◆Dankbarkeit◆










一眠りしたら身体が軽くなっていた。精神的なものは案外と時間の経過で重さに変化が出るものだと、アセムはジャケットを手にして自室の外へ足を運ぶ。

心臓の位置にあてられた拳の強い感触を思い返しながら、アセムはウルフの言葉を心で繰り返す。落ち着けば、父親であり上官でもあるフリットの仲間を危険に晒したという忠告も理解出来た。ただ、反省をするにはまだ時間が掛かりそうだ。
間違ったことをした自覚はあったけれど、正しくなかったとは思えない。

彼の、長い銀髪を揺らす後ろ姿が脳裏に揺れて現れる。ノイズが消えてはっきりと見えた青年と少年の間を彷徨う背中の大きさは自分と大差ないはずなのに、能力は途方もないほど違う。いつもならば、そのまま消えてしまうのだが。これまでと違うのは、彼が此方を振り返ったことだった。

ようやく悔しさから解放されたのは、ウルフのおかげだ。強くなればいい。心を強く持てばいい。その強さで振り返った彼奴に立ち向かえばいい。
難しい言葉ではないからこそ、弾くことなく、すんなりと染み渡った。

感謝していることは伝わっていたと思うが、もう一度ちゃんとした形で言葉にして伝えておきたかった。有り難うが大切な言葉だと教えてくれたのは母だったか、いや、最初は父であったなとアセムは遠くを見る。エミリーはフリットに頷いて、言葉の足りない父の代わりにどうして大切であるかをアセムに教えてくれた。

無口ではないのだが、父は寡黙だったのだとウルフを間近にするとよく思う。
今日も、父の後を隊長が引き継いだようになっていた。そこでアセムは首を傾げた。ウルフとエミリーがフリットの手助けに回っているという図式に気付いたからだ。
早合点しすぎかと、アセムは白いジャケットを視界が捉えたことで先の考えを切り上げた。

しかし、そのまま一歩を踏み出す前に引っ込める。ウルフの隣にフリットがいたからだ。
隣と言うより、ウルフがフリットの肩に腕をまわしていてくっついている状態だ。オブライトにもよくやっているウルフの癖で、アセムもたまにやられる。だから物珍しいものではないのだが、父がそれを許していることに驚く。

隠れる必要はないのだが、二人の後ろのほうで物陰になりそうな隙間を見つけると、アセムはそこで半身になる。声はあまりはっきりと聞き取れず、状況は二人の横顔で表情を読み取るしかない。
豪快に笑っているウルフを横にフリットは呆れながらも苦笑しているという感じだ。父の崩された顔はなかなか目にしたことがない。

旧知の仲だとそういうものだろうか。何となしにアセムは学生時代を思い起こして、自分とゼハートが彼らと同じほどの歳になったらと考える。しかし、条件的に難しいことを悟って頭を振る。
落ちかけた視線を持ち上げ直せば、目が合った。ウルフと。

一瞬の出来事で勘違いであったかもしれないが、蒼い色が焼き付いた。だが、そのことを考えている暇もなく、自分の目は信じ難いものを次に映した。
覆い被さるようにウルフがフリットの口に触れた。唇を重ね合わせていると視覚は捉えているが、頭がついてこない。
長くはなかった。けれど、アセムには一秒が十秒ほどの長さに感じ、錯覚した。

身を引いたウルフにフリットは淡々とした無表情で、相手の行動に驚いている様子は見当たらない。少し顔を逸らしたかと思えば、ウルフの腕を静かに退かして何事かを最後に言ってから一人でブリッジの方角へと去っていく。
それを見送っていたウルフは足の向きを変えた。彼も自分の持ち場に向かうのだろう。

アセムはウルフが自分のほうへ来てしまったらどうしようかと焦っていたので胸を撫で下ろす。目が合ったと思ったが、やはり気のせいであったのだろう。そう納得して、アセムは物陰から通路に出る。
目的を果たすにはウルフの背中を追いかけるのが正解であった。しかし、アセムの足はブリッジに向かっていた。

その横姿を立ち止まり、通路の壁に背を置いていたウルフは横目で見送ると、今度こそ、その場から立ち去った。







ブリッジの定位置に坐したフリットは設置されているタッチパネルを展開して座標の確認をし始めたところだった。

程なくして、出入り口から姿を現したのは彼の息子だ。
最初に気付いたロマリーが「どうかしたの?」と表情にのせて小首を傾げる。それに片手を挙げて「ちょっと」と返事をしたアセムはミレースを横切る前に一礼して、迷わずにフリットの目前で立ち止まる。

「司令、」

多少の緊張を持って話し掛けをすれば、フリットは穏やかな顔で視線を合わせてきた。注意された時の剣幕はなく、アセムは少し拍子抜けする。

「休養はもういいのか?」
「それは、大丈夫……」

言葉を探せば、それより先にフリットが言葉を続けた。

「そうか。本調子になったら医務室でもう一度、検査を受けなさい。ミューセルはまだ解析出来ていない部分が多いからな」

タッチパネルに視線を落としたフリットは会話を切り上げようとする。間を置かず、アセムが頷きを返すことが前提で進められていた。

心配されていることは分かるのだが、どうにも納得しづらかった。言ってしまってもいいのだろうかという気持ちもあったが、意図的な父に従うことに抵抗を覚えていた。
今更、反抗期だろうかとアセムは自分で自分を客観的に見つめる。そして、ここまで来た原因をとうとう口にした。

「さっき、さ。ウルフ隊長と一緒にいたの見たんだけど」

切り出されたことにフリットは愕いてアセムの視線を受け止めると、ばつが悪そうに目元を引く。
突然立ち上がったフリットにアセムは驚き、クルー達も其方に視線を窺わせる。フリットは席を外すと、アセムの後ろを通り、振り返る。

「来なさい」

強制力のない声だった。そんな父の様子にアセムの方が戸惑ってしまう。前を向き直したフリットが行ってしまうのを見届けかけて、その背中をアセムは焦り気味に追う。

ブリッジを出て、出入り口横の壁際にフリットが位置を落ち着ける。背を預けないフリットを無意識に倣(なら)ってアセムも背を伸ばしたままだ。

「見ていたのか」
「うん。その……キス、してた?」

表情を困らせていくフリットにアセムも困ってくる。見間違いかもしれない。その可能性もあるはずだ。本当だったら誤魔化される可能性もあると、予想の選択肢が増えていく。
けれど、父は嘘偽りのない人だ。つまり、この反応は見間違いでもなんでもなく、ウルフと交わしたことを認めている。

困っていた表情を吐息に変えたフリットは頭を抱えるように手を持ち上げた。

「あの人は、ウルフは昔からそうなんだ。悪ふざけが過ぎるところがある」

取り繕った声色ではなかった。どう説明したものかと悩んでいる様子は見受けられたが、やはり嘘のない父の声だ。

「平気、なの?」

部下としてではなく、息子として問い掛けた。正直、初めて父親が危なっかしいと思ってしまったのだ。何がどうしてそう思ったかは自分でも説明し難かったけれど。
常に、背筋を正していて隙のない佇まいであるのに。

「向こうにしてみれば挨拶みたいなものだ。それに、やめろと言ったところでウルフは聞き分けないからな」

他からは毛嫌いされているとアセムはウルフ本人からも周りからも聞いていた。連邦基地をたらい回しにされていた原因は我が強いからだ。それを知っている上で、父はウルフの行動を容認している。
絶対の信頼と言ってもいい。そういう人が母や曾祖父の家族以外にいたという事実はアセムにとって何処か遠くのように感じられた。
此方の反応にフリットは何を思ったのか、気に掛けた表情に切り替わる。

「アセムにもやったのか、ウルフは」

もしやという危惧にアセムは慌てて首と両手を横に振った。学生時代の行事で女物の服を着せられ、勘違いして声を掛けてきた男子上級生を殴り飛ばしたことがあるくらいだ。冗談じゃない。

「違うのか?」
「してないよ!」

青ざめているアセムにフリットはそんなに変なことを訊いただろうかと、首を傾げる。しかし、ウルフがアセムを遊び道具として扱っていないことを知って安寧に落ち着く。

昔から向こうは大人だったが、弁えない時が多々ある。だがそれは、此方とは自分が軍人になる以前からの付き合いだからだと認識もしている。
フリットが本心から息子のことを任せられる人間は限られた。その中の一人がウルフだ。先程も、命令違反で荒れていたアセムを宥めてくれた。アセムには最初から部下として接しながら、自分の代わりに注意深く様子に気を配ってくれている。

家ではないのだ。親として甘えさせるわけにはいかない。父親で上司というのは、アセムにとって負担であることは承知だ。けれど、それを解っているところで上手く使い分けることが自分にはつくづく難しい。
ついさっき、ウルフにも不器用だなどと指摘されたばかりだ。
不甲斐ない部分をウルフは昔から汲み取ってくれる。もしかしなくとも、アセムよりも自分の方がウルフに甘えている。この歳でそれを認めるのは正直、情けないばかりだ。

「父さんは、隊長と……」

その先をアセムは言えないが、飲み込むことも出来ずに表情を歪ませる。
まさかと思いながら、そうであってほしくないという気持ちが重なっていく。

息子の様子は明瞭でないが、フリットは先を促さずに待っていることにした。けれど、背後横から扉がスライドする厚紙を擦ったような音に振り返る。

「すみません、司令。少し急なものなのですが」

ミレースの横入りに、アセムは仕事の邪魔になってしまうと頭を下げてその場から立ち去った。
その背中をフリットは一抹の感情を持って見送り、姿が消えきる前にミレースに向き合う。

「急ぎとは?」
「ありませんよ」

瞬くフリットにミレースは難しい顔をして、アセムの背中を一瞥する。

「司令がお困りかと思ったんですが、早とちりでしたか?」
「いや、持て余してはいた」

向き合うつもりでいたようだ。先走りすぎたことをミレースは自身で認める。しかし、呆れを含んだ吐息を零してミレースは姉のような顔でフリットと視線を合わせた。

「ウルフ少佐は今でもやってるんですね」
「今に始まったことではない」
「だからですよ」

そろそろ大人になって欲しいとミレースは頭を抱える。少年の頃のフリットを知っているミレースは彼にウルフが絡むように構っていたのを目にしている。あれだけはたまたま見掛けてしまったのだが、あの時はフリットもされたことに対して愕いていたはずだ。
第三者に見つかってしまったことに慌てるウルフでもなく、事も無げにただの挨拶だと説明してのけた。

ミレースからしてみれば、フリットが真に受けているとも思えなかったが、聞き入れるのは彼の中で別次元の話なのだろう。そうであるから、ウルフもやめないのだ。
報われませんねとミレースが小さく呟き、フリットはあまりの小ささに聞き逃した。







とぼとぼと覇気の足りない脚でアセムは通路を進む。頭の中が忙しなく混乱をしていて少し重い。
ミューセルの後遺症ではない。身体が、ではないのだ。それくらいの判断は自己管理能力を伸ばし叩き込まれて身に沁みている。

これ以上はアリーサ達にも心配を掛けたくなくて自室に戻ることはやめたのだが、鏡を見なくても顔色は優れていないことが手に取るように分かる。
あの瞬間、ウルフが自分と目を合わせたのは意図的だったのではないかと、アセムは疑い始めていた。
それを確かめたいのだと、曖昧に思う。

確かめたが最後、何かが変わってしまうのではないかと、それが曖昧に繋がっている。始まるのか終わるのか、どちらにせよ、持続でなくなる変化だ。自分とゼハートのように、戻れなくなってしまうあれが無色透明の姿で蔓延っている。
それらを目で捉えようと俯いていたから、アセムは立ち止まっていた人にぶつかってしまった。

「すみません」

はっとして後ろに身を引いたアセムは、謝罪してから目に映った相手に息を呑んだ。タイミングが悪すぎる。
しかし、ぶつかられた相手は気分を害した様子もなく、読み取りづらい表情で肩を竦めた。

「俺に話あるだろ」

先に切り出したウルフにアセムは視線を横に流した。声音から待ち構えていたことが窺えたからだ。
蔓延っていたものが足首に絡んだ。

手近な未使用の室内へ、ウルフの後に続いてアセムは踏み入る。
さらっと見渡した限り、内装は食堂の飲食スペースに似た造りだ。使われていなさそうなコーヒーメーカーが一つ置いてある。自動清掃は機能しているようで、明かりに照らされた室内に埃などの汚れはない。

適当な場所の椅子にやや斜めに腰をどかりと降ろしたウルフを見遣り、暫しの間を置いてからアセムはテーブルを挟んだ向かいの席に静かに腰を降ろした。

緊張している様子のアセムにウルフはいつも通りの調子の良い笑顔を向けた。しかし、アセムは気を緩めることが出来なかった。
こういうところは父親にそっくりだなと、ウルフは表情を改めた。アセムが誤魔化したいのなら、それに乗っても良かったが、根が真面目だ。
現実から目を逸らさない。アセムを買っている一番の理由はそこだ。
フリットの息子だからという理由が些少もないとは言い難かったが、ひとりの人間として認めるに足る素質は充分に備えている。

「あれは、わざとだったんですか……」

父に迫る直前に、目を合わしたかどうかを探れば、間を置かずにウルフは「ああ」と頷いた。意外性はとっくに無くなっていた。そうであるから、アセムの中で驚きより疑念が上回る。

「どうして」

普通であれば、隠そうとするのが常道だ。敢えて、あのような真似をしたウルフの神経がアセムには理解出来なかった。

「親父のほうも、お前程度に疑うってことを知ってたら良かったんだけどな」

質疑には応答せず、ウルフは嘆息付きで頭を掻く。
上手くいっていたなら隠していたはずだ。誰にも見つからないように。

転換期は来なかった。フリットが疑わなかったからだ。それさえあれば、切っ掛けへと運びようもあっただろう。
場所を選ばずにフリットを構うわけではない。ミレースに気付かれたのは大きな誤算であったし、配慮し損ねたことをこれまで忘れずにいた。
そこまで徹底していたのに、何故アセムに見せ付けるようなことをしたのか。自らをウルフは見誤らず理解していた。

「話が見えないんですけど」

眉を歪めるアセムに向けて、話を脱線させているわけではないとウルフは片手を振る。

「一つ尋ねるが、お前はどう思った」
「どうって」

益々眉を歪ませていくアセムは視線を落としてもテーブルの白さが目に入ってきて、臓器を縮める。
喜べるものでなかったことは確かだ。

「嫌、でした」

否定するような言葉を使いたくはなかったが、ウルフが聞きたがっているのはそれだろうという予感があったのだ。
答えを聞いたウルフから気分を害した様子は見えず、納得した表情を湛えている。

「だから、だ」
「……訳が分からないんですが」
「言葉で説明しろって言われてもな、お前に解るように伝えられるほどこっちのおつむは綿密に出来てねぇぞ」

自分では理解出来ていても、他者に同じ理解をさせられる技量はない。大概の者はだいたいそうであるとウルフは認識している。だから他人の考えを矯正しない。
言い聡しは使える言葉があればしておくが、それ以降は向こう任せにしてきたのが殆どだった。フリットも例外ではなかったし、アセムにも同様だ。

「否定されるのって、悔しいじゃないですか」
「確かにな。けど、自分が肯定出来てればそれでいいだろ」

他者からの存在を認めない評価は自己嫌悪を持っている者にとっては苦痛だ。
生まれながらに自惚れているような人間にはなりにくい。自信もひとりで身につくものでなく、他者との関わりからつくものが大半であろう。
それらを重々承知で、自分自身をいくらでも嫌えばいいとウルフは半端投げやりに思う。苦痛から逃れる確証は、自分を肯定し続けることにあるからだ。

「誰もが隊長じゃありませんよ」

全員が全員、ウルフのような考え方が出来るなら悩みが無くていいだろうが、それで世の中は成り立たない。吐息でアセムが言えば、ウルフは少しばかり驚いた顔をしていた。そのことに首を傾げる。

「フリットにも昔、似たようなこと言われた。やっぱ親子だな」

そう言われて喜ぶ歳ではなくなったが、特別嫌とも感じなかった。けれど、ウルフの表情に複雑な思いを持つ。
それを払拭したくて、アセムはそうなのかなと感じ取っていたことを口にした。

「隊長の一方的なものですよね、父さんはそんな風じゃなくて」
「最初の言い方が悪かったからな」
「その、いいんですか?今のままで」
「お前は嫌なんだろ?」

そう訊かれたら頷く他にない。だが、感情を、ましてや好意を仕舞い込んでおくのは辛いものだ。それが後で膨れあがって制御出来なくなるのではないかと、アセムは自分の経験上で危ぶむ。

アセムの中の考えはまだ狭いなとウルフは感想する。今、経験を積み重ねている真っ最中であるのだ。
嫌と思うことに対して、まだ情報が足りていなくて他の見方が出来ていない時期だ。だから、今の段階で、ここで理解をしてもらえなくても構わなかった。
事実、アセムがこのことに自分なりの見識を見出すのは二十五年先の話だった。

「俺がフリットでオナニーしたって言ったら?」

間髪入れずに歪んだ表情をアセムはウルフに向ける。答えは分かっているが、言わずに聞き逃すのは難しかった。

「冗談ですよね」
「冗談に聞こえたなら耳の穴かっぽじって掃除してこい」

一度や二度のことではないんだろうなと、アセムは益々眉に力を込める。父親をそういう対象にされるのは、息子として気分の良いものであるはずがない。
通じ合えていないことに同情して、譲歩してもいいのではないかと少しでも思った自分が馬鹿らしかった。

これ以上は聞いていられないと、アセムは椅子を引く。立ち上がったアセムを静かに一瞥したウルフは口を軽く開いた。

「お前は理想が高いな。母親とはだいぶ考えが違う」

立ち去ろうとした一歩をアセムは踏み出せなかった。母がそのことを知っているのだとは俄に信じ難かったからだ。それに、もしも知っているのなら何時からだと疑問が湧く。
ウルフが直接、自分に向けて話すように同じことをしたのだろうか。

「結婚式終わってから『花婿を攫っていくと思ってました』って言われたのは流石に俺も面食らった」

そこまで非常識ではないし、そんなことを計画どころか想像すらしていなかった。式からまもなくのことだったはずだが、エミリーが妊っていることを知って、彼女の真意はどうであったのか未だに不思議に思う。 当時のことを思い返してみても、冗談で言った雰囲気ではなかったからだ。

「母さんは、何時から……」
「さあな。俺もはっきりとは知らんが、フリットのことを一番見てたのはエミリーだからな」

少女であった時から何かしら感じ取っていた可能性はある。エミリーの前でフリットの唇を奪うような真似はしていないが、何かあれば勘付かれるものだ。フリットの方は兎も角、自分は当時から含むものがあったとウルフは自覚済みだった。

「お前も産まれて、二人が一緒になったのは良かったと思ってるのは俺の本心だ」
「その口で言えたぎりだとは思えないんですけど」
「そうか?エミリーのことでフリットをからかったこともあるぞ」
「矛盾してませんか」

関係が複雑である前に、でたらめている。悪意ではなく、敵意に似たものを持って、アセムはウルフに言葉を刺し向けた。
声音から、共感も共有も出来ないと拒絶を受け取ったはずのウルフは微苦笑でその切っ先を握ってやると手を出してくる。

「そう言ってくれるの、お前だけだろうな。これから先も」

差し出された手に渡しもせず、使い物にならなくなった切っ先を下ろしたアセムはウルフの言を見つめようとする。
その、フリットに似た色を持つ眼差しを向けられて、ウルフは苦味を濃くした表情をして視線を少し横に投げた。

「知ってる奴もそんなに多くはないがな、誰も間違ってるとは言わねぇ」
「否定、して欲しかったような言い方ですけど」
「そうだ。お前に見せ付けたのはそのためだ」

視線を戻した蒼い瞳を見返したアセムは、椅子を戻しながら腰を下ろした。本意ではないが、ウルフの意図が見え始めた気がしたのだ。
ウルフ個人に対して、アセムは鬱陶しさを感じないし、感謝していることも幾つかある。

「俺と父さんって、似てますか?」
「そこそこ似てるな」

見た目から母であるエミリーによく似ていると友人や知人から言葉を貰うことが多かった。性格についてはこれといって誰にも指摘されたことがなかったのは周囲に比較してくれる人がいなかったからだ。
成績もあのフリット・アスノの息子なら当然とする点数を必ず維持するようにしてきたのだが、知能に酷似という言葉は適用されない。だから、ウルフの言葉はアセムにとって意外性があった。

「さっき言っただろ。理想が高いところが似てる」
「父さんって理想高いですか?何でもそつなくこなしているというか」
「そりゃアセムより歳いってるんだから、理想に追いついてるフリットしかお前が見てないからだろ。モビルスーツの操縦だって下手くそだったぞ。操縦技術のセンスなら、お前のほうが上だ」

そうだろうかとアセムは首を捻る。以前のような忸怩(じくじ)たる劣等感は薄れているものの、劣っている自覚はあるのだ。今の父に張り合えないのは分かっているが、だからといって昔の父と張り合えている感覚がない。

「マッドーナに連れて行った時のこと抜け落ちてないよな」
「それは勿論」

マッドーナの工房で、そこの切り盛りをしているムクレドの息子であるロディが手掛けた新型戦闘シミュレーターを使わせてもらった。記憶に新しいとは言い難かったが、深い記憶として刻んでいる。

「シミュレーターでお前は一人で二機を相手にしただろ」

ゼイドラとAGE-1が相対モビルスーツだった。データだとしても高性能な再現度であり、アセムは苦戦した。何度も、何度も、繰り返し挑んだ。

「結果は良好じゃなかったが、敵がガンダム一機ならお前はすぐに倒しちまってたぜ」
「そんなことは」
「認めることを覚えろ、それは恥じゃない。まぁ、お前は彼奴ほど完璧主義じゃないっぽいけどな」

椅子の背もたれに深く上体を預けたウルフを目の前に、アセムは自分の手に視線を落として考える。そこでふと、当初の目的を思い出してアセムはもう一度ウルフに視線を戻した。

「ミューセルのことで、さっきは有り難う御座いました」

少しの間を置いて、あのことかと思い至ったウルフは頭を下げたアセムから視線を遠くに飛ばして頬を掻く。

「よせ、そういうのは。苦手なんだ、良い大人じゃないからな」
「けど、父さんと母さんはしないと駄目だって」
「あいつらはそうだけどな、お前ももう子供って歳でもないんだから自分の考えを持て。礼をするなってことじゃなくて、相手を選んで言えってことだが」
「有り難うって言葉、嫌いなんですか」
「そういうわけじゃねぇが……言われ慣れてない」

完全にそっぽを向いたウルフにアセムはもう少しだけ記憶が開いた。
母の説明に妹のユノアと一緒に頷いた後で、感謝されることが苦手な人には扱いが難しくなる言葉だと、父の声が一度だけ再生された。
この人のことだったんだと、瞬く。

「分かりました、そういうことなら」

言いませんと頷くアセムにウルフはそうしてくれと手を振る。それを見遣って、価値観が偏った人だとアセムは思う。それなりに指導を受けたりと時間を共にしていたが、ここまで話し込んだことは多分、初めてだ。
だから、どうして惹かれたんだろうと嫌悪とは別に不思議を持った。

「何で、父さんなんですか」
「……直球だな」

ウルフも驚いているが、アセム自身も自分の問い掛けに驚きを得ていた。けれど、訂正する必要はなかった。
親子だと言われて複雑な感情を得たが、それはもう跡形もなくなっていた。似ていても、同一視をするようなことは決してなかったからだ。父と自分を。

「最初は、俺を代わりにしているのかなって思ったんです。けど、少し違いますよね」
「どう違う」
「代わりにしてるって意味では同じかもしれませんけど、本当は父さんに伝えたいことを俺に言ってませんか」

そこに気付かれるつもりではなかった。短い吐息を零したウルフは諦めを即座につけて開き直る。

「俺が求めてるものにも気付いてるな」

粋がるウルフを一瞥して、視線を逸らす。彼の言う通り、そこまで見通せていた。向こうが先の言及を否定せずに引き繋いできたならば、認めたことになる。

「理解は出来てません。拒絶されたいなんてもの」
「それで良いんだよ、フリットのことを諦めることだけは出来ない」

それ以外のことならどうとでもなる。しかし、どうにもならない唯一がそれなのだ。

「だから、お前に言うことにした」
「父さんは拒絶しないって確信しているように聞こえるんですけど」
「刺激が強いから軽いのしか見せなかったが、ディープもさせてくれる」

表情を歪めたアセムに満足げにウルフは口元を緩める。
心を開いてくれたような振る舞いが垣間見えたが、そう簡単に違う考えは受け入れられないものだ。根本は変わっていないとする姿勢には好感がある。向こうにとって此方の好感度は下がっているだろうが、構いはしない。

「そう何度もしてねぇよ。頼み込んで渋々ってのだったし」

後付けされたところで歪な気持ちは変わらないとアセムは視線を外した。

「あまりそういうのは」
「聞きたくないなら耳を塞げ」

手を持ち上げるアセムを見遣り、ウルフは椅子を引く。立ち上がって、背を向け、戸口に向かう。

「俺は自分からフリットを抱く気はない。それだけは絶対だから安心しろ。けどなぁ……フリットが気付くようなら、俺は彼奴を自分のものにする」

扉が開いて、靴音の後に扉の閉まる音が地面を這う。
アセムが塞ぐことが出来たのは閉扉(へいひ)音だけだった。





























◆後書き◆

この後にアセムはウルフさんに庇われて、どう思ったのやらですね。海賊時代を経て色々と思うことは増えて、その時には自分なりの見識がまとまっているのではないかと。ウルフさんの代弁者としてフリットに伝えてくれる日はあるはずだと、そんな感じの一方通行話でした。
はてさて、自分を一番信じていたのは誰であったのか。

このページの下に上の話の伏線回収的な過去(フリット)編おまけ話を。


更新日:2014/08/24
























































「きゃ」
「わ!ご、ごめんッ」

エミリーにぶつからないように壁に手を突き、もう片方の腕は驚かせてしまった彼女を浅く抱くようにまわす。衝撃が緩衝されて止まっていく。
怪我をさせていないかフリットが心配そうに覗き込めば、エミリーは頬を赤く染めた。

「顔、赤いよ?」
「何でもない!大丈夫、大丈夫だから」
「うん?」

くっついていては、確認しづらいかなとフリットはエミリーから腕を離して怪我の有無を確かめる。彼女の主張通り、何処もぶつけてもいなさそうで安堵する。
その後でフリットは向こうに目をやって眉を立てた。

「危ないじゃないですか!」
「反射神経は認めてやってるんだぜ」
「そういう話じゃありません。エミリーが怪我してたかもしれないんですよ」

立てていた眉をそのまま歪め、咎めてくるフリットにウルフは肩を透かす。
フリットが此方に背中を向けた時に、彼から少し距離の空いた向かいにエミリーの姿を見つけた。ほんの遊び心でウルフはフリットの背中を思い切り突き飛ばしたのだ。
よって、物理的にフリットとエミリーが衝突しそうになったわけである。

「お前ら二人とも怪我してないんだから、そんなに怒るなって」
「……反省してくださいよ」

言っても効果がないだろうことは承知だが、さっきは本当に焦ったのだ。話は聞いてくれる人だから、次に同じことはしないとは思う。けれど、似たようなことをする可能性は大いにある。次があっても、エミリーに怪我をさせるようなことは回避してみせる心積もりだが、保証があるわけではない。

「いいよ、フリット。私は気にしてないから」
「でも」

ウルフの意図的な悪戯の意味に気付いていたエミリーは鼓動がまだ静まっていないまま、フリットの手を取る。けれど、意図を分かっていないフリットは此処で食い下がるのは気が乗らない顔をした。そこへ、遠くからの呼び声が届く。

「おーい!フリット、手を貸してくれんかー!」

AGEビルダーの側にいるバルガスの声にその場にいた者達が揃って顔を向けた。エミリーが一番に行動に移り、フリットの後ろにまわって、その背中を両手で押し出す。

「おじいちゃんが呼んでるから行こう、フリット」
「………」

エミリーの為すがままに前に出たフリットだが、納得していないという意思を視線に込めてウルフを一瞥していった。
小さな背中を二人分見送ってから、ウルフの傍らにいたラーガンが口出しする。

「俺もフリットに同感です」
「お前まで文句言うなんて珍しいな」

ウルフが振り仰いでみれば、ラーガンは憤慨している様子とは違った。

「見ていて歯痒いって気持ちは分からないわけじゃないですが、大人が子供に怪我させたら余計なお節介ですよ」
「だから怪我はさせてないだろ」
「そのあたりの見極めと手加減は信じてます。けど、いつかに絶対があるとでも?」
「ねぇよ。それだから、ちょっと手伝ってやったんじゃねぇか」
「あの二人ならそのままで良いと思いますけどね」

幼馴染みは一緒にいるのが当たり前になっていて恋愛には発展しにくいが、いつもいる存在の大切さに気付いてしまえばすんなりと結ばれるものだ。少しからかいたい気持ちは自分も持っているが、匙加減は大切だとラーガンは思う。

「にしても、興味なさすぎやしないか?俺はもうあの歳の時には」
「それ以上は結構です」

掌を見せてラーガンは遠慮を示した。ノリが悪いと感じ入るが、ウルフは言葉を閉じた。
それを静かに見遣ったラーガンは手を下ろして、もう一つ。

「俺の気のせいかもしれませんが、フリットに構い過ぎではありませんか」
「それなら気のせいだ」
「そうですか」

後の沈黙から、その場を先に立ち退いたのはウルフだった。







適当に頭を冷やし終えてから、再び戻ってきてみればラーガンの姿はなかった。いるのは、幾つか積まれているコンテナに埋もれ、その中の一つの上に座って作業中のフリットだ。
邪魔をされたくないのか、正面以外の位置からは殆ど見えない窪みに落ち着いて、膝上にPCモードにしたハロを拡げている。
コンテナ一つの高さは目視で百センチ程度。成長途中の少年のつま先は床から大分浮いている。座るというより、登ったのだろうと想像して少し可笑しかった。

近づいてみれば、集中しているフリットは全く気付く様子を見せない。暫く観察して思うのは遠くからでも近くからでも小さいことだ。高いところに座っているので、目の高さはいつもより上にあるが、それでもまだ自分からは見下ろせる。雰囲気としては人形を棚に飾っている感じに似ていた。
何も言わないと一見大人しそうに見える。けれど、噛み付く威嚇を持ち合わせていることは目を見れば判る。そこが面白いとウルフは感じていた。

観察を終えて、もう三歩近づけば、殆ど目前だ。そして、全く気付く様子のなかったフリットは影が降りて画面が暗くなったことに二度瞬く。改善が見られず、自分の目を擦っても変わらなくて、そこでようやく見上げる素振りを見せたフリットはウルフの姿に表情を歪めた。

「まだ根に持ってるのか?」
「反省してくれたなら、別に」
「してるしてる」

軽い言い方にフリットは表情を改められないが、考えてはくれただろうと信じることにした。また同じようなことをされたら、今度は口を利かないことを自分の中で決めてからではあるが。

ウルフが位置をずらしたので影がなくなり、フリットは視線を落として仕上げに取り掛かる。しかし、右側からの物音に顔を向ければ、ウルフが背を向けたまま軽い動作で自分の横に座った。文句を言っても仕様がないことだが、此処に座るためによじ登った身としては些か気に障った。
視線に気付いたウルフからフリットは顔を背ける。

「あの、まだ何か」
「邪魔はしねぇよ。さっさと終わらせろ」

見られて困るものは何もなかったが、作業を横から覗かれるのは落ち着かない。しかし、何もしようとしないウルフへの意識は小さくなり、次第に周囲の物音が遠くなるほど集中し始めてしまう。
その様子の変化に、こういう作業が楽しいことを理解出来ずとも、フリットにとってはそういうものであるとウルフは認識する。

眺めていれば、不意にフリットが短く吐息した。それまで、時折ぶつぶつと専門用語を零していた唇がそれを境に引き結ばれる。

「終わったのか?」

訊けば、まだ居たのかという顔をしたフリットが此方を見上げてきた。

「フローチャートをプログラムに翻訳するのはハロが自動で今やってくれてますから、僕の方は終わりましたよ」

それでも律儀に受け答える。何となく、ウルフが待っていたような気がしたからというのが理由だ。

「ちょっと腕見せろ」

そう言って、ウルフはフリットが何か答えるよりも先に少年の右腕を掴んで、衣服を肘まで捲る。

「何ですか?」
「俺の腕、握ってみろ」
「はあ……」

相手の腕を握れば、「もっと本気で」と付け加えられて、一瞬の迷いの後で強く握り込む。

「……平均なんだろうが、握力あんまりないな」
「それは、ウルフさんと比べれば」
「そうじゃねぇよ。これからもモビルスーツに乗って戦う気があるなら、基礎体力は高い方が良いって話だ」
「それは………」

ウルフから腕を離したフリットは捲られた袖を直しながら考える。
争うことが正しいわけではないが、守るためならば戦うのは間違っていないというのが持論だ。そのあたりの考えはウルフとも大差ないと感じている。

「やる気があるならトレーニングメニュー考えといてやるけど、どうする?」
「良いんですか?」
「意外とやることないしな。俺よりお前の方が忙しいだろうから、そう大した運動量にはしねぇよ。成長途中に過度なやつは逆に身体を壊す原因になる」

そこまで言われてしまうと断るのも忍びない。いや、自分にとっては有り難い提案であった。ただ、ウルフに迷惑や負担を掛けることになるのが引っ掛かる。
悩みに唸れば、背中を叩かれた。こっちを向けという催促に従えば、ウルフは淡々とした表情で首を傾ける。

「俺は面倒なことはしない」

目を丸くしたフリットは視線を戻して、ハロの画面を見つめながら。

「お願いして、いいですか」
「任せておけ」

満更でもなさそうな顔でウルフは自分で自身の胸を小突く。その笑みに緊張を緩めたフリットはその後で背を正す。

「あの、有り難う御座います」

頭を下げたフリットにウルフは頤を背ける。

「前にも言っただろ、良い大人じゃないんだ。そういうのはいらねぇって」
「悪い大人じゃないですよ」
「どっちかと言えばそっちだぜ」
「僕にとっては良い人です」

頤を引き戻したウルフはフリットを見下ろす。真っ直ぐな瞳に見返されて言葉に詰まる。けれど、それは一瞬で立て直すよう自分に言い聞かせた。

「勘違いだ」

コンテナから降り立ったウルフの背中から聞いたフリットは何も言い返さず、首だけで振り返る彼の眇に自分を返す。
身体の正面ごと此方に向き直ったウルフが一歩近づいたことには感じ入るものは何も無かったが、左肩を掴まれた痛みは噛まれているようで不本意だった。

「礼を言われるくらいなら、こっちだな」

ちゅ。と、やけに可愛らしい音が耳に届いていたはずだが、そちらに意識を向けるよりも唇の感触の方が際立った。身を引いたウルフを見上げられないまま、フリットは何が何だかという顔で固まる。

「何をなさっているんですか」

介入の声に身を縮まらせることなく、向こうを振り返ったウルフの動作をフリットは見逃さなかった。

「怖い顔するなって、美人が台無し……ってこともないが」
「軽口は時間の無駄です。もう一度訊きます。何を、なさっているんですか?」

険のある表情でミレースが再度口にすれば、ウルフは肩を竦める。

「何って挨拶みたいなもんだろ、キスなんて」
「そうだとは限らないでしょう」
「フリット。お前、エミリーとしたことねぇの?ガールフレンドだろ」
「なッ」

話を振られたフリットは途端に首を熱くして顔を背けた。

「ないですよ!」

否定の言葉と同時に、翻訳完了の音をさせてハロが通常モードに戻る。三人分の視線がそこに集中する。

「それ、急ぎじゃないのか?」
「……そうです」

バルガスから出来るだけ早急に仕上げて欲しいと頼まれたものだ。だから、あまり人目が気にならない場所を選んでいた。ウルフもそこには気付いていたのだろう。よく見ている人だと思う。

「さっきの話のやつはメニューが出来たら言ってやるよ。俺は今から美女と話があるからお邪魔虫はあっちな」

首根っこを掴まれたフリットはコンテナから強制的に下ろされる。その扱いには不愉快があったが、からかわれて弄られるよりはまだいい。
文句は言わずにハロを抱えてAGEビルダー制御室へと向かった。

少年の姿が遠ざかってから、ウルフはコンテナに背を預けて盛大に俯く。ミレースが何か言うより先にウルフは口を開いた。

「すまん。助かった」

掌で額を抱えて呻いたウルフにミレースは目を瞠る。
少し考えれば、謝罪の在処は見当が付く。しかし、そうなると、先程の軽口は全てこの男の強がりだったことになる。見栄を張って、少年の前で格好付けたことに眉間を緩ませた。

「私は艦長に言われて中尉を呼び出しに来ただけです。それに、余計なことをしてしまったようですね」

ウルフとラーガンに話しておきたいことがあると、グルーデックの呼び出しだ。今頃はラーガンに事の概略を伝えているはずである。
急な用件ではないようであったが、早めに耳に入れて置きたいと先に招集したラーガンに説明に入るグルーデックに、ミレースはウルフの呼び出しを申し出たのだ。

「いや、平気だ。餓鬼なんか相手に出来るか」
「子供は何時までも子供ではありませんよ」

痛いところを突くと、ウルフは髪を掻き上げる。
親にとって子は、何時までも子供だ。けれど、他者同士にそれは通用しない。いずれは面影を置いていくように、流れを思い知らされる時が来る。見守っているわけではないのだから。

「報われてたまるか」

不相応だ。どちらにとっても。
翳りに落とした言葉を彼女は受け止めず、眺めただけだった。








Dankbarkeit=感謝


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