フリット♀(40歳)・ウルフ(24歳)
アセム(18歳)・ゼハート(18歳)・ロマリー(18歳)・フラム(18歳)
エミリー(40歳)・グルーデック(65歳)・アルグレアス(24歳)

アセムとユノアの父親が不明。

18歳未満の方は目が潰れます。

監禁注意。































◆Wort-Feier -前編-◆










医務室に入ってきたのは婦長のエミリーだった。そちらに目を遣っていたウルフは違ったかと首を傾ける。次いで医療ベッドの上で大きく欠伸をかいた。

「明日には自室に戻ってもいいわよ」
「そっか。世話になったな」
「いいえ。フリットを助けてくれたのは私も感謝してるわ」

どういった経緯でウルフが負傷したのかは詳しいことを聞いていた。看病を申し出たフリットが彼を甘やかしてしまう気持ちも判る気がするというものだ。
エミリーはそれから彼のベッド周りを見渡して何の痕跡もないことに眉を下げる。

「フリット来てないのね。会いに行ってもいいって言ってあるんだけど」
「あいつ一度決めたこと曲げるタイプじゃないだろ」
「そうなんだけどね。ウルフ君も少しは期待してたんじゃないの?」

エニアクル君と呼んでいたら何かむず痒いと言われてしまったので、それ以来ウルフ君と呼び改めていた。

「期待っていうか、ずっと触ってないから触りてぇ」
「言っておくけど、自室に戻っていいのは日常生活に支障がなくなったからよ。フリットにもだけど、貴方も無茶しないこと。運動も控えてね」
「きっついな、それ」

はああと溜息を声に出すウルフにエミリーは肩を竦める。
この自制しない態度が大人とは思えない。そういえば、とエミリーはそれで思い出した。

「小耳に挟んだんだけど、ウルフ君はフリットと昔会ってたって本当の話?」
「ああ、そうみてぇ。俺はあんまり覚えてねーけど。六つの時だったか?親父と一緒にレース観戦に行ったら珍しく軍人が警備をしてたんだと」

興味深げに話を聞いていたエミリーはあれ?と思い当たる。
フリットから赤子を妊っていることを打ち明けられる数日前に、彼女は子供って可愛いよねと不意に零したことがあるのだ。確か、上官命令でモビルスポーツレースの警備を頼まれて、その任務から帰ってきてすぐのことだった。

「なんだ、貴方のことだったんだ」

くすくすと笑い出したエミリーにウルフは面食らう。何が何やらだ。
判っていない顔のウルフにエミリーはごめんなさいと前置きする。

「そのレースの警備から帰ってきたフリットが言ってたの。何だか変わった男の子がいたって」
「俺のことか」
「そうだと思うわ」

頷いてからエミリーは続ける。

「自分のために頑張ってくれて、それがとても可愛かったって言ってたわよ」

途端にウルフは手を自分の口元に持って行った。
顔を半分隠しているが、彼が赤面しているのはエミリーにも判った。

「あら。恥ずかしいの?」
「可愛いってのは心外」

子供を可愛いと思うのはまあまあ正常な感覚ではあるものの、自分のことであれば許容範囲外だった。
どうなのだろう。フリットは今の此方も格好良いではなく可愛いと思っているのだろうか。そうだったら複雑だ。

エミリーはウルフの傷の具合を確認し、消毒などを一通り終える。それから同じ室内にいる患者のベッドを一つ一つまわっていく。カルテの書き込みを済ませると、それを奥で作業している医療班の子達に託した。

医務室から出てきたエミリーは通路の先にフリットがいることに気付く。
エミリーの姿に気付き、彼女の方も此方に気付いていると認識したフリットは咄嗟に手にしていたものを隠し、後ろに下がった。

「何身構えてるの?お見舞いしたいなら会ってきたら?」
「き、気が変わった」

腰に手を当てて詰め寄ってくるエミリーにフリットは臆する。その動作でフリットが後ろ手に隠した小さな紙袋が揺れた。
ジュエリーブランドのロゴに目敏く気付いたエミリーだったが、そこには触れないでおいた。

「ウルフ君明日には退院ってところだし、お祝いして来ても良いわよ」

だから道を譲ったのだが、それを聞いたフリットは身構えを解いて首を横に振った。
身構えていたのは此方に対してではなく、手の中のものを渡すことへの緊張だったようだ。遅れて悟り、エミリーは誘導に失敗したと頭を悩ませる。

「それなら明日にする」

その方が都合が良いと納得してしまっているフリットに再び揺さぶりを掛けるのは難しい。けれど、エミリーはこの時の自分の判断を後で後悔することになる。





翌日、ウルフは医務室からまず真っ先に自室に向かった。しかし、フリットは室内にいなかった。
枕の匂いでも嗅いでフリット不足を補おうかとも思ったが、やはり本人が一番良いし、手っ取り早く抱きしめたい。匂いも何もかも感じたい。
顔さえずっと会わせていなかったから、今日は加減も何も出来ないかもしれない。しかし、それは不味いことになりかねないから、耐えねばならない。婦長にもお灸を据えられているのだ。取りあえず、一度会ったら抱きつくだけにしようと決める。

適当にすれ違う者にフリットの居場所を尋ねつつ通路を進み、フリットの背中を見つけた。作戦室から出てきたのはフリットとグルーデックであり、神妙な話し声にウルフは一旦足を止める。
大事な作戦について話し合っているなら邪魔はすべきでない。一区切りついた頃合いを見計らってからにしとくかと、ウルフは通路の影から耳を傾けていた。

「それでいいのか、フリット」
「前から決めていたことですから」
「考え直してもいい。もう一度私が」
「それだけは絶対に駄目です。グルーデックさんに二度も背負わせるなんて出来ません。それに、状況証拠から鑑みても私が一番の確信犯でしかない。私が、適任なんです」
「フリット」
「これだけは譲れません。贖罪をすると、もう、決めました」
「牢獄に自ら入るつもりか」
「はい」

息を、殺していた。ウルフはフリットとグルーデックの会話に思考が働かなくなっていた。
途中からしか聞いていないが、この作戦の後にどうするか話していることだけは理解出来た。しかし、フリットの発言を信じたくはなかった。

嘘を言う質ではない。だから、嘘ではないことに残酷さを感じた。
自分との未来を見据えていると言ったのは何だったんだと。

動けなくなっていると、足音が一人分、此方に近づいてきていた。
通路を曲がったフリットはウルフがいたことに驚き、何か言う前に腕を強く掴まれた。痛いと顔を顰めたが、声を出さずにウルフを見上げた。傷ついた顔をしていた。
引っ張られるままにフリットはウルフに従った。聞かれていたんだろうなと、翳りを落とす。あれを渡してから伝えるつもりだったのに。

適当な個室に連れて来られたフリットはベッド上に押し倒される。
見渡した室内の様子から誰も使っていない部屋だ。自動清掃はされているので埃臭さなどはないが、昔はこういう部屋を使ってやっていた記憶が仄かに思い出される。

それでも、ウルフとなら何処でも構わなかった。乱暴に、服を裂くように脱がされる。首筋に獣のようにしゃぶり付いてくる狼に抵抗せず、フリットは全てを受け入れた。

荒々しい手つきにどうにも高まりに集中出来ず、なかなか絶頂の見えない行為に振り回される。
何時間経っていたか定かではないが、かなり経っているように感じる。ようやく向こう側が見えそうな痺れの連続が内側に堪ってくる。

「ァ、……イ」

いきそうとフリットが漏らした途端、ウルフが動きを止めた。

「ぇ」

何故。フリットは泣きそうな顔でウルフを見上げた。
ウルフはフリットから視線を逸らし、無情にも彼女の中から出ていく。自分の手の慰めで白濁をシーツに吐き出した。信じられないどころが、彼が何をしているのかフリットには判らなかった。

「ウルフ、なんで」

幼い口振りと言い回しにウルフは顔を顰める。喉から言葉が出かかっているが、黙り込む。何も言わずにフリットの両手を一つに纏めて精液塗れの手で押さえ付けた。
胸に顔を埋め、乳房の先端を歯を立てながら強く吸い込み、反対側は指で強く挟んだ。快感と痛みは紙一重と言うが、ここまでやれば痛みが勝る。しかし、それでも僅かに感じている素振りのフリットにウルフは牙を立てた。

「痛、」

酷く歪んだ眉と臭いから絶頂感を遠ざけたことが判る。ウルフは自身の硬度を再び高め、先端をフリットの膣口に当てた。少しだけ腰を前に進ませて、止めた。

「ぃや、そこ」

奥の方が切なくて堪らないのだと、フリットは足をぎゅっと縮め、ウルフの腰に足を絡ませようとした。だが、ウルフが片手の肘と掌を使って密着を拒む。
隙あらば引っ付きたがるフリットの行動にウルフは縛った方が良いかもしれないと、後のことを考える。
無茶苦茶に抱いてしまいたかったが、それも出来ず、ウルフはただ、フリットの意思と反する抱き方をし続けた。

ウルフの意図が見えず、フリットは掻き毟りたくなるような疼きに戸惑う。まだ腰を引いてくれた方が良かった。動いてくれれば身体は其方に引かれるがままに快感を得る。けれど、動いてくれなければ生殺しと同じだった。

「もっと……もっと、ください」

もう耐えられない。イきそうでイけない所をずっと延々と繰り返している。待っているだけならまだ耐えられた。けれど、近くに、傍に、いるのに。

敬語を使われたことにウルフが一瞬動きを止める。

「一回だけで、良、ぃから」

気が狂いそうだった。徐々にゆっくりと熱を温めていくわけでなく、急に沸騰寸前まで追い詰めるのにそれ以上の高まりへは進まない。
何度も何度も絶頂の先が目では見えているのに、届かない。

ようやく動いてはくれても、決定的な快感が得られないまま、フリットは揺さぶられていた。もうどうしたら良いのか判らなくて、意識が薄れる。

「ッ、……ぐ」
「ウルフ?」

苦痛の声が聞こえてフリットは意識を戻す。彼は左脇を押さえていた。怪我をした場所であることにフリットが青冷める。

「これ以上は、やめろ。もう」

自分はイけないままで構わない。だからと、フリットはウルフへと手を伸ばした。けれど、それは届かないままに終わり、行為が続いた。

「やめて、くれ」

何度言葉を掛けても一切口を開かず、黙ったままのウルフにフリットもいつの間にか言葉を口にしなくなった。
もどかしく、藻掻きたい熱の出口が判らないまま、時間だけが過ぎていった。





意識を飛ばしていたフリットは自分が気絶していたことをぼんやりとだが認識しつつ、背を起こす。自分の姿を見下ろせば、裸体に引き裂かれた衣服が絡みついている。

「ボロボロだな」

声も渇いていた。
今までで一番酷い抱き方だった。それでも、フリットは厭ではなかった。一つだけ、ウルフの怪我の具合だけは気掛かりだ。

のそりと身体を何とか起こし、フリットは視線で探す。床に携帯端末が落ちていたが、ヒビが入っている。使えないと判った途端、フリットは嘆息を呑み込んで肩で吐息とした。
自分が今、どんな顔をしているのか理解しかねた。気持ちとしては自嘲しているのだが、そんな顔が出来ている自信がない。

呼吸をしてフリットは自分の喉に手をあてる。水が欲しかった。
立ち上がり、簡素な台所まで力の入らない足で数分掛けて辿り着く。蛇口を捻る。水は出なかった。
電気も点かない部屋だ。当てが外れる以前の問題だったとフリットが肩を落とせば、太ももに流れ落ちるものがあった。ウルフの感覚に打ち震え、フリットは小さな喘ぎを零す。自分には覚えがない。つまり、此方が気を失っている間に中に出されたものだ。

我慢出来ず、片手を足の間に這わせる。つぷりと入れてからはもう一心不乱に掻き回し続けた。だんだんと息が熱くなってきて、もう片方の手では口元を押さえる。この間、スキモノと言われたことを思い出し、否定出来ないと目を横に流す。
伝えるべきことをウルフに言わなければならないのに、フリットは何も言わずに一夜を無駄にした。言うべき言葉が出てこなかったのだ。だから、ウルフの姿が見えない今、言葉を考えるべきだった。
なのに、思考を放棄するようなことをしている。

後ろめたさばかりが積み重なる。

「ん、ウルフ。んぅ」

きゅううっと内側が締まり、フリットは指を引き抜いた。
余韻に浸っていると、部屋の出入り口である扉が開く音がした。おそらく、ウルフだろう。何をしていたか知られるのは不味いとフリットは背を伸ばす。

姿を見せたのは案の定ウルフだった。しかし、彼はフリットが蛇口の前に立っていることに驚いた顔をする。それから自分が入ってきた扉を振り返る。
空き部屋はロック出来ないのだ。フリットが起きて立ち上がれるほどなら、何時でも外に出られる。
けれど、視線をフリットに戻せばきょとんと首を傾げられた。ウルフは苦渋を顔にする。

ウルフはフリットの手首を掴んで引っ張る。すれば、フリットが足をもつれさせて床にへたり込んだ。一瞬驚く。
焦っている様子のフリットに構わず、ウルフは彼女の腰を持ち上げる。抱えながらベッドに下ろした。
隣に腰掛けながらウルフは入手してきたペットボトルの蓋を捻り、開けたものをフリットに手渡した。受け取ったフリットは水を喉に流す。

一息吐いた頃合いを見計らって、ウルフはフリットの身体に触れた。自分の方を向くフリットの瞳を覗き込む。
あんな抱き方をしたことを後悔するかしないかは、フリットの言い分を聞いてからだとウルフの目は語っていた。

ペットボトルを持つ手に力を入れたフリットは口を閉ざし続けた。しまいにはウルフから視線を外してしまう。
フリットならば誠意を持って受け答えてくれるものと信じていたウルフは彼女の手からペットボトルを奪う。
押し倒されたフリットが何か表情にする前に、ウルフは上からペットボトルの水を彼女の口に注ぐ。

「飲めよ」

苦しそうな彼の声色が聞こえて、フリットは口を開いた。飲もうとするが、適当に水をぶちまけられていて鼻に入ってきた。

「ぐ、ごほっ、げ」

異物を吐き出そうと身体が藻掻く。
空になったペットボトルを投げ捨て、ウルフはまだ咳き込んでいるフリットの衣服を完全に剥ぎ取る。

丸裸にされたと思った頃にはウルフの指が割り開いた足の間にあった。上下に擦ればびちゃびちゃと音が鳴る。フリットの息が詰まる。

「自分で弄っただろ」
「ゃ、あ」

首を横に振らないので肯定だ。このあたりは律儀なくせにとウルフは指を奥に差し込んだ。
指で味わいながらも、顔を顰める。

こんなことはしたくないと、ウルフの表情を見れば判った。伝わるままに、フリットも表情を下げる。お互いにこんなのは間違っていると理解出来ているのに、止めることは出来なかった。

「理由ぐらいあるだろ。抵抗しろ、フリット」

理由があっても、訂正は何一つない。だから、フリットはウルフが望むような抵抗を一切しなかった。
もう決めたことだ。ウルフに何を言われても、自分の決意が揺らぐことはない。
それなら、せめて。

「これが………、最後だ」

もう戻れない。
断言したフリットの言葉を耳に、ウルフから表情が消えた。

暗闇に目は慣れていたが、自分の手足が何で縛られているのかフリットは把握出来なかった。ベッド上で大の字にさせられているのは判り、人には見せられない恰好であることだけは把握出来、胸をざわつかせる。困惑はあるが、抵抗しなかった。この後に何が待ち受けようとも―――。

彼女の尻に手を這わせたウルフはその窄みに指で触れ、感触を察したフリットは強く目を瞑った。







目覚めると、白い天井が目に入った。消毒液の匂いが広がる部屋は医務室だ。
横から人影が見え、フリットは目を細める。前にもこんなことがあった。

「一週間」
「はずれ。たったの一日よ」

けれど。

「五日間ずっと探し回ったけどね」

呆れた口調だったが、その顔には本当に心配だったのだと現われており、フリットはエミリーに頭を下げる。

「ごめん。それで、ウルフは」

背を起こし、すぐさま彼の名を出してきたフリットにエミリーは益々表情を下げる。見直したりもしていたが、彼は大人になりきれていない。そう思うし、フリットだって少なからずそう感じているはずなのに。
それほどまでなのだと、何とか苦笑に変える。

「独房で反省中」
「ッ、誰がそんな指示を」
「ウルフ君が自分から言い出したのよ」

それを聞いたフリットが困惑を露わにする。

「私達だって止めたわ。フリットの意識が戻ってから事情を聞かないと判断は出来ないって。けど、どうしてもって聞かなかったのよ」

フリットの次に決定権を持っているのはミレースだ。彼女もエミリー同様にウルフを引き留めたが、他の者達からは独房に入れるよう声があがった。
作戦も佳境に入っている段階だ。艦内に疑心暗鬼を広めるわけにはいかず、ウルフの申し出も強くあることから避けられなかった。ミレースも指示を出すしかなかったのだ。

ベッドから降りて立ち上がったフリットは目眩を起こすが意地で立ち、医務室から出て行こうとした。咄嗟にエミリーが押さえつける。

「駄目よ。安静にしてて」

今のフリットの力ではエミリーを剥がすことは叶わないのに、彼女はベッドに戻ろうとしなかった。

「彼もだったけどフリットも栄養失調で貧血を起こしてる。ちゃんとウルフ君には会わせてあげるから、少し待って」

早口に捲し立てるエミリーの瞳には焦りと悲痛が混じっていた。フリットは青色のそれに気付くと身体に力を入れることをやめた。

大人しくベッドに戻ってくれたフリットにエミリーは安堵する。
新しい点滴と取り替える幼馴染みの様子を静かに見送っていたフリットは迷惑ばかり掛けていることを苦く思い、シーツを強く握った。

「ごめ、ん」

点滴を取り替え終えたエミリーはそんなに謝らなくてもとフリットへと視線を向け、強く握り込まれた手に遅れて気付く。その手に、自分の手をそっと上から重ねた。
柔らかな感触にフリットはエミリーと目を合わす。

「ねえ、フリットは何を背負おうとしていたの?」
「エミリー?」

疑問の表情だが、フリットの内情はぎくりと固まる。周囲には殆どまだ話せていない事情があって。

「ウルフ君が何の理由もなくフリットを拘束しただなんて信じられる話じゃないもの。彼が、フリットの昔の話を私やディケから聞いて何て言ったか想像出来る?」

瞬いたフリットは想像出来なくて自信なく顔を横に振った。その様子にエミリーは眉を下げる。ここをお互いに気付けていたのなら、こんなことにはなっていなかったはずだ。

「背負いすぎだって言ったの。ひとりの人間が耐えられる重さじゃないって」
「そんなことは」
「ないってフリットなら言うでしょ?でもね、私もはっとした。思い出したよ、フリットは普通の子だって」

昔は散々そう言ってきた。フリットは普通の子だ。モビルスーツに乗って戦えるような子じゃない。
けれど、状況はそれを許さなかった。自分だけはフリットを特別扱いしないと誓ってきたし忘れもしなかったのに。背負っている数も重さも普通ではないと気付いてあげられなかった。それが悔しくて、気付いていたウルフが羨ましかった。

「フリットはただウルフ君を受け入れているだけ。彼の本当の気持ちにも気付いてあげないときっと後悔するわよ」

羨ましくても、邪魔はしたくない。それに、ウルフといる時のフリットのことも好きなのだ。良かったと思うことが多くて、続いて欲しいと願っているのも本心。

「教えて。フリットは何をしようとしたの?何を背負おうとしたの?」

真っ直ぐに問い質すエミリーに言葉は濁せなかった。ウルフの本当の気持ちとは何だろうかと考えながら、フリットはエミリーからの問い掛けに口を開いた。

「この作戦が無事に完遂したら」

一度言葉を区切る。ウルフの辛そうな顔が浮かんだ。

「全ての責任を取って贖罪するつもりだ」

聞き終えたエミリーは表情を変えなかった。悲しくて、とても辛い感情が自分の中にあるけれど。こんな感情をウルフも抱いたのだろう。彼の無茶苦茶な行動にようやく理解を示せた。

「それって、昔のグルーデックさんみたいに軍法会議での有罪を一人で背負うってことよね」

声色のないエミリーにフリットは頷き返した。怒られるだろうとは思っていた。だから、フリットは身構えたが、ふわりと包む感触に俄に驚く。

抱きしめられていた。頭を包み込まれるような感じで。
母親とはこんな温かさだったのだろうかとフリットは泣きそうになる。けれど、泪を溜めていたのはエミリーの方だった。
ゆっくりと抱擁を解いたエミリーは真剣な表情でフリットを見つめた。

「もう決めたことなんでしょ?」
「決めてた」
「いつから?」
「いつだろう」

此処までの確信と決意ではなかったが、ウルフを好きになると決めたころから予感は持っていた。幸せになれる未来があるかもしれないと思えるだけで自分には充分だと思っていたのだ。実現しなくても、ほんの少しだけ夢が視られるなら。

ゼハートとフラムを養子にしたいと考えていたのも夢の一つだけれど、手続きはエミリーにお願いしようと必要なものは揃えていた。
ウルフの両親に挨拶に行きたい気持ちも本当だ。嘘だったわけでは決してないのに、期待をさせたこと全て、ウルフを傷つける結果となった。

ラクトとの口論やグルーデックと再会しての密談中に割って入ってきたウルフのタイミングを思い出せば、此方が背負いすぎであると懸念していた彼の想いに繋がる。
わざとやっていると気付いていたのに、ウルフの気持ちに気付いていなかった。それにようやく気付かされて、フリットは表情を下げていく。
彼は優しいと感じていたが、優しさの本質にも気付けていなかったのだ、自分は。

会いたい。会いたいけれど、こんな自分が会いに行ってもいいのだろうか。会ってはいけない。そう思えてならない。

一人にしてあげようと、エミリーはカーテンを少し開いて出ようとする。けれど、目前にある男性の姿に動きを止める。

「グルーデックさん」
「フリットと話しても良いか?」
「でも、今は」
「すまないが、お前達の会話も聞いていた。おそらく、二人にも朗報になるはずだ」

エミリーは不思議そうな顔だったが、頷き返してグルーデックをカーテンの内側に招き入れる。フリットにも二人の会話は届いていた。グルーデックの姿に驚くことなく、彼を見上げた。

「フリット」
「はい」
「単刀直入に言う。お前が贖罪する必要はない」

目を瞠るフリットの様子にグルーデックは続ける。

「分遣隊の派遣艦に追われている気配がないとグアバランから聞いてな、明らかに不自然だと感じて私のルートを使って調べさせてもらった」

グルーデックが差し出した電子パレットを受け取ったフリットは画面に視線を落とす。

「それに加え、立ち寄るコロニーの連邦基地に潜り込んで得た情報と報告では我々が叛逆を犯していると認知もされていないそうだな」
「そう、です」

顔を上げたフリットの訝しげな声色に案ずるなとグルーデックは珍しく微笑む。

「お前が思っている以上に、お前の賛同者は多いということだ。良かったな、フリット」

ことりと首を傾げるフリットはグルーデックを見つめ、次にエミリーを見つめ、電子パレットの各連邦基地からの援護出動希望の声を見つめる。

極秘裏に動いているとはいえ、上層部が何の動きも感知していないわけがない。黙認されていたのだ。
一部の者はグルーデックを始末するために泳がせていた目論みはあるにせよ、確実な好機が此方にはあった。

グルーデックは水面下で動いている黒幕の暴露と今作戦について各連邦基地の司令官に協力を願えないか要請を出していた。自分の名前を使うわけにはいかず、フリットの名前を使わせてもらったが、思った以上の反応が返ってきた。全てが良い返事ではなかったが、圧倒的に協力を惜しまない声が多かった。

頭の回転は速いはずなのに意外と事態を飲み込めていないフリットの様子にもう一度「良かったな」と言ってグルーデックは医務室を後にした。
そのまま通路から去ろうとしたが、追いかけて来たエミリーの声に振り返る。駆け寄ってきたエミリーは胸に握り手を持って行く。

「待ってください。あの、有り難う御座います!」
「エミリーから礼を言ってもらえるとはな。長生きはするものだ」

無駄口をたたかない人だと思っていたが、本当はこういう一面も多い人だったのかもしれない。エミリーは過去の自分に反省を促す。
自分はあの頃、最後の最後までグルーデックという男を信用しきれずにいた。フリットを戦いの場から離れられないようにした張本人だったから。

良い感情を向けられていないことをグルーデックだって知っていただろう。だから困惑の入った微笑みを浮かべている。
似ている人のことを思い、この人も不器用だったのだとエミリーは受け止めた。
ほっと吐息したエミリーは肩の力を抜いた。

「それにしても、あんなにフリットを支持してくれる人達がいたなんて私も知りませんでした」
「あ。ああ、それなんだがな」

何やら言いにくそうに口を開いたグルーデックにエミリーは何だろう?と首を捻る。

「どうやら、フリットとあの青年のことを面白がっている者が多いようだ」

つまり出歯亀だった。
エミリーはあちゃーという顔を晒したが、まあいいかと持ち直す。行動理由としては下賤が垣間見える。けれど、協力してもらう上で必要になるのは相手の興味を引くことだ。スキャンダルが理由では当人も複雑だろうが。
フリットの前で言わなかったのはグルーデックの良心だったわけだ。

「それでも、良かったと思えます」

理由が何であれフリットが犠牲になる必要はなくなったのだ。安堵に微笑みを重ねているエミリーの表情と仕草にグルーデックは視線を流した。亡くなった妻のことを何故か思い出して。





苦い顔をしているアセムを振り返り、アリーサはどうしたもんかなと前髪を弄る。先程まで独房にいるウルフと顔を合わせてきたのだ。顔を合わせると言っても、簡易ベッドから動こうとしないウルフを此方は扉の隙間から覗いていただけなのだが。
ウルフの様子や態度に沈んでいる節は全く見受けられなかった。いつも通りに気軽な感じで笑ってもいた。

それが気に入らないのだろうなとアリーサは思っていた。
やっぱりどうしたもんかと頭を捻っていたアリーサだが、急にアセムが立ち止まって彼の背中にぶつかってしまう。

「おう、ごめん」
「ごめん、アリーサ。先に行っててくれ。ゼハート達のこと頼む」

ごめんが被って、アセムは元来た道を駆け戻って行った。彼の背中に「待てよ!」と制止の声を飛ばしたものの効果はなかった。
背中を見送ってしまったアリーサは頭を掻きつつも、ゼハートとフラムと待っているであろうロマリーのところへ足を向けた。

独房の入り口が見えたところでアセムはフレデリックが入って行く姿を視認する。
足の速度を緩めてアセムは閉じられた入り口前で立ち尽くす。フレデリックの要件が済むまで待っているべきだろうか。手を持ち上げた姿勢のままアセムは迷う。

一番奥の独房の個室を一つ覗いたフレデリックは口を下に曲げる。中にいるウルフはベッド上であぐらをかいた姿勢でアリーサが持ってきた食事に手を付けていた。

「反省している者の態度とは思えませんね」
「野次るだけならどっか行けよ。飯が不味くなる」

更に表情を歪めたフレデリックはウルフを理解しがたい男だと思っていたが、本当に理解出来なかった。
一度は手を組み、能力は信頼出来る男だと認めていたというのに。向こうも此方を認めてくれている節を感じていたからこそ、ウルフとフリットのことを黙認すると自分の気持ちと決着をつけていたフレデリックはやるせなさから憤懣を抱く。

媚薬を飲まされた件については釈明の余地があった。だが、監禁だけは許せるはずもない。こんな気持ちは最初の時以来だ。

「貴方は何も変わっていない。司令を無理矢理に強姦した時から何も!」

叫んでいる最中に独房の入り口が横に開き、通路からの明かりがフレデリックの右半身を照らした。
咄嗟に振り返ったフレデリックはそこにアセムがいたことに驚きを隠せなかった。補佐官の表情を檻の中から横目に確認したウルフはアセムだろうなと確信を持つ。

「強姦って、何ですか」
「何でもありませんよ」
「二度も誤魔化さないでください」

ぐっと詰まったフレデリックに視線はやらず、アセムは奥にいるウルフを睨み付ける。その眇は母親に似たものではなく、どこか獣臭かった。
食事の手を止めてウルフは肩を竦める。後ろめたさを感じていないその態度にアセムは困惑をしながらも睨み続けた。

「母さんに何をしたんですか」
「そいつが言った通り強姦しただけだろ」
「だけって何だよ、そんな言い方!どうして母さんはこんなっ」

こんな男と結婚すると言い出したのか何もかもが判らず、理解に苦しむ。この男も判らなければ、母親のことも判らなかった。
初めて好きだと告白されたからだと母親は打ち明けてくれたが、こんな話は一切聞いていない。

先日、フレデリックが何か言葉を濁していたように感じ取っていたアセムは不穏と不安をあれ以来持っていた。それが明確になったことで怒りへと変わる。

「男の趣味が悪いってんなら、フリットにも言っておけ」

此方はこんなにも激情しているというのに、ウルフは何処吹く風とばかりにあっけらかんとした口調だった。

「そうだよ。俺の命の恩人だって話も勘違いだし、挙げ句の果てに強姦なんて人としても最低じゃないか!」

吠えたアセムはウルフが何か言い返してくるものとばかりに拳を握り込んで待っていた。震えながら待っていたというのにウルフは無言を返してきた。
肩にフレデリックの手が乗せられて慰められるが、アセムはそれを振り払って独房の外へと駆けだしていった。

「命の恩人は本当のことではありませんか」

ウルフへと言葉を向けたフレデリックはアセムを直ぐさま追いかけた。しかし、ウルフはアセムとフレデリックが「命の恩人」と口にした事柄について思い当たる節がなかった。
彼はまだ過去にフリットと会ったことと彼女が自分の初恋だったということまでしか知っていない。自分と会ったことでフリットが妊っていた赤子を、アセムを産む決意をしたことを知らずにいた。

アセムに追いつき、その肩をフレデリックは必死に引き止めた。

「待ちなさい!君は一つ勘違いしているッ」
「勘違いって何を」
「彼が君の命の恩人だというのは本当の話だ」
「っ、それ、は、だって違うって隊長が」
「記憶が行き違ってしまっただけだ。司令が君を産もうと決断した切っ掛けは中尉で間違いない」

別に応援しているわけでもなく、むしろ敵と言っても過言ではない男を庇うような言い方をしている自身にフレデリックはおかしくなる。けれど、決して困惑はしていない。正しいことをアセムに伝えるべきだと思うからだ。

それに。自分が怒っている時には気付けなかったが、アセムの激情に対峙しているウルフを客観的に観察することで何か引っ掛かりを覚えた。あの男が、フリットを遠ざけるために、彼女から嫌われるように仕組もうとしているのを感じたのだ。
以前の強姦のようなケースならフリット一人が許してしまえばそれで解決してしまう。だが、監禁という手段を取れば周囲からの反感は何かしら出てくる。

そうすれば物理的に二人は引き剥がされる。
後は感情だけということだ。それについては監禁中に何か仕組んだのだろうか。それが成功しているよりも失敗していた方が良いと思う分には自分はまだまだ善人だ。

「隊長の肩を持つんですか?」

アセムはフレデリックがウルフのことを良くは思っていないと感じていた。フォックスがフリットに向けているものと同じ類だと。
見抜かれていることをフレデリックは驚くことなく受け止める。

「君が何を指摘したいのかは分かる。だが、私にも信念がある」

確かにウルフは許されざることをしただろう。だが、全てが間違っていただろうか。それについての判断はまだ綿密に精査しなければならない。
だから、これから言うのはアセムが間違った認識をしていることへの訂正だ。

「私は、正しいことの味方だ」
「正しい、こと」
「そうだ。だからこそ、君にも正しくあってほしい」

フリットという正しくある人に惹かれた自分が彼女の息子に伝えられるものがあるのならば、伝わって欲しいと思った。

「でも、何が正しいかなんて分かるはずない」
「感情の話と限らないでもらいたい。私は今、君と事実についての話をしているんだ」
「事実?」
「君はまだ、中尉が自分の恩人だと認めていないだろう」
「それは」

歯を食いしばるアセムの納得しきれぬ態度をフレデリックは目を細めて見つめた。
これ以上は自分が誘導すべきことではなく、アセム自身が内なる自分と向き合って答えを出すべきだと。

フレデリックだけが独房に再び足を向け、アセムは一人通路を進んでいた。母親はまだ意識がないかもしれないが、会って確かめたかった。
医務室の扉を潜れば、エミリーの姿が最初に目に入った。

「フリットなら起きてるわよ」

嬉しそうに微笑んでいるエミリーに毒気を抜かれ、アセムはほっとする。昔からエミリーは相手を安心させることに長けていた。きっと、彼女にとっては普通にしているだけのことなのだろうけど。

医務室に並ぶ医療ベッドは他にも患者が何人か寝ているが、一つだけカーテンが閉められている。その近くに寄ってアセムは声を掛けた。

「母さん、少し聞いてもらいたいことがあるんだ」
「入ってきなさい」

カーテンを開いた隙間からアセムは身体を差し入れる。座りなさいと椅子を勧められるままにアセムはベッドの傍らにある丸椅子に位置を落ち着ける。
フリットは寝たきりではなく、最初から背を起こした状態だった。角度を変えられるベッドシートを使うことなく、だ。

点滴が痛々しくあるが、個室でもないところを見るに身体的にはそれほど堪えていない様子だった。
回復が早いと感じつつも、アセムの心配は消えていない。監禁されているフリットを見つけて救助したのはアセムとゼハートだったのだから。

酷い惨状だった。室内のベッド周りには縄やベルトが散乱しており、フリットの手や足にはそれらが巻かれていただろう痕が赤く残っていた。今もうっすらと手首から赤みが覗いている。
見つけた時にはそれらを使われておらず、ベッドの上に疲れ切って事切れたのではないかと思うほど息の細い呼吸で母親は倒れていた。素肌には白いジャケットが掛けられて。

アセムはゼハートと共にフリットを部屋から連れ出そうと彼女の身体を起こしたが、そこへ外に水分を取りに行っていたウルフが戻ってきた。その時の動作はゼハートが一番素早く、ウルフの両手を後ろ手に拘束した。ウルフから抵抗する素振りは一切無かった。

背を起こされて微かに目覚めた母親を支えながら、アセムは信じられないものを見た。ゼハートによって外に連れ出されるウルフの背中に待ってと手を伸ばしたのだ。声が出ないほど疲弊していて言葉になっていなかったが、母親は確かに口をこう動かしていた。

行かないで。

そして自分の腕の中で意識を失った。こんなに追い込まれる状況にされておきながら、ウルフを求める自分の母親が信じられなかった。ウルフから話を聞けば何か分かるだろうかとアリーサを通してディケに独房室の扉を開くカードキーを貸してもらったりもしたが、判らず終いだ。フレデリックも何を考えているのか判らない。
誰のことも判らなくなっていた。

「まず先に私が礼を言うべきだな。有り難う、アセム」

何から言えばいいのか言葉を探していると、フリットが先にそう口を開いた。家族に対して有り難うというのは気恥ずかしいものがあるが、自分の母親は的確な言葉を選択する。だから、アセムは表情を下げた。

「助かったじゃ、ないんだ」
「不満か。……不満だろうな」

一度問い掛けておきながらフリットはそうだと腑に落とす。自分は助け出してくれて有り難うと言ったわけではない。アセムが正しいことをしたから有り難うと言ったのだ。

表情に陰を落としているフリットから反省の色が見えた。間違っていたのは自分の方だ。あの状態を甘受し続けた。自力でウルフを止める術くらい幾らでもあったというのに。
もう、これでお終いだと思ったら、何も出来なくなってしまったのだ。情けないにも程がある。守らなければならない息子に醜態を晒した後悔が陰を濃くしていく。

母らしくなく沈んだ様子にアセムは困惑する。

「聞いてもらいたいって言うか、母さんから聞いておきたいことがあるんだ」

沈黙が続く中、困惑顔のままアセムは自分から言葉を開いた。

「母さんが前に言ってた隊長があの時の迷子だったって話は、勘違いじゃなくて本当のこと?」

静かに頷き返し、フリットは本当だと肯定する。それだけではアセムは納得まで行かない様子で、呼吸を三度落ち着けてからフリットは面を上げる。

「あいつはあまり覚えていないようだがな。街に下りた時があっただろ。その時に本人がご両親と連絡を取って、記憶の確認をしている。間違いなく、私が会った迷子の少年はウルフだ」

表情から陰がなくなって温かな緩みがあったが、どこか悲しさの混じる瞳の揺れがアセムからは見えていた。
懸念が消えたとはいえ、今後何もかも元通りになるとは思えなかった。フリットはウルフと交わした彼の両親に会いに行く願いは叶うことない夢だったと、諦めに入っていたのだから。

「そっか。じゃあ、やっぱり俺は隊長のことより母さんのことが分からないよ」
「アセム?」

椅子から立ち上がったアセムをフリットは見上げる形になる。
自分と同じ色の瞳を見つめ、揺れ濡れているのを反射する。母親は強い人と思っていた。けれど、そうじゃない。強すぎる人だった。不自然なほどに。
人はそこまで強くなくていいはずだ。助け合える生き物なのだから。

周りにはたくさんの人がいるのに、母親は一人で立っていた。助ける前に自立出来てしまう人。そう認識されていただろう。誰もが。
そうであったのに、無理をしているとウルフだけが気付いていた。フリット本人でさえ無自覚であった負荷に。
辻褄の部分が見えていないが、ウルフがフリットを監禁したのはどうにかしてあげたいと考えての行動であったのではないかとアセムは察する。

「そんなに好きなら、ずっと一緒にいればいいじゃないか」
「――っ、無理だ。そんなのは」

簡単な話ではない。互いの関係性は複雑化して消えかけている。修復しようにも、こんな想いを抱いたのは初めてで、正しい解決方法が判らなかった。

「会いたいんじゃないの?」
「………」
「会いたくないの?」
「……会いたい」

アセムが言い方を変えれば、フリットは自分の気持ちを口にした。けれど、すぐに顔を横に振った。会えないからと。

「隊長は母さんのこと好きだよ。それは母さんが一番良く知ってるじゃないか」

フリットはシーツを握り込み、手元に布皺を作る。くしゃりと歪む布の形を見下ろしたアセムは俯いている母親へと視線を移す。

感情だけで動いて良い世の中ではない。何事も冷静に俯瞰して見つめ、推敲を重ね、選択肢の中から的確なものをより確実的にする。そうしなければ、失敗してしまう。何度も失敗してきたフリットの経験論だった。
それに自分自身が反発してはならない。

「昔から思ってたけど、母さんは考えすぎてる」

横目で此方に視線をやったフリットと目が合い、アセムは眉を立てた。母親に言うべき言葉ではないと頭では理解しながらも、言わずにはいられなかった。

「臆病者!」

反射的に顔を上げたフリットはアセムを睨み付けた。ウルフ相手には良く見せる顔だ。それを息子に向けてしまったことにフリットは慌てて視線を落とす。それから、ゆっくりとアセムを窺う。

表情の弱いフリットを前に、アセムは母親に頼りすぎていたのだと、自分のことを振り返っていた。女手一つで子供を二人育てる苦労を知らないわけではなかったけれど、それがどれ程のものか想像はしていなかったから。

フリットは子供の頃に家族を全て失っている。その時から頼り方を忘れてしまっていた。自分が頼られる存在にならないといけない。と、アセムとユノアを授かってからより強く思うようになっていたのだ。

母親の今までの人生はアセムにとって途方もなく感じられるものだった。だから、ようやく頼れる相手が現われたことは内心嬉しかったのだ。
ウルフの人となりに戸惑いはあっても、母親から結婚したい相手が出来たと打ち明けられた時はほっとした。寂しさの感情のほうが大きかったけれど、それも本心だった。

「今更、どう取り繕えと言うんだ」
「取り繕う必要、ないと思うけど」

アセムは極力視界に入れないようにしていた白いジャケットを手に取る。丁寧に畳まれたそれはベッド横のテーブルの上に置いてあったものだ。
ウルフのジャケットを膝の上に置かれ、フリットはアセムを見上げた。

「隊長のこと看病したりたくさん甘えさせてたんだから、母さんも隊長に甘えさせてもらえばいいよ」

息子の言葉を耳にしたフリットは目を丸くしていく。甘えるなど冗談ではないと反論の口を開くが、ウルフに甘えてもらいたいと言われたことを思い出してぱくぱくと開いたり閉じたりするだけになってしまった。頬に熱が溜まっていくばかりだ。

シーツごとウルフのジャケットを抱き寄せ、そこに顔を埋めるフリットの耳は真っ赤だった。
甘えることには慣れていないから、見栄を張ってこの間の時は激しい方が良いと言ってしまっていた。嘘ではないけれど、本当はもっと――。

今の母親の恥じらい方は情事を匂わすもの以上に目のやり場に困ってアセムは横を向く。純粋なものほどむず痒い。自分はまだ親でもないのに、嫁ぐ娘を見る父親の気分だった。

そそくさとカーテンの向こうに出て行ったアセムの気配はもう近くになく、フリットはゆっくりと顔を上げる。
火照ったままの両頬を掌で包み、膝上のジャケットをじっと見つめて、熱の上昇を肌で感じた。

外に出てきてしまってからアセムはもう一つ訊くのを忘れたとカーテンを振り返るが、戻りにくいので止めた。かなり訊きづらいことでもあるし、暫く胸に仕舞っておくことにした。強姦されたかどうかなんて訊くに訊けないではないか。







フリットは独房室の前にいた。あれから三日経ち、エミリーからウルフに会いに行っても良いと医務室を追い出されるような形で出てきた。
手の中にはウルフの白いジャケットがある。その上に白銀に光る小さな輪っかが二つ。

意を決してフリットは足を進めた。複数ある独房部屋を一つ一つ覗き、最後になった奥の部屋に人の気配があった。

ウルフ。と、呼ぼうとして口を開いたが、声が出てこなかった。

ベッドに横たわるウルフの姿は小窓から見えている。ぎゅっと手の中のジャケットを抱きしめる。俯けば、布の擦れる音がフリットの耳に届く。顔を上げるよりも先にウルフの声が飛んできた。

「今更、どうかしましたか?」

部下として接してくるウルフの言葉にフリットは顔を上げ損なう。胸が、痛かった。ウルフはもう此方のことなど、いらないのではないかと。
けれど、昨日。医務室にまで来てフレデリックが言った。大丈夫です、と。だから、此処に来る最後の決心がついた。

眉を立て、フリットは顔を上げると白銀の輪っかを、指輪を一つ指で摘んだ。それを小窓の隙間から部屋に投げ入れる。
ころころと転がって、ベッドに腰掛け直した自分の足下にきたそれをウルフは苦い顔で見つめ落とす。

「いらないってか?」
「状況が変わった」

出来るだけ冷静に、フリットは言葉を発した。
フリットの発言を聞いたウルフは益々苦い顔になる。彼女から嫌われるように仕組んだことだが、本当にそうなるときついものがあった。

「すぐに結婚出来る」

は。とウルフは瞬く。フリットが別れを言いに来たと思っていたからだ。彼女の律儀な性格ならはっきりさせるだろうから。
しかし、思いも寄らなかったことを言われてウルフは困惑する。

「お前、責任取るって」
「責任は取るつもりだ。だが、そこまでしなくても良くなった。確証はまだないが、お前を待たせることにはならない」

それだけは予想の段階で確定している。グルーデックには感謝してもしきれないと、フリットは自分の方にある指輪を掌に、握る。大切に温める。

「私は、お前を。ウルフを愛している」

顔を見ては言えず、フリットは視線を落としていた。恥ずかしさと怖さが同時に胸を刺していた。
向こうからの返事がないことに怖さが募る。

信じられない思いを抱いてウルフは言葉が出なかった。今までで一番フリットを傷つけた自覚があったのだから当然だ。そうだ、当然、見損なわれて突き放すだろうと。
視線を何処に向ければ良いのか判らなくなっていたウルフの視界に、床に落ちている指輪が映り込む。それを拾い上げたウルフは違和感を得た。自分がフリットに渡したものではない。

「フリット」

呼ばれた声は間近で、フリットはハッと顔を上げた。内側の方の扉前にまでウルフが歩み寄ってきていた。
小窓から互いの顔がはっきりと見え、隙間に手を伸ばせば触れられる距離だった。

「指輪、お前も持ってんだろ」
「持っている」
「交換」

うぐっと、身体を引こうとしたが、フリットは留まった。私からの指輪は受け取ってもらえないのかと。握っている手を震わせ、持ち上げるが、なかなか差し出せなかった。
眉を下げているフリットの面持ちにウルフは真顔のまま。

「ほら、交換」

窓にある鉄柵の隙間から指で摘んだ指輪をウルフが差し出してきた。フリットはそれを受け取り。自分の持っていた指輪をウルフのその手に返した。
そして、その左手を引っ込めようとしたところ。

「待てよ。指、こっちに出せ」
「え?」
「早く」
「は、はいっ」

鉄柵の向こうにあるフリットの指の一つをウルフは摘んだ。薬指だ。
そこに返してもらった、自分がフリットに渡していた指輪を通した。

嵌められた指輪を見つめてフリットはきょとんとしていた。その顔と、先程慌てて「はい」と言っていたフリットの動向はウルフのツボをついた。

「ははっ」

いきなり笑い出されてフリットは益々混乱して首を傾げる。おろおろとしている様子にウルフは喉の震えを小さくして、自分の左手をフリットに差し出した。

「俺にもやってくれよ」
「あ」

前までの震えと違った。怖いのではなく、緊張だった。
誓いの、指輪の交換だとフリットも気付いたからだ。互いに渡した指輪を一度自分の手元に戻し合ったのは、正式な交換をするためだ。

泪が込み上げてきそうだったが、フリットは耐える。
自分がウルフに渡したかった指輪を、彼の薬指に通した。嵌められたそれを見つめ、ウルフは満足そうだった。
小窓に可能な限り顔を寄せる。

「俺もフリットのことすっげぇ愛してるぜ」
「ッ!」

もう気付いていた返事だったというのに、フリットは胸は急激に熱くなる。喉まで熱くて、呼吸が乱れる。
口元を指輪の光る手で押さえる。本当に泣いてしまいそうだった。
けれど、泣き顔を見せたくない意地があって堪えた。

解除キーのカードを取り出して、フリットは独房室の扉横にあるタッチパネルにそれを翳した。ジャッと、重い音がして扉が横に開いた。
遮る障害は、もう何もなかった。

「と」

扉が開くのとほぼ同時に、胸に飛び込んできたフリットをウルフは驚きを持って受け止める。それでも、しっかりと抱き留めていた。
ひっくと震え跳ねる肩を抱き寄せる。頭を下げてウルフはフリットの耳元に唇を近づける。

「お前が全部背負って贖罪する必要、なくなったって話は本当か?」
「ほんとう、だ」

声が震えてしまっていてフリットは上手く喋られなかった。けれど、ちゃんと伝える。

「実際、に。どうなるかは、その時にならないと、解らないが」

そこで一度息を吐き出しきったフリットはもぞりとウルフの腕の中で身動きして、彼の胸に手を当てて少し押す。密着しすぎていては顔が見えない。見上げればウルフと目が合う。

「私が奪われるヘマはしないと、言ったではないか」
「それ期待してんのか」

にやりとしたウルフからの眼差しにフリットは顎を引く。それから視線を横に流した。少々どころではなく、かなり夢を視すぎな発言だったと後悔する。
けれど、ウルフのその言葉を信じたくて堪らない。甘えていいのなら、甘えたい。

「いけないことか?」
「いいぜ。お前はもう名実共に俺のものだ」
「うるさい」

そこまで言われる筋合いはないとフリットはウルフの胸を強く押した。
連れない態度にウルフは息で笑う。こうでなくては、フリットらしくないというものだ。小生意気なところが可愛い。
そう思って見つめていれば、フリットは不服そうに此方へと視線を寄越してくる。それに対しては肩を竦め、ウルフはフリットが胸に抱いている物を指差す。

「それ」
「そうだった。お前に返さなくてはな」

忘れていたわけではないと、フリットは畳まれた白いジャケットを両手でウルフに差し出した。
前にもフリットからこのジャケットを返されたことがある。複雑な思いでウルフはジャケットを受け取って、そのまま袖を通した。
しっくりとくるウルフの姿にフリットは満たされる。

「似合っているぞ、一番」

今日は饒舌だな、とウルフはフリットの口振りを感想する。あまり軽口は言わないほうだ。機嫌が良いのだろう。

「フリット」
「ん?」
「お咎めなしか?」

納得いかないとしているウルフの表情にフリットは優しく苦笑を零した。罰を欲しているこれもあの時と同じだなと思い返して。
平手の一つでもしてくれと言いたげな彼の顔に縋られてもフリットには出来ない。体罰は昔から好まないのだ。そういう力の使い方をしたくない。

「咎める必要はない。ただ、その代わりと言ってはなんだが」

そこまで言って言葉を切ってから、そわそわとし出すフリットの匂いを嗅いだウルフはふぅんと胸の内に据える。此方がジャケットを着てしまったせいで言い出しにくくなっている様子だ。
ウルフはフリットの左手を取り、ダンスの誘いでもするかのように持ち上げる。唇を寄せて、指を舐めた。

「ゃ」

舌で舐められてフリットはびくりと身を震わせた。変な声が出てしまったと、反対の手指を口元に持って行く。
顔を赤らめているフリットは手を引っ込めようとはしていない。ウルフは指と指の隙間を割って、付け根に舌をねじ込むように舐める。
催促してくる舌遣いにフリットは眉を下げていく。ウルフは言わせようとしているのだ。

「ぁ………そんな、舐めたら」

股を開かされるように、開かれた指の間に舌が這わされる。思わず息が荒くなってしまい、フリットはもう堪えきれなかった。

「ゃぁ、もぅ―――なか、仲直りした、い」

セックスしたいなどとは口が裂けても言えず、フリットはガンダムのデータのことでウルフと仲違いのようなものをしてしまった時のことを思い出して咄嗟にそう口にした。今回も仲違いしていたのだ。だから、仲直りをしたいと濡れた目をウルフに向けた。

手を強く引かれ、一瞬にしてフリットはウルフに抱き込まれる。いきなりのことに驚いて面を上げたフリットはウルフの表情を見る前に唇を塞がれる。
性急に舌をねじ込んで深い交わりを強要してくる狼をフリットも求めた。手を伸ばして此方の頭を引き寄せようとするフリットの行動にウルフも強く彼女を引き寄せる。
荒い呼吸と唾液の混じり絡み合う音がひっきりなしに静寂な室内に響き渡る。

息の苦しそうなフリットを解放するも、彼女は「もっと」と口だけを動かした。声にはしていないが、しっかり聞き取ったウルフは喉を鳴らして再び口付けた。

もう二度と自分の腕の中には戻って来ないとウルフは背を向けたはずだった。けれど、フリットは此方の思惑以上にひたすら真っ直ぐに求めてくる。背を向けた此方を振り返らせるのではなく、前にまわって正面に向き合って。

完全に息の上がっているフリットから唇を引くが、尚も引いた分を寄せてこようとする彼女にウルフは喉で笑う。額をひっつけて聞くように行動を止める。
今までにないくらい頬を上気させているフリットは興奮している呼吸を落ち着かせる。ウルフに待ったをかけられるくらいだったことに今更気付いて、フリットは視線を横に投げる。自分らしく、なかったかもしれない。

「フリット」
「何だ」

呼ばれたので、出来る限りいつも通りの冷静な口調で静かに口を開き、ウルフへ視線を戻した。額は重ねたままだ。

「俺が一番になること、やっぱないよな」
「アセムもユノアもいるんだ。お前を優先は出来ない」
「子供は良いっての。それ以外」
「……今回のことを、言っているのか?」
「確証はまだないって言ってたよな。俺とのことより、自分の責任をお前は取るんだろ」
「当たり前だ。それが大人というものだろう」

フリットが正しいことを言っているのはウルフも頭で理解しているし、理屈が通っているのも判る。けれど、ずっと背負い込んできているのを知った。フリット自身はそれを当然のものとして全ての責任に真っ向から引き受けている。引き受け続けている。
少しくらいは頼ってもらえると思った。頼れる男である自負がウルフにはあったからだ。それでも、フリットは頼ることなく自分だけが背負うことを躊躇なく決断してしまった。
悔しくないはずがなかった。

「大人というものなんだがな」

眉を歪めそうになっていたウルフは落とされたフリットの言葉に歪みを解く。

「アセムに言われてしまった。私もウルフに甘えてこいと」

フリットの顔が見たくて、ウルフは額を離して彼女の表情をしっかり捉える。フリットも頷くようにしてからウルフと見つめ合う。

「私の頭が硬いのはお前も解っていることだろ。それを直すにはもう遅い。考えも変わらない。だが、私がウルフから離れる選択をした時、お前は奪われないように私を離さないでいてくれる」

一度、そこで言葉を途切る。今回は、ウルフが此方の決意を尊重してくれたことで起ったすれ違いだ。私のためを思ってくれていたことだと、フリットは指輪の嵌められた左手で胸を押さえる。
自分の考えを否定されるのは気にくわないが、ウルフの怒りはいつも優しかった。此方のことをちゃんと見てくれているからこその思いやりに、胸が熱くならないはずがない。

「ああ。奪われるヘマは絶対にしねぇ」

名実共に自分のものになったのだ。今回と同じようなことが起ったのなら、間違いなくフリットを離さない。

恥ずかしいことを言ったと自分の発言に億劫になっていたフリットだったが、ウルフの明言に勇気をもらう。同じ気持ちではないが、同じく強い意思だと。

「離さないでいてくれるなら、私はお前のその言葉に甘えたい」
「いいぜ。いくらでも甘えてこいよ」

絶対に離してやらないからとウルフはフリットを引き寄せる。すれば、フリットはウルフの肩口に頬をすり寄せる。

鼓動が跳ねているのに、気持ちは穏やかで安心していた。この男がこんなにも安らげる相手になるとはあの頃は思ってもみなかった。初めて告白された時のことを思い返しながらフリットは頬を緩める。

「指輪の交換したし、誓いのキスしようぜ」
「充分しただろ」

口付けなら先程散々したと反論したが、顎を持ち上げられて上を向かせられたフリットは目を閉じて降りてくるウルフの唇を待った。



通路側の独房室前に立ったまま動こうとしないアセムをロマリーが覗き込む。

「入らないの?」
「二人きりのほうが良いのかなって」
「しかし、心配だから来たんだろ?」

反対側からゼハートがアセムに問い掛ける。

「納得したいなら、確かめるべきではないの?」

言い方がきつかったかもとフラムは眉を下げたが、アセムはそんなフラムの様子に気にしてないと小さく顔を横に振る。フラムは目を丸くしてから、僅かに頬を染めて顔を背けた。

「確かにフラムの言う通りだよな」
「うん。少しだけ様子見て来たらいいよ」

大丈夫そうなら直ぐに戻ってこればいいだけだよとロマリーからの後押しにアセムは中に入る決意をした。
アセムを先頭に四人が独房室に足を踏み入れ、一番奥の個室に真っ直ぐ向かう。これといって物音がしない空気にもしかしたら二人とも出て行った後かもしれないとアセムは緊張を解こうとした。

けれど、一番奥の独房扉が開いたままであることに気付くと、僅かに床に映る人影も目視出来た。様子を見るだけと、扉の横で足を止めてそっと室内を覗いた。
ババッと顔を戻したアセムにゼハートが首を傾げたが、室内から聞こえてきたくぐもった声と音に固まる。その後ろのロマリーとフラムも硬直して顔を赤らめている。



舌を絡め合い、くちゅと音を漏れさせながら食み合っていた。

「ん、ぁ」

けれど、不意にフリットが不必要な身動きをして唇を下げる。
後ろを気にしだしたフリットの手首をウルフは掴む。

「誰か、いないか?」

人の気配を感じ取ったフリットは開いたままの扉を振り返る。手首を掴んでいるウルフの手をやんわりと剥がしてフリットは扉のほうに向かう。
部屋の通路に顔を出したが誰もいなかった。他の個室扉が並ぶ独房室を見渡す。来る時に全ての部屋を確認したから誰もいないはずだが、見落としていたのではないかとフリットは通路に出ようとした。しかし、背後から抱き込まれる。

「ウルフ?」
「仲直りするんじゃなかったのか?」
「いや。しかし、誰か」
「俺しか収容されてないぜ」
「そのはずなんだが」
「なら、いいだろ?」

耳元に唇を寄せてきたウルフが低く甘く囁いてきてフリットは頬を染める。自分もその気だったのだから誘惑は強い。

「けれど」

頑なにフリットは外の様子を見に行こうとする。それをウルフもまた頑なに許そうとしない。

「もう離さないって言ったばかりだ」
「う」

そう言われてしまうと弱い。フリットは力を抜いた。



危なかった。 アセム達の心臓はバクバクと煩く跳ね回っていた。しかし、誰も声どころか息すらしないように必死だ。
彼らはウルフとフリットがいる個室の隣部屋に咄嗟に隠れた。そのおかげでフリットに見つからずに済んだ。口付け合っている真っ最中を息子達に目撃されたい母親などこの世にはいないだろう。

けれど、口付け合っていたということは当初の心配事は消えたようなものだ。アセムは安心して、外に出ようと閉めた扉に手を掛けた。開かなかった。

「………」

もう一度力を込めた。開かなかった。

「アセム?」

不自然な様子にゼハートが小声でアセムを呼ぶ。すれば、顔の青いアセムがゆるゆると此方を振り返る。

「開かない」
「え」

四人は扉を囲んで全員で引っ張る。びくともしない。

「外からは開けられたのに」
「室内に誰かいるとオートで閉じるようになっているみたいだな」

外から鍵で開けてもらわないことには出られないということだ。小声で相談し合った結果、すぐにフリットとウルフは外に出てくるだろうと予想して待つことに決めた。ここにいる言い訳を考えなければ行けないのは億劫だが仕方ない。
そして決めてから数分のこと。妙な物音が隣の個室からした。

焦る。待て待て待てと四人揃って隣室から遠ざかるように壁奥に身を寄せた。
全員の心の声が一致する。
………していらっしゃる。





























◆後書き◆

エミリーの懸念が現実になってしまいましたが、グルーデックさんのおかげで丸く収まりました。
監禁書くの苦しかったです。監禁ネタへの免疫ないからぬるいですが(汗)。でもウルフさんがフリットに酷いことするのあんまり想像出来ない感じで。フリットがどれだけ辛い立場か分かっているから、最後の一線を……は後編にて。

アセムも色々知ってしまった上でフリットの背中押してくれました。これから受難が待っておりますのでご愁傷様の意味を込めて両手を合わせておきます。


更新日:2016/12/11








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