◆Zurücksetzen-前編-◆










ニューエイジ計画。連邦で始動したガンダム量産化の計画名である。
AGE-1 2号機も完成の目処が立ち、次の段階として確実な量産化を視野に入れたガンダムタイプをフリットは考案していた。

今日は考案したモビルスーツの設計図が日の目を見るコンペティションが開かれた日だった。
計画の上役である上官と技術士達を一室に集め、フリットは熱弁した。自分が設計した二案はどちらも自信作だった。しかし、採用の判子を押されたのは一案だけ。
片方だけでも採用されたのは上乗であったが、二案とも通す気でいたフリットにとっては悔しさが残る結果となった。

後にアデルと正式名称されるA案が採用された。こちらは基部フレームをガンダムと同じにすることでウェア換装を容易にする。AGEデバイスが量産出来ないため、必然的にAGEシステムを通してウェア換装が出来ない。戦地での換装が不可能という欠点はある。
しかし、一つの機体でタイプの異なる性能をバリエーション豊かに運用出来るのは魅力的な利点だった。製造も運搬も実現可能範囲であり、採用されるには充分の素材であったのも頷ける。

そして、不採用になったB案だが。

「お父さんはご機嫌斜めか?」
「その呼び方はやめてくれ」
「何言ってんだよ。二人目も出来たくせに」
「貴方に呼ばれるのはしっくりこない」

何でウルフが此処にいるのかという疑問は一目見た時からあったが、フリットは彼の冗談めいた会話に返事をする。疑問を後回しにしてしまうほど、ウルフとの会話を楽しんでいる自身をフリットは割りと客観的に知っていた。

「そういえば、二人目女の子だよな?」
「ええ」

一人目は男の子でアセムと名付けた。二人目の女の子はユノア。二人とも髪色はエミリーを受け継いで綺麗なブロンドである。

「紹介してくれるとオジサン嬉しいなー」

下心丸見えで宣ったウルフはフリットから半目を寄越される覚悟であり、その後で揶揄してやろうとした。けれど、フリットの顔はみるみる青褪めていく。

「えんこ……娘が、ユノアが援交……」
「あー、違ぇよフリット。俺が悪かった。撤回する」

フリットには刺激が強すぎる悪ノリだったようだ。父親としての気持ちを考慮してやれなかったことをウルフは反省する。家庭とは縁遠く、独り身を謳歌しているから……は、言い訳でしかない。
しかし、フリットはどこで援交などという言葉を覚えたのだろうか。と疑問して、ウルフは自分がまだフリットを子供扱いしていることに気付いてしまう。
顔色が戻って落ち着いてきたところでウルフはフリットの顔をまじまじと覗き込む。フリットが訝し始める前に口を開く。

「父親って威厳がないんだよな」
「余計なお世話だ」
「まあ、そういうなって。髭はまだ似合わないだろうし」

むぅと一考したウルフは何かを思いついて手を持ち上げる。

「じっとしてろよ」

言われ、フリットは額の辺りを大きな手に触られた。

「ん」

目を硬く閉じたフリットはウルフの手が止まったことに、ゆっくりと瞼を持ち上げる。目の前にはしっくり顔のウルフがいた。
フリットの前髪を掻き上げ、前に落ちないように掌で押さえたままウルフは自分の見立てに間違いがないことに頷く。

額の面積が程よく、顔立ちが一定以上整っていればオールバックが似合う。子供であれば幼さが目立ってアンバランスだが、二十五の男ともなれば話は別だ。当時より鼻筋も通っているし、骨格もシャープになっている。

「イケメン度は俺様に劣るが、似合うじゃねぇか」
「何が、ですか?」

長い付き合いだからタメ口の方が多くなってきたが、疑問など尋ねるときは敬語になることもまだ稀にあった。律儀なフリットらしいとウルフは笑う。
笑われる覚えはなくて、フリットはむすりと拗ねる。

「あの、」
「手鏡なんて気の利くアイテム女でもなきゃ持ってねぇし、便所行くぞ」
「トイレより」
「なんだ、お前の部屋の方が近いのか」

言おうとした台詞を先に取られ、そもそも何故先読み出来たのかも理解不能だった。脈絡なしに先手を打ってくるウルフにフリットは迷惑そうな顔をしながらも、内心では拠り所を感じていた。

自室にウルフを招き入れたところで、ハロが足下で出迎えてくれる。

『ウルフ、ウルフ』
「お利口さん。邪魔するぜ」

ウルフの邪魔にならないようにハロは転げ避ける。
心なしかハロがウルフに懐いているように見えてフリットはハロを目の前にしゃがみ込む。機械だから餌付けで飼い慣らすのは不可能だ。首を傾げれば、同じ向きにハロも傾げるようにその丸いボディを揺らした。

「洗面に来い」
「誰の部屋だと思ってるんだ」
「どこの部屋も似たような造りだろ?」

連邦の施設は基本的に同規格だ。士官用の部屋は特に類似性の高い間取りになるため、どこも似たような造りとなる。
それはそうだがと、フリットはハロの目の前から立ち上がり、先に洗面台に立ったウルフに続く。彼が指さす方に視線を向けて、鏡を真正面にする。

「ワックス持ってるか?」
「ええっと」
「あ、モビルスーツに使うやつじゃねーぞ。ヘアスタイル決めるやつ」
「……持ってない」
「分かった。前見てろ」

鏡に映るウルフは最初に手袋を外した。手持ちの何かを懐から取り出し、クリームらしきものを素手の両手に塗る。
背後に回られ、フリットは不安そうな顔を晒した。鏡越しに目を合わせてウルフは怯えることはないとニカニカ笑いながら若草色を両手で挟み込む。

頭を捕らえられて肩に力を入れたフリットだったが、ウルフの手が思いのほか丁寧に動き始めて力を抜いていく。
昔ほど大きな差は開いていないが、やはりウルフの方が一回りは大きい。自分とは違う大きな掌に悔しさがあるはずなのに、その手に優しく髪を撫で付けられて心地良さを感じていた。

こんなものだろうかと出来映えを確認するため、ウルフは鏡に視線を向けた。

「う゛」

失敗はしていない。思った通りの良い出来映えだった。
思わず声が洩れてしまったのはフリットの表情に、だ。気持ちよさそうな顔をしていた。此方が洩らした声にも気付いていない様子で、心此処にあらずといった様子で立ち尽くしている。

鏡越しではなく、フリットの視界に入らないようにしながら直に顔を覗き込む。今度は思わずゴクリと喉を鳴らしてしまった。
視線を横に流し、ウルフは軽い拳でフリットの頭を叩いた。

「出来たぞ」
「ぁ。有り難う御座います」
「畏まった礼はいらねぇ」
「どうも」

反応を返してくるフリットがいつもの態度に戻り、ウルフは一安心する。
オールバックに固められた自分の髪型を前にフリットは少し首を傾げている。気に入らない感じは見当たらないので、物珍しく映っているだけだろう。そのうち慣れる。

「持ってないなら、これもやる」

ヘアワックスの容器を手渡され、フリットは遠慮の表情でウルフを見上げる。

「え。でも」
「半分以上減ってるからな。もし気に入ったなら新しいのはそれ持って自分で同じの買ってこい」
「……それじゃあ、有り難く」

自分ではどれを選べば良いのか判らない。何でもかんでも面倒を見るわけではなく、後は自主的に決めろと適度な放任をされれば首は横に振りづらかった。

「ウルフさんは、」

そこまで言ってフリットは口を噤む。
久しぶりに会ったせいか、さんを付けて呼んでしまった。今は呼び捨てにしているのに。
しかし、ウルフはそれを指摘せず、茶化してくるようなこともなかった。

「構わねぇから話せよ」
「ウルフは、イプセンまで何の用で来たんだ?」

此処は軍用コロニーであり、モビルスーツなど多数の開発機関が密集している。技術士や開発者ばかりの所に一兵士のウルフが何用なのだろうか。
テストパイロットであれば話は別であるが……ウルフの場合、平均よりも頭が一つも二つ以上もずば抜けて操縦の腕が良いとテストパイロットに選ばれる可能性はかなり低い。何を造っても彼専用になってしまい、一般兵達が使いこなせる機体が出来上がらないからだ。
だから、彼が此処にいる理由が思い当たらなかった。

「暇になったから来ただけだぜ」
「暇って……またか」

ウルフの暇が出来たは上官を殴って配属先から追い出されたことを意味する。次の赴任先が決まるのも難航しているのだろう。
本当に仕方のない人だなとフリットは呆れながら苦笑するしかない。

「2号機造ってるって話だろ?」
「それを見に来たのか。それじゃあ、今から見に行くか?」
「おう。行こうぜ」

機嫌良く先に部屋を出て行くウルフの背中から視線を外し、フリットはハロを見下ろす。

「たまには一緒でもいいか」

今では自室にハロを置いていくことが多い。けれど、今日くらいは昔のように連れ歩いても良い気がした。

『嬉シーカ?嬉シーカ?』

足下についてくるハロにそこは疑問形ではないだろうと思ったが、その直後。

『ウルフガ一緒』

と続けられてフリットは足を止める。

ウルフが先に部屋を出て行った後で良かった。出入り口の扉が閉じた後であり、ウルフは外の通路にいる。
恨みがましくハロに視線をやれば、ボク何カ悪イコト言ッタ?と代わり映えのない正面を向けてくる。そして暢気に足下で円を描くように回り始める。

ハロは此方の体温などバイタルを計った上で機械的に言葉を発しているだけだ。ハロが判っていないことくらい判っていた。けれど。

「今更、気付いても遅いよ」

こぼれ落ちた声は、室内で静かに反響し、フリット自身の耳に戻ってきた。





居住用コロニーの軍施設よりも大きな格納庫は整備士達の活気ある声で賑わっていた。あるところでは上手くいったと互いに喜び、あるところでは意見が正反対になって怒号が飛び交う。切磋琢磨している雰囲気だ。
心なしか、横にいるフリットも格納庫に足を踏み入れてから浮き足立っている感じがした。やっぱり此奴にとっての畑はこっちなんだなとウルフは観察する。

それから見知ったオレンジ頭を見つけてウルフは床を蹴る。反重力を利用してモビルスーツの胸部まで一気に移動する。

「よお、ラーガン」
「あれ?お久しぶりですね」
「順調か?」
「来週にはロールアウト予定ですよ。な、フリッ……ト?」

ウルフがいるなら近くにフリットもいるだろうとラーガンが視線を巡らせ、フリットの姿を発見する。けれど、いつもと違うというか今朝顔を見た印象と違った。

「うん。もう実践配備まで秒読みだけど。何?ラーガン」
「いや、雰囲気変わったなと思って」

その髪型と指さされてフリットは「ああ」と頷く。どう説明したものかとフリットはウルフに目配せする。

「俺が格好良くしてやったんだ。似合ってるだろ?」
「そうですね。格好良いぞ、フリット」
「え……う……」

外見について褒められ慣れていないフリットは反応に困って言葉に詰まる。他者が自分に意識を向けているということにも落ち着きが保てず、なんだか恥ずかしくなってくる。

「おーおー、触るなって」
「うぅ」

手で髪型を元に戻そうとするフリットに慌ててウルフは彼の手首を掴んでやめさせる。

「早めに慣れろよ」
「……努力します」

二人のやり取りからラーガンはあまり髪型のことについてフリットに突っ込まない方が良いことを心得る。
そのためにラーガンは話題を変える。

「そうだ。コンペ今日だったんだろ?どうだった?」
「A案は通ったんだけど」
「そっか。まあ、片方採用してもらえたなら良かったじゃないか」
「うん」

完璧主義のフリットからしたら残念な結果なのは曇っている顔を見れば一目瞭然だった。他に上手い励ましの言葉が見つからないラーガンは言葉選びに悩むが、ウルフが片手を挙げていた。

「コンペって何ですかラーガン先生」

ツッコミを入れるのも面倒なので、質問だけに答える。

「ガンダムタイプの量産機を作る計画があるのはウルフも聞いたことあるんじゃないですか?2号機も一段落しますから、次の後継機をフリットが設計してるんです」
「ふぅん。で、片方だけ採用ってことはもう一個あるのか?」

今度はフリットに話が向けられ、沈んでいたフリットは顔をあげる。

「スパローをベースにスピード重視に特化した量産機を提案した。使いこなせるパイロットが少ないと予想されて採用には至っていない」

まだ気持ちが沈んでいる様子で、フリットは事務的に説明した。
内容を咀嚼したウルフは自分の顎を撫でて何か閃いた顔をする。

「その設計図見せてくれ」
「え?いいけど……少し待ってもらえるか」

フリットはハロを呼び寄せ、AGEデバイスと繋げる。B案の設計データを開き、PCモードのハロをウルフに向ける。

「脚部は殆どスパローウェアと同型。スピードを重視する分、攻撃力がタイタスよりは劣ることになる。そのパワー不足を補うためにシグルブレイドをレイザーのように大型武器にするか、機体の腕や脚に取り付けるか考えていたところだが、シールドの先端に取り付ければ攻守を同時に補えると考えている。それから、装備させるライフルが」
「フリット」
「何か質問でも?」
「これ俺にくれ」
「は?」

目を丸くしたのはフリットだけではない。ラーガンも唐突なウルフの発言に目を剥いていた。
得意分野はとことん語ってしまうフリットのマシンガントークが始まってしまったと思っていた矢先、それに呆れるでもなく真剣に聞くでもなく、いきなり「くれ」と来たら愕くだろう。

さて。フリットはどう出るのだろうかと、ラーガンは視線を向ける。

「くれと言われても、却下されたものを一存で創るわけには」
「お前が創ったモビルスーツが欲しい」
「!」

これはフリットにとって殺し文句だなとラーガンは苦笑で成り行きを見守る。技術士にとって最高の褒め言葉を向けられたフリットはどう出るか。

「なんで、そんな」
「ラーガンにはガンダム創ったじゃねーか」
「もしかして……羨ましかったとか」
「悪いか?」
「悪くはないけど」

貴方は子供か。と、言いたくなるのを口を横に薄く開くだけに留める。
けれど、駄々をこねたいほど求められるということは、ウルフはB案の機体を気に入ってくれたということだ。
皆が首を横に振ったこのモビルスーツを。

もう一度練り直して提出しようとまで考えていたが、スパローをベースにしている時点で採用される可能性が低いことも理解していた。
このままお蔵入りになることをフリットは認めたくなかった。しかし、A案が採用された今、時間を割いて個人的にB案の製作にあたれるのだろうか。両方採用されたならどちらも軍の人間が関わることになるので人手が足りるが、そういうわけではない。

「本当に欲しいんですか?」
「欲しい」

濁りのない純粋な要求だった。
頷きたいが、頷ききれず、もどかしい感情をフリットは抱く。

「お前の自信作だろ」

ウルフのその一言に押し切られ、フリットは頷いていた。
無償の信頼に応えたかった。

「解った。やってみる」
「さっすが、天才少年」

ご機嫌でウルフはフリットの肩に腕をまわした。
わっとしたフリットは次には伏目がちになって口を引き結んでいたが、子供扱いの台詞尻に気付いて微妙な顔をする。

「やめてくれ」
「じゃあ、天才パパ」
「だから、貴方に呼ばれる筋合いないってば」

久方ぶりだが、いつもの応酬をする二人にラーガンはやっぱりこうなるよなと一人で微笑する。

「おお、なんか賑やかしいなと思えばウルフか。老けたな」
「おやっさんに言われたかねぇよ」
「相変わらずの減らず口だなぁ。ラーガンとフリットを見倣えよ」
「優等生とヤンキーを一緒にすんなって」
「お前ぇはヤンキーじゃねぇだろ」

此方は此方でいつもの応酬であり、ラーガンとフリットは顔を見合わせて懐かしさに微笑を零し合う。

「それで、お前ら何の話してたんだ?」

と、尋ねるマッドーナの顔前に半重力で浮き流れていたPCモードのハロが漂う。その画面を掴み見るマッドーナにフリットが説明する。

「そちらの案がコンペで落ちてしまって、けど、ウルフが欲しいって言うんですよ」
「創るのか?」
「そのつもりです」

ウルフが強請るからだと呆れた口調だったのに、創るつもりだと言うときには活き活きした感じがあり、フリットの天邪鬼さにマッドーナは苦笑を隠しきれない。

「良い機体じゃねぇか。よし乗った!俺にも一枚噛ませてくれ」
「いいんですか?」
「いいのか?おやっさん」

同時に顔を向けてくるフリットとウルフにマッドーナは快く笑う。

「俺も腕ならししたかったところだ。それにお前ぇの癖なら良く知ってるしな」
「そりゃ心強い」
「あと、ウルフは金払えよ」
「いくらでも払うぜ。フリットはどれくらい欲しい?」
「創れればそれで」
「無欲だな。金がいらねぇってなら、身体で払ってやろうか」

再びフリットの肩に手をまわしたウルフはニッと笑いながら提案する。フリットのことだからそれもいらないと言うのだろう。

「………………遠慮する」

言った。言ったのだが、かなりの間があった。それに、いつものように大げさに振り払われず、フリットはじっとしていた。
調子悪いのか?と顔を覗き込めば、静かに此方からの密着を押しのけてくる。

俺が悪いのかと、ウルフは尋ねるようにラーガンを見遣る。ラーガンは何か知っていそうな顔をしたが、次には頬を掻いた。
要領を得ないラーガンの反応にウルフはマッドーナの背中を押して、共にその場から離れた。

二人の背中が遠退いたのを見送ってから、ラーガンは先ほどから気落ちしているフリットを見遣る。

「このままで良いのか?フリットは」
「そんなこと、言ったって」

自分がアドバイス出来る立場でもアドバイスしていい立場でもなかったが、今の様子を見ているとウルフとフリットの間に溝が出来そうで不安を駆られる。
フリットのこのままにしておきたい選択は正しいことだ。だからこそ、強くは言えず、ラーガンは言葉に詰まる。

「有り難う、ラーガン。でも、やっぱり駄目だよ」

礼を言ってくるフリットにラーガンは胸を痛める。フリットに気付かせてしまったのは此方が不意に零した発言が切っ掛けだった。だから尚更に責任を感じる。
自分自身の感情に疎いところがフリットにはある。気付いていなかったことに気付いた途端に行動を起こす質なのだが、今回ばかりは勝手が違う。だから、背中を押してやりたい気持ちがあった。

「どう転んでも、悪いようにはならないと俺は思う」
「良い悪いの話じゃないから……そんな顔しないでよ、ラーガン。自分でも自分のことまだ良く解ってないんだ。こればっかりは」

苦笑するフリットの横顔はどこか悲しげで、ラーガンはそれ以上のことには口を閉じた。何を言い重ねてもフリットの表情は変わらない。
変えることが出来るとしたら、当のウルフだけだ。

「すみません。ラーガンさん、主任見かけませんでした?」

やりきれない思いを抱いていたラーガンは整備士の一人に声を掛けられて顔を上げる。
主任というのは、フリットのことだ。開発部整備班の者達は階級ではなく、フリットをガンダムの責任者としてそう呼ぶ。
しかし、フリットなら此処にいるのだが。

「何言ってるんだ。フリットなら目の前にいるだろ」
「え?」

ラーガンの隣にいた人物に視線を移した彼はぱちくりと瞬いた後に上から下まで観察し、上に戻ってくると本当だ主任だという顔をした。髪型がいつもと違っていて気付かなかった。

「イメチェンですか?」
「いや、これは」

髪型を元に戻そうと手を持ち上げるフリットの行動にラーガンが待ったをかける。

「ウルフに慣れろって言われたばっかりなんだから、触るなよ?」
「そうだけど、簡単に変えられないし」
「似合ってると思いますよ」
「うう」

整備士の彼が肯定するが、余計にフリットを追い詰める。
あれ?と首を傾げる彼にラーガンはこっそり耳打ちする。

「出来れば、あんまり髪型のこと言わないでやってくれるか?」
「どうしてです?」
「ああ見えて恥ずかしがり屋なんだ。他の奴らにも伝えておいてくれると助かる」
「それは構いませんが」

頷きつつも、整備士は疑問を持ったままだ。フリットに恥ずかしがり屋のイメージが全くないのだから当然と言えば当然の疑問である。
ついこの間だって、三歳の息子と産まれたばかりの娘が一緒に映った写真を見せてきてひっきりなしに可愛い可愛いと連呼していた。
それに、自分の髪型に納得がいかないのならフリット自身の意思で元に戻してもいいことだ。元に戻したそうな顔をしながらも、いざ髪に指先が触れると躊躇っているフリットの様子は怪訝そのものだった。

「本人には尋ねませんので、一つだけ訊いていいですか?あれは主任がご自分で」
「おっと。そっちは取り込み中か?」

整備士の彼は質問の途中で現れた男に微かに愕く。見慣れない顔である。
戸惑っている整備士にラーガンはフリットの髪型の原因はこの男だと教えながらウルフを指さす。

勝手に会話を続けている二人を余所にウルフはフリットに近づく。
片足を下げるフリットに眉を顰める。逃げるというより、距離を開けようとしている動作が引っ掛かる。

「あの」
「どうした?」

もう片方の足を下げることだけはせず、フリットは真っ直ぐにウルフを見上げた。先を促すようにウルフの唇が動き、フリットは視線を落とす。

「報酬のこと、なんだが」
「欲しいもんでも見つかったか?お兄さんが何でも買ってやるぞ」
「そうじゃなくて」

お兄さん発言に突っ込んでくるかと思ったが、それはラーガンが小声でツッコミを入れるに終わった。フリットの方は微妙に話が逸れたせいで言葉を閉じてしまった。
言いやすくなるように軽い調子で雰囲気作りしたつもりだったが、裏目に出たようでウルフは顎を引く。押し黙っているフリットを前に急ぐ必要のない内容だと掌を見せる。

「ま、考えとけよ。俺だって何も支払わずに貰うってのは気が引ける」
「昔とは大分違うな」

十年前は俺に寄越せと言ってきたのに。と、零すフリットにそんな大昔の話を持ち出すなよとウルフは苦笑する。まあ、あれは若さだ。

「良いものには金を払いたい主義だぜ、これでも。あの時にガンダムくれてたら、餓鬼でもそれなりのもん払ってやったっての」
「そういうことにしておく」

過去のことをまだ少し根に持っているらしいフリットは生意気にもふいっとそっぽを向く。
その態度にウルフは苛立つどころか肩が震えるほど笑う。笑い声にフリットは横を向いていた顔を戻した。

この人はいつもこうだ。流すことなく汲み取って、笑って受け入れてくれる。
馬鹿にするわけでもなく、嘲るわけでもなく。ただ本当に、無邪気なくらい楽しそうに笑う。
自分は誰かを苛立たせてばかりで、笑ってくれる人など殆どいないのに。別に笑われたいわけでも、笑って欲しいと思っているわけでもないけれど、ウルフに受け入れてもらえた合図のこれは安堵に繋がるものであった。

このままで充分だと思った矢先、目と鼻の先までウルフが距離を縮めていてフリットは後ろに下がるタイミングを失う。
此方に伸ばされるウルフの右手が視界に入る。どこかを触られると身構えたフリットは目を瞑った。

やや間を置いて感じたのは匂いを嗅がれている気配だ。うっすらと閉じていた目を開いたフリットの視界には、ウルフの首が映る。相手の肩から下に視線を動かせば、右手は下ろされていた。

「なんか、匂い変わったな」
「え」
「そりゃそうか。俺と同じ匂いするの」
「どういう」

意味なんだ?と疑問している間にウルフが身を引く。
それから、ウルフが彼自身の頭を指さして「髪の匂い」だと付け足す。それでフリットも「ああ」と頷いた。ウルフが愛用しているヘアワックスを使わせてもらったのだ。同じ香りがして当たり前だ。
しかし、フリットは納得しながらも、何か言い方が妙だったのではと僅かに首をひねっていた。

「あのぉ」

其方の会話は一区切りついたと判断して宜しいでしょうか?と控えめな整備士の声にウルフは振り返る。

「悪いな、仕事の邪魔して」

気さくな物言いに悪い気はせず、整備士は頭を下げる。此方もラーガンと話していたので仕事の邪魔をされたとは感じていなかった。

整備士が顔を上げるまで見届けてから、ウルフはフリットに向き直る。

「新型よろしくな。あと、暇できたら飯でも行こうぜ」
「今日は難しい」
「はは。今日じゃなくてもいいって。明日も明後日も俺いるし」
「……仕事は」
「お呼びじゃないからしたくても出来ねぇの知ってるだろ?あ、ここにもモビルスーツ部隊あったよな、空きがあったら志願してみるか」

好き勝手に生きていると呆れるが、無茶苦茶をしていなければ、行き当たりばったりに身を任せているでもない。自分の意志で道を決めている。
呆れはあっても、咎めの言葉は見つからない。

「それなら、俺が話を聞いてきましょうか?」

此処のモビルスーツ部隊の者達となら顔見知りであるとラーガンから声があがり、ウルフは話が早いと上機嫌で手を叩く。

「そりゃいい。頼むぜ、ラーガン」
「言っておきますが、最後まで面倒は見ませんよ。志願の手続きは自分でやってください」

話を通す確約までは出来ない。そもそも、軍用コロニー専属のモビルスーツ部隊はウルフが今まで所属してきた部隊とは異なる。テストパイロット経験者で構成され、訓練を重点的に行う。いわば、実験部隊である。

「そこまでおんぶに抱っこのつもりなんかねぇよ。俺をいくつだと思ってんだ」
「三十半ばのオジサンです」
「お前こそ四十手前のオッサン」

次の目的が決まったウルフがラーガンと共に格納庫を後にする背中までは見送らず、フリットは整備士と共に2号機に近寄る。

「アサルトジャケットに不具合か。それで、原因は判明しているのか?」
「はい……」

返事が朧気で、フリットは整備士を振り返った。彼は此方を見ておらず、手にした端末も見ずに後ろを見ていた。
ラーガンとウルフが消えた方角だ。

「ラーガンも居合わせるべきだったか?」
「ぁ、ああ!いえ!」

慌てて謝る彼にフリットは愕きながら不思議に思う。
可笑しな態度だったことを詫びるように、整備士は申し訳ないと口を開く。

「ラーガンさんではなくて、お隣の方が気になって」
「ウルフがどうかしたか?」
「主任とご友人なんですか?」
「友人かと問われると頷き難いが……ラーガンと似たようなものだ。歳が離れているし」
「兄貴分的な方ですか」
「……それも少し違うんだがな。まぁ、他人から見たらそんなようなものだ」
「そうなんですか。何か新型とか聞こえましたが、武器のことですか?」
「武器も含めて新型のモビルスーツを頼まれただけだが」
「え!?一体まるまるですか!?」
「……そんなに愕くことでもないだろう」

大声に引いているフリットを前に、ドン引きしたいのはこっちだと整備士は開いた口が塞がらない。

「勿論、軍を通して製作に当たるんですよね」
「いや、個人的に」

益々口が塞がらなくなった整備士は頭を抱える。
整備班の者達には今し方、フリットの提案した次期量産型のA案が採用されたと通達があったばかりだ。これからまた忙しくなるのは目に見えている。

「主任のことだから量産機は責任を持って取り組んでくれると信じてますけど、まさか並行して創ろうなんてこと」
「…………」

返事はないが、駄目なのか?と首を傾げている時点で答えは出ていた。







整備士の彼が同僚や基地に所属している軍人達に話を通したことで、フリットの髪型について口を開く者はおらず、毎日平穏にフリットは新しい髪型を維持していた。
しかし、それと同時にフリットが個人的な依頼で新型のモビルスーツを創る話も広まっていた。

2号機のロールアウトが間近、次期量産機の製作にも取りかかっている多忙なフリットに無理難題を押しつけた依頼主を周囲は注視していた。
今も、食堂のど真ん中の席へ視線が集中している。

「コーヒー取ってくる」
「終わったか?」

PCモードにしたハロに何か打ち込んでいたフリットはウルフが来る前に食事を終えていた。その後に食事を始めたウルフをフリットは同じテーブルで片付くのを待っていた。
ウルフが来る前は奥の席にいたフリットはわざわざ席を移動し、しかも相手の食事が終わるまで待ってもいた。フリットのそんな様子は今まで見たことがなく、周囲の興味は俄然ウルフに向けられる。
ウルフが元レーサーであることと連邦のエースであることを聞きかじっている者は少なからずいるが、フリットとの仲までは全く知らないのだ。

コーヒーを注いだカップを手に戻ってきたウルフにフリットは早速見てくれと言わんばかりにハロの画面を彼に向けた。

「改良したんだ。どうだ?」
「おう、良いじゃねぇか。このシールド俺好みだぜ」

特攻することも多いウルフは機体の全身を覆えるほどの巨大な盾を好む。更に、先端にはシグルブレイドを改良した刃も組み込まれていた。シールドも攻撃の一種と考えているウルフには最良の武装だ。

「そうか。他にはあるか?」
「文句の付け所ねぇよ。まぁ、強いて言えば」
「し、強いて言えば」

身構えているフリットに笑いながらウルフはハロの画面を反転させる。設計図の外観をアップしたものが映っている。

「顔、もっとイケメンにしてくれ」
「ええっと……」

それはどこをどうすれば良いんだ?とフリットは戸惑う。
正直に言えばフェイスデザインは分野違いだった。ガンダムの顔だって実家に飾ってあった絵画を模しただけである。

「それはマッドーナさんに頼むべきでは」
「あ。それは無しな。お前の創ったやつが良いんだよ、俺は」

マッドーナにも手を貸して貰えることになっているのだから、そこは譲っても良いのではないかとフリットは思う。けれど、頑なにお前が創ったやつと曲げないウルフに辞退も口に出来ず、フリットは躊躇いがちに頷く。

「かお……」

難しく考え込むフリットにらしいとウルフは面白がる。

「そんなに悩むなよ。Gエグゼス参考にすればどうってことないだろ」
「あれがイケメンなのか?」
「それ、おやっさんに喧嘩売ってるぞ」
「喧嘩なんて」

滅相もないと焦るフリットに落ち着けとウルフは指でテーブルを叩く。その音にフリットは口を閉じた。

「フリットは先に美意識身につけるべきかもな」
「からかってる、か?」
「大真面目な話だろ?格好良さは男には大事なことだぜ」

納得がいっていない様子のフリットは少しむくれている。
会話の口ぶりは対等だが、幼く見えるフリットの態度に食堂に居合わせている者達は一様に意外を感じていた。年相応以上に落ち着いている彼には珍しい。

「急ぐ必要ねぇし。せいぜいゆっくり考えろよ」
「ウルフは此処に配属されると決まったわけじゃないだろ?」

志願を出したウルフは申請が通るのを待っている身だ。あれから一週間過ぎているので、未だに結果が出ないのは可笑しなことだった。けれど、此処のモビルスーツ部隊は特殊な構成だ。ウルフという異物を投入したらどうなるか予想がつかない。

しかし、もう一つ。フリットが与り知らぬところでウルフの配属の可否が保留になっている原因がある。
開発部整備班の者達がウルフを採用してくれと掛け合っているのだ。何故そんなことになっているのかと言えば、フリットはウルフと顔を見合わせる度にあれはこれはと新型の設計図を練り直したものを見せに行くのだ。完全にマンツーマンでの製作取引だ。
主任ありきの開発部はウルフが何処かへ行けばフリットも行ってしまうのではと危惧していた。

「もしかしてお前それで焦ってんの?」
「それは」

早くウルフに喜んでもらいたいからだとは言えず、フリットは横を向く。

「熟成させたほうが良いもの創れるさ。美人を待つのは嫌いじゃないしな」
「どっちなんだ」

イケメンなのか美人なのか。モビルスーツに性別を当てはめる趣味はないが、ウルフのようにどっちつかずにされるのも困りものだ。

いずれにせよ、外観は先にある程度固めておきたい。内部構造は外郭に合わせて埋めるように組み上げる方向でいく。
各部の齟齬が無いよう先に内部フレームを構築してから外部フレームを取り付けるのが常套だが、ウルフなら内部構造が複雑でも乗りこなしてしまうだろう。
Gエグゼスは間接部の柔軟性が足りず、フリットはそこがずっと気に掛かっていたのだ。新型の仮となっている外郭の形状から、その点はクリア可能だ。ウルフも絶対に愕く。

「楽しそうだな、お前」
「え。そんなことは」
「にやけてるぞ」
「!」

そんな顔をしているつもりはなかったが、内心楽しくなってきていたのは否定できない。そのまま顔に出ていただろうかとフリットは慌てて自分の顔を手で触る。

「冗談だって」
「やっぱり……からかってるだろ」

手を下ろしてフリットはウルフへ半目を向ける。けらけらと笑い出しているウルフは怒るなよと手振りで寄越してくる。

機嫌を損ねたフリットはそっぽを向いている。その横顔から、彼の目の届く範囲に置かれたAGEデバイスに視線を落としたウルフは口を閉じる。本当に肌身離さずだと。
今、モビルスーツを創ることに集中しているフリットは此方から見ても充実していると感じる。技師を一生の仕事にしても良いどころか、そうすべきと映る。
しかし、フリットは戦いの場に出たいのだ。新型を早く創り上げたい気持ちからその焦りも嗅ぎ取れた。

敵を倒すのが目的では無く、その先にあるものこそフリットが目指している目的だ。だから口出しする気は毛頭無い。けれど、焦りすぎだと走り出す背中の首根っこを捕まえたくなる。

「ウルフとラーガンと、肩を並べたいんだ」

小さく零された声をウルフはぎりぎりで拾った。
それは目標だ。少し前と今のフリットの。

それに、技師だけでいるのは不満足だと言っているようなものである。パイロットとしても一流でありたいとしている強欲さは好ましく感じた。
此方からは危なっかしく前を走っているように見えていたが、向こうからしたら後ろから此方の背中を追い掛けていたようだ。

悪い気はしない。と、鼻を鳴らせば、フリットが面を上げた。小首を傾げる動作にウルフは視線を横に投げた。
調子が狂っているのではない。不意に覗くフリットの無防備さに喉から手が出そうになる。匂いが変わったと知った瞬間から。

何かと構いたくなるのは前々からだったが、そこに上乗せするように衝動が掛かる。今までそんなことがなかった……ことはなく。一方的に過ぎると自制してきたのだ。フリットにその気がある素振りなど全くなかったのだから。
しかし、少しでもその気があるのではないかとフリットの匂いを嗅いでから疑問している。自分に似た匂いが、した。

考えるより行動に出た方が手っ取り早いのだが、いざフリットにその気があるかもしれないと判明したところで手出しに踏み切れない思いがウルフにはあった。
かなり時間が経ってしまっているからだ。昔は成人して数年の若造と十代半ばの子供だったが、今はどちらもいい大人だ。今更うだつの上がらない関係になっても仕様がない。

フリットが妻子持ちであることはウルフにとってさして問題でも障害でも何でもなかった。それは彼の身の回りに関すること。ウルフが興味を持っているのはフリット個人なのだから、立場は含まず別件扱いだった。
それに、フリットを愛したいだとかそんな感情も持ち合わせていない。ウルフなりの簡単な答えを出せば、味わってみたいが一番しっくりくる解答だ。

「ウルフ、その」

コーヒーの香りでフリットの匂いを遠ざけていたウルフは意識を持ち上げる。
しかし、フリットが黙り込んでしまう。言い出しにくそうな顔をしていた。

「なんだ?言ってみろよ」
「……いや、何でもない」
「何でもないって顔してねぇぞ、お前」
「もう少し、考える」
「考えて答えが出るなら構わんが。行き詰まるようなら吐き出せよ」

俺でもラーガンでも誰でもいいからと告げれば、フリットは僅かに表情を和らげて頷いた。多少でも肩の荷が下りたのなら、それでいいとウルフはコーヒーを飲み干した。





























◆後書き◆

前編をお届けでした。

25ぐらいのフリットはウルフさんに対してタメ口なのか敬語なのかはっきり決められなかったので、基本タメで稀にポロっと敬語出るときがあるふうに。お前呼びになるのはウルフさんより階級上になってからでしょうか。ここではウルフフリットラーガンは同階級のつもりで書いてます。

Gバウンサーはスパローの発展型機になるので、もしかしたらフリットが設計など手掛けた可能性もあるんじゃないかと思ったらいてもたってもいられず。
アデルとのコンペ落ちは公式設定から。この設定良いですよね。ウルフさんがフリットの考えたモビルスーツを見逃すはずがないとここから妄想が拡がりました。

後編はウルフリですけべしちゃいたいと思います!


Zurücksetzen=リセット


更新日:2017/08/21








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