◆Lügner◆









一杯でやめるつもりでいたフリットであるが、二杯目を頼んでいた。
空になったグラスをバーテンダーが下げる。フルートグラスを摘み取って、此方の顔を一瞥したが何食わぬ顔で新しいグラスにワインを注いでいる。
無関心を徹底していることに品の良さを感じた。グルーデックが指定したBARであるから頷ける。日を改めて会うことになったため、彼は先に店を出ていた。

客足が増えて店内の密度が増したが、雰囲気はすぐに落ち着いた。この時間帯は忙しくなると店側が見越しているようで、奥からカマーベスト姿の男がもう一人現れると、注文をバーテンダー二人で回し始めたのだ。ウェイターは一人だけだが手際が良い。
フロア席の注文をこなしている若いバーテンダーを後ろに、カウンター席を担っている男が冷えた白ワイングラスをフリットの目前に差し出す。

冷やしたワインは空気に触れると温まる。風味を損なわないようにグラスはボウルの底が窪んだ形をしていて、柔らかさをそぎ落とした印象を与えた。
グラスのステムを摘むように持ち、リムに口を付ける。仄かな辛みが冷やした喉を焼こうとしては微睡んで静かになる。
これを飲んだら戦艦に戻らねばとフリットは決意をした。グルーデックと会ったことで感傷気味になっているのだ。長く浸るべきではない。
過去があっての今を悲観しているわけではないが、現状に歯痒さを強く感じている。開戦を促してくれたグルーデックに感謝しているのは本心だ。だから、終わらせるのは自分の役目だと誓った。誰にも打ち明けていない内なる自分との約束。
けれど。

何時までも終わろうとしない。終わる気配もない。長引いていくばかりだ。理由は分かりきっているが、フリット一人で動かすのは困難を極めた。
政治家にでもなれば少し変わっていただろうとフリットは想像したが、直ぐに打ち消す。自分の手腕は折衝に向いていない。交渉に苦手意識はなくとも、積極的にはなれないからだ。
それに、自らを鑑みる。志し有る軍人を動かすことは出来ても、複合体である国民感情を動かすのは難しいだろう。

息子に託したかったが、アセムは軍属を選んだ。親が子を縛ってはいけないと、フリットは息子の決断に口出しはしなかった。その代わりに我が子だからと甘やかさずに、一兵士として厳しく対応していた。
口の中にワイン以外の苦みが広がる。
フリットの脳裏に炎に包まれて焼かれていく母親の姿が蘇った。眉間に力を込めてしまう。

カラン、とBARの出入り口が開かれて新たな客が入ってくる。フリットは席を移動せず、出入り口が視界に入る席にずっと座していた。グルーデックが意図的に警戒を持って此処に座っていたことを理解する。
そして客の、見知った顔にフリットは目を瞠った。向こうが迷わずに自分の隣に腰掛け、此方の顔を覗いて口を開く。

「浮かない顔してんな」

指摘されてフリットは眉間を指で解し始める。ついっと、横目に私服姿のウルフを窺う。バーテンダーに慣れた様子で酒を要求する男の姿は様になっていた。出会った頃の悔しさが滲み出てきて複雑な心境になる。年上の部下。現状、ウルフは自分にとって上下関係の位置づけはそうだった。
時の流れによる環境の変化に、人は臨機応変に対応していかなければならない。生きていく本能が知恵を求めるのだ。
だが、ウルフという男には通用しないのだろうとフリットは喉の奥で微苦笑した。環境そのものを喰らい尽くす傍若無人な獣。彼の生き方は相変わらずで、それに憤慨したこともあれば、助けられたこともある。

「で、会えたのか?」
「ああ。明日、もう一度会う約束をした」

フリットはウルフにだけ、グルーデックと会うことを告げていた。落ち合い場所までは言っていないため、ウルフが同じBARを訪れたのは偶然だった。
グルーデックにはウルフもそれなりの感情がある。思うことはあると表情にするだけで言葉にはしなかったが。

「お前も待ち合わせか?」
「とっておきの美女とな」

からかわれていることを納得の上でフリットは静かに苦笑する。
昔はからかえば顔を真っ赤にしたりと子供らしい反応があったが、大人としての付き合いに至っているフリットを見つめてウルフは獣眼を細める。

「美女は嘘。ラーガンから連絡があった」

久しい名前にフリットが面を上げた。
現在、教導団で教官を務めているラーガンとは直接会う機会はなかなか無い。通信で連絡を取ることはあるが、それも稀だ。話す内容も軍務に一貫している。
今日は“ソロンシティ”在住の知人と仕事の話があるらしく、その合間に会えるかもしれないとのことだった。

「此処に来るのか」
「まあな。遅れるっつってたから、直ぐには来ないだろうけど」

思案しているフリットにウルフは口元に笑みを浮かべる。
フリットにとってラーガンが兄貴分なのは今も揺るがない。ラーガンにとってもフリットは弟分だ。立場の差が築き上げられてしまったが、端から見ていても二人の親密さは以前のままだった。

「いいんじゃねぇか?今日ぐらいハメ外したって」
「しかし」
「あっちは心配すんなよ。ミレースは仕事も出来る良い女だろ」

顔にまで出して迷い唸っているフリットは今では珍しい。酔いがまわり始めている様子に、これならもう一押しだとウルフは畳み掛けた。

「俺に連れ回されたことにしときゃあいい。一緒に朝帰りでも良いぜ」
「朝まではいない」

返事をしてからフリットはウルフからそっぽを向いて、そそくさとワインを口に運んだ。朝まではいないが、夜遅くまではいると彼に伝わってしまっているからだった。
それだけ深い付き合いだ。妙な照れくささも手伝って、手の中の二杯目をすぐに干してしまう。

その後でウルフへとロックグラスが差し出された。次いで、フリットのグラスが空になっているのに気付いたバーテンダーが僅かな所作でドリンクか水の注文をされますかと問う。
フリットが何か言うよりも先にウルフが口を開いた。

「俺と同じやつをこいつにも」

畏まりましたと会釈して、バーテンダーはロックグラスをもう一つ用意する。

「お前、それはウォッカじゃなかったか……」
「飲めるだろ?」
「すまないが、氷割りで頼む」

飲めないことはないが、ストレートはきつい。ウルフが一杯目にストレートのウォッカを選んで口に運んでいるのを呆れ目でフリットは見遣った。
氷割りのウォッカが自分のもとに来て、フリットはバーテンダーが瓶を所定の位置に戻す前にラベルからアルコール度数を確認した。七十二。
氷が溶けるのを待とうとしたが、ウルフが隣にいることで強がりが出る。フリットはグラスを手にした。

途中でラーガンから端末に連絡が入り、ウルフはグラス下のコースターを指の間で挟むようにして持ち上げ、酒場の店名が記されたロゴ『BEAKS BAR』を読み上げる。フリットも一緒にいることを伝えて早く来るように急かしておく。
通話が終わった後で、焦らせる必要はないとフリットは横から口出しした。けれど、待ち遠しい匂いを感じ取ったウルフは時間を感じさせないように口を開いた。

「まだアセムに腹立ってんのか?お父さんは」
「反省していたか?」
「反省はしてねぇな。誰かさんにそっくりで生意気」

命令を聞かなかったアセムは独房に入れられている。最終的には命令に従ったのだから少々やりすぎると言える処置だが、総司令官の息子の命令違反を見逃せば軍規が乱れる。荒治療に賛成のウルフはまあまあ仕方のないことだと見ていた。

「私のことを言っているのか……」
「さあな、想像に任せる」

のらりくらりと明言を避けられるが、お前だと確実に言われている。フリットは面白くなさそうな顔でグラスをまわす。

「アセムは、戦いたくないんだな」
「そうじゃねぇと思うけどな」

さらりと返ってきたウルフの憶測に、フリットは彼の横顔へと視線を向けた。自分の予想は間違っているのだろうかと、疑問して。
言葉にしていなくとも、フリットが何を問いたいのかウルフには丸わかりだった。

「向こうを敵じゃなくライバルって感じてるぜ。本人はまだ自覚出来てないみたいだったが」
「好敵手?」

眉を歪めたフリットにウルフは苦笑う。ヴェイガンを対象する言葉ではないと、その目が物語っていた。
相手が敵であることは事実だ。だが、事実を納得するために個人がどのような解釈を持ち出そうが自由でいい。肉をどう噛み砕いて咀嚼しようが当人の自由であるように。フリットの考えも、アセムの考えも、それでいい。

「ま、いいんじゃねぇの?ケチるなよ、戦う理由なんてそれぞれだ。お前はお前で、俺は俺だ」
「お前はまた無責任なことを」

憤慨に傾いていたフリットの気持ちはウルフの言葉一つで軽く蹴飛ばされた。呆れた吐息は和やかに落ちる。
独房入りの謹慎処置は出来るだけ早く解いてやろうとフリットは思う。思い始めた直後にはフリットは口を開いており、ウルフにアセムの解放を頼んでいた。承知したウルフの笑顔に救われる。

それからラーガンを待っている間に他愛ない会話が続いていたものの、したたかに酔っているフリットが船を漕ぎだした。飲ませ過ぎたとウルフは認める。けれど、不味ったと微塵も思っていない。

「大丈夫か?」
「大丈、夫、です」

呂律は崩せなかったが、口調は砕いた。
対等を持ちかけたのは自分の方からだった。二筋の流星と呼ばれていたことが懐かしい。レーサー時代に白き狼と渾名され始めた頃は渋ったものだが、フリットと自分を流星と表されたのは即座に気に入った。
その頃、精神的にも肉体的にも成長したフリットは自分で自分を認めて良い時期だった。それを諭すため、だ。

次の日から敬語をやめるのは困難だったらしく、慣れるまでフリットはあやふやな言葉遣いだったのを思い出す。それ自体も可愛げがあると感じたし、そのことで自分や周囲に揶揄された時の反応も面白かった。
対等の口ぶりが板に付いて、それもなくなると覚悟していた。けれど、名残は消えずに、今、目の前にいる。

素面では全く変わらないが、酔いがまわるとフリットが此方に対して敬語に戻ることをウルフは知っていた。本人は睡魔の狭間にいて覚えていないか夢だったかもしれないと、目覚める頃には曖昧模糊が常だ。明日になれば気にも止めていないだろう。
年下からの敬語は相手との段差を感じることが多いが、フリットからのは少し違った。此方を見上げて、迷いや不安を取り除く方法を見つけようとする。期待しているようにウルフは感じている。

フリットはテーブルに乗せた両手をそれぞれ強く丸めて握った。眠気に呑まれそうなのを食い止めるわけではなく、ウルフに弱音を見せそうになっていることを留まらせるために。
何時からだろう。ウルフに弱味を見せなくなったのは。もう一人でも平気だと、強がったのは。ああ、そうだ。と、フリットは邂逅して目を閉じた。ウルフから対等を言い渡された時だった。

テーブルに突っ伏すようにして寝息をたて始めたフリットにウルフは肩を竦める。加減を上手く調節出来ず、フリットと話す時間もままならずに何度も酔い潰してしまってばかりだった。
バーテンダーが此方を見遣ったので、帰る場所は一緒だからと閉店前には背負ってでもお暇することを告げる。勘ぐりの視線は無く、ウルフの新たな注文を用意し始めるバーテンダーの手元捌きは美事だ。
客の品位を店側が品定めしないのは有り難い。店内の瀟洒な空気に些か窮屈を感じていたウルフであったが、すっかり寛ぐように格好を崩していた。

ウォッカが運ばれる。別の銘柄だ。初めての店では同じ種類の酒を銘柄別に飲み比べをするのがウルフの習性だった。
これで三杯目だ。二杯目までフリットにも同じものを呑ませたが、やはりウォッカは度数が強かったようだ。氷割りで薄めてはいても、自分よりペースが速かった。悪酔いは記憶にある限り一度も無い。だからウルフも止めずにいた。

三杯目のウォッカを呷る。グラスを置き、フリットの寝顔を見つめたウルフは手を伸ばしていた。半端、無意識だった。寝顔はかつての面影が色濃く出る。それに吸い寄せられるように、整えられた緑髪をくしゃりと撫でた。
自分のとは違った毛並みの手触りにフリットから手を離せられず、暫く撫でつけを愉しむ。硬かった寝顔から幾分か力が抜けていくのを見て、ウルフは頬を綻ばせた。
それから手を離して、自分に引き戻して降ろす。その手は憤りを形にして握られていた。綻んだ表情も既に無く、無機質に苦渋を滲ませる。
あまり、フリットには見せない顔だ。

店内に新たな客が現れ、ウルフと顔を合わせると気さくな佇まいで隣に相席した。

「浮かない顔ですよ」

指摘され、ウルフは「は」と声にして嗤った。相席した相手、ラーガンが首を傾げるが、何でもないと手を振る。ウルフが店に入ってきて早々、フリットに言ったことと全く同じ発言だった。
残り僅かになったグラスの中を空にするウルフを横目に、ラーガンは彼を挟んだ向こうに焦点を合わせた。

「酔い潰さないといけないほどでしたか?」
「成り行きだ。お前が来る前に沈ませたのは悪かった」

フリットも話したがっていたと続けるウルフから内観の様子を見受けて、ラーガンは調子が狂う。

「俺は顔が見られただけでも充分です。帰る前にフリットが起きてくれたら、話も少し出来ますよ」
「相変わらず人が好いな」
「多忙なんでしょう。出来れば、最近の様子をお聞かせ願えませんか」

ラーガンが外したバイザーをテーブルに置いたのを合図として、ウルフは概要を掻い摘む。途中で口を挟まず、聞き役に徹していたラーガンは何もかもを聞き終えてから、深く息を零した。
沈黙を続かせないよう、ラーガンはバーテンダーに注文を入れた。数ある中から何処でも入手しやすいビールを頼んでいる姿にウルフは呆れる。

「フリットの奢りだぜ、今日は」
「自分の分は自分で持ちます。それより、酔いつぶれてたら難しいんじゃないですか?」
「財布は預かってる」

飄々と言ってのけたウルフに今度はラーガンが呆れる番だった。フリットもフリットだ。ウルフと共有することに何ら疑念がない。酒が入っていた理由があるにしても軽率に過ぎる。
ウルフだからという前提はフリットには根強い。こんな風に節操なく酔い潰れた寝姿を彼が晒すのはウルフと飲み交わす時だけだった。

「銭ゲバ」
「おい。そこまで汚くねーぞ、俺は」

ぼそりと呟いただけだったが、耳敏く聞きつけたウルフが睨んでくる。しかし、互いに本気ではない。冗談だ。
話題を変える布石にすぎない。

「貴方は過激派を否定していますか?」
「否定するも何もねぇよ。生き残れない奴らを生き残すのが俺の役割だ」

遠回しにラーガンはフリットの考えにどう思うか尋ねてきた。まだ若造と呼べた頃に比べてフリットの思想は今や鋭利さを増している。ヴェイガン殲滅を掲げたのだ。
後にエデンの実(アップルズ)と呼ばれる地球生まれのヴェイガンの民が出てくる。今、その親世代となるヴェイガンが地球に潜伏している。動向を何処まで掴んでいるかは定かではないが、フリットが無知である可能性は低い。そうであるのに、根絶やしなどと愚鈍なことを言う。
だが、無理もないことだ。ウルフもラーガンも、フリットが狂気じみた発言をし始めた理由に気付いている。

「長いこと、終わりませんからね」

戦争だ。コロニー国家間戦争の時のように複数の戦力が混戦する群雄割拠が繰り広げられているわけではないのに、一向に終わりが見えていないのは何故か。

「やりたくないってのが世の中の奴らの本音だ」

百年の平和を得ていた地球圏の国民達は非戦感情が強い。開戦してしまったものはどうしようもないと諦め、戦争を知らない自分達には終わらせる力もないからと戦いを支持することもない。
連邦国家は国民の支持がなければ成り立たない。軍事への予算や協力が消極的で、充分な支援がされていないのも戦争の長期化を促してしまっていた。

コロニー国家間戦争が終戦した根拠は幾つかある。その中の一つに物資の困窮が含まれていた。現在はそこまで追い込まれていない。むしろ、連邦は疲弊しないように物資を綺麗に循環させていた。誰だって貧しい生活は厭だからだ。

このままでは埒があかないのだ。インパクトのある変革をフリットが自ら先導せねばならないと考えたのは容易に想像が付く。自責を感じているのだ。
正義感の強いフリットらしいと、ウルフが寝顔に目をやり、ラーガンも続く。

「肯定もしないんですね」
「こいつの本心は別にある」

此処まで来ると敵わない。迷い無く、フリットを認めているウルフの態度にラーガンは常々そう感想している。
理解しているのに、ほんの少しでも疑心暗鬼していた自分自身を恥ずかしく思う。そんな此方の内心を見透かすようにウルフが言った。

「信じてやれ」

俺達は仲間であり、味方である。
咎めるでなく、従わせようとするでもなく。ウルフはラーガンの肩に拳を当てた。痛くはない。けれど、どんな勲章よりもその拳の意味には価値があった。

「ああ、そうだな」

無礼講だ。無遠慮な言葉と共にラーガンは拳でウルフの肩を小突き返した。
満更でもないウルフの透かし顔から、店に入った時の重苦しさは消えていた。此方との会話で気が晴れてくれたのなら申し分ない。

一息吐いて、ラーガンは漸くビールジョッキを持ち上げる。横でウルフがもう一杯頼んでいるが、注文の度にグラスは片付けられていて、彼が何杯干しているのかラーガンは知らない。肌が濃いと顔には表れにくい。酔いが足りていないのだろうと見当を付けたが、それは間違っていた。

暇を持て余していたウルフの右手がフリットに伸ばされ、髪の毛先を摘み弄り始めた。そこまではラーガンも何も言わず、ぼんやりとウルフの行動を見ていただけだった。
けれど、不意にフリットの髪から耳に指を沿わせていった。耳の外側を指の腹でなぞり、それから手を開いて親指と人差し指で耳を揉む。フリットの方を見ていてウルフの顔は見えなかった。
耳にはツボが多く存在している。マッサージでもしてやっているのだろうと思おうとしたラーガンであるが、ウルフがフリットの耳裏を指先で撫で揉むと空気の色が変わった。

「んぅ」

フリットの口から何とも言えない声が漏れた。他の客には聞こえていないことに安堵したものの、尚もウルフは耳裏を触り、瞼を震わすフリットから目を離さない。耳の穴に指を忍ばせるウルフの肩をラーガンは掴んだ。しかし、ウルフは構わずに中に指を入れた。
眉を捩ったフリットを見ていられず、ラーガンは口を開いた。

「ウルフ」

窘められた本人がフリットを触るのをやめた。それから、ラーガンをゆったりと見上げた。緩慢な動きは酔っているからだが、眇の鋭さは本物だ。悪戯にフリットに触れていたわけではないことにラーガンは頭を抱える。
ウルフは鼻を鳴らして頬杖をついた。そっと、フリットを一瞥してから、ラーガンに横目を向けた。

「手癖悪いの知ってんだろ。俺だって酔ってる」
「そのようですね」

酔った勢いでなんて安っぽい常套句をウルフから聞くとは思いも寄らなかったが、ラーガンは驚いた様子を見せずに姿勢を直した。
構いたくなる気持ちは譲歩するとラーガンの態度から見て取り、ウルフはくつりと短く笑い出す。

暫く会話もなく、横並びに酒の味を確かめる。

「話戻すが、実際に難しいと思ってんのか?お前も」
「教え子も年々減っています。人口は多いんですけどね」
「だからこその成人年齢の引き下げか」

頷き、ラーガンは目を落とす。
軍人への志願者が少ないのも非戦感情が大きく影響している。特殊な例外を除けば、戦争を仕事としているのは軍人だけで、他の職業に就けば戦場とは無縁のまま一生を終えられる。コロニーをヴェイガンに狙われでもしない限り平和なのだ。

「悩みの種も少しあります」
「言ってみろよ」
「囚人がこっちにまわされてくるんです」

それは初耳だとウルフが瞬く。
詳細を聞けば、刑務所を出所してから行き場のない者を国のために働かせるという名目で斡旋されてくるそうだ。そこまではいい。だが、中には刑期を全うしていない囚人も流れてきている。
刑務所内でのグループ抗争は看守達にとっても扱いが難しく、抗争を宥めるために内部で影響力のある者が弾き出されて来ていた。また逆に、軍の爪弾き者を免罪で刑務所送りも有り得る話だった。

「ウルフも気を付けてください。刑務所にパイプを持っている上官はいくらでもいます。実際、フリットが……いえ、失敬」
「おい、それ」
「すみません。忘れてください」

頭を下げられてはウルフも渋く口を閉じるしかなかった。何時のだと、ウルフは振り返る。上官なんて腐るほど殴り飛ばしてきた。その度にフリットは手を回してきたのか。知らないところで世話になっていたとは、自嘲すら出来ない。ウルフはフリットを一瞥して、喉から出かかった感情を無理矢理呑み込む。
それに、今考えるべきは別だろう。刑務所だ。グルーデックの場合は自らスケープゴートとなって、刑期を全うして贖罪を果たした筈。ラーガンの話と照らし合わせ、釈放されて直ぐにフリットと連絡を取り合ったとなると、刑務所と軍が裏で繋がっている線は強い。

珍しく難しい顔をしているウルフにラーガンは明るめの声で話を少し戻した。

「鍛え直しがいはあるんですけどね。民営化でもされたら変わるでしょうか」
「その民営化も難しいんじゃねぇか?」

国が管理しているというのは国民にとって信用に足る。仕組みは理解していなくとも、安心感があるからだ。
連邦国家と連邦軍が密接であるように、連邦国家と刑務所も密接だ。先述が事実であれば、厄介者を軍と刑務所のどちらかに移動させるなど造作もない。

ラーガンの言うように国の手から離して民営化するのも手だが、それはそれで問題が出てくるとウルフは眉を潜める。
レーサー時代にスポンサー達の動向を間近に見ていたからこそ知っている。儲けたいと考えるのが企業という民間組織だ。

建設的なビジネスなら良いが、刑務所という陰鬱な場では望みは薄い。受刑者を増加させ、とてつもない低賃金で働かせるだろう。
それに、国が請負っていた時のルートは死滅せずに残っていると思っていい。教導団の生徒として送り込まれてくる数は減っても、なくなりはしない。罪を犯して刑務所に入っていた軍人が復帰してくるという出戻りもあるに違いない。

互いに相づちを打ち、ラーガンは現状を受け入れることにする。

「気長にやりますよ。そういえば、フリットは貴方が誘ったんですか?」
「ん。ああ、まぁ、そんなとこだ」

考えながら口を開いているウルフにラーガンは了解したと頷く。
刑務所に関することを話題にしていたため、ウルフはかなり歯切れ悪くなったことに顎を掻く。グルーデックとフリットが面晤していたのは極秘だ。フリットが自分にグルーデックと会うことだけでも言伝たのはもしもの時のためだろうと、ウルフは解釈していた。

「お前は他の馴染みと会う機会もあんだろ?」
「ええ。つい最近、グアバラン提督にお会いしました。覚えていますか?」
「あんな濃い人相を忘れられるか」

グルーデックと因縁のあるグアバランの名前が出たが、今度は平静にウルフは口を開いた。二度も墓穴を掘るほど間抜けではない。

「もう退役してたよな」
「俺達の方から特別講師として招聘の声を掛けたんです」

一悶着あったとラーガンの顔にありありと書いてあり、ウルフは声を出して笑う。話を聞かなくとも教導団側が彼の好物であるチョコバーで手を打ったのが分かったからだ。

「提督も懸念していました」
「世話してたもんな」

ラーガンがフリットに目をやり、ウルフも納得に肩を竦める。
戦艦ディーヴァを含めたクルー達の処遇もであるが、AGEシステムを存続出来るように働きかけたのはグアバランだ。人格に難ありだが、人望は篤く、恩義を絶対に裏切らない男だ。ガンダムの処遇についてもフリットからの要望を可能な限り汲んでくれたのもあり、フリットがグアバランに信頼を置くのに時間は掛からなかった。

「今の状態は海賊に有益だとおっしゃっていたのが印象的でしたね」
「沸いてるよな、そこら中で」

宇宙海賊は冷戦を望んでいるという話はよく耳にする。
国家同士が敵対することで軍事力強化を促す軍拡競争を一番に支持している。兵器を使わずに戦争することを冷戦と呼びはするが、兵器を作らないとは言っていない。軍備の拡張には軍事兵器開発も含まれるからだ。

海賊とて強さは欲しい。それらのおこぼれをサルページして強奪しようというのだ。彼らにとって終戦は地獄でしかない。戦争の続行を望んでおり、より長くその状態を保つには冷戦が最適だった。現状も似たようなものであり、宇宙海賊は増加の一方だ。

第八宇宙艦隊を率いて海賊狩りをしていたグアバランにとって専門分野だ。長ったらしい演説は願い下げだが、そのあたりの情勢を知り尽くしている講義はウルフも聞き囓りたかったと思う。

「貴方の性に合っていそうですが」
「海賊が?馬鹿言え、あいつら大概真っ黒じゃねぇか。それにな、お前やフリットと連んでる方が百倍も愉快だ」

眉を跳ね上げたウルフは軽口でラーガンの言を否定した。子供の遊びは終わりだと、最後のレースで決めた。レースは純粋に愉しんでいたが、スポンサーや主催者達のビジネスの上で踊らされるのに嫌気がさした。海賊も道化を演じるのは同じだ。

軍の中でも嫌気を覚えることはあった。反連邦組織の粛正とは名ばかりの横暴、馬の合わない上官共の尻拭い。
それでも、軍を辞めずにきたのはフリットという面白い奴が目の前に現れたからだ。ラーガンとの連携は自分のポテンシャルを向上させられた。どちらもレーサー時代には得られなかったものだ。

海賊になったってそんな宝は手に入れられない。それに、海賊になるほどウルフは自分自身も世の中も悲観していなかった。
やりたいことだけをやればいいってものでもない。やりたいことも、やりたくないことも、どちらもこなしてこそ大人だ。
そうやってウルフは自分が生きている証を感じていた。

「それは。嬉しいことですね」
「お前らを褒めてるわけじゃねぇぞ」
「分かっていますよ」

微苦笑で照れくさいと表情にしているラーガンにあてられて、ウルフも照れくささで頭を掻いた。
壮年を迎えてから揶揄をあまり口にしなくなった。百倍も愉快だなどと言った直後は何とも思わなかったが、時間が経つにつれ、ラーガンの反応を見るにつれて頬が痒くなってくる。

「けど、ずっと連んでいられるわけでもねぇな」
「ウルフはフリットの傍にいてやってください」
「……それは」

続かず、ウルフは口を噤んだ。様子の変化にラーガンがくいっと顔を上げた。目先のウルフにいつもの態度の大きさが見当たらない。
じっと、眼を細めて窺うラーガンにウルフは重い口を開いた。

「そろそろ、俺はこいつにとって邪魔になる」
「そんなこと、あり得ませんよ」

意外な発言にラーガンは眉を歪め、真っ向から頭(かぶり)を振った。
フリットがウルフを排除するなど想像も付かない。戦火のない任務地に送るぐらいならありそうだが、ウルフは再三断っている。見当違いな想像を働かせていると気付きながら、ラーガンは目前の男を観察する。

「フリットからは言わないさ。だがな、こいつの志しの障害にしかならないぜ、俺の存在は」
「そうだと断言出来る根拠があるんですか?」
「根拠はない」

説明出来ないとウルフは言う。ラーガンが納得に足る返答ではなかったが、それ以上を追求することを彼はしなかった。ウルフの向こうで、フリットの寝顔が僅かに反応したのを視認したからだ。

この蟠りの確証はウルフには筆舌に尽くし難いものだった。ラーガンからの追求に身構えたが、彼は開きかけた口を閉じた。肩透かしを喰らう。

「言いたいことがあるなら言え」

充分な答えの用意があるわけでもないのに、ウルフは自分から喰ってかかってしまう。それに対し、ラーガンはゆっくり目を閉じて、開いた。

「今は聞きません。貴方が根拠を説明出来るようになったら聞きます」
「何だよ、そりゃ」
「次に会える日を楽しみにしていますから」

その時までに纏めておくようにと、如何にも教官らしく偉そうな態度でラーガンは言った。更なる肩透かしを喰らった気分のウルフであったが、次に会うその日までにという文句は悪くないと肩で笑った。

酒をもう一杯ずつ頼み、互いのグラスを重ねて音を立てると、同時にぐいっと飲み干した。その頃にはもう閉店時間の十分前であり、グリニッジ標準時で夜明け間近の時間帯だった。店内にいた自分達以外の客は既に家路に帰って行った。
ウルフはフリットの肩を揺さぶる

「フリット、起きろ。店終いだとよ」
「ん、……ああ、寝ていたか」

背中を持ち上げたフリットは眉間を摘み、眠気を払う仕草をした。
目線をずらし、今し方気付いた顔で帰り支度をしているラーガンを見上げた。白髪交じりの橙は時の流れを表し、変わらぬトレードマークのバイザーに懐かしさを感じる。

「ラーガンも、久し振りだな」
「フリットもウルフも元気そうで良かった。けど、疲れはあんまり溜め込まないようにな」
「今日は飲み過ぎただけだ」

席から立ち上がったフリットはふらつきも無く、しっかりとした身のこなしだ。けれど、早々に寝転けてしまったのを恥じている様子で、表情だけは拗ねた色が出ていた。

会計は勝手に済ませたと、フリットは預けていた財布をウルフから返される。ごく自然にジャケットの内側に仕舞ったが、ラーガンが妙な顔で此方のやり取りを見ていた。

三人はBARの店前で分かれようとする。背を向けたラーガンをウルフは少し待てと呼び止めた。振り返ったラーガンの手に、ウルフは手渡した。

「ペンダント?男に贈る趣味なんてあったんですか」
「んなわけねぇだろ。言っただろ、次に会ったらってな。その時に返せ」

何となくであるが、ラーガンはこの手の中にあるペンダントがウルフの根拠のような気がした。次に会う時に話してくれるのだろう。ペンダントを大事に握ったラーガンは大きく頷いた。
そのペンダントは、ウルフが二十五年前にヴェイガンの年若い兵士が命を引き取る間際に託されたものだった。捨てることなど、出来なかった。

去っていくラーガンの背を見送っていたフリットは、ウルフが先に行ってしまうのに気付いて自分もディーヴァへの帰路を進む。ウルフの後ろを追っていることに胸騒ぎを覚え、彼のジャケットを後ろから掴んだ。

「どうした、フリット」

酔いが抜けていないのかと、ウルフは振り返ろうとした。だが、背中にこつりとフリットの額があてられて動きを止めた。

「行くな……何処にも、行かないでください」

自分の息遣いが大きく聞こえていた。寝ているものだとばかり思っていたが、聞いていたのだろうか。それとも、厭な夢でも視たのか。ウルフは前髪を掻き上げた。

「行かねぇよ」

上司に言ったのか、相棒に言ったのか、かつての少年に言ったのか。判然としなかった。ただ確かなのは、自分の本心だったことだ。

“ソロンシティ”は明日の雨を予期する冷たい空気に包まれていた。人通りが殆ど見当たらない中、フリットはウルフから額を離した。何時見ても、この男の背中は大きかった。
今も。

「次は俺が上手い酒を奢ってやる」

豪語したウルフはフリットを振り返って、その背中を掌で大きく叩いてやった。痛そうな顔で文句を言ってくる姿に邂逅を促され、フリットとラーガンの二人に出逢えた偶然をウルフは必然とした。
偶然と必然が一つになった奇蹟は、三人を二度と集わせることなく宇宙に溶け込んでいく。
どこまでも。





























◆後書き◆

BL書こうとしたら戦争とは…という話に仕上がっていました。はて。どうしてこうなった。

思っていたよりBL色薄めになってしまいましたが、ディーヴァに帰ったらウルフさんの部屋でしっぽりもウェルカム。プラトニックにもエロにも持ち込めるニュアンスになっていたら幸いです。

ウルフとフリットとラーガンのトリオ組は、それぞれの考え方の違いは個性的であるのに関係性が成り立っているのが不思議なんですよね。能力重視のチームワークとも何か異なった絶妙なバランス感。
ウルフとラーガンの掛け合いは小説版イメージ。関係性はアニメを意識しました。それと、ウルフさんのレーサー時代とアップルズのところはUNKNOWN SOLDIERS『白き狼』と『Apples』を参照しています。


Lügner=嘘つき

更新日:2015/07/12








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