フリット♀(39歳)・ウルフ(23歳)
アセム(17歳)・ゼハート(17歳)・シャーウィー(17歳)・マシル(17歳)
ユノア(14歳)・ロマリー(17歳)・フラム(17歳)

アセムとユノアの父親が不明。

18歳未満の方は目が潰れます。































◆Unterscheidung◆










バスルームをフリットより先に使わせてもらったウルフがリビングに戻ってきてみれば、彼女はソファに座ってマグカップを手にしていた。

「飲むか?」

視線を感じたフリットが尋ねてきて、ウルフは反射的に頷いた。ソファの高さに合わせた小型のテーブルに自分のマグカップを置き、フリットはキッチンに立つとそれを温め直し始めた。
新しいマグカップを取り出して、温まったそれをフライから移し替える。
優しい香りのするマグカップを差し出されて、ウルフは受け取る。一口飲み味わって一言。

「甘いな」
「子供達に昔から飲ませてるから蜂蜜を入れているんだ。……すまない、普通はビールとかだったな」

渡してから考えが及んで、配慮が足りなかったとフリットは視線を落とした。酒類は子供達が間違って飲んでしまうのを避けて基本的に置いていないし、付き合い程度でしか口にしないフリットも自宅で飲むことは滅多にない。

「近くにまだ営業時間の店があったはずだから、少し待っててくれないか」
「不味いとは言ってないだろ?」

そこまでしなくていいとウルフは苦笑する。バスルームに追いやられる前まで、アセムに怪我をさせたことを反省しろと言っていた人間の台詞だろうか。
アセムとユノアが自室に向かった後で叱られたウルフはそのままフリットに手を出して黙らせようとしたが、それも途中にされていた。

「けど、甘すぎるな」

夕食時に使用していたテーブルにマグカップを置いて、フリットの唇を奪った。強く抱き寄せられていて身動き出来なかったが、フリットは抵抗せずに受け入れる。

「ん……」
「この唇の甘さは好きだぜ」

解放し、そう感想を落とせば、フリットは頬を染めて胸板に身を寄せてきた。都合良く受け取っても問題無いなと、ウルフはフリットを抱き寄せたまま、彼女のエプロンの結び目を解いた。
此方のシャツを握ってきて反応を示すフリットはまだ迷いを持っているようだ。椅子を引いて障害物を退けると、ウルフはフリットを仰向けでテーブル上に縫い止めた。

「二人きり、なら良いんじゃなかったか?」
「………」

視線を横に流したフリットは口を割らない。生意気な態度は甘えなのだろう。ユノアが子供みたいと口にしてから気付いたことだ。この甘さも悪くない。
リボン状になっているエプロンの肩紐がずれ乱れている彼女を下にウルフは喉を鳴らす。

「ディナーは終わってないぜ」

尚もフリットは口を開こうとせず、一瞥を向けてから、また逸らした。狼の熱い視線に堪らなくなる気持ちを持て余して、どうしたら良いのか分からなくなっている。

「口に、合わなかったか?」
「メシのこと言ってるか?」

そうだと顔を背けたまま頷くフリットにウルフは正直に上品すぎる味だったと返して、彼女の耳に舌を這わす。

「ん……何が、足りない」
「塩気」
「そうか」
「別に変えなくていいぞ。お前、人に合わすの苦手そうだし」
「そんなことは……」

あるかもしれないと自覚してフリットは口を閉じた。味付けに関して考えが淡泊なことに自分でも薄々気付いていた。好物がないこともないが、作る時は教科書通りに作るを徹底している。
失敗が怖いのではなく、失敗に時間を取られたくないのだ。

「でも、普通に作るんだな」
「帰ってきた時くらいは、なって、どこを触って」
「終わってねぇって言っただろ」

スキニーのジッパーを下ろされ、シャツの脇に男の手が潜り込む。本気でテーブルの上でやるつもりなのかとフリットはウルフの肩を掴む。けれど、押し返さない。その様子にウルフは口端を上にして右手の侵入を進める。
丸みに辿り着いて二度三度と下着ごと揉んでから、手を下げ、下着の中に指をゆっくりと挿し入れていく。色づきを探り当てたウルフは親指と人差し指でそれを摘んだ。

「っ、ン――」

脱ぎきらずに乱れている姿を見下ろしてウルフは我慢していられないと、彼女のショーツにも触れ、唇と唇を食み合わせた。

しかし、物音にウルフが先に気付いて身を少し浮かして扉に目を向けたと同時。

「ハロ取りに来たんだ……けど……」
『アセム!アセム!』

ころころと転がり出てきたハロにアセムは目を向けることなく、沸騰しているのではないかと思われるほどに顔を真っ赤にした。

「ごめんっ、なさい!」

扉が閉じられ、アセムに飛びつこうとしたハロが扉にぶち当たり、リビング側に跳ね返った。

『アァァ』

情けない電子音が落ち響く。血の気の引いた顔を晒したフリットは服の乱れを咄嗟に直して、身に着けていると言えないエプロンを剥ぎ取って扉に向かう。

「ア、アセムッ」

階段を駆け上る音に外に出て行ったわけではないと落ち着くが、またやらかしてしまったとフリットはその場に佇む。足下に転がってきたハロにアセムの所に行くように言えば、ハロは階段を跳ね登っていった。

ようやく動き出したフリットはエプロンを手に取り、ウルフに視線を向けた。その表情は弱々しくあったが、眉だけは立てていた。

「適当に使ってくれて構わないから、今日は何もしてくれるな」

テレビのリモコンを手渡されたウルフは吐息する。勝手に家の中で寛いでも良いが、フリットに手を出してはいけないらしい。これで二度目なのだからフリットの主張は解らないでもないが。

「お前は?」
「シャワー」

リビングから出て行くフリットの後ろ姿を見送ったウルフはマグカップの残りに口を付けながら、ソファ前にあるテレビの電源を入れた。







何処で寝るかとなり、ウルフは此処で本当に良いのだろうかと疑問を持つが、フリットは気に掛けている素振りがない。

二階に上がり、この部屋はフリットの自室だった。フリットのベッドに腰掛け、その横に彼女がぽすりと腰を下ろした。
もの言いたげな視線にフリットが横を向く。それから前を向き直して、視線を下げた。

「手間をかけさせた」
「家出のことなら見当違いだ」

言って隣を窺えば、半分合っているが半分合っていない様子だ。

「いや、全部を伝えていなかったのは私だ」

早く打ち明けていればアセムが外に飛び出していくこともなかっただろう。だから、今日の事の責任は自分にあるとフリットは気落ちする。

「早ければいいってもんでもないだろ」

受容力は経験を重ねなければ大きくならない。子供の年齢を考え思ってこそフリットも胸に秘めた。その判断は間違いでないとウルフは感ずる。
それに、今まで通りに過ごし続けていれば言う必要のなかったことだ。子供が産めなくなったことは。
アセムとユノアが父親不在の理由を既知であったこともウルフにとっては驚愕に近かったのだから。

「……取り返しが付かなくなることだけは、避けたい」

重い言葉にウルフは言葉に詰まる。どう足掻いてもこれだけは埋まらない。

嫌な沈黙ではないが、身の置き場が余る。だが。ふと、左肩に温もりの重さを感じると同時にシャンプーの仄かな香りがくすぐった。
ウルフの方に身を寄せて預ける仕草に出たフリットは彼の左腕に自分の両手指を添えるように絡めた。縋るように。
甘えではない。どちらかと言えば、苦味だ。

「嫌だったら、すまない」
「嫌じゃねぇよ。出来ればもう少し、胸押しつけてくれたら文句はない」
「お前は、真面目に出来ないのか」

ウルフなりに場を持ち上げようとしているのは解っている。ふざけていないのも解る。けれど、建て前のない本音を言うな。

それから口を閉じていたフリットは、ゆっくりと身を寄せた。

「こ、こうか?」

身体の正面をウルフの腕に押しつけ、胸の膨らみを密着させる。そうしながら、何で言われるがままにやってしまっているのだろうかとフリットは内側で言葉にした。
ウルフからの応えが返ってこず、フリットは違ったかと首を傾げる。おず、と上目で顔を合わせた。
そこでようやくウルフの反応を目の当たりにしたフリットは映し鏡に面映ゆさを顔にした。

意に反していなければ、従うことを厭わない。そういった素直さにはどうも調子が狂う。自分に厳しいフリットがそうしてくるのは、特に。
思春期にそれらは通過済みであるべきなのに、覆されてウルフは口を引き結ぶしかなくなっていた。

そんなウルフに触発されてフリットまで酸っぱい気持ちになる。腕を緩めたフリットにウルフはぐっと彼女の肩を押してベッドに敷いた。

「無意識に挑発されるのが一番厄介なんだよ」
「ウルフ、今日は」
「この状況で正気か?」

そのつもりがないなら狼を自室に入れるべきではない。遅くなったからと泊まらせるべきでもない。それを許可したのはフリット本人であり、彼女の匂いは誤魔化せていない。

「自覚ないのかもしれんが、匂いは正直だぜ。期待してるだろ」
「してな――」

唇で封じた。

緊張を抜いて力を解いたフリットから重なりを引いて、表情を見る。内なる感情と葛藤しながらも求めている面持ちに狼が目の色を変える。
相手の変化から先にある昂揚を想像して、フリットの背をぞくりと奔っていくものがあった。

今度は勢いよく噛み付くように唇を奪われて、フリットはシーツを握る。その手に視線を転じて、此方の背に腕を回してこないことに燻ったウルフの眉目が顰められる。
しかし、次には吐息を落としてフリットの頬に指を這わした。掌に撫でられて、青みがかった翡翠が瞬く。

「日付が変わる時間は過ぎてる」
「そういうことでは……」
「そういうことにしておけよ」

今日が明日に切り替わる瞬間、魔法が解ける時間ならば。

「無理だ」

頬を包み込む男の手を退け、フリットは言う。
簡単に流される相手でないことは承知だが、往生際が悪い。

「私は下のソファで寝るから、お前はここを使え」

自分の発言に責任を持とうとするフリットにウルフも食い下がる。

「そんな格好じゃ身体冷やすぞ」

黒のトップシャツは袖無しで、下はハーフよりも短めだ。色気の足りない見た目だが、見知っているウルフからは身体のラインが透く。

「毛布ぐらいはある」
「温めるのは俺の方が得意だぜ」

彼女の背下に腕を挿し入れて抱き寄せる。けれど、耳元で言われたフリットに意味が伝わりきっていないようで、溜息混じりに補足する。

「いいことしようぜって言ってんだよ。それに、おっぱいくっつけて誘って来た落とし前がまだだろ」

後者の責任転嫁にそんなつもりではなかったとフリットは表情を弱くする。

つけ込みを重ねていることに罪悪感がないでもなかったが、此方も我慢の限界を超えているのだと乾ききっていない若草色を指で掬う。

髪を指に絡めて鼻先に持って行く男にフリットは何も出来ない。いや、正しくは何もしなかった。
再び目の色を変えたウルフはとっくに気付いているだろう。散々口答えをしておきながら、部屋を出て行くどころか、ベッドからも降りようと行動に出ていない此方に。



柔肌の腿を左右に押し広げ、顔を埋めているウルフは縦に開いた口唇でフリットの秘部を包み込むようにして、舌で丹念に舐めあげていた。

ぴちゃぴちゃとわざと音を立てている男にフリットは眉間を詰める。舐めていない場所はないほどに全身を狼舌に濡らされていた。
ウルフに舐められていると思えば気持ちよくないわけがない。けれど、物足りなさにそれはもう止めてほしいと足を内側に向ける。

閉じようとする足をウルフは力で押し広げ、フリットと視線を合わせた。

「激しいと声出ちまうだろ」
「……我慢、する」

子供部屋とは距離があるが、同じ二階だ。逡巡を見せたフリットはそれでも譲らない。今だけ、今だけでいいのだ。

「自己嫌悪は立派だけどな、だからって酷く抱いたりはしてやらん」
「気付いているなら」
「だからだっつってんだろ」

罰の代わりになるものとして此方を利用されるのは癪だ。フリットの望むように抱いてやりたいのも山々どころか、貪り喰ってやりたいのが本音だった。けれど、責任を感じていることに気持ちが向いている状態ではしてやりたくない。

「このままでは朝に」

誇張ではない。それほどにウルフはゆっくりと淡い刺激ばかりを延々に与え続けてくる。

「朝まで可愛がってやるよ」
「それは……ッ、ゃ」

つけられた唾液がまだ濡れ残っている胸にウルフが鼻先を寄せて、先端の色づきを舌で転がしてくる。

ツン、と起ち上がる先端にウルフは唇を落とす。上唇と下唇で挟めば、フリットが痒そうな仕草を見せる。歯を立てられたいのだろう。
思う存分、悦ばせてやりたい衝動が内に湧く。だが、外には出さずにウルフは柔らかい感触を唇と舌で丁寧に味わう。

フリットを手で押さえているが、力は殆ど入れていない。時折、素肌を擦ったり撫でたりと掌で曲線を辿る。今はくびれに指を沿わせてツーと微かに触っていた。
くすぐったさに身を捩るフリットにウルフは目元を和らげる。

落ち度の埋め合わせをしたところで、フリットは自身への嫌悪を重ねるだけになるのが目に見えている。この間の件が良い例だ。それに、求めてくれるのなら、衝動的なものでなくては張り合いがない。
焦れったい抱き方は性分に合わないのだが、フリットにならばそれすら構わないと思わされている。此方にも限界はあるため、何処まで正気でいられるか分かったものではなかったが、身震いで耐えるフリットの様子にそそられる。この抱き方も悪くない。

物言いたげな瞳と視線を合わせたウルフは訊き返すことなく、互いの唇を触れ合わせた。殊更優しく。フリットの方から舌を差し入れて来たが、それを押し返してウルフは主導権を保持したまま甘く絡ませる。
互いの唇と唇を糸が繋ぎ、それを舐め取ったウルフを見つめるフリットの瞳は濡れていた。悔しいのか恥じているのか、複雑さを持つ顔を男の両手が包む。

頬に触れられ、じっと見下ろしてくる蒼い瞳に射貫かれる。

「いいぜ、その顔」

悔しさが勝ってフリットはウルフを睨み返した。額を付き合わせたウルフは言ってやる。

「叩(はた)かれなかった俺の気持ちが分かるだろ」

今のお前なら。
フリットはその時のことを思い出して口を開いた。

「報復と、そういうわけか?」
「そういうつもりじゃねーけど」

上体を起こしたウルフを目で追っていたフリットは視界に入った彼の下半身に動きを止めた。ガチガチに硬くなっているのが目に見えて分かる。そのことに先の自分の発言が苦くなった。

「してくれんの?」

落ちてきた声に疑問を持ちながら覚め、フリットは自分の手元がウルフの昂ぶりに触れているのに初めて気付いた。

「……ぁ………」

言い訳しようとしたが、口は開いても言葉が出てこなかった。手もそこに触れたままで何も言えなくなる。
唇を戦慄(わなか)かせているフリットを下にウルフは動きを取った。

「挟みたいんだが」
「ん」

腰上を跨いだウルフが亀頭を胸の膨らみに押しつけてきたのに対し、フリットは乗っていいと許可して自身の胸を外側から手で押して寄せた。
谷間を下から上に何度も滑り通ってくる昂ぶりは見た目通りに硬く、熱かった。ウルフが腰を前にする度に鈴口と唇を触れ合わせることになってフリットの胸も熱くなる。

フリットの息が先端を撫でてきてウルフは食いしばった。包まれる感触を余すことなく閉じかけていた目を開いて確認すれば、亀頭を口に受け入れるフリットの姿があった。
元々限界間際であったウルフは溜まりに溜まった白濁を一気に注いだ。

「―――――ッ、………はぁ、はっ」
「ん、ぅ……く、ん」

飲み込みにやや苦戦しているフリットの緩んだ谷間下に身を引いたが、彼女の胸を汚す結果になった。自分でも出しすぎだと面映ゆくなる。が、零している口元や胸元の白濁を指で掬って口に運んでいるフリットの艶麗(えんれい)さに喉を鳴らしてしまう。
その音を聞き取ったフリットが熱い視線で窺いを見せ、此方の下から抜け出して足を左右に開いた。白濁と唾液で濡らした指で双丘の奥を見せるように捲る。

「いれてください」

上擦る呼吸を繰り返しながら懇願され、ウルフはフリットの膝裏に手を引っかけて引きずり下ろした。彼女は背から上は起こしていたが、またシーツに背面を全て擦りつけることになる。
広げられた股に裏筋を沿わせて擦りつけてやれば、フリットの息が熱くなった。

「なあ」
「?」

視線を持ち上げたフリットに意識が混濁している様子はなく、ウルフは考えすぎかもしれないと口を閉じた。しかし、閉じきれなかった。

「なんで、さっき。敬語だった?」

前にもその口振りは聞いたことがある。あれは過去のなぞりが含まれていたと、そう感じている。今のは、何だったのであろうか。

表情を止めたフリットは、次にはきゅううと頬を染めた。眉を下げ、瞼を震わせている。その変化にウルフは面食らう。

「私は、そう、言ったか?」
「覚えてねぇのか?」

こくりと頷いたフリットは自身の両手で顔を隠そうとする。それを阻害することはせず、仕草を追えば本当に無自覚だったことが知れた。

「多分、その、癖だ」

だから気にしてくれるなと取り持とうとするフリットの匂いが可愛らしくて、強引に口付けた。

「―――んん」

くぐもった声にも甘味がある。それを味わってから、ウルフは亀頭でぐりぐりとフリットの膣口を弄る。
焦らしにフリットは瞳を濡らしてウルフを睨む。ここまで来ると悪意を感じると。

「さっき出したばっかだろ」

挿れられるなら熱くて硬いほうがいいだろとウルフは宣(のたま)い。耳に息を吹きかけられてフリットの睨みが弱まる。
女の腿を閉じさせて、自分の中心を挟む。閉じた足は膝裏を左肩に掛けて支えるようにすれば動きやすくなった。

股のラインと閉じた腿に出来る狭い隙間に出入りを繰り返すウルフの陰茎が目に入り、フリットは胸を焦がす。感じていないわけではない。けれど、時間を掛けた慣らしはなかなか刺激を強く感じなくなっている。焦れったくて足を擦り合わせる。

「素股が気に食わねぇってか?」
「………」

視線を投げたフリットにウルフはもういいかもなと自分に言い聞かせた。自傷の類はフリットの中でかなり薄れているはずだ。本能的に欲しがっている。此方の手首をもの言いたげに握ってきているのが良い証拠だった。

足を広げさせ、ウルフは身を寄せた。来る、とフリットは鼓動を刻む。
亀頭の出っ張りまでを飲み込む。少し進んできた。が、引いていく。入り口側だけで繰り返すそれに生殺しを感じてフリットはシーツを握りしめる。
奥が疼いているのに、手前でやめてしまっているウルフの考えが解らない。彼のも大きく勃ち上がっているではないか。

腰を浮かして動こうとするフリットをウルフは押さえつけた。

「朝までって言っただろ」
「本気か?」
「こういうのが嫌いってなら考えてやらなくもないけど」
「慣れて、ない」

どうしたらいいか解らないとする返答に狼は牙を剥いて嗤んだ。

「また初めて奪ってやるよ」

完全にウルフのペースに持って行かれ、調子が狂うとフリットは目を閉じて息を乱す。
少しずつだが、侵入するものは奥に近づいてきている。反射的に腰がくねるが、ウルフの手に押さえ込まれていてびくびくと震えるぐらいしか自由に出来ていない。

「………ゃ……ぁ」

良いところに触れそうで触れない。

「……うるふぅ」

切なそうに縋る声を受けてウルフは腰を打ち付けた。求めに求めた奥にあたってフリットは手足の指を丸める。うち震えに全身が何度も跳ねる。
ようやく迎えた絶頂は気持ち良すぎて嬌声が止まらない。

小さな喘ぎを続けているフリットはなかなかイききっていないことが窺えた。それでも腰を引いて、押し入れた。
ゆっくりと。

涙目が訴えてくるのは快感だ。フリットの右足を上げさせて、目の前に来た足首を舐める。足裏をウルフの舌が這った瞬間、フリットは大きく腰を浮かした。







ベッドの上で身を起こしたフリットは窓を開けた方が良いかと、まだシーツに埋まっているウルフを跨ぐように手を伸ばして外の空気と入れ替えた。
あまり、寝ていないと時計を確認しようとしたが、先にノックの音が響いた。

「お母さん?起きてる?」

娘の声だ。

「入っていい?」
「ぁあ、いや、待って」

自分だけならまだしも、ベッドに二人で裸で寝ているところは見せられるものではない。服をと、トップを手に取ったが腕に噛み痕を見つけて動きを止めた。

「お母さーん」
「も、もう少し待ちなさい」

一日で消えそうではあるが、首の辺りも噛まれた記憶がある。この服では隠しきれないとフリットは迷いを見せたが、横にあったそれに袖を通した。腿まで隠れる。これなら下は履かなくても充分だろう。

「借りる」

ぼそりと落として、フリットは扉を開いた。

「おはよう、ユノア」
「うん。おはよう。トーストとサラダ用意しちゃったよ」
「え?今、」
「七時十五分」
「ッ、ごめん、朝食」
「いつもお兄ちゃんとやってることだから大丈夫だよ」

すまないともう一度謝ってフリットは肩を落とす。家にいる時は子供達より早く起きることを義務づけていたのに寝坊してしまった。後ろの方で身動きをする音があり、ウルフも起きたようだ。

朝食はウルフの分も用意してくれているようで、自分の分と合わせて礼を言っておき、すぐに一緒にリビングに降りて行くと続けた直後。背後に重みが来て、軽くなった。
前を向いていたフリットはユノアが顔を赤くしたのを見て、状況を飲み込む。自分が着ているのはウルフのシャツだ。此方を抱き竦めてきている彼は下しか履いていない。

「寒ぃ」
「直ぐ返すから離せ」
「そのままでいい」

好きな女が自分のシャツを着ている好機をみすみす逃す気はない。娘を目の前に困っている様子も鼻腔を擽る。

「わ、たし、先にお兄ちゃんと食べてるねッ」

わああと慌ただしく階段を降りていくユノアを呼び止めるのも忍びなく、フリットは背後のウルフに眇を送る。
小さい悪戯に大げさだと苦笑を零してウルフは腕を緩めた。
彼の腕から抜け出したフリットはクローゼットから適当に衣服を一式取り出してベッド上に置いた。ウルフのシャツを脱ごうとしたが、持ち主に腕を掴まれて阻害される。手を出してくる気配はないので、首を傾ければ待てという合図がくる。

ウルフが開けたままのクローゼットの中を覗く。下着も入っているのだが、今更かとフリットは視線を泳がせる。
暫くしてウルフが衣服を数枚手にして、それらを広げて思考する顔をした。

「これと、これとこれでいいか……」

放り渡された衣服に視線を落としたフリットはあまり袖を通していない服だなと内に感想を零す。購入した記憶はあるが、エミリーに勧められた服は着るのに手間が掛かるものが多くて適当には着づらく、箪笥の肥やしになっていた。
気が進まないかとウルフからの視線に首を横に振ってフリットは着替えた。勧められて買ったものでも、押しつけられたものではないのだ。自分で決断して手にした服であったことは間違い無い。

ウルフを連れたってリビングまで降りれば、アセムとユノアは朝食を終えて登校する身支度を調えている最中だった。

「おはよう、アセム」
「おは……ょ……」

振り向いたアセムは言葉をなくし、ユノアも手を止めてしまう。

子供達の視線に鏡で寝癖がないのを確認したはずだがと三つ編みにせず、リボンだけで束ね結われている髪を撫でつけ、次にいつもと違う何かに気付いて視線を下げた。
着慣れていない服を着こなすのは難しい。どこか変かもしれない。
しかし、ぐいっと背中を押し出されてフリットは隙を突かれたことに顔を上げる。

「イケてるだろ」

自信のある声が後ろから。
ウルフの言葉にアセムとユノアがこくりと頷いた。

「お母さんいつも動きやすいのとか地味なのしか着ないんだもん。勿体ないってずっと思ってたんだよね。うん!今日のお母さんすごく可愛い!」

白いブラウスにウエストを締めるコルセットスカートは落ち着いた橙色。黒ストッキングは全体を絞る役割を十二分に果たしている。襟元の細いリボンが時折揺れるのもユノアから見て愛らしく感じる。

「いっ、いってきます!」
「あ。お兄ちゃん待ってよ」

続け様に二人が横を通り過ぎていき、ユノアの「いってきます」を復唱して遅れて追っていくハロに「いってらっしゃい」を返すのがフリットの精一杯だった。
この服で良かったんだろうかと、スカートを摘むフリットの頭をぽんとウルフが軽く叩く。

「学生でも通るぜ」
「冗談はよせ」

あと、この手も止めろと払う。

「朝食を食べたらお前は軍務に戻れ」
「そのつもりだって」
「………」

間を置く様子にウルフは内で苦笑する。名残惜しげな、と表現しても差し支えない。
襟元のリボンに触れて指に絡め巻き、顔を近づける。

「脱がしてやろうか?」
「ッ、やめろ」

距離を取り、朝まで散々やっておいてと視線に込める。
おかげで寝坊した。一時間は寝られるかと気を抜かずに起きていれば良かったのだろう。しかし、この男の腕の中で頭を撫でつけられ続けているうちに、微睡みに委ねてしまったのだ。ああいう抱かれ方は離れがたくなっていけない。
もしや、と行き着いてフリットはそれを見越してのことではないかとウルフを見遣る。

言葉のない疑念は届いていなかったが、傍にいたそうな匂いは届いていた。
劇的に変わったとまでは言えない。それでも、身体や気持ちよりも先行するものは雄弁にウルフに届く。制御しようとしている素振りも含めて収獲だ。先夜から今朝までは此方も耐え続ける必要があったが、ここまで効果覿面であるなら偶には良い。
性分的に、ねちっこい抱き方は合わなくて今までしてこなかった。けれど、フリット相手になら悪くないと一夜明けても本気で思っている。

「冗談だ。トーストは冷めると硬くなるからな」
「どうだかな。………アセムの、様子はどうだった?」

話の切り替えにウルフは肩を竦める。

「聞かれてただろうな。正しくは聞いちまった、ってところだろうが」
「……」
「気に病むなよ。俺だって餓鬼のときにオヤジとオフクロのセックスには出会してるんだ、珍しいことじゃない」
「お前とアセムを一緒にするな」

意外と過保護であるのは過去の負い目があるからだろう。大事にしている。子供に愛情を注げるのは良い女だ。

「それに、あの時。故意にやっただろ」

肩を上げるだけのウルフに吐息を落とす。可能な限り声は抑えていたが、それをさせないような抱き方に変えられた時があった。

「一緒にするなと今言ったはずだ。私はお前達を比べてもいない」
「だったら、それ。息子に言った方がいいぞ」

瞬くフリットにウルフは自分のは嫉妬とは別物だと含ませる。言ったら言ったで格好が悪いので言わない。
それについては口を割らないと態度で示せば、フリットは身を引いた。

隣り合わせで席について、ウルフはトーストに齧り付く。しかし、フリットが手を付けようとしないのに横目を向ける。
元気がない様子に。

「やりすぎたか?」

睨まれた。ベッドのこととは違うらしい。

眇を引っ込めたフリットは眉を下げ、ウルフの裾を摘んだ。

「籍を入れるのは、まだ、考えさせてくれ」
「理由は息子だよな」

返事はないが、否定しないフリットにウルフは自分の中で頷く。

「しゃあねぇのは解ってるよ。気にするな」
「待って、くれるのか?」
「待つのは構わねぇよ。お前の気持ちはそのまんまだろ」

裾から手を離したフリットは自分の膝に両手を置いて握りしめる。
スカートの布皺が歪むのを見下ろしたまま、零す。

「お前は、変わるかもしれない」

ここまで歳を重ねていると変わることが難しい。けれど、若いうちは取り入れることが多く、受け入れることで変わっていく。だから心変わりは自然なことだ。

「一時の感情で動いてるだけだろって言いたいのか?」

苛つきのある声にフリットは顔を上げた。それを逃さずにウルフに頤を掴まれて動きを封じられる。

「それ以上言うなら抱いて口塞ぐぞ」

息を吸い込む音がして、ウルフはフリットを解放する。頤と喉の付け根を擦るフリットを横に、ウルフはもう一つ。

「お前がしわくちゃのばあさんになっても抱くからな」

トーストが喉になかなか通らず、半分をウルフに手伝ってもらったフリットはそれらも含め、応え方を持て余し続けた。







授業と授業の合間にある放課。その度に机に埋まっているアセムをゼハートをはじめ、ロマリー達も心配げに気に掛けていた。

時間は昼時。昼休みで教室内は持参の弁当箱を広げる者、購買に向かう者に分かれている。ロマリーとフラムの女子組はいつも持参してくる。反して男子組は購買が常だ。ゼハートは一日置きにダズの手作り弁当を手渡されるのだが、今日は手ぶらの日だ。

「アセム、購買行こうよ」

マシルが肩を揺するが、アセムはぼんやりと空中を見ている。シャーウィーが目の前で手をひらひらと振ってみるが、反応無し。二人は顔を見合わせた。

「昨日、何かあったのか?」

ゼハートの問い掛けに今は不味いよとシャーウィーとマシルが彼の身体を引っ張って行こうとする。けれど、アセムが明確な反応を見せた。立ち上がったのだ。

「ちょっと」

近くの席でロマリーとフラムが昼食中であったので、アセムは教室内の後ろ奥に移動して彼らを手招きした。
四人で集まる。教室内は休み時間ということもあり、騒がしい。これなら他に聞き取られることもないだろうとアセムは決意した。

「母さんとあの人がしてる時の声……聞いちゃったんだけど、どうすればいいと思う?」

三人が呆然とした。

暫しの沈黙の後でシャーウィーがこほんと咳き払い。その中でマシルが一番に。

「聞いたことはあるよ。同じ屋根の下に住んでるんだから仕方ないし、何もなかった聞いてないって顔してあげるのが僕たちの努めでしょ」
「だいぶ前だけど、小さい頃に俺が寝てる横で、って感じか。でもまぁ、知らない顔してるのが平穏の秘訣だな」

二人の事情にアセムはそうなんだ、と難しそうな顔をする。それから、お前は?とゼハートに視線を向けた。
三人の目が集中して、呆然から立ち返ったゼハートは瞬く。

「……すまない。話が見えないんだが」

三人が呆然とした。

ゼハートには世間知らずな面がある。忘れかけていた。濁した言い方では伝わるはずがなかったのだ。
友人間で一人だけのけ者にするのは気が引ける。話題の共有は大事だと、シャーウィーが内緒話をするようにゼハートの耳に直接、伝えた。

聞き終えたゼハートは棒立ちのまま。イゼルカント様とドレーネ様が……と考えはじめたのを直ぐさま自ら打ち消した。
お許し下さいとぶつぶつ言い出したゼハートを三人は見遣り、刺激が強すぎたらしいと勝手に解釈しておいた。

「で、アセムは一人でもんもんと悩んでたわけか」
「そういう言い方するなよ。こっちは真剣なんだ」
「あー、悪い悪い。でもさ、そういうのは悩むもんじゃないと思うぞ」

悩むものじゃない。そう言われても考えがまとまるわけでも、解消されるわけでもなかった。
ウルフという人間に対して警戒心がまだあるのだ。昨日その彼本人に指摘されたように母親を取られる嫉妬がある。と、思う。多分。

本当は、あの夜。家を飛び出したことをまだ謝っていなかったと母の部屋の前まで行った。客人をソファで寝かせるような真似はしないだろうし、あの男もいるだろうとは予測していて、迷惑は掛けたのだから彼にも一言伝えられればいいと。
しかし、ベッドの軋む音に足を止め、疑問を持ち、案の定だ。

今朝、母親を起こす役目をユノアに頼んだのもどんな顔をすればいいか分からなかったからである。顔を赤くしてリビングに戻ってきたユノアに気付いていたが、何があったのか聞くに聞けなかった。
妹は気落ちしている様子はなく、少女漫画を読めば耐性がつくのだろうかと真剣に借りることを検討中だ。

「結婚反対なわけ?アセムは」

マシルの問い掛けはアセムにとって正しく最大の難問だった。通学中にユノアと話したが、妹はあの男をどうやら気に入ったらしい。自分が頷けば、あとは円満に行くのだ。
母の結婚したい相手は悪い人ではなかった。けれど、良い人とも認めにくい。何度も母親を襲い掛けていたし、最終的に襲っていた。あれが日常になるのは正直避けたい。

一人暮らし、考えた方がいいのだろうかと思い始めた矢先。

「アセム。お前の母親が若い男引っかけたそうじゃないか。再婚するって?」

クラス一、大柄のアブスが取り巻き二人を引き連れて大きな顔をする。問題児と教師にも生徒達にも認識されているため、教室内では関わり合いになりたくない者が殆どだ。彼の言葉に耳を傾けているのは直接話し掛けられたアセムぐらいだ。

「母さんは結婚したことないから、しても再婚にならないけど」

シャーウィーとマシルが横で頷く。
細かいことを言っているのはアセムであるが、アブスは恥をかかされたと顔を赤くして詰め寄る。アセムは胸ぐらを掴まれたが、覇気の度合いは先夜のあの男と比較すれば大したことはなかった。

「馬鹿にして……ッ」

これは不味いのではないかとゼハートが周囲を目配せして距離などを測る。けれど、先にアセムの声が届いた。

「聞いてみたいことがあるんだけど、さ」

状況が理解出来ていないのではないかと思わされるほど、アセムの声は平坦だった。あまりの拍子抜けにアブスの腕から力が抜ける。それに、アセムの眼差しは真剣そのものだったのもある。ごくり、とアブスが喉を上下させた。

アブスと取り巻き二人はアセムと一緒にしゃがみ込んで円を作っていた。

「何だよ、聞きたいことって」
「うーん。あのさ、両親の――」

続いた内容にアセムの目前にある顔は固まり、徐々に顔を茹だらせて口をぱくぱくと開き閉じ、開くと。

「そ、そんなの、きき、きいたことな」
「あるよ」
「あるな」

両側が頷いたことにアブスは言葉を失った。そして交互を見遣る。ボスと崇めるアブスに取り巻き達が真顔を向ける。

「ご両親に大事に育てられてきたんですね」
「良いことです」

意外なところでアブスの家庭事情が見えたが、また三人のうち二人が当てはまったことにアセムは珍しくないのではと思い始めてきた。
そのことに関しては、だが。結婚は反対なのかという疑念は未だ。

「俺は絶賛反抗期真っ盛りだ!」
「門限は守ってますよね」
「俺が家の主だからな!」
「お母さんにロッドちゃんって呼ばれてますよね」
「なぜそれを……ッ」

彼らの声は今も続いているが、アセムの耳には遠くに響いていた。彼の異変に真っ先に気付いたのは。

「アセム?」

ゼハートの声を最後に、アセムの意識は途切れた。



覚醒は独特の薬っぽい匂いからで、それから耳が声を捉える。母親と副担任の声だ。
そこで何故と疑問が湧き、目を開けた。

「かあ、さん……?」

仕切り用のカーテンは僅かに開いていて、見えていた人影が此方に近づくとカーテンを大きく開いた。

「アセム、平気……そうでは、ないな」
「なん、で」

喉が酷く渇いているように感じるのは、呼吸が熱いからだろうか。喋るのも重くなる。

「今は起き上がらなくていい。学園から、お前が倒れたと連絡があったんだ」

教室内で小さなパニックが起こったが、倒れ込んで地面とぶつかる前にアブスがアセムを支え、保健室にまで運んできた。それを副担任が横から説明してくれて辻褄がアセムの頭にようやく入る。後で礼を言わなくてはと思うが、全身が気怠い。

「保健医の見立てでは風邪だそうです。原因はウイルスではないそうですから、ご安心下さい。一日安静にしていれば、熱は下がるはずですよ」
「ご迷惑をお掛けしました」
「いえ、私は大したことは。それとアスノさん、一つお伺いしておきたいことが」
「はい。何でしょうか」
「大変申し上げにくいことなんですが、ご結婚の予定があると耳にしまして」
「そう、ですね」
「そうなると、学園側に提出されている証明書などの見直しが必要になってきますので、その際はお願いしたいなと」
「ええ、それは勿論承知しています。ですが、アセムが在学中には変更致しません」

フリットの断言に愕きを覗かせたのは教師ではなく、アセムの方だ。自分は母の結婚に否を唱えたつもりはない。

「そうですか。すみません、早計すぎました」
「いえ。妹のユノアが此方に通う時には変更の手続きをする可能性はありますから」

今度は少し曖昧な調子の声に、アセムは益々首を捻る。

「アセム、立てるか?」
「うん」

早退せねばならないのは流れから理解していた。大会が近いのでクラブ活動も佳境で残念な気持ちが残るが、誰かに熱を移すわけにはいかない。
納得に矛盾はないと、アセムはベッドから降りた。

立ちくらみに傾いだ息子の身体をフリットは支え、片手を赤い額に触れさせる。

「熱いな」

汗も滲んでいる。アセムを一端ベッドに座らせてフリットは背を向けた。
目の前でしゃがみ込んだフリットにアセムは想像した答えに絶句する。何も言えず、何も動けずにいるアセムをフリットはそのままの姿勢で振り仰ぐ。

「どうした。早くしなさい」
「それは、ちょっと……」

副担任の顔を見たアセムは彼が丸眼鏡を整えて艶の良い笑顔を見せたことに表情を無くす。味方がいない。
母は車で来ているだろうから、学園の敷地内にある駐車場まで。距離を考えるに保健室からは歩いて十分弱。壁掛けの時計に目を向ければ五限目が残り十分。人目がつきにくいなら今だろう。
けれど、決断しきれずにいれば。

「正面から抱き上げたほうが良かったか?」

立ち上がろうとするフリットに慌ててアセムは母親の肩に触れた。

「もう重いと、思うんだけど」
「成人男性を二人抱える訓練はしているから平気だ」

普通の返答には程遠いが、自分の母親らしい言葉にアセムは甘えることにした。軍人はそういうこともするんだなと思っているうちにしっかりと背負われて、幼い頃は母におんぶしてもらうのが好きだったことを思い出す。

「昔はよくこうしたな」

話し掛けるのではなく、懐かしさを尊ぶ声で呟き落とした母にアセムは面映ゆくなった。

「うん」

思わず返事を返してしまえば、母は柔らかな表情で、しっかりと掴まっていなさいと記憶にある面影と重なる。
自分は、失っていないのだと、気付いた。





副担任の教師以外には見られずに、というわけにもいかなかった。けれど、自宅に着いてアセムは一息つけていた。
自室にあがる前にリビングで三杯の水を飲んだので喉も大分落ち着いている。ベッドに横になれば、怠さも軽減された。

ぼんやりとした感覚はどうしてもあるが、市販の薬を飲んで寝てしまえば治りそうなものだ。昼食をまだ摂っていないことを母に伝えれば、消化に良いものを作ってくると氷枕を用意してくれてから下に降りていった。薬はその後で飲むことになる。
そろそろクラブで皆が集まっている時間だろう。少し眠ろうとアセムは瞼を落とした。

睡りは浅く、階下だろうか、声がいくつかある。目覚めて、顔を扉に向ければガチャリとドアノブが回される音がした。

「アセム、起きてる?」

向こうから顔を覗かせたのはロマリーだ。フリットから寝ていると聞いていたロマリーは小声で部屋主に問い掛ける。

「いま起きたとこだよ。ロマリー、ひとり?」
「ううん。みんなで来たの。入っていいかな」

クラブのみんなということだろう。そうなると自分も含めて六人だ。部屋の広さは一人用にしてはそこそこだが、手狭になるのは間違いない。しかし、身体の弱まりは寂しさも感じていて歓迎に頷いた。

「ごめん。寝たままで」
「それは仕様がないことだろう」

ゼハートの言葉にそうだよなとアセムは頬を緩める。そして別の意味でも緩んでいた。母がいない時には家に上がってくれるが、いると毎回遠慮されていた。理由は明白であったから無理強いはしてこなかった。しかし、それでも見舞いに来てくれた。これを機に遠慮のない関係になっていけたらいいと、そう思う。

今日はクラブ活動を早々に切り上げて、この場で確認事項を共有する時間になった。
話し込んでいると、扉の向こう側でノックの音が二回。お母さんだよねと尋ねるロマリーに頷けば、彼女は扉を開いた。
ユノアは今日、塾のある日だ。帰りはもう少し後である。予想通りに母がロマリーと言葉を交わし合って室内に入る。その手には食事を載せたトレイがある。

「食べられそうか?」
「大丈夫だと思う」

膝をついてベッド脇に身を寄せたフリットは下にトレイを置き、座る体勢に身体を動かすアセムを気遣う。

「熱は……私の手が熱すぎるか」

食事を温め直していたので、その熱がまだ残っている手でアセムの額に触れては解りづらかった。顔を寄せて、額で熱を測ることにする。

アセムは硬直した。額同士をくっつけている状況は母と自分だけならまだ耐えられたのだ。少し吃驚した程度で済む。だが、友人達の前だ。母親にべったり甘えているように見られかねない。空気を感じるにシャーウィー達が目を瞠っている。

「下がっているな」

動じていないのは母だけだ。しかし首を傾げ、顔が赤いと指摘してきた。これは体調の異変からの症状ではないので気のせいだとアセムは言い張る。

「母さん、体温計で良かったんじゃ……」
「ああ、すまない。古いやつだから故障していたんだ。修理する時間もなかったからな。後で買ってくる」
「ぁ……、うん」

話題を僅かに逸らすことが出来たが、母への負担を増やしてしまった。そういえばと、アセムは時刻を確認してはっとする。

「仕事は」
「ん。優秀な副官がいるから心配はいらない。データで受け取れるものは既に私のところに届いている」
「じゃあ、今日は」
「家にいる。明日は朝一で病院に行って診断結果が良好なら、そのまま仕事に向かう」

俯いたアセムが謝罪を口にする前にフリットは息子の頭をふわりと撫でる。

「熱が出たのは体調管理より知恵熱が原因だろ。お前だけが責任を感じる必要はない」

コロニー内の季節設定で夜は羽織るものがないと肌寒い温度に調整されている。それで身体を冷やしたのだろうが、一番アセムにとって負荷となった要因は見当が付いていた。

「………結婚するかどうかはアセムとユノアには急な話になってしまったよな。だが、急いで籍を入れることもない。あいつも待てると約束してくれた」

ウルフのことを口にした途端、アセムが掛け布団を握ったのをフリットは見逃さなかった。彼が息子に言えと口出ししたのはこれかと、理解した。しかし、どのような言葉を持って比較していないことを伝えるべきであろうか。
逡巡を繰り返していれば、アセムが先に口を開いた。

「どうして、あの人が良いの?」

聞きづらくて堪らないと苦渋の口調だった。それでも、決断に至った息子の問い掛けだ。恥ずかしいから口にしないという選択肢は浮かびもしない。

「そうだな」

前置きをして、フリットは小鍋の蓋を外す。チーズ風味のオートミールを小皿に移して、スプーンを添えてアセムの手に渡す。

「実際のところ、私もまだ良く分からない。押し切られたのは否めないだろう。それでも」

それでも、だ。

「気持ちを動かされた。好意があると、あのように言われたのは初めて、だったんだ」

それが自分にとっての始まりで契機であった。
胸が熱くなり、そこに手を置いて整える。年甲斐もないと思う。みっともないのではないかと不安もある。
それでも、自信は此処にある。確かに。
意志は決まって、もう、視線の向きは揺るがない。好きになっていくは、既に自分の存在と密接だ。

「それ、だけ?」
「それだけでもあるが、それだけでもない」

曖昧な語り口は母には珍しいとアセムは思う。それを本人も自覚しているのだろう。眉を下げ、困ったように苦笑を交えている。それでも、柔和な面差しがあって、悔しいような、敵わないような気持ちがざわついた。

「一つずつ、色々あったんだ。アセムとユノアにはこれから伝えていく」

一気に語り切れるものではない。それに、子供達には時間が必要だろう。時間が解決するのではなく、時間の猶予が解決を促す。だから、焦らない。

「お前は身体を治すのが先だ。此処に置いておくから、後は自分でよそえるな」

フリットは勉強机から椅子を引いてきて、座面にトレイを移動させた。そこに目をやったアセムは小鍋の横にコップに注がれた水と薬があることを視認する。

小さく頷きがあったが、一向に手を付けようとしないアセムにフリットは動きを止める。小皿からはまだ湯気が立ちのぼっているのが目に見える。

母の手がスプーンを手にしたことに疑問を持ち上げたアセムは、掬われたオートミールに息を吹きかけて冷ますところまで見送ってしまう。
口元にそれを差し出されても食べられるわけがなかった。ゼハート達の視線が痛い。

「そこまでしてもらう歳じゃないよ」

スプーンをそっと奪い取って、母の面目もあるだろうからとそのまま口に運んだ。それで安心はしてくれた様子が横にある。
友達の目があれば気恥ずかしいかと遅れて気付いて、フリットは立ち上がる。

「お茶を入れてくるから、ロマリー達は後で下に来てくれるかな」
「あ、いえ、私達もそろそろ帰らないと」
「カップ出してしまったんだ。私からも見舞いの礼をさせてもらいたい」

皆が互いの顔を見合わせあって、そこまで言われてしまうとと表情にする。

「あと少しアセムと話したいことあるし」

シャーウィーが手を挙げてお言葉に甘える意思表示をする。それを受けてロマリーも頷く。

「私はお茶の用意手伝います」
「それなら、私も」

ロマリーが行くならばと、フラムも名乗り出る。ゼハートからのもの言いたげな視線にフラムは気付くが、心配入りませんと目配せで伝えた。

リビングの傍らにあるキッチンに立ち、フラムはロマリーと共にチーズとチョコの手作りクロワッサンクッキーを取り分けていた。
横ではフリットがカップを拭き終えたところで、紅茶の葉をどの種類にするか選んでいる。

フラムが深く関わっているのはゼハートとロマリーぐらいだ。
アセムとは友人というより同級生達の中では比較的に親しい方である知り合いが妥当だろう。だから、フリットのことは『彼の母親』であるより『連邦の総司令官』である印象が強い。
以前にチョコ菓子の作り方を教えてもらった時は、男子達には内緒だからとロマリーの家でだった。それゆえ、あの時はそこまでの緊張はなかったが、今は警戒心がある。フラムはゼハートに見栄を張っていたのだ。

「アッサムにしようと思うんだけど、ミルクティーにする?」
「あの、ゼハート様はあまりミルクを入れません」
「シャーウィーも入れないよね。でも、私はミルクティーがいいな」
「じゃあ、ホットにして別で用意しておこうか」

食器棚にミルクピッチャーは常備されているが、大きさが足りないかもしれないと陶器のティーポットを一つ取り出す。アッサム用には来客が複数人いる場合のステンレスティーポットを用意している。
こうして横の存在を感じると、普通の人ではないかと錯覚しそうになる。けれど、違うはずだと、フラムは萎縮の視線を注ぐ。

「別に何もするつもりないよ」

向こうから言われてしまい、フラムは全身に力を入れた。クッキーを一つ割ってしまって謝るが、フリットは微笑んで食べちゃって良いよと続けた。
火星圏での生活が長いフラムは行儀が悪いとは思わないが、ロマリーの母親はそのあたりが厳しい。けれど、言葉に甘えてチョコ味のクロワッサンクッキーを摘んだ。カカオが濃いチョコは甘過ぎなくてフラムの口に合った。

「疑われてるのかと思ってたんだけど、私の早とちりだったみたいだ」
「ぁ……」

試すようなことをしてすまないと謝罪されたことにフラムは首を横に振る。毒が入っているのではないかと、疑うことぐらいは覚えておくべきだろう。地球圏にいるヴェイガンの民は立場が難しい。
けれど、彼女がそのようなことをするとは微塵も思っていなかった。そう思い込んでいた自分にフラムは驚く。

「憎くは、ないのですか?」

ロマリーが後ろで困惑しているのが伝わってくるが、フラムは問い掛けをなかったことにはしなかった。

「私が君と彼を憎むのは筋違いだよ」

個人的な恨みを持っているのは否定しない。だが、それを向けるべきは個人ではない。

「如何ほどもないと言い切れるのでしょうか」

念を押されて困ったような微笑に変わるフリットは間を置いてから、答えようとしてくれる。けれど、リビングに降りてきたシャーウィー達の姿に中断となってしまった。聞きそびれてしまった無念は残るものの、不思議なことに蟠りは残っていない。
此方の表情を見たロマリーが柔らかな顔をして気付く。自分も彼女と同じ顔をしているのだと。

ティータイムが終わる頃には外は夕刻だった。おいとましようかと思った矢先、ユノアがハロと共に塾から帰ってきた。

「お母さん。ポストに入ってたんだけど、どうしよう」
「……?、封書ではないな」

折りたたまれているだけの紙は宛名などもない。此処に届けるつもりであった確証がないが、間違いなら届け直すべきだろう。そう考えながら、ユノアやロマリー達の視線が向けられている中で広げた。

此方に向けられているのは紙の裏側で何が書かれているのか見えない。けれど、フリットの表情に赤味が差していくのは見て取れて、ロマリーはぱちぱちと瞬く。

「もしかして、昨日の」

ウルフからの伝言ではないかとの言にフリットは紙を閉じる。

「いやっ、その、違わないが、うん、何でもないから。もう外も暗いし送っていこう」
「大丈夫ですよ。こんなに大勢だし」
「体温計も買ってこないといけないから、送らせてくれないか」

こんな気持ちの状態で家の中にいるのは不味い。触れ合っていた時の感触を思い出しそうになる。

「この間、不審者に気をつけましょうって先生言ってたよね」

ロマリーの発言にそういえばと皆が思い出して頷く。笑顔を向けられて、今日ばかりはロマリーに頭が上がらないとフリットは感謝する。

上着を取りに自室に上がっていく姿を見送り、ロマリーは何となく見当が付きながらもユノアに尋ねる。彼女はフリットの後ろにいたので紙面を目にしていたはずだ。

「婚姻届だったよ」

それで疑問に思っていた皆も納得がいったようだ。

自室でフリットはもう一度婚姻届を開いた。夫になる人の欄にウルフのサインが入っている。これだけであるのに、現実味が増してきて胸が焦がれる。

「……待つと言ったくせに」

息子の様子から直ぐに出来ないことは向こうも理解していた。自分も重々解っている。解っているはずなのに。
これは机にしまっておこうと引き出しに入れた。今朝方、此処を出て行く時にでもポストに入れたのだろうと見当を付ける。
やっと落ち着いて、上着を手にしてフリットは自室から出た。

ロマリー達はアセムに帰宅する旨を伝えて、それから外に出る。フリットはユノアにアセムのことを頼んで彼女達に続いた。
賑やかに会話をしながら家路に向かう少年少女の後ろでフリットは少し懐かしいような感覚を得ていた。ここまでの快活さは無かったが、エミリーとの帰り道は他愛ない話をしながらだった。

前方を男子達が進み、その後方でロマリーは同級生達と買い物に出たときに気になる洋服屋があったから次の休日に一緒に行こうとフラムを誘う。地球圏のファッションはフラムから見て心許ない印象があるが、真新しいのもまた事実で少しくらいならとロマリーに頷き返している。

「今日の服ずっと素敵だなぁって思ってたんです」

突然振り返られてフリットはロマリーの称美に瞬く。軍用の薄手コートを羽織ってきたので下の衣服とは相性が悪くなっているが、お世辞の声色ではなかった。
やや戸惑い気味にフリットは眉を下げ、先程の婚姻届の件もあり、ウルフが取り合わせたと言い出しにくくなる。

「もしかして、ウルフ……えっと、エニアクルさんでしたっけ?あの人が?」

推察力にフリットは図星とばかりに顔を赤くした。夜道であるが、街灯は明るい。フリットは顔を横にする。

「服自体はエミリーに付き合って買ったものだ」

問い掛けには肯定しているようなものだった。熱を冷ますことも含めて外に出てきたはずであるのに、フリットの体温は上昇するばかりだ。

「私も似合っていると思います」

フラムからも言われてしまえばトドメでしかない。彼女は未だに此方と距離を取っているのだ。気遣いの言葉ではない。

「ありが、とう」

返す言葉が見つからず、気持ち通りとはズレがあるそれしか言えなかった。嬉しいという感情はあるため違うとも言い切れず、それらを認めてしまったことが気恥ずかしくなる。

後ろの会話は色に喩えると桃色だ。シャーウィーとマシルは足を止めずにゼハートを両側から羽交い締めにするような感じで屈む。

「僕たちはアセムのお母さんで接してるから、あんまり連邦の司令官ってイメージは薄いんだけどさ」
「アセムから聞いちゃったもんなー。あいつもそういう大人の事情は胸にしまっておけよって感じだ」

正直どんな顔でフリットを見遣ればいいのかと思い悩んでいるマシルとシャーウィーはそれぞれに続ける。
しかし、ゼハートは彼らと自分の違いを目の当たりにしたことに悩みを持った。マシルが言ったようにアセムのお母さんとしては見られないのだ。

まず先にシャーウィーとマシルが家路に着き、次にロマリーの家に辿り着く。
フラムはゼハートがトルディアに留学という形で赴いて来てから、一月遅れで彼のお目付役として学園に入学してきた。ゼハートは世話係のダズと小さな一軒家を借りているのだが、最初はフラムも其方で生活する予定であったし、数日はそこで寝起きをしていた。
しかし、それが学園で噂になってしまい、それぞれに好意を寄せていた者達が倒れ、教師にも道徳的に不味いと諭されてしまった。それを聞き付けたロマリーが自分の家にホームステイしてくれないだろうかとフラムに持ち掛けたのだ。
だから、フラムの帰る場所はロマリーの家である。

ゼハートとフリットが歩き去る背中をフラムはその場に立ち止まったままに見つめる。

「一緒に向こうに行っても良いんだよ」

ロマリーが戻ってきて優しい言葉を掛けてくれた。フラムは彼女を振り返り、首を横に振った。

「心配しているわけではないわ」

ちょっとだけ嘘を吐いてしまったと思う。けれど、不安はない。
ロマリーの手を取れば、冷えていた。早く温めなくてはと、フラムは家の玄関を潜った。



僅かに緊張に強張っている背中を見て、フリットは警戒されている事実を事実として受け止める。それ以上でもそれ以下でもない。だから、無感動な面持ちでいる。

「君は、学校楽しい?」

沈黙が辛かったわけではなく、彼が無理をしているように見えたのでフリットは話し掛けた。間を置かれたが、ゼハートは口を開いてくれた。

「向こうでは経験出来ないことばかりで、充実したこの気持ちを言い表すのが楽しいという言葉であれば肯定します」
「そうか。私はあまり楽しくなかった」

首を傾げるゼハートにフリットは苦笑を交える。こんなことを言ったらエミリーには怒られるだろうなと想像して。

「馴染めなかったんだ。周りと考え方が違ったりして。授業も知らないことより知っていることばかりだったから」
「そういうもの、ですか」
「うん。そういうもの」

ゼハートは学校というものに新鮮を感じているが、フリットは感じなかった。そういうことだ。同じ視線とは限らない。

「つまらなかったわけじゃないんだけどね」
「クラブなどは」
「入らなかったよ。授業が終わったら真っ先に設計図と睨めっこ」

納得が行くが、自分達とやっていることは相違なさそうにも感じた。彼女が幼い頃は戦争前であるからモビルスーツクラブ自体がなかったとも思うが。
そう言えばプチモビの創始者でもあったことを思い出して、ゼハートはぼんやりとフリットを見遣った。

「やっと私の顔を見てくれたな」

言われ、視線を外してしまった。その様子にフリットは余計なことを言ってしまったと歩を進める。

「実は君に確かめておきたいことがあるんだけど、いいだろうか」
「何でしょうか?」

身構えがあるゼハートにフリットは静かな声で。

「デシル・ガレットは君と関係あったりするのかな」
「……兄です」

予想外ではない反応が横にある。似ていないと良く言われるが、フリットは納得以外の感想を表にしてこない。

「それが何か」
「いや。うん、前から少しだけ気になってただけなんだ」

それを知ったからといってフリットに何か利益になることはない。それを承知の上でゼハートも血縁関係を肯定している。互いに有益にも不利益にもならない。
そう思うが。

「兄に恨みがありますか?」
「………」

黙秘、だろうか……。確認のためにゼハートはフリットを振り仰いだ。此方に視線のない彼女は苦しそうな面持ちだった。切なげに。
ふいに視線に気付いたフリットは何でもないと取り繕う。

「デシルとは会ったことがある。ただ、それだけなんだ」
「気を悪くされたら申し訳ありません。兄は、貴女を恨んでいます」
「そうだろうね」

仕方ないと、フリットは自己完結していた。そのことにゼハートは眉を顰める。
恨みと恨みをぶつけ合うのが戦争ではないのか。開戦の引き金は彼女が握っていたはずなのだ。兄のような執着が悲惨な戦いを招くのだと、彼の背中を見てきたゼハートは思っている。しかし、それを否定するような言葉が向けられる。

「戦争をしたいのは組織レベルの国だ。人じゃない」

自らの口で言うのは重たいが、自分とて戦争そのものを是認していたわけではない。
したかったわけでは、なかった。誰もが願ったことではないとフリットは信じている。争いが、誰かの願いであってはならない。戦争を“する”のが人でも。

憎悪は確かに原動力になる。それ故に、火に油を注ぐ。自分にもそういった感情はあるが、個人に向けるべきものではないと律している。
他人と自分は区別すれど、差別してはならない。

「それでも悔恨は絶えない。消えもしないことを口に出来ずとも、皆が肌で感じ取っているからこそ共存出来る道を今は模索している」

遠回りだったのか、近道だったのか。その答えはない。過程よりも結果重視なのが、この世の理だ。

「貴女は、左翼側だと認識していましたが」
「やっていることも支持していることも保守派でないのは確かだから否定はしない」

彼の住まいが目に届き、立ち止まりと同時に一拍置く。
だが。

「帰ってくるとアセムが君の話ばかりするんだよ」

優しい眼差しを向けられてゼハートは今までと別の意味で緊張を持った。これが、母親という存在だろうかと。
立ち位置を変えながらゼハートは微妙な顔で。

「アセムは、何を」
「一緒に行った映画が面白かったとか、君の得意なことや少し世間知らずなこととか、かな」

世間知らずという言葉は些か引っ掛かったが、ゼハートはそれらをアセムの口を通じてフリットに伝わってしまっていることに面映ゆさを感じた。
アセムの母親と接しているという状況に。

地球圏のコロニーに来てまだ日も浅い頃、環境に慣れず風邪をひいてしまい、アセムが看病してくれた。その時、今日間近にしたフリットがアセムの熱を測ったやり方で、アセムは此方の額に触れた。
いつもの癖でと慌てて謝られたが、あの温かみは母親から受け継いだものだろう。繋がりをそこで見て、自分はシャーウィーやマシルとは違う感想を持った。

「親から頼むのは筋違いだ。だから、私は君とアセムがずっと友人でいてくれたらいいと願っている」
「軍人としてはだったら、違うのではありませんか」
「持ち込むつもりはない。しかし、だ。君達の動向は間接的に監視はしている」

どうせ気付いているのだろうと視線に込めれば、ゼハートは肯定した。向こうも此方の出方には厳重な姿勢だ。

「少し気懸かりなことがあったが。君達が関与している可能性は低いようだから、今は何もしないよ」
「見逃してくれていると?」
「勘違いをするな。これは見逃しではない、牽制だ」

声色を変えたフリットにゼハートは背中に嫌な汗を感じた。ガンダムが白い悪魔と呼ばれている理由をまじまじと実感する。無論、ヴェイガン側での通称だ。

眇が閉じられ、次に開けられた時には畏怖は何処にもなかった。
フリットがドラッグストアのある方角へ視線を向けたことでゼハートも一瞬の身構えから力を抜いた。彼女の中での優先は此処に限れば母親としての顔だ。
その横顔に、昨日のアセムが重なる。

「差し出がましいのですが、アセムは昨日、あれから……」

どうしたのであろうか。本人から聞き出す機会を逃していたゼハートは問い掛けながらも、此方に真っ直ぐ視線を向けたフリットに頤を引く。

「君には、言ってるんだっけ」

ユノアからアセムが彼に悩みを打ち明けていたのを聞いている。それに、ウルフも友人の一人から聞いたと言い、名前が分からないが外見の特徴は彼と一致していた。
此方の独り言に首を傾げているゼハートに、彼なら構わないともフリットは思った。何よりも、アセムが心を許している相手だ。

「ウルフと喧嘩してきたみたいだが、大丈夫だよ。それに、アセムが心配していたことにはならない」

昨日、ウルフにも似たようなことを言われていたゼハートはそれは何故なのかと隠さずに表にする。

「私はもう、子供を産めないから」

言われ、ゼハートは言葉を探すが、見つからなかった。その様子にフリットは苦笑を零す。

「君達にも、デシルにも関係のないことだ。私個人の不手際が招いた結果にすぎない」

さっぱりと切り捨てるような声音からは気にしてもいないように聞こえたが、ゼハートにはその声が、感情が遠くに感じた。

「後悔していませんか」

直ぐに口を開いたフリットであったが、言葉が出なかった。喉に手を当て、口を閉じる。
後悔は、なかったのに。なかったはずだ。今まで。アセムとユノアがいれば、それでいい。それなのに。
後悔してしまっている。

口出しし過ぎたことにゼハートは後ろに一歩下がった。

「今日は、美味しいお茶を有り難う御座いました」

礼を言われ、フリットは瞬く。が、次にはゼハートに微笑を向けた。

「私も君と話せて有意義だった」

送っていこうとフリットが言ったのはあの場の咄嗟の提案でなかったのではないかと、ゼハートは見当を付けていた。

予測外のことがあったが、当初の目的をフリットは果たした。
興味ではなく、義務としてゼハートと一対一で対峙する機会を窺っていた。先日の、大佐から通してグルーデックの見解を耳に入れていたフリットには必要なことだった。それ以前からアセムの友人である彼を気にはしていたのだが。その間に対話を試みなかったのは意図してのことで、今回ようやく意思を持ったのはウルフとのことがあったからかもしれない。
歩み寄ることを考えてみるかと、フリットは自分のところに届いているマーズレイの解析調査報告書に目を通すことを決めた。

一礼してゼハートは家路に足を向けたが、振り返った。その動作にフリットがその場に立ち止まったままでいれば。

「俺も、今日のお召し物は良くお似合いだと思います」

ロマリーとフラムの声はしっかりゼハートの耳にも届いていた。自分の感想を口にすれば、フリットは耳を赤くして俯いた。



玄関から帰宅を告げたゼハートにダズは歩き寄る。

「何故、庇われたのです?」

疑念の声にゼハートは首を横に振った。庇ったつもりはない。
ダズが手にしているライフルに目を向けたゼハートは吐息する。彼の仕事は此方の護衛と補佐だ。ダズの判断を否定はしないが、受け入れられるものではなかった。

「あれは連邦の総司令官ではない。友人の母親だ」
「ゼハート様、戯れ言はお控え下さい」
「向こうは気付いていたぞ」
「まさか……!」

信じ難いと表情に出ているダズにゼハートは頷く。銃口が向けられていることにフリットが気付いたからこそ、ゼハートもダズの行動を予測して、銃口を遮断する位置に移動した。だから彼は何故庇ったのかと帰宅早々に尋ねてきたのだ。

「今のところは我々の行動を黙認するそうだ」
「信じるに値しますか?」
「下手なことをしない内はという条件はある。彼女も無下なことをしない人だと判断した」
「……お変わりになりましたね、ゼハート様」

ライフルを奥に戻したダズの声は柔らかく、ゼハートは首を傾げ。自室に向かった。
ドアが閉じられるまで見送ったダズは仕事用のパソコンを立ち上げて入力する。フリット・アスノは要注意人物である、と。

「やれやれ」

アセムと気心が通じたあの日と同じ顔をゼハートはしていた。入力した文字列をダズは数秒後に消して、夕食の用意を始めた。





























◆後書き◆

フラムちゃんとゼハートがフリットともしも会話をする機会があったらどうなるんだろうと考えながら練りだしてみました。
ダズは表向きゼハートの親戚のおじさんです。フラムちゃんはクラスメイト達に使用人かメイド?な感じに見られててゼハートはボンボンなのではと噂が。

ゼハートが風邪ひいたネタは小説版から。アセムがプチトマトたっぷりのオートミール作ってあげてたらいい。
手作りクッキーが素朴な完成度なのは、マリナ母さんとの思い出の。という設定作ったのに入れられなかったのでここで供養。

ねちねちエロ。時折激しかったりしたようなニュアンスですが、ずっとねちねちマーキング。
ウルフさん前半のみ登場になってしまいましたが、エロだけはしっかりと。

他人と自分を区別出来てるのはフリットウルフゼハートあたりかなと。アセムはそこを同一視してしまう傾向で。
そのあたりが嫉妬的なものに結びつくかと。他人と自分が区別出来ていなかったと気付いた瞬間から劣等感との向き合い方はかなり激変するものではないかと。

Unterscheidung=区別

更新日:2014/12/18








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