フリット♀(40歳)・ウルフ(24歳)
アセム(18歳)・ゼハート(18歳)・ロマリー(18歳)・フラム(18歳)
ミレース(50歳)・ラクト(55歳)・グルーデック(65歳)
アングラッゾ(58歳)・ウィービック(20歳前後?)・レウナ(100↑歳?)

アセムとユノアの父親が不明。

ナイフでの刺突及び出血表現注意。

18歳未満の方は目が潰れます。































◆Angst◆










彼の目からは不機嫌というより、怯えているように見えていた。ウルフはフリットの様子を食堂の壁から見遣る。

街で出会した老人がフリットと顔見知りであり、今回ディーヴァにくっついてきている宇宙海賊のキャプテンだったことが明らかになった。
流石に街の下見を続けられる状況ではなくなり、フリットはあの後BEAKS BARに寄ることなくアングラッゾをディーヴァに招いた。

今の時間帯は食堂を使う人間は殆どいない。この場にはフリットとアングラッゾ、ウルフ。それから艦長であるミレースと宇宙海賊を連れてきたラクトが集まっていた。
予定を狂わされたフリットは今、テーブルを挟んでアングラッゾと向き合っている。

「で、連邦に反旗翻したって言うじゃねえか」

自分がラクトの話に乗った経緯を酒臭い口でアングラッゾは語る。大分飲んでいるようだが、酔いは回りきっていないのだろう。なかなか饒舌だ。
向かい合っていながら話し合いたがらないフリットの態度をアングラッゾは察していながら大仰に肩を落とす。

「あの時、俺が誘ったっつーのに断ったのは何処の誰だ?」
「海賊に身を落とすことにメリットはありません」

芯の通った声がアングラッゾに向けられる。過去と同じ台詞にアングラッゾは頭を掻き、当時訊けなかったことを口にする。

「それもお前の理由だろうが、他にもあるよな断った理由」

黙秘を続けるフリットにアングラッゾは眉を顰め、次には緩ませる。
頬を髭ごと掻き、腹を決めたアングラッゾはドンッと両手でテーブルを叩く。ミレースが警戒に一歩前に出たが、その必要はなかった。アングラッゾはテーブルに額が付きそうなほど頭を下げていたからだ。

「すまんかった!」
「っ」

突然大声で謝られたフリットは目を丸くし、すぐに眉を下げる。袂を分かった相手とはいえ、目上の人間に謝られても困る。
顔を上げてくださいとフリットは言おうとしたが、アングラッゾの言が先に室内に響く。

「あれが初めてだったんだろ」
「顔を……え?」
「だから初めてだったんじゃねえか?ずっと引っかかっててな、謝りたかった」
「それ、は」
「ファーストキス奪っちまったのはすまねぇことをしたと思ってる」
「!」

フリットは全身を凍り付かせた。アングラッゾが何のことを謝っているのか途中で勘づいたが止められなかった。失態だ。
それに、と。ウルフを振り返ろうとしたフリットだったが、出来なかった。彼がどんな顔をしているのか、どんな気持ちになったのか。知るのが怖かった。

「最初大人しかったのに、いきなり抵抗してきて変だとは思ってたんだが。俺もあの時色々あってなぁ。そのまま無理にヤっちまったから」

ぺらぺらと当時のことを話し出したアングラッゾを前に、フリットは羞恥を耐えきれずに立ち上がる。
ガタリと椅子が弾かれる音にアングラッゾの口が止まった。見上げれば、堪えようとしているフリットの表情があり、アングラッゾはしまったという顔をした。昔から一言も二言も多いのが自分の欠点だったことを思い出して。

フリットは背中を向けた。

「艦長、後のことは任せても良いだろうか」
「ええ。彼にはご自分の艦に戻ってもらいます。それで宜しいですか?」
「頼む」

食堂の出入り口まで進んだフリットを引き留めようと、アングラッゾは立ち上がる。

「あ、おい」

背を向けたまま立ち止まったフリットは肩を震わせる。感情を押し殺して何とか静めると、震えない声で告げた。

「謝罪は必要ありません。昔のことですから」

時効と思ってもらって構わないと言い、フリットは今度こそ食堂から出て行った。

彼女の姿が見えなくなった後、ウルフが壁から背を離す。出入り口に向かう彼にミレースは複雑な表情を向ける。
何か言いたげなミレースに気付いたウルフは小首を傾げる。追いかけて何をするつもりかと問い質し、答えが何であれやめておけと忠告したそうな顔だ。しかし、それを声にしないことを不思議に思う。

「行きたまえ」

そう言ったのは意外にもラクトだった。
ウルフは今、初めてまともにラクトの顔を真正面から見た。今まで一度も言葉を交わすどころか、掛けられることもなかったのだが。
貴族然とした面構えから自己中心的な人物像を描いていたが、そうでもなさそうだなとウルフは彼の言葉を受け取って食堂から出て行った。勿論、フリットが去っていった方向に足を向けて。

「どういう風の吹き回しですか?」

ミレースはラクトに向けて尋ねた。

「これでも私は二人の恋路を応援している身なのだがね」
「……面白がってるだけなんですね」

溜息を吐いたミレースを横に、ラクトは笑いを堪えて喉を震わせる。
子供の頃のフリットを知っているという点ではミレースもラクトも同じだ。けれど、見守り方や傍観は大きく異なることが窺えるやり取りだった。

「さて、ここからはビジネスの話と行こうか」

フリットが座っていた席にラクトが代わりに座る。これから実行する作戦については大まかに纏まっている。ビシディアンにも一働きしてもらえる約束だっただろ?とラクトは立ち上がっているアングラッゾに座るように目配せした。それらから得られる報酬についても話そうじゃないか、と。





後ろから追いかけてくる足音に気付きながらも、フリットは立ち止まらなかった。振り返りもしない。

「何処行くつもりだ、フリット。部屋はそっちじゃねーだろ」

俺達の部屋は反対方向だと言うウルフの声色はいつも通りで変わらなかった。そのことにフリットは足を止めて、立ち尽くす。

通路の途中で立ち止まったフリットの背中間近に迫ったウルフは、後ろから彼女を抱きすくめる。
触れ合いに小さく反応したフリットだが、静かに動きを止めていく。

「今日は一緒に寝ようぜ」
「眠くない」
「まあ、ほぼ一日中ベッドの上にいたようなもんだけど」

休んでおけよ。と、普段通りの会話をしようとするウルフにフリットの表情は弱まっていくばかりだ。

「どうして」

お前はそうやって無感情でいられるのだとフリットは自分の中だけで問う。けれど、その問い自体が間違いだと気付いていた。だからすぐに内側でかぶりを振る。
無感情だったなら、ウルフは追いかけてきてなどいない。

「どうしてって、お前とキスしたいからに決まってんだろ」

不意に耳横で此方の言葉をそう引き継いだウルフにフリットは身を強ばらせた。振り返るより先に、フリットはウルフの力で壁に押しつけられていた。
背中が壁面の冷たさに震える。自ら真正面のウルフを見上げるよりも、彼の手が此方の顎下を掴む方が速かった。
互いの吐息が触れ合うほどウルフが近づいてくる。フリットは身構えた。
しかし、ウルフが唇に重なる手前で留まった。

顔を引いたウルフはフリットの様子を見下ろす。怯えている。手も足も出ないというように。
フリットらしくない匂いの原因をウルフは確かめようと彼女の瞳を覗き込む。潤んだ瞳からは今にも滴がこぼれ落ちそうだった。
こんな顔を見られたくなくてフリットは俯いていき、肩身を縮ませる。

「顔上げろよ」
「………」
「これじゃあ、キス出来ない」

迫ってくるウルフにフリットは自分自身を抱きしめるように腕を組む。
自身の震えを押さえ込もうとしているフリットに対してウルフは眼を細める。怯えていると感じたが少し違ったようだ。後悔しているのだ、フリットは。

包み込んでやるには、まだ自分の腕では足りない。ウルフは自分の拳を握り込んでフリットの唇を奪いたいのを耐える。
すると、握った拳にフリットの手が触れてきた。驚きながらも、ウルフは拳から力を解いていく。

「さすがに六歳の餓鬼ん頃じゃキス迫ってないよな」
「ご褒美ぐらいあげても良かったんだろうな」

少年が自分を好いてくれていたと気付けていたなら、そうしていただろう。けれど、自分は昔も今もそういうことには疎かったとフリットは自覚していた。
ウルフを好きになってから少しはマシになったと思いたい。しかし、聡くなったらなったでフリットは後悔の念が強くなっていた。

ウルフとの子供が欲しかった。ウルフと初夜を迎えたかった。ウルフに初めての口付けを捧げたかった。

「初めてはお前が良かった」

フリットはようやく顔を上げた。痛そうな微笑みを前にウルフの胸が苦しくなる。
そんな感情を向けてもらえることが嬉しい。けれど、その感情は好きになったことで生まれた後悔でもある。
だったら、後悔を覆すしかないと狼はフリットの頬に優しく手を触れさせる。

「なら、初めてのキスしようぜ」
「どういうことだ?」
「好きにも種類があるんだから、キスにも種類あるだろ。どんなキスならお前の初めてになる?」

表情から痛みを消したフリットは不思議そうな顔をした。少しだけ考える時間を置いた彼女は伏せ目がちになって、口を引く。

「そんなことを言い出したら……お前としてきたのは、今までしたことがなかったものばかりなんだが」

可愛いことを言ってくれると、ウルフは満足そうに笑む。
フリットは逆に不満そうだ。それでも、振り返るとウルフとの口付けに一番胸が跳ねるのが事実だ。男と寝ている時に口付けを迫られても避けるようにしてきたから、自分から強請るのも今までなかった。
よくよく考えてみれば、初めてばかりであったことにフリットは胸をきゅっとさせる。

「俺とのキスは全部初めてってことか。いいぜ、それ。かなり燃える」

ウルフがグッと迫ってきた。フリットは止せと頬にあった彼の手を退ける。
拒否とも受け取れる動作だったが、フリットの瞳はそうではないことを雄弁に語っていた。
フリットはウルフに両手を伸ばした。彼の褐色の頬を素手で包む。

「お前にとっても初めてでなければ意味がない」

だから、私から迫らせろとフリットは壁から背を離すように一歩前に出て、踵を上げた。
啄むようなものから、絡み合いを浅いところから深いところへと誘う。ウルフの大きな手がフリットの髪を掻き乱すようにして、フリットもまたウルフの肩へとしがみつくように指に力を入れるほど。

かなり夢中になっていた。

「ッ………おま」

だから、第三者の声がするまで見られていることに気付かなかった。
その声に驚いたフリットはウルフとの食み合わせを解く。けれど、彼を引き剥がすことはしなかった。

見ていたのがアセムだったならば引き剥がして取り繕っていたかもしれない。けれど、アングラッゾの前でフリットはウルフから離れようとしなかった。
ただ、指先を向けてくるアングラッゾからウルフとの唇の間に糸が引いているのを指摘されたフリットは口元を拭いながら、横を向く。

「だから行くなと言ったのに」
「止めたんですけどね」

アングラッゾの後ろからラクトとミレースが姿を現す。丁度角にあたるT字路を曲がっての通路だった。その角からタイミングを見て出てきた二人の言に、ウルフは肩を竦め、フリットは身動き一つしない。

あんぐりとしていたアングラッゾが何かを言おうと更に口を大きく開いた。が、それはフリットとウルフを挟んだ向こう側からの声に掻き消される。

「あ!キャプテン!」
「いましたですー」

ウィービックとレウナがダッシュでアングラッゾに駆け寄った。走って巻き起こった風がウルフとフリットの髪をなびかせる。
彼らに遅れてアセムとゼハート、ロマリーとフラムが続いて姿を現す。ウィービックとレウナに付き合っていたのか四人とも疲れた顔をしていた。

アセムと目があったフリットは「ぁ」と小さく声を零し、ウルフから離れようとするのだが、手が彼の服を離すことを躊躇う。アセムとアングラッゾの視線に板挟みになっていた。

「お前ら何処ほっつき歩いてやがった。目を離したら消えやがって」
「消えたのはキャプテンじゃねえかよ」
「そうですよー。二対一なので私達の勝ちですー」

ギャーギャーと身内での押し問答を始めた海賊達に呆気にとられるが、彼らの会話が怪しい方向に進む。

「いやだって、あいつのかーちゃんがそこの兄貴とラブホテル入ってったって言うからよぉ」

フリットがぐっと顎を引く。あのラブホテルを出て行く時に受付の初老が若いのが彷徨いていたとおそらく親切心で教えてくれたのだが、やはりアセム達だった。
何でこういうことに限っていつも抜けたことをしでかしてしまうのか。思えばウルフ絡みのことばかりで、フリットは無性に自分が恥ずかしくなる。

「ラブホォ!?」

声を上擦らせたアングラッゾから庇うようにウルフはフリットを自分の背中の後ろにやる。
ごく自然とやってのけたので、アセムとゼハートは何とも思わなかった。けれど、ロマリーはわっと喜色を浮かべているし、フラムはあらと口元に手をあてて視線を横にした。

「ちょっと待って頂戴。貴方そんなところに司令を連れて行ったの?」

呆れたと顔と態度にしてミレースがウルフへと棘を飛ばす。しかし、ウルフには刺さらず、彼はその棘を放り投げた。

「何処行こうと自由だろ?そもそもデートに行けって言ったのは艦長だったと思いますが」
「咎める程ではないけれど。もう少しデートらしいことをしたらどうなの」
「ランチはパスタ屋とか行ったけど」
「それは……まあまあ良いのかしら」

ミレースは横のラクトに評価を求める視線を向ける。

「ホテルはスマートさに欠けるが、エスコートとしては悪くないだろう」

結果、フリットがウルフから離れようとしていないのだから、気分を害することは無かったはずだ。デートの善し悪しなんて、そもそも当事者二人の気持ち次第だとラクトは思っている。

「おいおい、なんでそこで一件落着な顔してやがる。まだ話は」
「いえ、話は終わりました。貴方方はちゃんと海賊船に送らせていただきますので」
「ビジネスの話も続きは向こうでしよう」

ミレースがアングラッゾを拘束して引きずっていく。そんな彼女に手伝えと目配せされてラクトもウィービックとレウナを両脇に抱えるようにして引きずる。今の足腰にはなかなか堪える労働だ。

「え。キャプテン、あいつのかーちゃんと知り合いなのか?」
「知り合いなんです?」

アングラッゾはミレースに締められていて答えられる状態ではなかった。代わりにラクトが知っている範囲でウィービック達と会話しながら遠退いていく。

静かになったところでフリットはウルフの背中にこつりと額を置く。庇われるのは、記憶の中で痛い思い出しかないフリットだ。ボヤージと……ユリンと……。
だから、ウルフの背中を前にして、どんな気持ちになれば良いのか判らなかった。

そんな此方の心境を知ってか知らずか、ウルフは身体を反転させてフリットを真正面から抱き込む。アセム達が一斉に目を丸くする。

「離せ。暑苦しい」

フリットは困惑しながらも、眉を立ててウルフを引き剥がす。彼の腕から逃れられたフリットだったが、今度は背中からまたすぐに抱き込まれる。

「爽やかな好青年に暑苦しいはないだろ」
「どの口で好青年と言っている」

もうアングラッゾの姿はない。アセムに見せられるものかとフリットはウルフを引き剥がそうとする。

「やっぱりウルフ兄さんといるの時のお母さん子供みたい」

アセム達の後ろから白衣姿のユノアがにこにことしながらやってくる。横にはエミリーの姿もある。
娘の言葉にフリットは動きを一瞬止め、次には顔を赤くする。

「ユノア」
「えへへ、ごめんなさーい」

フリットの厳しい声にユノアは眉を八の字にしてエミリーの後ろに隠れる。けれど、その顔から笑顔は消えていない。
仕方のない子だと、フリットは吐息を零す。

「それで、楽しかったの?」

エミリーが不意に尋ねてきてフリットは面を上げる。何と言うべきか、フリットはウルフに視線を転じて見つめ合う。が、直ぐに視線を外して無言になる。

「………」
「本当に昔から頑固なんだから。素直に認めたらいいのに」

苦笑を零すエミリーと何も言えないフリットのやり取りから、デートは婦長も一枚噛んでいたことをウルフは今し方知る。

そういえば、この間の件の後で暫く性交を控えるようにエミリーから言われたとウルフは思い出す。
フリットも彼女に釘を刺されていたのだろう。ようやくエミリーからの許しを得てフリットは二人で出掛けられないかと考えていたはずだ。しかし、それから行動に移せていないのをミレースが汲んだというところだろうか。

「不器用」

思ったことが口から出てしまった。聞き取ったフリットがまた視線を合わせてきたが、今度は文句を言いたそうな顔になっていた。

「戻るぞ」

しかし、フリットは文句を飲み込んで別のことを口にした。

「戻るって何処に」
「お前と私の部屋だ」

完全にウルフを引き剥がし、フリットは道を引き返す。
フリットが言ったことを最初は信じられなかったが、ウルフはすぐに笑みを浮かべて彼女に続く。

「あの、すみません」

予想外のところから引き留められ、フリットは立ち止まって振り返る。ウルフも彼女と同じようにゼハートを見つめる。

「街で知り合いを見掛けました」
「知り合いというと、お兄さんか?」
「いえ、兄の同期にあたるんですが。アラベル様の姿を」

そこでゼハートはフラムに目配せする。フラムは頷き、発言する。

「私もあれはアラベル様だと思います。ですから、見間違いではありません」

ゼハートとフラムの両名が確信を持っているとすれば、間違いである可能性は低い。
フリットはアラベルを蝙蝠退治戦役の時に見掛けているが、彼の名前を知っているわけではなかった。だからこの時点ではそれ程の警戒を持っていなかった。

「危険な人物なのか?」
「いいえ。気性の穏やかな方です」
「ただ、様子がおかしかったので近づけなかったのですが」

フリットは一つ頷く。

「報告してくれて有難う。慎重に考慮させてもらう」

あのBARへは一人で会いに行くつもりであったが、フリットは念のために護衛を同行させようと思う。

「ウルフ、次も付き合え。命令だ」

最後の一言は仕事の意味だ。ウルフは真顔で頷いた。
しかし、一人だけ微妙な顔をした。アセムだ。フリットはアセムの待ったを言いたい顔に困った顔を向ける。

あまり親の前では甘えられず素直になりにくい子だ。周囲から母親と比べられている視線を向けられているからに他ならない。それが劣等感として蟠りを持っていることにもフリットは親として気付いていた。
最近、それらが薄れているのはウルフの存在があるからだろう。元々優しい子だが、母親を守ろうとしてくれているのを強く感じるようになった。それを息子の成長と取るべきか嫉妬と取るべきか非常に迷うところだが、フリットにとって嬉しいことには違いない。

「昔の知り合いと合流するために、もう一度街に降りるだけだ」

ウルフとまた二人きりでずっと行動するわけではないとフリットはアセムに伝えた。

「知り合い?」
「このディーヴァの、最初の艦長だった人よ」

アセムの疑問にエミリーが答え、フリットが大きく頷く。

「母さんにとって大事な人なんだ。あの人に危害があったらいけない。だからウルフを護衛として連れて行く」

理由を正確に知ってアセムは自分の考えの及ばなさに苦い気持ちを抱く。それから、自分では護衛の任務につくには能力が足らないのだとも思い知る。

アセムの沈んだ様子にフリットは心配な面持ちになるが、ちょいちょいとウルフがつついてきて首を傾げる。

「なんだ」
「大事な人ってどういう意味だ?」
「世話になっただけだ………アングラッゾさんとは違うぞ」

訝しむウルフの視線に身体の関係を問われていると感じ取ったフリットは肩を引いて、誤解だと彼から顔を背ける。

「どう言ったら言いかは私も分からないけど、フリットにとっては父親みたいな人なのよ」

ウルフの問い質す視線に耐えかねているフリットを見かねてエミリーが助け船を出す。
聞き入れたウルフは顔を引いてフリットへの視線を改める。

「ふぅん。父親ね」
「いや、父親は違う気がするんだが」

この時、ウルフが何を考えているのかフリットには想像も付かなかった。







二日後、フリットとウルフは再び“ソロンシティ”の夜の街に降り立っていた。

ディーヴァに必要な補給は今日の昼には終えている。何時でも出立出来る準備は整っていた。
フリットはコートの内で拳銃の確認をし、横のウルフも拳銃とナイフの確認をする。二人共デートの時とは打って変わって地味な出で立ちだ。

そんな二人を距離をあけた後方で見つめる目があった。そちらを振り返ったフリットは遠くの人物とアイコンタクトを取る。
店に入るのはフリットとウルフの二人で、店の外にはラーガンを控えさせて不審な者が出入りしないか見張ってもらう手筈だ。

二十二時十分。
フリットとウルフはBEAKS BARの扉を開いた。

バーテンダーの会釈に軽く頷くようにして店内に入っていく。カウンターの奥に座って、氷割りのグラスを片手でまわす還暦を過ぎた男にフリットは近づく。
席の真横で立ち止まったフリットを彼は見上げる。フリットは目元を隠していたサングラスを外して素顔を見せれば、その男は眩しそうな顔をした。

「隣、失礼します」
「ああ」

知っているものより、一層深みを増した声にフリットは年月を思う。二十五年―――長かった。

「久し振りだな、フリット」
「ええ。お久し振りです、グルーデックさん」

生きて再び会えたことに、フリットは心臓を震わせる。会えなくなってしまう人も多いから。
互いの近況を二言ぐらい交わすと、グルーデックは本題に入ろうとする。

「あのデータだが」
「それについては艦で聞きます」
「私はもうディーヴァに戻るつもりはない」

きっぱりと自分は連邦の人間ではなくなったと言い切るグルーデックにフリットは顎を引く。決意の堅すぎる声を覆すのは難しいのではないか、と。けれど、そう簡単に諦め、引き下がりたくない。

「エミリーも、ミレースさんも。会いたがっています」
「懐かしい名前だ。だが、戻れない。こんな老いぼれの姿を見せられるわけがない」

遠くを見つめ、静かに目の前のテーブルへと視線を落としていくグルーデックにフリットは言葉が見つからなかった。あの時よりも小さくなった背中に、何も。

「だからフリット。私の代わりに遂げてくれないか」

真っ直ぐに、真摯に向けられたグルーデックの瞳に宿る炎は老いてはいなかった。しかし、最後の灯火なのだと、フリットは受け取ろうとした。

「邪魔するぜ」

フリットと角隣になるカウンター席にウルフがやってくる。先程まで遠くの席で外のラーガンと連絡を取り合っていた筈だが、何か動きがあったのか。

「どうした。何か」
「なあ、あんたがフリットの大事な人だよな」

フリットの声を遮り、ウルフはグルーデックに視線を強く向ける。初めて見る顔にグルーデックが「誰だ?」と少し警戒を持ってフリットに尋ねる。

「護衛を頼んだ部下です。外にも一人」

護衛だの何だのと不穏なことを大声では言えない。フリットはグルーデックに小さく耳打ちした。

「慎重を期すのは正しい心構えだが」

やけに視線が痛いなとグルーデックはウルフを見遣る。それに、フリットは部下に呼び捨てにされて構わないのだろうか。今は総司令官という高身分のはずだ。反旗しているとはいえ。
軍人だと周囲に勘づかれないようにと言えども、最低限の敬意すらこの男からは感じられなかった。

「私に何か言いたいことでもあるのか?」
「ある」

ウルフは適当に注文した酒を真上を向くほど煽ると、再びグルーデックに強い眼差しを向けた。

「娘さんをください」

フリットはその場で転けるかと思った。
何とか耐えてフリットは恐る恐るグルーデックを見遣る。表情が固まっていた。
フリーズしているグルーデックの背中をフリットが叩く。

「あ。ああ。私の娘はすでに他界しているんだが、君は何を言っているんだ?」
「俺が欲しい娘ってのはフリットのことだ。あんたが父親代わりみたいなもんだって聞いたから、ちゃんと筋通しに来た」

グルーデックは一度無言になり、この男の言い分をとりあえずは理解した。彼はフリットが欲しい。だからフリットの父親にあたるかもしれない私に結婚の許可をもらいに……と。
結婚?とグルーデックは首を捻る。誰もそんなことは言っていないが、娘をくださいの一言は結婚を連想してしまうものだ。

「フリット、彼は何だ」
「えっ。ぁ、その、えっと」

急に顔を真っ赤にしてしどろもどろになるフリットの様子にグルーデックは目を剥く。昔はこんな風に動揺する子ではなかったと。
グルーデックの中のフリットは動揺してもそれを飲み込んで自分の意見を堂々と言える精悍な人物だった。

「婚約相手だ」

フリットが答えられないでいるとウルフが事も無げに言ってきた。面を上げたフリットは言うなと顔にしているが、否定する素振りでもない。
グルーデックは相手の顔を覚えようとウルフと真っ直ぐに向き合う。

「歳は」
「二十四だが、それが?」

若いと思ったが、本当に若かった。
この若者の大仰な態度をフリットが一切咎めないのを不思議に思ったが、近しい関係となっているなら無理もない。フリットは懐に入れた者を守ろうとする。
しかし、だ。
若い。と、もう一度思う。

若すぎではないだろうかとグルーデックがフリットに視線をやれば、彼女は萎縮して表情を下げた。

「フリットはいくつになった」
「四十、です……年甲斐もないのは、承知しています」
「いや。そういう意味ではなかったんだが」

丸い視線を向けてくるフリットから昔のような鋭さが感じられず、グルーデックは瞬く。彼女が隣の席に座った当初はそう感じなかった。だから、この男が傍にいるからだろうと妙に心得る気持ちになっていた。

「年の差はそう大したことではないだろう。お前が今になって見初める相手が出来たことが少し意外だっただけだ」

歳自体の開きではなく、フリットが年下を選んだという事実に衝撃があった。それだけのことだ。

「そう、ですか?」

グルーデックの声は幾分か柔らかく、フリットは面映ゆそうに返事をする。
嬉しそうな表情のフリットから、認めてもらえたと受け取って良いのだろうかとウルフは口を開く。

「フリットもらっていいんだよな」

薄い肩を抱いてフリットを引き寄せるウルフの行動に、グルーデックは最近の若者は奥ゆかしさがないと感想しつつも、反対するつもりは一切無かった。

「どうするかはフリットが決めることだ。私は口出ししない」

堅い言い回しに一瞬ウルフは考えるが、横のフリットが頬を緩めたことでグルーデックなりの承諾だと知れた。
じゃあ遠慮無く。と、ウルフは更にフリットを抱き寄せようとしたが、フリットから止められる。

「場所は弁えろと前にも言ったはずだ」
「りょーかい」

やんわりとウルフを押して、フリットは席に座り直した。佇まいを正したフリットにグルーデックは懐から集めた情報を出そうとした。託すために。

「孫に会わなくていいのか?」

懐に手を入れたままグルーデックは動きを止める。唐突に切り出したウルフの言葉に完全に虚を突かれていた。
ウルフはグルーデックからの問い質す視線を受けて、それをフリットに渡す。フリットはウルフからの投げ渡しに戸惑いながらも、グルーデックへと顔を向ける。

「子供が二人いるんです」
「子供?」

グルーデックがウルフに視線をやったことに慌ててフリットは訂正を入れる。

「彼との子供じゃないんです。十八の息子と十五の娘なんですけど」
「父親は」
「解りません」

何も落ち度はないとすっきりした顔でフリットは言う。それに対してグルーデックは眉間を詰める。
流石に店内で出来る会話ではないため、詳細は省かれている。けれど、グルーデックの薄々の予想は当たっていた。何のためにフリットがそんなことをしたのか。

結果のためならば手段は選ばないのがグルーデックのやり方だった。だから、フリットを責められない。むしろ賞賛すべきなのだが、彼は複雑な感情を抱く。
年老いて変に丸くなってしまったと、グルーデックは自身を分析しつつ評価した。

「会って、もらえませんか?」
「会ってみたいとは思うが、それだけの理由では乗れない」
「それだけじゃありません」
「フリット?」
「私はあの時。ボヤージさんの屋敷で、グルーデックさんが差し出した手を握り返せなかった。迷ったことを後悔してはいませんが、心残りでした。だから、今度は私から」

フリットはグルーデックに手を差し出した。

「私と貴方は同志です。一緒に来てください、グルーデックさん」

凝然としたグルーデックは差し出されている手から目を離せなかった。
軍帽があれば顔を隠せたのに。グルーデックは震え熱くなる目頭を堪えるために、目を瞑る。閉じても、瞼の裏に差し出されている手が見えるようだった。

胸がすく思いでグルーデックは目を開く。

「―――分かった。一緒に行こう、フリット」

フリットの手を、かつての右手で握り返した。

程なくして、フリット達は店を出る。
ウルフが道路先のラーガンとインカムで連絡を取り合いながら先導する。グルーデックを間に挟むようにしてフリットは一番後ろを歩いていた。

視界の端に男の姿が一人あったが、猫背になって歩いている姿は夜の涼しさに身を丸めているだけに見えた。
ほんの数歩。で、すれ違うと思われた瞬間、男の足取りが急に変わった。フリットは男が鋭い光を引き抜くのを見た。

「グルーデックさん!」

明らかに男はグルーデックだけを見ていた。グルーデックは警告に驚く。けれど、男を一目見た瞬間に諦めたような……安堵したような、何とも表現しにくい顔をした。
だが、フリットは気付く。グルーデックが己の死に場所を見つけた顔だと。だから、彼の前に飛び込む。銃を取り出す時間はない。

「ッ」
「!?、クソッ、クソクソクソ!!」

男はナイフを引き抜こうとしたが、向こうが離さなかった。銃弾が足下に何発も放たれ、男は「邪魔しやがって!」と叫んで路地裏へと走り逃げていった。

銃を下ろしたラーガンは男を追いかけるか一瞬迷ったのちに諦めた。

「ウルフ!大丈夫か!?」

刺されたのはウルフだった。ラーガンが駆け寄った直後、彼はその場に頽れた。地面に赤黒い染みが拡がっていく。

「ウルフ………?」

目の前の現実が何なのか、受け入れられない。駆け寄れと神経に命令を出しているのに手も足も小刻みに震えていてフリットは立ち尽くした。
グルーデックをフリットが庇ったが、そのフリットをウルフが庇った。そんなこと、しなくて良かったんだと、フリットはゆるゆる首を横に振って、膝を折った。

頽れたフリットにラーガンは驚く。

「司令?」

這うようにしてフリットはウルフに近づいた。もう一度、ラーガンは彼女を呼ぼうとしたが雰囲気に異変を感じる。

「ウルフ?ウルフ、ウルフ」

フリットはウルフの肩を揺さぶって何度も呼び掛ける。その姿にラーガンは虚を突かれて一瞬動けなかったが、咄嗟にフリットの手首を掴んでウルフから引き剥がす。

「動かしたら駄目です!」

ナイフに傷つけられた脇腹から血が止めどなく溢れていた。その状態で何度も揺さぶったら傷を抉り返して出血を増やしてしまう。

ウルフは息をしていた。自身が持っていたナイフを向こうのナイフとぶつけて軌道をずらし、急所を外している。致命傷ではない。
それでも出血量を増やしたら助かるものも助からなくなる。
フリットならばそれらに気付くのは当然のはずだ。なのに、冷静に物事を見られなくなっている。

「ぃ、やぁ」

悲痛な声にラーガンは手を離しそうになった。こんな司令を今まで一度も見たことがなかったから。
どうすればフリットの正気を取り戻させることが出来るのか、ラーガンには皆目見当も付かない。
戸惑ったまま何も言葉を掛けられずにいれば、フリットが店から連れ立ってきた男が彼女に近づいた。グルーデック・エイノア。かつて、ディーヴァの艦長を務めていた男だとラーガンは聞いていた。

グルーデックはフリットの前に膝を付くと、手を大きく振りかぶった。
パンッと乾いた音が冷たい空気に響き渡った。はたかれたフリットは目を見開いている。
頬を押さえ、フリットはグルーデックを見上げた。

「私も馬鹿をしたが、一番馬鹿をしているのはお前だ!」
「グルーデック、さん」
「致命傷でなくとも処置が遅れれば命に関わる。感情的になって対処を誤るなど論外だ」
「―――ッ」

泣きそうな顔でいたフリットはまた別の意味で泣きそうに顔を崩した。しかし、俯いた彼女が顔を上げたときには涙などなかった。眉を立て、毅然とした面持ちであった。

「ラーガン、艦に先に戻って救護班に治療の準備をするよう伝えろ。それから先程の人物について捜索部隊の派遣とこの場の証拠全ての処理と隠蔽も頼む」
「了解しました」

司令の顔に戻ったフリットにラーガンは安堵と頼もしさを感じる。頷き、彼女の手首から手を離せば、フリットは困った顔で恥じる表情を零した。気にしていませんとラーガンはかぶりを振って、ディーヴァへと急いだ。

フリットはすぐにウルフを仰向けにする。出血を最小限に抑えなくていけない。
コートを脱ぎ、傷口を巻くように止血する。ナイフの刃を握っていたウルフの左手にはハンカチを巻く。

担架が来るまで待つのが一番良いが、通行人に見られ通報されては非常に不味い。人通りの少ない時間帯だが、店が建ち並ぶこの通りに居続けることは出来ない。

「グルーデックさん、彼を運ぶのを手伝ってもらえませんか」

二人がかりなら何とかなるとフリットはグルーデックに目配せした。承知したグルーデックはウルフを抱え、フリットも反対側から抱える。ウルフの身体はまだしっかりと温かかった。





店前の隠蔽が最初に片付き、男の捜索部隊の報告待ちとなった。やるべきことが一段落して落ち着いた頃、フリットはディーヴァの治療室前に向かった。まだ治療中のランプが点いている。

祈るように手を組み、フリットはぶり返している震えを止めようと必死になる。大丈夫だ。治療の時間が長いが、人手が足りないことをラーガンから聞いている。
危険な状態とまではいかない。ウルフは大丈夫だ。
自身に言い聞かせる。

「座ったらどうだ」

後ろからの足音と気配に気付かぬほどフリットは余裕を無くしていた。グルーデックの声に振り返り、フリットは彼が先に長椅子に座ったのを見送ると続いて腰を下ろした。
隣に静かに座ったフリットをグルーデックは横目に見遣り、前に戻す。

「逃げた男のことだが、あれはギーラ・ゾイの息子だ」
「アンバットの時の」

疑問には思わず、フリットは納得した。ゼハートとフラムが言っていたアラベルという人物かも知れない。二人からもその男について詳しく話を聞き出さなくてはいけなくなった。
アセムはあまり良い顔をしないだろう。けれど、必要なことだ。

「彼は私と同じだ」
「同じ?」
「復讐という亡霊に取り憑かれたままだということだ」

フリットは言葉を返せなかった。グルーデックの表情が、あの時、ボヤージの屋敷で見たものと同じだったからだ。

「お前もそうだと思っていた」
「私が………」
「だが、違ったようだ。いや、変わったのかもしれないな」

フリットは首を傾げる。自分の意志は当時と何も変わっていないと思っているからだ。
時代の流れで地球連邦とヴェイガンの間は変化して来たが、それで自分が変わったという認識は持っていなかった。

「あの男を愛しているんだろ」
「ぁ、い………です、か?」

グルーデックのストレートな物言いにフリットが緊張する。次第に面映ゆそうな表情になっていくのを止められなかった。

「私は愛する者を奪われてきた。同じ事が繰り返されたらと思うと、誰も愛せなかった。全てを遠ざけていた」

深く、言葉にしたグルーデックにフリットは表情を改める。
友人や特別に親しい人をつくりたくなかった。奪われるのが怖くて距離を縮めずにいた。そうしてきたグルーデックとフリットは正反対だった。
大事な人を遠ざけることはせず、全て守ろうとしてきたのがフリットだ。そして、新たに大切な人を得た。
取り憑かれていたのは同じであったのに。

「それは、グルーデックさんの優しさだと思います」

大切な人を失いたくないのは弱さではなく強い願いだ。何も無くしたくないから誰も愛さない選択もまた、優しさの表れだとフリットは思う。

「お前は昔から真っ直ぐだな」

微苦笑の吐息を隣で聞いてフリットはほっと息を零す。
同時に、治療中の赤ランプから明かりが消える。

「行け。私はグアバラン達と話してくる」

立ち上がり、グルーデックは来た道を引き返していった。同じくフリットも立ち上がり、遠ざかる背中に一礼して、治療室の扉が開いた音に振り返る。







治療室の横の部屋である個室には、手術後の患者を寝かせるベッドがあった。医務室との距離は近いが、別部屋である。

「いて」

滲むような痛みに目を開けたウルフはやっぱり医療ベッドの上だなと、一寸の混乱もなく自らの状況を理解していた。
ただ、自分の右手側に、椅子に座ってベッドに俯いている女の姿を見つける。フリットが寝ていた。服装は昨日のまま。

近くの机に置かれた中型の端末は数え切れないほどのウィンドウが開かれている。作業をしながらも、ずっと傍にいたと知れてウルフは自分の頬を掻く。左手でやったら痛みがあって、手を見下ろす。左手で男のナイフを離すまいと掴んだ覚えがあった。
脇腹ほどではないかすり傷だから、手の方が治りは早いだろう。
無傷の右手はフリットに握られていて持ち上げられなかったのだ。

起きる気配のないフリットの寝顔を覗き込めば、あまり穏やかではない。
薄れていたが、刺された後も意識はずっとあった。ウルフはその時の彼女を思い出す。正直、このフリットが取り乱すとは思わなかった。
すぐに正気を取り戻していたが、そうしたのが自分ではないことが少し悔やまれる。そもそも、フリットに不安を抱かせた自分の不甲斐なさが招いたことだ。もっと格好良くフリットを助けるつもりだったのに。

「かっこわる」

呆れたように言った。
すれば、此方の手を握っているフリットの手に力が僅かに込められた。

「ん」

閉じた目を詰めて、覚醒の声を漏らしたフリットがゆっくりと目を開ける。
ベッドから顔をばっと持ち上げたフリットは驚いた表情でウルフを見つめ返した。

「おはよう御座います、司令」
「……何で敬語なんだ」
「いや、なんとなく」

至らない若さに反省中だったウルフは司令としてのフリットに敬語を使った。しかし、フリットは不満そうな顔で返してきた。
たまに自分が年下に敬語を使ってしまうのを馬鹿にされたとでも思ったのだろうか。それとも。

「ウルフ」

考えていたウルフはフリットが椅子から腰をあげたのを少し遅れて視認する。ベッド脇に手をついて彼女が顔を近づけてきた。

「しても、いいか?」

間近な距離で小首を傾げるフリットの頬を染める表情にウルフは喉を鳴らす。意外なことに、自分の方がかなりどぎまぎしていた。
早く返事をして欲しいと、フリットは頬にかかる自分の前髪を耳に掛ける。

「私は、したいんだが」

もじりと、ベッドのシーツを手指で掴み握ったフリットは小声で言った。
ウルフはその場で何を「したい」のか考えていた。フリットの態度など色々と統計した結果。

「セックスしてぇの?」

言ってみたところ、フリットが顔を赤くした。先程とは全く別の意味合いで。
眉を立てたフリットはウルフを睨み付ける。

「怪我人にそんなことをさせられるわけがないだろ!」

威厳強く言い放ったフリットは椅子に座り戻った。
そっぽを向いてしまったフリットを見遣り、もっとソフトなやつだったらしいとウルフは肩を竦める。
むすっとしているが、元気のない様子でしおらしくしているよりずっと良い。まあ、子供っぽくも見えるが。

「何を笑っている」
「別に。っ、いてて」

左の脇腹を押さえて眉を顰めたウルフにフリットは立ち上がる。

「あまり動くなよ。暫くは寝ていろ」

フリットは布団を掛け直してやり、安心して眠れるようにとウルフの髪を撫でる。
大人しくされるがままになっているウルフだが、胸中は複雑だった。昔、母親に似たようなことをされた記憶がある。

「フリット」

だからだろうか。
名前を呼んで、彼女の頬に右手を添える。

「チューしたい」
「………」

無言のフリットはただ、頬を仄かに染めた。
先程は自分がはっきり言葉にしなかったのが悪かったのだろうかと思ってしまうくらい、ウルフは明け透けない物言いをする。少し羨ましい。

彼の髪を撫でていた手を、頬へと伸ばす。
フリットは前屈みになって、唇をウルフのそれに重ね降ろす。

舌を入れてこようとするウルフに仕方のない男だと、口を浅く開いてやる。互いの舌先を絡み合わせ、舐め取る。舌を引っ込めると、今度は何度か啄み合う。
フリットは身をひいてから、もう一度ウルフと軽く触れ合わせた。

「傷に障るからここまでだな」
「物足りねぇんだけど」
「我が儘を言うな」

呆れたように吐息を零したフリットだったが、ウルフの頬に再び手を伸ばした。この男が仕方ないのは今に始まったことではない、と。
フリットは顔を降ろした。

が、途中で固まった。部屋の扉が開く音が耳に入ってきたからだ。

「隊長、お見舞いに……」

来ましたという声は掻き消えた。目の前の衝撃によって。
アセムを先頭にロマリーが続き、ゼハートとフラムも後ろから顔を覗かせている。

「お邪魔のようだけど」
「戻ろっか」
「出直すぞ、アセム」

フラム、ロマリー、ゼハートが重ねて言う。
立ち直る様子のないアセムの肩をゼハートは叩く。そろそろお前も慣れるべきだと。

「いや、私が出て行く」

フリットは僅かに頬を染めたままだが、毅然と言う。
まっすぐ立った後でウルフと視線を合わせる。

「内蔵は傷ついていないそうだ。食べられそうか?」
「あー。確かに腹減ってるかも」
「なら、食堂で何か貰ってくる。他のことも済ませてくるから少し遅れるかもしれないが」
「分かった。良い子にしてる」

言い草にちょっと引っかかりつつも、ウルフに頷いたフリットは机の上の端末を手にして個室を出て行った。

「大丈夫ですか」
「棘のある声で言われても心配されてる気がしねぇけど、まあまあ大丈夫ってところだな」

医療ベッドまで近づいてきたアセムにウルフは苦笑する。
フリットは出て行く時に息子と顔を見合わせなかった。二人きりで何かしていた後ろめたさ故であり、アセムも勘づいているから、ウルフに半目を向けている。

「てか、アセムとゼハートだけじゃなく、嬢ちゃん達までどうした?」
「私とゼハート様から、貴方に少しお話しを窺いたくて参りました」

フラムが軽く会釈して、此処に来たのは自分達が申し出たことだと説明する。見舞いが目的ではなく、他にあるということだ。アセムが更に表情を歪めたのを見止めて、彼らの用件をウルフは察する。

「貴方を刺した人物の顔は見ているのでしょうか?」
「ああ。まあ、覚えてるぜ。ぼんやりだが」

それを聞き、フラムはゼハートへと目配せした。今度は彼が前に出る。

「髪の色は青かったでしょうか?」
「暗かったが、青っぽく見えたな」
「他に外見で覚えている特徴はありますか?」
「つり目だった……かもな。それと、眉毛が薄かった気がする。背丈は普通に成人並みだったと思うが。これくらいで良いか?」
「充分です。有り難う御座います」

深く感謝の弁を述べたゼハートは確信を持ち、フラムと頷き合う。
それから、再びウルフと向き合うと申し訳ない顔をして頭を下げた。

「先日、私達が街で見掛けたアラベル様だと思います。本当に申し訳ない」
「お前が謝ることじゃないだろ。顔上げろって」
「しかし」
「狙われてたのは俺じゃないしな。それに、身元が分かればこっちとしては随分助かる」

捜索部隊も犯人を捜し出しやすくなるだろう。調査が何処まで進んだか知れないが、彼らがこうやって来ているということは、少なくともアラベルという人物はまだ発見されていないはずだ。

ゼハートは考える間を暫く置いてから、深く、頭を下げる。礼儀を尽くそうとする相手にウルフは無傷の右手をひらひらさせた。

「となると、艦はまだ出てないのか?」
「はい。出航は遅らせるってミレース艦長が言っていました」

予定ではグルーデックと合流後、直ちにコロニーを離れるとのことだった。しかし、捜索やら何やらと事件が起きてしまったために、滞在延長を余儀なくされた。

事細かなことをウルフが尋ねれば、引き続きロマリーが答えてくれた。アセムは間に入る気が無さそうだ。フリットと昔会った子供が自分だったと思い出したことを説明すれば改善されるだろうか。悪化するだろうか。

話し込んでいると、それなりに時間が経過していたのか、フリットが戻ってきた。軍服に着替えてきたようだ。
時計に目を遣ったウルフは思ったより早いとフリットに再び視線を戻した。

「アセム。すまないが、ベッドのテーブルを出してくれないか」
「うん」

医療ベッドの折りたたまれたテーブルをアセムは引き出す。その上にフリットは食事の載ったトレーを置いた。

傍らの椅子が定位置と言わんばかりにフリットはごく自然に座り、ごく自然な動作でトレーの小皿を持ってアスパラのベーコン巻きをフォークで刺す。そしてごく自然にそれをウルフの口元に持って行った。

「母さん!」

ぱくりと目の前に差し出されたものをウルフは口でもう頬張っていた。アセムに咎められる声を向けられたフリットは吃驚して固まっているが、息子が何を言いたいのか判っていない顔だった。

「隊長は利き手使えるんだから、そこまでしなくてもいいだろ?」
「ああ、そうか」

頷きかけたフリットだが、ウルフが口を挟む。

「皿持てないから食いづらい」
「それもそうか」

頷いて次の一口を運ぶ母親にアセムは頭を抱えた。
片手での食事は食べづらいのは同意見だが、ウルフが片手で大概の食事を片付けているのをアセムは目の当たりにしているのだ。隊でまとまって行動するため、ウルフと食事を共にする回数は母親より自分の方が多いと思われるが、ウルフの食事態度に気付いていない母親とは思いたくない。
つまり、自ら進んで看病の世話をしたいのではないかと、アセムは勘ぐってフリットに半目を向けた。

「アセム?」
「何でもない」

一人で部屋を出て行ってしまったアセムをロマリーは眉を下げて見送った。

「どうしたんだ、アセムは」
「拗ねてるだけだと思いますよ」

拗ねる?とフリットはロマリーの言葉を繰り返しながら首を傾げる。それにロマリーは微笑してフリットの手元を指す。

「ウルフ中尉ばかり構っているからです」
「いや、これは構うとかではなく」
「違ぇの?」
「私を庇っての傷だからだ。それに、昔の恩もある」
「恩?昔のって俺が餓鬼ん時にお前と会ってた時か?何かしたか、俺」
「その、なんだ、色々あった」

途中から二人で会話をし出した内容にロマリー達は瞬く。
先日、食堂で聞いていた話と違う。

「あれ?人違いだって言っていませんでしたか?」
「あー。アセムにはああ言っちまったが、親に確認とって少し思い出した。餓鬼ん頃にフリットと一度会ってる」
「そうだったんですね。なら、アセムにも言った方が良いと思います」

このままだと、やっぱりアセムが可哀相かなとロマリーは思う。彼はウルフのことを本心では嫌っていないように見えたからだ。
アセムは二人が結婚して一緒になることを自分が認めたのを取り下げたいと思っているが、絶対に本心ではない。ただ単に居場所を取られたような気がして拗ねているだけなのだから。

「ま、アセムが口聞いてくれたらな」
「いざというときは私達がアセムを捕獲しますから」

ね。と、ロマリーは後ろのフラムとゼハートを振り返った。二人とも苦笑しながら頷いている。
ロマリー達がいてくれるなら安心だとフリットは表情を綻ばせる。

「アスノ司令」

と、呼べば良いのだろうかとゼハートは呼び慣れない口振りでフリットへと視線を向けた。手の物を置こうとするフリットにそのままで構いませんと仕草にしてゼハートは続ける。

ウルフからも言質を取って、彼を刺した男がアラベルであったことを告げた。
言い訳になってしまうが、アラベルが自分達にとってどんな存在であり、無鉄砲に誰かを傷つける人ではないとも弁解した。もし、捕虜として捕えられた場合、慈悲を貰えるように。
しかし、既にフリットは慈悲を持った面持ちでゼハートとフラムを見つめていた。沈痛な声で、静かに伝えられる。

「彼は街で、遺体で発見された」

先程、捜索部隊からの報告をフリットは聞いた。
身寄りのない者として警察の方で処理されてしまったため、遺体は引き取れなかった。此方も状況が状況であるため、知人がいると申し出られないことをフリットは詫びる。

「まさか」

捜索部隊の誰かが殺害したのかとゼハートはフリットへ複雑な視線を刺した。けれど、違うのだとフリットはかぶりを振る。

「彼の狙いは自分の父親の命を奪った仇である人物だった。名をグルーデック・エイノア。かつて、このディーヴァの艦長だった人だ。私がディーヴァに連れてきたから、君達もすれ違っているかもしれない」

ゼハートは遠目に見掛けぬ私服姿の老人を艦内で見ていた。あれがグルーデックという人物なのだろう。フリットに頷き返せば、彼女は続ける。

「かつて艦長だったグルーデックさんが留置場から釈放される時期を見計らって、彼は復讐の場に向かった。だが、失敗した。それを隠蔽するために殺害されたのではないかと見ている」

憶測だが、フリットには確信があった。そこを叩くためにフリット達は行動しているのであり、ゼハートとフラムも情報は共有している。だから、二人も繋がったようだ。

「フロイ・オルフェノア」

地球連邦首相の名をゼハートは出した。フリットも大きく頷く。
ロマリーだけが首相の名前が出てきたことに驚いている。首相がヴェイガンと繋がっている可能性を前に聞いてはいたが、憶測で怪しいと思われているだけだと受け取っていた。彼女にはアセムもいる時に近々詳しく話すから、時期が来るのを待って欲しいとフリットは伝える。すればロマリーも心得て軍人の顔で頷いた。

「君達の言うアラベルという人物が復讐心を持っていることを利用したんだろう。自分達の不利になる情報を掴んでいるターゲットを代わりに仕留めてくれる暗殺者だと誰かから引接されて」

それを聞いたゼハートは俯き、悔しそうに口を開く。

「ヴェイガンの者に恥知らずがいるとは」

フリットの説明で出てきた誰かはヴェイガンの誰かに他ならない。
ギーラ・ゾイの息子であるアラベルは火星の民にとって敬うべき存在なのだ。そんな人を殺人鬼として売るような真似をしたことが許せなかった。自身の誇りにすら泥を塗られた気分だ。

「君達の同胞が傷ついたことには変わりない。これ以上の協力は出来ないというのなら考慮はしよう」
「いえ。我々の目的は一緒です。これからも同行させていただけるなら、お願いしたい」
「私も、ゼハート様と同じ気持ちです」

フラムもゼハートの横に並び、同じく一礼した。
そんな二人を見遣り、フリットは口を固く閉ざす。黄色と紫の瞳の眼差しを同時に受け止めた。
大人と称しても差し支えないが、幼さは残る。そんな若者に犠牲者の無念を背負わせるようなことはしたくなかった。だから、彼らの瞳の奥に復讐心が宿っていないか見極める。

暫く閉ざしていた口を開く前に、フリットは表情を俄に緩める。それから、誠実に眉を立てた。

「君達の申し出は有難い。私からもお願いする」
「こちらこそ、有難う御座います」

協力は惜しまないと言葉に込めるゼハートにフリットはしっかりした子だなと、司令としての顔を引っ込める。それで堅苦しい話は一端区切りとすれば、ゼハートとフラムは肩から力を抜いた。

見るからに安堵している二人に視線を向けて、ロマリーは柔らかく眼を細めた。フラムとゼハートとまだ一緒にいられるのだと。

フリットも吐息して空気を入れ換えると、フォークで刺した料理をウルフの口に持って行く。

「すまない。止まってたな」
「いや、別にいいんだが。それより便所行かせてくれないか」
「ああ、手洗いか」

フリットは小皿とフォークをトレーに置く。それから横の机にトレーを移動させて、医療ベッドのテーブルを閉じる。
ベッドから起き上がろうとしたウルフだが、肩を押さえ込まれた。

「何処へ行く。安静が第一だ」
「何処って便所」
「その必要はない」

は?とウルフは次のフリットの動作を見送る。医療ベッドの下から彼女は透明の容器を取り出した。尿瓶だった。
フリット以外の皆の顔が固まる。

「エミリーからレクチャーは受けている。私に任せろ」
「おい、待て」

掛け布団を剥がされウルフは慌てる。フリットの正気を疑うが、彼女は至極真面目な顔をしていた。本気の目だった。

「お前のは何度も見ている。恥ずかしがる必要はない」
「そういう意味じゃねえって」
「大丈夫だ。お前の全ては私が受け止める」

言っている台詞は格好良いが、中身は排泄を零さずにこの尿瓶で受け止めるという意味だ。どうしようもない。

尿瓶の蓋を開け、フリットはウルフのズボンに手を掛けた。

「お前らもこいつ止めろ」

ウルフはゼハート達からの援助を求めたが、彼らは既に部屋の扉の向こうだった。

「「「ごゆっくり」」」

三人の頭のてっぺんが横並びに見えたところで、扉がスライドして閉じられた。
二人きりという状況は大変魅力的だが、ウルフの焦りは消えない。

「フリット、待てって」
「私のをお前は見ただろ。お前もやれ」

記憶に新しいものではないが、ウルフも覚えている。フリットとビッグリング基地のトイレで致したときのことだ。我慢する彼女に排泄を目の前でさせた。
もしかして根に持っていたのだろうかとフリットを窺えば、彼女の頬は上気していた。この表情は興味だとウルフは理解する。彼女としては探求心をそそられているだけだ。実践して知識を得たいという単純な欲求である。
何も根に持っていない様子にウルフは抵抗をやめた。フリットに変な嗜好を与えてしまったのはおそらく自分だ。

それからも引き続き、ウルフのことはフリットが責任を持って看病した。







医務室から新しい消毒液を貰ってきたフリットは医療ベッド脇の椅子に腰を下ろす。
傷を見せろと言うのでウルフは手ずから患者服の結び目を解いて前を開けた。左手の傷は既に完治している。

左脇腹のガーゼを剥がした後。フリットは消毒液に浸された綿をピンセットで取り出すと、それを彼の脇腹に塗る。縫ったときの糸は昨日取ったばかりだ。少し沁みるらしい。

「もう少し我慢しろよ」
「最初から思ってたが、手際良いよな」

フリットが口を開いたことで、ウルフは唐突に別のことを切り出して返事をした。動きを止めたフリットだが、一間置いただけで消毒作業を再開する。

「昔の戦時中は数え切れないほどの負傷者が出るからな。医療班の手が足りないことも多くて、エミリーにこき使われていた」
「頭上がらないんだな、あの婦長に昔から」
「そういうわけではない。洗濯物を溜め込むなとか、早く寝ろとか、小言を言われるだけで」
「お前どこのギャルゲー主人公だよ」
「ぎゃるげー?」
「あ、いいや。忘れろ」
「?」

ジェネレーションギャップを感じたのでウルフは中断する。フリットは首を傾げたままだが、消毒の仕上げを優先した。
新しいガーゼを貼り直し、フリットは一息吐く。

「替えの服も貰ってきた。着替えるついでに身体も拭くから上は脱いでくれ」
「はいよ」

ウルフが脱いでいる間に、フリットは桶にお湯を溜めてその中にタオルを浸した。
ベッド脇に戻ってきたフリットは横に桶を置き、タオルを取り出して絞る。いつも背中から始めるので、ウルフは左脇が上になるように右半身を下に横向きになった。

寝汗を拭き取られる感覚を感じながら、ウルフは後ろのフリットを窺う。

「そろそろ自分で身体ぐらい拭けるんだが」
「ん。私がやりたいだけだ」

だから遠慮しなくていいとフリットは続ける。鼻を揺らして匂いを嗅いだウルフは楽しそうだなと思う。フリットが充足しているなら申し分ないのだが、ウルフとしては少し不味い熱が芽生えていた。

今までは傷の痛みが勝っていてそれどころではなかったのだが、二週間近くこのままなのだ。生理現象が爆発しそうだった。
フリットに身体を拭いて貰っているだけなのにウルフは興奮していた。

「背中はもういいな。前を拭くから戻れ」

素直に従ったウルフだが、自身の異変は良く判っていた。だから、そちらに目を見下ろし、フリットの視線を誘導してやった。
ズボンが盛り上がっているのを見止めたフリットは、無言のまま暫しそれを見つめた。それからベッド下に手を伸ばした。

「これで良いんだろうか?」
「やめてくれ」

尿瓶で済ませようとしたフリットにウルフはすかさず突っ込んだ。言葉で。
フリットは尿瓶を元の位置に置き直し、ウルフの盛り上がりをもう一度見つめる。

「口で、するか?」
「抜いてもらいてぇけど、どうせならしたい」
「したいと言われても、な。まだ怪我は治っていないだろ」
「塞がりかけてるし、フリットが上に乗ってくれるなら無理な相談じゃないだろ?」

その発言にフリットは目を丸くした。つまり、ウルフの上に自分が跨がって騎乗位しろということではないかと。
仮にも病室だ。そんな場所であられもないことはしたくないと、フリットは抵抗感があった。

椅子から立ち上がったフリットは後ずさる。しかし、ウルフの股間が目に入ると喉が鳴った。
ずっと看病と仕事の処理をしていたから彼女もまた、二週間禁欲生活だった。毎日、ウルフの身体を拭いている最中、彼の褐色の肌を間近にしていながら我慢していた。

「まだ身体を拭き終わっていない」
「じゃあ、拭きながらでいい」
「拭きながらって、お前」
「いっそのこと拭き合いっこしようぜ」

子供が友達を誘うような気軽な言い回しだった。しかし、ごっこ遊びとかそんな類のものではない。

「タオルはこれしかないぞ」

大きいバスタオルは他にあるが、洗い拭くには不向きだ。小さいのはこの一枚だけだった。
だから拭き合うなど無理な相談だと突き返せば、ウルフは諦めるどころか良い笑顔で詰め寄ってきた。

「一緒に使えば一枚で充分だ」
「お前本当に……」

したいんだなと、フリットが折れた。
思っていたより簡単に話に乗ってきたフリットにウルフはやや眉を歪める。

「フリット、罪悪感からしてくれるって意味じゃないよな?」
「ん?」

後ずさっていた分を前に歩み戻ってきたフリットはウルフの言葉に瞬く。それから、静かな表情で眉を下げた。

「罪悪感か……少しもないとは言い切れない。ウルフに庇われたのは事実だからな」

けれど。

「お前が前に言ったんだぞ。私のせいではなく、私のためだと。だからだ」

明確な言葉で伝えようと思えば伝えられる。だが、明確にすればするほど、気持ちの部分が薄れることもある。言葉そのものの意味ではなく、ただ、想いを感じ取ってもらいたくて、フリットは言葉少なに伝えた。
気恥ずかしさで言葉足らずになった部分もあるけれど。

遠い過去の話ではない。ウルフも覚えているようで、視線をずらして表情を少し崩す。
彼もまた恥ずかしがっている素振りに、フリットは面映ゆく微笑む。想いが伝わるのは、こんなに嬉しいことなんだと。

フリットは医療ベッドの手摺りを掴み、ウルフのもっと傍に行こうとした。けれど、足を乗せる前に後ろの扉が開いた。

「あ。身体拭いてたの、ごめんなさいね」

エミリーはベッド上のウルフが上半身を脱いでいることと、フリットの傍らに桶とタオルがあることを目にして失礼を詫びる。フリットが背中を見せたまま動かないことが気になったが、まあ別に大したことではないと結論する。

ウルフの股間はフリットの背中と被っていてエミリーには見えていなかった。

「検査だったか?」
「その話なんだけど、医務室のほうが今忙しいの。だから今日はいつもの時間より遅れるかもって伝えに来たわ」
「了解しました。婦長殿」

敬礼はいらないわよ。と、エミリーは手で仕草にしながら苦笑を交える。それからフリットの背中へと視線を横に移す。

「それじゃあ。彼の看病宜しくね、フリット」
「ああ。解ってる」

ようやく横顔を見せたフリットに気のせいだったかなと、エミリーは頷いて外へと出て行った。

扉が閉じると、フリットは慌てて扉に向かってロックをかける。横の窓もブラインドを降ろした。外からの干渉はこれで無いはずだ。
フリットはベッドまで戻ってくるが、ベッド周りを囲むカーテンも広げる。

「念入りだな」
「何とでも言え」
「恥ずかしがり屋なところも好きだぜ」
「……ッ」

何も言えなくなり、フリットはむすりと顔を赤らめる。ウルフのこの、堂々とした主張をしてくるところは未だに苦手だった。

ベッド脇に立ち尽くして動かないフリットをウルフがじっと見つめていると、視線に気付いた彼女は両手を握る。

「脱いだほうが、良いよな?」
「下は脱いでくれると助かるな」

部屋のロックを誰かが解除して入ってくるとも限らない。その場合、カーテンを開かれるまでの間に取り繕える時間は僅かだろう。全部脱がず、下だけなら何とかなるかもしれない。

「ん」

頷いたフリットはベルトを緩め、ズボンを下ろす。それから、ショーツも戸惑い気味ながらも下ろしてしまう。
上だけだとコート型の司令服は前にスリットの入ったワンピースと差し支えない。

裸足のフリットはウルフが横たわっているベッドに乗り上がった。傷に触れないよう、彼の腰下あたりに跨がる。
ウルフがタオルを手渡してきたので、フリットは反射で受け取る。

身動きしないフリットに首を傾げたウルフは彼女の胸を両手で掴んだ。わ、と脇を締めたまま手を顔の高さまで挙げたフリットはウルフの行動に目を白黒させる。

「拭き合いっこって言っただろ?」
「あ、ああ、でも」

胸を揉んでくるウルフを眉を下げてフリットは見つめる。
すれば、胸のところだけジャケットの前を下ろされ、左右に開かれる。下着に包まれた胸だけをはだけさせられた。

「レース付きで可愛いぜ」
「うるさい」

下着のレースを摘んでくいっと引っ張るウルフを弱く睨んでフリットは唇を尖らせる。
態度がちょっと生意気。だからと、ウルフはレースを摘むのをやめて真ん中のリボンに指を引っかけて上に持ち上げた。
ぷるりと素肌の乳房が下着の支えを無くして揺れる。

胸の上に下着をずらされ、露出した胸を隠そうとしたフリットだったが、手のタオルをウルフが奪う方が速かった。そのタオルでウルフが此方の胸を拭いてくるのに、フリットは固まる。

「ゃ、う」

濡れタオル越しに胸の先端を摘まれてフリットは肩を跳ねさせる。

「拭いてるだけなのに、すっげぇ感じてんじゃん」
「拭いてない、だろ。もっとちゃんと、ッ、ぃ、言ってるそばからお前はっ」

片方はタオル越しだが、もう片方はウルフの指が直に先端を摘んで弾いた。

「もっとなら、こうだろ」

ウルフはフリットの背中に腕をまわして抱き寄せる。あまり力を入れていないのにフリットは為すがままだ。抵抗に余計な力を入れたりして傷に触らないようにしている。自分の身体を自分で支える、最低限の力しか入れていない。

「ウルフ」

だから現状、ウルフにもたれ掛かるようになってしまっていることにフリットは戸惑う。背中にまわされた彼の手がなければ退くことが出来るのに。無理に引き剥がすのは少し怖かった。

大人しくしているフリットにウルフはもう少し意地を張ってくれても良いがと思うものの、これはこれでありだと内心で笑む。
引き寄せたフリットの晒された胸を舐める。曲線を辿るように。

「ひっ」
「そんなに怯えられると本当に喰っちまうぞ」

ぷるぷると震えている様子は肉食獣に狩られる寸前の小動物そのものだ。実際には食べられることを怖がっての怯えではないが、視覚的にはそう映る。
乳房をぱくりと口に含み、甘噛み程度に歯を立てる。それでもフリットは身体を動かすまいと耐えて、ウルフの愛撫を受け入れる。
胸がウルフの唾液塗れになったのを見下ろし、フリットは口を引き結ぶ。

自分よりも色素の薄い指が此方の唇にそっと触れてきたことにウルフは視線を持ち上げる。合図と言わんばかりにウルフは唇に触れているフリットの指を舌で舐めた。
少し身を乗り出してきたフリットはウルフの唇に自分のそれを重ね合わせた。

啄み合いながら、ウルフはこんなにキス魔だっただろうかとフリットの最近の行動を振り返る。この病室で目を醒まして以来、おはようとおやすみの口付けを毎日交わし続けていた。
あの海賊の船長に最初を奪われた感触を忘れたい。のだと思うが、フリットには尋ねなかった。彼女の身体のほうの記憶だと感じるからだ。身体の記憶を本人の意思に尋ねても混乱させるだけだろう。
なら、塗り替えるほどの口付けを交わせばいい。

両腕でウルフはフリットを抱きしめた。
密着に胸が高鳴るが、フリットはウルフの傷の上に触れてしまっていると、これ以上は駄目だと塞がれている口を開こうとする。

「ん、んぁ……ゃむ」

しかし舌を入れられて言葉にならず、ウルフが食み合わせを更に深くしてくる。腕の力も強まる。
口の中をとろとろにされて、フリットは支えるための力まで奪われる。完全にウルフにもたれ掛かってしまうほどになっても、唇同士は重なり合ったままだった。

フリットが舌にも力が入らなくなった頃、ようやくウルフは解放する。
此方の肩口にくたりと頭を乗せて乱れた呼吸をし続けるフリットに、やりすぎただろうかとウルフは頭を掻く。

身体に力が入るようになるまで数分。フリットは自分の身体を持ち上げると、ウルフを涙目で睨む。

「傷に障るようなのは禁止だ。次にやったら私は降りるからな」

注意されてしまった。やりすぎたことではなく、傷を労らなかったことに関してのものだったが。

「お前はじっとしていろ」

フリットは横に放られていたタオルを手にして、ウルフの首筋を辿る。耳裏を拭くとウルフは眼を細める。髪が揺れるので気持ちいいらしいとフリットは少し念入りに拭く。
それから鎖骨を辿り、胸を拭く。途中で手を止めたフリットはウルフもやっていたしと、彼の胸板に顔を寄せると、黒っぽい飾りを舌で舐めた。

ぺろぺろと人の乳首を舐めているフリットを見下ろしながら、ウルフはむず痒い気持ちを抱く。辿々しい愛撫を前にして、見ている此方が恥ずかしくなってきて。
前戯はあまりやったことが無さそうであり、先程の此方の舐め方を何となしに真似しようと試みている感じだった。

満足したのか、フリットは顔を上げると、タオルで再びウルフの身体を拭き始める。割れた腹筋を一つ一つ綺麗にしていき、下腹部のところで止まる。
フリットは後ろを確認しながら、自分の身体の位置を下げる。ウルフの太ももに腰を下ろし、彼のズボンを下着ごとずり下ろした。

ぴんっと上を向く男根からやや視線を逸らしつつも、視界には入れている。タオルで勃ち上がっているそれを包み込む。上下に擦れば、ウルフが息を熱くした。

「慣らすから、もう少し待て」

フリットもこの先を想像して息を熱くしていた。
ウルフのものを上に押し上げるようにして裏筋を上面にすると、そこにタオルを敷いた。腰を浮かしたフリットはタオルの上に腰を落としていく。

「んぅ」

軍服の裾を後ろ側に払うようにして持ち上げ、フリットは腰を前後に揺らした。
タオル越しに股間同士をすり合わせている情景にウルフは唾を飲み込む。

「拭き合う、とは。これで……正しい、か?」
「いいぜ。エロさもやばくて」

小っ恥ずかしいのだが、褒められているんだよな?とフリットは軽く握った片手を自分の口元に持って行く。変な声まで出そうだった。

かなり満足な眺めだが、タオルで互いのそこを拭き合うに至ったフリットの発想にウルフは俄に驚いていた。フリット自身は性欲趣向をこじらせていない質だと見ていたからだ。
色々と変態じみたことをフリットにしすぎただろうかとウルフは己の所行を振り返る。

「なん、だ?」

稀にこうやって幼い顔をするからだ。いけないことを教え込みたくなる。

ウルフが笑みを深くしたことでフリットは更に首を傾げる。彼の右手が伸びてきてフリットは身構えに腰を止めた。
互いに擦り合っているところに褐色の指が触れ、彼の親指が此方の弱い部分を押す。

「ん、ぁ」
「そんなに股開いてたら丸見えだぜ、ここ」

粒を親指の腹で何度も押され、フリットは腰をびくびくと揺らした。

「慣らすの手伝ってやるから腰上げろよ」
「お前はじっと……」
「俺の指より他に気持ちいいのがあんのか?」
「………」

フリットは腰を浮かして膝立ちになると、軍服のコート部分を摘んで持ち広げる。
顔を背けているフリットの横顔を見つめてから、ウルフは自分の指を舐める。唾液の付いた指を秘部に這わせ、思わせぶりに撫でる。

すぐに入れてこないウルフにフリットは腰を震わせて、視線だけ彼に向ける。じっとしていろと言った手前、強請る言葉を口にしづらかった。

「腰くねらせて、いやらしいな」
「むぅ」

だが、身体は正直に強請っていて腰を揺らしていた。ウルフに言われてフリットは腰下を見下ろすと、眉を下げて唇を震わせる。瞳も濡れてくる。

「いじめてるわけじゃねーんだから、そんな顔すんなよ。ほら」

焦らすつもりではなかったのか、いつもより優しい声色で慰められる。同時に指がつぷりと濡れているところに差し込まれ、フリットは別の意味で瞳を濡らして揺らす。

「………ぁ」

嬌声が出てしまい、慌てて口を堅く閉ざす。両手は空いていないから食いしばるしかない。
自室ならまだしも、病室であんあん啼くのは背徳だった。此処で性交自体してはいけないと思っているのだから余計に。
けれど、無性に興奮していてウルフの指をかなり濡らしてしまっていた。くちくちと湿った音が響いてくる。

指に絡みついてくる感触にウルフもたまらなくなり、一端指を引き抜くとフリットの股をその手で撫でまわす。

「フリット、生で俺の擦って」
「ん」

タオルを取り払い、フリットは腰を落とした。ふにりと素肌と素肌が触れ合う。

前後にゆっくりと擦り始めながら、フリットはウルフのものをじっと見つめる。気持ちいいと全身で言いたげにびくびくしていた。
こんな風に思うのは可笑しいのかもしれない。けれど、人生で初めてこんな気持ちでこれを愛おしいと思ってしまった。

「ぁ、おちんちん」

思わず口にしてしまい、フリットは顔を真っ赤にした。はっとしてウルフの顔を見れば、彼は意外と感想した表情でいた。直ぐに勝ち誇ったような顔つきに豹変し、フリットは身を退きたくなるが、身体は擦るのをやめようとはしなかった。

「やましい言い方するなって言った口で言っちまったな」
「わ、忘れろ」

ウルフが前におちんちんだのおまんこだの言ったのを咎めた過去の自分を思うと苦い。推奨出来ない言葉だったのにまさか自分から言ってしまうとは。

両手で顔を押さえたところで自らの恥は消えるものではない。ウルフがいつもそう言うからだと反抗心もあったが、直ぐにそれはつまり彼から影響を受けていることに他ならないと気付いて更に忘れてほしくなる。

「忘れねぇよ。お前を女にしたことも、スキモノにしちまったことも」

いきなり目をすっと細められ、毅然な眼差しで宣言したウルフにどきりとする。腰を止めてしまうほど驚かされて、フリットはおろおろとしてしまう。

困り果てるフリットを前にウルフはふっと表情を緩める。

「このまま俺がお前をめちゃくちゃに出来れば決まってたんだがな」
「それは傷が治りきってからにしろ」

はっと息を吐いてフリットは返す。あのままウルフの眼差しに射貫かれ続けていたら、どうにかなってしまっていた。

「お前はじっとしていればいい。それとも、私の奉仕では不満か?」

挑発するようなフリットの言い方にウルフは喉を鳴らす。

「全然」
「良い返事だ」

フリットは腰を浮かすと、ウルフの勃起した先端を自分にあてがう。腰をゆっくりと落とし、下の口で根本まで呑み込む。

びくつきながらも、フリットは自分の膣内に馴染んでくるウルフの形に熱い吐息を零した。もう他の者など受け入れられないほどウルフの形に合うようにされてしまっている。
胸の鼓動は煩いままなのに、落ち着く感覚も同時にあるのが不思議だった。

「胸まで真っ赤だな」
「ッ」

フリットは咄嗟に露出している胸を両腕で抱き込んで隠す。顔も真っ赤だろう。凄く熱いから自分でも判る。

「なんか俺、恥ずかしくなること言ったか?」
「お前は言わなくても私のことを分かると言っただろ。それくらい分かれ」
「俺のおちんちんが気持ちいい」
「………半分、合っている」

全否定出来なかったフリットは視線を横に流す。そんな様子に気をよくしたウルフは腰を回した。

「ひ、ぅ。ぁ、動くなと」
「フリットが可愛すぎるのがいけねぇ」
「だめっ、私、そんなんじゃ……、する、から」

伝えたいことが幾つかあり、断片をそれぞれくっつけたことでどれも意味を成さないものになってしまう。
それでもウルフにして欲しいのはたった一つだ。動かないで欲しい。

フリットの瞳が潤んでいることに少し調子に乗りすぎたかもしれないと、ウルフは腰を止めた。挑発してくるフリットが格好良かったが、途端に表情を崩して恥ずかしがるから弄りたくなってしまった。

「ぁ」

切ない声を零し、フリットはウルフを不安そうに見遣る。

「動いてくれるんだろ?」
「下手でも、文句は言うなよ」
「言うわけねぇだろ、お前のなか極上なんだから」

そう返せば、フリットは顔を逸らした。身体を重ねれば重ねるほど恥ずかしがる女などそうそういない。

「下手か上手いかより、とびきりエロければ嬉しいぜ」
「………」

押し黙ったフリットだったが、意を決した。
両手を後ろ手に持っていき、胸と腰を逸らす。それから迷いを見せながらも足を大きく開いて、繋がっているところをウルフによく見せた。

「ど、どうだ」
「やばいくらいマジでエロい」
「そう、か。ならば……動く、からな」

ウルフの熱い声にフリットはゆっくりと腰を揺らし始める。

半ばから根本まで呑み込むのを繰り返すのを眺めおろし、ウルフは生唾を飲み込む。やや下から仰ぎ見る乳房も格別だった。
そのまま視線を上まで舐めさせれば、フリットの熱っぽい興奮した表情がある。すぐにフリットが視線に気付いて口を横に薄く開いたり閉じたりを繰り返す。

「見る、な……ぁ、―――クっ」

身を捩り、突っ張った肢体が痙攣するように痺れる。それが落ち着くとフリットは腰を落としてしまう。
ウルフの方に身体を倒さないように何とか維持していたが、彼がおいでと両手を掲げていた。

深く考えずにフリットは覆い被さるようにして顔を近づけてしまっていた。それでも傷の場所は確認した上だった。けれど、ウルフが力の限り抱きしめてきて焦るが、唇も力強く奪われる。
絶頂したばかりの身体では引き剥がすのも難しく、フリットはウルフの良いように口内を貪られていた。

ようやく力が僅かでも戻ってきたところでフリットはウルフの肩を押す。

「傷が塞がっているわけではないんだぞ、自分の身体は労れ」
「何かお前に言われてもあんまり説得力ねぇんだけど」

フリットは彼の言を耳に入れて、むすりと歪める。けれど、頬や腿を褐色の手に撫でられてひくりと崩れていく。

「次にやったら私は降りると」
「俺の視線に感じてさっきイっちまったんじゃねぇの?」
「うっ………」

被せて指摘してきたウルフに対し、目を伏せてフリットは何も言えなくなる。

「フリット、見ろって」

彼女の頬を包み、ウルフは自分と目を合わせさせる。途端にフリットの息が熱くなり、心拍数も上がる。 すっと細められた眼差しに射貫かれてフリットはウルフを締め付けた。

「んん」
「また軽くイったな」
「ゃ」

こんな身体を見ないで欲しいとフリットは首を横に振る。ウルフと重なる度に行為に溺れるようになってしまった気がしていた。
昔は、こんなふうにはならなかったのに。見つめられるだけで刺激されるなんてことはなかった。

フリットはウルフを引き剥がして遠退く。自分の中から彼も引き抜けるが、猛りはそのままだった。

「お終いか?」

傷に障るようなことをしたし、と続けた。
フリットは暫く考え込む素振りをしてから、ウルフと目を合わせずに言う。

「……奉仕はすると言っただろ」

ウルフの張り詰めは治まっていない。まだ射精していないのだから、これでは彼も辛いはずだ。フリットはウルフに背を向けて腰を下ろした。

「ん」

再びウルフを受け入れ、フリットは吐息する。
この体勢ならウルフの傷に触れることもなければ、彼の視線に耐えられなくなるということもない。
ただ、ウルフとしてはどうだろうかと、目を合わせないように彼を窺う。すれば、尻の丸みを撫でるように軍服の裾を上げられた。

「ウルフ?」
「見えるとすげぇイイ」

尻の間から恥丘を割り開いて此方を咥えているのが見える。この眺めもたまらないと、丸みを両手で揉みしだく。

揉まれる度にフリットは中のウルフをひくひくと締め付ける。自分からは見えないが、ウルフが繋がっている部分を熱い眼差しで見つめていると思うと、奥から濡れてくる。

締め付けてくる動きに合わせて尻の窄みもひくひくとするので、ウルフは思わず手を伸ばした。が、寸でのところで抑える。
彼女の身体を知り尽くしたい欲望はある。けれど、無理強いをしてまでとは思わない。この間の様子のフリットを振り返れば、受け入れようとする可能性が高い。けれど、そんな風に自分を我慢させることだけはさせたくなかった。

「動いてくれよ」
「解った。お前は大人しくしていろ」

釘を刺しておくフリットにウルフは微苦笑する。

フリットは前のめりに腰を浮かし、一度止まるとゆっくりと腰を落としていく。何度か繰り返していると、ウルフの熱い吐息が背中の向こうから聞こえてくる。

奉仕すると挑発するように言っておきながら先に絶頂してしまう情けなさを晒してしまった。
理想通りになかなかいかなかったが、ようやく有言実行出来始めていることに心持ちが上がってフリットは腰を振り乱す。

「っ、出そう」

ウルフの張り詰めに判っていると、フリットは彼の先端を自分の奥に何度も何度も当てさせる。

「―――――、ぁ……はぁ」
「ひゃ、ぁ―――んん」

両手をウルフの足の間に置き、フリットは彼を締め付けて白濁を絞り出す。注がれる感覚に胸が焦がれた。

注がれきったところでフリットは腰を浮かそうとしたが、ウルフが背中から抱き込んできた。背を起こしてきたウルフにフリットは驚く。

「ウルフっ、大人しくしていろと」
「お前こそ大人しくしてろ」

頤を捕えられ、フリットは唇を奪われた。下の繋がり以上に濡れる食み合わせにくらくらしてしまい、ウルフに委ねながらフリットは自分からも舌を絡ませる。
互いに充足したが、フリットは段々と不満な面持ちになっていく。自分からも求めてしまったのでウルフを咎められない。

顔を伏せるフリットをもう一度上に向かせてウルフは顔を近づける。触れ合いそうだが触れない距離でウルフはじっとフリットを見つめた。
逸らさないと不味かったが、フリットは釘付けにされて視線を外せなくなっていた。

「ん、―――っ」

見つめ合っているだけでフリットの方に異変があった。締め付けられたウルフも熱い息をフリットの首に吹きかけ、頬にすり寄った。

毛繕いするように髪を撫でられ、此方の頬に自分の頬をくっつけてくるじゃれつきにフリットは戸惑いながらも、じっと大人しくしていた。
変に抵抗してウルフの傷口を開かないようにと思ってのことだが、言い訳になってしまうだろうかと弱々しく頬を染める。

「フリット」

呼ばれて顔を上げれば、蒼い眼差しがありフリットは瞳を濡らす。

「俺の視線そんなに気持ち良いか?」
「ち、が……」
「反対のこと言わなくてもいいんだぜ」

より顔を近づけて視線の距離を詰める。
どきりと胸を跳ねさせたフリットが何かを言うよりも先にウルフがたたみ掛ける。

「自分の男に見つめられて最高の気分だって認めろよ」
「ウル、フ……」

それだけがもう精一杯で胸がいっぱいだった。

額を重ねてきたウルフにフリットは自ら唇を差し出した。ウルフは深く求めてくるフリットに応え、主導権を奪う。
今日一番に深く濃いものをたっぷりとしてから、表情を見て取れる程度の距離を開ける。

親指でフリットの濡れた下唇を撫でると、その手を自らの口元に引き寄せて舌でぺろりと舐める。
ウルフの所作にフリットは自分の前髪を撫でつけるように手を動かす。手で自分の目元が隠れるので相手の視線や動作に心煩っている自身を落ち着けたり、彼に見られないように。
匂いを嗅がれている気配を感じるので、勘づかれているかもしれないとフリットはそわそわする。気が気ではない。

愛でるよう腰や髪に触れてくる狼の手が優しくて、焦燥が次第に緩まされる。前髪に置いていた手を下ろし、もう一回とウルフに唇を近づけようとしたフリットだったが、剥き出しの胸を揉まれて身動きを止めた。
膣内のウルフが硬さを再び持ち始めていることには気付いていたし、彼がやり足りていないのも悟っている。
甘えてばかりではいけないな。と、フリットは何をして欲しいと目線でウルフに尋ねた。

「ぱいずり」
「予想は出来ていた」

困ったように笑むフリットをウルフはぎゅっとする。
フリットの方もだが、ウルフも理解を示されることは少ない。だから、内包してもらえたことが嬉しかった。それがフリットだったから特に。

寝そべったウルフの股間にフリットは胸を埋めた。
彼を谷間に挟み、上目に見遣る。ウルフの眼差しを真正面から受けると身体中が焦がれて熱くなってしまうが、何とか耐えて強がるようにフリットは眉を立てる。

「もう本当に動くなよ。いいな」

言えば、ウルフが調子よく微笑んだ。
どちらが年下か分からなくなる時がある。行為中は余計にそう思うことも多い。負けず嫌いな性分でもあるフリットは見返してやると、胸を寄せてウルフの猛りを悦ばせることに専念した。







ウルフの検査がある時間、フリットは部屋を後にして仕事の処理を済ませていた。一段落したところで彼の個室に戻ってきてみれば、もぬけの殻だった。
自室に戻る許可が下りたのだろうかとフリットは首を傾げ、医務室に尋ねに行こうと回れ右をしたところ、丁度エミリーが室内に入ってきた。

彼女に尋ねればいいとフリットは口を開こうとしたが、近づいてくるエミリーの形相はとても恐ろしく、質問出来る雰囲気では一切無かった。流石のフリットも口を閉ざして身を竦める。

「フリット」

エミリーの低い声にフリットは後ずさった。

「な、なに」
「此処で何したか身に覚えあるわよね」
「え。ゃ、その……ええっと」
「彼に口割らしたわ。言い逃れ出来ないから」
「う゛」

ごめんなさいと頭を下げたフリットにエミリーは盛大な溜息を吐いて頭を抱えた。謝ることをしたと自覚があるなら、そういうことをしないよう自制すればいいのに。フリットはそれが出来る人だった。
覆してしまうくらい彼に気持ちを寄せているのだと思うと微笑ましくもあるのだが、節度は守ってもらいたい。

「ウルフは……」

おそらく、傷が開きかけていたりしていたのだろう。シーツなどは検査の前に一通り替えていたのだから、エミリーが気付くとしたらそこだ。
傷の具合を尋ねるフリットにエミリーは苦笑して、声色を優しくする。

「大丈夫よ。完治は少し遅くなるかもしれないけど、殆ど治りかけてるようなものだし心配しなくていいわ」
「そうか」
「ただ、治るまではフリットと二人きりにさせるわけにもいかないから、あっちの医務室に移動してもらったの」
「……本当に、ごめん」

安堵した次には謝るフリットにエミリーは一歩近づく。

「反省はしてもらいたいけど、フリットは自分のこと責めすぎるから私はそこだけが心配かな」
「いや、暫くはウルフには会いにいかない」

その返事は判っていないとエミリーは不満になる。むすりとした顔を隠さないエミリーにフリットは瞬く。

「その、顔を合わすと」

唇を重ねたくなる。と、今日の感触がまだ忘れられなくてフリットは自分の指先を口元に持って行く。殆ど毎日交わしていたから、条件反射で人前でもやってしまうかもしれない恐れがあった。

言葉を濁したフリットが唇を押さえて赤くなっているのを目の前にしてエミリーは呆れた半目になる。
骨折り損にやれやれと頭を振る。しかし、会わないという決断はフリットが自分を責めていることに変わりはなかった。

エミリーは不安になる。
グルーデックと再会出来たのは喜ばしいことだが、彼がかつて全てを背負ったことをフリットはなぞってしまうのではないか。そんな不安が唐突に今、胸にわき起こった。
けれど、問う気持ちにはなれなかった。そうだと頷かれたら、自分はどうすべきなのか答えがなかった。止めることも、後押しすることも、何も出来ないだろう。

「エミリー?」

鈍感なのに、こういう時ばかりは聡いフリットに泣きたい想いが込み上げる。崩れそうな顔を見られないようにエミリーはフリットに抱きついた。

「どうかした?」
「ちょっと疲れてるだけ」

仕事の疲れではないとフリットは何となく気付いていた。今のエミリーはどこか、あの日の彼女と重なる。
トルージンベースを襲撃しに来たヴェイガンを迎え撃つために、出撃しようとした此方の背中を引き留めた時の彼女と。

安心させたくて、フリットはエミリーの背中に手を添える。
撫でてくれる優しい手に、エミリーは不安と恐怖を奥に仕舞い込んだ。





























◆後書き◆

続ちちくりあい。
フリットが抱えているものをまだ言えずじまいになってしまったので、次回へ先送りに。付き合いの長さからエミリーが一番に勘づくかなと。あとエミリーの前ではフリットをイケメンに書きたい…!
あげーむ青年編のあのシーンとても格好良いですよね。

アングラッゾさんとフリットの関係がひとまずまとまって一安心。
アニメ24話を一部なぞりながらグルーデックさん生存ifだったりウルフさん負傷したり。娘さんくださいと甘々看病がやりたかったんですな。尿瓶ネタは人生で初めて書きました…フリット、全て受け止めるってその台詞は何だか違う。

アセムが悩む中、ロマリーとゼハートとフラムは良い性格になってきまして。ウルフリ♀耐性つけて。
これからアセムはぐれるのかぐれないのか。彼にはウルフさんが命の恩人だった事実とウルフさんがフリットを強姦した事実を知る時がもうすぐ。

司令服は下履いてないとエロいのではないかと。

Angst=不安

更新日:2016/08/07








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