとばかりに彼が意に介していないところも。

「分かってるって言っただろ」

その時にはすでにウルフの表情は笑みを仕舞い込んでいた。ひたすらな眼差しに、フリットは胸の内の言葉ですらも押し黙ってしまう。
しないと断言してくれていても、色づきを寄せ合うような空気にフリットは視線を逸らした。

無言続きにウルフは嫌な顔一つせず、額を剥がして再びフリットを強く抱き寄せる。互いの顔が見えないほどの密着は窮屈さを覚えるが、フリットはウルフの首筋に自分の頬を寄せた。

「やべぇな。眠い」

その時に耳元近くで聞こえた言葉にフリットは瞬く。そして続く寝息に身じろいだ。しかし、首を動かせても拘束に近い抱きしめに身動きを封じられている。
事態を把握し始めたフリットはこのままの体勢で夜を明かすわけにはいかないと焦りにウルフの名を何度も呼ぶ。けれど、周囲に気を配り小声なため、効果はなかった。

手荒な手段も選択肢に上がるが、フリットとしてはそれは気が進まず、本当にどうしようと自由な首を横へと動かして辺りを見通した時だ。
ウルフの部下達と目があった。
すぐに寝込んでいるように装われる。もしかしなくとも、全員起きていたのではないだろうか。血の気が引くのとは逆の現象でフリットの全身を羞恥が駆け巡る。







ウルフの肩口に顔を隠すフリットを、片眼を薄く開けて視認したハロルドはなんだかなぁと口をへの字に曲げる。
今まで淡々とした印象しかなかった人だ。表情が薄いわけではないが、生真面目で感情があまり顔に出ないほうだというのは、間違った認識ではないはずだ。
その認識が崩れたわけではないものの、人間らしい一面があったことにほっとしてしまった部分があり、ハロルドは言いしれぬ戸惑いを得ている。

本人達がそれで良いなら、自分が納得仕切れなくても裂くような行動に出るほどハロルドも落ちぶれていない。しかし、だ。今現在、ウルフの腕の中でもがいているフリットにあれは手を貸した方が良いのだろうかという気持ちが湧く。

先程とは違う意味で割り込みの算段を考えてしまうくらいには、相手への誤解を改めている。それでも身体が動かないのは、二人の空気に当てられているのもあるが、すぐに切り替えられるほど脳天気な性格をしていないせいもある。
ハロルドはそれを自身の長所とは考えられず、短所だと自己評価していた。だから、その都度の場面で荒さはあっても的確に切り替えていくウルフのことを見習いたいと、常々邁進の思いで彼の下についている。

噂話で高評価を得ていなくとも、表面上を正しく取り繕う人間よりは好感が持てる。フリットを取り繕うほうの人間に選り分けていたからこそ、嫌煙の気持ちがあった。
しかし、その部分は改めるというよりは考え直すべきだろう。表面を取り繕うにしても取り繕わないにしても、様々な存意が誰の中にもあるものだと。ある意味で、ウルフの意外な面を見た気がするからでもあった。
見た目と中身に大差が無い人であり、その考えも自分の中で何か変わったわけではない。だが、あのように一人の女を抱きしめる人だったのだと、新しい事実を突きつけられた衝撃がある。
何ものからも遮るように守る抱擁ではない。どちらかと言うとウルフのほうが縋っているように見える、そんな抱き方だ。

そこでようやく理解出来たと、ハロルドは口元を真一文字に戻す。
いざという時にはウルフは誰かを庇える人だ。思いの外、相手を諭し冷静さを取り戻させてもみせる。経験上のものか本質的なものかは定かではないが、守られるタイプではない。
フリットの見た目の空気は一見丸く感じるが、中身はやはり軍人だ。先のヴェイガンとの鉢合わせで援護に駆けてきた時は殺気立っていたように思う。取り乱すようなことはしていなかったが、固唾は飲んだ。恐怖ではなく、根源的な強さを突きつけられた感覚からの反応だった。

軍人になれば、誰しも守る側の人間になる。だが、あの二人はより強固に防人(さきもり)としての立場を自分の中に持っている。

今、ウルフはフリットに甘えようとしているわけではない。自分と同等かそれ以上に守る側であるため、気を張る必要がない相手なのだ。けれど、寄り縋るよりも近しく触れ合っているようにも見えている。
それは何もかも、狼の性格を考えれば分かりきった答えだった。
欲しいのだ。あの相手が。

紆余曲折考える必要など何処にもなく、シンプルな思考回路のもとにあった事実。刑事か探偵にでもなった気分で言うわけではないが、単純明快な答えだったわけである。
けれども。認める……まだそこまでにハロルドが至らないのは、苦手意識と理解はまた別問題だと割り切っているからだ。そもそも、フリットという人物像をまだはっきりと見定めていない。

だから、これは邪魔をしにいくわけではないと腰を上げる。横のオスカーは驚きに肩を跳ねさせ、向かいのセレナは苦笑して自分に続くように立ち上がった。







近づいてくる足音にフリットは驚くが、顔を上げる勇気はない。この状況を説明するにはどこから話せばという以前に第一声すら決まっていないのだから。

足音が止まったが、フリットは靴音がウルフの背中側からしたことに疑問を浮かべる。確かに自分の右横向こうからも靴音がしていたはずだ。
しかし、疑問はすぐに解消される。ウルフの首が少し下がると同時にくぐもったうめき声が漏れた。

「寝ぼけるのも大概にしてくれませんかね」

小突かれた頭を掌で覆ったウルフは「ラーガンか」と微かに漏らした。寝ているところを起こされたからか、はたまた別の理由か。狼の目つきはいつもより少しきつい。
フリットは緩んだ腕の中から離れようとするが、ウルフに手首を取られて立ち上がりかけた姿勢で止まる。暫し逡巡の間を置いてフリットは狼の耳元で何事かを囁けば、ウルフは頷く時間を持って手を放した。

二人でのみの共有を持つフリットとウルフのやり取りにラーガンは寂しさを感じるが、気懸かりだったことになっていなかった安堵の方が強い。先の戦闘で幾ばくかこじれた言い争いがあったため、懸念していたのだ。
フリットと話をつける前にウルフからの方が良いかと思って来てみれば、こんな状態だった。雰囲気から察するに、危惧していたことは二人の間では決着していると見て良いのだろう。

ウルフは少しばかり機嫌が悪いようだが、気にせずラーガンは表情を緩め、横の気配に振り向けないまま立ち往生しているフリットに助け船を出す。

「珍しくこっちにバルガスが顔出してるみたいだから、行ってきてくれないか?」
「バルガスが?こんな時間にどうしたんだろう……」

この場限りの出任せではない。エミリーに用事があったので、医務室にまで行ってみれば久しい顔があったのだ。後でフリットの所へ顔を出すと言っていたので、ここで伝えてしまっても構わないだろう。
まだエミリーの所にいるはずだと続け、聞き入れたフリットはラーガンの横を通って階段を降りていくが、五段降りたところで引き返してくる。
どうしたと声を掛けようとしたが、狼狽えを押さえ込んだ様子に言葉は掛けにくい。おそらく、ウルフの部下である彼らと対面する準備が整っていないからだとは思うが、それならば何故引き返してきたのか。

「ハロ!」

呼びかけに跳ねて奥から姿を現したハロに納得すれば、フリットはハロを待っていることも出来ずに階段を駆け降りていった。

ハロに道を譲ったラーガンは呆気にとられているセレナ達に視線を向かわす。
彼女らは善意で行動を起こそうとしてくれていたのだろう。気心が知れた相手にはフリットも崩した態度を取ることはある。けれど、そうでない相手には弱みも何もかも見せないようにしている。
好きこのんで自らの弱点を晒すような人間は軍人なら皆無だが、それ以外のことまで見せまいとすれば人間像は捉えにくくなり、勝手な決めつけばかりが先走る。
他者の認識とはその程度であるし、それが間違っているとはラーガンも思っていない。ただ、改善できないものはないと信じたいのだ。

その点の解釈の仕方が狼とは異なるわけだが。ラーガンが座り込んだままのウルフに視線を落とせば、彼は毛布を手にして立ち上がる。

「出来れば、説明願いたいんですけどね」

横に並んだ位置にはなっているが、ウルフの正面が向いている方向はラーガンとは逆だ。肩に毛布を羽織ったウルフは近場の手摺りまで移動して背を預ける。

「保護者面される筋合いはない」
「本当に寝入っているようには見えませんでしたよ」

冷静になる時間があればフリットも気付けたことだろう。牙を剥き出して欠伸をするウルフに眠気はまだ残っているのだろうが、睡りは深くなかったと言える。
口を閉じて引き結んだウルフはラーガンに横目を寄越す。分かっているだろ、と。
確信もない部分もあるからこそ説明内容と照合したかったが、ウルフは口を開くつもりはないようだ。

見せしめと言うのは少し乱暴な表現だが、そんなところだろう。だが、それは手段であって目的じゃない。その目的の検証をしたくとも、ウルフは黙秘を決めてしまった。
自らが受け持つ隊のメンバーのことは隊長であるウルフが良く分かっていることだろう。フリットが彼らに対して線引きしているのも分かっているし、それをどうこうするつもりもなかったように今まで見受けられた。だが、今日の件はどういうつもりなのか。

気紛れという線もあるが、結果的にフリットが困ることは想像が付いていたはずだ。そこで、ラーガンはもう一点に思い至る。部下達に行動を起こさせるつもりだった可能性に。
それならば、自分は邪魔してしまったことになり、ウルフの機嫌が下がった理由にも繋がるのではないか。
一言謝るべきかとラーガンは思考するが、彼が黙秘しているということは謝罪を求めていないことになる。余計な気遣いはいらないからだ。

言葉以外での誘導はウルフも確信のないことだった。思い切った行動を取る男だが、それが最善だとは限らないことを理解もしている。自らの不始末を他人に譲ることも、押しつけることも嫌う男だったなと、ラーガンは肩をすくめる。

ウルフは自分にも他人にも厳しいタイプだ。フリットやラーガンのようにちゃんとしていると認めると汲み取るようになるが、未熟と判断すると容赦ない言動に出る。
しかし、荒い言動は成長を見越しているからこそだ。レースという競う場に身を置いていた過去があるからか、最適な加減をしているため、ついていけないと除隊した者もおらず。むしろ、ウルフの隊に居た者は肝が据わっているという評価があるくらいだ。

そこまで出来るというのに不安があるのか。そう問い質そうとする視線をウルフに投げかければ、視線を受け取った彼は奥歯を噛むように硬く口を閉ざす。
腹の底までとは言わないが、同じ釜の飯を食った仲だ。胸の内を吐露してくれてもラーガンは構わないと思っているつもりでも、ウルフの方はそうでもないのか。
だからと言って干渉することも出来ず、ラーガンはウルフから視線を外して誰にも気付かれないよう吐息する。今は引き下がるしかないかと、帰路の道である階段に視線を落とした時だ。

「隊長、少しお訊ねしたいんですが」

ふいの声がけにウルフは幾ばくか力を抜いた動きで首を巡らす。

「何だ?」
「この毛布、掛けてくれたのってアスノ隊長ですよね?」

問いつつ、オスカーは両隣の同僚と顔を見合わせる。ハロルドがオスカーの背中を叩いたのを見届けてからウルフは隙を突かれたような顔をラーガンに向ければ、ラーガンもまた同様だった。
表情を改めたウルフはオスカーに向き直る。

「ああ、そうだな」
「お礼言いそびれてしまったので、代わりに伝えてもらいたいと思ったんですが」

駄目ですかね?と及び腰になっている姿は「そんなの自分で言え」と返されるであろうという予想を立てているからだろう。

「忘れてなければ言っておく」

瞬いたのはオスカーだけでなく、セレナとハロルドもだ。けれど、それはウルフが了承してくれたということよりも、そう言った途端に背を向けられたからである。
毛布を右肩だけに掛け直して階段を降りていく姿が見えなくなれば、寝こけたふりをしていた者達も含め、全ての視線がその場を後にし損ねたラーガンに集中した。





























◆後書き◆

第三者から見たウルフさんとフリットちゃんを。毛布のシーンが一番書きたかった部分なんですが、妄想していたのと違う流れに書き進んでしまいました。
フリットがウルフさんに毛布を掛けたその直後に引き寄せられて押し倒されてグイグイ来られる感じだったはずが、二人とも大人になってしまわれて…ッ。
自分ルールの大まかなテーマは「理解できなくても相手を想える」そんな塩梅で。

Beweis=証明

更新日:2013/09/01








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