◆Strömung◆









スポンサー企業の広告ポスターに使用するポートレート写真の撮影が一段落し、スタッフから飲料ボトルを手渡されたウルフはそれを片手に次の撮影待ちであるフォックスと談笑していた。
そんな中、撮影コーディネーターとマネージャーが数人のスタッフと話し込んでいる声が二人の耳にも届く。

内容を聞き取れば、どうやら近日中に撮影予定があるのだが、そのイメージに合う適任のモデルが見つかっていないという話だった。
耳に入ってきてしまったし、それなりに彼らに世話になっている自覚があるウルフはフォックスが意外な顔をするのにも構わず、相談中に割って入っていく。







「それで当てがあるなんて言ったんですか」
「好きなもん奢ってやるし、やらねぇ?」

食べ物で釣ろうとするウルフにフリットは疲れたような顔をした途端に肩を下げて息を吐く。

「やりませんよ」
「そう言うと思った」

食い下がるようなことはしないウルフに安堵する。こちらの性格を把握してくれているのは有り難い。しかし、それにしても身を引くのが早いなともフリットは感じていた。
いつもはもう少し何かと理由を付けて構ってくるのだが……。と、作業の手を止めて適当な距離に立つウルフに横目を向ける。
目聡くそれを気付かれてフリットは視線を手元に戻した。

「気にしてくれてんのか?」
「だ、誰が貴方のことなんか……!」
「モデルの件のことだったんだが」

しくじったとフリットは熱い顔を隠すように俯いた。傍らに近づく気配があり、フリットは身構える。モビルスポーツのコクピットでされたことを思い出してしまったからであり、首筋に熱が溜まる。

硬く目を閉じたフリットはふわりと頭の上に乗せられた掌の感触にワンテンポ遅れて瞬く。そのまま温かく撫でられて胸騒ぎを覚える。
ウルフの手を払って距離を取ったのは戸惑いからの行動だが、面と向かって見た彼の表情が目を丸くしているものから変化したことにフリットは引き結んだ唇を歪ませて視線を外した。そして背中を向ける。

フリットが反応を示す程度には意識に入っていることは満更でもないが、視線を外されたのはまだ我慢出来るとしてそのまま逃げ出されるのは気に入らなかった。ウルフは調子の良い顔を俄に顰めてフリットを追いかけ始める。

自分と同じように走ってはこないが、速歩で追いかけてきているウルフからフリットは逃げる。慌てて着いてきたハロが横に並んだ頃、見慣れた人影を見つけてフリットは彼に駆け寄っていく。
彼の横に控えていたミレースはフリットが逃げてくる方向に視線をやって、整った眉目に不快をのせる。彼の背後に回り込んで姿を隠そうとするフリットの行動は彼女にしては珍しく、子供らしいもので微笑ましくもあるが。

「どうした?フリット」
「ブルーザーさん、」

保護者は健在であるが、“ノーラ”での生活に関してはアリンストン基地の司令官であるヘンドリック・ブルーザーが後見人として名を挙げている。未成年であるフリットが頼るとすれば、まずこの人であろう。
しかし、このように頼ったことなど無いに等しく、フリットはどう言えばいいのかと言葉を続けられなくなる。

そうこうしている内にウルフが間近まで距離を詰めてきてしまい、ハロがそちらに跳ねていく。ハロを両手でキャッチしたウルフはそのまま脇に抱えて間合いを詰めるものの、知り合いと言える範疇ではない目上にあたる人物がいることにばつが悪くなる。
ハロを抱えていない方の手でウルフは頭を掻き、視線を何も無い方向に投げた。

フリットに落としていた視線をウルフに向け、ブルーザーはある程度は察しが付いたようで顔の皺を増やす。

「出入りに関してはそこまで煩く言わないが、フリットに任せているものは守秘義務にも関わってくる。節度は守ってもらいたい」

内容は諫めるものだが、ブルーザーの表情は穏やかだ。
些か困惑している部分はあるにはあるが、現役のレーサーだという彼がフリットに悪い影響を与える兆しは見当たっていない。そこからの判断だが、もし、フリットに対して影響力が強そうならば引き離す処置は取るつもりでいる。そのための節度だ。

納得はしていないと態度に表れているが、理解は出来ていると言葉を飲み込むウルフに意外と物分かりは良いらしいとミレースは評価する。けれど、迷惑しているだろうフリットに視線を戻せば、彼女はブルーザーに何か言いたげで、しかし何も言えずにいる様子だ。
あの男を庇おうとしている素振りに内心で目を瞠る。どう考慮しても、ウルフという男はフリットとは相性が悪そうだと、初対面の頃から感じている。それに、フリット本人も合わないと思ったから、彼と距離を取ろうとして自ら逃げてきたのではなかったのだろうか。
ミレースが不思議に捉えつついれば、ブルーザーの言を聞き入れたウルフがフリットにハロを手渡し、そのまま横を通りすぎて帰路に足を向けている。

ハロとウルフを交互に見遣るが、決断を下している時間はさほど無く。フリットはブルーザーの側から離れてウルフを引き留めるために後ろから袖を掴む。
振り返るウルフと視線をかち合わせると咄嗟に手を離してしまう。けれど、それでは駄目で。決断出来ていないままにフリットは許諾した。

「さっきの話、引き受けても……いいです」

愕く気配に耐えきれず、フリットはじゃあとその場から先程のマニピュレーター操作台までハロを抱えたまま駆け出していく。
話が見えないミレースはブルーザーと顔を見合わせた後にウルフに問い掛けの眼差しを向ける。

「フリットに何を吹き込んだんですか?」
「人聞きの悪いこと言ってくれるな」

肩をすくめ、綺麗な顔が台無しだと余計なことを付け加える男にミレースは眉間に力を込める。その反応に本気で怒らせるとやばいらしいとウルフは身を引くことにする。

「大げさなことを頼んだわけじゃねぇよ。あんたらにも七五三写真のデータ送れば文句ないだろ」

そう言い残し、ミレースが一言告げ終える前にウルフは基地を去っていく。その背中を見送る形になってしまい、ミレースは少し大げさに肩を落とせば、ブルーザーも珍しく苦笑を滲ませた。












撮影スタジオの控え室でフリットは頭を抱えていた。
ウルフに引き受けても良いと言ってしまったその日の夕刻に基地に顔を見せたエミリーから話があったのだ。ウルフはエミリーとユリンにも話を持ち込み、フリットが許諾する保険を掛けていた。簡単に食い下がることをやめたウルフの真意を知って溜息ばかりが零れる。

それでも、自分が承諾したことを撤回するような無責任なことをしないのがフリットだった。それに、あのレースでレースクイーンをやったのはユリンとの思い出作りのためで、ある意味それを台無しにしてしまったことを気に掛けていたのではないか。そう言われたわけではないが、ウルフは粗忽(そこつ)な理由で話を持ち掛けるような人ではないと思うからこそ、今ここにいるのだ。

ウルフは仲介役であり、詳細についてはあまり知らされていない三人はどういうのを撮影するのだろうかと口々に話しつつ待っていれば、程なくしてノックの音が二度響く。
返事をした後に扉が開かれて撮影コーディネーターである女性が姿を現す。パンツスーツを着こなした彼女は眼鏡の効果で知的な印象を受けるが三十手前といったところか。
十代である三人から見れば貫禄十分な佇まいで、何も言われていないのに三人横一列に立ち並んでしまう。彼女はレベッカと名乗り、簡単な自己紹介の後に三人を一人一人見つめる。

「自前に顔写真はウルフからデータ受け取ってるけど」

まじまじと値踏みするような無遠慮な視線は好めず、フリットは一人顔を背ける。しかし、レベッカは気にした風でもなく納得顔で頷くと横に控えさせていたマネージャーに指示を出す。誰が何を着るかの話を進めている感じだ。
指示を聞き終えたマネージャーは三人に声を掛けてメイク室に連れて行く。そこで衣装合わせなどをするとのことだった。

レベッカは微笑してモデルを引き受けてくれた彼女達を見送り、控え室の扉を閉じる。そして、遅れて傍らに来たウルフに顔を向ける。

「貴方にしては珍しい知り合いね」
「こっちでレースあった時にちょっとな」

少し間を置いて彼女は合点がいったと頷く。親会社は別のコロニーだが、子会社は“ノーラ”にもあるため、今回はそこのスタジオを使う形になった。

顔合わせをした見解では、将来的にブロンドのエミリーという子が一番発育が良いだろう。黒髪のユリンという少女は大和撫子のイメージそのもので。フリットという子はバランスが整っている。
三者三様で今回のコンセプトとしては適任であり、ウルフの申し出は有り難い限りだ。

彼として目を付けているのはブロンドの子だろうかと当初は思ったが少し違和感があった。けれど、レースの時と言われて忘れかけていたことを思い出す。

「ああいう大人しそうな子が良いなんて意外だったわ」
「フリットは別に大人しくないぞ」

大人しそうだと言って二択ぐらいにして言ってみたが、誰を指しているか気付いた上で訂正までされた。

「じゃあ、認めるのね」
「認めるっつーかなぁ。俺もどこまでのつもりか分かってねぇけど」

彼にしては珍しくはっきりしていないと感じるが、流石にまだ子供と言える少女にがっつくわけにもいかないのだろう。そういう節度は分からなくもないし、正しいと同意出来る。
けれども、いまいち何か決めかねている様子のウルフに礼をしておきたい気持ちがあり、目一杯めかし込んでもらおうと画策する。

「先にスタジオブースに行っててくれる?良い感じに仕上げてくるから、楽しみにしてて頂戴」







撮影をブース内の脇に設置されている椅子と机にもたれ掛かりながら眺めているウルフにレベッカは呆れた様子で咎める。

「あんな言い方しなくてもいいじゃない」

先程から表情の硬いフリットを一瞥して言う。スカート自体あまり履き慣れていない様子でかなり渋々といった様子のままメイク室から此処まで連れてきて、それを見止めたウルフの第一声は「馬子にも衣装だな」というもので大いに眉を顰めた。
フリット自身はそれで機嫌を損ねたりすることはなかったが、もう少し気を遣ってくれれば良い表情が撮れたはずだ。イメージとしては現在のフリットの様子は範疇内でもあるが。

「可愛くめかし込めたと思うんだけど」
「だからだろうが」

顔を背けたウルフに彼女は目を丸くする。拗ねるようなその言い草は先程の発言が本心ではないと物語っていた。

「いや、俺の方はどうでもいい。それより、フリットの場合は喧嘩売るようなこと言わねぇと渋るだろ」

挑発すれば案外簡単にのっかるのだ。相手にもよるらしいと最近気付いてきたが、血の気の多い部分は元々持ち合わせている。
出来ることに過剰と言えるくらい自信はあるが、それ以外は不安になったり戸惑っている節がある。出来るか出来ないかの結果は別にして、本人がやる気になること自体は無駄ではないと思う。
それを後押ししてみた。が、ある意味自分への抑制でもあった。

「着替え終わった直後の態度よりは改善されたとは感じるけど」

もっと良い方法はあったのではないかと、レベッカはウルフを射るように見つめる。

「しょうがねぇだろ。この間逃げられたこっちの身にもなれ」

ウルフ本人が言うのだから事実に違いないのだろうが、俄には信じがたかった。この男から女性が逃げ出すという構図が想像出来ないからだ。
割とウルフ自身もショックだったのか、覇気の無さは余計に拗ねの色を濃くする。
あの少女も少女でウルフには振り回されているようだが、ウルフの方も相当のようで口端が堪えきれずに歪む。

口元を押さえて肩を震わせる彼女にウルフは笑わなくてもいいだろと口をへの字に曲げた。その反応が滑稽さを助長してレベッカは場所を考慮して声を抑えているが、内心では大笑いしている。

一方、撮影の方は別の構図で撮ることになり、ひとまずフリットは画面外で一人待機していることになった。
まだ終わっていないが、少しでも肩の荷を下ろせる時間が出来てフリットは安堵する。

撮影の指示を受けているエミリーは桃色を基調としたワンピースを着用しており、ブロンドの髪には同じ桃色のリボン型カチューシャ。更にうさぎのぬいぐるみリュックを背負っておとぎ話のドールのような可愛らしさがある。
横に並ぶユリンは髪の三つ編みを少しアレンジし、薔薇の髪飾りで結いとめていた。彼女が着用している黒色のケープ付きドレスはレースがたっぷりと使われており、色よりも鮮やかで華やかさがある。

ただ、フリットとしては少し普通の洋服とは違うという認識があった。二人が着用しているドレスはレースとスカートのボリュームが多く、本人達も動きにくいかもと零していた。
自分の格好はそこまでではないがと、フリットは衣服に視線を落とす。

スカートを膨らませるためにエミリーとユリンはパニエというインナースカートを三枚着用することを決められていた。フリットは二枚で、パニエ自体も二人のものよりボリュームが少なめになっているため、動きづらさはそこまでない。
それでも、こういう服は小さい頃に母に着せられていたような気がしないでもないが、自分の意思で着た記憶は一度もなくて着心地は微妙だ。ウルフに言われたとおり、服に着られている感じで似合っているとは微塵も思えない。

腰ほどの位置まである髪を肩前に一房流して、リボンの付いた手袋の指先で弄る。勿論、髪はウィッグだ。何となく、自分が自分ではないような気がして落ち着かない。

立ち尽くしているから変なことを考えているのかもしれないが、椅子に座る気にもなれない。向こうにはウルフがいるからだ。ハロを彼に預けているので、特にこの間の件が蟠りを作っているわけでなく、単純にあまりこの格好を見られたくないと思っている。 と考えていた矢先、近づいてくる足音があって振り返った。
案の定ウルフがそこにおり、彼の足下にハロが転がっている。
風姿についてはもうウルフから感想を言われているし、身構えることはない。けれど、フリットは視線を直ぐに彼から外した。

ハロを呼んでその球体を腕の中に収めたフリットの横顔に視線を落とし、ウルフは一度得ていた感嘆を再三得る。
こういう趣向の服は情報量が多すぎるものが大半で好きだと思うことはない。フリットの衣服もその部類に入るのだが、ありかもしれないと思ったのはフリルなども控えめで彼女にとって無理ではないことが大きいだろう。
生成りのブラウスに松葉色が入ったブラウンのハイウエストスカートはフリットが黙っていれば清楚感が漂っている。

じっと見ていたのがいけなかったのか、フリットが僅かに此方を一瞥してから距離を取るように身動きした。動きに合わせてウィッグの髪が揺れて目を奪われる。
ロングだとかなりイメージが変わるなと、此方を訝しげに窺っているフリットと視線を合わす。

ぐっと詰まるようなものに表情を変えたフリットは何も言わないまま、不安そうに視線を下げた。
あまり良くないなとウルフはフリットの頭を撫でようとしたが、前髪をピンで止めたりセッティングされていたんだったと持ち上げかけた腕を下ろす。

「さっき、俺が言ったこと気にしてるか?」
「え?いえ、別に」

瞬いているフリットは不思議そうで、取り繕った様子は見られない。そのことに少しだけ安堵している自分を客観的に捉えつつ、ウルフは続ける。

「そうか。なら、あんまり言う必要ないかもしれんが、あれは嘘だ」
「?」

意味が分からず、フリットは首を傾げる。その反応に説明が足りなすぎると自覚してウルフは頭を掻く。

「ただの言葉の綾ってやつだと言いたかったんだが」

要領を得ない付け足しの最中、フリットの方から笑いの息を零す音が耳に入る。ウルフが視界に捉えたフリットは苦笑していた。

「気にしてるの、ウルフさんの方じゃないですか」
「そんなもんは………」

押し黙ったウルフにこういう一面もあるんだなと、フリットは意識しないところで記憶の大切な場所にそのことを仕舞う。

「変な人だな」

そう思った直後に僅かに動作したウルフがいて、声に出してしまったことに気付く。しっかり聞き取られていなければいいけれどと思うが、苦笑が柔らかくなっていくのは止められなかった。
ウルフに手を取られることを赦してフリットは待つ。
けれど、

「スタンバイお願いしまーす!」

スタッフの声にはっとして撮影ブースに目を向けるフリットからウルフは手を離す。フリットはその行動に後ろ髪を引かれることなく、エミリーとユリンのもとに移動する。

「まだまだそういう意識は薄いみたいね」

後ろからレベッカに声を掛けられてウルフは振り返る。
言われなくても分かっていることだ。そういうことに気付きそうになると逃げることも。
だが、そのことで彼女と議論するつもりはなく、ウルフは手に得た感触を覚えたまま尋ねる。

「あいつ、手袋する必要あるか?」

薄手のものだったが、見た目が全体的に重くなってしまうんじゃないかとそこらへんを拘るコーディネーター職にしては引っかかりを覚える。

「彼女、手に肉刺が出来てたの」

その返答はフリットが軍でやっている仕事と結びついて納得がいく。だが、後々で修正出来るし、大概は何か手を加えて発表するものだ。
そのことを続けて尋ねれば、衣装の色味の調整はするが、被写体の人物そのものに修正を入れるのは彼女のプライドが赦さないと返される。思っていた以上の拘りの強さだ。

「それよりも。家事とかで出来るようなものじゃなかったわよ、あれ」
「そりゃ、モビルスーツ創ってれば肉刺も出来るだろ」
「本当に……まだ鍛冶屋って存在したのね」

モビルスーツやスポーツにそこまでの知識はなくとも、鍛冶屋がどういったものか把握している彼女は以前の報道に半信半疑だったようだ。

「名前は忘れてしまったけど、スタイリストやってた頃にスパイラル効果がどうのこうのだったかしら?まぁ、そのなんとか理論ってのを実用化した鍛冶屋の人が研究結果の発表でマスコミに出るって時に会ったことはあるけど」

愛想の良い人だった。新人でまだまだお手前が未熟だったスタイリングに文句は言わず、化粧のコツを教えてもらったりもしたことは覚えている。それと、その人はモビルスーツを創るのではなく、宇宙開発に用いると言っていたはずだったと思う。

今となっては特殊な職業よねとレベッカは撮影の方に目を向けて、おやと瞬く。
エミリーとユリンも慣れてきた様子だが、フリットは先程より表情が幾分か柔らかくなっていた。それでも笑顔とはほど遠く、無表情に近いものだ。けれど、纏う雰囲気が良くなっている。

「貴方も撮らない?スナップ写真も少し欲しいのよ」

悪戯を思いついたような含んだ笑顔に何も思わなかったわけではないが、二つ返事でウルフは了承した。







街中を歩きながらの撮影にフリットは辟易しながら周囲を窺う。撮影用の機材は大ぶりのものばかりで、道行く人々の視線は殆ど此方に向けられている。
歩き去るついでに一瞥していくのが大半だが、立ち止まったり座ったりして物珍しさにじっと観察している人もまばらにいる様子だ。

世間で知名度の高いウルフがいるのもそれらを助長させている原因なんだろうなと、時折耳に届く外野の声に感心半分辛気半分で傍らに立つ彼を見上げる。
今ここで撮影のモデルとして立っているのはフリットとウルフだけだった。

エミリーとユリンはほぼ同系統の服だからとツーショットでの室内撮影が継続している。こちらも後数枚で終わるからと指示されているので、向こうは既に終わっているかもしれない。フリットはそう憶測するが、疎外感はあまり感じていなかった。自分一人だけというわけではないからだろう。
傍らの存在を意識しそうになってフリットは視線を横に投げる。すれば、ウィッグの毛先に触れる手があり、フリットは視線を戻すことになる。

「何ですか?」
「お前さ、髪伸ばさねぇの?」

ぱちくりと瞬くフリットは触れられている髪を見下ろし、ウルフの発言の意味を捉えようとするが分からずに首を傾げる。

「邪魔ですし」
「ふぅん」

気があるのかないのか、曖昧な受け答えに撮影の合間の時間潰しだったのだろうとフリットは思う。
既に触れられていないウィッグの先端を見つめてから、自身の前髪を少し摘んだ。髪を伸ばしたところでシャンプーの使用量が増えるだけであるし、工具などを使うときに引っ掛かったら面倒だ。そうならないように括るにしても、それさえも面倒だと感じる。

気にする必要はないと手を下ろしたところで、カメラマンからの指示があり、ウルフと公園にある階段のところで手を繋ぐように言われる。
目の前にウルフの手が差し出されて、その上に手袋をした手をフリットはのせた。エスコートされるのは少し慣れないものだと感じながらシャッター音が止むのを待つ。
最後に密着とまでいかないが、手を繋いだまま寄り添う体勢のものを撮り終えて撮影終了の合図がスタッフ全員に送られる。

もういいよなとフリットはウルフから距離を取ろうとするが、ウルフが手を離してくれない。じっと見つめられてフリットは戸惑う。からかうだとかそういうものが込められていない視線に身動きを封じられて。

「離して、ください」

身構えながらもそれだけを口にすれば、案外という間で手を離される。その時にはウルフの視線は此方にはなく遠くに投げ出されていた。
その横顔に感じたものは以前にも感じたことがあるものだった。まだ……。そう思うということは、先があるということだろうか。

何故、そんなことを考えてしまうのかと一歩身を引いたところで駆ける足音が聞こえてくる。歳が二桁にも満たない子供が二人で駆けっこをしているようで、それに気付くが避けきる間合いもなくてフリットは前に押し出される。

「わ!ごめんなさーい!」

急に立ち止まれない子供達はそのまま走り去ってしまう。速度が落ちたところで今一度大丈夫か振り返られたが、そのあとにそそくさとまた駆けだしていってしまった。

掠れた口笛が耳に届き、ウルフは微苦笑する。子供のやったことであるし、フリットに怪我があるわけでもない。目くじらを立てても仕方のないことだ。
それに、ある意味役得だろうなと、ウルフがフリットを見下ろせば、子供達に押し出された彼女が此方の正面に身を預けたままだった。

「大丈夫か?」

フリットならば直ぐに距離を取るように思ったが、動きが鈍いことに当たり所でも悪かったかと問い掛ければ、彼女は頤を持ち上げる。
静かな面構えを保とうとしていたようだが、そうもいかずに彼女は表情を崩す。おそらく、初めて見る顔にウルフの方が先に逸らしてしまう。

夕刻に切り替わり、コロニー内に届く太陽光が弱まると肌寒く感じるものだ。フリットが身を縮こまらせる気配があり、ウルフはフードファー付きのレザージャケットを脱ぐとそれをフリットに羽織らせる。
撮影用の衣装ではなく、自前のものだった。今まで撮ったスナップ写真を一枚も使う気などあのコーディネーターには一切無いだろう。この場に仕掛けた本人がいないのも彼女の計算の内だ。

そんなことに何一つ気付いていないフリットはきょとんとした顔で羽織らされたジャケットとウルフを交互に見遣っている。が、実際本当に寒かったのだろう。ジャケットをしっかりと羽織り直して身体を包もうとする。
サイズの合わないそれは服に着られている範囲ではなく、余計にフリットを小柄に印象付け持たせていた。やはりまだ彼女は子供だと、その心許なさを思い知る。

「ごめんねー。寒いよね。これ温かい飲み物ね」

二人の様子に気付いたスタッフが駆け寄り、フリットにホットミルクティーの缶を手渡し、ウルフにはホットコーヒーの缶を差し出す。そこのベンチに座って少し待っててと言い置き、去り際に女の子にジャケットを貸してあげたことを称賛して「男前!」と笑ってウルフの背中を叩いていった。

撮影が終了したらしいと見物していた通行人達はまばらに解散した後だが、スタッフは機材を片付けている最中だ。ウルフと知り合いである者も多く、フリットのことも少なからず耳にしているスタッフ達は微笑ましく二人を見守っていたりする。

スタッフに促されたとおりにベンチに腰を下ろしたフリットは、ウルフが横に座ったのを目視してから手を温める缶に視線を落とす。

「こういうモデルとかそういうの、今回だけですから」

強がった言い草にウルフは苦笑する。何時間も着慣れない服でカメラの前にいれば疲労で音(ね)を上げるものだが、フリットがそのような理由から言ったわけではないことは確かだ。

「他のことなら構わないってことだよな」
「………内容によります」

ほぼ同時に缶のプルを指で引っかけるが、開いた音は一つだけだ。
手袋ですべるらしく、フリットがその手袋を外そうとする前にウルフは缶コーヒーを傍らに置いてから彼女の手の中から缶ミルクティーを取り上げる。プルを引いて開けてからその手に缶を戻せば、小さく謝辞が返されてウルフは気にするなとその柔らかい髪を撫でる。

形だけだとしても撮影が終わるまで我慢していたのだ。これだけで意外と満足していることを不思議に思いもする。

「お前は出来る奴だって、これでも認めてんだよ」

コーヒーに口を付けてからそう言ったウルフに、フリットは口をすぼめる。缶のプルを開けてもらった後に言われても困るだけだと。

「………」

何も言わず、ミルクティーを飲むことで無言を通すフリットに今はこの距離感でも構わないかとウルフは思う。
獲物として目を付けてしまったのだ、もう。今がかつてとなる頃には噛み付いていることだろう。

















――八年後――





アリンストン基地でモビルスーツ隊を隊長として一部隊任されるようになって幾日。フリットは自らの指導のやり方に難があるのだろうかと思案しながら通路を進んでいた。

ラーガンにも戦時下というわけではないのだから肩の力を抜いた方がいいと助言をもらったが、肩に力を入れている自覚はなかった。いつも通りを変えるというのは難儀だと、悩みを持ったまま格納庫にまで足を運ぶ。そのまま少しだけ上げられているモビルスーツサイズの大きなシャッターを潜って外に出る。

弁えのない雑談の声に視線をやれば、受け持っている隊のメンバーが勢揃いでしゃがみ込んでいた。特に仕事もなく調整なども済んでいるなら勤務中に各々で休憩を取ることは認められている。
だから、大声の雑談にも眉を顰めることはないとラーガンに言われたことを反復してフリットは内心で頷く。そもそも、自分は仕事を持ってきたのだから、その前に彼らが安息を得るのは妥当だ。

彼らに歩み寄っていけば、フリットと向かい合う位置に座り込んでいた三人のうち一人がまず気付いたようで、慌てた様子で立ち上がった。
それを怪訝そうに見遣り、奇行を問う声が幾つか飛ぶ。しかし、それ程の時間を要すことなく六人全員が隊長の存在に気付いて慌ただしくなる。

「おい、それ」
「え?」
「隠せ隠せ」

そんなやり取りがあり、フリットは首を傾げる。視界がちらりと捉えたのは雑誌らしきものだ。娯楽品として基地内に持ち込んでも構わない類のものである。
そこまで焦らなくてもと思ったが、男が寄り集まれば異性には見られたくないものを話題にもするだろう。この基地で馴染みの顔がそういう本を咄嗟に隠すところは以前からあった。昔ほど無知でもないので暗黙は心得ている。

たじろんだ様子の彼らに一切構うことなく、フリットは任務として舞い込んだ警備についての概要を述べる。
大人しく聞き終え、了解の返事を返す彼らに頷き、フリットは指示を出し始める。

「起動チェックを終えた者から運送用ハンガーにモビルスーツを移動させろ。その後、軍用車に乗り込んで目的地を目指す」

そこで一端区切り、彼らの顔を見渡す。異論や質問の類はなさそうだと次の指示に移ろうとするが、小声で話すやり取りが起こる。

「なぁ、これ訊きたいんだけど」
「状況考えろって」
「せめてこの仕事終わってからにしろ」
「お前らだって気になってるんだろ?」
「それは」

全員で顔を見合わせて内緒話をしても隠しきれていない。軍属になれるのは二十歳を過ぎてからが一般的だ。二十二であるフリットと皆、そう変わらない年齢の者ばかりだが、節度の低さは平和ボケ故だろうか。

「前を向け!」

慄然と響いたその一喝に全員身体に力を入れて姿勢を正す。表情を顰めている者もいくつかおり、フリットはこういう所の肩の力を抜けと言われたのかもしれないと思った。けれど、手順をやり直す考えはない。

「何か質疑があるなら言え」

言われ、時間をしばらく置いてから、後ろ手に雑誌を持っている一人が前に出てくる。
私物を持ち込んだことでも謝罪するつもりだろうかと憶測をたてたフリットは目前に開かれた雑誌を差し出されてろくに誌面も見ずに顔を背ける。

「これはアスノ隊長でしょうか!?」
「何を言って」

彼が持っているのは猥本であるはずだ。そう思い込んでいたフリットは背けていた顔を誌面に落として絶句した。
彼らに対して勘違いをしていた自分の恥もあるが、確かに彼の言う通り自分が誌面に載っている。視界に入ったのは少し古いファッション誌で、フリット自身見覚えのあるものだが、今もこの雑誌が基地内に残っていた事実は驚愕だ。

フリットは反射的にその雑誌を奪い取って胸に抱え込む。その行動に頭を下げて尋ねていた彼は鳩が豆鉄砲をくらったような顔でフリットを見遣った。

「隊長?」
「……………」
「やっぱり。それ、隊長で間違いないんですね?」
「やりたくて引き受けたものじゃない」

語気が尻すぼみになるフリットを彼らは今までに見たことがなくて瞬く。面恥の表情に下がるような身振りは隊長が女性だったことを思い出すには充分だった。

雑誌に掲載されていた写真は十代半ばの少女と思われるフリットを同じ年頃の少女二人が両側から挟んだ構図になっていた。
彼女達が身に纏っている衣服はいわゆるロリータ系というものであろう。写真の中の彼女は似合っていないわけではないが、隊長のイメージと大きくかけ離れていると感じて皆が半信半疑だが話の種としては充分以上のもので先程まで言いたい放題に話し込んでいたのだ。

本人が認めたのだから、写真の少女とフリットは同一人物に間違い無い。彼女が嘘を吐く性格でないことは生真面目な言動から既に彼らにとっても周知である。あまりにも比類のない軍人像すぎて、常ならば女性という意識さえ忘れているほどだ。

微妙なニュアンスを残すフリットの表情は見られたくなかったものを見られたことと、部下にどう示しを付けるべきかを思い悩むものだ。簡単に言ってしまえば恥ずかしい。その一言に尽きる。

雑誌をきゅっと胸に寄せ、唇を引き結んで視線を下げるフリットの様子に部下全員がぐっと詰まる。
いつもは冷たく感じたり肩が凝ったりする相手だが、この時ばかりは妙にほんわかとしている気がするのと過去の写真の印象も相まって一同の目尻が下がり、心の声が一致する。

部下達に可愛いと思われているなど露ほども知らないフリットはどう収拾をつけるか考え倦ねいていた。けれど、時間は過ぎていき、モビルスーツ用の移動大型車が数台、基地の敷地内に入ってくる。
その音に顔を上げ、切り替えなければと雑誌を胸よりやや下に抱え直してフリットはモビルスーツの移動を優先すべきと判断する。面持ちを凛然と戻し、次々に駐輪する車に視線を向けた。

けれど、その中の一台から降りる姿がある。此方と駐輪場を隔てている自分と同等の高さはあろうというフェンスを彼は片手だけで身体を支えて悠々と飛び越えた。
その身のこなしは見惚れるものがあるが、フリットは見覚えのある知人に表情が固まると同時に都市警察のモビルスタンダードでも充分に務まるであろう仕事が自分の所に回ってきた理由を悟った。

指を二本立てたいつものポーズと気安い挨拶が届き、フリットは溜息を零す。
迷わずに傍らにまでやってきた白い狼が含んだ視線を寄越してくるのに対してフリットは不服気味に返した。こういうサプライズにもならない不意打ちをするくらいなら、自前に連絡を入れてくれた方が有り難い。そう言いたげに。

けれど、ウルフはそれには素知らぬふりで鼻腔を揺らした後で次の行動に出る。
腰に触れる手があると気付いた瞬間には既にウルフとの間に距離はなく、厚い胸板に耳と頬が押しつけられるように引き寄せられていた。
人前では控えて欲しいとこの間言ったばかりで、疑問と混乱がせめぎ合う。

「あの、勤務中なので」

腕で押し返すようにすればウルフは聞き入れてくれたが、その表情は怒気が滲んでいて自分は気に障ることをしただろうかとフリットは首を傾げる。

「この前の返事、先に聞かせろ」

ウルフの要求にフリットは弾かれたように彼を見上げるが、直ぐに視線を逸らして思い詰めた空白を置き。彼に対して背を向けてから言い放った。

「だから、勤務中だって言ってるじゃないですかッ」
「仕事の方が大事か」

神経を逆なでするような言い方ではなく、それを認めた上での発言にフリットは結んだ口を歪める。背を向けていた体勢を変え、横目でウルフを窺える位置で補足する。

「考えては、います……から」

今はこれが限界であり、本心でもあった。
そう簡単に決められるものではない。階級が上がったと同時に自分の部隊を受け持つことになったが、これは最近のことだ。現時点でそれを放棄する可能性のある選択を決断するのは難しい。

はっきりしない返答に違いなかったが、微動だにせず面食らった様子のウルフにはフリットとしても幾らか拍子抜けする。
逃げ出すつもりはないのだ。ちゃんと考えたい。生半可な気持ちではないからこそ、強く思うフリットはウルフにそれが伝わっていなかったことを痛感する。
一緒になりたいとは、此方も思っている。けれど、そのために整理しなければならないことはたくさんある。単純に仕事が大事だからという理由で先延ばしにしているわけではなくて。

「そんなに待たせません。えっと、ですから……」

どう言えばいいのだろうとフリットは言葉に困り果てれば、ウルフの手がもういいと頭を撫でてくる。

「急かすつもりじゃなかったんだがな」

フリットからの応えはウルフとしては嬉しいもので、彼女の頭を撫でていない方の手で頬を掻く。
少し大人げない行動を取った自覚があるのだ。フリットの部下であろう軍人達の臭いが気に入らなくて口から出た言葉であったが、彼女を困らせていては本末転倒もいいところだ。

「ウルフさん」

困惑は解けたようだが、勤務中だからと視線が訴えてくるのにウルフはフリットから手を離す。一歩下がるフリットに勤勉だと感じるが、名残惜しそうにあの頃より伸びた自身の髪に指先で触れている彼女は己の行動に自覚があるのかどうか。
そこでフリットの腕の中にある雑誌に気付き、ウルフはそれを取り上げる。

素早い動きにフリットは反応すら返せず、気付いたときには問題のページを彼は開いていた。
隠したいも何も、ウルフに頼まれて引き受けたモデルのアルバイトだ。彼にとっても既存の写真なのだから今更どうこうするものでもない。するものでもないのだが。
後にも先にもあんな格好をしたのはその時の一度きりで、ウルフもその場にいたが、その時とはまた別の意味で気恥ずかしい。
そう思う間もなくフリットはウルフから雑誌を奪う勢いで自らの手に戻す。

「懐かしいな、それ」

取られたことには触れず、簡潔な感想を口にする。案の定、自分とフリットの写真は雑誌に使われることはなかったが、当時のことをウルフは思い出す。

ウルフが覚えているという事実は当たり前のことであるのにフリットは安堵を憶えてしまった。本音の底から答えは出ているようなものだと。
かつては逃げてばかりいたのに。けれど、此方が嫌がることをされたことはないのだ。戸惑うことや分からなかったことはあれど。

「結構古いのに物持ち良いな」
「いえ、これは僕の……私のではなくて」

部下の手前、言い直していた。それはいいとして、フリットのものではないなら、部下から没収したのだろう。
ウルフは雑誌をもう一度フリットから取り上げると、一番近くに立っている彼女の部下の一人にその雑誌を差し出す。
反射的に受け取ってしまった彼は冷や汗を流しながら、恐る恐る隊長を気遣った。しかし、予想に反してフリットは怒るでもなく、肩を下げていた。

「基地内で拾ったものなら、あった場所に戻して来い。遺失物管理に届ける時間はないからな」

後で処分しようと思ったが、ウルフのせいでそれは出来なくなってしまった。持ち主が現れないようなら、いずれ処分される。はずだと、フリットが腕を組んだところで部下達のもの言いたげな視線に身動きを止めることになった。

「あの、お二人はお知り合い、ですか?」

雑誌を手にしている彼が代表して尋ねる。
ウルフは今でも現役のレーサーとして活躍しているのだから、彼らも知っているどころか、ファンであるのも二人ほどいる。
ゴシップネタが多い人でもあるため、フリットがモビルスポーツのコクピットに入れられたことは今となってはそのネタの一つとして認識している者もまばらであろうが。

「知り合いと言われれば、そうだな」

冷静に返すフリットにウルフは少し納得がいかず、その肩を掴んで引き寄せた。

「知り合いじゃなくて婚約者の間違いだろ」
「ッ、婚約はしてません!」

ウルフを引き剥がすが、部下達は今までの一部始終を見せられていたこともあり細々と話し合いを始める。そこから漏れ聞こえる恥ずかしい単語の数々にフリットは耳を塞ぎたくなるのを耐える。

「無駄話はするな!各自、モビルスーツのチェックを済ませろ!」

フリットはその場に留まっていられず、そう指示を出すと格納庫に足を向ける。それに続くのは部下ではなくウルフで、フリットは邪魔だと視線で訴える。

「ついて来ないでください」
「ガンダム見たって減るもんじゃないだろ」
「そういう問題じゃありません。貴方は部外者です」
「顔見知りに久々の挨拶するくらいはあの司令官も大目に見てくれるじゃねぇか」

勝手に出入りして顔見知りを増やしていったのはウルフの仕業だ。ブルーザー司令の許可も殆ど事後承諾みたいなものだった。それを強く拒もうとしなかった自分にも責任はあるのかもしれないが、整備士達とすれ違い様に気安く言葉を交わしているウルフがこの場に馴染んでもいるのだから始末の付けようがない。

傍らの位置より入ってくることを赦してはいるが、ウルフは芸能関係者に近い立場でもあるのだから場所を考えて控えるべきではないのだろうか。軍の敷地内にマスコミが入れないことが分かっているとはいえ、漏洩しない確証はない。
首筋を意味ありげに撫で触れてくるのも止めて欲しいと思った矢先、新たな気配がウルフの背後にあった。

肩を掴まれたウルフはまたかと振り返れば、自分とは別の意味で派手な男がそこにいた。

「嫁入り前の子に何をしているんですか」

掴んでいる手に力がこもっているのが伝わってきて、やれやれと思う。フリットと後ろに立っているラーガンは血が繋がっているわけではないが、彼女にとって兄と言えるような存在であることは百も承知だ。
フリットとの仲を邪険にされたことはないが、今は場所を弁えろと言いたいのだろう。 けれど、兄貴風を何時まで吹かせているつもりなのか。

「嫁入りも秒読みだがな」
「貴方は何を言って――」

そこでラーガンの言葉が止まったのはフリットの様子が目に入ったからだ。何か反論したそうな表情でいるものの、結果的には黙り込んでいる。
知らないところでそこまで話が進んでいることに口出ししたくなるが、今此処でそんなことをすればフリットが困るだけであることも分かる。

「それとこれとは別でフリットの仕事の邪魔だけは止めてもらえませんか」

そう言いながらラーガンはウルフを掴んだまま引き摺っていく。フリットはほっと一息吐くが、近くで会話を聞いていたであろう整備士達の視線は痒かった。







モビルスーツの運送車への積み込みが終わり、目的地へ向かっている最中。
案の定、ウルフと同じ車両に乗せられそうになっていたフリットを自分が運転する軍用車の助手席に落ち着かせることに成功して、ラーガンは胸をなで下ろしていた。

フリットが別に構わないというのなら、ウルフに任せても良かったのかもしれないが。そういうわけにもいかないのは、フリットの様子から見て取れる。勤務中だと、そういうことだ。
それに、ラーガンとしても少し訊いておきたいことがあった。後ろの座席にフリットの隊員らもいたが、彼らにとっても今後に関わることだ。

「フリット、言いたくなかったら言わなくてもいいんだけどさ」
「はい……」

窓の外に視線を投げていたフリットはハンドルを握るラーガンの横顔に振り向き、話を聞く姿勢をとる。

「ウルフと、籍入れるつもりなんだよな」

後ろの方で息を深く吸い込む音が聞こえ、ラーガンは苦笑を交える。フリットは後部座席を一度だけ気にしたが、背を正した。

「今すぐというわけではないです」

否定のない返事に、ラーガンはいずれはそうなるかもしれないという予感は持っていたため、愕きは得なかった。

「前々から、アイツと話し合ってたりしてたのか?」
「いえ、この間……その」

言葉を濁すフリットを横目で窺えば、赤い顔を俯き気味にしていた。そして、唇が耳にも届かない声で動く。
読心術を熟知していなくとも読み取れる。プロポーズされたのだ。
視線を前に戻し、ラーガンは気が早まってしまっている自分を落ち着かせる。今日か明日にも嫁がせてしまうわけではない。

「僕も、訊いてみたいことがあるんですが、いい、ですか?」
「ん?あ、あぁ」
「結婚したら、変わってしまうものでしょうか」
「生活とか仕事がって意味か?」
「それは、変えていくしかないので良いんです。ただ、ウルフさんとの関係とかそういうものも変わったりするのかなって」

静かな声色のトーンにこれは悩みだなとラーガンは受け取る。明確に恋人だと二人は宣言していたわけではないが、その関係が夫婦という結びつきになると別のものになるのではないかと不安がしこりとなっているのだろう。

「変わったと感じるかは人それぞれだろうな。けど、俺の経験から言わせてもらうなら、順応していくものだと思うぞ。そういうのは」
「順応、ですか……」
「例えば、家を建てるとする。新しい新居に激変したと感じるだろうが、それは生活拠点自体が先行しただけだ。流動的に使い勝手を把握して、馴染んで、いつかは追いつく」

生活は変えていくしかないと断言したフリットには、それを一端覆すように言った方が考えを見つめ直しやすいだろう。
意味を理解するために黙り込むフリットが一度息を落ち着けたところでラーガンは続ける。

「結婚は夫婦になっていくための入り口ってぐらい、気軽な心構えでもいいんじゃないか?」

そう言い諭しても、気軽に考えられないのがフリットであることは承知だった。けれど、そういう意見を耳に入れることで、選択肢や考え方が少しでも広がってくれたらと思う。
視野が狭い子ではない。頭が切れる分、効率の良い方法を即座に絞ってしまえるのは長所だが、見落としはあるものだ。

「別に責任取るって理由でウルフが告白してきたわけでもあるまいし」

最初の内はフリットを遊びに相手にしているのではないかと思っていたが、見た目やレース時の操縦捌きほど性格に派手な印象のない男だ。
フリットを表面上からかうことはあっても、内面には筋を通して引っかき回さない。そういった部分は認めているのだ。

しかし。ラーガンのその一言に、フリットは膝の上に置いていたはずの手でシートベルトを握りしめた。顔やグローブの内側の手にはだらだらと冷や汗が忙しなく流れている。

「フリット」
「ハイッ」

珍しくというよりも、未だかつてこんな上擦ったフリットの返事は聞いたことがない。

フリットは内心、焦っていた。責任を取るとウルフに言われたわけではないが、ラーガンがそういう順序に厳しいというか、潔癖な所があることをフリットは長い付き合いから知っている。
基本的に嘘を吐く必要が今までなかったフリットは隠し事一つに苦労せねばならない。

「そう言われたんじゃないだろうな」
「それは違います。そうじゃなくて」
「早まったことはしてないんだな」
「………」

黙秘するフリットにラーガンは自身に悪態を吐く。此方の価値観を押しつけるような言い回しになってしまったからだ。自分に正直で自尊心の強いフリットが他者の基準に耳を傾けることはあっても沿うことはありえない。
こういうところがウルフと自分の違いなのだろうとラーガンは思う。その違いをフリットは理解しているからこそ、此方に相談してきてくれているのに。

しかしだ。知らない間に妹分に手を出されていた事実は如何ともし難い。
手元が狂った。

「うわ!ラーガン!」
「あ。すまん」

後部座席の悲鳴も静まり、ラーガンはハンドルを握り直す。どうやら動揺しすぎて車を左右に揺らすような運転をしてしまったらしい。
後続の運送車には窓を開けたフリットが手を振って代わりに取り繕ってくれていた。フリットは窓を閉めると一拍置いて、外に視線を向けたまま口を開く。

「ごめんなさい。でも、悪いことも間違ったこともしたとは思っていません」

謝罪を打ち消すような後半の言にラーガンは内面的に肩をすくめる。
言っている事が矛盾しているが、そういう矛盾を肯定してしまえるほどなのだ。あの相手のことになると。

「謝らなくてもいいさ。ちょっと、娘に悪い虫が付いた父親の気持ちになっただけでな」

その言い方にラーガンの横顔を一瞥してから、フリットは俯く。ラーガンとしては一応の決着を着けてくれたのだ。

多分、魔が差したとしか言いようのないことだったと思う。
そういう切っ掛けは何度かあったが、いずれもウルフが手前で止めていた。そうさせていた原因を自分が作っていたとフリットはずっと気にしていたから、ついにと……そういう流れだった。

「それより、フリットの家の方は良いのか?」
「まだ話してませんけど。母さんはウルフさんと会ったことありますから」
「オーヴァンの方でもレースあったな、そういえば」

フリットもまだ学生の頃だ。その時にアスノ家の方では許嫁とかそのあたりの準備や話を進めていたとかで一悶着あったものだ。
フリットの母親であるマリナも娘と一緒で真面目な人格の持ち主である。フリットより幾ばくか厳格な部分もあるため、ウルフのことを全面的に肯定しているとは言い難かったが、優しさも持ち合わせている人だ。

これ以上自分が口出しする必要はないだろうと、ラーガンは会話を一段落させる。
モビルスポーツ関係の委員会議が行われるビルの駐車場に車両を駐めるまで、後部座席からの視線を痛がっていたフリットも目的地に降りれば既に仕事顔だ。
それでも、ウルフと顔を合わせた途端に顔つきが変わるのを見て、ラーガンもまた決意するためにコロニーの空を見上げた。





























◆後書き◆

五秒後。ラーガンがウルフさんに殴りかかりますが、避けられます。
weiβシリーズの設定だとウルフさんは殴られる覚悟出来てそうで、zweiだとラーガンの方が抑えてしまう感じと二人の距離感を変えています。
あと、アスノ隊の部下の人数も変えております。こちらの微パラレルは切迫した環境にないので、軍人を職にする人も少なめかもしれないということで6人。

プロポーズのあたりやマリナさんとの確執(?)は書いてみたい感じですが、ネタが浮かぶ機会があればでしょうか。

※正しい性知識を身に着けてから本番です。

Strömung=流動

更新日:2014/01/19








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