『Entschuldigung』補足SS/フリット(22歳)とウルフ(6歳)(2016/06/19)

『Entschuldigung』補足SS/フリットとフォックス(2017/09/17)

『Angst』補足SS/フリット+ウルフ+アセム+ユノア(2016/09/19)

『Angst』補足SS/フリットとデシル(2017/05/02)

『Wort-Feier』補足SS/アングラッゾvsウルフ・ウルフ隊、グルーデック達(2017/05/02)

『Wort-Feier』補足SS/フリットとウルフとAV(2017/06/26)

第三部完結後SS/十年後のウルフとフリット(2017/02/15)















『Entschuldigung』補足SS
フリット(22歳)とウルフ(6歳)






アーシュランス戦役と先日の戦闘が名称され、トルージンベースのエースと内々に呼ばれていることがフリット本人の耳に届くようになった頃のことだ。

「レース大会の警護、ですか?」

フリットは特務士官に疑問を伝える。難色を示す異論はないが、娯楽関係の警備は警察の仕事だ。連邦軍が引き受けるといった話は今まで聞いたことがない。

「前例もあまりないからな。珍しく感じるのも無理はない」

特務士官は惜しまずに説明を続ける。

「近く、首脳会議があるのは知っているな」
「ええ」

それが何か?と首を傾げかけたフリットであったが、話の筋が見えてきて姿勢を正す。
首脳会議は地球圏全コロニーのトップが集う場だ。経済や政治面について互いの情報交換や討議が行なわれる重要な国家会議である。

「各所の警察がそちらの警備に駆り出されている。出払える者がいないのと、モビルスポーツ組合が早めに警察に申請するのを忘れていたのが重なって、我々に話が来た」

政府は軍に口出し出来るが、軍は政府に口出し出来ない。恐怖政治などを避けるためだが、軍人は政府の狗とも呼ばれているのは相互関係に歪みがあるからだ。そんな仕組みでもあるため、政治関係の警備は軍ではなく民間の警察でなければならない。
モビルスポーツ大会の警護を担う警察の手が足りないからといって、政治関係の場に軍人を割くわけにはいかない。となれば、モビルスポーツ組合が軍に警護の仕事を頼んでくるのも仕方ない経緯だろう。

納得のいく流れを聞き、フリットは深く頷いた。

「分かりました。皆にも伝えておきます」

部下達が疑念を抱いた場合、説明に詰まることはないだろう。
敬礼をして一歩下がったフリットを特務士官は引き止める。

「今夜は空いているかい?」
「急な指令でしょうか?」
「……変なところで鈍いな、君は」

特務士官は微妙な顔で嘆息する。あまり露骨な言葉は使いたくない方だが、相手が相手では仕方があるまい。

「セックスに誘っているんだ」
「ぁ、ああ……はい」

戸惑っている様子はないが、全く気付かなかったと仕草に出ていた。すでに複数人と経験済みだとフリット本人から聞いているものの、この幼い反応は特務士官でも少し気が引けてくる。

「その、条件次第なんですが、今、遅れてて」

月経予定日から三週間近く経っていた。それを伝えたフリットは眉を下げる。

「安全日か分からないか」

特務士官は顎に手をあてながら思案し、フリットに条件案を出してから続ける。

「これで良ければ哨戒後に私の部屋に来てくれ。勿論、ゴムはちゃんと使う」
「返事は」
「今でなくていい。その気があれば来てくれ。部屋に来なかったら今夜は酒を片手に一人寝するさ。レース大会の警護は君に一任するから宜しく頼んだよ」

さらさらと言葉を続ける特務士官に口を挟めず、フリットは了解しましたと頷いて士官室を出た。
扉向こうの通路で待機していたハロがころころと近づいてくる。

『フリット!フリット!』

特有の電子音が耳に届き、フリットは軽く息をつく。

三階級特進を言い渡された時は特務士官を疑ったものだが、人格は悪い人ではない。
彼は医療班のエミリーに一目惚れしたとかで告白したそうだが、彼女に「フリットより格好良い男じゃなきゃ嫌です」とばっさり切り捨てられたらしい。その話をフリットが知っているのは告白に玉砕した特務士官自ら泣き縋って来たからだ。

どうしたら君より格好良くなれるんだと散々嘆かれて色々と面倒な状況になってしまい、条件付きで良ければ自分が相手をしますと口を滑らしてその日のうちに関係を持ってしまった。それが二週間前だった。
その一度だけの関係で終わるだろうと思っていたから、誘われたのには素直に驚いている。

「どうしよう……」

出された条件は悪くなかった。ただ、本当に今月はまだ月経が来ていないのだ。避妊薬は飲み続けているのだが……。
確かめるにしても医務室にはエミリーがいるから言い出しにくい。絶対に責められるし、結果を聞き出そうとしてくるはずだ。

多分大丈夫だろうと、思い違いだと。フリットはその日の夜、特務士官の部屋を訪れた。





それから一週間後。
モビルスポーツレース大会がトルージンベース近くのコロニーで開催された。

警察側から警護マニュアルを提出してもらい、それを元にフリットは部下に指示を出している。組合の者達とも連携を取り、レーサーの誘導と観客達の安全を確保する。

それらの仕事を終え、後はレーサー達がシャトルに乗るのを見送れば任務完了だった。そんな中、モビルスポーツの帰りの搬入をしているレーサーの男がフリットに近づく。

「お近付きになりたいんだが、メルアドを教えてくれないかい?」
「すみません。仕事用以外の連絡先は持っていませんので」

断りを入れたフリットであるが、男はそこで引き下がらなかった。
彼は大柄な身体を少し屈ませてフリットの顔を覗き込む。きつくない顔立ちは悪くないと感想する。

「それはしょうがないな。じゃあ、ディナーの約束は?」
「え?」

何故そこで夕食なのかフリットは首を傾げる。
混乱しているフリットの近くにいた彼女の部下二人が立ち上がって、レーサーの男に同情の眼差しを向けた。

「やめといた方がいいっすよ」
「うちの隊長は権力者としか寝ませんから」

洒落たレストランに誘ったところで金の無駄だ。
そう証言した彼らの言葉を耳に入れたレーサーの男はフリットへの印象が変わったようだが、引き下がるどころか更に身を乗り出してくる。

「そういう女は俺の魅力に気付かせるのに持ってこいだぜ」

レーサーの男はむしろ好都合だと軍人達を左右に押しのけた。再びフリットに誘いの声を掛けようとするが。

「お!軍人がいるなと思ってたが、フリットじゃねえか!」

渋みのある声が後ろからあり、レーサーの男は振り返る。

「マッドーナとこのおやっさん」
「ちょっとフリット借りるぜ」
「え。知り合いですかい?」
「そりゃ後でな」

マッドーナはフリットの目の前にまで来ると近くのガンダムを見上げる。
何年振りに間近にするだろうか。いつ見ても壮観な機体だとマッドーナは自身の顎を擦る。

「相変わらず格好良いな。AGEビルダーの調子はどうだ?」
「最新のウェアだとレイザーになりますけど、設計図見ますか?」
「おお!見せてくれよ!」

子供のようにはしゃいでいるマッドーナに嫌な顔をするどころか、他者が口を挟めないスピードで受け答えしているフリットを見てレーサーの男はげんなり顏をした。

「メカオタクは嫌いじゃないが、彼女にはしたくないタイプだぜ」

あり得ないと首を横に振って、レーサー男は立ち去って行った。

フリットとの会話が一区切りついてから、マッドーナは背中すら見えなくなったレーサー男を振り返り見遣った。それからフリットに戻す。

「すまねえな、若い奴ら女に飢えててさ」
「何のことですか?」

首を傾げるフリットにマッドーナは苦笑を零した。
本当に昔から色っ気がない。やることはやっているそうだが、マッドーナも半信半疑だ。エミリーから相談されたことだから嘘ではないだろうが、信じられないの一言に尽きる。

「そういや、なんだか顔色悪くないか?」
「そうですか?いつも通りですけど」

こんな感じを五年くらい前にも経験したようなとマッドーナが首を捻っていると、足元に小さなものが体当たりしてきた。

「とうちゃん!」
「ロディ、あっちで母ちゃんと大人しくしてろって言っただろ」

嗜めつつも優しい声色でマッドーナは五歳くらいの男の子を抱き上げた。
目線が高くなったことで、幼子は間近にいるフリットに驚く。
顔を隠すロディにマッドーナは人見知りが治らねえなと、我が子の背中をさする。

「フリットお姉ちゃんだぞ。何回か会ったことあるだろ、顏見せてやれって」

父親の胸板に顔を埋めたままロディは首を振る。その親子のやり取りを微笑ましく見守りながらフリットはやんわりとかぶりを振った。

「気にしないでください。歳の近い子がいないからロディも緊張しているんですよ」
「すまんな。ぐずると厄介だし、俺も母ちゃんとこ戻るわ」
「ええ、ララパーリーさんにも宜しくお伝えください。また工房で」
「おう。じゃあな」

親子の背中を見送ったフリットは蚊帳の外になっていた部下達を振り返る。長話をしていたことを謝罪しようとしたが、突然の吐き気に口元を押さえた。

「隊長、大丈夫っすか?」
「さっきの知り合いの方が言ってた通り顔色悪いですよ?」

口々に心配されてしまい、フリットは平気だと姿勢を正そうとした。けれど、吐き気が治らない。

「……すまない、少し外す」

口元を手で覆ったままフリットは近くの洗面所に向かう。すぐさま手洗い場で胃液を嘔吐したフリットは蛇口を捻る。
何度か吐き出し切ってようやく落ち着き、ハンカチで口元を拭う。

目の前にある鏡に映る自分と目を合わせ、問う。

「妊娠、した………?」

そんなはずは……と、フリットは俯いていき、腹部に手をあてる。
まだ確証はない。しかし、可能性は捨てきれない。月経も一月来ていないのだ。

確かめる必要がある。フリットは適当に街の薬局に寄れる時間はあるだろうかと思案しながら洗面所を出た。
すると、通路に見知らぬ子供がいた。歳はロディと同じくらいに見受けられた。

ここは関係者以外立ち入り禁止だ。迷子だろうと予想をつけて、フリットは子供と目線の高さを同じにするためにしゃがむ。

「ここは子供一人では危ないよ。お父さんとお母さんが何処にいるか分かるかな?」
「しらねぇよ。オヤジが勝手に迷子になったから探してやってんの」

せっかく目線を合わせたというのに少年がそっぽを向いてそう言った。
しかし、フリットは気分を害することなく、少年への質問を続ける。無事に少年を親元に会わすには、彼自身の情報が必要だからだ。

「そうか。それじゃあ、君の名前と年齢を教えてくれないかな?」
「んー」

銀髪を掻いた少年はちらちらとフリットを警戒するように見遣りながらも、ぼそりと答えてくれた。

「ウルフ、六歳」
「ウルフ君か、私はフリット・アスノだ。宜しく」

手を差し伸べれば、握り返してくれた。迷子になっているのは父親だと天邪鬼な主張をしているが、根は素直なようだとフリットは微笑する。
握手した後の手を少年はまじまじと見てからフリットと目を合わせた。

「フリット……かわいい名前だな」
「そ、そうか?あまり言われないが」

顎を引いたフリットは頬を俄かに染める。こういう褒められ方には慣れていなかった。
一呼吸して落ち着いてから、フリットは再び少年に語りかける。

「それで、ウルフ君。一つ提案なんだが、迷子センターに私と一緒に行かないか?」
「オレは迷子なんかじゃ」
「分かってる。迷子になったお父さんが預けられていないか尋ねに行ってみようと言っているんだ」
「………それなら、まあ、いっか」

迷子センターに行く気になってくれた少年に頷き、フリットは立ち上がる。
歩幅が違うだろうからと手を繋ごうとしたが、それは拒否されてしまった。先に歩き出した少年はフリットをすぐに振り返る。

「どっち!」
「突き当たりを右だ」
「わかった!」

掴み所のない子供だなとフリットは微苦笑を滲ませる。ロディとは正反対かもしれない。気が合いそうならマッドーナに暫く預かってもらって、自分が少年の父親を探せば早いと思ったが難しそうだ。

程なくして迷子センターに辿り着き、フリットは受付の者に少年から聞いた父親の特徴を説明し、訪れて来なかったか尋ねた。しかし来ていないそうだ。
では、行方知れずの君の父親を探してくるから少年は此処で待っていてくれとフリットはしゃがみ込んで説明する。迷子センターの職員である作業エプロンをつけた男性に引き渡そうとしたところ。

「オレは迷子じゃない!」

職員を払い除けて、少年はフリットの胸に飛び込んだ。
柔らかそうな胸の膨らみに少年は頬っぺたを引っ付ける。職員の男性は子供は得だよなと半目を寄越した。

「参ったな」

思った以上に懐かれてしまった。フリットはどうするかと職員の男性と受付の女性と顔を見合わせ、少年に視線を落とす。ぎゅうっと此方の服を掴み、むすっとした顔をしている。元気そうな子供だと思っていたが、父親とはぐれたのはこの子なりに心細いのだ。

「もう少し、私と探そうか」

マッドーナがロディにやっていたように、フリットは少年の背中を優しくさすった。
身体の強張りを解いた少年にフリットは表情を緩める。それじゃあ行こうかと少年を立たせてあげると、青い目と合う。

フリットが困ったような顔をしていることを少年は気にした。自分が子供だから、子供の面倒を見ないといけないから。そんな顔だった。

「探さない」
「え?」
「オレ、フリットを送ってく」

真剣な眼差しにフリットは何も言い返せなくなり、少年の強く握られた拳に視線をやり、その意味を何とか読み取ろうとする。
けれど、どうしてと疑問の方が大きい。

「女を送ってやるのが良い男ってもんだろ!」

少年は掌を上にしてフリットに手を差しのべた。
半人前にも満たない子供の真剣さにフリットは面食らう。それに、こんな振る舞いで女性扱いされたのも初めてだ。

「良いんじゃないですか?小さなジェントルマンにエスコートしてもらえるなんて羨ましいです」

受付の女性が微笑みたっぷりに言う。横に立つ職員の男性も呆れた表情だが、少年の意志を尊重してくれていた。
職員の男性に向かって少年は大仰に宣言する。

「送りとどけたら、ちゃんと戻ってきてやるからな!」
「はいはい」

餓鬼扱いの返事に少年は眉を顰めたが、フリットに向き直るとまたあの眼差しに戻る。何故か、フリットは胸がキュッとした。

「オレ様に任せろ」

少年の真剣な面持ちと差し伸べられた褐色の小さな手を見つめて、フリットは右手を持ち上げる。何となくグローブ越しでは失礼な気がして、それを外す。
彼の手に自分の手を重ねた。

「宜しくお願いします」

そう言ったときのフリットの表情を前に少年は顔を真っ赤にした。
恥ずかしさのあまり大声を出す。

「かわいいな!!」
「?」

勢いがありすぎてフリットに通じていなかった。

受付と職員の者に連絡のやり取り先を念のためにフリットは伝えておく。少年の父親が此処に探しに来た場合や途中で親子が再会出来た場合に必要だからだ。

少年の手に引っ張られながらフリットは元来た道筋を逆行していた。入り組んだ通路なのだが、少年の足に迷いはない。記憶力が良いんだなと、フリットは感心する。

「道、覚えているんだな」
「違う」
「違うのか?」
「匂い辿ってるだけ」

記憶力とは違うことに驚くが、匂いとはまた驚くことを重ね重ね言う少年だ。フリットは改めて違う感覚で感心した。

少年と出会った洗面所まで戻ってきたところで、一歩後ろにいたフリットはそこからは少年と横並びで少し先に進む。

「おー」

少年が感嘆の声をあげる。
まだモビルスポーツの搬入中で何機かハンガーに収まっているし、モビルスーツもフリット達の機体が鎮座していた。それらを見上げて少年は目をキラキラさせている。あれは誰々の何々と言う機体で、あれはそれはとレーサーの名前と機体の名称を矢継ぎ早にまくし立てる。

「レースが好きなのか?」
「わかんない。けど格好良い!」

理屈が追いついていないけれど迷いのない発言だ。素直といえば素直だが、感情をそのまま口に出してしまう子なんだなとフリットは少年のことを理解し始めていた。

「今日はお父さんに連れてきてもらったのかな」
「オヤジがレース好きなんだ。オレは付き添い」

でも楽しみだったと表情と動きに表れており、フリットは頬を緩める。
そろそろ此処までで大丈夫だとフリットは手を離して少年に伝えようとしたところ。

「隊長、どうしたんですか?その犬みたいな子供」
「隠し子ですか?」

片方が嫌味を言ったが、フリットは気にした様子を見せない。部下は肩透かしを食らう。

「この子の父親を探しているんだ」
「ああ、迷子ですか」
「いや………」

あれ?とフリットは思う。少年が否定すると思ったからだ。見下ろせば、少年がいなかった。

「!、どこに?」
「あっち行きましたよ」

手を一瞬離しただけで忽然と消える子供の好奇心は恐ろしい。これでは世の親達が大変なはずだ。
フリットは部下が指差した方に慌てて向かう。

「危ないから勝手に行かないでくれ」

後ろから少年の両肩に手を置き、捕まえる。しかし、少年の耳に声が届いていないのか、反応がなかった。
様子を窺えば、じっとモビルスーツを見上げている。それはフリットのガンダムだった。

「白くて格好良い」

感嘆する声色で少年は言った。
真正面からの言葉にフリットは胸を震わせる。言葉の並びが一番重要なのではない。少年の発言は嘘のない真っ直ぐなものであると気付いているからこそ、言葉が意味を持つ。

「ありがとう」

自然と声になり、少年が驚き顏でフリットを真上に見上げる。見下ろしている彼女と目が合い、次第にむず痒そうな顏になっていく少年は俯いて目の前のモビルスーツを指差す。

「これ」
「うん。これは私が造ったんだ」

少年もフリットが嘘のない人だと気付いていた。だから疑いはない。素直な驚きと感嘆がそこにある。
一段と輝きだした少年の顔は眩い。

「すげえ!」

少年の大声には吃驚したが、フリットは目を細めて微笑ましく彼を見遣る。
今を生きる子供達が将来、戦場に立つことがないように。祈るのではなく、誓う。
そのためのガンダムだ。

「なあ、このモビルスポーツなんて名前?」
「これは」

モビルスポーツではないんだと説明しようとしたフリットであるが、後ろから少年以上の大声が飛んでくる。

「ウルフ!お前さんこんなところにまで潜りこんで!!」
「迷子になってたのはオヤジだろ!」
「オヤジじゃなくてお父さんだ。ったく、芸能人に感化されおって」

今一番人気のレーサーは少し口が悪い。自分の趣味でレーサーが出演する番組を我が子にも見せていたが、そのせいでこんな口調に育ってしまった。
嘆かわしいと三十半ばの男性は目を覆う。

「あの。失礼ですが、ウルフ君のお父さんですか?」
「はい。経緯は迷子センターで伺ってます。うちの馬鹿息子がご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした」

身なりを正した少年の父親は深々とフリットに頭を下げる。

「顔をあげてください。私は当然のことをしただけですし、それに……」

フリットは横に立つ少年を見下ろす。僅かに顔をあげた少年の頭を撫でる。獣耳のように出っ張っている部分がぴょこぴょことした。

「ここまで送り届けてくれて有難う。私はもう大丈夫だ」

少年に礼を言えば、彼は顔を真っ赤にして走り出し、父親の影に隠れた。
父親はううん?と両脇をあげて我が子の珍しい様子を目で追いかける。

「なんだあ?お前恥ずかしがって」
「違えよ!」

むっすりとしているが、少年の顔はずっと赤かった。

親子が喧嘩腰の応酬をしながら帰っていくと、部下が近付いてきて迷子センターから隊長にメッセージがあったと伝えられた。頷いたフリットは返事のため、迷子センターに少年と父親が再会出来た連絡を入れ返す。
それを終えると、フリットは改めてガンダムを見上げた。

―――白くて格好良い、か……。
数多くの技術士や工学者にガンダムは賞賛されてきたが、幼い少年に言われたのは掛け値なしに感情のまま、嬉しく思った。
今までで一番、嬉しいかもしれない。

「子供、か……」

絶対に育てられないと思い込んでいたフリットは、もしあれが妊娠の合図だったならば降ろすしかないと決めていた。けれど、欲しいな。そう思い始めていた。





少年はだだをこねた。

「オヤジ、疲れた。おんぶして」
「お父さんだ」
「おとーさま」
「……そこまでしなくていいっての。ほら」

一般通路に出たところで、少年は父親におんぶをせがんだ。やれやれと父親は少年をなんだかんだでおぶってやる。
あの世話してくれていた女性軍人が見えなくなったところでこれだ。一丁前に色気付きやがって。

「オレ、レーサーになる」

父親の背中に背負われた少年はぽつりと宣言した。

「なんだ?いきなり」
「来週までに将来の夢決めて来いって学校の先生に言われた」
「そうかい。応援してやるから頑張れよ」
「うん」

と少年が頷いて会話は終わるはずだったが、少年はもじもじとまだ何か言いたそうだった。ははんと、父親は顔をニヤつかせる。

「あのお姉ちゃんに惚れたんだろ、お前」
「ばっ!ちげえよ!」
「バレバレだぞ。まあ、そこそこ良い女だったんじゃないか?複数の男の匂いがしたのはあれだが」
「ッ!!」

少年はポカポカと父親の頭を両手で叩いた。

「イテテ。なに怒ってんだ?」
「うっさい!」
「そういやぁ迷子センターで聞いたが、お姉ちゃんのおっぱい触ったそうだな。どうだった?」
「うっっっせえ!」

それから散々父親にからかわれ、少年はその日のことが話題にのぼると嫌がるようになった。父親がその時の様子をつぶさに話し出すと少年の機嫌が悪くなるので、母親はもうやめてあげなさいよと夫を窘めた。
それ以来、父親がこの話題を少年の前で言わなくなったのもあるが、この時の出来事は自分が迷子になっていたことも相まってとても恥ずかしい日と記憶に刻み込まれてしまい、少年はいつしかこの一日を無かったものとして忘れてしまう。

しかし、少年の奥底に灯火はずっと在った。モビルスポーツレーサーになりたいという夢はそれからずっと持ち続けていたし、白に拘るようになったのもそれからだ。
派手な女を好むようになったのは………あれは父親が悪い。







このシリーズのフリットとウルフが実は過去に一度出会っていたというお話。
フリットがアセムを妊ったのはトルージンベースに来る前ですので、父親は特務士官ではないのでご安心ください(?)。首相直々の移動命令とかフリットも怪しんだと思うので、何か策か手を打っておこうとトルージンベース移動前の短期間に色んな相手とたくさん寝たんですね。その中の誰かが父親にあたるかと。
ウルフさんがレーサー目指した切っ掛けがフリットだったりするんですが、ウルフ少年がフリットが軍人だと気付いていなくてすれ違うことに。
それについては大人になってもウルフさん忘れたままですが初恋相手はぼんやり覚えてて、軍人になってまたフリットに二度目の一目惚れをしてしまうストーリーです。

拍手掲載日2016/04/25〜2016/06/19
サイト掲載日2016/06/19










◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




『Entschuldigung』補足SS
フリットとフォックス






格納庫から医務室へと向かっていたフリットは道中で足を止めていた。通路の壁に手を預け、前屈みになる。声には出さず、痛みを少しだけ顔に出す。
額の汗をディケから譲って貰ったハンカチで拭う。ずっと処置せずいたのがいけなかった。今になってかなりの痛みを感じていた。

近くを兵士が一人通り過ぎて行く。通路の影にいたフリットは気付かれなかったようだとほっと息を吐いた。が、その動作だけで痛み、下腹部を押さえる。
自室のベッドに横になりたいが、奥を切ったまま放置しておくわけにはいかない。エミリーに叱られるのは億劫ではあるものの、フリットは医務室を目指すべく、よたりと足を進ませた。

「手を貸しましょうか」
「中尉?」

先程横切っていったフォックスが引き返してきた。声を掛けられたことにフリットは目を丸くして彼を見上げた。

「自分がウルフのやつに媚薬飲ませたせいでしょ、それ」
「え。ぁ」
「アモンド婦長に取り調べされたんで。司令を連れてくるように言われたんです」

不本意であることをフォックスはぎりぎりで顔に出さないようにして説明する。
最初はフリットの姿に気が付きつつも故意に通り過ぎた。しかし、無視するというのも罪悪感があり引き返してきたのだ。事実、自分がウルフに媚薬を飲ませたことでフリットは辛くしている。

「いや、一人で行ける」
「婦長に怒られるの嫌ですよ。あの人怖いし」

断ってくれるなら一人で行ってほしいところだが、この様子では医務室までどれだけ掛かるか。
ウルフに直接聞いたわけではなく、彼が他の同僚に口走っていたフリットの弱点をついてフォックスは手を貸すと続ける。彼女の弱点は相手が困っていると助けようとすることだ。
つまり、要求に頷いてもらいたいなら困っている態度を取ればいい。

「頼んでも、良いか?」

逡巡は短く、フリットはフォックスを見上げた。
フォックスは手を伸ばすと、フリットの肩にまわすでなく、彼女を持ち上げた。

「わ」

意外と色気のない驚き声だとフォックスは感想しながら、フリットの身体を横向きに自分の両腕に乗せた。

「肩を貸してくれればそれで」
「この方が速いと思いますよ」
「そうかもしれないが」

こんなところを他の者に見られたくないフォックスは形はどうあれ、医務室に速く到着する方を選ぶ。肩を貸しているところを見られようが、抱えているところを見られようが、どちらも厭だった。ならば早く終わる方を選ぶ。
既に歩き出しているフォックスにフリットは困惑する。

「その、ウルフに知られたら」
「別にこの程度で怒らんでしょ。もしイチャモン付けられたなら、諦めてあいつにお姫様抱っこされといてください」
「え」
「あと、俺のはお姫様抱っこじゃないんで。抱え持ってるだけですから」
「ぅ、うん?」

早口にまくし立てるフォックスにフリットは相づちもままならなかった。とりあえず、ウルフにこのことを知られたら、彼にお姫様抱っこされる運命になるかもしれない。

「俺が司令のこと嫌ってるの分かってますよね」

フォックスの視線は通路の先しか見ていない。視線を合わせない会話にフリットは暫く考える。

「……構わない」
「扱いにくいでしょ」
「扱いにくいかどうかは、さほど問題ではない。仲間という距離にいてくれるだけで充分だ」

七歳の時に全て無くしたフリットは相容れないことより、いなくなってしまうことに重きを置いていた。嫌いという感情を持てる豊かさを否定する気もない。むしろ、フリットは好意を向けられる方が不慣れだ。

「そういう答えだとは思ってました」

予想通りの返答にフォックスは内心で嘆息する。こういう人だと判れば判るほど、フォックスはフリットのことが気に入らなくなる。
相手を知ればその分理解が進み、好意に繋がるものだ。だが、フリットに対してだけは逆だった。

「君は」

言って、言葉を閉じたフリットにフォックスは先を言うように促す。

「どうぞ。こんなのは今日限りです。どうせなら、貴女に本音を言っておきたかったので。司令も言ってくださいよ」
「ウルフと私が一緒になるのは反対か?」
「反対というか、あいつに貴女は似合わない」

似合わないと言われたことよりも、最初に「反対というか」とニュアンスを濁してきた部分にフリットは不可思議さを持った。
似合う似合わないはそれぞれの主観によって感じ方が左右する。フリットとて、自分はウルフには似つかわしくないと思っている。年齢のことや色々。

フリットにとっての重要点は周囲が反対の意思を持っているかどうかだった。しかし、反対というわけでもないとの返事に少し考え込む。

「……賛成ではないが、反対してもいないということだな」
「無意味なんですよ。ウルフのやつが司令にぞっこんな限り」
「…………」

黙り込んだフリットをフォックスがこっそり見遣れば、顔を真っ赤にしていた。女というより、女の子みたいな反応をする。
明らかにぞっこんという言葉に意識を持って行かれている様子だ。こういうところがウルフには可愛く映っているのだろう。
視線に気付かれる前にフォックスは直ぐに前を向き直した。

急に沸騰するほど顔が熱くなり、フリットはもしやというタイミングでフォックスを見上げた。彼は前を向いたままで一息吐く。
まだ耳が熱い。顔も赤いままだろうなと、フリットは医務室に着くまでには冷静になりたいところだと精神を整える。

「最後に一つ」
「ああ」

医務室までの距離は僅かだ。最後の問いかけにフォックスが提示してきたのは。

「何人の男とヤってきたんです?」
「三十人は超える」

悪びれもなく、言い淀むこともなく、フリットは通常の声色で答えた。

「多いですね」
「十年もあればな。私も焦って躍起になっていた時期があった」

おかげでアセムの父親が誰か定かではない。調べてもはっきりしたことまでは判らなくなってしまっている。ユノアは調べればぎりぎり判るかもしれない。
子供達が知りたいと望んでいるなら、フリットも今一度調べる手筈を取るつもりでいる。はっきりしなくとも、納得できるところまでは。

「誰かと一緒になっても良かったんじゃないですか」
「いい人は多かったが、私より年上で妻帯者ばかりではどうしようもない」
「結婚そのものを考えたことはあるような言い方ですね」
「そんなことはない。私のようなのを貰ってくれる奇特者はいないに決まっているだろ」
「ウルフは例外ですか?」
「あいつは……ウルフは、どうして私がいいんだろうな」

変な男だと、フリットは困り顔で笑った。
しかし、その声色に悲嘆が混じっていた。それにフォックスは気付きつつも、何も言わず、自分の中でも何の消化もせずに聞き流した。

聞き流してくれたフォックスにフリットは感謝した。自分でも判るほど声に震えが混じっていた。ウルフに言わなくてはならないことがある。まだ伝えていない不安が滲み出てきてしまった。

無言のうちに医務室の前に辿り着き、フリットはフォックスの肩を叩く。

「すまなかった。ここで下ろしてくれ」

ここまで運んでくれて助かったとフリットは礼を告げるが、フォックスはフリットを下ろすことなく医務室の入り口を潜った。

「え?」

と言ったのはフリットではなく、エミリーだった。
医務室にいた者達も驚きに目を瞠っている。フォックスが司令を毛嫌いしている噂はそれなりに知れ渡っているからだ。

フリットも目を丸くして驚いていた。今までのやり取りから、この状況を見られるのはフォックスにとっても不本意であることが窺えていたのに、と。

「そんなに具合悪いの?」

駆け寄ってきたエミリーにそこまで心配されるほどではないとフリットは口にしようとしたが、フォックスの声が横入りする。

「歩くのも辛そうでしたよ。婦長、どこに運べば?」
「それなら奥に」

カーテンの奥へフォックスはフリットを運び、エミリーが指示する通りに寝台に彼女をそっと下ろした。エミリーは必要なものを取りに更に奥の小部屋に姿を消している。

フリットから何か言いたげな視線があったが、言葉が出てこないようだった。此方が嫌っていると明言しているために遠慮しているらしい。
嫌っている相手から気を遣われるのも癪で、フォックスは言う気がなかったことを言ってしまう。

「さっきの」
「?」
「ウルフは司令がいいってやつですが、理由を求めるだけ無駄です」

目を見開いたフリットは次には伏せ、頬を染め上げた。好意に理由がないということは、純粋にそれだけであることに他ならない。理屈も一切なく、ウルフはあんたが好きなだけだと、フォックスは言外に言っていた。

「それ、は……うん」

自分の中で落ち着けたフリットは真っ直ぐにフォックスを見上げた。

「有り難う」
「っ」

虚を突かれたフォックスは、盛大に溜息を吐いてそっぽを向いた。
元レーサーは面と向かって感謝されるのが苦手な者ばかりらしい。フォックスはウルフほど苦手としていない感じだが、やはりどこか不慣れな態度だ。

「本当に感謝している」
「もうやめてもらえませんか」
「では、最後にこれだけは言わせてくれ。君のように良識ある者が、中尉が、仲間であることを心強く誇りに思う」

優しい眼差しで言われ、フォックスは口をへの字に曲げた。勘弁願いたいところであり、肩で吐息する。そんな顔で言われても嬉しくない。

「司令官からの高評価で身に余る光栄ですよ」

捨て台詞を置いてフォックスは戻ってきたエミリーと入れ替わるように去って行った。
医務室にいた仲間内に司令をお姫様抱っこしてきたことを揶揄され煩いと一蹴して外に出てきた。

自分らしいか、らしくないかはどうだって良かった。
自分では良く判っているのだ。司令官としての彼女自体は尊敬しているのだと。

「これっきりにしてぇな」

こんな面倒事は。







フォックスさんの司令嫌いについて。の小話で、Gエグゼスのコクピット内でウルフさんにフェラしたあの後です。
ふらつきながら医務室向かってたフリットを見つけてしまい、イヤイヤながらも無視も出来ずに手助けしてしまうフォックスさん。

フォックスさんのフリットへの嫌い感情のベクトルを今まで決めかねていましたが、これを書きながら定まりました。
司令としてのフリットは本当に心から尊敬しているけれど、素のフリットはどうしても受け付けがたいってのが本音で。ウルフが傍にいると素のフリットでいるから嫌なのと、遊び相手のウルフも取られたで、フォックスさんには二倍重ねでダメージ。
でもちょっとだけフォックス→フリット

拍手掲載日2017/06/26〜2017/09/17
サイト掲載日2017/09/17










◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




『Angst』補足SS
フリット+ウルフ+アセム+ユノア






「何か、して欲しいことはないか」

前振りもなく、突然口を開いたフリットをウルフは瞬き一つで医療ベッドから見上げた。
両手を重ねて握っているフリットは見上げてくる視線に恥ずかしくなって俯いていく。変なことを言ってしまっただろうか。

「何か?そうだなぁ」

考え出すウルフにフリットは俯きをあげる。
顎に握り手をあててウルフは真剣な素振りを見せる。フリットは固唾を呑んで見守る。

「手料理が食べたい」
「私の、か?」
「フリットの手料理」

駄目か?と首を傾げるウルフを前にフリットは首を横に振って駄目ではないと伝える。
もう少し無理難題な要求をしてくるのではないかと身構えすぎていたようだ。

「今の時間なら食堂の調理場も使わせてもらえるはずだ。何が食べたい」
「流石にそこまで我が儘言わねぇよ。積んでる食材にも限度あるだろ。任せる」
「お前がそれでいいなら。苦手なものは」
「この間言った通り柑橘系。つっても、食べられないわけじゃねーから気にすんな」
「解った。待っててくれ」
「愛情たっぷりに頼む」

注文を追加すれば、フリットは瞬く間に真っ赤になった。
満足そうな顔でニヤついているウルフから顔を背けたフリットは口元を歪めながらも声にした。

「善処する」



食堂を覗いてみれば、誰一人として食事中の者はいなかった。がらんとした食堂の奥に行き、厨房を窺う。
すれば、料理長が仕込みを終えた頃合いだった。彼が此方の姿に気が付いて会釈する。

「どうかされましたか?軽食が必要なら簡単なものを作りますよ」

司令に物怖じしない彼は、二十五年前からディーヴァの厨房に入っていた。その頃は新人だったが、今では料理長だ。

「いや、そうではない。少し調理台を貸して欲しい。それと食材も」

食材は足りなくなったら調達手筈は此方でやらせてもらうと律儀に申し出るフリットに真面目な人だと改めて思う。しかし、厨房を使いたいと言われたのは初めてだ。料理長は首を捻る。

「空いているところなら何処でも使って構いませんよ」
「すまない。助かる」

頭を下げると、フリットは厨房に足を踏み入れる。料理長から調理具と食材の場所やらを一通り聞き、袖を捲る。

食材を眺め、手に取る仕草を見守っていた料理長はそういえばここ一週間毎日フリットと言葉を交わしていると気付く。顔を合わせれば会話ぐらいするが、厨房の奥にいると顔を合わす機会すらないのだ。奥にいてもフリットがわざわざ声を掛けてくる。

「あの若いのにですか?」

別に含みがあったわけではない。そうなんだろうなと思ったので、訊いてみただけだった。
しかし、ギクッとフリットが肩を跳ねさせて、その後動かなくなった。

料理長は少し天然だった。フリットが固まった理由など知り得ず、首を傾げる。
フリットも料理長の性格は知っている。揶揄されたわけではないことを理解していた。ゆっくりと自分を落ち着けると、料理長に顔を向けて頷く。

「助けてもらった礼をしていないんだ」
「看病されているじゃないですか。充分尽くされていると思います」
「私の気が済まない」

真っ直ぐな眼差しに、本当に真面目な人なんだなと料理長は微笑む。と、自分は仕込み中の鍋の火の管理をしなければならないからとフリットから少し離れていく。
天然だが、ちゃんと察してくれる料理長の機敏には頭が下がるとフリットは小さく苦笑を零す。

さてと。と、必要な食材を並べたフリットは鍋が必要だと調理具が置いてある場所を覗く。一番小さい鍋を手に取るが、それでも一般家庭にあるものより三倍以上は超える大きさだった。



アセム達は食堂がざわついていることにお互いの顔を見合わせた。ざわついていると言ってもがやがやと煩いわけではなく、尋常ではないものを目の当たりにして言葉が出ないといったざわつきだ。
ゼハートとフラムを後ろに隠すようにして、アセムとロマリーが先導して食堂の奥を覗いた。

「アセム?」
「母さん?」

何してるの?と問うている丸い目にフリットはことりと首を傾ける。
フリットが手にしているトレーの上にはビーフシチューが乗っていた。身に覚えのある香りにアセムは気付く。

「それ、母さんが作ったよね?」
「良く分かったな」

母親の顔で微笑むフリットにアセムは瞬いた。

「鍋が大きかったから大味になってしまっていると思うが、作りすぎたから食べてくれないか。料理長には言ってある」

食事を摂りに来た者達が食堂に集まり始めた時間だった。今この場にいる者達に配膳すれば鍋は空になるだろう。
シチューが冷めてしまうからと、フリットは言葉少なに食堂から去っていった。

アセム達は席に座り、料理長が出してくれたビーフシチューを前にしていた。ロマリーとフラムが逡巡なく手を付け始め、ゼハートも続く。そんな中、アセムだけは戸惑いに考え中だった。
ビーフシチューをしかめ面で見つめる。肉は隊長の好物だったはずだと、ウルフの顔が浮かんでしまった。ブンブンと顔を横に振って浮かんだものを振り払い、スプーンを手に取る。

「看病してくれる彼女がいるのは羨ましいんだけどな」

言葉に反して微妙なニュアンスの声が別の席から聞こえてくる。その声の向かい席に座っている者がそのニュアンスに大いに頷き返していた。

「分かる分かる。司令だと思うとな、気が引ける」
「だよなー。庇護欲そそる可愛い女の子ならさあ」
「そういう子なら良いよな。はい、あーんとかやってくれそう」
「そうそう。司令は絶対やってくれないって」

あははははは。と笑っている声にアセムはとてつもなく顔を覆いたくなった。
やってる!絶対今日もやってる!アセムには母親がスプーンで掬い取ったシチューをふーふーと冷ましてウルフに食べさせている姿が容易に想像出来た。

平常心を保てなくなっているアセムのことをゼハートが心配そうに見つめていると、アセムの頭を後ろから抱き込む女性の姿があった。アセムの頭は大きな胸に挟まれて見えなくなっている。

「そのビーフシチュー司令の手作りってほんと?」
「そ、です。あの、離してくれませんか」
「あ、ごめんごめん」

息苦しそうな声に彼女はアセムを解放して四人の顔が見える位置に移動する。
彼女はアセムを見てフリットと似ていると感想した女性だった。ちなみに巨乳である。

「今さっき、料理長にシチューはもうお終いって言われちゃったの。少し味見させてもらえないかなーって」
「そういうことでしたら、俺のどうぞ。まだ手を付けていませんから」
「え!?いいよいいよ、一口で。全部もらうなんて大人げないし」
「いや、食欲なくて。母さんの料理の味は知っているので」

彼女は呻り、ゼハート達の顔を次に見遣った。三人とも代わりに食べてあげてくださいと頷いていた。

「本当にもらっちゃうよ?」
「どうぞ、俺は水取って来ますから」

此処に座ってくださいと促してアセムは飲み物を取りに行った。
彼女はお邪魔しますとゼハートの横に座り、本当に良いのかな?とスプーンを手に取り、恐る恐るシチューをいただく。

「ん、おいしい」

特別に何かあるわけではないが、家庭寄りの味に彼女の頬が緩む。これも美味しいけれど、自分の母の味が恋しくなり食べたくなってきた。
だから本当にアセムは食べなくて良いのかと、ゼハートを挟んだ場所に水を持って戻ってきた彼の様子を見る。何だか辟易しているというか憔悴しきっていた。

「息子君、大丈夫?」
「気にしないでください。あと、アセム、です」
「名前で呼ばないとだったね。ちゃんと覚えてますよ、アセム伍長 」

伍長と呼ばれることは少ないので戸惑ったアセムだが、こくりと頷く。多分、軍という組織にいるのだから呼ばれ慣れないといけないはずだ。

「ごめんね。私、司令のファンだからついね。気を付けるから許して」
「いえ」

別に厭だったわけではないからとアセムは小さく首を振った。
しかし、と。アセムは彼女がもくもくとシチューを平らげる勢いに圧倒される。それというのも、食堂にいる大半が手をプルプルと震わせてビーフシチューと向き合っているからだ。誰もが司令の手作りということに畏怖していた。
可愛い女の子に看病いないなと言っていた彼らもスプーンの進みは異様に遅く、会話で紛らわしているように見えた。手元が大きく震えている。

「司令って家庭向きの料理多いの?」
「でも初めて作るものは凝っちゃうみたいですよ」
「チョコレートのお菓子は絶品と評価して良いと思います」
「二人は一緒に料理したことあるんだ。いいなぁ、私も混ぜてもらいたかった」

女子グループの会話には入っていけないアセムとゼハートだったが、アセムがとある一言に顔を上げた。

「このシチューのお肉ちょっと辛いけど、大人の口には合うよね」

彼女の感想にロマリーとフラムが頷いている。
アセムはゼハートに目配せした。受け取ったゼハートは意味は理解しかねたが、アセムが問いたい内容は把握出来た。ゼハートはきつくはないが辛いと表現すべき味だと首肯する。

アセムはいつもの味付けと異なることを知った。香りは普段と変わりなく感じるのは、ビーフのみが違うからだろう。しかし、どちらかというと母親の手料理は全体的にも普通に薄味だ。辛かったり、濃かったりというのは基本的に有り得ない。
隊長好みにしたという憶測が確定に変わった瞬間だった。



ビーフシチューの良い香りを目下にウルフは口を開く。

「左手も大分調子良いし、そろそろ」

自分の手で食べられると、ウルフは差し出されているスプーンを前に困惑中だった。
最初は役得とばかりにフリットに甘えて食べさせてもらっていたのだが、彼女の反対側、自分からは左側にいる女の子の視線が痛かった。

ユノアはきょとんとした顔でウルフからの視線を受け取る。お見舞いに来てくれたのは嬉しいと思うものの、食事途中を見られているのは気恥ずかしかった。普段なら構わなかったが、子供の前で子供のように甘えているところを見られるのは幾分、自立心が削られる。
アセムの前だと平気なんだがなぁ、とウルフはフリットからスプーンを取ろうとする。けれど、避けられた。

「あと少しだ」
「ユノアはリンゴ待ちだろ?剥いてやれよ」
「私は後でもいいよ」

ユノアはちゃんと待てる子だから大丈夫だと、フリットはビーフを掬ってウルフの口元に差し出す。お前がさっさと食べきってしまえば問題ないと言いたげな顔をしていた。

「この状況は無理だろ」
「なぜだ?」
「なんで?」

両側から首を傾げられ、ウルフは固まる。フリットとユノアは瞳の色以外ではそれほど似ていないと感じていたが、やはり親子だった。何というか、天然具合が似ている。
気が緩んでいる時のフリットの雰囲気がユノアにもあるのだ。

「もしかして」

スプーンを引いたフリットが眉を下げる。

「口に、合わなかったか」

ぐっと口を引き結んだのは一瞬で、ウルフはスプーンに齧り付く勢いで咥えた。ビーフを咀嚼し、滲む肉汁を味わう。舌を刺激する辛みもある。
こっちの好みに合わせて作ってくれたのは最初の一口から判っていた。だから不味いわけがなかった。

「最高の手料理だ」

スプーンを胸元に抱き寄せ、持っていない方の手で頬を押さえたりして顔を隠そうとしている母親の様子にユノアは瞬く。自分の母親はどうやらストレートな物言いに弱いらしい。
顔を赤くしている母親と調子良くにこやかに笑う将来の父親を交互に見遣り、ユノアは顔を綻ばせた。自分が好きな温かさだと。

「ユノア?」

娘の微笑ましい顔に気付いたフリットが首を傾げる。ユノアは笑みを濃くして赤いリンゴを両手で胸の前に持つ。

「リンゴ、うさぎさんにしてね」

甘酸っぱい微笑みで、ことりと母親におねだりした。







負傷した若ウルフさんの看病中のフリットの様子を抜き出しました。
好きな食べ物についての話とかもしている後なので、相手の好みとか把握出来ている頃合いでしょうかとフリットにウルフさんのためのお料理してもらいました。
ウルフは自分に合わせなくてもいいとフリットに譲歩している部分ありますが、フリットはウルフに合わせるの楽しんでいたり知ろうとしている最中ですね。

アセムとユノアの現時点での気持ちの在り方もそれぞれ。
ユノアはあまり本軸の方で出すことがなかったりなので、こちらで補足を。母親がウルフの前で見せる表情にどきりとしたり、温かい気持ちになったり、ユノアなりに変化を受け入れていると思います。

サイト掲載日2016/09/19










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『Angst』補足SS
フリットとデシル







はたり。出会うとは思っていなかった男を前にしてフリットはそんな表情をして動きを止めた。
思いがけていなかったのは向こうも同じで不自然な様子で街中で歩行を止めた。

暫しの間、どちらも口を開かなかった。
先に身動きしたのは男の方で吐き捨てるように舌打ちをする。そして今は相手をする暇はないとばかりに視線を逸らした。だが、フリットは彼に近寄り、男の左手を掴んだ。
突然のことに男は肩を跳ねさせてフリットを振り向きざま睨みつけるも。

「手を貸してくれ、デシル」
「はあ!?」

表情を崩した。手を振りほどこうとしたはずなのに、懇願してくるフリットの眼差しにデシルは言い返すことも出来ずに掴まれた手を引っ張られるがままに店内に連れられて入った。

一時間ほど経過すると、フリットは店から出てくる。手には小さな紙袋を持ち、嬉しそうに頬を緩めている。
それに反し、彼女の後ろに続いて店から出てきたデシルは疲れ切った様子で青筋を立てていた。

店は宝石などを取り扱うジュエリーブランドの専門店だった。この店にフリットが何の用かといえば指輪を買いに来たのだと言う。だが、肝心のサイズが判らないことを店前に着いてから気付いて立ち尽くしていた。フリットが右往左往している真っ最中にデシルがたまたま通りかかった。
男物の指輪を買いたいらしく、こちらの手を何度も握っては贈る相手の手の大きさを測る道具にされた。デシルはそれが気に入らない。しかも変な繋ぎ方までされた。指を交互に絡めるように手を繋いできたのだ。いわゆる恋人繋ぎというやつだ。

贈る相手はあの男だ。フリットを挟んで言い争った獣じみた感じのあの男。
フリットがあの男とそういう手の繋ぎ方をしていると結びついた時点から何もかもが面白くなくなった。
ショーケースの中の指輪を品定めしながら一生懸命に選んでいる様子も無性に腹が立ち、デシルは何度も舌打ちしていた。厄日だ。

また舌打ちすれば、フリットが振り返った。流石に何度も態度の悪さを表に出せば苦情でも飛んでくるかと思えば、そんなことはなかった。
咎めるような顔を一切見せず、フリットは改まった顔を向けてきた。

「付き合わせて悪かったな」

すまなかったと頭を下げる殊勝な態度に、悪態を吐こうとしたデシルは出鼻をくじかれる。調子が狂い、右手に持っていた紙袋の中から林檎を一つ取り出して噛り付いた。
口を他のことに使うことで暴言を飲み込む。

必要以上に不機嫌オーラを醸し出しているデシルにフリットは困ったように微笑しつつ、彼が抱える大きな茶色の紙袋に視線を移す。
勝手な先入観を詫びつつも、彼の性格上からするに品物を正しく売買で手に入れるとは考えにくかった。だが、そうせざるを得ない事情があるとすれば。
店内に付き合わせている間に袋の中を観察してみたが、容量からして二人分の食料が入っていると推測出来た。
匿っている誰かがいる。

踏み込んではいけない領域のはずだ。だから、ここからは自分の憶測にすぎないが、デシルはヴェイガンからもその誰かを隠している。
袋から覗いている食材の品質を見た限り資金的にも苦労しているように見えた。店内に飾られた宝石の値段を見て目を剥いていたのだから、それなりの判断材料は揃っている。

フリットはデシルに一歩近づいた。

「あまり良い渡し方ではないが、受け取れ」
「……なんだよ、これ」

みすぼらしい者に慈悲を与えるような施しを握らされ、デシルは眉をこれでもかと顰める。
財布から紙幣を一摘み分引き抜いたフリットはそれをデシルに有無は言わせないとばかりに、強く握るように彼の手を外側から押さえる。

「感じ悪すぎだろ」
「そう思う感性は持っているんだな」
「馬鹿にしてんのか」
「いや。感心した」

面食らった顔を晒せば、フリットが微笑むのでデシルは隠さずに舌打ちをした。
デシルの様子をフリットは態度が悪いとは思わなかった。これは、彼なりの虚勢なのだろうと感じていたからだ。

昔、出会ったとき、彼は純真な子供を演じて近づいてきた。見破れないほど上手い演技力をあの歳で身につけていたのだ。ずっと、何故そんな必要があるのかと疑問だった。
それが彼の生きる術であり出世術であったのだと、正式に軍人になり縦社会に身を置くようになってからフリットは気付いた。比べると彼に失礼になるが、自分の出世術は上官と寝ることだった。それを何度も繰り返して当たり前になっていくと、感情を失うような気分に陥ったりもした。

同じではないが、共感を向けられるものだとフリットは腑に落ちている。
ゼハートに兄を恨んでいるのかと問われた時、フリットは答えを言葉に出来なかった。許すことと共感することは別だからだ。

「お前の弟を預かっている」
「やっぱりテメェんとこにいたか。誘拐犯に身代金握らされるなんざ愉快なこった」

それならもらっといてやるとデシルは札束を懐に無造作に突っ込む。
遠慮するはずはないと思っていたから、フリットは頷いて一歩下がる。

「迎えに来るつもりはないんだな」
「ねぇよ。あいつが尋問されようが俺の知ったことかよ」
「私の養子にしても良いか?」
「今、なんつった」
「ゼハート君を私の養子にしたい」
「あ?正気かテメェ」
「正気だから近親者であるお前から了承を貰おうとしている」

真面目な顔で返され、デシルは面倒くさいと地面に唾を吐いた。

「俺の知ったことじゃねえって言っただろーが」
「良いんだな。礼を言う」

必要以上に毒気を抜かれ、白けたとデシルはフリットの前から立ち去った。

赤髪の背中が遠のくのをその場から見送っていたフリットは自分の髪を結っているリボンに触れた。
デシルを前にすると、どうしても彼女の無念が胸を占めた。けれど、彼女はそんなことを望んでいない。復讐など望んでいない。

「せめて、償ってほしい」

自分はそう思っているが、彼女はそれさえも望んでいないと思えた。彼女の最期の瞬間、感じた想いはフリットと最後にまた会えて良かったのだと、会わせてくれたデシルに感謝しているのだと。
だから自分はあの時、彼に止めを刺せなかった。
その後悔を今も引きずっている。

俯けば、自分が手にしている小さな紙袋が目に入った。ちゃんと買うことが出来たとほっとする一方、後悔はしないと決意を固めた。この指輪を渡して、ウルフに全部伝えるのだと。





青髪の成人男性は小屋の扉が開け閉めされる音を耳にして書物から顔を上げた。

「おかえり」
「……」

返事とも言えない視線を一瞬寄越すだけの態度に彼らしいと苦笑が零れる。
向こうは違うと言うだろうけれど、自分にとっては友人であるデシルは大きな紙袋をテーブルにどさりと置く。その中から一番綺麗だと思われる林檎を取り出したかと思えば、こちらに無造作に投げてきた。

手に本を持っていたが、デシルとは幼いころからの付き合いだ。彼の動作や癖は誰よりも把握していた。だから片手で本を押さえ、もう片方の手で飛んできた林檎をキャッチした。手に林檎がおさまった瞬間に「お」と思う。彼にしては思いやりのある投げ方だったのだ。

長い付き合いの自分でもデシルは意外な行動をとる。自分が復讐に失敗して暗殺されそうになったのを助けてくれたりした。
我ながら卑怯甚だしいが、身代わりに街中に置かれた骸の出所はあえて問わずにいる。

「機嫌良いね」
「んなこたねぇ」

そう言って、デシルは食べかけの林檎を頬張った。
やはり機嫌が良い。その証拠に声に棘がない。本当に珍しいと、アラベルは林檎を一口齧った。







にょた司令が若ウルフさんに贈るための指輪買いに行った経緯でデシルと出くわしていた話。
デシルは典型的なヴェイガンっ子なので愛とか無自覚なんでないかなぁと、フリットに対して色々もやもやした感情持ってます。昔はデシルがフリットを振り回していたけれど、フリットに振り回されるデシルを見てみたくてこんなんなりましたー。
デシルのおかげでアラベルも生きてます!

拍手掲載日2017/02/06〜2017/05/02
サイト掲載日2017/05/02










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『AAis』第三部「Wort-Feier」補足SS
アングラッゾvsウルフ
ウルフ隊、グルーデック達






汗ばむ肌に吸い付けば甘い吐息が零れ、耳に届く。組み敷いている女を抱くのは二度目だが、最初の時から好きなんだと思った。性行為が。
慣れている素振りはないが、嫌がらないからだ。始める直前と終わった後は淡白な受け答えしかしないのに、最中は素直に何でも従う。
だからだ。もう何もかも自分の人生はこの後滅茶苦茶に壊される。現実逃避にこの女を呼び出して抱いている。

交渉内容は後で話すと言ったときは怪訝な顔をされたが、彼女は此方の雰囲気に何かを悟ってくれたようで自分から服を脱ぎだした。
見事な脱ぎっぷりに見惚れて固まっていれば、彼女は此方を振り返って「しないんですか?」と首を傾げた。

女としてはタイプではないし、そもそも自分には結婚を約束した女性がいた。それももう駄目になってしまったが、それを差し引いても目の前の女は愛せる人ではない。
自分よりも二回り以上若い女の裸体を見て身体は男として反応した。感情とは別に。
一度目だってそうだった。自分から女を誘ったのではなく、向こうがもう頼める相手がいないのだと困っていたからだ。

別に股を開く必要はないと善意で手伝うことを主張したが、それでは他に払うものがないからと更に困った顔をされた。この時点でお互いに言い合いを続けているうち、女の方が時間を気にしだして服を脱ぎだしたのだ。この時の記憶ではまだ裸になることに恥じらいや躊躇いがある様子だった。あの後、何人と寝たのだろうか。

まあ、男というのは正直なもので、女の柔肌を前にすればその気になってしまう。
同意の上。その言葉に後ろめたさはなかった。

初めてではないと言っていたが、ヤり慣れていないのは抱けば分かった。その証拠に学ぶように何でも従順に従っていた。
あれから一年近く経つはずだが、女は変わらずに従いを見せた。唯一、フェラだけ少し避け気味だった。やらせた後に「すみません」と謝られ、上手ではないことを気にしていた。そんなに悪くはなかったので「まあまあだった」と返せばほっとした表情を見せた。その顔は幼さの残るもので、アングラッゾは頬を掻く。

女の肩を押し、ベッドに押し倒して腰を揺すった。こんなに若い女を抱くのに狼狽えはある。タイプでもない。
けれど、ガンダムを駆る彼女は自分よりも大きなものを背負っているのだろうと思わされる。抱いていると、余計に。

どうやって助けを求めたらいいのか分からないと訴えているようで。たすけてと言えないその唇に目が行き、自然と自分の唇を落として重ねた。
瞬間。
女がぐずりだした。拒否だ。

嫌だと、抜いてくれと、啼き出した。訳が分からなかったが、此方の熱はそれどころではない。今更止められるわけもなく、嫌がっている女の身体を揺さぶり続けた。

終わった後、女は此方の顔を見ようとしなかったが、ぺこりと頭を下げた。申し訳ないことをしたと思っているようだ。何か気に障ることをしたのは自分のはずと気付いていたが、どうもそこを掘り下げられるのは避けたい様子だったので問わなかった。

「あの、それで、後で話すと言っていたのは何ですか?」
「ああ。それなんだが、俺と一緒に軍を出ないか?」

持ちかけられた内容に先ほどまで目を合わせようとしていなかった女は目をまん丸にしてこちらの顔をまじまじと見返してきた。

「軍を出る?」
「言葉通りだ。俺は何人か引き連れてバロノークを奪取する」
「バロノークとは新造戦艦のことですよね。それを奪取すれば反逆罪で捕まりますよ」
「逃げる力も必要だってことだ。アスノ、お前は強い。だから俺はお前が仲間にほしい」

声色はまっすぐだ。冗談ではないアングラッゾの様子にフリットは首を傾げる。

「そんな話聞き入れられません。それに、僕が告発する可能性が高いと思わなかったんですか?」
「そのために抱いたんだろ」
「事実は脅しになりません」
「事実は兎も角、実際はお前だって困るだろ」

そう言ってアングラッゾは室内に忍び込ませていた小型のデバイスを引き出し、簡単に操作すると画面をフリットに見せた。
映し出された映像と音声にフリットは顔を真っ赤にした。そのデバイスにはカメラ機能がついていた。そして、最中を一部始終撮影されていたのだ。

「ハメ撮りさせてもらったぜ」
「待って、それっ」

そんな映像をばら撒かれては今後誰とも顔を合わせられない。それだけはと眉を寄せて焦り、羞恥に染まる顔にこんな顔も出来たんだなとアングラッゾはほんの少し意外に思う。常に冷静沈着な彼女には珍しい。
手を伸ばすフリットの前でアングラッゾは己の剛腕でその薄いデバイスをパキッと割り砕いた。

「え」

言葉を失っているフリットにアングラッゾは豪快に笑う。

「あの、え?」
「脅すつもりだったんだがな、どうせ口説き落とせないとは思ってたさ」
「それなら余計……」
「告発したければ告発しろ。俺という人間はそこまでだったってだけだからな。一人の人生なんざそんなものだろう」

投げ捨てるようにアングラッゾが言えば、違う意味でフリットは眉を歪めた。否定はしないが、そういう生き方を認めたくはなかった。

「告発はしません」

最後に吐息を零し、フリットは衣服を整える。
その背中にアングラッゾは首をひねる。

「真面目なお前の性格にしては甘くねぇか?」
「情だとか、そういうものではありませんよ。交渉自体決裂したんですから」

背中を向けたまま続けるフリットは付け足すように小声で「僕もちょっと、あれでしたし」と途中で嫌がり、行為をぐだぐだにしてしまったことを詫びた。告発しないのは自分の非の支払い代わりだと。
情ではないと言ったが、それこそ情ではないかとアングラッゾは苦笑する。こういうところが厭ではないどころか好ましい部類だ。

「惜しいな。お前だったら軍以外でもやっていけるだろうに」
「例えば」
「海賊なんてどうだ」

ようやく振り返りを見せたフリットは困惑と苛立ちを綯い交ぜにした複雑な顔をしていた。
考える時間を置かずに即答で返ってきたその言葉は、暗にアングラッゾが宇宙海賊になることを指していたからだ。

「海賊なんて、それこそ軍どころか何よりも意義のない存在です」
「ここよりは自由だと思うけどな」
「人として守る定義のない集団を信じることは出来ません」

本当に何でもはっきり言う女だなとむしろ関心すらする。アングラッゾは自分の顎を指で撫でながら胸の内で「惜しい」と再び呟く。
海賊に対して拒絶を物申されたが、フリットの反論は尤もと思わされるほど強い。それは彼女の意思であり彼女の言葉で発されるからだ。自分を持っている人間は強い。

「お誘いくださったことは……その、ええっと、有り難く思います、けど」

一変して言葉に詰まりだすフリットの様子にアングラッゾは噴き出す。意志はしっかりしているのに、感情面ではこれだ。若さゆえかもしれないが、こういった部分は女の子として見られた。

近づいてくるアングラッゾにフリットは硬直する。
唇を内側に隠すように引き締めたことにアングラッゾはもしかしてと口を開いた。だが、フリットの行動のが何倍も素早かった。

「それでは失礼します」

頭を下げて足早に室内から出て行った。
一人取り残されたアングラッゾはゆっくりと動作して上着を羽織る。

「………もしかして、ファーストキスだったか」

頭を掻いた。







大事なものを奪ってしまったんだろうなと二十年、後悔していた。海賊になる前に自分が盗んだものほど罪の意識が強かった。

ようやく謝る機会が来たが、謝ったら謝ったで向こうの地雷を踏んでしまったようだった。近くに付き合っているらしい男がいて、そいつに聞かれたからだという理由には見当がついているものの、もう一度謝るべきかどうかが問題だった。あの時のことはもういいと言われたが、此方の気持ちがおさまらない。

そんな中、フリットがあの男と仲違いしたと彼女の息子から聞いた。それで此方と殆ど連絡を取れない状態だったのだと。
もう一度のチャンスは今しかないと、次の日、船長席から腰を上げた。

ディーヴァのブリッジから席を外したフリットは艦内にアングラッゾの姿があったことに驚く。 放置するわけにもいかないが、話しかけることも出来ずにいれば、向こうは自分に用があるのだと話しかけてきた。
無視することなく内容を聞いていたが、フリットは返事をすることが出来なかった。

「もういいですから」

早く話を終わらせたくてそれだけを言って、グルーデック達と話し合いをすべく目的の場所に向かい始める。すれば、アングラッゾは後についてきて同じ内容を繰り返した。
いい加減にしてほしいのに、ウルフとはもう大丈夫なのだと言いたいのに、口が上手くまわらなかった。

「あの若造とは終わったんだろ」
「終わったのではなくて、ですね」
「ムキになるこたねぇ。なんだったら俺が慰めてやる」
「誰が誰を慰めるって?」

通路の角から現れたのは話題になっていたウルフだ。彼の登場と声にフリットとアングラッゾは驚いて足を止めた。

ウルフの後ろにはオブライトやアセム達も続いていた。来た方向からしてトレーニングルームから出てきたところだろう。シャワー室で流しているものの、仄かに汗の匂いが漂う。
それがはっきり分かったのは、ウルフが手を伸ばして肩を抱き寄せてきたからだ。フリットは彼の匂いに身をすくめる。

俺のものだという有無を言わせない主張に、後ろにいたアリーサやマックスがあんぐりと口を開きっぱなしにする。

「お前ら別れたんじゃ……」
「あ?こんな良い女そう簡単に手放すわけねぇだろ。とっくに仲直りエッチしたっての」
「ぉ、お前、言い方を」

しかも息子がいる前でと、フリットはアセムの視線から逃れるように顔をそらす。
アセムとゼハートは一部始終を隣室の独房から聞いていたので二人揃って明後日の方角を見ていた。一番顔を真っ赤にして免疫なさそうに狼狽えているのはオブライトだ。

「それなら証拠を見せろ、仲直りしたってな」
「証拠か」

ウルフはフリットの顔を覗いた。ぎくりと口を引き結ぶ様子にこの場で唇を重ねるわけにはいくまい。
アングラッゾだけだったなら問題なかったが、アセム達がいるのだ。母親としての威厳や誇りを傷つけたくない。

「ほら見やがれ、証拠なんてないんだろ」

顔を見合わせるだけで何もせず何も言わないことに向かってアングラッゾが揚げ足をとる。
タイミングの悪いそっちが此方の都合を悪くしているのだと、ウルフはアングラッゾに不機嫌な顔を差し向ける。

「早とちりはやめてくれ」
「その女の身体分かってるのはテメェだけじゃねえって言ってんだ。セックス好きなのも知ってる。こいつの性格からして好きでもなきゃずっと続けられるわけがねぇ」

傍らで身体を冷やすフリットの変化にウルフはしっかりと肩を抱き寄せ直す。
アングラッゾの発言は侮辱以外の何ものでもない。彼女の息子がいる前で絶対に言ってはいけない失言だ。不機嫌から不愉快へと変わり、豹変した眇めをアングラッゾという男に怒りを込めて刺した。

ウルフからの威圧にアングラッゾは怯みそうになるが、こんな若造に押されるほど落ちぶれてはいないと睨み返した。
埒が明かない空気にウルフが怒声を浴びせようとしたが、フリットが身動きする気配に視線を落とす。

「貴方が言っていることは事実だ。だから訂正の言葉はない。誰とでも寝たのは確かですから」

そんなことを言わなくてもいいと、ウルフはフリットの言葉を止めようとアングラッゾを真正面に見据えた背中に手を伸ばす。けれど、次のフリットの声量に驚く。

「ですが、今は好きな人としかしたくないんだ!」

恥のない声だった。強い声にその場にいる誰もが驚きに目を見開いている。

あの頃と変わっていない意志の強さにアングラッゾはふっと肩を落とす。証拠も何も、フリットのこの言葉と声そのものが真実だ。

「相変わらず強い女だな」

自分が悪かったと引き下がるアングラッゾに焦燥を落ち着かせ、呼吸を整えたフリットは静かに続ける。

「心配をお掛けしてしまったようで、そのことについては謝罪します」

フリットはアングラッゾの存在を毛嫌いしているわけではなかった。それこそ昔は彼には幾度と世話になった。恩人とも思っている。

「それも相変わらずだ。悪かったのは俺だ、謝らせてくれ」

アングラッゾは懐からあるものを取り出してフリットにぽいっと投げた。けれど、それを掴んだのはウルフだった。
自分に来るはずのものを先に取られてしまい、フリットは後ろを振り返る。

「あー。そいつに取られると不味いんだが」
「あの、これは何ですか?」
「あん時撮っちまったやつだよ。中のメモリーまで割れてなくてな。捨てるのも勿体ねぇから、ずっと持ってた。謝罪ついでに渡そうと思ってな」
「えっ。ちょっと、返せ、ウルフっ」

二十年前のあの映像が入っていると知り、フリットは慌ててウルフの手の中にあるものを取り返そうとする。けれど、ウルフはフリットの手が届かないように手を上に挙げた。
子供のように欲しいものに手を伸ばして必死になっているフリットの姿に、オブライトやマックスがぱちぱちと目を瞠る。

「何入ってんだ、これに」
「何でも良いだろ。返してくれ」

教えてくれたら返す。言いたくない返せ。と互いに言い合いを始めているウルフとフリットにアングラッゾはうんうんと一人頷いている。

「キャプテン見っけ!」
「見っけですー!」

そこへウィービックとレウナが現れ、みんなが船長いなくて探していたぞとアングラッゾに告げる。そうかそうかとアングラッゾはバロノークへ帰ろうと二人を連れて踵を返した。しかし、言い忘れていたとフリットに向けて大声を投げかけた。

「それ良いオカズだったから何度も世話になったぜ!」

良い笑顔で爆弾を落としていった。

三人が去っていく間、誰も身動きが取れなかった。
アングラッゾの背中が見えなくなってから、ウルフが口を曲げながらフリットを見下ろす。

「フリット、正直に言え」
「も、黙秘だ」
「あっそ。なら返さねぇ」
「それは困るっ。返してくれ、お前見る気だろ」
「そんなに……俺に見られたくないのか?」

手を下ろし始めたウルフの様子にフリットは表情を弱くする。彼には、見られたくない。自分が他の男に抱かれている浅ましい姿など。
本当に厭がっていることならウルフはしない。だから、手の中のものを返そうと差し出してきた。
受け取れば良いだけだ。それで話は終わる。けれど、本当にこれで良いのだろうか。

今後、夫婦になるとしても、自分のことを全て相手に曝け出さないといけないわけではない。このままでも構わないはずだ。
なのに。唐突な疑問に埋め尽くされる。

「どうした。手、出せよ」

首を傾げながらウルフはほらっとデータの入っているメモリーをフリットの目の前に翳す。手を出さず、受け取らないフリットはゆるゆると首を横に振った。

「いい。お前が持っていろ」
「見られたら嫌なんじゃねぇのか?」
「嫌、だと思う。だが、それでいいのか、今の私には解らない」

見られたらと思うと怖い。けれど、ウルフに見られずにいることが正しい答えなのかが判らなかった。

「見るか見ないかは、お前が決めろ。どっちにしても私は咎めない」

一呼吸置き、フリットはふわりと表情を緩める。

「お前の気持ちが変わるとは思えないしな」

見ても見なくても。ウルフが向けてくれる感情はこの先もずっと自分の隣にあるのだと信じられる。昨日、それを思い知って、噛み締めたばかりだ。





フリットはグルーデックやグアバラン達と今後の経路などを話し合うためにブリーフィングルームへと向かった。
ウルフ隊は全員居住区の方に向かっている。

女子に割り振られている区は通り過ぎているのでアリーサの姿はない。
後ろの方で心此処にあらずなアセムにゼハートは大丈夫だろうかと思いながらも尋ねる。

「ああいうことを言える人だったんだな」

無論、フリットのことだ。好きな人としかしたくないと、そんな言葉があの人の口から出るとは思わなかった。

「俺も、驚いた。そういうこと言わないっていうか」

今まではそんな相手がいなかったというのもある。けれど、それを差し引いても、母親はあれを素で言える性格ではないと思う。

それほど、なのだなと。前を歩いているウルフの背中を見遣る。
頼もしい背中に少しの悔しさが混じる。この男に母親は強姦された。それがどこまで事実なのか母親に問い質せていない今は、ウルフを非難しようがない。
だから、ウルフは母親が好きな人だと自身に言い聞かせる。

「それよりさ。俺、余計なことしたかな」
「余計なこと?」
「海賊の船長に言ったの俺だし」
「別にアセムのせいではないだろう。きっかけはそうだったかもしれないが、行動をどう起こすかは自分自身の責任だ」

アセムの報告自体にも責任問題は付きまとうが、アングラッゾが行動したこと全てがアセムの責任になるわけがない。大半はアングラッゾ自身の責任だ。
仲直りまでしていることを伝えなかった落ち度として責任が少しはあるにしても、アセムの思い詰め方は過剰だ。

アセムは考えすぎるきらいがあるなとゼハートは苦笑を零す。
自分のことを見つめ直して相手を思いやれる優しさは彼の美点だとも思う。だから、負担になりすぎないように自分が注意して見ておこうと、隣に並ぶことを厭わなくなってから決めた。

後ろのアセムとゼハートのやり取りを何となしに耳に入れていたウルフは手の中のメモリーを目の高さまで持ち上げてじっと見つめる。

「中、見るんですか?」
「どうすっかなー」

オブライトの質問にウルフはどっちつかずの返事をする。
中身の映像はそれとなく見当が付いている。オカズだの世話になっただのの単語から結びつくのは単純にアダルトメディアしかない。
しかもフリットの。アングラッゾはまだ彼女が軍人になったばかりの頃の知り合いだと聞いているから、かなり若い頃のに違いない。

しかし、以前。フリットの昔の写真をばら撒かれた事件があった。これを見たら、あの男と同罪になるような気がしている。フリットから見たければ見ればいいと許可があるにしても。

「隊長はさっさと見てしまうと思ってましたよ」
「お前の中で俺はどれだけデリカシーがないんだ」
「デリカシーあったんですね」
「お前らなぁ」

マックスとオブライトに挟まれ、ウルフは眉間に皴を刻む。

そうこうしているうちにそれぞれの自室にオブライト達は姿を消し、ウルフは一人通路を進み続けている。

フリットと自分の自室は一兵達の居住区とは異なる区画にある。遠回りなのだが、隊長として部下を見届ける義務を遂行していた。
それを他の部隊長には意外に思われもしているが、自分の性格ゆえか真面目だと指摘されたことは一度もない。せいぜい面倒見が良いと思われる程度だ。これがフリットならば真面目と言われるのだろう。人柄とは他人からの評価や印象にも影響を与える。

自室への道中、ずっとフリットのことを考えていれば間もなくしてたどり着く。久しぶりと感じるほどの自室の匂いに頬が緩んだ。

独房から出てきてからは、詳細はまだだが作戦の大まかな段取りについてアセム達を交えてフリットから聞き、愛機の整備や部下への指南やらで休息はさほど取っていなかった。
フリットの方があの後あれやこれやと働き詰めであるから甘えたことを言う気は一切ない。強いて不満があるとすれば、先ほど近くで匂いを吸ったからか、ベッドにダイブしてもフリットの香りが薄かったことだ。

「デリカシーねぇな」

ベッドから直ぐに降り、ウルフは自分はあまり使わないがフリットが良く使っているデスクトップの席に腰を下ろす。起動させて、例のメモリーを差した。







「演説後にヴェイカンからの襲撃ですか」

ふむ。と、フリットは顎に手を当てる。グルーデックの情報によると、そうなる可能性は高いと推測された。

「我々の行動を察知して潜伏させることは予期出来るからな」
「私達が行動を起こさなくても襲撃するという根拠はありますか?」
「首相側にその気がなくなったとしても、ヴェイガンが潜伏だけで撤退すると思うか?」
「思いませんね」

ゼハートとフラムから二年以上前から画策している計画があることを聞いている。
二人がディーヴァと行動を共にして以降のこと。火星に戻り、イゼルカントとドレーネの側近を務めているダズからヴェイガン側の情報が二人に送られている。オルフェノアが関わっている情報については断言できるほど黒であること、そしてヴェイガン側で首謀している者達から融通の利かないオルフェノアに憤懣も溜まっているとのことだ。仕方なく協力関係を保っている雰囲気がある。
オルフェノアがヴェイガンに意趣返しされる可能性も見えていた。

ゼハートとフラムの言質は共有している。グアバランやラクトも同意見であり、作戦実行をどう動かすかの議題に移行する。首相の演説前、演説中、演説後、どのタイミングで自分達が介入するかによって大衆の受け取り方も違ってくるであろうし、作戦自体の各々の配置や役割も慎重に決断すべきだ。

演説の日まで一週間もない。ウルフとのことで時間を食ってしまったため、作戦実行の日まで休みは取れないなとフリットは思う。散々濃密な時間を得たし、暫くはいいだろうと内心で頷いた直後。

ブリーフィングルームの扉が開く音がしてフリットは振り返った。
驚いているどころではなく、掴まれた手首へと訝しさを注ぐ。

「中尉、離せ」

大事な作戦会議中だと眇めを向けたが、ウルフも此方に眇めを向けておりフリットは徐々に眉を下げる。

「ウルフ?」
「…………ッ」

手首を掴みはしたが、いきなり掻っ攫うことはせずに何か言いたげだが言葉を無理やり飲み込む様子にフリットはハッとする。

「見た、か?」

ぐっと詰まっているが、彼の表情は有言に語っていた。
見ていいとは言った。言ったのだが、もう暫し先のことになると思っていた。心構えがまだ不十分でフリットはさっと視線を避けるように落とす。

ガタンッ。と、円テーブルが揺れてグルーデックは下げていた視線をそちらに持ち上げた。あの若者にテーブルに上半身を押し倒されているフリットが目に入った。
テーブルが揺れた原因がはっきりしたが、視線のやり場を探し直さねばならなかった。向かい側のグアバランを見れば、彼は既にフリット達とは逆側を向いてチョコを頬張っていた。その横のラクトは視線を逸らさずにフリット達の様子を眺めている。
グアバランの方を見習ってグルーデックは向こうへと顔ごと視線を遠くに投げた。

視線が合わなくなったのが厭で、ウルフはテーブルにフリットを押し倒すことで顔を見合わせる。眉を八の字にしていたフリットの頬に朱が差す。この状況が原因ではないと気付いた瞬間、唇を落とした。

降りてくる唇に全身に力を入れたフリットだが、自分の唇に彼のものは触れなかった。口端の少し下の方だ。
他の者もいるから本来の目的を外してくれたようだ。目を細める。
けれど、グルーデック達は今、とフリットは視線を巡らす。

グルーデックとグアバランは此方を視界に入れないように向こうへと顔を背けてくれていた。問題はラクトだ。観察するようにじっと此方に視線を固定している。目が合ってしまうと。

「なに、気にすることはない。続けたまえ」

悠長にのたまった。どの神経で続けられると言うのか、フリットは反抗の声をあげようとするも。ウルフはその気だった。

軍服の上から胸の谷間に顔を埋めてくる。此方の手首を掴んでいた彼の手は腰にまわされ、フリットは自由になった両手でウルフの頭を引き剥がそうとする。

けれど、すぐさま身を引いたウルフに手のやり場がなくなる。流石に周囲の目があることに諦めたかと思えば、そうではなかった。腿裏をウルフの腕に持ち上げられ、膝を割り開かれた。
羞恥を覚える格好にされた直後、足の間にウルフが身体を入れるように迫ってくる。これでは、しているみたいではないか。と、フリットは目を潤ませる。

「ほう。服を着たままセックスごっことは、斬新なものだ」
「ラクト、実況はやめろ」
「失敬」

ラクトとグアバランの会話を気にしているどころではなかった。なのに、セックスごっこと言われてフリットは顔を真っ赤に染める。
服を着たままなのに完全にウルフが当てにきている。昨日の感覚を思い出して、内が震える。

いっそのこと、此処から連れ出してくれたら良かったのに。そう胸の内に滲むと、ウルフが耳元に顔を寄せて「気分だけでいい」と伝えてきた。また同じように監禁してしまうことを恐れて、反省して、考えに考えた末の行動なのだと知る。
けれど、自分はこれに耐えられない。ギシギシとテーブルが軋んで揺れる音を部屋に響かせたくない。

「私、は」

ウルフにしがみつくようにしてフリットは懇願する。

「こんな姿、もうお前以外に見られたくない」

二人だけのものにしたいんだと、しがみつく。あれを見て、こんなに必死に求めてきたのだ。この男のものだけになりたい。

ウルフは静かになり、フリットの腰に手をまわして、彼女をテーブルから降ろした。
アングラッゾに言い放っていたフリットの言葉が脳裏に繰り返されていた。自分はもうフリットの中でそれだけのものを占めている。

「話が纏まったら、時間を作る。それまで待っていろ」
「俺も此処にいていいか」
「それは、構わないが」
「お前抱っこしたまま」
「いや、構う」

フリットはウルフから距離をとる。それも二人の時だけにしてもらいたい。
条件が厳しすぎるだろうかと一瞬考えたが、この席にウルフに抱きあげられたままいる自分を想像して青ざめる。明らかに不自然だ。一瞬でも疑問に思った自分が怖い。

「粗方、話はついてるだろ。配置の件も三日は捻りたいしな、お前はもう席外していいぞ」
「いえ、せめて作戦の主な実行部隊と編成だけは仮にでも決めておかなければいけないはずです」
「男のことで頭がいっぱいじゃあ、無駄な作戦しか立てられないんじゃないか?」
「そんなことはありません」

グアバランに向かってフリットは眉を立てる。けれど、グルーデックが抑えろと手を翳した。

「フリット。奴はお膳立てがしたいだけでお前の評価は下げていない」
「え?」
「昔から言い方が悪い男だ。許してくれ」
「い、え。すみません」

素直に引き下がったフリットがグアバランを見遣れば、彼は食べかけのチョコを口に放り込み、もぐもぐしながらグルーデックへと余計なことを言いやがってと言いたげな顔を向けていた。
二十五年も会っていなかったのに、長年連れ添った旧友の空気がある二人に羨ましさを感じるほどだ。

「なあ。フリット連れてっていいのか?」
「ああ。その代わり、ずっと引き籠るようなのはやめることだ。次があれば、今度は私が制裁を加える」

グルーデックの言にフリットは驚く。特にあの件に関して何も言われなかったのだが、実は心配されていたことに。

深く頷いたウルフはフリットを引き寄せる。
向き合って、青い瞳に見つめられてフリットは伏せ目がちになる。「行くよな?」と眼差しに問われて。

「昨日の今日なんだが」
「好きな女はいつだって抱ける」

身体に緊張が巡り、フリットはきゅっと胸が締まる気持ちを抱く。頬が緩んで、熱くなって、恥ずかしい。
顔を自分の手で覆い隠すフリットの仕草があまりにも可愛らしくて、ウルフは彼女の手を引いた。





二人が消えたところで、グアバランがテーブルに突っ伏した。

「あー、ああークソ。じじいだからああいうのもう勘弁なんだー」

胸の内を吐き出し始めた。
それに対して呆れた吐息をラクトが零す。

「お膳立てしてあげたのではなかったんですか」
「見てられないからだろーが。俺はお前の神経を疑う」

他人の恋路を観察して何が楽しいのか分からない。しかも性行為まがいのものまでよくもまあ見ていられたものだ。顔見知りのやつのなんか見られたもんじゃないというのに。
こっちは必至でテーブルの揺れを押さえつけるのに必死だったのだ。少しは此方に協力しろ。

「疑うと言われましても。面白いでしょう、あんなに生意気だった子供が年増になってから若い男とくっ付くなんて」
「性根ひん曲がってるぞ」
「貴族の嗜みです」
「どこがだ」

お前もそう思うだろとグアバランがグルーデックへと同意を求めれば、彼はタブレットを手に戦略を練っていた。
二十五年前、利用出来るものは全て利用し、フリットを巻き込んだ。彼女の負担は減らしておけるだけ減らしておきたい。今のグルーデックの心情だ。

「どうした」

視線に気付いたグルーデックが手を止めて顔をあげた。微妙な顔をしつつ、グアバランは人差し指を彼の手元へと差し向ける。

「お前は昔からそういうところマイペースだ」
「そういうところ?」
「変わってないのはどうでもいい。あっちの話だ。お前としてはあの二人認めてるのか?」

あの二人、言われた後に口を閉じたグルーデックはフリットとウルフのことについて問われていると及ぶ。
とくに深く考えることもなかった。

「最初は驚いたが、良いことだと思う。お前達だって昔のフリットを知っているだろ」

指摘されてグアバランとラクトは顔を見合わせる。そして、グルーデックに向かって大いに頷いた。







アングラッゾさんとフリットの過去をここにて補足。若ウルフさんも自己主張強いけれど、フリットも強いよとそんな一面をば。
子供のころのフリットを知っているグルーデックさん達から見た今のフリットへの様子も書いてみたく。若ウルフさんとのやり取りに目のやり場に困ったり(ラクトさんはちゃうけれど)しつつも、祝福込みで見守ってあげたいはず。
時間軸的には粛清作戦前なので、独房室でウルフさんとフリットが仲直りにゃんにゃんした後あたりになります。

拍手掲載日2017/02/15〜2017/05/02
サイト掲載日2017/05/02










◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




『AAis』第三部「Wort-Feier」補足SS
フリットとウルフとAV







「ウルフ……最近お前度が過ぎてないか?」
「そうか?」

休憩室の片隅で行われているやり取りを男性陣は興味津々に遠目から覗いていた。それに反して、女性陣は神経質に表情を歪めて遠巻きにしている。

女性陣からの一部の声は。
本人達はこっそりのつもりだろうけど、隠れてないよねアレ。ウルフって顔は良いけどデリカシーないとこあるんだよね。レーサーの時は結構ファンだったけど幻滅。男って大概そう。司令に見つかってボコられればいいのに。
散々貶し落としていた。

ウルフと同期二名が三人であれこれと貸し借りの交換を続けていると、ビッグリングからディーヴァに活動拠点が変わっても休憩室に顔を出すのが珍しくなくなった総司令官が現れる。
少なからず緊張を持つ者もいたが、いつものことと慣れていたが故にウルフの向かい側に座っていた男性軍人達は隠さなければいけない物をテーブルの上に置きっぱなしにしていた。

いけないと気付いた時には遅く、既にフリットが自分達のテーブルまで近づいていた。一人が咄嗟にパッケージを隠すべく手に取るが、慌てすぎていて掴んだ代物が手から滑り落ちた。
テーブルから床に落ちる前にフリットがそれをキャッチする。

パッケージの写真とタイトルを一目したフリットが一瞬動きを止めた。男達からヒッと悲鳴が零れる。遠目に様子を窺っている女性陣からは期待の吐息が洩れていた。
しかし、彼ら彼女らが想像していた展開は起きなかった。

フリットは手に取ったそれを落とした男に差し出す。

「落としたぞ」
「ど、ど、どうもすみません」

受け取った男は恐る恐るフリットを見上げる。特に変わりのない面持ちに毒気を抜かれつつも大いに安堵していた。

「フリット」

ウルフに呼ばれてフリットは自然とそちらを向く。隣の椅子の座面を手で叩いて座ればと促されてフリットは頷く。
定位置とばかりにウルフの隣に躊躇いなく座るフリットの姿を見て、周囲は感想を持つ。それを代弁するがごとく、離れた場所にいる女性軍人が小さく呟き落とした。

「司令ってわりと素直だよね」

上官は指示する側だから今まで気付かなかったが、ウルフがこっちと引っ張ればフリットはそれについていくのだ。人はそう簡単に劇的に変化しない。ウルフとくっ付いてからそうなったのではなく、根がそうであるのではないか。
彼女の声を聞き取った者達は次々に頷いていく。

遠巻きに様子を見守っている彼らは更にと続ける。フリットがあれらを前にして眉一つ動かさないのだ。彼女からすればウルフがアダルトメディアを所持しているのは由々しき事態のはずなのに。
ウルフは堂々とメイド服を着た女性が映っているパッケージを自分の目の前に置きっぱなしにしていた。

見知らぬ女優が股をおっぴろげて下着を丸見せ、たわわな胸もはだけさせている。卑猥なパッケージ写真が明らかに視界に入りながらもフリットは顔色一つ変えていなかった。

「それはお前のか?」
「いや、こいつに借りたやつ。俺のはあっち」

ウルフは自分から向かいの真正面に座っている男をまず指差し、次にその横に座っている男の手元に指を移動させる。ウルフが言ったあっちはフリットが落としそうになったのを拾ってあげたものだった。
先ほど目にした写真とタイトルを思い出した矢先。

「ホテル行ったとき言っただろ?予行演習は大事だしな」

最近は熟女ものばかり収集していることを告げられたのは記憶に古くない。フリットは恥ずかし気に目を伏せる。

「フリットだって、ばあさんになってからも抱いてほしいって言ったし」
「そうは言っていない」

信じたいとしているだけだと横目を向けてくるフリットに生意気さを感じてウルフは肩を震わせて笑う。
むすりとしているフリットに苛立ちはなく、正しく表現するならば拗ねていると見えた。

常の司令官らしからぬ姿に向かいの二人が注視する。それに遅れて気付いたフリットが人前で過ぎたことをウルフと言い合ってしまったと視線を逸らす。
けれど、前々から引っかかっていたことをこの場でなら聞けるのではないかと思い至って、視線を戻した。テーブルを挟んだ先にいる二人を順番に見つめたフリットは静かに切り出す。

「不躾ですまないが、君達の意見を聞きたい。質問しても良いだろうか」
「えっ。あ、どうぞ」
「み、右に同じく」

ガチガチに緊張して席を立ち、背筋をピンと伸ばす二人にフリットは座ってくれと手振りと共に促す。席に戻った二人に畏まった議題ではないと前置きした。

「男の子なら、その類のものを所持しているのは普通か?」
「ええっと……もしかして、エロ本とかエロビデオですか?」
「そうだ」

司令の前では言いにくい事柄であったが、本人が聞きたいとしているならば口に出してもお咎めはないのだろう。質問された二人は互いを見合ってから、再びフリットへと顔を向ける。

「まあ、俺の周りには持ってないとか見たことないって奴は一人もいないですけど」

ふむ。と、フリットは考え込み、すぐにまた面を上げる。

「最初はどこで入手するものなんだ?」
「あー、そうですね。俺の場合は兄貴の部屋とか友達から」
「俺もオヤジが持ってたの勝手に見た口です」

それを聞いてフリットは肩を落とした。項垂れている様子にウルフは首をかしげる。

「何かあったか?」
「アセムが……持っていないんだ」
「は?」

ウルフどころか向かいの二人も、聞き耳を立てていた周囲までもがとぼけた顔を晒していた。

アセムが持っていないの意味を探るべく、ウルフがフリットに訊き込む。
そこで得られた情報は、今までアセムがアダルト関係の品を隠し持っている素振りが全くないということだった。自宅の部屋を掃除していても出てこず、艦内のアセムの部屋に行った時も何も出てこなかったらしい。

「出てこないなら出てこないで問題ないだろ」

母親としては出てこない方が歓迎できるものではないのかとウルフは首をかしげる。自分は見つかったエロ本で母親に頭を叩かれたことがあるため一層不思議に思う。

「問題があるないの話ではない。私が厳しくしているとアセムが思い込んでしまっている可能性だ」
「ああ、そういうことか。一理あるかもしれねぇけど」

秀才であるフリットの息子という立場上、許されない行為や行動がある。アセムが学業に手を抜かず成績上位をキープしていたことなどはロマリーやユノアが話していてウルフも知っている。
けれど、フリットの存在が直接関係しているような話でもないと思う。何を懸念しているのか。

「父親がいないんだ」

聞き取れたのはウルフと同じテーブルを囲む向かい側の彼らだけだ。そのうちの一人が自分が不味ったことを言ったのではとウルフにぎこちない顔を向ける。それに対してウルフは手をひらひらと振って見当違いだと宥める。
彼が言った「オヤジが持っていたのを勝手に」は失言ではない。それが一般的であるとフリットは前々から気付いていたからこそ、この二人に質問して自分の憶測が間違っていないことを確かめたのだ。

しかし、と。ウルフは眉を片方下げながらフリットを見遣る。彼女は俯き、膝に置いた手でズボンを握り込んでいた。
自分のせい。またそう思っているようだ。

「父親代わりまでとはいかんが、その役目俺がやってやろうか?」
「それは」

突然言い出されたウルフの申し出にフリットは目を丸くして彼を振り仰いだ。
ウルフの提案について詳細な内容を承知しきれていない段階だが、明らかに気落ちしていたフリットから陰が消えている。

向かい側の二人はフリットがウルフに惚れこんでいる理由を今この場で目の当たりにして大いに納得した。今まで不可解に思っていたのだ。あの司令がウルフと付き合っている事実に。
二人でナニをヨロシクやっている話は尋ねなくても聞こえてくるし、花嫁姿の司令にちょっかいを出したウルフの噂はここ最近で話題になっていた。それでも信じる信じないで言えば信じられないと思っている者が大半だろう。
彼らも例に洩れず信じていなかったが、フリットがウルフに向けている何かが特別な感情からくるものであると見て取れた。

「アセムに貸すぐらい苦でも何でもねーよ。むしろどんな反応するか面白そうだしな」
「良いのか?」
「リクエストあるなら聞くけど」
「………………熟女以外で頼む」
「処分する前でよかったな」

暗に熟女もの以外の収集はやめたと告げられて、意味を理解するのに少々の時間を有したフリットは次には顔を真っ赤にした。ウルフにも見られたくないが、それ以上に他の誰かに見られたくなくて深く俯く。

「それでお返しは?」
「お前……私に恩を売る気か」
「別に嫌なら構わねぇよ」

ただ単に会話を楽しんでいるだけの態度にフリットは嘆息する。しかし、厭な気はしない。

「何かしてほしいことでもあるのか?」
「これ一緒に観ようぜ」

ブッと聞き耳を立てていた周囲からお茶を吹き出す音がいくつか届いた。
ウルフが持ち上げて目の前に差し出してくるのはメイドもののアダルトメディアだ。先ほどまでは視界に入っても気にとめていなかったフリットは眼前に突き付けられたそれからそそくさと視線を外す。

「この女優、タイプだろ」

前髪を切りそろえていて、顔立ちは猫っぽい。恍惚な表情を抜きにすれば、外見は清楚感がある女性だ。ちなみに業界では新人の中でもかなりの売れっ子である。

「余計観られるものでは」
「ふぅん」

フリットの中で、ある種の聖域にあるようだ。汚したくないんだろうなと納得こそするものの、こんな反応のフリットを見てしまってはウルフも退くのが惜しくなる。これを観せながら、同じ触り方や行為をしたらどんな顔をするのか見たくて堪らない。

生返事だったのに喜々としているウルフに何となく厭な予感を覚える。以前と同様にアダルトものを並んで観て、その流れのままにするつもりなのだと予想まで付いていた。
だから、そのつもりなのか?と伏目で問いかければ、ウルフが此方の目を見て頷いた。まったくと、フリットは肩を落としながら吐息する。

フリットとウルフの一連のやり取りを間近にしていた向かい席の二人は驚きが大きい感嘆を得る。

「すごいですね。目で語り合って」
「何を」
「言葉だけが伝える術じゃないだろ」

指摘に顔を上げたフリットの疑問はウルフの声で一時停止する。彼の横顔を見遣り、フリットは今までの馴れ初めと言えるような言えないようなウルフとの数々を思い巡らせて立ち上がる。

唐突に席を立ったものだから室内の全てから注視される。お前のせいだとウルフを睨もうとしたが、弱みを握られていなくてもウルフに対して弱みが出てしまって失敗する。所謂、惚れた何とかというものだ。
今思えば、ウルフと初めて会ったとき、まだ少年だった彼に自分は想いを馳せていたのかもしれない。過去に一度だけ会っていたことを思い出してから、何度も胸がざわつくのだ。

「フリット?」
「ぁ。いや、すまない。戻る」
「おぅ」

時間に追われているわけではなかったが、ブリッジに戻る旨を伝える。休憩室の出入り口に身体の正面を向けた。けれど、一歩を踏み出す前にウルフを振り返る。首をかしげる彼にむず痒くなる頬をそのままにフリットは小さく言った。

「その……時間はある」

消え去る背中を見送りきってからも微動だにしないウルフの眼前に同期が手を上下に振ってみる。しかし反応がなく、もう一人の同期が息してるか?と肩を叩いたところでようやくウルフが動き出した。
テーブルに顔面を預けて突っ伏し、肩から上を寝かせたウルフに同期達が目を白黒させる。

ガシガシとその体制のまま頭を掻いたウルフはフリットの言動をにわかに信じ難い気持ちで、しかし本当に彼女が口にしたのをこの耳ははっきりと聞き取っていた。

「まじで反則」

可愛いにもほどがあると続ければ、同期達が頭大丈夫か?と奇異な視線と空気を寄越してくる。
この好さを他人と共有するのは勿体なく感じて、ウルフは自分だけのものだと優越を持って彼らをあしらう。

ディーヴァは一仕事を終えてビッグリングに向かっている道中だ。処理しなければならない細々した仕事が残っているにしても、今までよりも時間に余裕があるのは確かだ。
けれど、時間の猶予に関係なく、フリットは常に限りある時間を有効に使うべく行動する。だから彼女が自らの口で時間はあると口にするなど言語道断に等しかったはずだ。それを覆した高揚もあれば、単純にフリットの表情や言いぐさがストライクだった。
フリットに勝る女はどこにもいないと改めて確信する。

「ウルフ。お前、司令からのお達し忘れてないか?」
「お達し……あ、忘れてた」

翌日。アセムとゼハートに茶髪とツインテールの女の子が出演しているアダルトなものが手渡された……らしい。





それから数日後。 ビッグリング到着まで数時間となり、ディーヴァを収容したら次の手続きや人事異動を進めなければならない。特に火星圏との同盟は急ぎたい案件だ。
帰還までの道中に粗方まとめてはいるが、着いたら忙しくなるのは必須。
その前にこの間のことはどうなったのか、聞いておきたいとフリットはそわそわし出す。少し席を外しても良いだろうかと、横の艦長席に坐すミレースを窺い見る。

彼女が視線に気付いて振り返る素振りを見せたことでフリットは咄嗟に顔を背けて、立ち上げているパネルの画面に視線を落として操作しているように見せかける。
何もありませんと態度にしているフリットにミレースはやれやれの気持ちを吐息にした。粛正作戦の終わり、ウルフにGエグゼスでフリットを連れて着艦するように指示したのはミレースだった。作戦が無事に遂行出来た旨をアセム達からの連絡で受け取り、事前指示通りにウルフが行動しているかどうかを確認のためにGエグゼスと通信回線を開いた。
そこで映し出されたものにミレースもブリッジクルーも絶句した。ウルフとフリットが抱き合って繋がっていたのだから無理もない。衝撃が強すぎて暫し固まって通信を開いたままにしてしまったが、直ぐに閉じている。

しかし、その僅かな間でも見られていたことと、自身のモラルの無さにフリットは反省を持ち続けている。それくらいの推察はミレースにも出来た。
Gエグゼスが自動操縦に切り替えていたため、ディーヴァからの通信を自動で開くようにしてしまっていたのはウルフの落ち度なのだから、彼女一人が全ての責任を感じる必要はないことだ。

ミレースは特別怒っているわけでもなかった。フリットに対しても、ウルフに対しても。

「タイミングが悪かったのは私ですし」

独り言の声量ではなく、フリットは愕き顔でミレースを振り返った。

少し考えれば判ることだったと思っている。気を張っていたフリットも肩の荷が下りる頃だろうとウルフと二人きりにさせたのは自分の指示だ。
Gエグゼスがディーヴァに着艦後、顔を合わせたウルフから艦長のお膳立てだと思っていたと真顔で首を傾げられた。確かに今までそう受け取られるような指示を彼に出してきた自覚はあり、ミレースも納得して自身の発言に責任を感じていた。

「綺麗な花嫁を彼が放っておくわけありませんから」
「か、艦長?」

いつのことを言われているのか理解したフリットが顔を赤くし、ブリッジクルー達の視線も中心の二人に向けられていた。

「気を落とす必要もなければ、引け目を感じる必要もありません。後で戻ってきていただけるなら、席を外しても宜しいんですよ」

全てお見通しだとミレースの真っ直ぐな目が伝えてくる。それを真正面から受け止めたフリットであるが、眉を下げる。
そう簡単には頷けないフリットの頑なさにミレースは苦笑する。この頑固なところを崩せるのはあの男だけなのだろう。

そう考え及んだ矢先、当のウルフがブリッジに姿を現す。一番に緊張を示すフリットの横、艦長であるミレースに報告書とデータをウルフは手渡す。受け取り、報告書の数枚に目を通したミレースは不備はなさそうだと頷く。
その報告書はアセムとロマリーがゼハートとフラムの様子を記したものだ。二人の監視役として義務づけられたもので、ウルフに昨日預けたものだった。データの方はゼイドラとフォーンファルシアの戦闘映像などが入っているはずだ。それらを確認してまとめて提出するのがウルフの役目だった。

「問題なさそうですかね」
「ええ。大丈夫よ。データの方は後で確認させてもらいます」

報告書は大丈夫そうだと、近くにいたロマリーはほっとする。しかし、あれ?と疑問に思うことが続いた。

「それじゃ、失礼します」

そう言うや否や、ウルフはフリットに向かわず、ブリッジの出入り口に足を向けたのだ。
案の定、フリットの方も「え」と言いたげな顔をしていた。それから、背中を見せるウルフに肩を落とす始末。

吃驚してしまうものを前に見てしまったが、今のフリットの様子があまりにも可哀想でロマリーは出入り口の扉を開いたウルフに待ってくださいと言うために立ち上がった。けれど、それを言うことはなかった。

司令席に深く座り込み、俯いていたフリットは近づいてきた気配に顔を上げる。と、頭を撫でられた。

「冗談だけど」
「〜〜〜〜〜〜」

ブリッジを後にすると見せかけて、遠回りしてフリットの元にウルフは来た。驚いている暇もなく、フリットはからかわれたことに顔を赤くし、むくれる。ぽかぽかとウルフを叩きたくなるが、そんなことが出来るはずもなく、両手をそれぞれグッと握りこむ。

「さっさと出て行け」
「これでそれ言われてもな」

フリットの右手はウルフの軍服の裾を握っていた。そこに手を持って行っていたのは無意識だったらしく、指摘した直後にフリットは耳まで赤くした。

「これはっ」

バッと手を離すも、その手首をウルフにがっしりと捕まれてしまい、フリットは戸惑う。

「艦長」
「お好きにどうぞ」

正し、ビッグリングに着く頃には要返却ですとミレースは付け足す。了解とウルフは敬礼し、フリットを立たせる。
ウルフに引っ張られるが、フリットは待てと踏ん張り留まる。此方を振り返り見るフリットの表情には困り眉があり、ミレースはやはり苦笑する。

「後で戻って来てくださいね」

送り出す言葉を告げられてしまい、フリットはどうすることも出来ず、抵抗もしないままウルフに連れられてブリッジを後にした。

ウルフに引っ張られるがままになっているフリットは最近こんなのばかりだなと振り返る。ミレースと同じく、グルーデック達にもウルフと一緒にいるよう促された。
我が儘を言う前に望みが叶ってしまっている現状を素直に喜びきれず、フリットは承服しかねる思いを持っていた。良いことが続きすぎていて後が怖いのとは違う。生真面目すぎる性格と、自己評価の低さからくる不相応への感情だった。

「もっと喜んだ顔出来ねぇの?」
「なにを」
「俺が悪いことしてるみたいだろ」
「あ……すまない」

謝って欲しいわけじゃないんだがなぁとウルフは立ち止まり、フリットの顔をよく覗き込む。ひくりとフリットは顎を引いた。

「どうしたら喜ぶ?」

一度目を丸くしたフリットは何かを耐えるように視線を横に投げる。しかし、ウルフからの視線の強さはまだ自分に向けられており、逃げられない。
二人きりである今の現状を全く喜んでいないわけではない。しかし、ほんの少し不満があるとすれば。

「手」

言うと、ウルフは視線を下げた。
フリットの手首をウルフは掴んでいる。

「手を繋いでくれないか」

小さな声だった。
暫く、ウルフからの返事はなく、フリットはぎこちなく投げていた視線を戻す。その直後、手に温もりの感触があった。
愕いて視線をそちらに落とせば、願い通り手を繋がれていた。

「!」

しかし、互いの指と指を絡み合わせる繋ぎだった。望んでいた以上のことをされてフリットはしどろもどろに顔を真っ赤にする。
ウルフがこの繋ぎ方を好むのは知っているが、今何でこれなんだとフリットが顔を上げれば、ウルフはすかさず覗き込んできていた。

見つめられ、フリットは自分ばかりが翻弄されていることを悔しく思った。疑問が別のものに変わる。

「喜んだ顔をしているだろ」

自信を持って言ってやれば、「お」とウルフが愕いた顔をした。意趣返しが成功し、フリットは更に繋いでいる手をぎゅっとする。

積極的なフリットにウルフは心臓を高鳴らせた。大人がやる余裕ある積極さではなく、子供がやるようなものだった。けれど、ウルフはそういうものの方が慣れておらず、妙に意識する。
やばいと顔を逸らしたのはウルフだった。

顔を背けたウルフにフリットは小首を傾げた。どうしたと言おうとしたが、それより先に覗き見えている彼の耳が赤いことに気付く。褐色で肌の色が濃いから判りにくいが、じっと見つめていると赤みが増しているのが見て取れた。

「珍しいな」
「ぐ」

何も言えなくなっているウルフを前に、フリットは瞬く。こんな一面があったんだなと愕きが強い。けれど、新鮮さを感じ得てはいなかった。初めて目にするというより、気付けるようになったのだと思う。

不覚だ。ウルフは口元を手で覆う。自信たっぷりなフリットが思った以上のことをしてきて内側が騒がしい。自分が餓鬼だった頃に一目惚れした女と同一人物であるのだ。フリットほど過去を意識しすぎていないと思っていたが、自分も相当だった。

「ウルフ」

呼ばれてしまえば流石に振り返らないわけにもいかず、ウルフはフリットを振り返り見る。通常通りの顔つきに戻したつもりだが、頬は痒かった。しかし、そんな自分の状態はどうでも良くなる。フリットが幸せそうにはにかんでいたからだ。
恋仲の相手を見つめるよりも温かさがある眼差しを受け、ウルフは繋いでいる手はそのままに、もう片方でフリットの頬を捉える。

親指で頬を撫で、彼女がくしゃりとした瞬間に唇を重ねる。

「ん」

啄み、嘗めとられる。軽いけれど濃く感じてフリットは頬にあるウルフの手を外側から自分のそれを重ねると、やんわりと剥がして下におろす。手は触れあったままに。

「結婚したら、お前はどうしたいんだ?」

問われ、ウルフは深く考えることなく返答する。

「裸エプロンしてくれ」

その答えにフリットがリアクションする前に、ズザーッと転ける音が通路に響いた。
フリットとウルフが音がした方を振り向けば、アセムとゼハートが床面に伏しており、また息子に見られてしまったとフリットが臆する。

アセムとゼハートの二人はウルフに要件があり、彼の姿が見えたときに声を掛けようとした。だが、フリットの姿もあり、アセムが咄嗟に隠れてしまったのだ。隠れる必要はないだろうとゼハートとやり取りしているうちに、何やらウルフとフリットの雰囲気が変わっていき。余計に声を掛けづらい状況になってしまったというわけだ。
そしてウルフのとんでもない発言に二人同時に転けた。

がばりと顔をあげたアセムはその勢いのまま人差し指をウルフに向け、口を開くが上手く声が出なくて掠れていた。「落ち着け」とゼハートが背中を擦ってくれたことでアセムは呼吸を整える。

「――――っ、絶対に認めない!」

指を突きつけられてから五拍ほどの間があり、ようやく言ったなとウルフは頭を掻く。そして、フリットに視線を落とす。自然とフリットもウルフを見上げて顔を合わせる。

「駄目か?」
「む。嫌、ということもないが」

ウルフかアセム、どちらを優先するのかという話ではない。自分がそれを許容出来るのかの範囲によって返事は決まる。けれども。
そろりとフリットはアセムの顔色を窺った。非常にショックを受けている様子にフリットは躊躇う。

「少し、考えさせてくれ」
「まあいいけど」

息子の前である遠慮が嗅ぎ取れた。フリットからの拒否がない時点で結果は見えているため、ウルフは余裕で終わっていない話を一段落させる。

「それで。覗き見するためにそこにいたわけじゃないだろ?」

アセムとゼハートに向けて問えば、二人はうぐっと同じような顔をした。その顔を見て「ああ」とウルフは納得を抱く。フリットが近くにいると二人には不味い用件だと。

「ああ、分かった分かった。俺は今フリット専用で忙しいから、後でお前らの部屋に取りに行く。それでいいだろ」

舞台の台詞のように大げさに言えば、アセムとゼハートは同時に肩を跳ねさせる。次にはこくこくと何度も頷き、さっと自分たちの自室へ引っ込んでいった。

「専用?」
「お前は俺専用、俺はお前専用。だろ?」
「うん?」

判るような判らないようなとフリットは首を傾げつつ、曖昧に頷いた。
そこを一番に疑問に思うところがフリットらしくズレているとウルフはほくそ笑む。それを面はゆく受け取ったフリットは視線を横にしたが、息子のことでウルフに聞きたいことがあったのだと、視線を戻して彼を見遣る。

「そうだった。アセムのことでお前に聞いておきたいことがあったんだ」
「なんだ?」
「あの、あれだ。前に、貸してくれると言っていたのをだな、どうなったかと」

そういえばと今やんわり思い出した感じであり、先ほどのアセム達の態度や彼らに向けたあしらい言葉から察した様子が皆無だった。
フリットが尋ねたいのは先日の休憩室でのことだ。アセムにアダルトメディアを貸してやるとウルフは言った。

「そこは男の約束だから答えらんねーわ」
「え」

唖然とするフリットにそんな顔をされても言えないものは言えないと、ウルフは表情を変えずに何をしても無駄だと無言で告げる。
暫し睨み合いっこをしていると、フリットの表情が弱まる。息子のことを逐一知っておきたい親心は理解するが、アセムにとってはフリットに関与されたくないデリケートな問題だ。

「どうしても、か」
「どうしても、だな」
「解った……」

物分かりの良すぎるフリットにウルフは肩を竦める。
頼まれた分の返事はすべきだった。この程度なら言ってもアセムに被害はないだろうと、口を開く。

「まあ、お前の心配は見当外れだから気にするな」
「それはつまり」
「これ以上は言わねぇぞ」

安心していいのだと、ウルフの短い言葉にフリットは頷いて、ゆっくりと微笑みを持って「充分だ」と静かに理解と納得を見せた。

フリットは歩き出すウルフと手を繋いだままついていくが、次の言い方が引っ掛かった。

「息子達のシモの世話は俺に任せておけ」

微笑みがスッと引いていき、フリットはなんとも言えない顔でウルフに向き合う。
それに、ウルフは息子達と言った。ゼハートまで巻き込んでいる。養子の件を彼が思い直していたらどうするのだ。

「……余計に心配なんだが」
「俺の性教育は大真面目だぜ」
「そうは思えないぞ」

疑いの半目でフリットはウルフを見遣る。彼の実践を自身の身体で受けている身としては真面目だとは到底信じられない。巫山戯てはいないけれど。

「フリット抱くときはマジだからな。頭働かねぇんだよ」
「頭が働かないとはどういう意味なんだ」
「全部俺のもんにしたい衝動が強すぎて我慢出来ん」
「っ、そ、そうか」
「照れてるか?」
「こっちを見るなッ」

真っ赤な顔を下に向け、フリットはウルフの言及から逃れる。
横で笑っているのが繋いでいる手から伝わってくる。少し不満にもなる。けれど、少し心地良くもあった。
それだけ余裕なく必死に求められているのなら、許せてしまえた。

二人の自室の前まで来たところで、先に入り口を通ったウルフに強めに引っ張られ、フリットは彼の腕の中に収まる。
頬が胸板に埋まったまま、扉が閉じる音を耳に聞いた。

顔を赤くしている暇もなく唇を塞がれ、貪られるがままに目を瞑る。ベッドに移動することなく、壁に身体を縫い付けられ、唇の食み合いも続く。
口づけを交わし合いながら、手袋を捨てた褐色の手が服を脱がしにくるのを良しとして、フリットは口端から熱い吐息を洩らした。

彼女の司令服を乱し、ウルフは曝け出された首筋に鼻先を寄せる。舌を這わせ、びくりと身震いするフリットに噛み付こうとする。
思っていた衝撃が来ず、フリットはウルフの髪に指先で触れた。すると、ウルフが顔をあげて目を合わせてくる。

我慢していたくないウルフは急くように口を開く。

「メイド服着てくれねえ?」
「……順序立てて話せ」
「艦内にあったの見つけたから一回洗ってある」
「順序立ってないぞ」

しかし、ウルフが考えていることは把握出来てしまった。
あのメイドもののアダルトメディアを一緒に観たのは記憶に新しい。そのまま致す流れになったが、スカートとズボンでは同じようにはいかなかった。
後々で「メイド服のほうがいいか」とウルフが独り言を言っていたのをフリットも近くで聞いている。だからウルフがメイド服を手に入れたらどうなるかくらいは想像出来るというもの。

艦内にあった部分だけ予想外だが……昔はそんな代物置いたりしていなかったのに。
可能性があるとすれば、余興用の備品置き場にでも仕舞ってあったのだろう。

「嫌なら」

このまま此処でするとウルフはフリットの胸に吸い付く。

「ん。サイズが合えば、いい」

ピタっと動きを止めたウルフが顔を覗き込んでくる前にフリットは顔ごと視線を横にする。

そのあと、ウルフの目の前で生着替えさせられたフリットは四十年生きてきて初めての格好に身じろぎする。
自ら承諾したが、スカートの短いメイド服を着ている羞恥は隠しようもなかった。それに、少しきついと胸の窮屈さを覚える。
肩幅や丈は丁度のためサイズが違うと文句も言い切れない。そもそも、我慢の限界に達したウルフに飛び掛かられて文句どころではなかった。

と、ビッグリング到着直前にブリッジにウルフに送り届けられたフリットは内心で説明する。ミレースやクルー達の視線から顔を背けつつ。







下半分は加筆です。補足SSなのにうっかりエロ突入しかけてブレーキかけました。あぶないあぶない。
加筆修正中にウルフさんと花嫁司令がGエグゼスのコクピットでヤってたら愉しかろう(?)とそんなことあったよと挟み込んでおきました。ぐぬぬ顔してるにょた司令が見えるお。
アセムがアダルティーに興味持ってないよどうしよう心配だと訳わかんないことで悩むママさんフリット書こうとして思いのほかシリアス方面にいってしまいまして。息子の世話任しとけ!とウルフさんに修正お願い申し上げました。無修正だと…あれなので!イマドウデモイイネタイイマシタ

拍手掲載日2017/05/02〜2017/06/26
サイト掲載日2017/06/26










◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




『AAis』第三部完結後SS
十年後のウルフとフリット






反対側の街並みが透ける青空の下、コンクリートに摩擦を起こして白い巨人が急停止した。
それに続いてモビルスポーツが続々と追い付き、停止していく。

トルディアのサーキットは近々開催されるモビルスポーツレースのために、出場予定のレーサー達に解放されていた。

先頭の白い機体から銀髪の男が降りて来る。同じチームのレーサー達も降りてくると、先頭の男に駆け寄って取り囲む。

「出戻りのブランクがあるって信じられませんよ」
「この機体、スーツからスポーツにグレード下げてあるって本当っすか?」

モビルスーツとモビルスポーツでは規定スペックが異なる。
スポーツの方がより安全を意識しているため、ブースターの限界値などはスーツに劣っていた。

「スペックが下がってる実感はあるぜ。だが、スポーツ用に最高のメンテがされた俺様のGエグゼスは負けねえよ」

白い機体、Gエグゼスのパイロットであるウルフは胸を張る。機体もだが、自身の腕にも自信があるのだ。
三十二になっても二十代の頃と変わらない態度にピッチから姿を出してきた男が苦笑いしながら近寄ってくる。

「大口は今度ので優勝してからにしたらどうだ」
「リーダー、じゃなくてコーチか、今は」
「ああ。それと、今のリーダーはお前だぞウルフ」

分かっているとウルフは片手を挙げる。チームの元リーダーはウルフが戻ってきたタイミングでコーチに転身した。その際に彼から直々にリーダーの引き継ぎを言い渡されたウルフは二つ返事で引き受けた。

ブランクがあるとはいえ、チーム内ではウルフが一番年上であるため、誰からも異論は出ていない。大半は次の大会でウルフの走りを見て判断するといったところだろう。
今は別にリーダーとして敬われている感覚はなく、仲間として同列扱いだ。ウルフとしてはこの方が懐かしくて良いのだが、最近までモビルスーツ部隊の隊長をしていたこともあり、何かと自分から率先してしまう癖が付いてしまっていた。例えば。

「じゃあ、飯食いに行くか。外に行く奴は?」

男だけなので気にすることなくピットの日の当たらない陰で着替えながら、ウルフはチームメンバーに訊く。コーチを含め、レーサー達全員が手を挙げる。整備をしていたエンジニア達も。

「全員か。おやっさんとロディに留守頼むかな」

昼食は遠出ではなく、施設内の飲食店で済ませるのが恒例だった。ざっと今手を挙げている二十人分は楽に席があるからだ。

ピットの奥にいるマッドーナと彼の息子のところまでウルフは足を運ぶ。
二言、三言と言葉を交わしてウルフはチームの者達を引き連れて外へ向かおうとした。

けれど、ピットの出入り口になる扉が先に開かれる。姿を現したのはピンクのワンピースに黄色のストールを羽織った女性だ。ワンピースの裾には白い花びらが散っており、ピンクからのグラデーションを思わせる。落ち着いた若草色の髪はピンクのリボンで柔らかく結われていた。

彼女は人が集まっているのを目にして、軽く会釈する。それから、目的の人物を見つけて微笑む。

「ウルフ」

愛おしそうな声色で呼ばれているウルフへ周りの視線が一斉に向けられた。
近寄ってくる女性にウルフはどうしたのだろうかと首を傾げる。

「フリット、仕事あったんじゃねえの?」
「それは片付けてきた。ところで……買い出しか何かか?」

全員が集まっている様子を見渡してフリットは尋ねる。

「ああ、昼飯食いに。おやっさんが留守してくれるって言うから」

と言ったところでフリットが手に持っている紙袋を後ろに隠した。
目ざとく気付いウルフがその紙袋を奪う。

「ぁ」

紙袋の中を覗くウルフを前にフリットは両手を握り締める。
匂いを嗅いだウルフはチームを振り返った。

「俺、パス。おやっさん、留守代わるからこいつら頼む」
「さっきのさっきだったろうが」

マッドーナはロディの手を借りて腰を上げて立ち上がるとウルフに近付いた。それから理解して、フリットに気にするなと良い笑顔を向ける。

「野郎共、行くぞ」

ヤンキー臭いですおやっさんという声を掛けられながらマッドーナはチームの者達の背中を押す。

「行ってきますので、留守のほうお願いします」

頭を下げるロディにフリットとウルフは頷く。
二人を気にしてチームメイト達が時折振り返りながらも、彼らは扉の向こうに消える。

フリットは居住まいをどうしようかと俯く。ウルフはフリットの手首を掴んだ。瞬間、フリットは面をあげる。

「陽当たり良いとこにしようぜ」
「ああ」

ピッチ内の陽が差し込む場所に引っ張られてきたフリットは持ってきたレジャー用のシートを広げる。
二人して座り、間に蓋を開けた弁当箱を置く。それから食器類をウルフに渡す。

弁当の量は一人分。此方にだけ取り皿とフォークを渡して、座り込んでいるフリットに視線をやりつつ、ウルフはフォークでウインナーを取る。

「お前の分は?」
「作りながら摘んだからな。二人分の弁当となると荷物になるだろ」

水筒からコンソメスープをコップに注ぎ、フリットはウルフの傍にそれを差し出す。
そのお返しと言うように、ウルフは新たに刺し取ったウインナーをフリットの口元に差し出した。

「食べろと?」
「摘んだだけなんだろ?少しぐらい食えよ」
「……まぁ」

いいか。フリットは口を縦に開いてウインナーを頬張った。
スパイスを多めに使ったので、辛い。けれど、ウルフはこれくらいが好みだから失敗ではなかった。

ウルフは自分でももう一つ口に含んでからフリットを見遣る。
此方の好みに合わせた味付けでフリットが料理をしてくれたのは久し振りだ。家には赤子がいるから、味付けの濃いものをその子が誤って口に入れてしまうのを避けている。弁当だからその制約を外してくれたのだ。

「けど、本当に作ってくるとは思わなかった」

そもそも、此処に出向いて来てくれるとも思っていなかったのだ。

「ウルフが言ったんだぞ。弁当が欲しいと」
「そうだけど、生返事だったし」

気の乗らない態度だったのは認めるが、考えていなかったわけじゃないとフリットは視線を横にする。

「アセムとユノアにも作っていたことはあるんだ。苦ではない」

聞きたかったのとは違うが、フリットが照れ隠しをしているのは丸分かりだった。
ウルフは微苦笑してロール巻きにされたサンドイッチを指で摘んでフリットの口に持って行く。

暫しの沈黙の後、フリットはゆっくり口を開いてサンドイッチを咥える。ウインナーは半分に切ってあったため一口サイズだったが、サンドイッチは少し長めだった。

「あー」

ウルフが妙な声を出しているのにフリットは首を傾げつつも、残りも口に含んだ。
サンドイッチを食べきってからフリットは考える。

「逆じゃないか?」
「食べさせてくれんの?」
「い、や……そう思っただけで。それに、怪我をしてるわけでもないだろ。自立してくれ」

大分前のことだ。ウルフが負傷して医療ベッド上での生活をしていた時は世話をしたが、今は健康そのもの。必要ない。

「でも逆だって思ったんだろ?」
「それは言葉の綾、ではないか……」

フリットが引き下がろうとする素振りにウルフはすかさず言い重ねる。

「一人で出来ることは自分でやれってのは分かるが、こういうの感じるのは二人じゃないと出来ないだろ」

二人いることで成立するものもあると言ってくるウルフにフリットは落としていた視線を持ち上げる。
それから、ウルフが手にしているフォークに自分から手を伸ばした。手に取ってから、彼が差し出していなかった理由を考える。何となく察しが付いて頬を染めた。

「どれが良いんだ?」
「そっちの厚切りのハム」
「ん」

フォークで刺したハムをフリットはウルフの口元に持っていく。ウルフは逡巡もなく頬張る。
食べっぷりに思い切りが良いなとフリットは眉を下げながら微笑む。気になる味だったのか「美味い」とウルフが言葉を落とす。それにもフリットは嬉しくなる。



その様子を扉を少し開けた隙間からチームの者達が覗き見ていた。

「もう行きませんか?流石に趣味悪いっすよ」

マッドーナには程々にするよう言われた。先に行ったエンジニア班達は既に昼食に有り付いている頃合いではないだろうか。

「ここまで来ると気になるだろ」
「俺、あの女の人知らないんですけど」
「お前去年入ってきたもんな。あれウルフの奥さん」
「え、結婚してたんですか?」
「ウルフも指輪してるだろうが」
「しかも、連邦の元総司令官だぞ」
「マジっすか!?」
「軍にいたんですよね、ウルフリーダー。そこで堕としたんですか?」
「まあ、そんなところじゃねーの?」
「十年前から何度かウルフが連れてくるの見てるけど、変わらんすよね、アスノさん。もう歳は五十じゃなかったかな」
「歳も驚くけど、俺は司令官だった時の印象が強いからウルフに対してベタ甘な顔してる方が意外」
「ま、ウルフがあれこれやったんだろ」
「有り得る」

頷き合う彼らだったが、一番下っぱの新人がコーチの肩をばしばし叩いた。

「イテテ。なんだよ」
「あ、あれは不味いですって……!」

新人が顔を真っ赤にして、両手で自分の顔を覆った。
少し目を離していた間に大変なことになっていた。



綺麗に料理がなくなった弁当箱を片付けたフリットは食後のお茶をウルフに渡す。
水筒のコップに注がれた茶を飲んでからウルフはじっとフリットを見つめる。

「やっと着たよな、そのワンピース」
「着ようとは思っていたんだ……ずっと」

今までに何度も鏡の前では着ていた。だが、ウルフの前では初めてだった。

「それプレゼントしたの二年前だぜ?」
「汚したく、なくて」
「大事にしてくれるのは有り難ぇけどな」

それからもウルフはじぃっとフリットのワンピース姿を目に焼き付ける。

「似合ってんじゃん」
「世辞は止せ」

言ってそっぽを向いたフリットだったが、戻して首を横に振る。前言撤回したい想いが強くなった。

「お前が選んでくれたんだ。当然だ」

ワンピースの胸元に手を添えてフリットは面映くも自信を持って答えた。
頬を染めながらも浅く眉を立て、毅然にはにかんでいる。そのフリットの表情は珍しいもので、ウルフの心臓が跳ねる。

途端、フリットはシートの上に押し倒されていた。

「ウルフ?」

目を丸くしてフリットはウルフを真正面に見上げた。影をつくる彼の表情には興奮があり、フリットは戸惑う。

「ッ……!」

するりとウルフの手が太ももを撫で、ワンピースのスカート裾を捲る。かなり際どいところまで素足を晒されて気が気ではなくなる。

「おい、外だぞ。やめろ」
「青姦初めてだろ」
「外は、だめ……駄目だと」

陽射しが差し込む外の空気は清涼だ。明るい場所であることと、誰か来てしまうのではないかと不安がよぎる。

「聞き分けろっ」

口で注意しても無駄だと今までの経験上知っている。だからフリットはウルフの両肩を押しやる。すれば、ウルフはフリットの左肩を剥き出しにした。

ストールが落ちる。ワンピースの肩紐を下されたフリットは自分の手でそれを戻そうとするが、ウルフが手を重ねて止める。そのまま狼が首筋に顔を埋めてきた。

「ン……ッ」

痛みにフリットは眉を寄せた。問答無用で噛んできたウルフに涙目を向ける。
が、強引に唇を重ねてきた狼の暴挙にフリットは目を見開く。流石に場所も考えていない行動に彼の道徳観を疑う。
離れろと眇めに変えるが、ウルフが変なところを触ってもきていて、何処に力を入れるべきか定まらない。
右肩も外気に晒されてフリットは本格的に焦る。本当にウルフがやりかねないと悟って。

「ウルフ……ゃ」

首を左右に振った。それなのに、ウルフは離れず、顔を近づけてくる。

「俺が何回、そのピンクのワンピース着たフリットを抱く想像してたと思う」

耳元で響いた声にフリットはぞくりとする。
別に勿体ぶって着なかったわけではない。それはウルフも分かってくれていた様子だった。だったが……ずっと我慢させてしまっていたことに気付かされる。

気付いてしまったフリットは耳元のウルフに頬を寄せようとした。
けれど、人の気配に動きを止めた。ウルフもそれに気付いたのか、後ろを振り返ろうとしていたのに此方に頭が落ちてきてフリットは更に硬直する。

どうやらウルフは後ろの人物に頭を叩かれたらしく、その勢いで此方の胸元に顔を埋める結果となった。……わざとではないことを祈る。

硬直したままのフリットの上からウルフが引き剥がされる。
首根っこを引っ張られ、強制的に起き上がらされたウルフは不機嫌な顔を自分を引っ張った男に向ける。

「俺たちも此処使ってんの忘れるなよ」

不機嫌な顔を向けられたフォックスはウルフ以上の不機嫌な顔で言う。

「忘れてねーよ」

ウルフはフォックスの手を振り払う。

二人のやり取りに拍子抜けしているフリットは背中を起こして彼らを見上げる。
すれば、フォックスの後方にいる若いレーサー三人が顔を赤くして視線を外側に向け始める。

「司令、下着見えてます」
「……!」

フォックスに指摘されてフリットは自分を見下ろす。ウルフに乱されたせいで上も下も下着が覗いていた。
焦る指先でフリットは服を元通りに着直す。

肩を抱くようにして身を縮めたフリットは赤く染めた顔で結んだ口線を歪ませていた。
そんなフリットの様子にフォックスは短く吐息する。
彼もまた軍からの出戻りで、ウルフより先に退役してレーサーに返り咲いていた。チームは別だ。

「フォックス、こちらのご婦人と知り合いなのか?」

フォックスと同じチームの者が尋ねる。

「テレビとかで見たことないか?連邦の元総司令官だ」
「え?」

ウルフに襲われていたのではっきり顔を見ていなかった。フォックスの後ろに控えていた三人が恐る恐る婦人を見遣る。
確認した彼らは半信半疑にお互いを見合い、フォックスに視線を向け直す。
その視線には俺たちが知ってる司令官像と違うと書いてある。
服装の雰囲気の違いだけではない。彼らはもっと厳格な人をイメージしていた。世間一般の認識もそうだ。
そういった人柄は服装が変わっても滲み出るものだと思われた。

フォックスは同チームの彼らの視線を誘導するようにウルフを見遣る。

「そういえば、ウルフが連邦のお偉いさんと結婚したってここの奴らが前に言ってたな」

フォックスの視線を追いかけた三人の内の一人が思い出し、お前らも聞いただろ?と二人に目配せする。
後ろで頷き合う声を耳に入れながら、フォックスは立ち上がるフリットに視線を戻す。

「息子の尻拭いで辞めたんでしたっけ」

棘のある言い方をすれば、フリットではなくウルフから眇めが来た。
フリットは困り顔をしたが、視線は真っ直ぐだった。

「全て私の責任だ」

だから尻拭いではないとフリットは首を横に振る。

アセムは此方に相談もなく勝手に海賊になって軍からも家からも飛び出して行ってしまった。あの宇宙海賊ビシディアンの一員としてバロノークに乗り込んで。今ではウィービックと次期キャプテンの座を争っているらしい。
ユノアから聞いた話によれば、火星に里帰りしたきり何年も帰ってこず連絡も取れなくなったゼハートとフラムを探しに旅立ったそうだ。あの二人をフリットはアスノ家の養子として既に受け入れていた。だからフリットもゼハートとフラムの帰りを待っている。

アセムを連れ戻すでなく、彼の奇行は自分にも原因があるとして、フリットは軍を退役したばかりだった。元々、レーサーに戻ったウルフに追随するように退役するつもりでいた。予定を少し早めただけだ。

フリットが自分にも原因があるとしているのは、ウルフのことがあるからだ。アセムは未だにウルフが自分の母親を強姦したことを怒っている。
フリットは何度かアセムとその件について話し合ったが、息子は納得までしてくれなかった。
ウルフとアセムの仲は悪くないのだ。ただ一つ、アセムの良識からは考えられないことをウルフがしでかして、それをフリットは受け入れた。

そのせいでぐれてしまったのではないか。私の責任だとフリットは両手を握り込む。親として息子を導いてやれなかった、と。
ただ……。ロマリーから初めて聞いた事実もある。

自宅のフリットとウルフの寝室の隣がアセムとロマリーの寝室なのだ。壁が薄かったのか、夜聞こえていたらしい。ウルフに抱かれている時の喘ぎ声やその他もろもろが。
息子夫婦の夜の時間に水を差してしまっていたことにフリットは頭を抱えた。

もしかして、こちらが本当の原因だろうか。アセムがぐれてしまったのは。
しかし理由が何であれ、自分が悪いのだとフリットは肩を落とす。

フリットは弁当箱とシートを片付けて紙袋を持ち上げた。

「帰るのか?」
「他の用事もある」

引き止めようとするウルフにフリットはそう言って急ぎ足でピッチの戸口に向かう。
扉を開いたフリットは通れないほどの人集りが目前にあって固まった。
何をしているのか?と疑問するほど鈍感ではない。ウルフとの一部始終を見られていたに違いなかった。

赤面して立場をなくしているフリットにコーチは不味いことをしてしまったと、皆に指示を出して道を開ける。が、フリットは通れるわけもなかった。

そうこうしている内にマッドーナ達が開けられた道を通って帰ってきた。
頭を掻いて察しのついたマッドーナはフリットの背中をピットの内側に押す。

「そうだ、フリット。お前にちょっと訊きたいことがあったんだ。シャルドールのことなんだがな」
「え。あ、はい」

技術者同士の会話を始めながら、マッドーナは自分の定位置にフリットを連れて行く。
ピットの奥にある机にロディが設計図を広げて話し込んでいる三人の周りにエンジニア達も集まって興味深げに話を聞いている。

「お前らはさっさと飯食いに行けよ」

コーチらの元に来たウルフは彼らを引っ張り出すように外へ引きずっていく。

「ウルフも行くのか?」
「あのなあ」

お前らの好奇心のせいだろうがとウルフは機嫌の悪い顔を向けてくる。フォックスの言葉が相当頭に来ているらしい。
彼の機嫌を悪くした張本人のフォックスは自分達のチームピットに引き返して行ったそうだ。案の定、ウルフを昼に誘いに来たが一足遅かったところだろう。

「軍人辞めたって言っても軍属として仕事はしてるんだろ?アスノさん」
「今のモビルスーツはガンダムからの流用が多いんだってよ」

AGEシステムの第一人者がいなくなっては軍も困るだろう。
ヴェイガンとは和平が結ばれたが、火星圏側には秘密も多い。銀の杯条約に上乗せするような条約は提案されておらず、モビルスーツは今も尚強化をし続けている。

今日もそちらの仕事に向かっていると思い込んでいたが、休みだったんだなとウルフはもう一度思う。自分で休めるよう調整したのは想像に難くない。

「なにニヤついてんだ、ウルフ。気持ち悪い」
「結婚してない奴に愛妻弁当の味は分かんねぇよな」
「自分は勝ち組ですみたいな顔すんな、ムカつく」

そんな会話とやり取りをしながら、彼らが昼休憩からピットに戻ってきてみれば、フリットがGエグゼスの整備をしていた。
首を傾げたのはウルフだ。

「おやっさん、フリットの奴なにしてんだ?」
「ああ。お前の機体は元々シャルドールだから、俺は前の機体にスペック戻した造りにしてある。けど、Gエグゼスの規格っつーか、あれガンダムの設計をベースにしてたろ」
それで
「スポーツ用ギリギリにすると審査通るか微妙だから結構下げまくったんだよ。それでフリットに助言貰おうと思ってな、そしたら割とスペック上げられる箇所多かったんだ」

スペックを上げてもらえるなら有り難い話だと相づちを打ったウルフだが、フリットはまだこの後予定があるようなことを言っていたはずだ。

「フリット用事あるっつってたぞ」
「そうなのか?なら、後は俺がやるか」
「僕も手伝うよ」

マッドーナは腰を上げると、ロディを連れてエンジニア達に指示を出しているフリットに声を掛けに行く。
頭を下げたフリットが荷物を取りに此方に来るのをウルフは目線で追い掛ける。

紙袋を手に取るために少し屈んだフリットの頭をウルフは撫でた。
頭を持ち上げたフリットは仄かに頬を染めて、暫くウルフの好きにさせた。この行動は彼なりの感謝だ。機体を整備してくれたことへの。

周囲の視線は耐え難かったが、フリットはウルフの手を振り払うことはしなかった。
彼の手が遠ざかり、フリットは物足りなくないと自身に言い聞かせる。

「そういや、用事って?」
「オムツと粉ミルクを買いに行きたい」

え!?とチームメイトが一斉に驚愕の視線をウルフに向けた。
違う違うとウルフは手を振る。

「俺の子供じゃねーよ。こいつの息子夫婦の赤ん坊」
「ああ、成る程」

と皆が納得するも、あることに気付いて空気が停止した。つまり、目の前にいる婦人は孫がいるおばあちゃんということになる。

「ユノアは仕事でいないし、ロマリーに頼まれたんだ」

孫のキオのことを思い出してフリットは微笑む。

ではな、とフリットはウルフに目配せして去って行こうとしたが、少し迷う。
いってらっしゃいの口付けをする習慣が出来てしまっている。今は、人目があるからやめておこうと決意する寸前、ウルフが顔を寄せて来た。左の頬を差し出している。
フリットは踵を上げて、彼の頬に唇をしっとり触れさせた。

背伸びを元に戻したフリットは面映ゆい表情を次第に恥ずかしくしていき、俯き気味で会釈して足早に彼らの前から歩き去った。

「見てるこっちが恥ずかしいっての」

コーチが自分の顔を手で扇ぎ、ウルフへと半目を差し向ける。

「俺が自慢に我慢なんかするかよ」
「はいはい。お前の奥さんは綺麗だよ、五十に見えないし」
「俺様に抱かれてたら老けてらんねぇだろ」
「……もう少し手加減してやれよ」

あの人、真っ当におばあちゃんにさせてもらえないんじゃないかと他人事ながら心配になってきた。



くしゅっと珍しくくしゃみをしてしまったフリットは薄着だったかなと服装を見下ろす。
ストールを羽織り直し、ついでにウルフに噛まれた痕は見えていないなと確認して頷く。それから目の前の扉をノックした。

フォックスは自分が所属するチームピットの奥にあるベンチで雑誌を広げていた。

「お客さんだ、フォックス」
「誰だ?」

と顔を上げれば、チームの者の後ろにフリットがいた。表情を変えることなく、フォックスは立ち上がって会釈する。
フリットは前に出てくるとフォックスの会釈より深く頭を下げた。

「先程は助かった。有り難う」
「相変わらずですね」

律儀に礼を言うために此方まで足を運んできたようだ。会場から外へ出る出入り口はウルフ達のピットからの方が近いのに。

「俺は司令を助けたわけじゃないんで」
「構わない。ウルフを止められなかったのは私の落ち度だ。それに、君のおかげであることには変わりないからな。本当に感謝する」

もう一度深々と頭を下げたフリットはそれだけだと、去って行った。
彼女の姿が扉に消えてからフォックスは面倒という顔を露わにした。

「なんか、さっきのは司令っぽかったですね」
「あ、俺も思った。そんな感じ」
「向こうで見たときはもっとフワッとしてた気がしたけど」

先程と、ウルフ達のピットに邪魔しに行った時と比較しながらフォックスの近くにいた三人が口々に言う。

「あっそ」

機嫌悪そうに椅子に戻ったフォックスを見遣った彼らは首を傾げる。

「あれ?フォックス、あの人苦手なのか?」
「苦手っつーか、受け付けない」
「何処が?」

昔のフォックスは手が付けられなかったが、彼も今は大人になった。精神的にとても。
そんなフォックスが癇癪寸前の顔を渋くしている。気にするなという方が無理だ。

「正直すぎるだろ。あの何も疑ってない感じが駄目だ」

知恵のあるやつなら損得勘定するものだ。それなのに、近くにいるものは仲間だと信用を確定している。嫌われていても裏切らなければ信頼に値するという価値観はどうにも受け付けない。
しかも、自分は正しいと自負までしている。

「自信家なのもちょっとな」
「それはウルフもじゃないか?」
「あいつのは自覚してるからいいんだよ、司令のは天然」
「ふぅん。でも、お前がそこまでなんて本当に珍しいな」

フォックスはもうこの話は止めてくれと読みかけの雑誌を手に取る。

「てっきり俺はあの人にウルフを取られたからだと」

思ってましたと冗談で一人が何気なく笑い出し、二人もつられて笑い出した。
しかし、フォックスがグッと奥歯を噛んだことで笑い声が止まる。

そんな悪い空気の中、先程ピット内にフリットを案内してきたチームメイトがさっきの女性は誰だったんだ?と尋ねてきた。
フォックスがうんざりした顔をしたのは言うまでもない。







義母の帰宅する音にロマリーは顔をあげて、赤子を抱えながら出迎える。

「お帰りなさい。すみません、買い物お願いしてしまって」
「いいんだ。ウルフに用事もあったから」

ただいまと、フリットはロマリーの腕の中から手を伸ばしているキオに触れながら答える。
出掛ける前に珍しく服に拘るフリットを思い出してロマリーはくすりと微笑む。いくつになっても女性でいられるのはいいなと思うのだ。

「どうかしたか?」
「今日の服、可愛らしいですね」

着替えてすぐ焦るようにして出掛けて行ってしまったから、その時に伝えられなかったことを言葉にした。

「や、はり……歳不相応なのか」
「そんなこと言ってませんよ。似合ってるから可愛いんです。ね、キオもそう思うでしょ」
「あーう!」

赤子ながら自信満々な態度にフリットは目を丸くする。次いでロマリーにおずおずと視線を合わせる。

「えっと、粉ミルクはいつものところに置いておくな」

買ってきたものを取り出して部屋の中を移動する様子と、フリットの首筋につけられているものを見てロマリーはあてられたように頬を染める。

「おばあちゃん照れてるねぇ」

キオにだけこっそりと告げた。



カーペットの上をはいはいしていたキオが突然ぴたりと動きを止め、難しい顔をし始めた。
着替えるために二階へ上がろうとしていたフリットは新品のオムツを開けて、キオの傍に座り込んだロマリーへと近づく。

しかし、丁度。玄関の呼び鈴がなった。外からの大声からするに宅配だ。まだ早いが、キオのためにゲーム機を自作しようと部品を注文していたことをフリットは思い出す。

「私が出る」
「お義母さん、待って」

引き止められてフリットは首をかしげる。

「多分、私の荷物だぞ」
「いえ。その、言いにくいんですけど、首のところ、覚えがありませんか?」

首と指摘されてフリットは自分の首に手をあてた。

「あ」

自宅のリビングなので今はストールを羽織っていない。ピンクのワンピースだけでは隠し切れず、ウルフに押し倒された時につけられた所有印がまだ赤く残っていた。
外では気を付けていたが、油断していた。自分では見えない場所のため忘れかけていたのだ。

「大丈夫です、私が行ってきます。キオのこと頼んで良いですか?」
「ああ。そっちは頼む」

赤くなって委縮しているフリットに気にしていませんよと、ロマリーはほんわかと笑みを浮かべる。
玄関へ向かうロマリーと場所を変わるようにして、フリットはキオの傍に座り込む。

ぐっと力んでいたキオはしばらくすると「ほー」とした顔になり、すぐに嫌そうな顔をし始める。

「出したから気持ち悪いな。早く替えてしまおうか」

慣れた手つきでベビー服を脱がし、フリットはキオのオムツを取り換えた。
アセムやユノアの時を思い出すが、その頃よりも格段に取り換え速度は上がっていた。それは手慣れてのものではなく、オムツの性能だ。こういった物からも進化する技術向上が見られた。日常で実感する。

すっきりした様子のキオは抱っこしてほしそうにフリットを見上げた。よしよしとフリットはキオを抱き上げる。

「きゃっきゃっ」
「やはり、可愛いものだな」

赤ん坊は。キオに触れる度に、ウルフとの間にほしかったと思っている。諦めがついていることだが、少しは考えるのだ。
自分達にも子供がいたならばと。

「………それはそれで、ややこしいか」

頭を悩ませることになり、宅配の荷物を受け取ってリビングに戻ってきたロマリーは義母のアンニュイな様子に小首をかしげた。







拍手からの移動での加筆分はフリットロマリーキオの部分になります。おばあちゃんしているフリットの様子も入れてみたく。
地球圏用戸籍用意して一緒に住んでるゼハートとフラムが火星に里帰りしたまま帰ってこなかったり、アセムが宇宙海賊になってしまったり。心労重ねながらも、家庭大事にしているフリットです。

レーサーに戻ったウルフさん(34歳)にお弁当持って行って通い妻してるにょたフリット(50際)もありかなと。他のレーサー達が今後もいちゃいちゃする二人の様子を垣間見てしまったり波乱が予想されます。

拍手掲載日2016/12/18〜2017/02/15
サイト掲載日2017/02/15










































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