◆ASKLEPIOS◆









都内の大学病院で研修医として医療を学びながら働き始めていた刹那という名の青年は今年で二十一という歳になる。

彼は新人らしく頼まれた雑用を片付けている最中であり、今日は成功率の低い手術になるからと研修医は全員追い出されて殆ど人が出払う時間を有効活用させるべく医師達の待機室などを各自分かれて丁寧に掃除することを課せられていた。
今日のオペは『神(Asklepios)の手』と称される程有名な医師がメインで行うと聞いていたこともあり、研修医としては手術室から隔離された場所からの見学でも良いからその手腕を見てみたいものであった。

しかし、三ヶ月前に入ってきたばかりの新人にはまだ早いと言われて納得は出来なかったものの口答えはせず掃除の任務に頷いたのだ。
隣に立って同じ任務を与えられた沙慈は明かに落胆の色を見せており、刹那も表情は変わらないものの彼と同じような心境ではあった。

そんな心境を引きずったまま刹那は内科の医師専用の第三待機室の掃除を進め、最後の仕上げに粗方雑巾拭きを終わらせるとこれで終わりだろうかと周囲を見渡せば、奥に続く扉があることに気付いた。

ドアノブには『休憩中』と大きく書かれたボードがぶら下げられており、その大きな字の横隅には『入ったら狙い撃つ!』と中ぐらいの大きさで添えられていた。
余談だが、丸い愛らしい物体の落書きもそのボードには描かれており、それがハロという名前だと刹那は数日後に知ることになる。

刹那はそのボードを間近で見つめた後、今は医師が皆出払っている時間だ。緊急の連絡はあるかもしれないと第一待機室には数人の医師が残っているはずではあるが、この第三待機室には誰にもいないはず。
自分は掃除の任務を遂行中だ。

刹那はノックもせずにドアノブを回して鍵の掛かっていなかった扉を開けた。
パッと部屋の中を見渡したがソファに白衣が引っかかっているだけで誰も居ないみたいだなと刹那は手にしていた雑巾を引っかけている水の入った青いバケツを一旦床に置いて換気しようと窓に近付こうとしたのだが、何かに足を引っかけて踏鞴を踏む。

バケツを持っていなくて良かったと安堵と同時に邪魔になるところに何を置いたんだと不機嫌気味に振り返れば刹那は僅かに目を見開いた。
視界に入ってきたのは、入り口からではソファの背もたれでソファに横になっている男は死角に入っていたらしく、刹那はソファからはみ出ていた男の足に自分の臑(すね)をぶつけたようだった。

別に激しい痛みは無いのだが、少なからず鈍い痛みを伴っている刹那はぶつかったことなど無かったことのようにすやすやと眠り続けている男に眉を歪める。
この部屋はこのブラウンの髪をした男に与えられている部屋だとは思うが、掃除の邪魔であるし起こして追い出そうと刹那は男に近寄って男の肩に手を置いて揺すった。

「おい、掃除の邪魔だ。起きろ」

「んー。もう少し」

「甘えるな。さっさと起きろよ、あんた」

「…だからもう少し寝かせてくれって」

掠れた声は明らかに覚醒している声ではなく更に覇気も無い。
刹那はこの部屋は掃除しなくてもいいかと思い男の肩から手を離したのだが、その手を男に掴まれてしまった。

「ッ何、を?」

寝ているはずなのに思いのほか男の手は力強く、気を抜いていた刹那は身体を傾けさせられる。
抵抗する前に刹那の身体は男の腕の中に収まってしまい、抱き枕にされていると気付いた時にはぎゅっと抱き締められていた。

脱出しようと試みるもののなかなか腕から抜け出せず、男の耳元で叫んでやれば起きるだろうかと男の顔を間近で見れば刹那は瞬きを繰り返す。
瞼は閉じられているが、近くで見れば男の顔が整いすぎているほど綺麗なのが良く判り、刹那は自分と違う肌の色を不思議そうに見つめた。

「ん」

「へ?」

男は肩まで届く髪を刹那の頬に触れさせながら自分の顔を刹那の肩口に擦り寄らせる仕草をした。
流石にこれは何なんだと刹那は焦りを覚えて藻掻き始めるが、男の手が自分の尻を撫でた感触に身体を硬直させれば顔に熱が溜まってくるのを自覚する。

誰かと間違えているなら自分にも失礼だが、その誰かにも失礼だろうと男を蹴り上げようと力を入れるも、男の手は自分の尻から太股の内側の際どいところに触れてきたことで刹那は肩を跳ね上げた。
触れるだけでは飽きたらず撫で上げられると無意識に身体が震えてしまい、刹那は漏らしてしまいそうな声を咄嗟に手の甲で抑える。

空いている片手で男の肩を押して引き剥がそうとしたが、男が何事かを呟いたことで刹那は引き剥がすことに失敗した。

「…せつ、な」

「ッ、何で…名前」

を知っているのだと、刹那は顔も頭も殆ど見えない男のブラウンの髪先を見つめる。
刹那の記憶にこの男の面影は無い、ならば女性の名前だろうかという考えが浮かぶ。セツナという名前が自分以外にも当てはまる可能性は大いに有るのだから。

俺はお前の『セツナ』じゃないと、刹那はもう一度男を押しのけようとしたが、また同じようなタイミングで男は別の名を呟いた。

「ソラン…」

「!」

違う。この男は人違いをしていない。
正しく『刹那』を呼んでいる。だが、刹那はやはり男を知らなかった。

ただ、知らないはずなのにこの状況で嫌悪感を抱いていない自分を非道く不格好に思うばかりだ。

そしていつの間にか大人しくなった刹那に男は寝言さえ言わなくなり、安定した呼吸だけが室内に残る。
揺蕩(たゆた)う感情は微睡(まどろ)みに変化していき、刹那もまた意識を眠りへと落ち着けようとした瞬間だった。

「ストラトス先生!オペの時間はもう始まってるのよ!」

女性の声はこの病院の婦長を務めるスメラギであり、彼女は青い三本線が入ったナースキャップを大きくウェーブを描く頭に身に着けていた。

「今回のオペはストラトス先生じゃないと成功しないって言われてるんだから、さぼりなんて許さな、い…か……ら?」

スメラギはいつものようにソファで寝転けている医師を呼びに来たのだが、予想外の状況に言葉尻をすぼめてしまった。
『神の手』と言われるほどの手腕を持ったロックオン・ストラトスという名の医師がいつものようにソファで寝ていたことに関しては予想通りだ。

だが、ロックオンが研修医の制服を着ている誰かを押し倒しているようにしか見えない状況は流石のスメラギでも絶句してしまう。
しかもロックオンが押し倒している刹那と目を合わせてしまったスメラギは彼の目が僅かに湿っていることから刹那が襲われていると思い、ロックオンの頭に手刀を落とした。

「痛っ〜〜〜」

がばりと飛び起きたロックオンは攻撃してきたスメラギを恨みがましく振り返ったが、スメラギはいつもなら苦笑しているはずなのに今日は微笑んでいた。
何かが可笑しいとそこで気付いたロックオンはスメラギが指差す先、自分の眼下を見下ろした。

自分の足の間にいるのは意志の強そうな瞳をした黒髪の青年で、左胸にある名札には『刹那・F・セイエイ』と印字されている。
ロックオンが固まっている刹那に手を伸ばそうとしたところで部屋の扉をノックする音があり誰も入室を許可する言葉を口にしなかった為に扉は遠慮がちにゆっくりと開かれ、人の良さそうな顔をした青年が顔を覗かせた。

「あ、あの。ここに研修医の刹那いませんか?」

扉から顔を覗かせたのは沙慈であり、彼からは立っているスメラギとソファの上で膝立ちになっているロックオンの二人しか見えていないようだった。
刹那は逃げ出すなら今しかなさそうだとロックオンから離れるとソファから抜け出して沙慈の背後に回る。

「え?刹那、いたの?」

ソファから自分のところへ向かってきたのは見ていたから分かるのだが、どうしてロックオンの下敷きになるような位置にいたのかの把握が出来なかった沙慈は刹那を振り返り問い掛ければ。

「尻、触られた」

「えぇ?」

刹那の発言に驚いたように沙慈はロックオンを振り返り、スメラギからも痛い視線を感じたロックオンは首を横に振ろうとしたが、グローブをしている手は何かの感触を覚えているようで乾いた笑いが漏れた。

「ストラトス先生、オペの前にちょっと」

にっこりと笑顔を浮かべるスメラギはロックオンの首根っこと白衣を掴んで沙慈と刹那の横を通り過ぎながら。

「騒がしくてごめんなさいね。ストラトス先生にはよく効くお灸すえておくから」

そして去っていく背中を沙慈は生返事で見送っていたが、思い出したように「あ」と声を漏らしたことで刹那は何だと沙慈の顔を見つめた。

「せ、刹那!ストラトス先生って言ったら!!」

「……」

あの痴漢医師が『神の手』だと気付き、刹那は思った。












この病院に神なんていない。
































『ASKLEPIOS』ギリシア神話の医神。

ネタを思い付いたのはエ○動画を見ている時だった…。
前は痴漢バスでしたが、今回は有り得ない短さのナース服のお姉さんが出てくるものを。余談ですが、個人的に内容は好みではありませんでした。

続かせる予定はありませんが、アレルヤは手術中はハレルヤになったり、 ルイスちゃんが患者だったり、ナースなクリスとかフェルトたんとかミレイナちゃんとかソーマちゃんとか妄想すると良い塩梅!(塩梅の使い方あってるか謎ですが)



更新日:2009/02/09


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