◆Narbe-前編-◆









太陽光が砂浜を照りつけ、青い海を銀糸で形作られた網のように輝かせている。ここは宇宙であったが、星々の海ではなく、コロニー“ミンスリー”内に設けられたリゾート地である。
季節柄、観光客も多ければ、合宿としてこの地を訪れている学生集団の姿も見える。教員らしき人物が点呼の確認をしていれば、生徒の一人が誰かを手招く。

「こっちよ!フリット!」

エミリーの呼びかけに手を上げて応えて、フリットは高い位置で結った髪を波打つように揺らして彼女の元までゆっくりと走り寄る。

「三つ編みじゃないから、すぐ気付かなかった」
「リボン濡らしたくなくて」

成る程と、エミリーは頷く。フリットの髪を結っているピンクのリボンは、“ノーラ”を離れることになったユリンから贈られたものだ。エミリーが聞いたところによると、二人の出会いはこのリボンが切っ掛けらしい。
ユリンとの別れの時に、フリットは貰えないと最初は断っていた。けれど、ユリンの願い事だけはどうにも断り切れないフリットは遠慮しつつもリボンを受け取って、大事にすると約束している。

それから、フリットは髪を伸ばすようになった。ピンクのリボンを使い続けて六年経つ。リボンを渡したユリンの真意をフリットは気付いていないのだろうなと、エミリーはそんなことを思うが、身だしなみに気をつかうという行為は誰かを意識することにも繋がる。

「ウルフさんとは最近どうなの?」
「ぇ、さ、最近は別に」

周囲が聞き耳を立てていることをエミリーは理解した上で、それらに気を向けることはせずにフリットに詰め寄る。

現在、フリットは学生をしながら軍属という立場にあり、この間成人を迎えている。つまり、正式に軍入り出来るようになり、そちらの手続きが完了次第、学生という身分ではなくなる。卒業までに必要な単位は全て取得済みということに、フリットの性格が良く出ているとエミリーは感心すらしてしまう。

今日は大学の宿泊研修でこの地に来ていた。昼はレクリエーションで身体を動かすが、夕方からは宿屋のホテルで講習会を受ける予定だ。
そんな中、フリットが少し遅れてやって来たのには理由がある。アリンストン基地で働く者達の慰安旅行先が“ミンスリー”であり、日付もフリット達の大学の研修日と同日だった。
慰安旅行と言っても、実際には警備の手が足りなくなった場に暇な人間を割り当てるという体(てい)の良い労働だ。
正義感の強いフリットは警備の仕事を快く引き受けたために、エミリー達と同行してこのコロニーには来たが、連邦軍人達との打ち合わせを先に済ませて来たのだ。

そして、日付が被ったのはこの二つだけではなく、モビルスポーツレースがこのコロニーで明日開催される。
前日に下見などをするはずだから、モビルスポーツ界でトップを維持しているウルフもこの地に来ているであろう。
初対面の時にウルフから気に入られたらしいフリットは事あるごとに手を出されていた。彼女のために訂正を入れておくが、手を出すというのは頭を撫でられたりという意味である。しかし、今はどうかしらねと、エミリーはフリットの反応を見つめる。

「レースの護衛で行った時からは会ってないけど」

少々治安が悪い宙域にあるコロニーだった。コロニー自体は荒んでいるわけではないのだが、人の出入りが少なく、活気に欠けている。それを挽回しようと自治体がレースを自分達のコロニーで開催して貰えないだろうかと、モビルスポーツ組合に掛け合った。
基本的には大きな活気あるコロニーでのレースが主だが、巡業レースも無いわけではない。しかし、組合も観客やレーサー達の安全が確保出来なければ巡業レースを了承出来ない。そこで連邦軍に護衛の要請が来た。宇宙海賊や暴走族などの鎮圧に手慣れており、ウルフ達とも面識のある軍人に頼みたいとのことだった。

連邦も仕事を引き受け、フリットもラーガンと共に護衛についた。何事も無く終わろうとしていたレースだったが、会場に紛れ込んでいた識別不明のモビルスーツ達が息を吹き返すように突然暴れ出して混乱を招くこととなる。
レース自体は台無しになってしまったが、軍人とレーサーが手を組んで暴走するモビルスーツを食い止め、鎮圧したことはメディアでも大きく取り上げられた。
だから、その説明だけでエミリーに通じるはずである。

「それは知ってるわよ。その後は何もないの?」
「会ってないんだから、後も何もないよ」

あのレースの後にという意味でエミリーは訊いたが、フリットはそう捉えなかった。無意識のうちにその部分を飛ばしているように思えて、エミリーはやはりレースの後に何かあったことに確信を持つ。

今日のために先日一緒に水着を選びに行ったが、選んだものがど真ん中というか、直球というか。指摘するとむきになって違うものにしてしまうのが目に見えたので、珍しく素直な行動をしているフリットを何と無しに見つめていれば、少し機嫌が良さそうだった。
六年前は散々逃げ回ってたくせにと思うが、こうなることを当時のユリンは見越していたようで、エミリーは肩をすくめてフリットのリボンを見遣った。

「それなら別にいいけど」

と、エミリーはリボンから目を離して、次にはフリットの身体を上から下まで辿ってから彼女の顔を真っ直ぐに見つめた。

「パーカー脱ぎなさいよ」

前をきっちり閉めていたら水着が全く見えないではないか。何のために買いに行ったのか、これでは意味がない。
黄色のパーカーを剥ぎ取ろうとするエミリーの手から逃れるためにフリットは一歩下がる。

「いや、その、ほら、連邦の軍人だって分からないといけないから」

左腕の袖にある腕章を見せるようにして言えば、エミリーは手を引っ込めるが、その顔は納得していない。
だったら、せめてパーカーのジッパーを下げれば良いじゃないと言う半目に責められるが、フリットは首を横に振った。

試着は店の更衣室でしたが、いざとなったら何故こうもあからさまな水着を選んでしまったのだろうと、フリットは今になって後悔している。そもそも似合ってもいないと。
レクリエーションは水着着用が義務だが、その上にジャージなどを羽織ることは許可されていた。フリットのように上にシャツなどを着ている者も何人かいる。
エミリーはそれ以上食い下がることはせずに、教員がいる前方を向く。フリットもエミリーの後ろの位置について其方に顔を向ければ、周囲も聞き耳を立てることを止めた。

教員が今日も疲れそうだなと首を回して、行動範囲の制限と注意事項を口頭で説明していく。大学生と言っても、まだまだ遊びたい盛りであることは経験上良く知っている教員は羽目を外しすぎないようにと最後に釘を刺すのを忘れない。
話を聞き終えた皆は突然走り出すなどの行為はしなかったが、エミリーとフリットの方を気にしつつ、各々が誰かに呼びかけられたりと散り散りに砂浜を駆けていく。

「昼間はラーガン達も海の警備なんでしょ?」
「うん。浜辺のガレージが臨時の軍事基地になるから、バルガスもブルーザー司令とそこにいると思うよ」

司令棟として外を巡回しないメンバーは何人かガレージで待機だ。ハロを預けたバルガスもそちらにいるだろうとフリットは言うが、エミリーはあの祖父なら浮き輪を手にはしゃいで海に飛び込んでいそうだと予想を立てる。

「大抵は監視員の人達で解決するから、それでも対処しきれないのと目が届いていない荒事を担当してくれって」

気性の荒い人間はそうそう出てくるものではないから、のんびりと学友と遊んで来いとラーガンに言われてしまったので、フリットは正直手持ち無沙汰な気分を味わっている。
顔見知りがトラブルに遭わないように気をつけていれば良いのだろうかとぼんやり思考していれば、聞き覚えのある声に振り返る。

「二人とも、久し振り」
「ユリンも元気そうね」

エミリーの言葉に頷くユリンは長く艶のある黒髪を二つのお団子型にして三つ編みで囲んでいる。彼女が身に着けている水着は薄めの赤紫で、パレオ型だ。自分達よりも一つ年上らしく大人っぽい印象にエミリーは自分の桃色の水着は幼すぎただろうかと思うが、先程から言葉を全く発さずに微動だにしないフリットの目線の位置に掌を翳して上下に振る。
はっとするフリットにやれやれという風貌でエミリーは口にする。

「見とれてないで、何か言ったら?久し振りなんだから」
「う、うん。久し振り、ユリン」

そうだねと微笑むユリンに水着が似合っているとか、髪型のこととか、もっと気の利いた言葉を言えば良かったとフリットは恥ずかしくなる。エミリーと話すときはこうではないのにと、何度感じたことか。

「二人も元気そうで良かった」

柔らかく表情にのせて言う言葉は朗らかであった。けれど、次の瞬間にはユリンの表情は何か考え詰めるようなものを滲ませ始めた。

「フリットは、やっぱり軍人になるの?」

腕章を視界に入れたユリンはそう訊く。けれど、本当は判っているのだ。
モビルスーツ鍛冶という職はこれから存続していけるものではない。軍に身を置けば、研究などの名目で鍛冶屋をやっていた頃と変わらない技術を使用出来る。フリットもそういう契約を連邦と交わしていた。

「近いうちには正式にそうなるかな。母さん達も納得してくれたし」
「でも、危険なこともするんだよね?」

モビルスーツに乗ることはあるし、警備中の事故もある。安全な仕事ではないだろう。

「私、もう一度お義父様にお願いして」
「いいよ、ユリン。気持ちだけで嬉しいから」

ユリンはアルザック・バーミングスという大富豪に養子として引き取られ、今はご令嬢という身の上だ。彼女の控えめな性格から、短大を卒業した今は義父の仕事の手伝いをしている。

バーミングス家やその傘下のグループからの援助があればアスノ家は鍛冶屋を続けられるだろう。けれど、アルザックが良しとしても、傘下の誰もが首を横に振った。縦に振ったとしても、数十年保たせるのが限度だろう。何世代にも渡って受け継がせられる職ではない。

けれど、諦めたわけではないからと、フリットは大丈夫だとユリンに笑んだ。技術部門への配属は叶わなかったが、技術提供は許されているし、研究所の出入りもある程度の自由が利く。フリットのモビルスーツの操縦技術が並み程度だったならば、技術部門所属になっていたはずだが、天は二物を与えても、容易く思い通りに事を運ばないということだ。
それでも、フリットは自分がこれからどうしていくべきか、軍の中で見つめ直しながら見つけていこうと決意していた。だから、ユリンが気に病む必要はないと伝える。ユリンもフリットから強い意志を感じて、表情を緩ませて頷いた。

無言のやり取りをするフリットとユリンに、煮え切らずに手を出したのはエミリーではない。此方の頭を掌で覆って圧力を掛けてくる手の感触はフリットが良く知っているものだ。

「俺の目が届いていない隙に、お前はなんで女を口説いとるんだ」

揶揄だとは分かっているが、その言葉を貴方にだけは言われたくないとフリットはその逞しい腕を払いのける。その動作の勢いのまま後ろを振り返れば、予想と違わぬ男が釈然としない顔で払われた腕を振っている。

「ウルフさんこそ、会場の下見は良いんですか?」
「それはもう済ませた」

彼の後ろにはレーサーの同業者が何人かいる。その中からウルフの横に並ぶようにして前に出てきたのは、赤毛の混じるブラウン髪をツーブロックに仕上げている男だ。彼もまたウルフと同じように引き締まった体躯の持ち主である。

「お友達と話してるとこ、邪魔して悪いな」
「……フォックス」

此方の肩に腕を乗せるなとウルフは言う。いつもならこの程度の馴れ合いにウルフは口を出すことはないし、むしろウルフからの方がそういったことを仕掛けてくることが多い。だから、本当にこの女に関してだけは妥協する考えをウルフは持ち合わせていないのだなと、フリットを見下ろす。初対面の時から変わらず、意志の強そうな双眸は健在だ。

フォックスはフリットに対して好感は持っているが、ウルフがこの手の女に堕ちるのも堕とすのも容易に想像は出来なかった。
そもそも、六年前のレースでの奇矯(ききょう)な行動もレーサーならではの余興なり、パフォーマンスだろうと高をくくっていた。相手は当時、中等学校に通う子供だったのだから。
風の噂でウルフがあの時の子供に興味を持っているらしいと耳に挟んだが、その子供がモビルスーツ鍛冶の人間だということも同時に知ったが故に、ウルフが変な気を起こしているわけではないと胸をなで下ろしていた。

しかし、時が経ってみればこの有様だった。目の前の少女が成人した女性であることは体つきから見て取れるし、軍人としても頭の切れる洞察力があるのは前のレースでの一件で実証済みだ。
それでも、堅物さを兼ね備えた生真面目なフリットに、ウルフが興味を薄れさせることなく意識を向けていることは理解の範疇を超えた出来事である。

「フォックスさん達も会場の下見が終わって此処に?」
「そんなとこだ。後ろの連中はウルフの意中の相手見たさに着いてきたわけなんだがな」

フォックスの親指が差す後方には覗き込むように此方を伺っている者達が控えていた。ウルフのチームメイトもいれば、フォックスのチームメイトも何人かいるようだ。

機嫌を悪くするだろうと予想した上でのフォックスの言だが、フリットは困ったような顔をしつつ本意ではないと滲ませるという実に複雑な表情をして視線を横に流した。
今までの反応と違うことにあの時に何かあったのだろうと見当を付けて、意味深な視線をウルフに流した。その程度でペースを乱されはしないウルフは好きなように受け取れといった手振りを寄越してくる。

レースの警備のみを連邦軍に頼んだが、襲撃に近い暴動があったために、レース後の警護を連邦側が提案してきた。組合も願ってもないとそれを受け入れる形となり、仕事としてフリットはウルフ達、レーサーの宿泊先であるホテルの警備にあたることになる。
寝ずの番での仕事であったが、フリットはまだ正式に軍人の手続きを済ませてはいないからとラーガンに休むよう諭されてしまう。しかし、どうにも納得しかねていたフリットはホテルの玄関前の警備からは外れたものの、レーサー達が宿泊している階の廊下で仕事としての番をしようと立っていたところをウルフが自分の部屋に連れ込んだ。
それをフォックスも見ていたし、後ろの何人かも目撃している。同業者の間でも二人のことは話題によく上っているのだ。それは外でも同様らしく、フリットらと同じ大学に通う学生達からの視線も此方に向けられている。このような状態なのだから、下賤(げせん)ではあるが、詮索するなと言う方が酷な話だ。

そういった視線を受けながらもフリットは平然としている。モビルスーツ鍛冶という前時代の名家は現在では日の当たらない生活をしているところが多い。だからこそ、表だって鍛冶屋をしていれば本人にそのつもりがなくても、周りからは目立って見えるものだ。
逐一それらに気に掛けていたらきりがないことを理解しているのは、フリットの態度から見て取れる。

「お嬢さんも苦労が多いな」
「そうですか?」

首を傾げるフリットが何のことだろうと、此方の言葉の意味を受け取れなかったことをフォックスは逆手にとって続けた。

「ウルフに目を付けられて、迷惑してるだろってことだ」

からかいを含めてそう言った。
余計なことを言うなとウルフがフォックスを小突くが、フリットは首を横に振ってフォックスの言を肯定しなかった。

「いえ、ウルフさんには教えてもらうことも多いので」

迷惑だと感じているわけではないと返すフリットの真面目さに、フォックスは思い知らされる。

「俺達は汚れた大人になってしまったんだろうな」
「こっちを見ながら俺までその仲間に引き摺り込むのはやめろ」

ウルフは眉間の皺を増やす。自分と同じように通り名があるフォックスに同族意識はあるが、それとこれとは別だとフォックスの仲間意識を遠退ける。

何事も正確さを重視するフリットが言葉の裏に気付くのは稀だ。
フリットはレーサー二人のやり取りから、先程の迷惑がどうのこうのといった言葉を思い返しつつ、ウルフを見遣った。そこでやっと気付く。目を付けられての部分とそこから迷惑に繋がる数々に。
首から上昇してくる熱にフリットは僅かに俯く。それが目にとまったウルフは今頃気付いたんだろうなと、飲み込む。
一歩近づいて来たウルフにフリットはひくりとして、顔を上げた。

「俺に目を付けられてる自覚があるなら、喰いっぱぐらされたツケは忘れてねぇよな」

この間のホテルでと付け足せば、公共の場であるから濁した言い回しをしているのだとフリットでも分かった。
これからの話になるが、交わる行為を食事に喩えるのはウルフの習癖であるとフリットも知るようになる。

「―――あれは、その……すみません」
「謝罪はいらん」

では、どうすればと教示を求めてくる視線を受けて、ウルフは一度周囲を見渡す。それからフリットを見遣った。

「お前も水着、着てるよな」
「着てますけど……」
「今日はずっとそのままか?」
「………」

何も返さずに眉を立てて視線を横に投げたフリットに対し、余計に駆り立てられている自分をウルフは自覚する。従順であるよりは、その方が血が騒ぐ。

「いけませんか?」

目を合わせないままに、フリットは投げやり気味にそう言った。

「俺が見たいと言ってもか」
「ッ!」

驚いて、思わずフリットはウルフの顔を見上げた。想像していたよりも真剣な表情に胸の奥が跳ねて、それを誤魔化すためにフリットは彼に背中を向ける。

フリットがウルフに背を向けたことによって、彼女の表情を見て取ることが出来てしまったエミリーは瞬く。
彼女にウルフとのことを尋ねたりすることはあるが、揶揄を込めていることが多いとエミリー自身自覚していた。今の大学では見掛けていないが、中等と高等学校ではフリットを目当てにウルフが校内に入ってくるということが数度あった。その時のフリットの反応はそれはもう迷惑そうな顔をしていた。騒ぎをどうにかするために渋々という様子でウルフの相手をしていたのだが。
それでも、フリットがウルフを嫌っている素振りはなかったわけであり、鼓動の揺らぎを沈めきれずに表情に出してしまっている今が、彼女の本心なのは明かだった。

こっちまで恥ずかしくなるとエミリーがフリットから視線を外せば、ユリンは微笑ましそうにフリットのことを見ていた。此方の視線に気付いたユリンと目が合うと「良かったね」とその口が動いて、エミリーは少しだけ間を置いてから「そうね」と胸中で返すと、微笑した。

フリットは後ろのウルフを、首を捻って右の視界に入れて言う。

「ウルフさんの意見は関係ないでしょ」
「そうか。じゃあ、ツケはどうする」
「……見せたら、無かったことにしてやるとか、そういうことですか?」

片方の眉だけ歪めてフリットがそう訊いてみれば、ウルフはそうだなと頷きかけたが、完全に頷いてしまえば彼女は余計にガードに入るだろうと思い直す。

「それでも良いけどな」

そもそも、フリットが水着姿を見せたくないのは何らかの理由があるからだろう。その理由に見当が付いていないわけでもないウルフは腰に手を当て、話をまだ続ける態度を見せる。

「似合ってないとでも思ってるのか」
「そう、ですね」

気付かれていることにフリットはそれほど驚かなかったが、そこまで見透かされている事実に歯切れは悪くなる。嬉しいのか、自分の不甲斐なさに気落ちしているのか、分からなくなって。

「普段着るものじゃないからそう感じるだけだろ」

人には慣れというものがある。習慣付いていないものに対して億劫になるのは変哲のない習性だ。即応のアドリブはフリットも苦手な節があるのは、モビルスーツの操縦を見ていて思ったことだ。けれど、物覚えは常人以上である。一度割り切ってしまえば、慣れるのは早いと判断する。
此方の言葉に耳を傾ける意思はあるらしく、フリットはウルフに肩を向けるようにして、後ろを向いていた態度から変えている。パーカーの裾を両手指で掴んでいるのも、変化の表れだ。

「お前、身体のライン綺麗だよな」
「なッ」

完全にウルフに顔を向けたフリットの顔は真っ赤であり、周囲はざわつき始める。余計な勘ぐりを避けるためにフリットは強引に平常心であろうとした。

「何の話ですか」
「思ったことをそのまま言っただけだ」

さらりと言ってのけられて、フリットは落ち着かせたものが再び湧き上がるのを抑えるのに必死になる。
褒められているのだろうが、恥ずかしさで素直に喜べる状態ではない。と同時に、あの時やけに全身を余すことなく手で触れてきたのは、それを確かめるためだったのではないかと思い至って、フリットは余計に冷静でいられなくなる。

「自信がないならそれでも良い。俺が証明してやる、お前は最高だってな」
「そんなこと、証明しなくてもいいですよ」

歯の浮いた台詞だと理解しているのに、ウルフに言われると掻き乱されるものがあった。
そもそも、自分に自信がないとか、そういう問題ではない。だからと、フリットは自分の意見を曲げる気は無いとウルフに強く視線を向ける。

状況に構わず頑固な姿勢を崩さない奴だなと、ウルフは感心を含んで肩を竦ませた。観光地でバケーションを楽しむという感覚が欠落しているのではないかと本気で思う。
ここまで頑ななのは、やはりこの前のことが原因なのだろうか。フリットの素肌を見もしたし、触れた。彼女にとっては馴染みのないことであると承知の上で、そうしたのだ。

「なぁ、フリット。嫌だったか?」
「何がですか?」

過去形で尋ねてきたのだから、水着のことではないはずだ。それ故、対象が何であるのかフリットは探るように聞き返した。

「ホテルで俺がお前にやったこと」

瞬く。羞恥が先に来るだろうとフリット本人は思ったが、不思議とそうではなかった。此方がそのことを気に掛けて肌を晒すのを拒んでいると、ウルフが過ぎた勘違いをしていることを理解出来たからだった。

「そうじゃありません」
「なら、」

この人に下手に出られるのは何故だか釈然とせず、フリットはその先を手で制した。あのレース後での一件も、ウルフのみに責があるとフリットは思っていない。一方的に強く出られたが、言葉を交わす猶予(ゆうよ)は与えられていたからだ。
自分は虚偽の言葉を口にした覚えはない。それを伝えるにはどうしたら良いのだろうと、フリットは逡巡する。
上手い言葉は生まれなかった。だから、フリットは身体の正面をウルフに向ける行動を取った。

躊躇無く、パーカーをはだかせ、音がするほどに脱ぎ放る。
荒々しい所作か、自分のこの姿への反応かは分からないが、ウルフが目を瞠っている現状にフリットは気恥ずかしさを覚える。けれど、もう引き下がるわけにはいかない。

「ウルフさんのことを考えながら、選びました」

はっきりとそう口にした。白色の水着であるのだから、ウルフであろうと誰であろうと言わなくとも勘づかれることは必須だ。
けれど、それを敢えて口にしたのは、見せるだけでは伝わりきらないものに気付いて欲しいと。そう、想ってしまったからだった。

ウルフの一歩半ほどの後ろに佇む位置を落ち着けているフォックスは、何時になく微動だにせず、静かに立ち尽くしているウルフの背を見遣る。これはフリットの意趣返し勝ちだと、判定を下すが、この狼が勝ち逃げを許すわけがない。
次の瞬間、彼は行動を起こした。

とんでもないことを言ってしまい、フリットは次第にやらかした自分自身に対して心中で非難を浴びせた。何を口走っているのかと。
此処に来る時にリゾート地を拡大するための工事をしている現場を遠目に見た。そこまで一息に走って、デスペラードに穴蔵をヒートスコップで作って欲しいと頼みに行きたいと本気で思い始め、フリットは右足を後ろに引いた。

けれど、逃がさないとばかりにウルフはフリットの左手首を掴む。それを振り払わず、困ったような視線を向けてくるフリットの表情はどこか熱っぽい。都合良くそう感じ取っているだけかもしれないが、フリットにあそこまで言われて何もせずにいられるわけがない。

「そこまで言うなら、見せるのが筋だろ」
「み、見せてるじゃないですかッ」
「その腕」

言われ、フリットは胸を押さえるようにしている右腕に意識を集中させた。これくらいは良いではないかと思うが、ウルフが左手を差し出してきた。無理に引き剥がそうとしないウルフの動作にこの人は、と拒めない自分に言い訳する。
フリットは右手を少しだけ戸惑わせつつも、ウルフの手の上に緩やかに預けた。
向き合う形で両手をウルフに捕らわれれば、正面を全て晒すことになり、フリットは俯く。

太陽光を浴びる白い水着は眩しくも、フリットの肌に馴染んでいる。上下を彩るように飾られたアシンメトリーに施されたフリルは主張し過ぎずに、幼さを控えているデザインだ。
両手の開放感にフリットは顔を上げた。何も言わないウルフに無性に不安ばかりが顔を出して、眉を下げる。
しかし、それを払拭するように頭に重みが来た。最初のものとは違う温かみのある触れ方で。けれど、少し乱暴で。
大人しくされるがままになっているフリットに、絆されてしまっているなとエミリーは吐息する。

優しく撫でてくる手の隙間からフリットは見上げる。視線を外されていることに不安が再び覗き出したが、そうではないのかもしれないと思い直そうとした矢先に視線がかち合う。

「気が済まんな」

どういう意味か測りかねたフリットは、頭から一度離れた手が次の動作をすることを見送る。すれば、腰を取られて引き寄せられていた。
周囲から固唾を呑む空気が湧き起こり、全体に行き渡ってく。

状況を飲み込めずにフリットは瞬くが、胸や足から密着した体温を意識すれば頬に朱が差す。そして驚愕すべきは互いの唇があと僅かで触れ合ってしまう距離にあることだ。
逃れるために身を後ろに退こうとするフリットのその頬を捕らえて、ウルフは逃がさないと意思表示する。
衆目がある場で抱き寄せられている状況でさえ、フリットにとっては耐えきれるものではない。だから、これ以上はと顔を横に逸らして、硬く目を閉じた。

「ん」

耳に触れる吐息はふいをつくもので、フリットは思わず零れそうになった声を閉じる。

「忠告だ。俺のことを考えていたともう一度言ってみろ、それしか考えられないようにしてやる」

過去形で済ませはしないと、耳元で言われた台詞に撥(は)ねるように目を見開いたフリットはウルフの腕を押しのけて後ろに下がる。足下がもつれそうになるが、足底に力を込めて耐えきった。
浜辺の砂よりも熱くなっている身体を誤魔化すように、背を向けたフリットは投げ捨てたパーカーを拾い上げて砂を払うとそれに袖を通して羽織る。
前を閉じたかったが、フリットにも意地があり、それだけはせず。僅かにウルフを振り返った。

「非現実的です。それは」

ずっと誰か一人だけを考えるなど不可能だ。命の時間は有限であり、人は必要な時間ごとにすべきことを割り振る。ウルフが言っていることは怠惰な発想でしかない。
けれど、時間とは別の次元ならば。感情の面で言えば違うのかもしれない。感情に種類はあるが、何かに対しての感情はその対象のみに生まれるものではないのか。
不可能だと思った時に伏せた視線を持ち上げて、フリットはウルフを瞳に捉えた。息吹のように芽生える形無きものが確かに自分の中に、在る。それを否定し続けるのはやめていたけれど、受け入れきるにはフリットの心構えも足りなかった。

眉を上げて言い切るフリットにウルフは堅い態度は相変わらずだと感じる。だが、向こうからも歩み寄ろうとしてきている意識は、以前よりも強くあるのだとも。
今すぐにでも食(は)んでしまいたい衝動は渦巻いているが、もう少しだけ待ってやろうとウルフはフリットの背中を押すように叩いた。

「そりゃそうだ。俺は上の上しか目指してないからな」

押されるままに一歩前に出たフリットは、上より先の上とは何だと、やはりこの男の言っていることに理解が追いつかないと眉を僅かに歪める。けれど、それは苦笑だ。分からないことを言っているのに、分からないとそのまま聞き入れるようになってしまったなと思う。
あと、触れてきた手から気遣いのようなものをフリットはそこはかとなく感じた。





























◆後書き◆

やっとこさ、水着話です。
後半の最初らへんまでは水着ですが、それ以降は私服になります。

微パラレルなので、マリナ母さんとユリンご存命であります。さて、マリナさんはウルフさんのことどう思っているんでしょうかねと考えたりもする日々です。
ユリンは前半のこのお話で退場となります。文章内に入れるタイミングを逃して、此処に補足となってしまい申し訳ないです。お仕事があって、ということになってます。

Narbe=傷跡

更新日:2013/02/25








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