◆Sengen◆









ウルフ・エニアクルとフリット・アスノは犬猿の仲だ。
二人を知る連邦軍人に彼らについて訊けば必ず返ってくる言葉がそれである。

モビルスポーツ・レースで輝かしい勝利を何度もその手にした元レーサーであるウルフはレースでもう自分に敵いそうな奴がいないと軍人に転職した異例の経歴を持つ人物だった。常に己の戦いを求める実に野獣じみた性格の持ち主である。
そんな彼とは対照的なのがフリットという青年だ。彼はUE対策として創り出されたガンダムという名のモビルスーツの開発者であり、同時にパイロットでもある。彼が軍に身を置くのは身内をUEに奪われたこと、自分以外の誰かに同じ思いをさせたくないという正義感からだった。

自分の本能を偽らずに何事にも向かうウルフと、自分の決意を固めてオーソドックスに事を進めようとするフリットは馬が合わない。
互いに年の差があればそうならなかったかもしれないが、彼らは二十三と二十二と一年の差しかない。

けれど、二人ともモビルスーツの操縦技術は大したものであり、他のパイロットよりもずば抜けた実力を持っている。
だからこそ、同等の実力者としてコンビを組まされることが度々あった。本人達が乗り気でないので、上官はいつも頭を悩ませている。
今回、エウバとザラムの抗争の鎮圧に駆り出されることとなり、何とか説得してコンビを組んでもらうことに成功していた。

フリットのガンダムとウルフのGエグゼスのコンビネーションは既に連邦の間では「二筋の流星」と呼ばれたりしているのだが、当事者二人にとっては不名誉極まりない通称である。ウルフに限っては「白い狼」という二つ名があるのだが、コンビ用に更にもう一つ追加されているのだ。

犬猿の仲とも言われているのにコンビネーションが良いとは首を傾げる事態であるが、互いに相手なら此処まで着いてこられる。着いてこられないなら知ったものかと限界突破する勢いで競っているような節があった。
どちらも遅れを取るようなことが無いから足を引っ張るようなことは今までに一度も無い。遠回しに相手の実力を認め合っているのだから、複雑な関係とも言えた。

無事に鎮圧を終えたフリットはヘルメットを外して、自機の担当をしているエンジニアと数度言葉を交わして息を吐いたところだ。そこで突然背中を強く叩かれてフリットは嫌そうに眉を歪めて渋々振り返った。

「お疲れさん」
「……お疲れ様です」

フリットと同じようにヘルメットを外しているウルフはノーマルスーツの首もとを緩めてフリットと視線を合わせる。
相変わらず嫌そうな顔してるなと感じつつ、それでもウルフが言葉を掛けたりスキンシップとも取れる行動に出るのは他の奴らと区別しているように思われるのが癪だからだ。自分達を見る周囲ではなく、フリット本人にそう思われることが。
邪険にした態度は取るが、一度たりとも無視せずに形なりには付き合うフリットにウルフは生真面目な奴だなと常々思っている。

返事はしたし、もういいかとフリットはウルフから視線を外してその場に留まっていた。が、ウルフがその場から去っていこうとしないことに不信感を抱く。
フリットはウルフが苦手だ。嫌いとまで言ったら失礼だろうと自分をセーブしているが、近くに居られるのは嫌だった。
自分から何か話すのは気が引けたが、仕様がないとフリットは口を開いた。

「あの、離れてくれませんか?」

そう言えば、お前から話し掛けるなんて珍しいなとばかりの顔をするウルフにフリットは好きで話し掛けたわけじゃないと睨むようにウルフを見遣った。

「お前さ、何でそこまで俺の事毛嫌いするんだ?」
「毛嫌いしているのは貴方も同じじゃないですか」
「俺は毛嫌いしとらんさ。気に食わないだけだ」

それを毛嫌いと言わず何というのだ。フリットは理解に苦しむ人だと小さく吐息してウルフに背中を向けた。
関わってくるなというオーラが醸し出されていたが、ウルフはそんなものに怯むような人間ではなかった。

「お前の理由聞いてないんだが。俺は言ったんだからフェアじゃないだろ」

気に食わないというだけでは説明不足のくせに此方にも理由を催促してくるとはどういう神経なのか。フリットはもうさっさと終わらせたくて背中を向けたまま言ってやる。

「ガンダムの設計データ、勝手に持っていったでしょう」

そのデータを元に創られたのがGエグゼスである。マッドーナ工房が手掛けた技術は凄いと正直に称賛出来るのがフリットの素直さであったが、自分に断りもなくウルフがデータを持ち出し、機体のフェイスをガンダムに似せられたのが釈然としなかった。

「それが理由か?」

不意打ちを喰らったように拍子抜けした調子の声にフリットは自分のプライドを馬鹿にされたように感じてウルフを振り返る。敵意ある視線でウルフを一度睨んで自分がその場から離れることを選択した。

足早に去っていく背中を見つめ、ウルフは何か言いすぎただろうかと頭を掻く。気に食わなくても、相手に不快な思いをさせようとしていたわけではなく、何となく気が向いたから問いかけたりしてみただけだった。
他の相手の場合は気に食わなければ殴るなり、蹴るなり、汚物入れに放り込むなり暴力的な手段に出るのだが、フリットだけには何故かそういう行動に出られなかった。
筋肉の付き具合から力だけで言えば自分の方が上だろう。だから勝てる見込みは十分にある。技の部分ではどちらが上か分からないが同じようなものであろう。だったら実力行使に出てみて相手の力を測ってみるのも一つの手だった。
殴り合った後に和解してきた人間も少なくないと思い出したところでウルフは不思議に思う。
自分はフリットとどういう関係性を持ちたいと思っているのかと。







汗をシャワーで流してパイロット用の軍服に着替えたフリットはウルフと時間が合わないようにさっさと上官への報告を済ませて自室に向かっているところだった。

「フリット!」

後ろから聞き覚えのある声に呼び止められてフリットは振り返る。医療班の制服に身を包むエミリーにフリットは微笑みを浮かべる。

「そんなに慌てて声掛けなくてもいいよ、エミリー」

同じ基地にいるのだし、エミリーの声なら空耳かと思うくらい小さくても立ち止まるからと、そんなふうに込めて言えば、エミリーは瞬きを数度繰り返す。

「そ、そっか。そうよね、大声出してごめんね、フリット」
「いや。それより、俺に何か用事だった?」
「え?あ、あのね、そういうわけじゃなかったんだけど。顔合わせるの久し振りだと思って」

とくに用事があるわけではなかったことは不思議に思うが、確かに一週間ぐらいエミリーの顔を見ていなかったなとフリットは納得する。

ゆっくり歩きながら互いの仕事についての近況を話し合っていれば、向かい側からやって来る銀髪の男に気付いてしまい、フリットは意識しないように努めた。
けれど、女好きであるウルフがエミリーにちょっかいを出さないわけがない。

「よぉ。エミリーちゃんは俺に乗り換えないか?」
「あの、ちゃんはやめてくれませんか?」

乗り換えるとかそんなことをフリットの目の前で言われてエミリーは恥ずかしさが込み上げたが、そこには触れずに言葉を返した。

「おっと、振られたか。マドンナに気に入られるなんて光栄だな、天才君は」

そこでフリットに視線を向けたウルフは、この人は一体何を言っているんだとばかりに理解していないフリットの表情を見てエミリーに同情を抱く。フリットの何処が良いのかは知らないが、エミリーの気持ちが届いていない現状はいっそ哀れだとしか言いようがない。
だから手助けでもしてやろうと、気に食わない相手をからかう気持ちでウルフはエミリーを自分の方に引き寄せる。エミリーが驚いて、フリットもぴくりと眉を動かした。

「俺がエミリーを獲って喰っても良いのかって言ってんだよ」
「貴方はこれから報告に行くんでしょう」

頭に血が上った様子を見せず、疲れたように吐息したフリットはご尤もなことを言うとエミリーの手を取る。

「行こう、エミリー」
「う、うん」

からかうだけだったので、エミリーのことをすんなり放したウルフは妙だなと感じてフリットの背中を少しだけじっと見つめて。いや、ただの勘違いだと思い直して面倒事を済ませるために歩き出した。







ついさっきまでは普通の速度で歩いていたのに、角を曲がったところでフリットが歩く速度を速めたのが引っ張られているエミリーには十分に伝わってくる。自分もフリットに合わせて慌てて足を動かすエミリーは嫉妬してくれたのかと期待してもいたが、少し違うようだと、そう感じた。

医務室まで速度を緩めることなくそのまま扉を潜れば、フリットはエミリーの手を放した。と思えば、そのままその場に蹲(うずくま)ったフリットにエミリーは具合が悪いのかと咄嗟に彼の隣にしゃがみ込む。

「フリット!?」
「……何なんだ」
「え、どうしたの?」
「あの人に振り回されるのはもう嫌だ」

驚いた。エミリーはフリットが弱音を吐いているところなど見たことが無かった。それに、フリットは特定の人物に自分がどのような感情を抱いているか口にすることも滅多にない。フリットは感情の浮き沈みが激しい方ではないから、対人関係も冷静に当たり障り無く線を引いている。
ウルフという人間とフリットの折り合いが悪いことをエミリーも知っているが、此処までとは思わなかった。だから、感じたままに言葉を口にした。

「ウルフさんのこと好きなのね」
「そんなわけ無いだろ」

何を馬鹿なことをとフリットは伏せていた顔を上げて、自分よりも自分のことを理解している幼馴染みの顔に歪んだ表情を向けた。

「だって、ウルフさんみたいな人、今までフリットの周りにいなかったでしょ?」

確かにいなかったが、だからという理由で好きという言葉に結びつく意味が分からなかった。

「フリットはあの人のことが気になってるから、そんなに悩むのよ」
「気になんかしてないよ」

視線を逸らしたフリットにエミリーは本当にそうなの?という視線をずっと向けたまま、フリットからの反応を待っている。

技術職の方が向いていると思っていたが、モビルスーツの操縦技術までフリットはSSクラスの成績を叩き出すほどだった。兄のような存在で師匠でもあるラーガンからは太鼓判を押されてもいる。
知識でも戦闘でもフリットを超えられる人はいないのではないかとエミリーは思っていた。けれど、それを覆したのがウルフという男の存在だった。

その場その場で戦闘スタイルを変えてくるウルフは正攻法で行こうとするフリットにとって強敵に違いなかった。フリットは相手の実力を自分と比べるようなことはしないから、それがウルフと距離を取ろうとする原因ではないだろうとエミリーは憶測する。
だから、やはり。

「…嫌いだとは言わないけど」

目は逸らしたままだったが、エミリーの視線に耐えきれなくなったフリットはぽつりとそれだけを漏らした。
じっくりと考えればウルフ本人に対して嫌悪感はない。そうだと思うとフリットは心の中で頷いた。
エミリーに気にしていると指摘されたのは心外だが、ああいうタイプの人間は自分の周りにいなかったのは確かだった。だから気にしていると見受けられたのだろうか。

「なら、もう少し知ろうと思ってもいいんじゃない?」
「知るって……」
「そんなの自分でやりなさいよ」

それ以上助言はしませんと立ち上がったエミリーに続いてフリットも何時までもこうしているわけにはいかないと立ち上がる。
エミリーは此処まで送ってきたし、自分の役目は終わったようなものだ。フリットは自分の部屋に戻る旨を伝えると医務室から出て行こうとした。

「待って、フリット」

呼び止められて振り返ろうとしたが、エミリーはそのままでとフリットに振り返らないように言う。不可思議に思ったが、フリットはエミリーに言われた通り振り返ることをやめて扉に顔を向けたまま待った。

エミリーはフリットに一歩近づいてその背に触れようと手を伸ばしたが、もう少しで触れそうな距離で手を握り込んだ。駄目だと手を下ろして、力を緩める。

「フリットが帰るべき場所は、フリットが決めるべきよね」

あまりにも小さく呟いたからフリットが聞き返すような声を出したが、エミリーは同じ事を言わなかった。いや、言えなかった。
フリットが帰りたいと思ってくれる、そんな存在になりたいとずっと思っている。たぶん、これからもずっとそう思い続けるんだろうとエミリーは思う。

「ううん、何でもないの。ただ、私もウルフさんは悪い人じゃないと思うわ」

それだけだと、エミリーはもう行ってもいいよとフリットに告げる。
何処か釈然としないフリットだったが、ここで振り返るのはエミリーの意に反する行為になることを心得て医務室を後にした。

扉が音を立ててフリットの背中を閉ざしたのをエミリーは泣きそうな顔で見送った。
気付いてしまった。だから、これで良いんだと、エミリーは弱さがこぼれ落ちた分だけ前に進める自分になれたらと。強く、強く、願った。







戻るべきではないのかと、フリットは何度も立ち止まっていた。それでも振り返らずに進み、また立ち止まることを繰り返していた。
気に掛かっているのがエミリーなのかそうでないのかが、フリットには判断が付かなかったからだ。おそらく、彼女から指摘されていなければ、自分はすでにエミリーのいる医務室に戻っていたし、あの瞬間に振り返っていただろうと思う。

確信を持ちたくなかった。あの人のことを気にしている自分というものに。けれど、それを違うと断言出来ない自分がいる。
模擬戦では自分が苦手な戦い方を一番する相手であるし、性格も似ていない相手だ。好きになれる要素など何一つ無いではないか。
相手のことを考えている時点で気にしているという事実を連想出来ていないフリットはやはり違うと胸の内で言葉にする。

時間を掛けて辿り着いた自室に入れば、ハロがお帰りとばかりに目になっているライトを点滅させる。この歳でまだペットロボットを連れているのは決まりがつかないと作業に必要なとき以外はハロを自室でスリープ状態にさせていることが殆どになってしまっていた。
たまには一緒に連れて歩いてもいいかとフリットはハロの追随機能をオンにする。部屋に閉じこもっていては考え事をぐるぐると繰り返しかねないと、フリットはこれといった当てもなくハロと共に自室を後にした。







バイザーを外して曇りを拭り終えたラーガンはそれを掛け直した。

「相棒にするならお前だよな、やっぱ」
「そう言って頂けるのは光栄ですけどね」

傍らの狼を見遣り、ラーガンは視界が明るくなったと感じると同時に内心首を傾げる。特に用もないのにウルフが自分のところに無駄話をしに来るのは珍しいことではなかったが、どうにも様子がいつもと違う気がすると感じた。
そもそも、フリットに関わる話をウルフと交わしたことは殆ど無い。そうなりそうになるとウルフの空気が重くなるのでラーガンも大人の対応として出来るだけ避けるようにしている。それはフリットにも同じで、彼の前でウルフの話をしないようにも努めていた。

「歳が近いんですから、もう少しお互いに譲歩してくれたら俺も楽なんですけど」

けれど、いつまでも避けてばかりもいられまい。ラーガンも可能ならば二人の間を取り持ちたいと思っているのだから、ついそんな事を口から漏らしても良いはずだ。
ウルフはラーガンの言葉を受けて眉間の皺を増やしたが、次には溜息を零した。

「俺は他の奴に対するのと区別はしとらん。あっちが明らかに嫌そうな顔するんだろ」

まあ、そうですけどとラーガンは頭を掻く。フリットのことを昔から知るラーガンはウルフに対するフリットの態度についても不思議に思っている。

「二人とも初対面からそんなでしたっけ」
「どうだったか覚えとらんな、そんな前のこと」

と、言っている途中でそういえばとウルフは思い出す。

「そういや、俺がデータを持ち出したからとか言ってたか」

突然独り言を呟くウルフにラーガンは何のことだと首を傾げるが、データを持ち出したという言葉からウルフがガンダムのデータをマッドーナ工房に渡して新型を発注した経緯を思い出した。
そこまで遡れば確かにフリットがウルフを意識して避けるようになっていると見受けられたのはその前後くらいだったかもしれない。

自分が何年も費やして手掛けてきた設計図を断りもなく勝手に持ち出されたのだから、そこに関してはラーガンはフリットに同情する。けれど、それだけで頑なに誰かを拒否するような性格ではないと知ってもいるのだ。
間違っていることを聞き受けるくらいの素直さをフリットは持っているが、自分がこうだと決めたことは曲げたくないという完璧主義なところが見られる。これはラーガンの見解でしかないが、フリットはウルフへの疑心暗鬼をずるずると長引かせてしまったせいで引くに引けない状況になっているのではないか。
そう思えば納得いかなかった部分にも頷けると、ラーガンは今更になってフリットとの関係に意識を向け始めたウルフが戯れか本能かいずれにしてもそこに気付き始めていることを感じ取る。

「貴方が歩み寄ろうとしてくれてるならいいんですけど」
「いや、歩み寄るっていうか…変だと思っただけだ」
「変とは、何がです?」
「それが分からないから此処に来たんだろ」
「はぁ…」

自分を当てにして来たらしいが、ウルフが言う「変」は解決されていないようだとラーガンは不確かな返事を返した。そのまま手前のボトルを持ち上げれば中身の液体の重さが感じられなかった。

「あ、空ですね。新しいの飲みますか?」
「そうだな……」

逡巡する素振りを見せるウルフに自分はそろそろお開きでも良かったが、もう少しくらいなら付き合えると酔い具合を分析しながらラーガンは返答を待っている。

「いや、今日はこのくらいにしとく」

それにラーガンは頷いてボトルを元の位置に置いた。ご馳走さんと席を外してウルフはラーガンの部屋から出て行くが、開いた扉の前で不自然に立ち止まる。
ラーガンがどうかしたかと近づけば、ウルフの目の前にフリットがいた。ウルフに続いてフリットまで自分のところに訪ねに来るとは。実はこの二人似ているのではないかと本人達に言ったら同時に否定の言葉が返ってきそうなことを思った。
さて、どうするのかとラーガンは見守ることに徹すれば、ウルフが最初に動いた。

「丁度良い、俺の部屋に来いフリット」
「は!?」

今日は何でこの人と顔を合わせることが多いのかと不運に顔を歪ませていたフリットはウルフの突然の申し出に素っ頓狂とも言える声を出した。ラーガンもウルフの台詞には驚いている。
しかし、二人の様子には目もくれず、ウルフは自分のペースのままフリットの首根っこを掴んで引き摺っていく。フリットが抵抗を見せれば、腕を掴むなりしてウルフは動きを封じる。

そんな恰好な二人の攻防を見えなくなるまで見送ったラーガンは間に入るべきだったかもしれないと、次に彼らと顔を合わせたときに思うことになるとは思わず、珍しくフリットの側にいるハロが転がっているのを視界の片隅で確認してから部屋に戻った。







「本当に何なんですかッ!?貴方は!」

ウルフの部屋の前で大声を出してやっとウルフの手を振り払えたフリットは目の前の男を睨み付ける。

「それはこっちの台詞だ。だから部屋に入れ」

やはりこの男の言葉は理解に苦しむとフリットは眉を歪める。接続詞は貴方のためにある品詞じゃないと言えればいっそ楽だが、通じないだろうし、むしろお前の頭は大丈夫かと返されそうだ。
関わり合いたくないと顔ごと視線を逸らしたフリットに何を思ったのか、ウルフは肩で吐息する。

「遠慮するような仲じゃないだろ。いいから、入れ」

そう言って扉のロックを解除して自室に入っていく背中に対して遠慮はしたことはないが、それとこれとは違うはずだとフリットは思う。
それでも、引き返さずにウルフの後に続いて部屋に足を踏み入れたのは気紛れだったのか。本人すらも自分の行動を不可思議に思う感覚が何処かにあった。

予想通り必要以上の物が見当たらない質素な部屋だが、多少は散らかっているのではないかという憶測は外れていた。男の一人暮らしなら衣服がベッドの上や床にほっぽり出されていても普通であるし、ウルフもそうなのではないかと思ったが案外几帳面らしい。
物色するように見るわけにもいかず、一瞥程度で内装を見終えたフリットはウルフが振り返る気配に其方を見遣った。
不機嫌そうなウルフの顔を見慣れているフリットには、今のウルフの表情は読み取りづらくて自分は無表情を貫く。

相手が口を開かないのでフリットも沈黙を守れば、ウルフが一歩近づいてきた。その分後ろに下がるようなことはせずに、じっとウルフを見上げたままフリットは相手の出方を測っている。
左肩を掴まれたフリットは臨戦態勢を取れるように警戒に顎を下げた。

「ヤってもいいか?」

けれど、ウルフの言葉にフリットは驚きに目を瞠って狼狽えるように後ずさる。特に疑問も持たずにウルフに着いてきたが、今ここは寝室だ。
流石に今の台詞は殺意から出たものではないだろうし、ウルフから殺気は感じない。
近づいてくるウルフに壁際に追いやられてしまったフリットは訳が分からず混乱したまま言う。

「あのッ、私は女性ではありませんが」
「分かってる」

ウルフは女性に不自由しているどころか狙った女性は確実にお持ち帰りしているというのは男社会の軍にいればフリットの耳にも入ってくる。それに生粋の女好きだと自他共に認めているような人ではなかったか。
考えがまとまっておらず、抵抗がままならなかったフリットはウルフに掴まれてシーツの上に背中から落とされた。

「ウルフさん!ま、待ってください!」

そういえば、こいつは此方のことを階級で呼ぶことが少なかったなと思ったが、それは知り合って間もない頃に話したからだ。レーサーであった自分がまだ抜けきっていなくて階級で呼ばれるのが慣れないとフリットに漏らした覚えがある。その時のフリットからの返答が「ウルフさんの方がいいですか?」というもので、自分は「それでもいいか」とそんなようなことを言った気がする。
他の誰に対するものよりも線を何本も引かれているはずなのに、そういうところだけは律儀に守り続けている。変だと感じたのは此処だろうかと思い、ウルフは両肘を使って背中を起こそうとしたフリットに覆い被さってその両肩を掴んでシーツに戻す。

「待たない」

目が本気だった。冗談ではないという事実にフリットは青ざめる。

「ヤってもいいのか、駄目なのかどっちだ」

待たないと言ったから、すっかり自分の意思は無視されるものだとばかり思っていたフリットは間抜けな顔を晒してしまう。
待たないというのは今この場で、この瞬間に答えを出せということだったらしい。この人の思考回路が理解出来る日は来るのだろうかと途方もない悩みが顔を出したが、今はそちらに気を向けているべきではない。このまま何も言わなかったらウルフが行動を起こす可能性が高いのだから。

「駄目です」
「だよな」

そりゃそうだと、冗談だったかのようにフリットから手を放してベッドの縁に座り込むウルフに自分勝手な人だと呆気にとられたフリットは自分ばかりが焦っていたようで苦虫を潰したような気分を味わう。
このまま部屋を出て行くことも出来たが、フリットはウルフの隣に距離を空けて腰を落ち着かせる。

「そこまで嫌う理由は他にもあるのか?」

沈黙が続いていたが、ふと突然そう口にしたウルフにフリットは顔を向けた。けれど、ウルフはフリットに視線を向けるでもなく、天井を仰いでいた。

「それは…」

データを勝手に持ち出されたのは確かに切っ掛けであった。それ以降、ウルフの言動が気に障って仕様がなくなったのだ。だから他にも理由があると言えばあるし、ないと言えばない。切っ掛けが主軸となってしまっているからであり、フリットはどう返すべきかと言葉を濁す。

「じゃあ、俺の何が気に入らない」

言葉を探ったままのフリットに畳み掛けて尋ね、ウルフはやっとフリットに顔を向けた。
それを間近で受けてフリットはつい口を出してしまった。

「顔」
「………世の女達が好むこの顔にケチつけるってか、お前は」

貴方が訊いてきたから返しただけじゃないかと、だから文句を言われる筋合いはないはずでその顔を見ているのが嫌だとばかりにフリットは視線を逸らした。
けれど、本当は間近でずっと見ていられるほど慣れていないからだ。いつも避けるようにしているのだから尤もなことであるが、フリットはウルフの顔が嫌いというわけではなく、苦手であった。
蒼い瞳を持つ人は多いが、フリットの知る中で褐色の肌にその色の瞳を持っているのはウルフだけだった。だから余計に慣れないのである。どうにも落ち着かなくて。

「俺はお前の顔、嫌いじゃないんだがな」

その言葉が信じられなくて、フリットは再びウルフと視線を交わす。
少し驚いた様子のフリットに餓鬼っぽいなとウルフは小さく笑った。この時ばかりはその笑いに嫌悪を抱かなかったフリットは自分の異変に気付かないまま、彼の表情の行く先を見守っていた。

ウルフは笑いを引っ込めるとグローブを歯で噛み咥えて手から外す。素手になった右手をフリットの左頬に触れさせた。
抵抗しないフリットにおやと疑問がやんわりと胸中に顔を出したが、都合が良いとウルフは顔を近づけた。

「私の疑問にも答えてもらいたいのですが」

ぴたりと動きを止めたウルフはフリットの言葉の先を施すように顎をしゃくった。

「抱こうとしたのは、その、本気だったんですか?」

自分の頬に触れている掌は焦げつくように熱い。だが、それはフリット本人の熱さだったのかもしれない。
その熱を実感したら余計に「ヤってもいいか?」と訊いてきたウルフの言葉が頭から離れなくなってしまった。

フリットは何も言わないウルフに、ああそうかと彼が咥えているグローブを口から外してやる。
グローブをフリットに取られ、ウルフは口実を奪われたなと吐息した。瞬間、唇をフリットのそれに重ねた。
不意を突かれたフリットは目を見開いてウルフを引き剥がそうとした。けれど、息苦しさに目を閉じ、最大限の力も出なくなる。

「これが答えだ」

重なりを荒々しく解いたウルフが勝ち誇ったように言うのに対してフリットは苦い顔をした。

「酒臭い」

酔っ払いがと悪態を込めて低く言ったが、フリットは目を開いたことを後悔する。あまりにも真摯な表情で自分を見つめてくるウルフがいたからだ。息を呑むフリットはその場から動けなくなる。

「やっぱ、お前の顔好きかもしれん」

いつもは意志の強い瞳が、先程の行為で濡れていた。少しどころかだいぶ来るものがあり、刺激としては十分にウルフの衝動を掻き乱した。
気に食わないとばかり思っていた相手に不思議なことだが、ウルフはやっと納得がいっていた。
男とヤりたいと思ったことなどあるわけがない。さっきも何で自分があんなことを言ってフリットを押し倒したのか分からなかったくらいなのだから。だが、今はそれが手に取るように分かる。

敵を倒すことに執念を燃やすフリットに危うさをずっと感じていた。気に掛かっていたのだ。けれど、毛嫌いするような態度を取られるようになったのが気に食わなかった。
結果、相手に合わせて自分もフリットに対して嫌うような態度を取った。あまりにも餓鬼っぽい考えだったことに気付いてウルフは自分自身に呆れる。だが、吹っ切れればどうということでもない。
あの時妙だと思ったのもフリットに対してではなく、自分に対してそう思ったのだ。そこを勘違いしていたから「変」だと感じたのだろう。
けれど、フリットと今の関係になる前のことを思い出せば、やはりフリットにも変だと感じる部分はある。それが今、掴めそうで掴めない。

「フリット」

名を呼ばれて反応を返すフリットの額に自分のそれをやんわりと押しつける。
服の上からまさぐってくる手はこういう場面で人間の弱い部分を知り尽くしている。そんな相手に敵う術を何一つ知らないフリットは、このままではと焦る自分とウルフの知らなかった顔をもう少しと執心する自分とで胸中がせめぎ合っていた。

此方の背中を落ち着かせるように撫でてくる手に身を委ねそうになったフリットは視界の隅に黄緑色のロボットがころころと転がってくるのを見止める。そこで我に返ったフリットは渾身の力でウルフを突き放した。
相手が吹っ飛ぶくらいの力があればと思ったが、引き剥がせただけでも今は良しとしようと、フリットは立ち上がる。

「私も貴方もどうかしてたんです。ここで失礼させて頂きますから」

眉を立ててそう言いはしたが、恥ずかしそうな素振りはいつものフリットらしからぬ態度であった。それに気付いたのか、ウルフが何かを言う前にとフリットはハロを抱えて部屋から出て行った。







ラーガンは今までよりも距離の開いたウルフとフリットを見て溜息を吐く。だが、その溜息はあの関係は修復出来なかったという諦めのものではなく、何とも言い表しにくい感情から来るものであった。
フリットがウルフを意識しすぎなのだ。ウルフが近づこうものなら顔を赤くして逃げるし、話し掛けられれば狼狽えるしと反応が邪険にしていた時と百八十度違う。

貴方は一体何をしでかしたんだと隣のウルフを見遣ったが、ウルフの視線は此方に向けられることなく、フリットに向けられていた。





























◆後書き◆

同じ歳ぐらいだったらウルフさんとフリットはアニメみたいな関係にはなってなかったんだろうなと思ったところから生まれました。
時間軸的にはフリット(少年)編でフリットやエミリーが22歳に繰り上がってる感じです。
仲の悪い二人を書くのは楽しかったですが、やはりウルフさんとフリットはあの年齢差あればこそですな!と再確認しました。

sengen=焦がす

更新日:2012/10/15








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