『Seine Liebe』補足SS/フリットとウルフとラーガン (2015/07/09)

『Vergangen-後編-』補足SS/彼女とフォックス (2015/04/29)

『Vergangen-後編-』補足SS/フリットとエミリーとウルフ (2015/04/29)

『AAis』第一部後補足SS/ラーガンとフォックスとフリットとウルフ (2015/04/29)

『AAis』第一部後補足SS/フリットとロマリーとフラム/ウルフ、ラーガン、エミリー、ディケ (2015/09/06)















『Seine Liebe』補足SS
フリットとウルフとラーガン






ビッグリングは他基地に比べて高官が多い。だが、下士官のパイロットも多く在中している。彼らの肉体を鍛え維持するトレーニングルームは完備されていた。
男性用と女性用、共に設けられてもいる。だが、分けられているトレーニングルームは面積も狭ければ、設営器具も少なめだった。最低限しか用意されていないのだ。
常ならば、フリットは女性用のトレーニングルームを使用していた。けれど、気になることがあって男女共用のトレーニングルームに今はいた。

エアロバイクに跨がっていたフリットは額の汗を拭い、そこから降りる。
クールダウンのストレッチ代わりにランニングマシンで走り、少しずつ速度を落としていく。歩きながら周囲の設備を見渡して、こちらの方が最新式が充実していることを実感する。

女性パイロットは専用のトレーニングルームをグループで固まって時間を決めて使っていることが多い。その時間帯を外せば、フリットは気楽にトレーニングルームを使用することが出来る。たまに他の者と顔を合わせることもあるが、最初に驚いた顔をされるくらいだ。最近は少し話しかけられることもあって、若い女性パイロットに助言したのも記憶に新しい。
周りの目が少し変わってきただろうかと、そんな風にも感じていた矢先だ。共用の方を使っても気にされないかと思っていたのだが。周囲が自分を避けていて、嘆息する。やはりこうなるよな、とフリットは足を止めた。

近くの背もたれのないベンチに座り、ペットボトルを手にする。スポーツドリンクを半分まで飲み干して蓋をすると元の場所に置く。すとっと自分の右横に座る気配にフリットは顔を上げた。

「いつも見かけねぇけど」
「女性用のを使っているからな」

今日はたまたまだと、そう込めてフリットは視線を前に戻した。話しかけてきた相手、ウルフを直視していられずに、だ。ここに来た理由もあるが、視線を逸らした一番の原因は一汗掻いてきたウルフがタンクトップを脱いで上半身を晒していたからだ。
向こうの方を見遣れば上半身裸の男達がわらわらと自分達の肉体を讃え合っている。珍しい光景と言えなくもない。他の者はいいのだ。フリットも気にしていない。けれど、ウルフの褐色の肌は腹部から均等に筋肉が割れていて逞しい。それだけなら、フリットもここまで動揺しないが、胸筋を滴る汗を見たら思い出してしまった。彼に、

「ッ!!」
「え?あ、すまん」
「っ、いや、すまない」

触られて全身で手を引っ込めてしまったフリットは突然のことに吃驚しただけだと取り繕った。煩い心臓を自力で何とかして、フリットは落ち着き払った表情を取り戻す。

「お前はまだやるのか?」
「今日は一通り終わったとこだけど」
「そうか」

フリットはタオルを首にかけて、手にしたペットボトルをウルフに渡して立ち上がる。
自分はまだやっていくから飲んでも良いと一言置き、ベンチから離れたフリットはマットが敷かれている場まで移動した。

マット上で体育座りになったフリットは胸前で腕を重ねる。上体を寝かせて、腹筋で起き上がるのを淡々と繰り返す。
続けていると、上体が寝ている時に足を掴まれてフリットは眇で犯人を見遣る。

「ウルフ、足は押さえなくていい」

初心者ならまだしも、腹筋で足を押さえたり、頭の方で手を組むのは間違った運動法だ。その常識をウルフとて心得ていた。ただ、フリットの足を押さえ込んだのは手伝うという理由ではない。

「触りたくなっただけ」
「今は、やめろ」

上体を起こしながらフリットは言う。眉を下げているフリットにウルフは内面で首を傾げる。何か隠しているように感じたのだ。このトレーニングルームにいるのも珍しい。
何となくではあるが、原因に自分は関わっている気がする。最近何かあっただろうかと振り返り、ガンダムのデータを持ち出したのを叱られたのを思い出す。しかし、それは仲直りしたしなぁとフリットの足を撫でながら思う。
すれば、フリットが余計に表情を弱くした。此方の撫でる手を退かそうとする素振りに瞬く。

「ダイエットか?」
「…………違う」

視線を横にしたフリットは認めたくなさそうな声色だった。ふむ、とウルフはフリットの身体を眺め観察する。そして、おもむろに彼女の腰を両手で掴んだ。

「ふぇッ」

皮膚が柔らかいところを掴まれて、フリットは唐突に出てしまった素っ頓狂な声を咄嗟に押さえる。口を手で塞ぎ、身体にぐっと力を入れて耐え凌ぐ。

「これで太ってるって言ったら世の女達が泣くぞ」
「違うと言っているだろ。それに、そこじゃなくて」

腰を揉んでいた手が止まり、フリットはしまったと口を噤む。勘の良いウルフはフリットの腿を撫でた。
ひくりとフリットは表情を引き締めた。そこでもないと虚勢を張っているのをウルフは鼻で一笑した。

「さっきまで足のトレーニングばっかりしてたの知ってるぜ」

確かな証言をウルフから突きつけられてフリットは黙秘した。
押し黙ったままのフリットの足をウルフはひと撫でする。足を引っ込めようとする彼女にそうはさせずにもうひと撫で。

「俺はこれくらいが一番好きだけど。お前は何が気に入らねぇんだ?」
「………………音が」

白状し始めたが、流石にそれだけではウルフも何が言いたいのか分からない。突っ込みすぎないように辛抱強く待っていれば、フリットが周囲を気にしながら此方の耳に顔を寄せてきた。耳元に小さな声が落とされる。

伝え終えたフリットはさっとウルフから遠のき、立てている膝に顔を埋(うず)めた。
そんなフリットの反応をウルフは目を丸くして見ていた。トイレの個室で繋がった時、前よりも肌を打つ音が大きかったのを気にしていたと言うのだ。可笑しなことを言うと呆れるが、ああいう場所ではしたことがないんだったかと首を鳴らす。

「トイレは音が反響して響くもんだろ」

お前の足が太くなったわけじゃないと、ウルフはフリットの膝裏を掴んで持ち上げる。足を上に引っ張られてフリットは背中をマットに打ち付けた。
大した痛みはない。それよりも、此方に乗り上がるように覆い被さってきたウルフに息を呑む。自分達を避けて近くに他の者はいないが、遠目にはあるのだ。こんな場所でこんな格好と思った矢先、ウルフが此方の両足を左右に割り開いたことでフリットは益々赤面した。
足を振ってウルフを退かそうとした。けれど、ウルフに腿裏を鷲掴まれて揉まれたらそれも出来なくなった。
撫でるのとは一際違う。強めに揉みしだかれてフリットはタオルで口を塞いだ。内側の際どいところにまでウルフの節ばった手が伸びてくる。



ラットマシンで背中と肩の強化をしていたラーガンは水分補給のために足下に置いていたペットボトルを手にする。飲んでいる姿から休憩中と認識されて横の同僚が声を掛けてきた。

「アスノ司令って意外と目を惹くんだよな」

見た目は派手じゃないのに、と付け加えられる。
あまり司令のことに関してこの同僚は口にしないほうなのだが、今日はフリットがこのトレーニングルームを使っているからだろう。先程、ラーガンも一目しているので知っている。

「修羅場潜ってるんだ。俺らよりオーラがあるんだろ」
「いや、それもあるけど、そうじゃなくて」

同僚が向こうに目をやり、指をさす。

「あれ、やばくないか?」

ラーガンは「ん?」と、同僚と同じ方角に目をやった。スポーツドリンクを吹き出した。

同僚はラーガンのぎゃああという悲鳴を耳に入れて、走り出して行くのを見送った。
あの二人の関係に関してラーガンが自分から干渉しに行かないのを同僚は熟知していたが、流石の彼もあれは放っておけなかったようだ。
今にもおっぱじめそうで気が気ではなかった。ラーガンが動いてくれれば一安心である。
司令に白い狼が加わると悪目立ちするんだよなぁと彼は後日、他の同僚に零した。

腿の付け根から尻の丸みへと手が伸びてきて、フリットはタオルを噛んだ。
こんな場所であるし、ウルフがその気であるとは思えないというか、出来れば思いたくない。非常識な男ではないと信じているのだ。腰を揺らしそうになっている自分を必死に押さえ込む。

不意に視線を感じて、フリットが目を持ち上げれば、ウルフと目が合った。じっと見つめられてフリットの身体が熱くなる。此方に乗り出してきたウルフが耳元に唇を寄せてきた。
何か言われると身構えていた。けれど、さっと視界と身体が自由になって瞬く。
面を上げれば、ラーガンがウルフを後ろから羽交い締めにしていた。一振りで拘束から逃れたウルフはラーガンを睨んだ。それを受けて、ラーガンは肩を落とす。

「何やってんだ」
「ストレッチの補助」
「そんな風には見えなかったけどな。まさかとは思うが、どっかに連れ込もうとしてたんじゃないだろうな。ロッカールームとかやめろよ」

図星だったようで、ウルフが頭を掻いた。それを見てラーガンは口を曲げる。
今の時間帯は人が多すぎる。それを省いても納得しかねた。ロッカールームでなんてラーガンの常識からは以ての外であったからだ。

フリットは背を起こして、頭上の二人の会話を耳に入れる。

「………ロッカールーム……」

呟き落とされたのをラーガンは耳で拾う。フリットは少し興味があると主張したがっている。この人に何を吹き込んできたんだと、ラーガンはウルフへと視線を転じる。

再び睨まれたウルフは別にいいだろと睨み返す。上から目を付けられないように大人しくする努力はしようと考えている。けれど、フリットとのことを隠すつもりは毛頭無い。
何処でしようが文句を言われる筋合いも無い。

自我が強いのはウルフが若い表れだ。フリットも性根的に自我が強い方だが、割り切りがしっかり出来ている。それを鑑みれば二人は調和が取れていない。ラーガンは二人をそのように分析している。もう少しウルフが大人であれば良かったのだが。

睨みを引っ込めたラーガンからウルフは視線を外してしゃがみ込んだ。フリットと視線の高さを合わせて、彼女の膝に触れた。
人の話を聞いていなかったのかとラーガンは口を開いたが、閉じることになった。フリットがウルフの手の上に自らの手を重ねたのだ。彼女も何か納得には至っていない表情ではあるため、自分が余計なことをしたわけでは無さそうでラーガンは少し安堵する。

「まだ気になるのか?」
「…………」

ウルフの質問と、目をそらしたフリットのやり取りにラーガンは首を捻る。二人の間のことなら身を引こうとしたが、ウルフが見上げてきた。

「お前はどう思う」
「どうって?」
「肉がついた気がするって言うんだけど」

顎でウルフが示したのはフリットだ。彼女は不安そうな顔で口を引き結び、ウルフと同様に見上げてきた。
一瞬何のことだか見当が付かなかった。偏見とは違うのだが、フリットが女性らしい悩みを持つのは想像しがたいものがあったからだ。ウルフを意識しているんだなと、間を置いてから静かに腑に落ちる。

「見た目は以前と変わらないように思いますよ。司令はどちらかと言うと細身ですし」

女性特有の柔らかさがないわけではない。着やせする方らしく、軍服を脱いだ薄着の今はふくよかさも感じるが、肉厚とは無縁の体型である。

「だとよ」

ウルフに重ねられ、フリットは顎を引く。
此方の言には反抗したがるが、ラーガンの言は熟考する価値があると態度で示されてウルフは少し複雑だった。けれど、そうでもしないとフリットは思考を迷わせ続けるのだろう。
こっちも考えさせないように手を出してしまうのがいけないと頭では解っていても、触れてみたくて仕様がなくなるのだ。お触りを禁止されているわけではないのだから、自分ばかりが悪いわけではない。と、言い訳してしまってウルフは自分の格好悪さに口を曲げた。フリットには気付かれたくない。

「わかった。次からはいつも通り、向こうのトレーニングルームを使う」
「こっち来ねぇの?」

疑問され、フリットは瞬く。今まで通りで問題ないだろうと、そういうことではなかったのだろうか。体型が特に変わっていないなら維持を心がけるペースで良いということだ。
ぺたんと耳を伏せるウルフから残念を感じ取ってフリットはどうにかしてあげたいと思う。けれど、ラーガンが呆れた吐息と共に。

「お前、司令をロッカーに連れ込む算段考えてるだろ」

ぴんっと耳を立てたウルフの変化にフリットは口を薄く横に開く。
この男はやはり息子や娘とは違う。どうにかしてあげたいと思う対象ではなかった。常が大仰な態度であるから弱られると調子が狂う。それが原因だったんだとフリットは自分に言い訳を言い聞かせて膝上にあるウルフの手を引きはがした。
ロッカーという言葉の響きに心が揺らいでいるのには蓋をする。

立ち上がったフリットはベンチに戻り、首に掛けていたタオルを頭に被せた。ペットボトルを手にすれば、少し減っている。キャップを開けながらウルフが口を付けたのだと頭で理解して熱を感じた。自分から勧めたのだ。異論はないと、飲み口と唇を触れ合わせる。
二口飲んだところで、ぐいっとウルフの顔が視界に入ってフリットはベンチに座っている姿勢から背を少し後ろに引いた。
覗き込んできているウルフはそのままフリットの顔を良く見る。

「機嫌悪りぃ?」
「何故そう思う」
「別に」

此方の足下にしゃがみ込んだウルフを見下ろしながらフリットはペットボトルに蓋をする。

「なあ」
「ん」

それから他愛ない内容の会話をし始める二人を横切ったラーガンはさっきの同僚に肩を叩かれて立ち止まる。

「あれ、司令だよな」

小声なのは普通の声量では本人に聞こえる距離だからだ。頭からタオルを被っていて隠れた顔では判断がはっきりしないとの口ぶりに対して、司令で合っているとラーガンは頷く。
フリットの近くにウルフが居座ったままだが大丈夫なのかと疑問が立て続けに来てラーガンは対応するが、ウルフが此方の会話に気付いて視線を寄越してきた。
何だよとラフな態度のウルフから無言で問い詰められ、ラーガンの横にいた同僚が頭を掻く。

「ウルフは司令のどこが好きなのさ」
「おっぱい」

間髪入れずに返ってきた即答に同僚とラーガンがあんぐりとする。フリットは胸のガードに入っている。
両腕で胸を隠すフリットを仰ぎ一瞥したウルフは彼女の揃えられた膝上に顔を寄せた。

右頬を此方の腿に押しつけて、膝下に腕を抱きつかせてきたウルフをフリットは引き剥がさなかった。
ラーガンが察して此方に進み出てきてくれたが、フリットはそれを手で制した。ウルフとしては含みのある行動なのかもしれない。スポーツ用のショートパンツは肌に密着するタイプで、ウルフの体温との隔たりは有って無いようなもの。素肌同士の重なりは緊張を伴った。
それでもフリットはウルフのしたいようにさせた。その理由は、ウルフが足も気に入っていると証言したからだった。それならば。

「膝ぐらい貸してやる」



トイレでヤった時にフリットが気に始めたことを掘り下げた話になります。
気になる男の子(?)いたら女の子(?)は自分の体型気にしちゃうよねって話ですな。ウルフさんはにょた司令のオパーイも好きだし足も好きです。

拍手掲載日2015/06/16〜2015/07/09
サイト掲載日2015/07/09










◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




『Vergangen-後編-』補足SS
彼女とフォックス






切りやがったと悪態を吐くフォックスを彼女が苦笑で振り返る。

「コーヒー、淹れてくるわね」

落ち着きなさいよと言外に含まれていた。しかし、フォックスは納得がいかない渋面のままキッチンへと向かう彼女を目で追いかける。
仕切りは多くない狭い部屋だ。手元は見えないが、給湯器を湧かしている彼女の様子は窺える。
暫くして彼女はカップを二つ手にして戻ってきた。一つを手渡される。

「コーヒーじゃなかったか?」
「途中で紅茶が飲みたくなったの」

彼女のこういう部分は理解に苦しむが、厭な気持ちはない。コーヒーの香りも向こうからしなかったので、何となく予想はあった。そもそも、看病ついでに身の回りの世話をしてくれている相手に文句の言葉はない。
包帯が巻かれた右足を伸ばしながらベッドに腰掛けるフォックスの向かいに椅子を引いてきて、彼女はそこに座る。
紅茶を飲むために左側の髪を耳に掛ける彼女の仕草はフォックスに感傷を呼び起こす。

「私が言った通りだったでしょ」

一口飲んでから、彼女が悪戯っぽく言った。

「未だに信じられねぇよ。司令みたいなタイプはあいつの趣味じゃないはずなんだが」
「そう?私は結構お似合いだと思ってるけど」

さっぱりと言い放った彼女に、紅茶を飲もうとしていた手を止めてフォックスは眉を顰める。
男女の関係には至っていなかったが、彼女の気持ちは今もウルフに向けられていると感じていた。だからこそ、複雑な思いを持っているのではないか。そんなふうに考えていた。

「お前はもう忘れられたのか?」
「未練?まぁ、あるんだろうけど、相手がアスノ司令じゃ勝ち目ないわよ」
「その司令の枕証拠を俺に情報提供してきたのはどこの誰だよ」

フォックスからの半目に彼女は眉を下げて曖昧な顔をする。イメージの良くない噂はもともと耳にしていたから、周囲も大げさには捉えていないだろう。彼女もその中の一人だ。今更になって司令を貶めるつもりも考えもないのが彼女の意思だ。それでも、今回のことは司令にマイナスな目が向けられるのは避けられない。
これをフォックスに告げたのは、ウルフを試したかったというのが大きい。

「私、アスノ司令のこと気に入っちゃったんだもの」

案の定、首を傾げるフォックスに彼女は微笑を向ける。過去は誰にでもある。内容の振れ幅は人によって異なるが、誰にでもあるもの。
それを曝かれるのは苦いと想像出来る。

「だから、ウルフには貫いて欲しいわけ」
「貫くって?」
「言ってたのよ、司令に結婚してくれって告白した後で。『俺が欲しいのはあいつだ』って」

あれは参った。司令の子供達に向き合うことも頭にあるのだろうけれど、それよりもまず、第一に司令そのものを手に入れることが使命だと、覆らない掟だと言わんばかりに。

「司令のこと任せるなら、それを貫ける男でないとね」
「もしかして、お前さん……」
「んー。そうね、アスノ司令に惚れたかも」

敢えてフォックスは言葉を濁したというのに、彼女は事も無げに言いのけた。

「相手がウルフじゃ、やっぱり勝ち目ないけど」

女という生き物は理解しがたいと、フォックスはようやく紅茶を乾いた喉に流した。



『Vergangen-後編-』でウルフがフォックスからの通話を切った後のフォックス側の話になります。
フリットもウルフも登場しませんが、第三者達からの客観的な印象で二人の関係や個人をより突き詰められたらと。

拍手掲載日2014/12/07〜2015/04/28
サイト掲載日2015/04/29










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『Vergangen-後編-』補足SS
フリットとエミリーとウルフ






ウルフを連れたって来たフリットに瞬くも、エミリーは診察椅子にウルフを座らせて自分は向き合いの椅子に腰を下ろす。消毒液を染み込ませた綿をピンセットで摘み上げて赤い線の奔った傷に一塗り。
僅かに目元を顰めたウルフにフリットの表情が少し変わったのを見止めて、エミリーは引き出しから絆創膏を一枚引き抜いた。それをウルフではなくフリットに差し出す。

反射的に受け取ってしまったフリットであるが、自分は怪我をしていないと言った後で訝しげにエミリーを見遣れば、彼女は何を言っているのだとばかりに口を開いた。

「貼ってあげなさいよ」

それくらい簡単でしょ。と、続けるエミリーにフリットは言葉を無くす。出来ないことはないが、自分がウルフに貼ってやるのかと妙な抵抗感があった。厭なわけではなく、身の置き場がなくなる感覚だ。

絆創膏と睨めっこをしているフリットを座ったまま見上げていたウルフは言う。

「舐めとけば治る」
「そんな場所どうやって舐めるつもりだ」

視線を寄越してきたフリットにウルフは口角をつり上げた。

「舐めてくれるんじゃねーの?」
「!」

ウルフの要求を想像したフリットは首を熱くしながら否定する。絆創膏の保護シートを剥がして彼の右頬に貼り付けるや否や、フリットは医務室の奥に姿を消した。
呆気ない貼り方であったが、ウルフの様子は満足そうでエミリーは笑いを堪える。

「貴方、フリットの扱い上手いわね」

褒められているのか微妙だが、気を良くしたウルフは世話になったと医務室から出て行った。見送ったエミリーはカルテや処置道具が収容されている室内の仕切りカーテンを開く。奥に引っ込んだフリットが棚に背を預けて腕を組んでいた。心理的観点から一足遅れの防衛だろうとエミリーは分析する。

ここにはフリットとエミリーだけではない。エミリーを除外して、医療班で働く女性が今は三人ほど。一人はエミリーと歳の違いがないベテランと、若手の子が二人。片方はあどけなさが残っていて初々しい。この間配属されてきたばかりの新人だ。
若手の子達は司令官の姿に緊張を湛えている。ベテランの彼女は流石で顔色一つ変えずに仕事に手を動かしている。慣れているのだ。フリットがたまに此処に来ることがあるため、この場に今はいない職場仲間の何人かにとっても珍しくない光景である。

「行っちゃったわよ」
「そうか」

安堵しているが、勿体なさを持っているフリットの様子にエミリーはやっぱりそうなのかと揶揄したくもなる。

「好きって言っといたほうが良いわよ、彼に」

大きく反応を動作で示してきたフリットは次には落ち着きを装って小さく口を開いた。

「何でエミリーがそんなこと」
「それだと言ってないのね」
「言っていないわけじゃ……い、いや」

好きに“なる”では断言とは言い難く、曖昧だったかもしれないとフリットはしどろもどろになった。唸っているフリットにエミリーはそんなことだろうと思ったと呆れ顔で。

「毎日愛を語れなんて言わないわ。でも、年に一回くらいは言ってあげないと」
「ね、年に一回?」

フリットの硬い性格を考慮して譲歩したつもりだ。異論があるのかとエミリーは首を傾げる。

「それは、来年も続いているということか……」

来年も再来年も一緒にいられたらという気持ちはフリットの中に既にある。好きになっていくと認めたのだから。
独り言を呟いて顔を赤くしているフリットに的を射たエミリーは此方まで恥ずかしくなってきたと頬を痒くする。

「言いなさいよ」

これで話はお終いと、エミリーはカルテを取るためにフリットに場所を退いてもらう。しかし、フリットが去る素振りがない。視線を向ければ、何か問いたい顔をしていた。促すように頷けば、彼女は声を少し上擦らせる。

「どういう時に、言えばいいのかな?」

呆れて言葉も出てこない。
頭を抱えてエミリーは深呼吸。落ち着いた。

「自分で考えなさい」

切り捨てられてショックを受けているフリットの背を押して医務室から追い出した。しかし言い忘れていたことがあったとエミリーは周囲に誰もいないことを確認する。

「アルグレアス君が人捜ししてたから、知ってることは教えたわ」
「……そう。うん、ごめん」

謝って欲しいわけではなかったが、飲み込んだ。いつものリボンがないことがかつての痛々しさを思い起こす。また、やろうとしたのだろうと責める言葉も噤んだ。その必要はなくなっているのは、ウルフを傍にしているフリットから感じ取れていた。
だから、自分は新しい役目に回ることにしよう。

「いいわよ、別に。私もフリットに訊く時間なくて勝手にしちゃったから。でもまあ、良かったんじゃない?さっきの彼との距離、縮んだんでしょう」
「そんなことは」

記憶に新しい唇の感触を身体と頭が思い起こして、あんなにしてしまって唇が赤かったりしないだろうかと今更に思い至る。不自然に見えないように手で隠した。けれど、エミリーには隠しきれていなかった。

「野暮なことは聞かないわ。けど、フリットのそれ、好きで好きでたまらないって顔よ」

直球な指摘にフリットは色づいていた頬の熱を更にあげた。

戻ってきた婦長をベテランの彼女が迎える。目の前に立たれ、神妙な顔をしている彼女の面差しにエミリーは何事かと瞬く。

「あのような話題になるようでしたら、今後は場所をお考え下さい。業務に支障が出ますので」

若手二人へと横目が注がれ、エミリーも其方に視線を向けて彼女達の様子に納得を見せる。これでは仕事にならないだろう。

「……アスノ司令にも伝えておきます」

しかし、その後も医務室の奥でフリットの姿は度々確認され、誰かが溜息を零していた。



『Vergangen-後編-』一悶着あった後と締めの間の話になります。
エミリーはウルフ個人をそこまで理解深めず、けれどフリットとウルフの関係への理解は惜しまないことを前面に。エミリーにとってフリットは一番大事な人で、フリットにとってエミリーは一番の味方ではないかと思っています。

拍手掲載日2014/12/07〜2015/04/28
サイト掲載日2015/04/29










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『Aller Anfang ist schwer』第一部後補足SS
ラーガンとフォックスとフリットとウルフ






人がいないわけではないが、いつもより閑散としたまばらな人数と言えた。横の雑談が聞き耳を立てていなくても入ってきてしまう。
この時間帯は大概そうだけれどと、ラーガンはフォックスとコーヒーブレイクの合間に言葉を交わしていた。

「やっぱり今でもレースは気になるものなのか?」
「後輩が活躍してたら嬉しいしな。あそこの工房のおっさんの腕がどうのこうのは今でも役立つ」

フォックスの手にはモビルスポーツレース組合が提携した最新情報誌が一冊。テーブルには他二冊が置かれている。こちらは少し古いものだろうか。

「レーサーの経歴持ちじゃなくても工房にカスタム頼む奴も結構いるよな」

成る程と相槌を打ち、ラーガンはコーヒーを啜る。バイザーが曇り、フォックスが笑いを堪えるように横を向いた。
自然現象だから仕様がないだろと隠すような表情でラーガンはバイザーを外して専用の布で曇りを拭った。バイザーを掛け直し、コーヒーが少し冷めるのを待とうと頬杖をつくが、休憩室に姿を現した司令に姿勢を正した。
誰かを捜している素振りのフリットにラーガンが首を傾げれば目が合った。
室内の顔ぶれから彼女にとって自分が一番話し掛けやすい知人であるのはラーガンにも自覚がある。

「ドレイス中尉、エニアクル中尉を見ていないか?」
「通路ですれ違いましたが、結構前ですね」

フリットが尋ねた時間範囲は今し方だろう。しかし、ラーガンがウルフの姿を見たのは二時間ほど前だ。
そうかと頷いたフリットは出入り口に目をやり、持て余した様子でいる。

「待ち合わせしているなら、座ってお待ちになれば良いと思いますよ。そこ、空いてますから」
「いや、しかしだな」
「誰も邪魔だなんて思ってませんよ」

周囲の緊張ある空気に気を向けているフリットに言い含めるれば、彼女は逡巡を見せつつもラーガンに指された席に腰を下ろした。ラーガンから見てやや右よりの向かい席だ。フォックスは左向かいにいるのだが、席を少しずらしただろうかとラーガンは首を傾げる。先程より僅かに遠い。

「ディーヴァをビッグリングに常駐させていると聞きましたが、補給に手間取っているんですか?」
「それは問題ない。次の任務指示に時間を取っているだけだ」

任務待ちなのかとラーガンは加味し、滞在日数が気になった。けれど、それ以上を尋ねると勘ぐられそうで止めておく。フリットではなくフォックスの方に。
それで、フォックスに目を寄越せば、彼は情報誌に目を落としたままだった。干渉しませんという態度にラーガンはフリットのことが苦手なんだろうかと思い始める。司令官としてきつい雰囲気やイメージは確かにあり、近づきたがらない同僚も少なくない。 仲間思いな人なんだがなぁとラーガンは内で言葉にする。

フリットはラーガンの目を追って、フォックスに視線を向ける。大きく開いている情報誌は意識せずとも目に入った。

「モビルスポーツの雑誌もあるんだな」

関心を持った声にフォックスは顔をあげて、戸惑い気味に相槌を返した。

「ええ。見ますか?」
「いや、そういうつもりでは」
「ウルフが載ってるのもありますよ」
「………いいのか?」

首を傾けて窺ってくるフリットに、アイツはこういうのが良いのかと表面的に思ってから横に置いていた二冊をラーガンに渡した。テーブル上を滑ってきた情報誌をラーガンは何で俺に渡すんだとフォックスに疑問を向けた。

「アイツが載ってるページ開いてやってくれよ」

面倒だからと手を振るフォックスにラーガンは眉を歪めた。フリットの方を心配を込めて見遣ったが、彼女は特別気にした様子ではなく胸を撫で下ろす。むしろ、気になっているのは情報誌のようだ。いや、ウルフかと訂正してページを捲る。
一冊目をフリットに向きを合わせて差し出し、二冊目を手に取った。首を傾げる。

「これ、ファッション誌じゃないか」
「それにも載ってる。俺がそれ持ってるのは女の子と話すためだ」

後半の理由に半目になりながらも納得を見せたラーガンはファッション誌を捲った。男女のデート用コーディネート大特集と書かれた丸ゴシックのフォント文字の若さと可愛らしさに意味の分からないダメージを受けながらもページを進む。あった。
通常の三倍増しで格好を決めているウルフを冷めた目で見遣っておき、それもフリットの方に差し出して置いた。
モビルスポーツ誌に目を落としていたフリットは新たな一冊に瞬き、情報誌の種類に見当が付かないという顔を顕わにした。

「ファッション誌、見たことありませんか?」
「本屋で見掛けたことはあるが、手に取ったことはないな」

これにもウルフが載っているのか?と首を傾げているフリットにラーガンはこれですと指をさした。
手にしていたモビルスポーツ誌を少し横にやり、ラーガンの指先に目を落としたフリットはじっと見つめた後に、それを手に取った。
顔に出ていないが、興味津々であることは彼女の集中が物語っていた。

休憩室の出入りは入りの数が増してきており、中に入ってから暫くして司令の姿にぎょっとしている者ばかりだ。真面目な顔で若者向けのファッション誌を読んでいる様子を皆が遠目にそれぞれの感想を持って窺っている。
そこへ、待ち人がようやく姿を現した。

任務後に上官に掴まってしまったウルフは室内にフリットの姿があることに安堵する。
落ち合う場所に此処を選んで人が密集しない時間を指定したのに、それを過ぎてしまった。

「すまん。途中でフォンロイドの奴に掴まって遅れた。待たせたよな……って、それ」

集中が過ぎてウルフの声を途中から聞き取ったフリットは顔を上げた。と同時に手の中の情報誌を取り上げられてしまう。 突然の消失にフリットは目を丸くして瞬いた。

「見るな」

眉を立てたウルフの剣幕にフリットは何か気に障ったのだろうかと疑問が浮かぶ。しかし、次第に表情が弱くなっていくのはウルフの方であった。
珍しい様子にラーガンとフォックスは間の抜けた顔でウルフを見遣っていた。想像では、ウルフは自分の活躍とばかりに自慢に胸を張るであろうと踏んでいたのだ。

こんなことになっている元兇の二人を睨み付けたウルフはファッション誌をラーガンに放り投げた。オレンジのボリュームある髪に弾んで、ファッション誌はフォックスの顔面にぶち当たった。
少し気が晴れたが、フリットがあれを見てしまったことには変わりなくてウルフは首が熱くなった。恥ずかしいどころの問題ではない。

レーサー時代にスポンサーから頼まれてメディア関係の仕事を引き受けた。当時は二つ返事でやっていたことで、今も見世物にされるのは慣れている。けれど、フリットにだけは見られたくなかった。そう感じたのは、今その状況を目の当たりにしてからであり、ウルフ自身も少し混乱していた。
思い当たるとしたら、彼女と自分ではメディアに取り上げられる種類が違うことだ。頻繁にではなくとも、フリットもニュースや情報誌に取り上げられることがある。職種と人格の面から硬派なものばかりだ。
媒体が同じでも、毛色が異なる。
子供っぽいと捉えられかねない。過去の自分を見られた照れにも似たこれがなかなか消えない。

「これも、見てはいけないのか?」
「駄目だ」

モビルスポーツ誌を指したフリットにウルフは首を横に振る。すれば、フリットは肩をしょんぼりと下げた。ウルフだけにしか気付けない程度の変化だ。
そんなものに価値はないと、此処から離れるためにウルフはフリットの腕を掴む。

「行くぞ」
「…………」

素直に立ち上がるも、フリットの視線は情報誌に向けられていた。未練がある様子にウルフは苛立たしくなり、彼女を強く引き寄せた。

「お前は今の俺だけ見てろ」

目を射貫かれて言われ、フリットはぐっと詰まる。こう言われてしまえば、平常心が崩れてしまうばかりで耳まで赤くなってしまう。
耐えられず、視線を落としたフリットの頬を捕らえてウルフは強制的に自分を見るように促す。熱が上がる。

「そ、そうだ、話があったんだったな。此処では話しにくいから」

と、フリットの方がウルフを引っ張るようにして休憩室を出て行った。二人のやり取りを傍観していた周囲は何とも言えない顔で出入り口に目を向ける。



『Aller Anfang ist schwer』の第一部と第二部の繋ぎにあたる話になります。
どうしても馬が合わなかったり、苦手を持ってしまう人も時たまいるかなと。それでも距離感を把握すれば共存は案外難しくなかったりするのではないかと考えています。他の話では好意的なポジションにフォックスさんを置いていたので、こちらではそんな役回りで。
一番書きたかったのが雑誌に載っているウルフに真顔で興味津々のフリットにちょっと耐えられないウルフという図です。第二部『Gegenwart』の伏線回収にもなっています。

拍手掲載日2014/12/07〜2015/04/28
サイト掲載日2015/04/29










◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




『Aller Anfang ist schwer』第一部後補足SS
フリットとロマリーとフラム
ウルフ、ラーガン、エミリー、ディケ






ミルクかビターか。カカオは何パーセントにするか。商品棚に並べられたチョコを両手に持ち上げ真剣に見比べているロマリーをフラムは隣から眺める。
何かアドバイスをしてあげるべき場面だが、フラムにお菓子作りのスキルは無い。ミルクは甘い、ビターは苦い。その程度の知識だ。

「アセムは甘いの大丈夫だけど、ゼハートはあんまり好きじゃなかったよね?」
「ええ。野菜の甘みは好きだとおっしゃっていたけれど、砂糖菓子は苦手だと思うわ」

食べられないほど苦手ではない様子だった。食べ物を粗末に出来ない理由がゼハートにもフラムにもあるのだ。ただ、ゼハートは甘い物が苦手というよりは、甘い物を食べ慣れいないからこその戸惑いが苦手にすり替わっていると見受けられる。

「他の女の子達からも貰うだろうし、ビターのが良いかな?やっぱり」

そうね。と、返事をしようとしたところでフラムは目を丸くした。自分の後ろ向こうを見て固まっているフラムに首を傾げたロマリーは後ろを振り返った。

「あれ?フリットさん、こんにちは」
「ロマリーか。二人で買い物かな」

買い物かごを下げたフリットが近づいてきたことにフラムは身体を硬くする。身構えている此方に対してフリットは警戒を見せないどころか、柔和な態度を崩さない。

「はい。もうすぐですから」

ロマリーが天井に吊されているポップアップを指さす。近々イベント行事がある。女の子が意中の男の子にチョコを贈る日だ。日頃の感謝を込めて友人に贈る人も多い。
フリットはそのイベントに乗っかったことはないし、自分には縁遠いものだと思う。

「フリットさんはアセムに作ってあげるんですか?」
「いや、帰ってこられない時のほうが多いからしていないな」

稀にクロワッサンクッキーを作り置いているぐらいだ。エミリーから作り方を教えてもらったマフィンもたまに作るが、これといって特別な日に手作りをしているということはない。

「そうなんですか……」
「どうかしたのか?」
「材料を探しながら作るお菓子決めようと思っていたんですけど、どのチョコを選べば良いのかも分からなくて」
「ああ」

大きいショッピングモールだ。フリット達が住んでいる近場の街中で一番大きい店なこともあり、品揃えが豊富すぎるのだ。それで迷いすぎているのだとフリットにも理解出来る。

「甘すぎず苦すぎないくらいってどれなのかなって迷ってるんです」
「それなら、ナッツを入れたらいい。甘みは幾分か緩和されるはずだから」
「あ、そっか。市販のでも食べやすいのありますよね」

ミルクチョコにしようかなとロマリーが選ぶのに、フラムは表情を弱くした。気付いたフリットがロマリーにもう一言添えた。

「まだ甘すぎるかもしれないと感じるならコーヒーのゼリーかムースを組み合わせても良いと思う」

あまりにチョコ一色な菓子である必要はない。ロマリーもその案に乗り気になってくれている様子にフラムがほっと胸を撫で下ろす。
一応の礼儀だと、フリットと目があった瞬間に軽く会釈を返した。そのまま直ぐに視線を逸らしてしまった自分にフラムは間違っていないと心の内で言い訳をする。
ロマリーとフリットが会話をしているのを耳に入れているだけでいると、内容の方向が自分にとって危ういものになってきたことにフラムは視線を彷徨わせる。

「明後日まで此方にいられるんですか?」
「とんぼ返りばかりだったからな」

五日間の休暇だ。二日前から帰ってきているため、今日でようやく三日目を消費する。ただ、困ったことに暇を持て余してしまっていた。
フリットにとってはこの三日間が長く感じられていて、昨晩に仕事を求める連絡をフレデリックに入れたのだが、急なものはなく、向こうで処理出来るものばかりだとの返事だけが返ってきた。つまり、家事以外にすることがなくなってしまっている。
プログラミングでもしようかとも考えたが、自分が片手間でそれをやれるはずもない。没頭しすぎて家事が疎かになる可能性が高い。

「迷惑でなかったら、お菓子作り教えてもらえませんか!」
「え?」

可愛らしい気迫にフリットは戸惑う。それを見て受けて焦ってしまったとロマリーは頭を下げる。

「すみません。やっぱり忙しいですよね」
「ああ、いや、そんなことはない。しかし、私よりロマリーの母君のが教えてもらいやすいだろ」
「それが、お母さんは知り合いに誘われて他のコロニーまで出向いてて今いないんです。だから、フリットさんに教えてもらえたらと思って」

クッキーやビスケットを作った経験はあるが、趣味とまではいかない。頼りの母はこの時期に遠出してしまっていてロマリーは窮地を感じていた。フリットならばアセムの好みも知っているのではないかと、そんな期待もある。

ロマリーからのお願いは引き受けても良いのだが、とフリットはフラムの顔色を窺った。向こうからの視線にフラムは萎縮したが、ロマリーまでもが此方の顔色を気にしている。
出来ればフリットとの接触は極力避けたい。けれど、ロマリーのための妥協案はある。

「ロマリーの家で、なら」

自分は構わないとフラムが告げれば、フリットとロマリーが頷く。

「そうだな、私がロマリーの家に行ったほうがいいな。お菓子作りはエミリーに付き合って作ったことがある程度だが、それでもよければ引き受けるよ」
「宜しくお願いします!」

今日中に作るお菓子が決められなかったが、幸いなことに明後日は週末だった。当日の朝までに考え直して決めた材料を買い求め、それからストーン家でお菓子作りと相成った。

張り切っているロマリーは薄紅色のエプロン、緊張気味のフラムは白いエプロンを着用して準備万端だ。フリットもいつものエプロンを着用して早々にレシピ本を開いて材料の確認をする。

本のタイトルに有名パティシエ直伝の何たらと書いてあったように見えたが、横のロマリーはにこにことしており、フラムは何も言わないことにした。フリットの手の中にある本が趣味用のものでなく、本格的なプロ用の書物であるのは些細なことに違いない……筈だ。
先程、ロマリーと話している時にフリット自ら料理は人並み程度にしかしていないと言っていたし、会話中に挙がった料理名のレパートリーも地球圏の一般家庭にとっては無難なものばかりだった。ロマリーの母親の方が凝ったものを作っている。ムニエルというものとか色々。
腕前は普通と見ていたフラムだが、いざお菓子作りに挑んで出来上がったものを目の前に言葉も出なかった。

「高級レストランのデザートに匹敵しますね!」

ロマリーの言にフラムは頷いて、ゼハート達用とは別に余分に作った自分達用のを口に運ぶ。レストランという場所にロマリーの両親が連れて行ってくれたことは記憶に新しい。

「二人が頑張ったからだよ。甘さはそれくらいで良かったかな?」

ロマリーとフラムは同時に首を縦に振った。カップを器にナッツ入りのチョコ生地とコーヒームースをミルフィーユ状に重ね合わせたケーキだ。生地とムースの割合を調整することで甘みと苦みのバランスを贈り相手に合わせられると考えたのだ。
ロマリーはアセム用に少し甘みのが勝る割合、フラムはゼハート用にやや苦めの割合を食している。

後は明日持っていく直前に、上に仕上げのトッピングでドライフルーツなどを乗せて金粉を降れば完成だ。カップはプラスチックの安物だが、見目が余計に手作り感を失うほどの出来栄えになってしまったことをフラムは明日の朝知ることになる。

それにしても、と。フラムは内心で自分に呆れる。連邦の総司令官は監視対象だ。そんな相手と一緒にお菓子作りだなんて不謹慎すぎる。けれど、ゼハートの喜ぶ顔が見てみたいという気持ちもフラムにはあった。
感謝すべき、場面なのかもしれない。口から言葉にしなかったのはヴェイガン戦士の端くれとしてのプライドだ。

「えっと、お父さんの分に、アセム、ゼハート、シャーウィー、マシル、フラムはダズさんにも持っていくよね。あ、ユノアちゃんとバルガスさんにもフリットさんから渡してもらえますか?」
「ああ、有り難う。渡しておく」

ロマリーは数を数えて四つ余分が出来てしまったと思う。キッチンを拭いているフリットにロマリーは問うていた。

「フリットさんは誰かにあげたりしないんですか?」
「え?」

ユノアやバルガスとは別の相手と認識したものの、フリットは思ってもみなかったことを問われて瞬く。

「今まで、そういうのはしたことが無いんだ」
「あげたい相手はいないんですか?」

言われ、フリットは視線をロマリーから外してしまった。あげたい相手を思い浮かべてしまったからだ。

「いや、別に」

裏腹なことを言ってしまった。首を傾げているロマリーに何か勘づかれた様子はなく、フリットは安堵するが、素っ気ない態度をしてしまったと思う。

「それじゃあ、この四つはパッケージに入れておきますね。エミリーさん達に渡してあげてください。あ、トッピングの材料はタッパーに入れたほうが良いですよね」
「え、や……え?」

てきぱきとロマリーは甘めの二個をピンクのパッケージに入れ、苦めの二個を白色のパッケージに入れてフリットに渡した。
反射的に受け取ってしまったが、フリットは困惑気味にロマリーを見返す。ふんわりと掴み所のない笑顔に突き返すことも出来なかった。



フリットはカップケーキを手にビッグリングへと向かった。
保冷はしているが、日持ちするものでもない。予定より早めに着いたこともあり、仕事前に済ませてしまおうとフリットは白色のパッケージを手に格納庫の出入り口に佇んだ。

まだ通路側におり、中の様子を窺っている。ウルフの姿を見つけて、行こうと思うものの身体が上手く動かなかった。
中に足を踏み入れるどころか、出入り口の横の壁面に隠れてしまう。通行人が不思議そうに此方を見遣るのにフリットが視線を向ければ皆が一様に逃げていく。睨まれていると勘違いして。
遠巻きにされている中、フリットに声をかける男が一人いた。

「司令?どうかされたんですか?」
「いや、何もないんだが……すまない、訂正する。少し、困窮している」

ラーガンの姿にフリットは口を割っていた。もう、これしか方法がないと、フリットはラーガンにカップケーキが入ったパッケージを手渡した。

「これは?」
「二つ入っているから、ウルフと食べてくれ。く、口に合わなかったら食べなくてもいい。それでは、任せたぞ」

口早に言ってフリットはその場から背を向けた。
彼女の背を見送る形になり、ラーガンは手渡されたものに視線を落として首を傾げた。食べ物であることだけは明確だが、フリットの意図がよく分からなかったのだ。
あの様子だと、ウルフに渡そうとして渡せなかった感じだろうか。

ラーガンは格納庫に顔を出してGエグゼスのメンテナンスをしていたウルフを呼び出した。
上からワイヤーで降りてきて早々にウルフは目の前にパッケージを突きつけられて、とりあえず受け取った。形からしてケーキ屋とかでよく見るものだ。外箱自体の素材は素っ気ないので安い市販品だろう。

「何だよ、これ」
「司令が食べてくれってさ。お前と二人でって言ってたけど、ウルフに渡したかったんだろうな」

だから中身は見ていないと、ラーガンは初見をウルフに譲る。手近のコンテナに置いてパッケージを開けたウルフは中身を覗き込んだ。
中身を見たウルフはなかなかリアクションを起こさず、ラーガンは横から中身を覗いた。それから手持ちの端末で日にちを確認して、理解した。



ドライフルーツとクルミ、金粉で飾り付けされたカップケーキを目の前に、プラスチックのスプーンでチョコレートを掬って口に運んだエミリーは頬を緩める。

「二度目から適当になるのに、初めて作る料理ははりきっちゃうのよね、フリットって」
「褒めてる?それ?」
「構うなよ、フリット。いつものことだろ」

エミリーと同じようにカップケーキを食べているディケが言い、付け足すように上手いと続けられてフリットも礼を返しておく。

ロマリーからエミリーにと言われていたしと、フリットは医務室まで顔を出せばディケもいて渡す相手を探す手間が省けた。流石に医療ベッドで寝ている者達がいるところで食べ物を広げるのは礼儀知らずだ。フリットは休憩室に二人を引き連れて奥の席に座っている。

「意外と騒がれないわね」

休憩室を見渡すエミリーは此方に視線がちらほらとあることを確認するが、声を上げる者が一人もいないことにそう感想を口から零した。目立たない席にはいるが、司令官の姿を見れば緊張を持つ者が多かったはずなのに。

「たまに利用しているから」
「彼と待ち合わせしたり?」
「………否定はしない」

視線を横に投げたフリットの手持ちぶさたな態度にエミリーはディケと顔を見合わせた。お互いに苦笑せざるを得ない。

「それで。これ、彼にもあげたの?ちゃんと」
「まぁ、余っていた、から」
「そう。私達より先に一番であげてきたってことは、本命ってことよね」
「ほんめ……ッ、なんかじゃ」
「今日は何の日よ」

ぐぅ……っと黙り込んだフリットの耳が赤いことを視認したエミリーは揶揄したくもなる。そういったイベント事には興味すら持っていなかったのに。
押し黙っていたフリットがエミリーの様子を目にして不満を表情にする。

「ロマリー達に頼まれただけだ」

頼まれていなければ何もしなかった。だから、偶然にすぎない。たまたまロマリー達に頼まれ、たまたま余分が出てしまった。
カップケーキを作った経緯は医務室に来た時にフリット本人から説明をもらっていたエミリーは深く溜息を零した。

「誰にあげるかはフリット自身が決めたことでしょ?もう少し素直にならないと捨てられちゃうわよ」
「どうして、そんな心配をする必要が」
「私達、もうすぐ四十になるんだけど」
「…………」

今度はぐうの音も出ないようだ。歳のところはフリットも気にしているのだと、少しだけ意外に思ったエミリーだ。
四十にもなれば体力の衰えは避けられない。元に戻すというのも至難だ。それで二十代の彼に合わせ続けることを考えれば、フリットの反応にも納得はいくのだけれど。ただ、彼女にしては弱気だと感じた。

「あの男から振るってのは想像つかないけどな」
「それは私も思うけどね」

ぽつりと出たディケの感想にエミリーも何だかんだで同意する。一方的にべたべたしてきているわけではないのだが、フリットのことを大事にしているのは端から見ていても感じられた。
それでもフリットに不安を煽ったのは焚き付けるためだ。彼と話した時に分かったことだが、どうやらフリットはあまり本心を露呈していないらしい。そのことを前にも指摘したが、明確な進展はなさそうだった。

「素直になれと言われても、どうしたらいいか」

困った表情で視線を下げていくフリットが零した声。それを耳で拾ったエミリーは彼女なりにその気があると知って、コーヒームースを舌の上で溶かす。大人の味だ。

「大人にならなくてもいいってことよ」
「それは、どういう……」

意味なのかとエミリーに問いかけの視線を送ったフリットだが、彼女と目が合わなかった。エミリーの視線が上を向いていたのだ。
自分の背後に知った気配があることにフリットは反射的に席から立ち上がり、距離を取りながら後ろを振り返った。

フリットの咄嗟の行動に瞠目したウルフだが、次には眉目を歪めた。視線は此方に寄越しているものの、間合いを詰めた分だけ向こうが下がるからだ。
周囲の視線と聞き耳に野次が混ざり始めているのをウルフは横目で確認した。それはそれで構わないが、エミリーとディケが近くにいるならばフリットは必然的に身構える。

「司令、お話しがあるんですが」

表面上で言えば、フリットが佇まいを改めた。彼女の方は表面上ではなく、芯から態度を纏っている。 表に出ろとの指示がフリットの方から出る。

休憩室から通路に出て、さほど進まずに立ち止まった。
無理矢理ウルフが止まらせたわけではなかったが、フリットが彼の視線の強さにどうしようもなくなって足が進まなくなっていた。

ウルフが後ろから視線をじっとフリットに刺していれば、彼女の纏う空気から威厳が破綻していく。
後ろのウルフを僅かに振り返り見たフリットはすぐに視線を前に戻してしまう。フリットの様子を見下ろしながら、ウルフは彼女も用件を分かっていると受け取る。

背中に触れた温もりにフリットが顔を上げるよりも先に、ウルフが腕を前にまわして彼女を後ろから抱きしめる。
耳にあたる男の息にフリットは口を引き結んで、ウルフの腕に手を沿わせた。けれど、引き剥がす行動に何故だか出られなくて、動きを止めてしまう。
ウルフが頬をすり寄せてくる間も大人しくされるがままにしてしまい、フリットはこれで素直になっていると言えるのだろうかと、窺うように後ろへと目配せした。
すれば、頬ずりを止めたウルフが何か汲み取ろうとする視線を返してきた。匂いも嗅がれる。

咀嚼するほどの材料が足りず、ウルフは首を傾げた。何も言わずとも分かってやると宣言したのだから、有言実行しようとしたがフリットの考えは分からなかった。でもまぁと自分の方で前置きして、こういうのは感覚だと抱きしめていた腕を緩めてフリットの頤を掴んで唇を此方に向かせようとした。
けれど、腕が緩んだことを知ったフリットが距離を取った。逃げるような素振りでなく、フリットはウルフに身体の正面を向けた。向き合う。

ウルフの肩に掌を添えて、踵を上げたフリットは瞼を伏せた。男の唇を自分から啄みながら舌を絡ませる。口内に甘みと苦みが伝わってくるが、それは味覚の残滓だ。
味わうように唾液を呑み込み、唇の食み合わせを解(ほぐ)したフリットは瞳を揺らしてウルフを見つめ返した。

狼目が細められ、フリットは丸めた手指を口元に持っていく。その様子を見て取り、ウルフはフリットを壁に押しやった。

「三倍返し」

だったか。一月先までに用意するのが一般的であるが、そんなにウルフが待てるはずもなければ、用意周到に予定立てるのも面倒だった。
レーサー時代に貰った時は返しきれない量であったし、送り主の名前がないものまであった。ウルフは自分がレースで優勝を勝ち取るのが一番の贈り返しになるとしていた。軍人になってからは女っ気がなくなったというか、周囲が逞しい女性ばかりで、まず料理を趣味にするような人間がいない。料理をする軍属女性といえば既婚者ぐらいだった。

最初から期待などしていなかったのだが、思わぬところでフリットの方から作ってくるからだ。
器などが簡素であったりラーガンの証言からも手作りであるのは確実だろう。中身が異様に完成度が高かったが、フリットだしなと頷ける。
料理の腕前はよく知らないが、大抵のことは器用にこなしそうな顔をしていると思う。今の段階では家庭的なところは想像が付かなかったけれど。

「口に、合わなかったのか?」

は?とウルフは顔にした。もしかしなくとも、三倍返しの意味をフリットが理解していない。悪い方向に捉えている。

「女から貰ったものを三倍返しにする義務が男にはあるんだよ」
「そんな義務は聞いたことがないが」
「じゃあ、今からやってやる」

手っ取り早く実践してしまえばいい。
まだ何か言いたげなフリットの口を塞ぎ、口腔を貪りながら彼女の身体に全身を押しつける。

前戯もなく、最初から深い食み重ねにフリットは瞳を濡らす。ウルフの舌がなかを舐める度に喉が熱くなっていく。
声どころか、息すら漏らせないほどの密着にのぼせてしまい、思考が霞んでいくけれど。休憩室とそれほど離れていない距離で、誰かがいつ何時に通るとも分からないような場所でこんなことをしている場合ではないと理性が言う。
最初にしでかしたのは自分の方であるが、そろそろ離してくれなくては困る。

眉を下げ、フリットはウルフに手で触れたりと訴えるが、彼が離す素振りは全くなかった。息苦しさに呼吸を整えても直ぐにまた塞がれて貪られる。
唾液の溶け合いに舌が痺れてくる頃、通路を進んでくる硬い足音が耳に飛び込んできてフリットは硬直する。ウルフが舌を離して顎を引くものの、糸を引く唾液を舐め取るように唇を押し合わせてきた。

「――ン、ぅ……ふ………」

甘んじているわけにはいかないと、フリットは顔を逸らしてウルフと距離を取る。
足音が迫ってきていることに焦り、ウルフの腕からも逃れたく思う。けれど、ウルフの手が此方の髪に触れた感触の直後、引き寄せられる。
顔の正面をウルフの胸板に預ける形になったフリットは状況を理解して頬を赤らめた。

「はな、せ」

胸下でくぐもった声を聞き取ったウルフはフリットの耳元に近づく。

「お前の顔が見えなきゃいいんだろ」

そうだが、そういう問題でもないとフリットは内心で反論した。それでもウルフの胸板から身動きすることはしなかった。
顔は隠していても軍服の色と作りで個人は判別可能だ。だから、ウルフの行動はあまり意味を成さない。

上層部に揚げ足を取られたこともあるため、フリットとしては軽率な行動を人目に見られるのは避けたい。だが、ウルフとの今後に決心をつけたからには、周囲の認知を獲得しておきたい気持ちもある。
そういう気持ちになるということは、反対されるのが怖いということだ。恐怖心とは無縁であったはずなのに。

表情を知らず歪めていた。それが、頭を撫でられたことで緩んだ。ウルフからは此方の表情は見えていないのにも拘わらず。
偶然かもしれない。けれど。やはり、この男なんだなと、フリットは胸の内に抱いた。

足音は間近まで迫りそうであったが、どうやら此方まで来ることなく休憩室に消えていったらしい。真横を通り過ぎていくこともなく、誰かの気配はもう近くにない。
遠目に気付かれた可能性は捨てきれないが、フリットは安堵の息を吐く。ウルフから離れようとしたが、向こうから両肩を掴まれて引き剥がされたことにフリットは目を丸くする。そして驚いている暇もなく唇をまた塞がれた。

ウルフは食み合ったまま目を瞠るが、すぐに細めた。フリットが此方の肩に手を伸ばして絡めてきたからだ。舌の絡み合いにも応え始め、やばいとウルフは内心で焦り、抑えきれなかった。

互いの間で湿った音がする度にフリットが身震いする。その仕草も扇情的でウルフも全身で絡み合いを深くする。
一度積極的になると。

「エロいな」

熱い吐息ごとウルフが指摘すれば、フリットは弾かれたように後ろに身を引いた。口元を拭おうと持ち上げたフリットの手をウルフは取り上げ、自分の親指で彼女の唇を撫でる。
それから、ぎゅっとフリットの柔らかい身体を抱きしめる。腕の中におさめるように。

「ウルフ?」

居心地は良いのだが、抱きしめてきてからウルフが何か言う素振りもなく、フリットは首を傾げる。呼びかけても「ん」と、生返事とも違う応えに困惑もする。
淡(あわ)つかないが、食べてもらったチョコ菓子の感想とか訊くべきだろうか。思考を巡らせていると、ウルフが不意のタイミングで言った。
思わず聞き逃してしまいそうなところであったが、フリットは彼の言葉を反芻した。硬直し、眉を下げた困り顔で全身で茹だった。
ウルフはこう言ったのだ。

「また作ってくれ」

と。
同じものでなくてもいい。
ただ、次からはウルフのことを考えて手料理するということだ。それを認識した途端にフリットは動けなくなってしまった。
今回は作り終えてからウルフのことを想ったが、これからはウルフのためが先行される。予定は組み立っていないが、今後、婚姻するとなれば手料理を振る舞う機会も増えるのは必然と言える。

声が出てこないフリットを間近から見遣ったウルフは彼女の様子に満足して、返事は?と問い掛けた。頷くのが精一杯といったフリットのぎこちなさは歳に似合わず可愛いとウルフは思う。

職務があるからとフリットは火照った顔を隠すようにウルフから離れる。ただ、名残惜しさがあって数歩で立ち止まってしまった。
振り返れば、調子の良い顔を崩していないウルフがいる。大人にならなくてもいいというのが、どういうことなのか何となく解ったような気もするし、解っていないような気もする。
口の中は甘みが強く残っていた。

「一つ訊かせてくれ。三倍返しとは何のことだったんだ?」

悲壮感の漂うウルフの顔をフリットは初めて見た。



第二部一話目『Anfang』の中でロマリーとフラムがフリットにお菓子作り教えてもらったと言っていたシーンの掘り下げになります。時間軸としては第一部と第二部の間です。
明確なイベント名を書いていませんが、バレンタインデー的な感じのチョコ祭。フリットはそういうの興味無さそうですが、こういうの切っ掛けに若ウルフさんのこと意識してしまってあわあわしてたら可愛いなぁ、と。狼さん的に我慢ならない感じで。
目標は「夫のために毎日お味噌汁を作るとはどういうことか」をフリットに知らしめる話にすることでした。その前にAGEの世界にミソスープあるのかないのか。

サイト掲載日2015/09/06










































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