◆Modern◆









宇宙にある連邦基地は瞬く星に囲まれながら静かに佇んでいた。
ヴェイガンとの戦闘を終えたアスノ隊のメンバーは一人も欠けることなく無事に基地に辿り着いていた。機体は無事とまではいかなかったが、それを差し引いても戦果は大きい。

上官に報告を終えたフリットは自室に向かっていた。だが、見覚えのある顔が向かい側からやってくるのを目にして自覚無く歩む足が少しだけ速度を増した。

「よお、元気そうだな」
「大尉も相変わらずですね」

身長差が前よりも短くなったことにフリットは安堵しつつ、背中を遠慮のない力で叩きながら挨拶してくるウルフに苦笑を返す。

「お前も隊長やってるんだってな」
「……まぁ」

感情がわりと表情に出やすいフリットにウルフはやっぱりなと頬を掻く。
頭の回転が速すぎるフリットは最善よりも効率を重視する傾向がある。若いが故に取捨選択にも少なからず正確さが欠けているところがあるだろう。
この歳ならぶつかるのが当たり前の時期だが、焦りから真正面から受け止めて時間を喰われたくないというのがフリットの本音だろうなとウルフは思う。

「久し振りだし、少し話すか?」
「はい」

それほど考える素振りを見せずに頷いたフリットにウルフは相変わらず俺に対して警戒心が無いと目を細める。

何処に向かうとも互いに口にはせず、通路を進みながらフリットは近況を語るウルフに耳を傾けていた。
部下を立てなくなるまで訓練させては転がる身体を蹴り飛ばしたりしていると言うウルフに呆れた表情を向ける。
けれど、一人一人の名をあげて彼奴は一点に集中しすぎだとか、ペダルの踏み込みが甘いだと言うその声は楽しそうであった。誰一人としてウルフから離れていく部下がいないことが窺い知れる。

「で、お前の方はどうだ?」
「…この間、転属届けを二人分出されました」

歩幅が次第に小さくなり、立ち止まったフリットを三歩先の位置からウルフは振り返る。窓越しに暗い宇宙に目を向ける横顔の輪郭はもう子供ではなかった。

「転属された原因は分かってるのか?」
「なんと、なく…ですけど」

深淵の宇宙から視線をウルフに移し、また視線を深淵に戻したフリットにウルフは三歩の距離を詰める。
まだ身長が自分に届いていないその頭に手を乗せ、独特の癖がある髪をくしゃりと撫でる。昔も少し嫌がる素振りがあり、最近では絶対に払いのけられるのだが、今日ばかりは違った。為すがままというより、動く気がないのだ。

「フリット、お前は自分のやり方が悪かったって思ってるか?本心から」
「いいえ」

即答にウルフは苦笑する。フリットがやろうとしていることをウルフは止めるつもりはない。時に真っ直ぐすぎて危ういと感じることはあり、時折指摘してやることもあったが、それもフリット自身の考えをひっくり返そうというわけではなかった。
彼に見る角度を少し変えてみろと手解きしてやったにすぎない。

自分が意図した考えに行き着かなくてもいい。ただ、フリットがフリットなりの考えを持ちさえすればいいのだと。
我ながら構い過ぎだとは思うが、甘え方を知らないフリットを見ているとどうにかしてやりたいという衝動が顔を出すのだ。

「なら、そのままで良いさ」

フリットの頭から手を放してウルフは軽い調子で言ったが、フリットはその軽さに頷くことが出来ない。

「けど…私は、上に立つに相応しくないんじゃないかって」
「そういう見誤りをしているから、部下が離れていくんだろ」
「何か間違っていることしてますか?」
「間違ってはいない。フリット、お前は集団生活っての苦手だろ」

言われ、スクールに通っていた時のことを思い出す。確かに交友関係は無いに等しかったし、周りからは嫌煙されてばかりだった。
だから、自分から進んで馴染もうともせず、淡々とした学園生活を送っていた自覚はフリットにもある。
過去を振り返るフリットにウルフは肩を竦めて苦笑する。

「餓鬼の頃に馬鹿やっといた方が大人になってから楽なんだがな」

楽というのは周囲との距離感を見極める感覚のことだ。人間には個という全体として計れない自我が存在する。
フリットには全体を見る目が備わっているが、それが一対一になると話は別だった。
モビルスーツ部隊を動かすことは出来ても、それに乗っているのは人だ。不満を抱く感情があり、文句を言う口がある。

ウルフもレーサーをしていた頃から誰かと衝突することなんてざらであった。乱闘騒ぎも一つや二つではない。
自分は拳なり暴力的な手段を使ってきたが、フリットはそういうことを行使出来ないだろうし、同じことをしろと強制するつもりはない。だから、これも独り言のようなものだった。

「思い通りにならないように世界は出来てる」

過去から目を離し、フリットはウルフを仰ぎ見た。視線がかち合うと、フリットはウルフから視線を外す。

今の反応は何だとウルフは内心で首を傾げた。沈黙の空気も何かいつもと違う気がしてウルフは掛け間違えたものを直すようにフリットの頭を撫でようとする。だが、その手は目的の場所に届く前に払いのけられた。
それはいつも通りの反応のはずなのに、やはり何かが違うとウルフは払われた自分の手に視線を落とす。

「…フリット」
「そのままやられると結構痛いんですよ」

ウルフの言葉に耳を貸す気はないとばかりにフリットは再び歩き始め、ウルフは何なんだと感じながらもフリットの後を追う。
フリットの行動に振り回されてやるほど自分は若くないが、少なからず苛立ちを覚えて先に行くフリットの肩を掴む。立ち止まったフリットはウルフをはっきりと振り返りきらない。
少し横を向いただけのフリットの表情はウルフから見えなかった。

「何が気に入らんのか知らないが、勝手に距離を取るな」
「……」
「言わないと分からないぞ」

物事に関してフリットははっきりと口にする方だが、自分の胸にある支(つっか)えはなかなか嘔吐しない。ただ、此方から尋ねているのにも関わらず口を閉ざしたままというのは稀だった。
微動だにしないフリットに埒があかないと、ウルフはフリットの両肩を掴んで自分の方を向かせた。
フリットの名を呼んでも彼は俯いたままだが、その場から動こうとはしないことをウルフは不可思議に思う。嫌ならばウルフを振り切ることくらいフリットには容易いにも関わらず。

「一体どうした」

返事は無く、溜め込む必要はないとフリットの頭を撫でようとウルフは右手をあげる。けれど、その手を自分の方に戻して左手で右手のグローブを外した。
素手でフリットの頭を撫でれば、柔らかな髪が逆に此方の皮膚を撫でてくるようでもあった。俺もこっちの方が好きだなとウルフが思ったと同時にフリットが顔を上げた。

その表情に心臓が強く脈打つ。

胸の中にあった苛立ちさえ忘れて面食らったウルフはその場から走り去っていくフリットを追いかけられず、右手に残る感触を握りしめた。







ブレイクルームに先客として居座っていたウルフが片手をあげて挨拶を寄越してきたことにフリットは苦笑で応える。
ウルフの隣に腰を落ち着かせたフリットは先程は引き連れていなかったハロを三人掛用のソファの前にあるテーブルに乗せると、PCモードに切り替えてAGEデバイスとコネクターで繋ぐ。接続完了の画面が表示されるとフリットはハロに触れて操作し始めた。

少しばかり背中を丸めている横顔にいつも通りだなとウルフはコーヒーを飲み終えたカップを別の手近なテーブルに置いた。

「フリット。お前さ、猥談付き合えるか?」
「突然ですね」

作業の手を止めて苦い顔をするフリットに駄目かと、ウルフは天井を仰いでから空になったカップに目を向ける。
此奴いくつになったんだっけと思考を巡らせて二十二という答えに普通なら喜んで食い付いてくる話題のはずだとウルフは思う。けれど、フリットがそういう話をしている姿が想像出来なくて此奴らしいという結論に至った。

「最近相手がいなくてなぁ」
「話に付き合うとは言ってませんが」

独り言だから聞いてくれるだけでいいと手をひらひらさせるウルフにフリットは溜息を吐く。けれど、キーボードをたたき始める音はその場に留まってウルフの話を聞いてやってもいいという表れだった。
そういうところは律儀だよなとウルフは感じながら話を続ける。

「三十過ぎてからだな。こっちから声掛けても引っ掛からない」
「…髪、縛ったらどうですか?」

会話の相手までしてくれるとは思っていなかったウルフは此方を見ずに画面に目を落としたままのフリットの言葉をそのまま受け取るも、意味に気付くのに少し時間が掛かった。
ウルフは自分の髪に手を伸ばす。少し前までは髪型のセットに拘っていたが、最近は面倒になってそのまま無造作に髪を伸ばしているだけになっている。

「不摂生に見えますよ、それ」
「ああ、成る程」

一理あるとウルフは納得した。片手を後ろ手に髪をまとめてみたウルフは鏡が無いのでフリットに尋ねる。

「どう思う?」
「私に意見を求めないで下さい」
「お前が縛ってみろって言ったんだろ」

自分は女性ではないからウルフが求めている見た目の評価は出来ないという意味でフリットは言ったのだが、ウルフには伝わらなかったようだった。
ウルフは自分の髪から一度手を放し、ほぐされた髪をがしがしと無造作に掻いた。フリットはそれを見て、自分としてはそうしている方がウルフらしいと思う。
ぼんやりと見つめ続けていればウルフがその視線に気付かないわけはなかった。

「なぁ、フリット」

ずいっと身体ごと顔を寄せてきたウルフにフリットはハロから手を離して僅かに仰け反る。ウルフの両手がフリットの肩を掴み、捉える。

「飢えてんだよ」
「私は貴方の生理現象を処理する道具じゃありません」

無表情にそう言い返すフリットをソファにそのまま押し倒した。尚も表情を崩さないフリットにウルフは勘違いなわけないよなと確信を持ってフリットの口を自分のそれで塞いだ。

口を硬く閉じたりせず、此方の思うように舌の進入を許すフリットに何も思わなくないが、ウルフは遠慮もせずに口内を探っていく。一通り掻き乱した後、ねっとりという速度で触れ合っていた唇を離してフリットの顔を間近に見る。
あの時、素手で髪に触れた時と同じ顔だった。

フリットはウルフの胸板を押しながら身を起こし、距離を作る。俯いた顔に表情が見えなくなった。

「昔と同じ悪戯ならやめて下さい」
「やめろと言うなら、なんで抵抗しなかった」
「思い通りにならないって言ったのは、貴方じゃないか」

誰かの思い通りにならないように出来ているのが世界なら、フリットは自分が成し遂げようとしていることも、ウルフに対する自分でも理解出来ていないこの感情も、いずれ捨てることになるのではないかと思った。
抵抗しなかったのは、ウルフの思い通りにさせただけだ。思い通りに出来ることもあるという証明が欲しかったから。
けれど、違うと、自分はそれを望んでいたかもしれないのにウルフを引き剥がした。

「そうだな。思い通りにならない」
「ッ…!」

ウルフは強い力でフリットを再びソファに押し倒す。フリットは反射的にウルフを仰ぎ見て、驚く表情のウルフを確認する。だが、すぐに目をすっと細めて表情を変えた狼の顔に身体が言うことを聞かなくなった。

「大尉、嫌だ…僕は」

まだ自分のことを「私」と言い換え切れていなかったことを知り、ウルフは悪くないともう一度同じところに唇を寄せる。

硬く目を閉じて事が過ぎ去るのを待ったフリットは、ウルフが顔を遠ざけて互いの表情が見て取れる距離になったところで視線を逸らした。だが、次にはウルフを睨み付けて真正面から向かい合う。
フリットのプライドの表れに此奴と自分はやはり似ているとウルフは今一度思い、睨み返した。顎を引いたフリットに弱肉強食の世界は本能的に感じていることが見て取れる。

同じ男に良いようにされて思い通りにならないことを身をもって知れば、フリットはもう自分にあんな顔を向けることはなくなる。
ウルフはそう考えてフリットに牙を向けた。

一番無防備になっている喉元を甘噛みすれば、フリットは身体を硬くして頑なに震える瞼を閉じ続けた。

「お前は感じることだけ考えてれば良いんだ、フリット」

けれど、暴力を振るう相手にウルフは優しさを見せた。そんなことをすれば、フリットが余計に想いを募らせることを知りもせず。
明らかな意図を持って触れてくるウルフの手に構わず、フリットは目をうっすらと開けて銀髪の合間を練って褐色の頬に手を伸ばした。

触れられ、ウルフは戸惑いを含んで彼の名を小さく呼んだ。フリットはまた、あの顔をする。

「ウルフ、さん」

その顔で名を呼ばれてしまったら、無理矢理やれなくなるだろとウルフは眉間の皺を深くする。頬に触れるフリットの手首を掴んでゆっくりと引き剥がした。
フリットの顔をまともに見ることも出来なくて、ウルフはフリットの胸に顔を埋めた。
膨らみも無ければ柔らかくもない感触に此奴は女じゃないとはっきりしている。そんなことは確認せずとも分かりきったことだ。だから、一方的にしても構いはしない。
そう思った、はずだ。
遊びの延長線ならば、未来を潰すことにはならないだろうから、と。

ウルフはフリットの上から身を退かして、コーヒーカップを手に席を立とうとした。けれど、背中を起こしたフリットにそれを止められる。
カップに手は届くことなく、その腕はフリットに掴まれている。

「お前も飲むか?」
「何で、はぐらかすんですか」

吐息したウルフははぐらかされてくれないフリットを見下ろした。前髪で目元が隠れているだけでその表情は読みづらくなる。

フリットは何も言わなくなったウルフの胸板にぽすりと自分の額を押しつけた。
ウルフは不真面目そうに見えるが、間違ったことだけはしない人だとフリットは知っている。だから、あのまま続けることを止めたウルフにフリットは言いようのない不安を抱いた。

どうしてなんだと胸の内で呟けば、頭に触れる優しい感触にフリットは僅かに身体を震わせる。グローブは外してくれたらしいと目を細め、閉じた。

「フリット、こういう形は違う。お前にはもっと、」
「それなら、仕切り直して下さい」

ウルフが言い終える前にフリットは畳み掛けた。フリットを撫でる手を止め、此方の胸から顔を上げたフリットをウルフは間近にする。

「もう一度、最初から」

そう言って、顔を近づけてくるフリットにウルフは胸の奥で悪態を吐く。お互いに後戻り出来なくなるのは目に見えているからだ。
そして、一時の気の迷いで済まない自分自身にウルフは最初から気付いていた。
だが、次には口付ける勢いのままフリットを押し倒していた。先程のとは違い、互いの中を乱し合いながら深く絡め合う。

時折漏れる吐息すら貪り終えたウルフが顔を僅かに離せば、フリットは胸を上下させて息を上がらせていた。

「下手くそ」

口元に笑みを乗せて余裕ある声音で言えば、フリットは不満そうに眉を立ててウルフを睨み返した。
誰かの思い通りに出来る世界も無ければ、誰かを思い通りに出来る人間もいない。

苦笑を返してくるウルフに子供扱いされているとフリットは感じる。ウルフにとって自分はまだ十四の頃のままだということが気に食わなくて、彼の方に手を伸ばし、首に腕を回した。
触れ合えれば、この色のない縹渺(ひょうびょう)たる世界もモダンな色彩を見せ始めると信じて。





























◆後書き◆

この後、休憩室のドアを開けた部下達に目撃されて(タイトルバーの会話はここ)、次の日からフリットは部下から腫れ物に触るような扱いを受けたり。

私が思うBLとしてのウルフリの基本イメージは「弱肉強食かつ共食い」かと。
ウルフリはいつもにょたばかり書いてましたが、BLもやっぱり好きだなぁと。
14歳だと大丈夫かしら?という不安が常に顔を出すんですが、22歳だと掘りやすいし色気増すしとホイホイ要素が増えてまんまと引っ掛かりました。

modern=モダン、近代的、機能的

更新日:2012/08/25








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