◆Weiβ -Einführung-◆










それはアンバットの要塞を墜とし、グアバランがグルーデックの身柄を反逆者として確保するまでの間の短い時間にあった出来事。

激戦を終えたフリットは医務室でエミリーからかすり傷などの手当を受けた。眉を下げて何か言葉を掛けたいとしていたエミリーが言葉を開くことはなかった。フリットも声を掛けてあげられなかった。
何も言えなかったのはいけないことではない。お互いに後悔はしていない。ただ、言葉を見失っていた。

生きていることに感謝するのが正しいのだろう。けれど、生きることの重みが今は強くのし掛かる。ユリンの最期の涙の笑顔がとても痛かった。

第八宇宙艦隊に所属する軍人達がディーヴァ内に乗り込んできている。形だけの制圧であるため、医務室から出てきたフリットが通路を歩いていても捕えようとする動きはない。子供が乗艦していることも彼らには伝わっているようで驚く顔さえされない。

顔見知りがおらず、小さく心細さを感じていると、自然と足は格納庫に向かっていた。自室に籠もっても良いのだろうが、独りになるのが怖かったのだ。ハロは医務室に置いてきた。エミリーの側にいるようにと言って。
一人で歩いていたフリットが格納庫を覗くと、端の方にウルフの姿を見つけた。

ノーマルスーツから軍服に着替えたウルフだが、すっきりとしない戦後にどうにも調子が戻ってこなかった。勝てば嬉しい。そういうものだったはずだ。

UEが人間だったというのは意外ではない。薄々誰もが勘づいていたことだ。だが、目の前で証明され、真実だと突き付けられたらやりきれない気持ちに呑まれる。自分は同じ人間の命を狩ってきたのだと。
手の中のペンダントを見下ろし、それを強く握る。

レーサーを引退することを決めてそれを世間に広める前だった。何処で嗅ぎつけて来たのか、連邦軍から引退するなら軍人にならないかとスカウトされた。一般的な職業のあてもなかったウルフはモビルスーツに乗れること自体に魅力を感じて軍人になった。
しかし、入隊してみれば反連邦組織の鎮圧ばかりで馴染めなかった。上官を殴ってきた回数は覚えていない。ようやく噂のUEとやらと戦えると意気込んで来たってのに、この有様だ。

「ウルフさん、大丈夫ですか?」

意識を沈めすぎていたらしい。ウルフは突然の声に驚いて其方を見遣る。
フリットが心配そうな面持ちで覗き込んできていた。
咄嗟に手のペンダントをジャケットの内に押し込んだウルフは短く吐息を零して横を向く。悪いが、子供の相手をしている状況ではない。

無言でやり過ごそうとしたウルフはフリットが離れていくのを待った。しかし、フリットはその場に留まったままだ。
向こうへ行けと睨み返そうとしたウルフはフリットを視界に入れて、眉間の厳つさを解く。

フリットはウルフに手を伸ばしていた。上に。
踵を上げて背伸びをしても指先は届かない。
そんな様子のフリットにウルフは何がしたいんだと首を傾げる。

「………屈んでくれませんか」
「は?」

手が届かない悔しさにフリットがぼそりと言う。聞き取れはしたが、何故そんなことを要求するのか。意味も判らないし、相手もしたくないとウルフは屈まずに両腕を組んで、フリットに遠くへ行くよう態度にする。
それでも手を伸ばし続けるフリットにウルフは本当に何なんだと、あっちへ行けと言うために口を開こうとした。けれど、フリットが何かに気付く方が先だった。

手を下ろしたフリットはウルフが掴んでいる柵に足をかける。格納庫は半重力であるため、力を入れる必要もなければ、落ちる心配もない。
柵の上に立ち、フリットはウルフと向き合う。フリットの方が目線が高くなっている。

「お前、ほんとに何が」

したいんだと、次第にウルフの声は小さくなった。
フリットが此方に手を伸ばし、頭を撫でてきたからだ。

必死に手を伸ばしてきていた理由はこれかと納得するが、自分が頭を撫でられる理由までは納得しかねた。

「フリッ………」

撫でるだけでは足りなかったのか、フリットはウルフの頭を抱き込んだ。ぎゅっと包まれて、再び頭を撫でられる。
もう一度フリットの名を呼ぼうとしたウルフだが、呼べなかった。何も言えず、ウルフは大人しくフリットに身を預けた。

暫くして、フリットがどのタイミングで手を離すべきか戸惑っているのが伝わってくる。
ウルフは自らの腕を持ち上げ、手を伸ばし、フリットの腰にまわした。
抱きしめ返し、ウルフは苦しそうに喉を鳴らした。お前の方がよっぽど震えているじゃねえか、と。

「ウルフさん?」

純粋に驚いている声だ。フリットは自身の震えを自覚していないようだった。
参っているのは自分だけではないのは理解している。フリットも参っている。けれど、無自覚なまでに鈍感でどうするんだと、抱きしめる腕に少しだけ力を込める。

密着が強くなり、フリットの方も更にぎゅっと此方の頭を抱き込んでくる。そのため、ウルフの顔はフリットの胸に埋まる。
そういえば女だったなと、“ファーデーン”で知ったことを思い出す。まだ小さいが、膨らみはあるのだ。幼い柔らかさにウルフは頬をすり寄せた。
変な感じでもしたのか、フリットから反応がある。離れていくかと思われたが、フリットはじっとその場に留まってウルフの頭を抱き込んだままだ。

人の体温というものは安心する。確かに女を抱きたい気分だとウルフは思うが、フリットを相手にするわけにもいかない。それくらいの良識はある。

ウルフはフリットを抱きしめたまま身体を後ろに引き、後ずさる動きを取る。フリットを柵から降ろし、床に足を付けさせた。
足場の高さが同じになれば身長差の関係上、互いに抱き合っているのは難しい。自然と互いから手を離す。

フリットが目を彷徨わせる素振りにウルフは微笑する。その頭を真上から乱暴に撫でてやる。フリットの頭が大きく揺れた。
手を離せば何をするんだとフリットが生意気にも睨み返してくる。

「こっからの後始末は大人の仕事だ」

お前はディーヴァから降りられるのを待っていればいいと、ウルフはフリットに言い諭す。表面上だけでも良い大人を見せなければ、フリットは安心して艦を降りられないだろう。
しかし、フリットはその言葉に疎外感を覚えて否を唱えた。

「僕だって軍属です」
「軍人じゃないだろ」

言い返せなかった。ウルフはお前が子供だからと言わず、軍人ではないからだと言ったことによって。
責任というのは何者かになった者だけが果たせるものだと、フリットは悟っている。自分は母やブルーザーが託した者になれていないどころか、まだ何者でもない。

「悔しかったら、背伸びをしなくていいくらいまで大きくなれ。話はそれからだ」

ウルフの言うことは尤もだ。ガンダムを動かせるから戦力になるとはいえ、フリット個人はまだ無力なのだから。

「わかりました」

反論して足を引っ張ることはしたくなかった。自分の中にこれからの決意が真っ直ぐあるとしても、それを今無理に通そうとするのは癇癪と同じになってしまう。


物わかりよく頷いて身をひいたフリットが去ろうとするのをウルフは引き留める。 腕を掴まれたフリットはウルフを振り返り見上げる。すれば、彼は此方に顔を寄せて何か言い倦ねる。

「あー、なんだ。その……きつく言い過ぎた。いや、それが言いたいんじゃなくてだな」

ことりと首を傾げたフリットにウルフはむずむずと表情にして、頬を掻く。
フリットが頭を撫でてくれたことについてウルフは礼を言いたいのだが、礼を言うのも何か違う気がしている。そのせいで何を言って伝えるべきか、妙に緊張してしまっていた。

「まあいい、何でもない」
「………?」

ウルフは諦めてフリットから手を離した。不思議そうな顔できょとんとしているフリットからの無垢な視線が痛い。
まだ自分も相当餓鬼だよな。と、ウルフは彼女の視線から逃げるようにしてフリットに背を向けると、頭を大仰に掻く。

「僕も」

不意にフリットから言葉が来て、ウルフは動きを止める。フリットはウルフの背中を見つめたまま、続ける。

「ウルフさんが言っていることは間違ってないと思います。だから、ちゃんと納得していますし、背伸びをしなくても届くようになりたいです」

はっきりと伝えた。

それじゃあ、と。フリットはウルフから離れていく。

「ま、頑張れよ」

距離を取ったが、まだ声は届く範囲だ。ウルフからの激励にフリットは足を止めて、半身ごと振り返る。ウルフは背を向けていない。

「あの、ウルフさんは軍を離れるんですか?」

はて。何故そんなことを訊いてくるのやらとウルフは思ったが、格納庫のハンガーに収まっている傷だらけのGエグゼスに目を遣ってから再びフリットに戻す。

「辞めるつもりはないぜ」

別に理由はいらないだろうと、それだけを答える。すれば、フリットはどこか安堵したような表情をして、此方の言葉を噛みしめるように小さく頷いた。

「何だ?」
「何でもありません」

フリットは後ろ手に指を絡ませて組み、満足そうな表情を緩めるとウルフにそう言った。
掴み所のない返事だが、ウルフもついさっき同じようなことを言ったばかりだ。その意趣返しだろうと受け取ることにしておく。

ウルフがいつも通りの気が良くて調子の良い笑顔に戻ったことをフリットは嬉しく思う。押しつけてはいけないが、この人はこうあるべき人だ。だから、気付いたら声を掛けてしまっていた。余計なことをしてしまったのではないかと反省している部分もあるのだが。
ウルフが何者であるかを取り戻してくれたのなら、それ以上は求めない。
だから次は、自分の番だ。

フリットは己が成すべき道へと進む。





























◆後書き◆

Weiβシリーズではウルフさんがフリットのこと女の子と知ったのファーデーン編の時で。それ以前からウルフさんがフリットのこと気にする気持ちあったけれど、明確に欲しいと思った瞬間として書いたシリーズ本編よりも前の話になります。

蝙蝠退治戦役はフリットもボロボロだったけれど、ウルフさんもそうだったんじゃないかなと。AGE世界の20歳以上はみんなしっかりしてる人が多い印象あるし、ウルフさんの弱味を見た記憶もなく。けれど、フリットはそういうウルフさんも見ていたりするのではないかと。フリットは自分より相手のことを心配するタイプだろうから、今までずっと頼りにしていたウルフさんが相手でもそんな時は慰めようと頑張って背伸びする子です。

フリットちゃんはウルフさんのこと好きなんだけど好きだと気付いていない塩梅。告白されて、あれ?なんでこんなにウルフさんのことばかり気になって考えているんだろう?と三年経ってようやく意識し始めます。

Einführung=序、序章

web拍手掲載日:2016/06/22
更新日:2016/12/18








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