フリット♀(39歳)・ウルフ(23歳)・ラーガン(28歳)・ディケ(39歳)・エミリー(39歳)。

アセムとユノアの父親が不明。































◆Vergangen-前編-◆










右肩で担うランチャーを傾け、砲を唸らせる。
実戦の最中ではない。友軍同士による模擬戦であり、放たれたのはビーム光ではなく、模擬の電気光だ。
機体に直撃すれば、搭乗者は軽い電気ショックをその身に受ける。

「外したか」

閃光が宙を空ぶり、消失していく。
惜しいという僅差ではない。鮮明な意志で避けられた。

一戦前よりも速度が増している。そう評価しながら、白い機体を目視で追いかける。
過去の映像データのものであるが、カスタムされたジェノアスの時も目を瞠るほどの速度を持っていた。それを踏まえ、今の機体は彼の才能を更に向上させるに足る。

残量を確かめつつ、フリットはランチャーから電気光を連射する。
ガンダムは今、試作段階のアサルトジャケット装備で宙域に浮かんでいる。足場がない状態で砲撃を放てば、その威力で機体は背中側へ下がっていってしまうものだ。だが、制御システムの恩恵で誤差は少なく、バーニアを噴かせば定位置を保てていた。フリット自身は模擬と初装備の機体テストを兼ねているため、それらの数値も記録を残し、身体にも覚えさせる。

各作業を同時進行にしながら危機的に実感したのは、実力差に違いは殆ど無いかもしれないということ。更に言えば、フリットが今対峙しているウルフはXラウンダー判定に引っ掛からなかった。
領域開花をしていないだけではないかと思ったが、自分と模擬戦を重ねていても脳波の干渉も共鳴も何もない。

一戦目は勝ちを取ったが、此方の動きの癖を向こうにもう把握されているようだった。
頃合いとしては、移動しながらの連射へと切り替え、相手に対応の手数を増やさせて焦らせるべきだ。
しかし、それはもう一戦目で見せている。焦りを促すまでには行かず、二連装ライフルの電気光の間をすり抜けて、此方の真正面に白い機体、Gエグゼスが立ち向かってくる。
その白顔はAGE-1とどことなく近似していた。

「白くて格好良い……か」

ガンダムを間近に見てウルフが言っていたことをなぞるようにヘルメットの奥で口にすれば、苦笑が漏れる。疎遠になっていたものたちを、ウルフに想起させられた。
一途に進んできたつもりだったが、願いがいつの間にか使命に取って代わっていたことに気付かされ、苦笑から苦味を取り除いた。

すれば、眼前という至近にエメラルドの光りがあった。
Gエグゼスのカメラアイだ。

『他のこと考えられてたら妬けるだろーが!』

両腕を外に払われ、二連装ライフルを外側に向けることになる。Gエグゼスは払った動作から続くように両手に握るサーベルを下段から振り上げる。

『………』

通信から届く声に返事の仕様がない。フリットは勝手に緩もうとする気持ちを誤魔化すために息を止めて、前に出る。
背部のバーニアを勢いよく噴かし、ガンダムがGエグゼスの剣裁が届く前に体当たりを敢行した。

互いの胸部装甲がぶつかり合い、衝撃で離れる。だが、ガンダムは閉じたバーニアを再び展開させて二段階目の体当たりを仕掛ける。今度は胸部だけでなく、顔部へと頭突きが加えられた。
此方のディスプレイにノイズが混じるが、向こうも同じだ。フリットはディスプレイの視界の悪さを気にせずに素早く距離を取り、二連装ライフルをGエグゼスがいる位置に構え向ける。

「いない……!」

センサーはと視線を奔らせ、ノイズの消えたディスプレイをも確認する。すれば、視覚よりも先にX領域が先を見せる。
が、繋がったままの通信から奇声に近い哮り声が耳に届いて調子が狂う。喜んで尻尾を振る犬と表現出来る可愛らしいものではない。けれど、彼にとって充実しているなら悪くないとそう思い直して、脱力から復帰する。

頭上にいたGエグゼスがきりもみの捻りを入れて此方の背後に回り、サーベルで十字に斬り付けてくる。
互いにシールドは一戦目にして補修が必要と判断されて、二戦目からは装備から外されていた。受け止める選択はなく、サーベルの残滓を遠ざけるように、ガンダムはバーニアを最大出力で唸らせた。
背後にいたGエグゼスは熱光に目眩ましを喰らったようで動きが鈍る。
ガンダムは身体を反転させて、ランチャーを放った。エネルギー残量は三パーセントであった。

刺突が迫り、咄嗟に両腕を交差させ―――。







AGEビルダー制御室から格納庫まで足を運んできたディケはAGE-1のハンガー前まで来て、その巨躯の足下で整備士と言葉を交わしているパイロットの傍らに並ぶ。

「不備はなかったか?」
「見てたんだろ?問題はない。気になることは幾つかあるが、機体の改良点はもう一戦してから検討したいところだな」
「またやるのか?」

眉を顰めるディケにフリットは考える間を置く。やはり間隔を開けずに模擬戦を組み込むのは改めたほうが無難だろう。
ガンダムを機動させてから二十五年。ようやくガンダムタイプの量産機がロールアウト間近となっていた。外観はジェノアスを引き継いでいるが、駆動系や各パーツはガンダムの設計を元にした量産機にはアデルという名称が与えられた。そのアデルを実戦投入する前にガンダムタイプ同士の戦闘データが取れるのなら、先手でアップデートを行えることに繋がる。
理由付けをして、上層部からの許可が下りている正式な模擬戦だった。それでも、難色を示している者がいることをフリットは把握していた。

「明日にでもって話じゃない」
「お前、最近軽率だぞ」

指摘されてフリットは身動きを止める。妙な間を置いてから、フリットはディケと顔を合わせた。

「………目に余るか」
「余る」
「ごめん」

視線を逸らした横顔を見上げて、ディケは頭を掻く。此方としては注意したつもりでなく軽口だったのだが、フリットは真剣に捉えてしまったようだ。いつものことだ。
それでも即座に否定したり改善の言をせず、謝罪してきたことは少し驚く。受け入れか見逃しを願っての言葉だったからである。そこまでの入れ込みに鼻を鳴らす。
ちらりと旧友を窺い見たフリットは苦笑して身体から力を抜いた。それは、ディケなりの気にするなという合図だった。

「迷惑は掛けないようにしたいんだけど、多分、掛けると思う」
「おう」

照れくさいのか、ディケは背中を向けてしまう。その丸い背中に視線を落としてフリットは表情を緩める。
幼い頃、と言っても十代半ばで小さいという程の歳ではなかったが、それからの付き合いだ。最初は良好な人間関係ではなかった。悪く無かったともフリットは思っているけれど、ディケの方はおそらく違っただろう。
大切な人を救ってあげられなかったと懺悔を打ち明けた最初の相手はディケだった。その時にエミリーに言えなかったのは、自分にとって彼女は近すぎる存在だったからだと今は思っている。
現状の間柄になってディケに言えなくなってしまったこともある、のかもしれない。だから、これだけは出来る限り言おうとフリットは飾らない声で言う。

「有り難う」
「水臭いのは無しって昔言っただろ。それを忘れてないなら文句はないぞ」
「うん」

腐れ縁だというメカニックと会話を交わしているフリットの横顔を遠目から見遣っていたウルフは眉を顰める。自身の状態を鑑みて、嫉妬しているとは珍しいと内心で言葉にした。
捕られるのが嫌というものではない。そこの心配はいらないとフリットも説明を挟んでいたと、あの格納庫での言葉を思い返す。
その場では自分も気に留めていたわけではないが、司令官とは別の顔で親しげに表情を崩している姿に落ち着いていられるはずがなかった。

「フリット」

弾かれたような動作を肩でしたあとで、おずおずとフリットがゆっくりと此方を振り返った。
手にしたヘルメットを肩に担うようにして二メートルほどの距離に立つウルフが頤をしゃくった。フリットが首を傾げれば、傍らにいたディケが補足する。

「来いってことだろ」
「ああ、そういうことか」

機嫌を崩さずウルフの元に向かおうとするフリットに、ディケはぼそりと野次を飛ばした。耳に届いたのはフリットだけであり、彼女はディケを今一度振り返ると何かを口にしようとして、憤りに口を噤んだ。
ウルフの目前に辿り着いたフリットは眉を立てる。

「そういう呼び方はしてくれるな」
「周りの目、気にしてんのか?」
「そうじゃない。行儀が悪い」
「俺はお前の餓鬼じゃないんだが……」

ふいっと顔を逸らしたフリットに首を捻り、さっき何かあったようだけれどと向こうにいる彼女の昔馴染みの方に視線を向ければ、揶揄したような顔と目が合う。
二人の間で自分のことが話題にのぼることもあるらしい。些細なことだが、少しだけ気分が良くなった。

「それで」

フリットの声にもう一度彼女を見れば、逸らしていた顔を戻していた。

「それで、お前の望みは何だ?私に勝つことが出来たら何でも言うことを聞いてやると言ったからな」
「一勝一敗はドローだろ」

引き分けではあの賭けは無しだ。もしくは次回に持ち越すのが妥当である。
今日中に勝敗に決着を着けるには、既にタイムリミットだった。フリットは司令官としての仕事の合間を繕ったが、一戦単位に時間制限を設けず、チェックメイトが決まるまでとしたら二戦までが限度だったのだ。
だから、この結果にウルフは文句がなかった。近頃は張り合えるパイロットも少なく、この模擬戦はウルフとしても充足と昂揚が得られたのだ。しかし、フリットの方は納得がいっていなかった。

「私はお前に一勝も与えるつもりはなかった」

凛とした声で言われる。名誉を傷付けられただとかの怪訝の色は皆無で、此方の実力をしっかりと認めていると翠色の目が物語る。
身体が熱くなるのをウルフは止められなかった。

「先にお前の望みを言えよ」
「私の?」

不意打ちだったようで、フリットはウルフの返しに表情を幼くした。

「一勝ずつだろ」
「そんなことを言われても」
「レディファーストにするくらいの甲斐性は俺にもある」
「いや、それより、急に望み、と言われても、だな」

ウルフに何かしてもらおうという考えがなかった。どちらかと言うと、目的がある場合は自分から何かしようとしてしまう質だったからだ。だから目的すら定まっていないことは口にも出来ない。

「考える時間をくれないか」
「まぁ、いいけど」

身を引いたウルフにフリットはひとまずの安堵を置く。自分の方が年上だからと、何か与える側になろうとしていた。そういう性分でもある。けれど、ウルフからの提案に戸惑いながらも、焦がれる気持ちが身体中を巡っていく。
どうしよう、どうしようもないな。そんな気持ちを、無造作に持っていたヘルメットを両腕で胸に抱きしめ直して、零さないようにした。落としてしまうのは惜しい。
吐息が熱くて、おのずと俯いてしまっていた。落としていた視界は、ウルフの足が下がっていくのを映して、腕が動いた。

ノーマルスーツに包まれた指が此方の手首を掴み損ねたのを、視線で捉えていたウルフは下がろうとしていた身を留まらせる。

「お前の、聞いてない」

顔をあげたフリットの表情をウルフは見初(みそ)めた瞬間に、手前に伸ばされて行き場を無くしていた彼女の手首を掴んで上に引く。

フリットの方にまだ望みがないなら、自分も後でいいと思っていたが、そうも言っていられなくなってしまった。そんな顔を、そんな唇を、そんな瞳の色を向けられてしまったら後回しになんか出来やしない。

触れ合いそうで触れ合わない距離で引き止め、ふざけているわけではないと眇に込める。自分でも迷っていた考えだ。言ったところで相手にされることなく叶わない可能性が強い。だが、そんな迷いなど、どうでもよくなった。
これが狼の望みだ。

「俺と結婚しようぜ」

見計らったように周囲の音が全て止み、静寂が暫し置かれた。

ウルフの声を自らの中で反芻(はんすう)したフリットは目を丸くしていく。あの、後ろから抱きしめられ、告白された時の比ではない熱がまたウルフからもたらされた。
衝撃が強すぎて、火傷しそうで、フリットは掴まれている腕を大振りに後ろに引いた。引き剥がした後で、フリットは慌てて口を開く。

「ち、違……ッ、だから」
「いいってことか?」

そうでもないとフリットは首を横に振る。拒絶でないことは伝わったが、だからの先が上手く伝わらない。

「私は、もうすぐ四十になるし」
「関係ねぇよ」

一歩下がるフリットにウルフは一歩前に出る。

「子供も二人、いるんだ」
「知ってる」

また下がり、また前へ。
あれこれと理由を加えていくフリットに尚もウルフは食い下がり続ける。そして、フリットの逃げ場が無くなった。下がり続けたことで、背が硬い壁のようなものに触れ、動きを阻まれていた。ガンダムの左脚部の側面だった。

ガンっと音がして、一瞬だけ、フリットは目を閉じる。ウルフはフリットを挟み込むように両手をガンダムに叩き付けて、彼女の逃げ場を完全に無くした。堅い音がしたのは、左手に担いでいたヘルメットごと叩き付けたからである。
その程度で傷が付く装甲ではないが、常ならば睨みの一つでもしていただろう。けれど、強気に出られなくなっているフリットにそれは無理だった。

後ろも左右も塞がれ、正面は尚のこと。
何とか言い逃れたいと思いはした。けれど、ウルフと目が合ってしまえば、向き合う言葉でなければならないと、そう抱いた。静かに呼吸を始める。

「駄目だ」

ぴくりと反応したウルフは左右を塞いでいた両手を下ろした。彼の中では予想していた答えでもあっただろう。落胆の色はない。
それでも、次が決まっていない素振りは見えた。勢いで言ったのだ。やけになっているのとは違うからこそのウルフに、強張りを解く。

「今は」

言って、背を伸ばしたウルフからフリットは彼の手が届かない位置にまで数歩。

「そのうちってことでいいんだよな、それ」

フリットの背中をウルフが呼び掛けるように引き止める。いつもより高い位置にあるリボンと編み込まれた髪が一緒に揺れる。

「………」

背を向けたままフリットは止めてしまっていた息を動かしたけれど、何も言うことはなく、その場を去り行く。
彼女の姿が見えなくなるまでウルフは立ち位置をそのままにしていたが、唐突に声を掛けられた。

「引き止めておけよ。こっちはまだ話終わってなかったってのに」
「ああ、悪い」

ハロを脇に抱えたディケの文句にウルフは生返事であった。その様子にディケの方が面食らってしまい、側に顔を出してきたラーガンに目配せする。

そうこうしている内に、ウルフがようやく自らの意思で身動きをしたかと思えば、手にしていたヘルメットで自らの額を一発殴った。
注目を集めてしまっていて、周囲の目が先程とは別の意味での驚きに変わる。だが、ウルフはそれらを気にしているどころではなかった。

「何してるんだ」
「夢だったら勿体ねぇなって」

ラーガンがヘルメットを取り上げれば、ウルフは浮かれ気味の声を返した。フリットは断言したわけではないが、彼女なりの考えておくという返事だった。

「じゃあ、あれ、本気だったのか?」

そんなことを考えているとは一度も耳にしていなかったラーガンは驚きを混じえて、バイザーの位置を直しながら訊いた。

「冗談で言ってたら詐欺師だろ」
「子供の父親になるってことだぞ」
「チビ二人ぐらい面倒見られる」

養育費的な意味だろうか。それとも、育て構うという意味なのか。
いずれにせよ、子供達は将来を見据える時期にそろそろ入っている頃合いのはずだ。

「彼女の子供、いくつか知ってるか?」
「でかくても十歳ぐらいだろ?」
「十七と十四」
「……………」

痛む額を手で押さえた。







いつの間にか足早になっていたのが更衣室に辿り着いて、やっと落ち着く。けれど、まだ静まっていない鼓動を抱き竦め、口元を手で覆った。
ウルフの声と視線の熱さが消えない。困った。困っているのに、困惑とはまた違う意味合いなのが更に困る。

理解しがたい望みだったけれど、拒絶しなかった自分にも愕く。ただ、すぐには頷けなかった。だから「今は」駄目だと、そう返した。
アセムとユノアのこともあるから、返事は簡単に出来ない。子供達のことはウルフも分かっていて結婚の言葉を口にしたとは思うが、考え無しの行動は親としてすべきではないし、したくなかった。
それでも、こんなにも胸が熱くなってしまっていることは事実で、思い返すだけでいつもの表情が崩され、平常心を保てなくなっている。

子供達には見せられないなと思考を移すことで、何とか行動に移る。
着替える時に制服を仕舞っていたロッカーにそのまま脱いだノーマルスーツを中に立て掛ける。搭乗時はヘルメットの中に髪をまとめる必要があり、襟足に括っていたリボンを解いて丁寧に扱う。
更衣室内に備え付けられているシャワーブースを使うために、バスタオルを一枚手に取った。
シャワーブースに向かおうとすれば、出入り口のドアが開く音がロッカーの裏側からした。

「次、外回りよろしく」
「わかってる。けど、ちょっと仕事どころじゃないよね」

個室の更衣室は効率が悪いだけであり、自分が司令官と言えどもわざわざそのようなものを用意してまでプライバシーを保護するつもりはなかった。
モビルスーツに搭乗することが昔ほどではなくなり、共有スペースを使うことが以前は当たり前のように多かったなと思う程度。足を止めることはないと、フリットはシャワーブースに足を向ける。
しかし、次に耳に届いてきた話し声に足の進みが悪くなってしまう。

「ウルフってああいう告白とかするイメージなかったもん」
「それもあるけど、私は司令のイメージの方が変わったかなぁ」
「何の話?」
「ガンダムと白い狼の模擬戦が今日でさ、さっき終わったところなんだけど」
「何か二人の間で約束?かな?してたみたいでさ」
「そうそう。それで結婚しようってウルフがアスノ司令に詰め寄……て……」

カーテンを開いた一人が言葉に詰まり、後ろにいた数人が何々と興味を持ってカーテンを更に広げた。
フリットは彼女達と視線を合わせられず、横を向いたまま表情に緊張をのせる。常ならば自分の噂話の類は気にも留めないのだが、つい先程のことで、自分もまだその思考の渦中だったことが禍(わざわい)した。

気不味い空気を置いてしまったが、フリットはそれを断ち切るのはこの場では自分の役目だろうと、片手を肘から挙げて「使わせてもらう」と動作で示してシャワーブースに入っていく。
それを見送った彼女達は各々でロッカーに向かうが、全員がうずうずした表情を顔に貼り付けていた。

我慢出来ずにお喋りを再開する声がシャワーブースにまで届いてくる。フリットは気にするなと自分に言い聞かせてシャワーを頭から浴びた。その音で向こうの会話は聞こえなくなり、人心地つく。
あまり、周囲の声に左右されたくはない。他者の意見はそれぞれに価値のあるものだとフリットは理解を示している。けれど、自分は自分だ。自らが関わっている主旨の客観的意見を聞き入れたら、自分の意志がなくなりそうで苦手なのだ。
そのせいで自意識が強いのも自覚している。注目されるのは好まないのに、持論が通らないのは納得がいかない。こういうのは面倒な性分なのだろうと感じ入る。今までそんなことを思ったりはしなかったのに。

そう思い始めているのはウルフが関わってきたからだ。自分に。
どうして。いや、理由は本人の口から聞いている。だからこれは自分自身への疑問かと、フリットは自らに問い掛けて認めた。
どうして、あの男のことが頭から離れないのか。自分に向けられる彼の声にも眇にも翻弄されている。向こうに好意があるのは既知であるものの、自分はまだ彼と同等の好意を持っているとは言えない。確信が持てなくて。

どういう理由でウルフがその好意を自分に向けてくれているかは分かっていても、彼は此方の全てを知っているわけではない。だから、面倒と思われることもこれから出てくるはずだ。
お互い様と言ってしまえばそれまでだが、そのような割り切りに踏み込めていないのは特定の人とそんな関係になったことがないからだった。子供はいるが、結婚生活というのは経験がない。してみたいという気持ちはウルフとならば少し、と。
想像に入ってしまったフリットは直ぐに頭(かぶり)を振って、らしくないと結論付けた。それでも、気持ちが緩んできて、醒めろとフリットは頬を両手でぱしゃんと叩いた。息を吐いて汗を流していく。

何人かシャワーブースに入ってくる音がした。先程の女性士官達の中の数人だ。此方に来る彼女達以外の者はノーマルスーツに着替えて任務に赴いたのだろう。
入れ替わるには丁度良い頃合いだ。フリットはシャワーを止めて、ボックスの扉に掛けておいたタオルを手にする。
水分を一通り拭って、タオルを身体に巻く。ボックスを出れば、通路部分には誰も立っておらず、既に彼女達はそれぞれでボックス内に身を収めていた。

ボックスに割り切られていても、壁は地面から天井まであるわけではなく、胴を隠せる程度の曇りガラスが三方にあるだけ。左右は仕切りとして、残りの一方は扉の役目になっている。
通路を置いてそれが両側に連なっており、誰がいるかが一目瞭然で会話にも支障がない造りだ。

髪は短い方ではないから乾きが遅い。ドライヤーを使っていこうと、シャワーブースとロッカーブースの間にある化粧台にフリットは足を向ける。しかし、視線を感じて足を止めた。
前髪を真ん中で分けた彼女は、カーテンを最初に開けてフリットの姿に固まっていた子だ。その時より緊張を解いている彼女は、ボックスの内側から扉の上縁に両腕を重ね置き、興味津々と輝かした目をフリットに注いでいた。
良い予感はしないなと、フリットは目を合わせない選択をした。けれど、向こうが「あの」と声を掛けてきてしまった。話し掛けづらい空気を出すにしても、ウルフのことでたじろぎが残っていて、それも難しい。
此方を振り返るフリットに彼女は喜びを表情にあらわした。

「司令ってスタイルいいですよね!」
「………いや……」

直視するのは憚られるが、垣間見た感じでは自分より彼女の方が豊かな印象がある。そう伝え返すべき場面なのかどうなのか分からず、曖昧にしていると。

「それ私も思った。子供二人産んでるなんて信じられないくらい」
「肌も綺麗ですよね。どこの化粧品使ってるんですか?」

最初の彼女に便乗して、奥のボックスを使ってる者達も会話に加わり始めてフリットは驚きを得ながらも受け答える。

「その、そういうのはエミリーに勧められたものばかりだから、どこのかはあまり知らなくて、だな。彼女に訊いた方が良いと思うぞ」
「エミリーさんも綺麗な人ですよね」
「司令とは幼馴染みなんでしたっけ?」
「ああ」

女子トークという独特の空気に苦手意識はないものの、慣れるほど触れてこなかったフリットは内心で辟易とする。

「肌のきめ細かさもですけど、そのスタイル維持してるのが凄いです」
「……そんなことは」
「そんなことありますよ。ウルフ中尉が惚れ込むのも分かるなぁ」

ウルフの名前が出た途端に表情が弱くなったフリットに彼女は数度瞬くが、成る程と頷きを見せる。

「その肩の噛み痕って、中尉ですよね」

ひくりと肩を張ったフリットは指さされた左肩に視線を落とす。背中寄りにあるため、痕ははっきりと視界に映らないが、噛まれた記憶がしっかりあった。身に覚えがあるという事実は大きい。

「ヒップにもありましたから、着替えるとき気をつけた方がいいですよ」

流石にこちらは小声で指摘されたが、フリットはタオルの上から言われた場所を思わず押さえた。今はタオルに隠れて見えていないが、カーテンを開けて彼女達がロッカーブースに入ってきた時に見えていたのだ。そこを噛まれた記憶もあり、顔が熱くなる。
情事の痕を指摘されても昔は何とも思わなかった。からかわれてという含みより、心配もしくは不快からの声だったのもある。

「心に留めておく」
「今は誰もそっちにいないですからお早めに。って言いたいところなんですけど、もう一つ訊きたいことがあって」

いいですか?と首を傾げる彼女にフリットは頷いて促した。

「彼と結婚するんですか?」

先程とは違う声のトーンに、フリットは彼女の表情を捉えてから、逸らした。

「それは、まだ、答えられない」

まだ、ですか。と、苦笑の息が後ろにある。
後ろをもう一度振り返れば、裏のない笑顔を返されて、フリットは少し拍子抜けした。

「あの後、彼が言ってましたよ」

フリットが去った後に、ウルフの周りを目撃していた彼女は話す。

「司令のお子さん、思っていたより歳が大きかったみたいで頭抱えてましたけど」

ディケかラーガンあたりに訊いたのだろうとフリットは憶測し。自分とウルフとを比べるより、息子と娘の方が彼と歳が近い。その差が思っていたより近すぎたというのは、ウルフにどう影響したのだろうか。

感情をあまり表に出さない人かと認識していたが、意外と表情を持っているのかもしれない。フリットから不安の色が見えた彼女はくすくすと笑声を零した。
不思議そうな顔に変わったフリットに悪戯したくなって、その先の答えは言わないことに決めた。彼が本人を目の前に言う保証はないけれど、いつかになったとしても、ウルフから直接聞いたほうが良い言葉とも思ったからだ。

「心配しなくても大丈夫ですよ。彼の気持ちは変わってなかったですから」

けどの後に続く言葉としては不明瞭でフリットは違和感を得ながらも、変わっていなかったという一言にざわつきが落ち着いた。
背を見せた彼女達がシャワーを使う音を耳にして、彼女が言っていた通り、早めに身支度を調えてしまおうと化粧台の前に立ったフリットは手元でドライヤーの温度と風圧の調整をする。

「アスノ司令と初めて喋っちゃったぁ」
「もう少し物腰堅いかと思ってたけど、普通に話してみるとそうでもないよね」
「でもさ、最近雰囲気変わってきてなかった?」
「そうそう」

彼女達は彼女達で会話がまた再開していた。だが、その内容にフリットは肩を縮める。自分はまだ此処にいるんだが、と。
大したことではないから構わないがとも内心で続けて肩から力を抜いておく。けれど、彼女達の声に今度はウルフの名前が登ったことで、居たたまれなさを持ちながらドライヤーのスイッチを入れた。

更衣室を出てきたフリットは端末に届いていたディケからのメッセージに詫びを返して、明日以降に詳しくまとめる旨も伝えておく。
そういえば、まだ途中だったとフリットは端末を仕舞いながら吐息した。今日中の仕事もまだ残っているため、長居は出来なかったのだが、気になった点は思って直ぐにディケに言伝るように身に沁みていたはずだった。
冷静さを欠いた自身を責めるべきだろうか。それとも、と。浮かんだ顔にフリットは気持ちを拗ねらせる。

ここのところ、執務に集中していても彼のことを思うことが時折あることが悩みの種だった。前はそこまでではなくて、仕事の区切りが付いてからぼんやりと考えるくらいであったのに。
らしくない。
自分に向けて内に語る。反感は返ってこず、嫌がっていないことを自覚させられた。

そうして一日の仕事を終えたフリットは身軽な服装で、ベッドに沈んでいた。
模擬戦自体の昂揚はもう静まっているため、冷静に彼我の戦術を脳裏で分析する。スラスターの増設を検討してみるかと思考で設計上問題が無いか確かめていく。
大丈夫そうだと確認を終えて、明日に備えようと目を閉じた。けれど、瞼の裏に模擬戦後の彼の眼差しが現れて、目を開けた。

考えないようにしていたのにと、フリットはシーツを握る。
これでいいのだろうか。巡る熱に問う。何度も問い掛けるうちに少しの不安を残しながら、次第に訪れる微睡みに身を委ねた。







医務室に知人を引き取りに来たウルフは医療班をまとめている婦長に呼び止められた。

「貴方、それ少し冷やしたら?」
「いや、そこまでじゃねーよ」

年下から敬語ではない言葉で返されても、婦長は美貌を歪めずに「ちょっと待ってなさい」と言い置いて奥に姿を消して直ぐに戻ってきた。

「氷は切らしてるから、保冷剤で我慢して」

薄い布で包んだ手の平大の保冷剤を押し切られる形で手渡されたウルフは肝が据わってる婦長に関心する。

「十分ぐらいは冷やしていきなさい。そこの椅子座っていいから」

丸椅子を指した婦長に従って、ウルフはそこに腰を下ろして額に保冷剤をあてた。こぶにまではなっていなかったので放っていたが、医療関係者は目聡い。専門家に口答えするほど甘ったれた考えは持っていないので異論は無いけれど、かなりの世話焼きだとも思う。
迎えを待っていた知り合いに視線を向ければ、彼はベッドの上で包帯を巻かれ無骨になった右足を吊されたまま「気にするな」と手をあげた。残りの数分ぐらいどうということはないと返されて、肩で苦笑した。

医療ベッドの空きがなくなってきたとのことで、松葉杖があれば生活に支障がない者などは自室療養となった。だが、自室までの道のりに付き添いが可能な限り必要とのことでウルフは昔のよしみで元ライバルレーサーのフォックスの面倒を見に来たのである。

手にしたカルテに目を落としている婦長の横顔をウルフは見上げる。平均以上に整った顔立ちをしているので若く見えるが、婦長という役職を考えるとフリットと同じくらいだろうか。あっちもあっちで顔立ちは童顔で歳はあまり感じないけれど。
ブロンドの髪にブルーアイ。こっちのが美人だなと感想した。けれど、惹かれる感情、欲らしい欲は見当たらなかった。

残り五分を切って冷感が強くなってきた時だ。医務室の扉が向こうから開いて、ウルフがそちらに目を向ければ深緑の軍服が映った。
フリットは幼馴染みの後ろ姿を一番に視界に入れていた。

「エミリー」

婦長が振り返ってフリットの名を呼び返すのとほぼ同時。
エミリーの傍らにある椅子に腰を下ろしているウルフの姿にフリットは気付いてぎこちなく瞬くも、足は止めなかった。

「いつもの、くれないかな」
「珍しいわね。自分から取りに来るなんて」
「うん……思い出しちゃって、さ」
「そう。待ってて」

落ち着いた頷きを一つしたエミリーは奥に身を引っ込めた。戻ってくるには少し時間が掛かりそうだった。

「フリット」

ウルフの呼び掛けにフリットは反応したが、彼と顔を合わせようとはしなかった。昨日の今日で気恥ずかしい……のとは違う空気感にウルフは眼を細める。

「お前、どうかしたのか?」

平常通りだとしたいのか、フリットからの視線を合わせない問い掛けが落ちる。

「自分で殴った」
「………」

何故?と疑問を持っている背中にウルフは冷やしていた手を下ろして続ける。

「忘れないためだ」

手の届く位置にいる彼女の腕を掴んで引き寄せる。フリットは前屈みになった姿勢を整えるが、合わせないよう努めていた視線を合わせてしまった。

「夢にしとくつもりはない」
「駄目だと、言っただろ」

ゆめ、という音に僅かに反応を示したあと、眇の強さから視線を逃がしたフリットはそう零す。
目元を潤ませていることを視認して、彼女の感情を揺らせている事実を得た。だが、不信感の正体がはっきりせず、ウルフは首を捻る。最初からそんなものは存在していなかったのだろうか。

「こほん」

わざとらしい台詞じみた咳にフリットはウルフに近づきすぎていた顔を背を伸ばして引く。
エミリーの苦笑がそこにはあり、ベッドに横たわってる患者達も似たような顔をして、室内の空気を変えていた。
眉を下げたフリットは未だに掴まれている手に視線を向ける。

「手を離せ」
「振り解けばいいだろ」

そうされても気にしないと、昨日の引き継ぎをした。けれど、フリットはそれを懸念しているわけではなかった。
齟齬がある。それを感じたウルフは気のせいではなかったことを踏まえるに留め、彼女の手首を自分から解放した。

フリットが自由になったのを見て、エミリーは手にしていた処方箋薬を入れた紙袋を彼女に手渡す。礼を述べたフリットはそのまま踵を返そうとするが。

「食後に飲むの忘れないでね」
「分かってる」
「食事もちゃんとしてよ。忙しいからって栄養ゼリーで済ませてたら胃に悪いんだから」
「それはもう」
「してないって言って、それで済ませてたことがあるのは誰?」
「……僕だけど」

素が出ている。
二人の会話を聞き取れているのは間近に位置するウルフのみだが、室内に渡っているのはエミリーの声だけ。端から見ればフリットがあしらうように聞き流しているとも受け取れる。

「その人に監視、頼んでおこうかしら」

頬に手を当てて流し目で提案をしてきたエミリーにフリットは肩を跳ねさせて、ウルフは突然の指名に顔を上げた。

「しなくていい…ッ」

大声になってしまいそうなのを抑えたフリットは複雑な表情で、それを見たエミリーは目を瞠って、後で柔らかく微笑んだ。
見守りに入ったエミリーの態度にフリットは結んだ口を下向きに曲げる。デスクに置いていたカルテに手を触れるエミリーから肩の力を抜いたフリットはようやく踵を返す。
けれど、出て行く前にウルフを振り返った。目は合わせる。

「あとで……」

言いかけ、頭(かぶり)を振ることで有耶無耶にした。
要領を得ないフリットに問い返す間もなく、彼女の背中を見送る形になってしまったウルフは肩を竦める。何かを隠そうとしている匂いだけ感じて。

もういいだろうと保冷剤をエミリーに返したウルフは立ち上がり、フォックスの手助けに回ろうとした。が、エミリーの視線がずっと向けられていることに留まる。
しかし、彼女から話し掛けてくる素振りが一切無い。

「フリットが持ってった薬、訊いてもいいか?」

此方から嗾ければ、彼女はデスクと一式になっている椅子に腰を下ろして間を作り、声を潜める。

「………貴方が何処まで知ってるかによるんだけど」

デスクの影になっている自らの腹部に手を持っていくエミリーの仕草をウルフは横目に確認した。

「産めないのは知ってる。どうしてかは知らねぇけど」

静かなその返答に、あれで伝わったことに、エミリーは愕きがあった。若いけれど、周囲を敏感に、それでいて冷静に見られる目を持っている。
フリットと彼に関する噂が流れてきた時は耳を疑ったものだが、彼女が認めるだけのことはあると上から目線の評価を付ける。自分の方がフリットとの付き合いが長いのだ。それくらいの優位は許してもらいたい。

「そこまで知ってるなら、効能くらいはいいかしらね。……依存を抑えるのも入っているけど、そっちはもう念のためってくらいで心配はないわ」
「メインは?」
「ステロイドの修復。ホルモンバランスを整えると言い換えた方が分かりやすい?」
「それで治るものなのか?」
「傷ついているものは当時の技術では難しかったから完治はしないの。今でもそれ系の技術成長は伸び悩んでるわ。あの薬は悪化を抑制しておくのが精一杯」

説明を聞き終えたウルフは言葉を発さず、無表情でいた。
デリケートな話は若者にとって苦患(くげん)な問題だ。ウルフの様子にそのまま悩み抜いて欲しいとエミリーが願い、当のウルフが視線を寄越してきた。

「して、大丈夫なのか?」
「してって、何を?」
「いや、だから、ナニを」
「………ああ、そういうこと。それは大丈夫よ」

身体で安堵を示したウルフにエミリーは微笑する。心底といった様子にそこまでの関係を持っているということが窺えた。そういう話題は好まない方だが、フリットの身を案じてのものだったことがよほど大事だ。
大事にしたいと、彼がそう望んでいることは彼女の友人として嬉しい。
まだ何か訊きたがっているウルフにエミリーは聞くだけは聞くわよと、そのように促した。

「フリットが大分気を許してるように見えたんだが、あんたも腐れ縁とかか?」

も、というのはディケだろう。しかし、自分はフリットと腐れ縁という関係で言葉付けは否定しないが、少し違うようにエミリーは思っている。
簡単に言えば。

「幼馴染みよ」

納得を見せたウルフから、それとは違う感情を感じ取ったエミリーは苦笑を交える。フリットと関わったなら、私達とも関わることになる。かつてから存在する関係そのものに対する焦り。
けれど、それは自分も同じとエミリーは胸に落とす。いつも通りは不変の安心が約束されている。だが、それが変わるときがある。誰かの選択によって。
それが不安要素であるかどうかをエミリーは今、まさに見極めている最中だった。
そして、それはもう安堵となりつつある。フリットのあの様子を見た瞬間に杞憂だろうと思わされていたが、ウルフと交わした言葉に一つとして此方の気を削いでくるものはなかったからだ。

「相当好きよ、フリットは貴方のこと」

息を呑んだウルフの姿にエミリーはそんなに意外なことだっただろうかと首を捻る。適当に視線を外していたウルフが此方を再び見下ろしてきた目には年若さ特有のものがあった。
これはウルフだけが悪いというものでなく、フリットがはっきりしていないのも原因になっていると想像する。フリットは自分自身に対しても鈍いところがある。けれど、見ていれば分かるのだ。
彼女があのような態度を思わずしていたのは、過去にもある。感傷的なものを覚えてエミリーは振り返りに区切りを付けると、顔を上げる。
温かい微笑みを向けられたウルフは気不味いと、当初の目的であったフォックスの方へ足を向けた。

医務室を出て、松葉杖を両脇におぼつかなく通路を進み歩くフォックスの足下にウルフは目を落とす。

「膝は曲がるだろ。右足そのままだと擦るぞ」
「昔っから思ってたけどよ、面倒見良いよな」
「お前だって似たようなもんじゃねぇか。それと、もっと体重を杖で支えたらどうだ」

適当にもう二言ぐらいそれから付け加え、あとは慣れるしかないと結論付けた。先程より様になってきたのでいいだろう。

「そういえば、アモンド婦長となに話してたんだ?」
「何でもいいだろ」
「つれねぇな。噂で聞く司令とのあれやそれやも最近口数少ないし」
「調子に乗るとあの副官が煩いからな」
「あー……。あれ、神経質そうだよな。司令を尊敬してるっていうより崇拝に近いってか。よく、司令とお近づきになりたいと思ったよ、お前さん」
「可愛いぜ、あいつ」

そんなことを言えるウルフにフォックスは面を喰らいつつも苦笑う。公言してしまえるウルフの度胸が最初は滑稽に見えたものだが、今はそれほどでもない。心境が傾いたのは、まぁ何と言うか……と頭を掻きたくなったが両手が塞がっていることに気付いて吐息で代わりとした。

稀にフリットがウルフの様子を見に来ることがある。本人は明確な目的は無い顔でいるが、装っているのに気付いていない者は殆ど皆無ではないだろうか。それだけ不審ということだが、総司令官に口添えしてしまう身の程知らずもいない。
本当に用事が無ければウルフに声も掛けず、遠目から一目だけで終えているのだ。女性として見られれば、いじらしい行動と言えなくもない。
ウルフもそれには気付いているが、あえて手出しも口出しもしていない。フォックスが行かなくていいのかと問えば、格別だからといまいち要領を得ない返答をされたのは記憶に新しい。
このウルフの反応もまたフォックスにとって意外が含まれる。あそこまでの興味や好意を持たれたら、ウルフはそれまでのことがなかったのではないかと思わせるくらいに関わりを持たなくなる。表面上は何ら変わらないが、付き合いはしないと背で語り終えるのだ。それが、今回はない。

そういったことがあり、司令官の厚顔が剥がされている場面を何度か目にしてしまっている。
完璧主義で融通の利かない人柄も間違いではない。理路整然と佇む姿のイメージもやはり大きい。敵と相対時の眼光の鋭さは味方でも臓器が冷えると語り継がれているほど。
医務室で世話になっている間、フリットと幼馴染みであるエミリーから話を聞ける機会がフォックスにはあった。司令官の印象を伝えれば、彼女は此方が持つ主観を否定せず、微笑で口を開いてくれた。

『考えなくてもいいことにまで頭使うから、抜けてるとこもあるのよ』

表にはあまり出さない部分を悪戯っぽく教えられ、ウルフが関わってからの様子と結びつかなくもないと朧気に掛けた。
司令官として立ち居振る舞っているのも真実である上で、他の一面もある。見せる顔が違う、そういうのは誰にでもあるはずだ。人によって態度が変わると主張する者もいるが、それは相手を見知り加味した人の知恵にすぎない。

ただ、態度の違いに怒りを覚えるのなら、自身の振る舞いを見直すことを前提に置いてからして欲しいものだと、学生時代やレーサー時代のいざこざを思い出す。それはそれで悪く無い経験であったと過去となった今では当時より落ち着いて考えられた。今が快適と断言はしかねるが、現状でかつてより大それたことにならなくなったのは頭を使うことを覚えたからだ。

平等に接するのは利口だ。立場上、公平な判断を下すためにそうすべきである者だっている。連邦の総司令官ともなれば、こちら側なのだ。自分らなどよりも頭の駆使を熟知しているのだから。
その態度を変えさせているウルフへの苦笑がまた濃くなる。
他人を変えさせるくらいなら、自分を変えるなり制御する方が余程楽だろうに。

「で、籍入れるって?」
「お前はあの場にいなかっただろ」
「何処にいようが耳には入ってくるもんだ」

明らかに面倒という顔をした後でウルフは顔立ちを静かにした。フォックスはそれを見遣って、相当惚れ込んでいると知る。そして耳にした噂の内容も真(まこと)のようだ。

「向こうは子供いるだろ?結構でけぇって聞いたが」
「他の男が手をつけてない良い女を小っせぇ理由で逃すかよ」
「つけてない、ねぇ」

小首を傾ければ、眇を寄越された。一言多かったと認めるが、今、手をつけているのはウルフだけでも、過去につけられている証拠は存在する。
他人の過去にとやかく言える生き方はしてこなかったため、掘り下げることはせず、会話を宙に投げた。

深く語り合わないのが向こうのスタンスなのは良く知っている。それが、レーサー新人時に起こしたトラブルを切っ掛けに自分の言動を鑑みるようになったフォックスの世渡り術なのだ。言い過ぎたと自覚して言葉を止める。
怒りがあるわけではないと、ウルフは肩を竦めておく。

適度な間を置いてから内容を変えた雑言を交わし始めれば、向かい側から顔見知りが歩み寄ってきた。
凹凸のある柔らかな身体付きに二人して胸に目が行った。

「フォックスは兎も角、ウルフは駄目なんじゃない?」

昨日、あの場にいた彼女はからかいを含んだ声で言った。
レーサーの時からファンだったと告げられてから話を交わしたりと交友のある女性だった。

「じゃあ、わざわざ揺らすな」
「自然の理を無視する気?見る方が悪いのよ」
「男に無茶を言ってくれる」

当初は向こうからの尊敬やら何やらあったはずだが、いつの間にか軽口をたたき合うようになっていたのはウルフもフォックスも変わらない。
通路ですれ違い様の会話はそれで終わるのがいつも通りだった。が、通り過ぎたはずの彼女が振り返る。

「そうだ、中尉殿。昨日、アスノ司令の素肌を見てしまいました」

芝居がかった口振りにウルフは足を止める。
彼女はウルフが僅かに振り返りを見せたことに口元に微かな笑みを浮かべ、シャワーブースを共にしたことを付け加えてから本音を言葉にした。

「妬けた」

シャワーブースで目にした噛み痕へ向けた同じ表情で告げる。それ以上の言葉は双方になく、それぞれ二方向に分かれていった。

居住区画に入り、フォックスの部屋の扉を彼の代わりに開けたウルフを静かに見遣る三白眼があった。
何だと、ウルフがフォックスに視線だけで問う。それに分かっているだろと向こうから視線を再び返されたが、ウルフは自らの視線はそのままに外さなかった。

「お前さんが本気なのは百も承知だ。けど、司令のどこが良いかは半信半疑なんだよな」
「よそのアンチテーゼに興味はねぇよ」
「だろうな」

テンポの良い応酬は互いに確証を持たせ、違いを認め合う。共感しないことを前提とした男同士で執り行う儀式のようなものだ。
当たり前に、明確で分かりやすいものを男は好む生き物だ。悩みに美徳を求めたりはしない。

「他にも良い女はいると思うけどね、俺は」

怪我人相手なので、フォックスの肩を軽くノックする程度に叩きやったウルフは世話はここまでだと来た道を引き返していった。
過ぎ去ったその背中を振り返るのは難しく、呼び止めるのもまた面倒だった。

後ろで扉の閉まる音を耳に入れたウルフは一息入れる。

「あんな顔見せられて、放っておけるかよ」

誰に何と言われようとも。





























◆後書き◆

今回はエロなしでした。代わり(?)に模擬戦バトルをば。AGE-1のクロスガード結構好きで、やってみたかった。腕の装甲にシールド並みの強度持たせれば、あの癖は理に適っていると思うんです。
模擬用だからということで、武装からドッズ(確か螺旋状のなんたらでしたっけ?)を差し引き。武器自体にその構造あるかもですが、オンオフの設定出来るかもしれないと安直に考えました。

エミリーもようやっと登場で、フリットの過去にウルフが少しずつ触れていく話を今回は。
「結婚しよう」のプロポーズで狼狽えるフリットさんを書きたくて。それにOK出すには、色々とさらけ出さないといけなくなってきたりで、悩んでしまうものだろうなと。

本文にはニュアンス程度で雰囲気だけにしましたが、もやもやする方はこちらを↓
ぼんやりとした設定では“彼女”はウルフと付き合ったあとにフォックスと付き合って破局。身体の関係はウルフとは不明でフォックスとはあるんじゃないかなぐらいで、フォックスとの破局原因が「ウルフのほうが良かった」的なことを言われ…。彼女としては結婚してもいいなと思った男がウルフだったという感じです。
キャラ付けはしてあるんですが、必要以上にキャラ立ちされると困るので名前無し子さんにしました。

後編でフリットさんがプロポーズに頷いてくれるのか。さてさて、どうでしょう。
エロはたぶんあります。

Vergangen=過去

更新日:2014/09/28








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